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Wikipedia:井戸端/subj/情報開示の対象について

情報開示の対象について

[編集]

広く知っておいていただきたい事例になりますので、井戸端に記しておきます。文章内容などを整理し、いずれはWikipedia空間にケーススタディ及び注意書きとして残しておく心算です。

先日、ある記事にその記事の関係者にとっては芳しくない記述が加筆されました。加筆をした利用者を仮にBさんとします。加筆がなされて1週間ほど経過したあるとき、新規利用者が加筆部分を少しずつ除去していく編集をし始めます。この方をAさんとします。その記事対象の関係者です。

善意のユーザーCさんが、理由なく除去されていく編集に気づき差し戻しをおこないました。Aさんはその後も引き続き除去をします。それをうけてBさんはまた芳しくない記述をもう一度書きました。その後はAさんによる除去と、理由なき除去として差し戻す(問題記述を復活させる編集)Dさん、Eさんの名前が編集履歴には記されています。

さて、Aさんは名誉毀損、信用棄損として警察に相談をしました。この場合 Wikipedia:名誉毀損にあるように、寄稿者自身がその責任を負うことになります。

私の元に警察から連絡があり(たまたま他の案件で以前連絡を取っていた警察署のひとつでした)実際に被害届けが出た場合の情報開示についての相談がありました。 m:Help:CheckUser/jam:CheckUser policy/jaに記載されているように、「法的に有効な召喚状、または、法執行機関からその他の強制的な要求を受けた場合」には情報を開示することになります。

名誉毀損、信用棄損の案件の場合、問題とされる箇所を記述した方(このケースではBさん)だけでなく、Wikipediaの編集としてその動機が善意であっても、差し戻しをすることでその記述を再度公にした方々(このケースではCさんDさんEさん)の情報(サーバログから集められた、ないし、チェックユーザーの権限を経たデータベース内の記録を通して集められた、個人を特定できるデータ)をも開示せざるを得ない場合があります。

現段階で私から申し上げられることは、こういったケースの場合、記述した方だけでなく、除去に対する差し戻しをした方も情報開示の対象となってしまう可能性があるということを、ご注意いただきたいと思います。Wikipedia:名誉毀損Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかWikipedia:存命人物の伝記などにもう一度目を通していただき、名誉毀損、信用棄損に関わる文章の差し戻し復帰については、慎重に行うことをお勧めいたします。

なお、当該記事は問題の記述を荒らしと判断し(Aさんに確認をとった上で)全削除としました。--海獺 2009年4月15日 (水) 13:30 (UTC)[返信]

