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Wikipedia:井戸端/subj/矢藤城は実在するか

矢藤城は実在するか

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伊茂梅斬というフェイク記事を作成した方がいるのですが、同じ方が矢藤城という記事を作成しています。当該城について、Googleで検索しても全く引っ掛かりませんが、実在するのでしょうか。

※中世山城は無数にあるので、単に検索に引っ掛からないだけかもしれません。

※私は当該記事について、何らかの対処を求める意図はありませんが、念のため報告として投稿いたします。 --Kotokawa会話2023年4月26日 (水) 03:14 (UTC)[返信]

簡単な調査として、Googleマップや航空写真にて岡山県の連石(れんじゃく)付近を調べましたが、めぼしい史跡は連石神社くらいしか確認できませんでした。「中西臨修」「中西秀永」「矢藤刑部」も同様にGoogle検索に引っかかりませんでした。--しんぎんぐきゃっと会話2023年4月26日 (水) 05:04 (UTC)[返信]
虚構記事でしょう。--Strangesnow会話2023年4月26日 (水) 05:43 (UTC)[返信]
報告 記事に「出典」として置いてある『東作誌』は、国立国会デジタルコレクションで誰でも閲覧可能です。で、所在地とされる「連石」は、[1]の136-139コマ目(ページ番号では263-268ページ)からが「連石村之記」です。当該部には、神社13社、お堂7、河川5、溜池7、奇岩4の固有名詞のほか、「矢の藤と云ふ所に在」る「長者屋敷跡」にふれていて、「往昔時代不知矢の藤刑部と云ふ者住り富有にして長者の名を得たり」云々とありますが「城」については言及はないですね。少なく見積もってもこの時点で出典を偽っている、というのは確かと思います
地理的に近接している「書副」「周佐」「下谷」まで読むと、書副村の項に、「古城」として「躑躅尾山」というのがありますが、「城主不知」「一名比丘尼城とも云ふ」「作州古城記に不見」などとあるのみです。
  • 『作州古城記』が『日本地理志科』に収められており、誰でも閲覧可能です。46コマ目の「和氣」の項の最後の方に、「東作志云」とあって村名が列記してあって「連石」もあります。そのあと「作州古城記、蛯ヵ城在羽仁村」などとありますが「連石の矢藤城」については言及がありません。
  • 平凡社『日本歴史地名大系』の連石村の項には城についての記述はありません。周佐村、下谷村、書副村の項を見ても同地に城があったとの記述はありません。(同書では、『日本城郭大系』に出てる城なら何かしら言及がある)
  • あとは定番の『日本城郭大系』13巻(広島・岡山)あたりを確認すればよいかと思います。
  • 調べて言及がないなら、少なくとも「特筆性がない」ということになるのでは。--柒月例祭会話2023年4月26日 (水) 07:02 (UTC)[返信]
報告 矢藤城を削除依頼に提出しました。--地震ソフト監視人会話2023年4月29日 (土) 10:50 (UTC)[返信]