Wikipedia:井戸端/subj/女子アナウンサー記事編集者の惨状
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相変わらず、女子アナウンサー記述倒錯者に粘着中傷される始末
[編集]お疲れ様です。以前、井戸端で提起した「Wikipedia:井戸端/subj/女子アナウンサー記事の惨状」の流れですが、私のノートに、また女子アナウンサー記事の主観憶測ファンサイト的記述を削除したことに激高した、 大江と名乗る(おそらく捨てハン)ユーザーの書き込みがありました。彼らのセリフは判で押したように、「あなたは女子アナウンサーマニアで、削除荒らしを繰り返していますね、2ちゃんねるでも話題ですよ。何を考えているのでしょうか」というもので、完全に、ウィキペディアとは何かなどという概念が入り込む余地はないようで、2ちゃんねるの世界を、当たり前のように持ち込み、それを前提に相手に問答無用で向かってくるという、閉口どころの騒ぎではない姿勢に唖然とします。残念ながら、私は、いくら2ちゃんねるでどうこうなどという理屈を持ち込まれても、痛くもかゆくもないですし、彼らの倒錯した我が、私のような人間を的外れに敵視して、攻撃すれば通る訳でも何でもないので、ただお疲れさんとしか言いようがないのですが、いつまで経ってもこれです。何度も何度も、私は、こうした輩に、何も私が女子アナウンサーやタレントに興味があるわけではなくて、あくまで他の真っ当なユーザーさんと同様、ウィキペディアの編集や参加には興味があり、その中で、特に主観憶測ファンサイト的記述の巣窟であるのは、これらアナウンサーやタレント記事だから、問答無用に方針内容の要熟読やPOVに当たるものは、コメントアウトしたり、ノートでの注意喚起をしているのですが、その話自体、いくら言っても理解できないようで、まったく別の世界でものを考えているようです。彼らのような人は、なぜ自分たちでファンサイトでも作りそこで思う存分やらないで、方針や事典としてのウィキペディアなどという概念は皆無な中で、ウィキペディアの当該記事に執拗にこだわり、それらに違反する、憶測主観ファンサイト的記述に対処や注意をされると、すごいエネルギーで個人攻撃に走るのか、まるでカルトめいたものを感じずには居られません。正直、このようなユーザーが流入し放題で、倒錯し放題な状況は、何とかならないものかと思います。--Huskys 2007年6月17日 (日) 11:50 (UTC)
Portal:テレビ/執筆依頼を見て驚愕しました。アホらしいことに、アナウンサーは全員無条件に記事を作成して良いことになっているようです。これからも続々とゴミ記事が生産されることでしょう。Wikipedia:ウィキプロジェクト アナウンサーも参加者が少なく機能していません。Botのような記事のスパマーと対決するには、一個人の力では無理かと思います。。--fromm 2007年6月17日 (日) 13:24 (UTC)
- MediaWikiというシステムの、あるいはWikipediaというプロジェクトの抱える問題の、最悪の結果の一つ(→Wikipedia:よくある批判への回答)なんじゃないかと思います。ただ、そういった「多くの人にとっては、ほぼ無価値の(むしろ邪魔な)記事」の存在が、下手をすると「日本語版Wikipedia○○万記事達成」とかの幾らかを占めていたり…まあ、大概百科事典的ではないから即時削除妥当とかなのかもしれませんが。その点でHuskysさん、草刈りお疲れ様です。頭が下がります。というか…小生もfrommさんの「一個人の力では(対応は)無理」という意見に賛成です。Wikipediaを百科事典と認識して参加している全員が考慮すべき問題だと思います。--夜飛(話/歴) 2007年6月17日 (日) 13:46 (UTC)
- 本当に Wikipedia のプロジェクトを何かと勘違いした投稿をする利用者は後を絶ちませんね。このような事例がウィキペディア日本語版の質を低下させ、評判まで落としているのではと思います(Portal:アニメなども同様の問題があると思います)。こういったトラブルに巻き込まれたくない場合は各記事のノートで意見を募って合意形成を行ってみてください。 --Mzm5zbC3 2007年6月17日 (日) 14:01 (UTC)