質問です。例えば、復帰ではなく、削除した場合(時々あるような、明らかにひどい記述を削った場合)、無条件に開示の対象になるのでしょうか。それとも、上記、開示対象となったCさん、Dさんについては、Aさんが指名したから開示対象となったのでしょうか?--ゆきち 2009年4月15日 (水) 20:52 (UTC)[返信]
今回のお話は、開示の対象になりうるケースが起きましたというお話をしているので、「この場合は無条件で開示の対象になるのでしょうか」などの質問には、どなたにも答えられないでしょう。
整理しますと、今回のケースの場合、Aさんという方が警察に相談をされ、その場合にログ等の開示が可能かというお話を警察からいただいた中での、開示対象のお話です。つまり、被害届けなどの正式な訴えがあり、Bさん、Cさん、Dさん、Eさんのログ開示に妥当性があるという判断がされた場合、開示の可能性があるというお話です。問題点が「記述内容そのもの」なのか「それを含む個人の特定」なのかによって当然対象は変わるでしょう。
その判断は「復帰か削除か」「誰が見てもひどい記述か」というよりも、訴える側が対象をどこまでにし、法的機関がどこまで妥当性があるかという判断をするかによって、変化するものであろうと思います。
編集した方がどういうつもりであるか - 
  • 善意か悪意か
  • 単にリバートしただけなのか
  • Wikipediaの方針に則ったものどうか
  • 出典があるものを書いただけで執筆者本人の意見であるかないか
などという要素が全く考慮されない可能性があります。
重ねて申し上げますが、存命中の人物に対するネガティヴな記述や現在活動している企業団体へのネガティヴな記述について編集をされる場合、信用毀損や名誉毀損に関わる削除依頼で、本人・関係者・当事者が介入していると思われるケースには、編集に関わった方が望まない場合でも情報開示の対象になりうるということを、意識していただければ幸いです。
実際の今回のケースにおいては、Cさん、Dさん、Eさんに私からメールをお送りします。--海獺 2009年4月16日 (木) 02:52 (UTC)語句置き換え--海獺 2009年4月16日 (木) 05:19 (UTC)[返信]
Wikipediaの基本方針に従って行動している限り、名誉毀損・信用毀損等の責任を問われることは(皆無ではないにしろ)ほとんどないと思っていましたので、今回の件はちょっと意外です。つまり、私の認識は、以下のようなものでした。
  • 百科事典に有益な情報(=公共性・公益性を満たす)を「信頼できる情報源」の記述に基づいて(=真実性・相当性を満たす)記載している限り、名誉毀損は成立しない。
  • 同様に、「信頼できる情報源」の情報である限り、信用毀損罪でいう「虚偽の風説を流布」にはならない。
  • Wikipedia:検証可能性に従っている限り、どのような出典に基づいてどのような情報を記載したかは、記事やノートを見るだけで充分明らかになっているはず。(逆に言えば、そこが明らかでないということは、Wikipediaのルールに従っていないということになる)つまり、Wikipediaの基本方針に従った編集である限り、記事やノートの議論を充分に調査しさえすれば(直接本人を取り調べるまでもなく)名誉毀損や信用毀損の嫌疑はおおむね消える。
当局が記事やノートの記述を充分チェックした上で「嫌疑あり」と判断した人についてなら情報開示も仕方ないでしょう。しかし、そうでないなら、「まず記事やノートの議論をしっかり調べてください」と言うべきだと思います。その意味で、「Wikipediaの方針に則ったものどうか、出典があるものを書いただけで執筆者本人の意見であるかないかなどという要素が全く考慮されない可能性があります」は、少しおかしいと思います。
本件について、警察は、本当に「Wikipediaの方針に則ったものどうかという要素を考慮しない」という見解なのでしょうか?ひょっとして、「信頼できる情報源」が充分に明記されていなかったから嫌疑が消えなかったということではないですか?ご確認いただければありがたいです。
個人的には、記事の編集よりノートでの議論に参加することの方が多く、しかも最近はある記事での議論の中で「こんなので名誉毀損なんかになるわけはない」のような説を展開していたりもします。万一の場合、ノートで「記述してよい」と唆した私が見逃され、私の意見を真に受けてたまたま記事を編集した人が問題にされるというようなことになったら、非常に不本意です。警察は、記事やノートをちゃんと読んで、「本当に犯罪の疑いがあるのか」「もし犯罪だというなら、本当に悪い奴は誰なのか」をしっかり判断した上で情報開示を要求すべきだと思います(もしそうしていないなら、Wikipedia側からも、そういう要求をすべきだと思います)。--Dwy 2009年4月16日 (木) 08:35 (UTC)[返信]
わかりました。ありがとうございます。--ゆきち 2009年4月16日 (木) 09:06 (UTC)[返信]
Dwyさんに対しての返信です。挙げていただいた三点の条件はいずれもWikipedia側もしくは編集をする方からの視点のお話です。今回私が申し上げているのは、ある記述に対して、名誉毀損などの申し立てがあった場合、記述した方だけでなくリバートなどによって記述を復活させる行為も、申し立てをする方からすれば問題のある記述を復帰させた方とみなされる場合があり、情報開示の対象となりうるというお話です。つまり「申し立てをする方がどなたを/何を問題視し、開示要求の対象にするのか」でしかなく「Wikipediaの方針が」というようなレベルのお話ではありません。
申し立てをする方や警察や法的機関がどのように判断するかということを、「Wikipediaの方針について理解した上で配慮しないのはおかしい」というような点については、個人的には考慮されるべきだとは思います。しかしながら、実際問題としては、今後仮にDwyさんがそういった件に直面したときに、「私はWikipediaの方針の則って行動をしただけだ」とご自身でご説明いただくほかはないと思われます。その際にはDwyさんというアカウント名での対応になるか、こちらから情報開示をして以降の段階なのかについても、いずれの可能性もあるということも合わせてご理解ください。
現時点で、今回のケースにおいてそういった打診があったことは事実であり、実際に開示しなければならないかどうかは今後の展開によりますが、例えば私のような立場のものに「Wikipediaとしてこうすべきである」というリクエストや過度の期待をされても困りますし、今回はたまたま私のところに問い合わせがありましたが、ほかの方に同じような対応を期待するような流れになっても困ります。また「本当に悪い奴」云々についてですが、それが判らないから開示対象になりうるということについてご理解ください。
私は今回の件で私にできる限りのことはしますが、それはただ単に今回のケースにおいての結果が出るにすぎません。「この件がこうだったから、これもセーフ」というようなことでは、決してありません。その上で、Wikipedia:名誉毀損Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかWikipedia:存命人物の伝記を何度でも読み返して、ひとりひとりに今後の編集姿勢、議論参加姿勢をお考えいただければと思います。特にWikipedia:名誉毀損に書かれていることを、しっかりご理解ください。--海獺 2009年4月16日 (木) 11:39 (UTC)[返信]
へのいちと申します。日頃よりこのような案件への対応にご尽力されているCUの皆さん、お疲れさまです。
さて、上のやり取りについてですが、Dwyさんが訊きたかったのは、「Wikipediaの方針に則ったものかどうかという要素を考慮しない」のかということではなく、「(Wikipediaの方針に則った行動や記述であるから、その結果として)名誉毀損の要件を満たさず適法な形になっているということが 記事の履歴やノートを注意して読めばわかるようになっている という場合でも開示してしまうのか」ということではないでしょうか。少なくとも私は、その点について伺いたいと思います。記事の履歴やノートを注意して読めば嫌疑無しとなるはずの方に対して、警察などが記事の履歴やノートを注意して読んでいないがために開示を請求してきたとき、まずは履歴やノートを注意して読んでみて下さいという対応をしてはもらえないのか、ということです。もちろんボランティアでCUを引き受けてくださっている皆さんに過剰なお願いはできないのではありますが、どう対応をしていただいているのかを伺っておくくらいはしたいのです。--へのいち 2009年4月17日 (金) 03:51 (UTC)[返信]

