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Wikipedia:井戸端/subj/記事の「研究書」一覧は必要か。需要はあるのか。

記事の「研究書」一覧は必要か。需要はあるのか。

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人物記事に加筆しようと準備中に、気になったことがあります。それは果たして記事を書く上で、執筆に使用した「参考文献」及び、その人物の著作リスト以外に、「研究書」等の文献リストの提示は果たして必要でしょうか? ということです。少し考えてはみたのですが、自分が困惑するのは、当の人物がそれなりに有名な人物で、研究書は何十冊も出ているはずで、数多の研究書の中から、なんでそれを選んだのか分からない何冊かの研究書リストが記載されているケースです。もし、その人物の研究書に取り掛かりたい人のためのリストなら、例えば「AAAは日本における○○研究の第一人者」とか「BBBは××との関係からの研究」とかコメントが無いと意味が無いと思うのです。そもそも、研究書の単なるリストが欲しいなら、ネットの書店で検索してソートした方が良いだろう、といつも思います。研究書リスト、必要ですか? そもそも需用ありますでしょうか? 排他主義者である自分としては、そんなリストは削除した方がすっきりするかな、と思うのですが。「いや、私は文献リスト利用してるよ」という人がちょっと想像しにくいのです。ご意見をお聞かせ下さい。--Shinya1739会話2012年8月17日 (金) 15:07 (UTC)[返信]