皆さんのおっしゃる通りであり、Frommさんの言われる「スパマーのような連中には、個人が到底処理できるものではない、ということも承知の上ですが・・・。繰り返し、彼らの、ウィキペディアでの当該記事に対するそうした記述に対する執念(というか、言いがかりのきっかけを見つけては楽しんでいるのかもしれないが)は想像を超えるものがありますね。だいいち、彼らの言う所の女子アナウンサーやタレントマニアならば、自分たちと同じように、ファンサイト的記述をするんじゃないの?と思いますし、これも何度も言っているのですが、なぜ削除対象なのか、なぜ問題になるのか、をまったく考えることもできずに、問答無用の敵視には、理屈の入り込む余地はないようです。勿論、個人レベルでどうこうできる次元ではないと思うものの、夜飛さんの言われる、百科事典と認識して参加しているユーザー全体で、諦めず諭し、毅然とせねばならないと思います。でなければ、以前PeachLoverさんも言われていましたが、ウィキペディアは子どものネタ帳に成り下がり、百科事典の体をなさないものになって終わりだと思いますので・・・。--Huskys 2007年6月17日 (日) 14:24 (UTC)
- 基本的にそのアナウンサーに興味関心がある人が記事を充実させようと編集してるので、その人たちには悪気は無いと思うんですけどね、それが良い悪いの方向性は別として。逆に無自覚だからやっかいにも見えるんでしょうけどw アナの記事見る人も当然アナに興味がある人が多いでしょうし。それだけにアナに興味が無い人がルールをかざして削除第一主義的な編集をするから余計に反感を買うのではないかと。ルールには則っているけど味気無い。興味の無い人から見ればゴミ、興味の有る人から見れば宝。宝をゴミ箱に捨てられたらやっぱ怒りモードになるでしょう。そのアナのファン、もしくはある程度興味のある人がでバランス感覚に溢れた人が編集というか添削すのであればいい塩梅でスパイス効かせた、多くの人が納得する記事になるのでしょう。しかしそういう人が中々いないからこんな状態になるんでしょうねw 単に切り捨てるのではなく形を変えてコンパクトに書き直すとか柔軟な方向も大いに必要でしょう。といっても、しばらくはアナ記事はダイエットモードかな。。。--茶務 2007年6月17日 (日) 14:07 (UTC)
- >それだけにアナに興味が無い人がルールをかざして削除第一主義的な編集をするから余計に反感を買うのではないかと。ルールには則っているけど味気無い。興味の無い人から見ればゴミ、興味の有る人から見れば宝。
- 必ずそういう理屈を言う人がいますが、「ルールにのっとるから味気ない」という発想自体が、百科事典の線からはみ出していませんか?そもそも、記事に興味があるから書く→ネタ的主観・憶測などの記述をしても良い、ファンなどにとっては「宝」であるそれらを削除するのはおかしい、という理屈自体、無理だと言っているのです。少なくとも、百科事典に貴方の言うような意味合いでの「味気」は不要ですよ。まず、そこを履き違えないようにしないといけないと思います。その理屈だと、「味気」やファンなど当該記事対象について興味のある人にとっては、憶測だろうと主観ネタ的記述だろうとお構いなしで、「宝」なんだから怒って当然、だから削除するべきではない、という無茶無茶な論理が通りますよね?お門違いな権利を主張する前に、義務を果たせという話です。義務を守る=味気ない、は、乱暴なすり替え且つ詭弁でしかありません。--Huskys 2007年6月17日 (日) 14:24 (UTC)
感情的に相手に不満をぶつけるだけの発言は、後味の悪さしか残りませんね。今回発端になったのは宮崎宣子と思われますが、これは私も削除前の版では内容を欲張りすぎていると思うので、ノートに私であればこういう理由でこれを削除するという考えを書きます。相手に受け入れられない要求は、無理やり受け入れさせてもその場しのぎでしかないと思います。削除に際しては、なるべく相手が納得できる理由を挙げて、地道に理解を得ていくしかないと思います。--Mr. 辛口 2007年6月17日 (日) 14:32 (UTC)
- 削除込みの編集することは別にいいんですが、あんまり興味の無い人がやると「何でこの大した事無い記事は残して、重要と思われるこっちは削除するんだよ」といったバランスがイマイチで選択度の悪い編集になる傾向があるから、それを危惧してるだけです。ルール主義者&何でも書きたがりファン、両方がある程度納得する、うなるような編集をして欲しい、ただそんだけです。ちなみに某氏に指摘受けてるだけに自分もそんなバランス良い編集は無理かな、ファン寄りの記事になっちゃうしw --茶務 2007年6月17日 (日) 14:54 (UTC)
