Wikipedia:井戸端/subj/管理者への関心を高めるには
表示
< Wikipedia:井戸端 | subj
|
管理者への関心を高めるには
[編集]僕は井戸端:管理者解任制度における擬似任期制への関心についてを立ち上げました。その後この試行は2名の管理者を解任して終了しましたが事後評価はなされず茶番といわれても仕方のない状況です。ところが一方、ノート:管理者の辞任#自動退任では3ヶ月間編集実績のなかった管理者を退任させるか否かで揉めているのですが、その対象の管理者というのが会話ページで問いかけをされても何も答えないような方で、擬似任期制で解任された2名と信任基準がずれ過ぎと感じました。その対策のためには目立つ場所に管理者関係のページへのリンクを載せ利用者の関心を高めるべきだと思うのです。--いんでぃご 2010年7月30日 (金) 17:22 (UTC)
- その前に「茶番」への感心を高めるべきではないでしょうか。任期制という存在意義不明な制度に関して、それが如何に重要かを「定期的にコミュニティの意見を再度問う必要があると、私は考えています」では済まされない説得力で説明するとか何とか。
- 結局のところ任期制の是非は定期的にコミュニティの意見を再度問う必要があるか否(=問題を起こさない限り特に解任の必要性は無い/未だ時期尚早である)かが争点であり、その争点を避けて「先ず任期制の細則を決めて試してみようぜ」から話をしようとするから議論自体が「茶番」であり、「茶番」の結果により試行された擬似任期制に関しても「茶番」扱いがされているのではないでしょうか。「事後評価がなされなかったから茶番といわれても仕方のない状況」なのではなく「そもそも最初から茶番なんだから事後評価なんて無意味なことは誰もする気が無かった」可能性を考慮する必要があります。
- 件の議論では「定期的にコミュニティの意見を再度問う必要がある」という意見に賛同出来ない(=「問題を起こさない限り特に解任の必要性は無い」或いは「今は未だ時期尚早である」という意見を持っている)ウィキペディアンは参加出来ない環境が形成されています。その時点で排斥されたウィキペディアンはこの「茶番」から興味を失い、かと言って力尽くで邪魔するわけにもいかないので、試行された擬似任期制には参加出来ませんし、無論事後評価なんて不可能です。(まさか「茶番なんだから当然の結果だ」とか「無意味なことをして無意味な結果が出た」とか評価したら単に嘲笑してるだけで評価になりませんし)
- なので、事後評価その他は「茶番参加者」が行なわなければなりません。が、単に試してみたかっただけの「茶番参加者」は事後評価をする気はありませんし、出来るだけの知識も経験も考察力も(あったらこれが無意味な茶番であることは最初からわかっているでしょうから)無いことでしょう。結局、長らくwikipediaで経験を積んだ(そして結果として「問題を起こさない限り特に解任の必要性は無い」或いは「今は未だ時期尚早である」という意見を得た)ウィキペディアンの知識やら経験やら考察力やらに頼らなければならないのですが、そもそも係るウィキペディアンを排斥した後なので、協力したくとも協力出来る人は誰も居ません。
- 対して自動退任の議論の方では、誰も排斥していません。長らくwikipediaで経験を積んだ(そして結果として「問題を起こさない限り特に解任の必要性は無い」或いは「今は未だ時期尚早である」という意見を得た)ウィキペディアンが排斥されていないのです。なので彼らも参加することが出来、故にその信任基準は「試行された任期制」の信任基準とは異なるものとなっているのです。
- 任期制に関する議論は、賛成者の中に「反対者を説得したり理解させたり出来るだけの根拠」を持っている人が誰も居なかった所為で、「単に反対者を追い出して好き勝手な実験を強行した」だけとなっています。これが「茶番」です。利用者の関心を高め賛同者を集めるのではなく、追い出した反対者を呼び戻し「茶番」では無くす努力が必要です。その為に、任期制の理念を理解してもらい興味を持ってもらえるだけの「説得力を持った言葉」を準備しなければなりません。そしてその為には、「問題を起こさない限り特に解任の必要性は無い」或いは「今は未だ時期尚早である」という意見を得たウィキペディアン達が、何故にその意見を得るに至ったのかを理解する必要があります。でなければ、その言葉が説得力を持つか否かすら判断出来ないのですからね。
