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Wikipedia:井戸端/subj/日本語版Wikipedia内の他記事から履歴継承せず寄せ集めて書き加えることがどう問題なのかをノートまで教えに来てください!/経緯の説明など

経緯を説明しておきますね。

特に初期の議論を追うのであれば利用者:Ks aka 98/著作権関係資料が参考になると思います。2007年ごろまでのものに限られますが。

ちょっと揚げ足とりっぽくてすみませんなのですが、ライセンス上で重要なのは、他人が書いた文章と自分が創作した文章を第三者がきちんと区別できるように著作者情報が付記されているかどうか、ではなく、「ライセンスが求めていることを満たしているかどうか」、です。ライセンスが、著者情報を求めているから、それを書かなければならない。その「書かれていること」を理解するうえでの背景知識や理念のようなものも考慮する必要はあります。

まず、ウィキペディアではCC-BY-SAだけ守ればよく、GFDLは守らなくてもいいのかどうかという論点があります。CC-BY-SAとGFDLは、本質的には同じようなライセンスですが、ライセンスの細部、その表現は異なります。ここでの話は、ちょっとGFDLが求めているもの、CC-BY-SAが求めているものについての誤解がたびたび見られるように思います。GFDLは「他人が書いた文章と自分が創作した文章を第三者がきちんと区別できるように著作者情報が付記されているかどうか」は求めていない(CC-BY-SAも「他人が書いた文章と自分が創作した文章を第三者がきちんと区別できる」ところまでは求めていないんじゃないでしょうか)。

メディアウィキでは、編集の記録はすべて記録されます。このため、編集者のクレジットは履歴ページに記録されています。通常は、これを帰属表示とできる。ところが、ウィキペディア内で、あるページにある著作物を、別のページに持ち込む場合、元のページの履歴ページにある編集者クレジットは、別ページの履歴ページでは表示されません。これは、そのまま転記するか、翻訳や修正などの改変を伴うか、あるいは、元のページの記述を除去するか残すかには関係ありません。

なかには、ウィキペディア内でのコピペは自由ってことにしようという主張もあったかと記憶します。しかし、自分のクレジットを残したいと考えて投稿した人のクレジットが残らないようになることは、避けるべきでしょう。そこで、基本的にはCC-BY-SA(およびGFDL/これについては上で論点を分離した)に沿った形で対応できるようにするのが好ましいと考えられます。

CC-BY-SAについて、考えます。

現在のウィキペディアにおいて、ライセンスが求める著作権表示/著作者表示については、リンクが重要です。これはGFDLやそれに付随する日本語版での経緯とは関係なく、利用規約の「7. コンテンツの利用許諾」において、帰属表示は

  • 投稿した記事へのハイパーリンク(可能な場合)またはURLによって(各記事にはすべての執筆者および編集者を一覧する履歴ページがあるため)
  • 自由にアクセス可能な代替の安定したオンライン上の複製物へのハイパーリンク(可能な場合)またはURLを通して。ただし、複製物はライセンスに準拠し、プロジェクトのウェブサイト上に表示されるクレジットと同等の方法で執筆者に対するクレジット表示を提供するものとします。
  • 全執筆者の一覧を通して

の三つの方法でなされることに、投稿者は同意しているとされているからです。

ウィキペディア上では、「投稿した記事へのハイパーリンクまたはURL」が、このなかでは容易な帰属表示の方法と言えるでしょう。利用規約の「7. コンテンツの利用許諾」「帰属表示」で挙げられているもの以外の帰属表示を採用する場合は、投稿者の同意がなく、CC-BY-SAの4節c項でいう「合理的な形態」に合致するかどうかが明らかではないです。合理的な形態と言えるものもあるでしょうけれど、無理にそれを使う理由もないと思われます。「リンクのあるなし」は、重要なんです。

利用規約では、執筆者を要約欄で列挙することも可能です。一方、GFDLおよびGFDL上の扱いを定め、利用者に同意を求めているWikipedia:著作権#総則では、「リンク」を要件としていません。「履歴 (History)」とは、現状では、「変更履歴」という項目名を持つページで、そこに執筆者名をすべて書くことができるなら、その方法でも履歴上の問題を生じません。また「要約欄で履歴として指定されたページ」ですから、「Wikipedia:著作権」あるいはGFDLの要求としては、リンクをせずとも履歴は継承されたものと捉えられるということに、投稿者は同意していると考えられます。列挙できない場合に、リンクを使うことが求められるのは、利用規約に基づきます。削除しなくていいということに気づかないまま審議が進行したこともあるだろうけれど、列挙されているのに削除ということは、特になかったと思いますよ。ウィキペディア日本語版では「帰属表示の手段は、リンクによる履歴継承の一択」ではありませんし、それはGFDL由来のものでもないです。

リンクに限定するという発想は、確か翻訳のガイドラインが、けっこう厳格な方向に向かって、その後「Wikipedia:著作権」にその記述が取り込まれたという感じだったと記憶します(おぼろげですが)。それはそれで、削除依頼で古い記事の扱いでもめたりしてたという経緯もあったんで、定型化してわかりやすいようにするか、柔軟に運用するかみたいなところで、いっそリンクのみってことにしようとしたところで、途中で方向転換したんじゃなかったかな。「Wikipedia:著作権」から分割された「Wikipedia:ウィキペディア内でのコピー」の太字部分が求めているのは、ガイドラインとして、そういうふうにしておけば間違いないよというようなことです。