(インデント戻す)論点がいくつかに分かれておりますので、整理してお答えいたします。

このお話は、

現段階で私から申し上げられることは、こういったケースの場合、記述した方だけでなく、除去に対する差し戻しをした方も情報開示の対象となってしまう可能性があるということを、ご注意いただきたいと思います。Wikipedia:名誉毀損Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかWikipedia:存命人物の伝記などにもう一度目を通していただき、名誉毀損、信用棄損に関わる文章の差し戻し復帰については、慎重に行うことをお勧めいたします。

というお話であり、こういう場合はこうしてくれるのでしょうか? もしくは、こういう対応をします。 という論点ではありません。その上で質問に出来る限りお答えします。

まず、確認していただきたいのですが、「全く考慮されない」ではなく「全く考慮されない可能性がある」と申し上げています。逆に考えてみてください。「申し立てをしている人、警察・法的機関は、善意による差し戻し編集などを絶対に考慮してくれます。開示対象にはなりません」と断言できるでしょうか? おそらく誰にも断言することはできないでしょう。

「この人は善意で差し戻しているのだから、開示の対象に含まなくてもいいのではないかと思います。なぜなら、長くウィキペディア日本語版の編集をしてくださっている方であり・・・」という風に、意見を言うことはできると思います。その意見を参考に、申し立てをしていらっしゃる方や、警察・法的機関が、その編集を善意とみなし開示対象から外すという判断をするかもしれません。

しかし「この人は善意で差し戻しているので、情報開示をいたしません」とボランティアの立場の人間が開示拒否をすることはできません。拒否することによりウィキペディアが免責されなくなる可能性がありますし、CU、管理者に判断権限は全くありません。責任を負う立場でもありません。「参考として意見を言う」ということと、「開示を拒否をする」ということは全く次元が違うことです。

「参考として意見を言う」などの対応は、あくまで任意の行動です。管理者をふくむ利用者の中には、法的機関や申し立てをしている方に対し、一人のボランティアの立場で意見をいうことすら躊躇する方もいるでしょう。「管理者/CUとしてどうするのか」というようなボランティアの集団に一律の対応を期待するような問題ではないと思われます。

その上で「もちろんボランティアでCUを引き受けてくださっている皆さんに過剰なお願いはできないのではありますが、どう対応をしていただいているのかを伺っておくくらいはしたいのです。」という質問に対してですが、「皆さん」ではなく、今回のケースでは、警察と申し立てしている方、双方に「CDEの各氏は善意のユーザーであると思われるので、情報開示対象から除外していただけないだろうか」という意見を、私は一個人として伝えています。ただし、本当にこれは特殊なケースであり、たまたま他の案件で以前連絡を取っていた警察署のひとつで、実際にその署の方と先日お会いしていることで、ある程度の信頼関係があると思えたからこそ意見が言えたという背景があります。

非常に冷たい言い方になってしまうのはもうしわけないのですが、ウィキペディアは任意参加の場所です。利用者が任意でおこなった編集に対して、管理者が外部にどんな対応をしてくれるのかを期待なさらないでください。百科事典を作るサイトにおいて、名誉毀損や信用毀損のおそれが少しでもある記述は、今すぐにウィキペディアに載っていなければならないのか、もう一度考えて、ご自身がトラブルに巻き込まれないように配慮してください。--海獺 2009年4月17日 (金) 06:05 (UTC)リンク付加--海獺 2009年4月18日 (土) 03:08 (UTC)[返信]