- おっしゃることは分かります。具体的に、どこまでは削除して、どこまでは残しても良いものなのか、という線引きは、確かに必要だったり、ここで判断が分かれたりするケースもありますから。しかし、根本的に、根拠未検証・「~であろう」「~かもしれない」などという憶測・個人の主観・評論・好き嫌いを基にした賛美や中傷は削除対象というのは大前提です。よくあるのは、ファンサイトであれば良いけれど、それは内輪ネタ的でどうなんだ?という類の物は、線引きが難しく微妙な部分もありますが、前述の要素の物に関しては、味気があるないなどという次元の違う要素は入り込ませず、きちんと形成されなくてはならないものでしょう。でなければ、皆さんも言う通り、「百科事典」などという形には成り立たないですよ・・・。あと、別にルール主義者と難でも書きたがりファンの二極で編集者が成り立っているわけでもないし、それらの人が納得する形で云々というのも、言いたいニュアンスは分かるのですが、そもそも誰かが「満足」という概念は、それほど重要ではないと思いますよ。こちらはじめ、前述のような記述や編集姿勢を問題視するのは、個人の納得や満足の為ではなくて、単に百科事典の体を成していない逸脱したものだから、物言いをしたりコメントアウトしたりしているまでなんですから。それを、面白くないからと女子アナウンサー記事だけ削除する荒らし、なんて、どこまで倒錯しているんだっていう話です。そういう輩は女子アナ記事しか興味がないかもしれないけれど、こっちはノンジャンルにおかしなものがあれば入り込んでいるっつーの、っていう事なんですよね。こちらのやっていることの意図や方向性を見ればごく簡単なことを、いくら言っても理解できない輩がいるので疲弊するのです。もっとも、そんな所に思いを及ばせる気もないからこのようになるんでしょうけど・・・。--Huskys 2007年6月17日 (日) 15:09 (UTC)
- ところで、茶務さんは意識していらっしゃらないかも知れませんが、ネットスラングにおいて w・W・w・W は「(笑)」の省略形としてよく利用されますがこの省略は人や状況によっては「バカにしている」と捉えられてしまうことがありますので使用には注意が必要です。乱用はしない方がいいでしょう。元々はチャットやネットゲームでワザワザ「(笑)」と書くのが面倒で時間のかかる作業だったため Warai のイニシャルだけを入力する方法が広まったものらしいですが、掲示板などではこれでトラブルになることも多いようです。
- 少なくても、 Wikipedia はファンサイトではありません。ファンサイト的な内容はよほど記述に値するような重要なことでもない限りは記述すべきではありません。そういう内容は自分でファンサイトを立ち上げてその中で記述してください。というのが Wikipedia 側の公式的な方針なんですよね。公共のサイトであるからこそ自分勝手に記述しすぎたらまずいんですが...。まあ、線引きは難しいですが先ほどにも書いたように Portal:アニメ も似たような感じで雑誌が公式的に発売される前に(早売りやらネット上で違法公開されたもの基にして)内容を記述したがる人などが後を絶たないのですがこれも完全に対策しようがないんですよね(一応、Portal:アニメ/速報的な記事の編集からWikipedia:性急な編集をしないを独立・分割してより現実的な内容の議論を模索しています)。人が増えるとその分、様々な人がいるので意見の対立も避けられなくなるんですよね。 Wikipedia のプロジェクトの発展のためには必要不可欠な対立や議論もあると思いますが...。 --Mzm5zbC3 2007年6月17日 (日) 15:42 (UTC)
- wここでは不適切でしたね、すいません。(wの成り立ち的なものは知ってました。他にも説があるけどそっちは確証得られないしどっちが早いのかわかんないので。余談)。ファンサイトではありませんは便利だけど不便。この印籠使えば極論「エピソード」を"ファンサイト的な記事"と解釈すれば殆ど削除することも出来るけど、じゃあファンサイト的じゃない「エピソード」ってどんな内容で載せればいいんだよ?と混乱の原因にもなる。「エピソード」として載せる、「ファンサイト的な記事」として載せない の選択って人それぞれだから、削除的な人だと必要以上に削ってしまうし、ファン的な人だと必要以上に載せてしまう。今のところのトラブルを出来るだけ抑えて削除も出来る妥協案としてはMr. 辛口氏が発言してノート:宮崎宣子で示してるように「削除に際しては、なるべく相手が納得できる理由を挙げて、地道に理解を得ていくしかない」で意見のすり合わせをして記事の内容を向上させていく方法が建設的でしょうね(宮崎アナのノートにも参加してみました。今回は流れ的にファン的な筆者の立場で議論に参加してしまったけど、アナ記事って書くより見るだけの方が多かったりする正直(汗)--茶務 2007年6月17日 (日) 18:32 (UTC)
インテンドを戻します。茶務さん、申し訳ないんですが、
>ファンサイトではありませんは便利だけど不便。この印籠使えば極論「エピソード」を"ファンサイト的な記事"と解釈すれば殆ど削>除することも出来るけど、じゃあファンサイト的じゃない「エピソード」ってどんな内容で載せればいいんだよ?と混乱の原因にも>なる。