では「投稿した記事へのハイパーリンクまたはURL」をするとして、それをどこで示すのか、という問題が生じます。

CC-BY-SAだけでの運用なら、場所はそれほど制限されないと考えられます。CC-BY-SA導入時にみんなが期待してたのはそこらへんで、GFDLとのデュアルってことで結局変わらないのかーと失望したりしてた。まあ、そもそも要約欄を使うというのは、GFDLの名残りと言えます。

GFDLが求めるのは、履歴ページの保存であり、履歴ページを保存することによって、著者情報をたどることができればよく、しかし、履歴ページで自由に編集できるのが要約欄しかないから、苦労していたのですね。要約欄はそれほど多くの文字を書き込むことができませんから、多くの著者情報を転記することは困難です。ただ、GFDLは解釈を禁止してないので、ノートや本文を「履歴ページ」に含めるとか、履歴ページからサブページへのリンクを作るとか、いろんな対応策が考えられました。

これらの方法で、問題になると考えられたのは、ノートや記事本文は誰でも編集できるため、保存された履歴/帰属情報を追うことが困難になる可能性があることでした。たとえば、ノートに著者名を列挙したり、元記事へのリンクをはったりしたとしましょう。その後、改名によって記事とノートページが分離したり、転記元のへのリンクが過去版に追いやられてしまうかもしれません。「英語版からの翻訳だとことわった上で訳文の前にリンクを貼った」のが、10年後、20年後にも確認できる状態にあるとは限りません。そうした状態が、帰属情報が示されていると言えるかどうか、また再利用者はそれを見つけ出して再利用しなければならないと主張できるかどうか。

もうひとつ、初期においては、記事同士の言語間リンク(サイドバーに表示されるリンク)で履歴が継承されているということになっていました。これらについても、除去されたらどうするとかいう問題はありますが、それだけではありません。翻訳に使った言語版の記事と、それ以外の区別はつきませんし、翻訳かそうでないかの区別もつきません。誠実に著者表示を行おうと思うなら、差分を追いながら、どの言語から、どの版から翻訳したということが示されていなければ、再利用にあたって、すべての言語版の、すべての版を検証するか、すべての言語版のすべての著者表示をしなければなりません。たとえば、言語間リンクを「設置するという行為」がなされた版については、その言語版の履歴を継承するのだという考え方を唱える人もいました。既に言語間リンクがある場合は、要約欄を使わなければならない、と。

要約欄での記載は融通が利きませんが、だからこそ、その後の修正は、(版指定削除導入後は、要約欄の不可視化は可能になりましたが)不可能ですから、正しく記述されれば安定した運用が可能となりますし、情報を集約することにもなります。事後的な改変がなされない場所で、限られた字数の中で、比較的確実に転記元の記事へのアクセスを保証する合理的な手段としてリンクを使おうという考えが生まれ、生き残ったというわけです。分割や統合や翻訳をしたばかりならば、将来にわたって帰属情報へのアクセスを容易にする修正は難しくない。だから「補遺をつけてください」と言われることもあるでしょう。それを言う人が「怒って」いるのは好ましくないですけれども。

なお、いまの免責事項には、「例えば、他の言語版から文章を写して翻訳した場合、複数の項目の文章を統合した場合、項目の文章を別々の項目へ分割した場合などにおいて、以前の文章の履歴を引き継ぐ事ができなかった項目が存在しています。このようなコンテンツを2次利用する場合は、本サイトが提供するよりも厳格な要件を求めることはありませんが、可能なら補完して下さい」とありますから、2次利用者には面倒な手順を求めるつもりはないのでしょう。だとすると、2次利用者が補完せず(できず)、帰属情報に不備があるまま文書が拡散し、本来の投稿者がそれを問題と考えた場合は、その責任は翻訳やコピペをした利用者、または過去ログ化した利用者らに帰すると考えられます。

ガイドライン系の文書を整備し、わかりやすくすることは、望まれるものだと思います。ライセンスや法の話と、それを踏まえた案内文書を区別するのがいいのかな。あとは案内文書で、わかりやすい決めうちを前に出すか、その他の方法を丁寧にフォローするか、とか。

なお、「Copied」テンプレートを使うのは、投稿者の列記のように「最も無難な決め打ち形式」以外の手法として許容されるものではなく、ライセンス違反であり著作権侵害であることを踏まえたうえで、やむをえずリペアするための手法です。そして、それを認めるかどうかは、en:Wikipedia:Copying within Wikipedia#Repairing insufficient attributionにあるWhile technically licensing violations are copyright violations, pages that contain unattributed text do not normally need to be deleted. が、日本語版でも受け入れ可能か、また受け入れると判断するかどうかによります。このへんは、Wikipedia:井戸端/subj/翻訳における履歴継承のグレーゾーンの話題と重なりますね。--Ks aka 98会話2012年8月1日 (水) 05:28 (UTC)[返信]