へのいちです。海獺さん、お答えありがとうございました。私が伺いたかったことはこれ以上ないというほどはっきりとわかりました。私が海獺さんの立場だったらここまではやるだろうという対応はしていただいているということ、あるいはしようとしていただいているということがわかって安心しました。海獺さんをはじめCUのみなさまには、日頃のご尽力に改めて感謝申し上げます。ところで、私が訊いたことはDwyさんが確認したい点とは少し違っていたようですね。失礼いたしました。--へのいち 2009年4月18日 (土) 09:44 (UTC)[返信]
Wikipediaの編集は基本的に自己責任で行うものであり、ボランティアで外部との折衝に当たってくださる管理者の方が自分を守ってくれると期待するのは筋違いだということは、理解しました。しかし、今回お願いしていることの主旨はそういうことではありません。今回の事例がどのような事例なのか、確認していだだきたいということです。
今回海獺さんは「出典があるものを書いただけ・・・という要素が全く考慮されない可能性があります」とおっしゃっています。上にも書きましたように、私としては『百科事典に有益な情報を「信頼できる情報源」の記述に基づいて記載している限り名誉毀損や信用毀損は成立しない』と理解しており、その範囲内ではかなり「行け行けドンドン」ですから、本当に海獺さんのおっしゃるとおりなら、真剣に考え直して行動を改めなければなりません。その意味で、
  1. 今回の事例において、実際に、出典があるものを書いただけなのに名誉毀損や信用毀損の嫌疑を受けており、そのことが今回の海獺さんの発言につながっているのか?(もしそうなら、Dwyは悔い改めて、現在論争中の問題についても「ごめんなさい。間違っていました」を言わなければないかもしれません)
  2. それとも、今回の事例自体は出典が充分に明示されているかどうか怪しい事例だが、海獺さんとしては、ちゃんとした出典の明示がある事例でも情報開示要求を受ける可能性があると理解しているということなのか?(こちらであれば、Dwyが、海獺さんの理解と異なる独自の理解に基づいて行動することが全く許されないわけではないと思います)
を確認していただきたいと思います。(現在進行中の事例については発言しにくいということなら、お答えは事件の決着がついた後でも結構です)--Dwy 2009年4月18日 (土) 05:25 (UTC)[返信]
横から失礼。名誉毀損等が成立するかどうかとは無関係に、適法な情報開示要求に対し、応じる応じないを管理者が判断することはできないということではないでしょうか。それは開示要求する側(そして開示要求を認める側)が決定することであって、Wikipediaの方針に沿っているかどうかや、出典の有無とは別個の問題です。また私が理解している限り、Wikipediaの各種方針は、それにしたがっているからといって、民事刑事問わず訴訟の対象にならないことを保証するものではなく、まして適法な開示要求に対し保護されることを保証するものでもありません。わずかでもそういった可能性があることを容認できないのであれば、Wikipediaの編集はしないほうがいい(最終的に名誉毀損等に該当しないとしても、開示要求の対象にならないことは誰にも保証できない)ということは言えるかもしれません。-- 2009年4月18日 (土) 06:51 (UTC)[返信]
名誉毀損が成立する可能性がないなら、情報開示要求は「適法」とは言えませんが、ここで私が問題にしているのは、そういうことではありません。ましてや、「民事刑事問わず訴訟の対象にならないことを保証するものではなく、まして適法な開示要求に対し保護されることを保証するものでもありません」のような保証を要求しているわけでもありません。
自己責任での編集をするに当たっては、「どんなことをすればどんな責任を問われうるのか」を充分認識する必要があります。海獺さんが注意すべき実例があるとおっしゃるなら、できるだけ正確・詳細に提示してほしいと思うのです。具体的には、問題となっている事例で「出典の明示」がされていたのかどうか、もしされていたのならどのような「出典」だったのか、問題の性格上完全な開示は難しいでしょうが、差し支えのない範囲内で教えていただきたいとお願いしています。--Dwy 2009年4月18日 (土) 07:44 (UTC)[返信]
「自己責任」というのは「どんなことをすればどんな責任を問われうるのかということを充分認識」しても全てがカバーできるわけではない、と私は思います。「自己責任」とは「自分がしたどんなことも自分で責任を取る」ということです。当然のことながら、あらかじめ認識していたこと、想定していたこと以外の場合も出てくると思います。
仮にこの事例を詳細に開示をしたとしても何も参考になりませんし、当事者のウィキペディアンの気持ちを考慮して、私からは進んで説明をするつもりはないことを申し添えます。
こう考えてください。
  • 名誉を毀損することを目的とした2人の人間、JとKがいます。
  • 出典はあるがその対象の人物にとっては名誉毀損だと訴えたいような内容をJが記述します。
  • 誰かが差し戻す(除去)。
  • Kがそれをまた戻す(復帰)。
  • 誰かが戻す(除去)。
  • 善意の利用者Lが戻す(復帰)。
この場合、J、Kが仲間であっても、ウィキペディアの方針上ではKの行動は両方とも善意の差し戻しになります。
出典がある記述だとしても、「ウィキペディア上でそれを公にしたことに対する被害届け」が出されたとしたら「出典があるから大丈夫だと思いました」と説明するのは、公にした方々だと思います。
K、Lが共謀者なのか善意の第三者なのかは、情報開示後でないと判断が出来ないことではないでしょうか?
Dwyさんに申し上げておきたいのは、今までの編集姿勢で、もしかしたらまずいのだろうかと思うところがあり、情報開示の対象になることを望まないのであれば、今後は慎重にされたほうが良いのではないか、と私は思います。--海獺 2009年4月18日 (土) 15:35 (UTC)[返信]
私としては、「今までの編集姿勢で、もしかしたらまずいのだろうかと思うところがあり」というわけではありません。むしろ、海獺さんの「Wikipediaの方針に則ったものどうか、出典があるものを書いただけで執筆者本人の意見であるかないか、などという要素が全く考慮されない可能性があります」という表現が、非常にまずかったのではないかと思っています。