  • コメントその「研究書」リストの選抜をしたのが、誰なのか(ある一定集団、たとえば学会等のコンセンサスに基づく見地か)という問題に帰着すると考えます。信頼できる情報源が編纂したリストであれぱ、情報源を評価することで妥当性を検討できます。評価結果を検討して優劣で最適な項目(「研究書」)が残る、あるいは両論併記という話だと考えます。逆にWikipediaの投稿者の思想信条で編纂したリストであれぱそれは独自研究と判断されるべきです。言い換えれば、Wikipedia以外のコンセンサスとしてその「研究書」リストが存在することを出典情報で示されないならば、その「研究書」リストの項目はWikipediaに掲載すべきではないと考えます。--あら金会話2012年8月17日 (金) 17:56 (UTC)[返信]
コメントちょっと意味がよく分からなかったのですが、記事主題(ある人物)を理解するうえで有用な文献であるが、記事の出典としてはまだ使われてないものを別途リストにすべきかどうかということでしょうか?要するにen:Wikipedia:Further readingのことですか?英語版に書いてある通り、記事主題の理解に役立つ文献が他にもあるのならば、それを記事中で引用して出典とすることをまず考えるのがすじだと思います。ただ、はじめから完璧な記事など書けませんから、自分のメモ用に、あるいは他の編集者が加筆しようというときに参考にできるように、まだ出典には使っていないが出典として使えそうな文献のリストをつくるのもありだとは思いますが、日本語版では、英語版のFurther Readingsに該当する概念・ガイドラインが確立されていないので、出典に使われていない文献をリストアップすると出典に使用したGENREFと誤解されるかもしれないので、注意が必要です。具体的にどの記事のことなのか教えてもらえるともう少し的確にコメントできるかもしれないです。--Bugandhoney会話2012年8月17日 (金) 18:26 (UTC)[返信]
コメント和書に限定するなら、特に重要な人でなければ、それほど多くの研究書はないと思うんですけど、どうでしょう? 日本史や日本文学ならかなりあるだろうし、ニーチェやカントならあると思いますけれど、ポパーやディドロでもそれほどたくさんにはならないような。
単に「その記事名で検索した書籍の一覧」なら、なくてもいいと思います。そこから、きちんと記事の主題に合うものを選んでいるなら、それなりに使えるものではあると思います。んーと、amazonで検索してもたいして使える感じにはなりませんし、今のNDLもあんまり使えるリストにはならないかな。それ以外に、検索対象にその記事名が含まれていないようなものもたくさんあるわけで、そうした単純な検索でひっかからないようなものも挙げられていれば、便利ですし、使うと思います。あとは、研究書と、初学者向けの入門書・概説書と、その他もろもろをきちんと区別して書かれていてほしい。リストになっているのが、ほんとうに「研究書」だけなら、それなりに意味もあるんじゃないかな。
その主題・分野を学んでいないと、それこそ「検索でヒットするもの」以外の書籍などにはアクセスしにくいので、そんなに変じゃなさそうな記事で、その執筆者間で文句が出ない程度にセレクトされた、基本文献が示されているというのは、「百科事典の読者」にとっては大事だとも思います。研究書は「近所の図書館のopac」では出てこない(所蔵されていない)ので、存在に気付けないこともある。NDLやらamazonやら近所の図書館のopacやら日本の古本屋やら見て、ぐぐってうろうろした後にウィキペディア見たら、最初に読んだらよさそうな本が示されていて、しまったーということは何度もあります。
ただ、それは便利ではあるけど、中立ではない可能性は確かにありますから、便利だというだけで除去してはならないという結論になるわけではなくて、そこは微妙なところ。決め事にするなら、いろんな立場、いろんな分野のいろんな記事を想定したほうがいいと思います。
研究書がやまほど出ている主題であるなら適切に選ばれたものが、「AAAは日本における○○研究の第一人者」とか「BBBは××との関係からの研究」とかいったコメントを付けて書くことができると思われます。基本文献案内みたいなのもあるだろうし、ジャーナルの書評・新刊紹介も使えるでしょうし。なので、「数多の研究書の中から、なんでそれを選んだのか分からない何冊かの研究書リスト」が現在の記事にあるのなら、「その人物の研究書に取り掛かりたい人のためのリスト」にすればいいし、よりよい文献リストにするにはどうすればいいか、という方向で記事を改善したほうがいい。あるいは、リストが不要な程度にまで、参考文献に主要な研究書が含まれているなら、中途半端なリストは除去してもいいでしょう。--Ks aka 98会話2012年8月17日 (金) 19:02 (UTC)[返信]
結論からいうと「今ある研究書リストは残す。読んで記事に生かすことができたものから、(研究内容に関するコメント付きの)参考文献にしていく。」ということにしました。あった方がいいという意見を頂いて、自分自身、削除するに足る理由は持ち合わせていませんので。利用者がそれを活用できるなら、それで良いかな、と。あら金さんのコメントは私の論理を突き詰めた1つの帰結を示して頂いたものと理解しました。つまり、私の論理でいけばリストに出典を求めるという「ナンセンスな」事態になってしまう、ということですね。自分で言っておいてなんですけど(苦笑)。またFurther readingが英語のみにあって、日本語にないとは知りませんでした。何故、英語の記事でFurther readingの項目が出てくるのか理解できました。Bugandhoneyさんありがとうございます。
私自身今、カール・シュミットを執筆準備中ですが、研究書は自分で調べた限りでは確かにKs aka 98さんご指摘の通り「何十冊」もありませんでした。大げさにいってしまってすみませんでした。自分の知りえる限りの研究書を追記して充実させ、それより何よりも、その研究書を記事本文に生かせるようにがんばりたいな、と考えています。
よく考えてみたら、自分が削除したかった理由は、本文に対して文献リストが異常に長い記事が「カッコ悪い」と思ったからでしたが、それは完全に趣味の問題で、そう思うなら文献リストを削除するより本文を充実させるべく勉強した方がいい、ということにいまさら気付きました(苦笑)。あら金さん、Bugandhoneyさん、Ks aka 98さん、コメントありがとうございました。--Shinya1739会話2012年8月19日 (日) 04:40 (UTC)[返信]
あら金さんのいう原則はいろいろな場面で有用かなと。自分だったら記事の出典として使うかどうか、という視点が役に立つのでは。私は長い「外部リンク」リストを見つけたときにもそう考えますね。ある著者や書籍が記事主題の理解にとってどれほど有意義であるかどうか分からない場合は、その著者や書籍に関する第三者言及を探して見当をつけたりします。これは出典にする場合ですけど、Wikipedia:信頼できる情報源#歴史には、歴史学会が発表した書評や書籍リストを使うとよいということが書いてありますね。--Bugandhoney会話2012年8月20日 (月) 16:17 (UTC)[返信]
自分がウィキを知った2005年には考えられないぐらい、「出典」や「参考文献」や「史料」に厳格になりましたね(苦笑)。どんな記事でも。レポジトリとかいう論文をネットで読めるサービスがもっともっと広まったら、資料そのものをネットで立読みできるようになるのにな、と思っています。ちょっと読めば、自分が書きたいことが載ってる可能性については推測できると思いますし。今は研究書リストの本を何冊かでも読むことから始めます。コメントありがとうございました。--Shinya1739会話2012年8月21日 (火) 15:01 (UTC)[返信]