- とにあれ一回目の実験が終わったわけですから、これから賛同者は反省し問題点を検討し改良案を携えて、改めて次の実験を提案するべきでしょう。「やってみれば皆その重要性を理解して賛成多数で任期制が導入されるに相違無い」とか甘ったれた他力本願_(誤用)な遊び気分だったので無い限り。反対者の理解を得る努力を避けて続けていたのでは、いつまでも「茶番」のままです。今後の行動を見て、反対者は様々なことを判断することになります。そしてその判断の結果、興味を持ったり、二度と興味を抱かなかったりするのです。此処からが肝心ですよ。
- 世界最狂の魔法使いCray-G 2010年7月30日 (金) 19:55 (UTC)
- コメントその件については私は継続の方向で簡単に投票だけ行ないました。あの場で現実的な意味を持っていた論点というのは、strictに運用しないとなぁなぁになって悪い方向に行く vs オープンプロキシが開きっぱなしになって得するのは荒らしだけだ という点だったろうと僕は捉えてます。これはどちらも一理あるものでそれなりに私は悩みましたが、現実問題、つまりvandalへの対応が火の車だという現実により比重を置いて判断しました。関心を高めるという意味では、立候補が増える、自分でやってみる、というのが一番良い効果を生むのではないかと思います。--Was a bee 2010年7月30日 (金) 21:06 (UTC)
- 追記:この問題は非常に難しい「バランスの問題」だろうと僕は思っています。あまり気楽にやりすぎてもいけない、けれどもあまり萎縮しすぎてもいけない、この間の難しいバランスを取る問題なんだろうと考えます。おそらくこの両端の間を行ったり来たりしながら、どこか良い塩梅の所に落ち着いていくのではないだろうかと思います。何にせよ、立候補が増えていくことに関しては、そうした難しいバランスの問題と関係なく、物事がよくなる方向なのではないかと考えます。--Was a bee 2010年7月30日 (金) 21:44 (UTC)
- コメント そういう意味の「関心」なら、現状維持で良いと思います。特にどうこうする必要を感じません。自分が制定に携わった規則を二度も破りつつ現在もbot任せの権限行使を継続中の、2年半も記事を書いていない、3ヶ月おきに権限維持のためだけに編集に現れる管理者であっても、それが何故か信任されているというのは事実であり、関心が低いから云々というのは違うように思います。「管理者への関心を!」という漠然とした(しかも「増やす」方向でもない)活動なんてやっているヒマがあったら、70万達成間近という「記事数」ばかりの成長から、その質のほうに目を向ける活動でもするべきじゃないでしょうか。任期制?は、14人中2人が解任という、それなりに意味があった試みだったと解釈していますが、大半は解任反対票が圧倒的であり、そのやり方には無駄も多く、正直言って結構面倒です。今後のことは特に考えていません。(もう積極的には動かないかもしれませんし、今晩にでも何か提案するかもしれません)--氷鷺 2010年7月30日 (金) 23:05 (UTC)
- コメント大多数の管理者が、解任反対票が圧倒的でコミュニティに強く支持されているということが明らかになる中で、支持されずに長期間管理者であった14名中2名が確かに検出されたという事実は、管理者制度への信用を高める意義のある試みだったと思います。また、残念ながら高い支持率を確認できずに、管理者に留任した方も居たことも明らかになりました。一方、事実上少数の発起人によって運用されたため一部の方に負担がかかったということを除けば、目立った副作用はなかったように思います。
- 今後も制度として維持するためには、負担を分散させる施策が必要だと思います。例えば、単に一定期間信任確認を経ずに留任している管理者のリストを提供するだけでも対応できるかもしれません。それによって、特定案件において遂にある管理者に疑念を持ち、その管理者をコミュニティが本当に信任しているのか確認したい者や、コミュニティの合意を経ない管理者権限行使を積極的に行いたい管理者本人が、自発的に解任動議を提出する目安と動機を与えることができないでしょうか?--වෙ 2010年8月1日 (日) 03:40 (UTC)
依頼者です。コメントありがとうございます。コメントをお読みして僕が取り上げた信任基準のずれは大きな問題とは認識されていないことがわかりました。ただ個人的には擬似任期制試行に事後評価がないので世界最狂の魔法使いCray-Gさんのコメントの通りなのかなと思います。次の実験に注目したいと思います。--いんでぃご 2010年8月13日 (金) 15:13 (UTC)