海獺さんがおっしゃっているのは、「どんなにルールを守っていても情報開示要求を喰らう可能性がある。それが嫌なら、記事の対象にとってネガティブな情報は書くな」ということです。これは結局「記事の対象にとってネガティブな情報は一切書くな」ということにほかなりません。そういうやり方だと、確かに名誉毀損や信用毀損で訴えられるリスクは回避できるでしょうが、百科事典としての価値は著しく損なわれてしまうことになります。
繰り返しになりますが、百科事典に有益な情報を「信頼できる情報源」の記述に基づいて記載している限り、原則として名誉毀損や信用毀損は成立しません。Wikipediaの基本方針に従っている限り、記事やノートの記述を調べてもらうだけで嫌疑は晴れるのです。これらの点を警察が考慮しないことなどありえません。「全く考慮していない」事例が現実に発生しているのであれば別ですが、そうでなければ、わざわざ「可能性があります」などという意地悪な脅かしをすべき理由は何もないと思います。
今回の事例についてご説明くださるつもりがないとのことですので、やむを得ず、私なりの推測(私としては確信に近いものなのですが)に基づいて発言させていただきました。もしその推測が間違っていましたら、お詫びを申し上げます。事例についてのご説明がいただけないなら、これ以上議論する意味もありませんので、お返事は結構です。(海獺さんに反論したいことがおありなら、もちろん是非ともご発言ください)--Dwy 2009年4月18日 (土) 18:08 (UTC)[返信]
横からツッコミですが、ネガティブな事を書くのは百科事典の役割でも何でもないのではないでしょうか。ウィキペディアを離れた一般論で言うなら、当事者も含めて納得できるのが百科事典ではないかと思います。「ネガティブな事を書けないから、百科事典としての価値が損なわれる」というのは、少々飛躍しすぎではないでしょうか。5つの柱の一つでもある「中立的な観点」は、「良いも悪いも全部書きましょう」という意味ではなく、「事実関係において争うことのないものを書きましょう」という意味ですよ。当事者が嫌がっている事を書くのがウィキペディアの役割だとは僕はまったく思っておりません。あと、お尋ねのことは、既に一人の管理者が答えられる限界を越えています。法律家に相談する機会を設けるべきでしょうね。--ゆきち 2009年4月19日 (日) 00:36 (UTC)[返信]
Dwyさんにお返事いたします。反論というような類のものでなく、再三申し上げているように、このお話は、
現段階で私から申し上げられることは、こういったケースの場合、記述した方だけでなく、除去に対する差し戻しをした方も情報開示の対象となってしまう可能性があるということを、ご注意いただきたいと思います。Wikipedia:名誉毀損Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかWikipedia:存命人物の伝記などにもう一度目を通していただき、名誉毀損、信用棄損に関わる文章の差し戻し復帰については、慎重に行うことをお勧めいたします。
という主旨です。Dwyさんは、「開示の対象になるかもしれないよと」いうお話を、「名誉毀損になるかもしれないよ」というお話と混同されているように私には見えます。
Dwyさんご自身も「原則として」とわざわざお書きになっているように、おそらくどこかでは「可能性がある」とご理解いただいていると思われます。その上で私のような立場の人間が、利用者の方へ広くアナウンスするためのこの文章を書かせていただいたということに過ぎません。情報開示の対象となる可能性について私が何も限定できず、何も保証することが出来ないので、こういった表現を使わせていただいています。
その文章から「記事の対象にとってネガティブな情報は一切書くな」とDwyさんが三段論法的に解釈することは自由です。しかしながら、その解釈に基づいてご自身の百科事典の理想へお話を展開したり、そんなはずはないとおっしゃったり、私が脅しのために「可能性があると表現をしている」と、ことさらのようにここに書く意味が私には全くわかりません。
この事例から学ぶことが出来る教訓は「海獺はおかしい。間違ってる」ということであれば、それはそれで仕方がありません。おそらく大半の人にとってはそうではないであろうことを信じて、書かせていただいています。--海獺 2009年4月19日 (日) 00:57 (UTC)[返信]
海獺さんが上で太字体で書かれている主旨であれば、私に何の異存もありません。ただ、そのような主旨であれば、「Wikipediaの方針に則ったものかどうか、出典があるものを書いただけで執筆者本人の意見であるかないかなどという要素が全く考慮されない可能性があります」などとわざわざ言う必要はなかったと思います。(そもそも、Wikipediaの方針に則ったものかどうかが考慮されない可能性が本当にあるのなら、「Wikipedia:名誉毀損Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかWikipedia:存命人物の伝記 など(のWikipediaの方針)にもう一度目を通していただき」というアドバイスは、あまり意味を成しませんよね?)--Dwy 2009年4月19日 (日) 04:42 (UTC)[返信]
Dwyさんは、私にどんな回答を求めていらっしゃるのですか? Wikipedia:基本方針とガイドラインにおける (情報開示の対象になるかどうかに関わる)「内容についての公式な方針(ガイドラインなども含む)」と(編集姿勢に関わる)「行動についての公式な方針(ガイドラインなども含む)」を故意に混同させて、アドバイスには意味がないとおっしゃるのはとても危険な発言だと思います。
ほかの方にももっと意見を伺いたいのですが、Dwyさんがおっしゃることや抱えている疑問を、同様に感じていらっしゃる方は多いのでしょうか? 海獺の説明不足もしくは、海獺はわざわざいう必要のないことをことさら言っているという印象を持っている方が、ほかにもたくさんいらっしゃるのでしょうか?--海獺 2009年4月19日 (日) 05:05 (UTC)[返信]
私の理解では、海獺さんのアドバイスは『Wikipediaの方針に沿っているから大丈夫だ、などと思ってはいけない。Wikipediaの方針はあなたの正義を保証しない』ということですが、合っていますでしょうか。もしそうなら全く同意しますし、言っておくべきアドバイスだったとも思います(Dwyさんの反応こそがその根拠になると思います)。
まあWikipediaの方針や目的に完全に沿った編集であれば、それを以って免責されるべきであると主張することも出来なくはないでしょうが、それは情報の開示が為された後のことでしょうし。 -- NiKe 2009年4月19日 (日) 05:41 (UTC)[返信]

(インデントを戻します。また、へのいちさんの発言を移動させていただきました。)

余計なことを言って議論を無駄に拡散させてしまったようです。申し訳ありません。「Dwyさんは、私にどんな回答を求めていらっしゃるのですか」とのお尋ねですので、ポイントだけもう一度言います。

  • 海獺さんは、善意で単にリバートしただけの人が名誉毀損や信用毀損の嫌疑(=情報開示要求)を受けたという事例を紹介された上で、「編集した方がどういうつもりであるか-善意か悪意か、単にリバートしただけなのか、などという要素が全く考慮されない可能性があります」というアドバイスを提示されました。ここまでのところは、全く理にかなったことであり、何の疑問点もありません。
  • 海獺さんは、更に続けて「Wikipediaの方針に則ったものどうか、出典があるものを書いただけで執筆者本人の意見であるかないか、などという要素が全く考慮されない可能性があります」というアドバイスも付け加えられました。Dwyにはこのアドバイスがどこから来たものか全く分かりません。そこで、「このアドバイスは、ご紹介の事例から得られた教訓ですか?」とお尋ねするとともに、「もしそうなら、どのような事例だったかをもう少しご説明いただかないと、せっかくのアドバイスがちゃんと理解できないと思います」と指摘しました(少し表現が違っていたかもしれませんが、意図としてはそういうことでした)。これに対して海獺さんからは、(特に前半部分の質問に対しては)はっきりしたお答えをいただいていません。
  • 「Wikipediaの方針に則ったものどうか、出典があるものを書いただけで執筆者本人の意見であるかないか、などという要素が全く考慮されない可能性があります」というのが、本件事例から得た教訓ではなく、海獺さんが「これもついでに言っておいた方がよいだろう」と判断して付け加えられたものであるなら、それはそれで結構です。ただ、もしそうであるなら、そうであることがはっきり分かるような説明を加えた上で、本件事例から直接得た教訓である「善意で単にリバートした人も云々・・・」とは明確に扱いを変えて提示していただいた方が、誤解がなかっただろうと思います。(特に本件では、どのような事例だったか情報を完全には開示しないわけですから、事例から得られた教訓と、ついでにアドバイスしている事項とをはっきり区別しないと、Dwyのように余計な推測で混乱する人が出るおそれがあるわけです。)
  • 海獺さんは、「広く知っておいていただきたい事例になりますので・・・いずれはWikipedia空間にケーススタディ及び注意書きとして残しておく心算です」ということで、このトピックを始めておられます。私としては、将来作られる「ケーススタディ及び注意書き」をより分かりやすいものにするためのお手伝いのつもりで、質問・お願いをしています。お前の言うことなどピント外れで役に立たないということなら、無視していただいてもかまいません。--Dwy 2009年4月19日 (日) 21:01 (UTC)[返信]
今回の事例は進行中の事例です。私は各方面(申し立てをしていらっしゃるご本人、および警察)に意見をいうことはしたものの、その結果として今回の事例で情報開示が今後なされることは絶対にない、とも現時点ではいえません。おそらく意見は聞き入れられるだろうという感触はありますが、絶対はありません。
同様に、この文書の目的は、意識せずに情報開示の対象になる可能性があることに対しての警鐘の目的です。今回の案件の詳細報告が目的ではありません。
今回の事例についての詳細な部分は、現在進行であることから、各当事者の同意がなければ私から説明はするべきでないと思います。したがって今回の事例を検証し掘り下げた上でここに書くということではありません。
先日書いたJ、K、Lさんの例の場合での、悪意のあるK氏と全くの善意のL氏のように、表面上はWikipediaの方針通りに全く同じように編集している場合、「善意か悪意か」「単にリバートしただけなのか」「Wikipediaの方針に則ったものどうか」「出典があるものを書いただけで執筆者本人の意見であるかないか」などの要素は、むしろ情報開示後に判断されるケースとなりえます。こういったケースが容易に想像できるのに、今回のケースはどうだったか?という質問もその回答もあまり意味がないと思いますがいかがでしょうか? またこの例は「そうであることがはっきり分かるような説明」には不足でしょうか?
このアドバイスは、ご紹介の事例から得られた教訓ですか?」という質問の答えは「Yes」になります。ただそれはあくまで今回のケースからいろいろな想定をした上で、今回のケースがそのものずばり当てはまるかなどの詳細については、上記のように現在進行であるなどの要素があるため、回答できませんと申し上げています。対象が三人いるということも意識していただけるとありがたいです。Dwyさんの個人的な疑問や不安を投げかけるときに、その方たちへの配慮をしてくださっているでしょうか?--海獺 2009年4月20日 (月) 03:25 (UTC)[返信]
上でも申し上げました通り、「問題の性格上完全な開示は難しいでしょうが、差し支えのない範囲内で教えていただきたい」とお願いしています。更に、「現在進行中の事例については発言しにくいということなら、お答えは事件の決着がついた後でも結構です」とも申し上げました。最終的に「ケーススタディ及び注意書き」をまとめられるときに、どのような事例からどのような教訓を引き出したのか、読む人がちゃんと納得できるような記述になっていれば、それで結構です。
それともうひとつ。海獺さんの今回のご発言を読んでいて初めて気がついたのですが、海獺さんは、出典があるものを書いただけかどうか本人に確認しなければ分からない状態(記事やノートを見ただけでは判断できない状態)でも、「Wikipediaの方針に則ったもの」でありうるという認識なのですね?Dwyは、Wikipedia:検証可能性についてもう少し厳格な立場を取っていますので、たとえ出典に基づいた記述であっても、その出典が記事(あるいはノート)に明記されていなければ、「Wikipediaの方針に則ったもの」ではありえないと考えています。この認識の差が、これまで話が噛み合わなかった最大の理由かもしれません。--Dwy 2009年4月20日 (月) 05:57 (UTC)[返信]
「Wikipediaの方針に則ったものであるかの判断をするのは、いつ、だれが、どの情報によってなのか」という様々な要素を、Dwyさんがご自身の視点からおっしゃり、主観と客観を混同されているようなので、お話が噛み合わないのだと認識しています。Dwyさんが個人で感じている疑問や不安を、あたかも全体のためと展開されているように見えます。
今回の事例の差し支えない範囲をというDwyさんの呼びかけに対し、私はほかの例をあげ、「この文章の論点はそこではないのだ」と再三申し上げていることで、「差支えがある」、「この事例だけで今後の注意範囲を限定することは出来ない」、とお察しいただきたいと思っておりましたが、それは難しいようなので、ほかの人への配慮をしてくださいと申し上げました。
「だれがどのような姿勢で検証可能性について厳格な立場を取っていようとも、自身ではWikipediaの方針に則っていると思っていても、どんな意思でおこなった編集であっても、ケースによっては情報開示の対象になる可能性はありますよ、個人で注意してくださいね」というとてもシンプルなお話です。ご理解いただけないでしょうか?--海獺 2009年4月20日 (月) 07:03 (UTC)[返信]
「主観と客観を混同」のような難しい話をしているつもりはありません。なんで分かってもらえないのか分かりませんが、要するに私が言っているのは次のようなことです。
  • 海獺さんは、本件事例について、以下のような「ケーススタディ+注意書き」を考えておられる(ようにDwyには見える)。
  1. 善意で単なるリバートを行った人が、名誉毀損・信用毀損の嫌疑を受けた事例が発生しました。
  2. (この事例から分かるように)善意で単なるリバートを行った場合であっても、Wikipediaの方針に従っている場合であっても、出典に基づいて記述している場合であっても、名誉毀損等の嫌疑を受ける可能性はあるのでご注意下さい。
  3. 余計な嫌疑を受けないためにも、Wikipedia:名誉毀損Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかWikipedia:存命人物の伝記などにもう一度目を通して、慎重な編集を行われることをお勧めします。
  • Dwyにとって、上記のような「ケーススタディ+注意書き」の論理展開は、少し理解しにくい面がある。いろいろ疑問がわいてきて確認したい点が出てくるが、「詳細については差支えがありお教えできない」のように言われてしまうと妙な不信感まで沸いてきて、せっかくのアドバイスが素直に耳に入らない。
  • 同じことを言うにしても、もっと分かりやすい言い方があるはず。例えば次のように言ってくれれば、Dwyにも素直に理解できる。
  1. 善意で単なるリバートを行った人が、名誉毀損・信用毀損の嫌疑を受けた事例が発生しました。
  2. (この事例から分かるように)善意で単なるリバートを行った場合であっても、名誉毀損等の嫌疑を受ける可能性はあるのでご注意下さい。
  3. 余計な嫌疑を受けないためにも、Wikipedia:名誉毀損Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかWikipedia:存命人物の伝記などにもう一度目を通して、慎重な編集を行われることをお勧めします。これらの方針に従っているからといって絶対に嫌疑を受けない保証はありませんが、一応の目安はご理解いただけるはずです。
いろいろ余計なことも言いましたが、現在私が主張しているのは、たったこれだけのことです。以上は全てDwyの主観に基づく意見ですが、特におかしな主張だとは自分では思っていません。とはいえ、前にも言ったように、海獺さんが考慮に値しないとおっしゃるなら、無視してくださっても構いません。私の側の考えは、これ以上ないくらい明確になったと思いますので、私からの発言はこれで最後にしようと思います。長々お付き合いありがとうございました--Dwy 2009年4月20日 (月) 10:21 (UTC)[返信]
既に余談の域に入ってる気がしますし、本人もこれで最後にすると言っているので、コメントが返ってくることは期待していませんが、前者と後者の違いは「Wikipediaの方針に従っている場合であっても、出典に基づいて記述している場合であっても、」という文言が入っているかどうかだけですよね。そのような文言が入っているから理解しにくい、疑問があるというのは、方針に従っていることや出典が明記されていることにより、Wikipediaの外における判断が左右される、という無意識の前提が入っているとしか思えません。しかし、Wikipediaの外で判断されることなのに、何でWiipedia内の事情を斟酌する必要があるんでしょう。そりゃあ考慮してもらった方が編集活動をする上ではやりやすいかもしれませんが、別段そんな義理はないでしょう。ついでに言えば、疑問に思って質すにしても、分かりやすい言い方というのもあるのではないでしょうか。今回の事例においてどうだったか、を尋ねなくても疑問は解消できた筈、というのが、私の個人的意見です。-- 2009年4月20日 (月) 10:59 (UTC)[返信]
現在進行であること、私は当事者ではなく間に立っている立場であること、権限をいただいている立場としての配慮、など、いろいろな要素があり、私自身も言葉選びに慎重にならざるを得ませんので、説明がわかりにくかった面もあるかと思います。郁さん、フォローありがとうございます。--海獺 2009年4月20日 (月) 15:12 (UTC)[返信]

「Wikipediaの方針に従っている場合であっても」

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問題が二つあります。

  • 編集者当人は「Wikipediaの方針に従っているつもりであっても」実際には、方針すべてにかなうものではない場合

があります。たとえば、「出典に基づいて書いている」つもりでも「人々の知名度に釣り合う情報だけを記事に含めるようにすべき(Wikipedia:存命人物の伝記より)」という条件を満たせそうにない項目がたくさんあります。

  • 「Wikipediaの方針に従っている場合であっても」日本法に照らせばまだ不足である場合

もあります。たとえば、Wikipedia:存命人物の伝記はもともとが英語版の方針を翻訳したものなので、日本法に基づいて考えれば、これを厳守してもまだ足りない可能性があります。ご存じだと思いますが、名誉毀損をめぐる判例は、アメリカに比べて日本でははるかに厳しく責任を問われる状況です。日本の事情をWikipedia:名誉毀損から抜粋します(これは、もとはWikipedia‐ノート:名誉毀損Emonueさんがお書きくださった日本における名誉毀損に関する事情説明です):

  1. 特に注意すべきは、記述内容が真実であるとしても、直ちには免責されないということです。公人について言及する場合であっても、同様です。日本法の下で免責されるためには、公共の利害に関する内容を、専ら公益を図る目的で執筆したことが要求されます。これは、現実的悪意の法理en:actual_malice)による場合よりも広い範囲で損害賠償責任を認める基準であると考えられています。
Wikipedia:名誉毀損2009-04-18 16:21:11 より転記
(補足)ここまではmiya による2009年4月24日 (金) 19:57 (UTC)のコメントです。--miya会話2017年6月6日 (火) 05:48 (UTC)[返信]
Emonueさんがおっしゃっているのは、「記述内容が真実である」だけではダメで、「公共の利害に関する内容を、専ら公益を図る目的で執筆したこと」(いわゆる「事実の公共性」+「目的の公益性」)も必要ということです。しかし、「事実の公共性」や「目的の公益性」は、「百科事典を作る」というWikipediaの目的に則って編集をしている限り、満たされていると考えて良いのではないでしょうか?(もっとも、ここで言う「Wikipediaの目的」については、厳格な解釈をする必要があるでしょう。WP:NOTなども、名誉毀損等が問題になる場面では、厳しい解釈で適用していかなければなりません。)--Dwy 2009年4月24日 (金) 23:29 (UTC)[返信]

「出典に基づいて記述している場合であっても」

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状況はアメリカよりはるかに厳しく、たとえ「出典に基づいて記述している場合であっても」真実であるかどうか慎重な判断を要します。日本法に照らせば、新聞に載っていたから、とか、週刊誌に載っていたから、という言い訳は通じないと覚悟すべきでしょう。こちらもWikipedia:名誉毀損#日本の事情から抜粋転記します:

  1. また、たとえ信頼のおける複数の報道機関による報道に依拠し、そのことを明確にした上で執筆した場合であっても、そのことから直ちに免責されることはありません。
Wikipedia:名誉毀損2009-04-18 16:21:11 より転記

ということです。--miya 2009年4月24日 (金) 19:57 (UTC)[返信]

上記2ケースについての具体的判例などはあるのでしょうか。今後のためにも詳しい方にケーススタディを示していただければと思います。--221.113.5.124 2009年4月24日 (金) 21:11 (UTC)[返信]

「日本法に照らせば、新聞に載っていたから、とか、週刊誌に載っていたから、という言い訳は通じない」は少しmisleadingだと思います。少なくとも、「信頼のおける複数の報道機関による報道に依拠し、そのことを明確にした上で執筆した場合」のことを言っているのなら、(公共性・公益性の言い訳も同時にできることが前提ですが)日本法に照らしても、充分に言い訳が通じます。(何を「信頼のおける報道機関」とするかについてはいろいろ議論があるでしょうが、それはここでの問題とは別の問題です。)--Dwy 2009年4月24日 (金) 23:29 (UTC)[返信]