この発言は、やっぱりちょっとズレていると言わざるをえません。前述の、「ルールにのっとると記事が味気なくなる」云々と同様、違う次元の感情論・心情論を妙な形で持ち込んでしまうと、いつまで経っても話がかみ合いません。上の話で言えば、印籠でも何でもなく厳然たる「ルール」であって、それがウィキペディアなり百科「事典」なんだと、まずそこはきっちり踏まえないと。その話で言えば、仮に「エピソード」と称して、ほとんどが明らかにファンサイト的な内輪ネタ、個人の主観や好み、憶測や根拠・真偽未検証のことばかりが書かれてあれば、当然そのほとんどが削除対象になりますよ。それが半分あったなら半分は削らねばならないし、微妙なものはノートでの合意形成になるでしょう。つまり、あなたの言う印籠を使えば、エピソードをいくらでも削れる、という発想ではなく、逆に「エピソード」という大義名分の元で、ファンサイト的個人の好み・主観評論や噂など憶測の記述をするのは駄目だ、ということ。そこをきっちり押さえないと先に進みません。面白みが欠けるだの、「ファンサイトではありません」が印籠だの、便利なようで不便、などという発想にズレがあるんですよ。そこを定めた上で、微妙なラインはノートなどで合意を形成して擦り合わせる、という話であればその通りなんですが、正直、ちょっと違う心情的な次元の感覚をごちゃまぜにしているようなので、そこが危なっかしい感じが否めません。--Huskys 2007年6月17日 (日) 18:59 (UTC)
- どうでしょう。俺は「便利で不便」というフレーズはまさに「言い得て妙」だと思ったのですが。なんでかというと、これは至極簡単で、「ファンサイト的記述」って判定ラインが実は無形だからです。そこには必ず(人により大小がありますけど)主観や知識が入り込むからです(「ファンサイト的」だと「思う」から削除するわけで)。人によって価値観がまったく違うので、コレを基にした議論をすると話がかみ合わないのは当然ですよね。要約すると、「ファンサイト的」って言うラインは、違う次元の感情論・心情論を妙な形で持ち込んでしまえるラインであり、かつそれが持ち込まれやすいモノのために、議論がかみ合わないことが多々あるんだ、ということです。ってことは、WP:NOTじゃないところからつついてみてはどうかと思うのです。たいていの場合において、Wikipedia:検証可能性が当てはまるでしょう。これは揺らぐことのないライン(だって検証できないものはできんでしょう)なので、もう少しかみ合いやすくなるはずです。どうでしょうか。--ish-ka -s.i.b!- 2007年6月18日 (月) 02:36 (UTC)
- いや、ですからどこまでがファンサイト的か、という線引きは確かに難しい部分があると書いているじゃないですか。私は、茶務さんが、「方針・ルールはそれとして厳然とある」という部分をきっちりと踏まえた上で、微妙な部分については、すり合わせが必要だというのであればそこは同意だと言っているのです。ですから、そこを踏まえた話じゃなければ、たとえ、Wikipedia:中立的な観点や、Wikipedia:検証可能性に関しても、「そういうルールは分るんだけど、それは不便だし、そうしたルールにのっとってばかりだと味気なくなりますよねぇ」とか言って、若干ずれたままになってしまうと言っているのです。言うことは分かりますが、茶務さんなどが、それらのルールについても、「あるのは分るんだけど、それを守ることにどれだけの意味があるの?」的な認識だと、いつまで経っても「まぁまぁそう堅苦しいこと言わないで」みたいに勘違いしたまま進むと言っているのです。線引きの難しい「ファンサイト的」という、あるようでない微妙な部分を話し合うにも、それら明確に定まっている基準に抵触するか否かで判断するわけですから・・・。--Huskys 2007年6月18日 (月) 04:20 (UTC)
- 多分なんですけど、茶務さん自身がそうだ、ということではなくって、「アナウンサー記事をはじめとした、一連のファンサイト的記事群を書く人たちがどうか」という話ではないですかね?(だから茶務さんご自身が、「自分の書く記事はファンよりになってしまう」と書かれたんだと思いますよ。)
- で、その上で、そういう人たちが、「ファンサイト的な記述ばっかりだからどうにかしろ(乱暴な意訳)」って言われたときに、「これは○○を語る上では重要なんだ(=宝ってこと)」という反発をするだろうと。そこで、さらに「いやだってルールなんだから把握しようよ」って言うと、「じゃあどうやって書きゃいいんだよ(怒)」となるよ(印籠を振りかざしてるみたいに見えるよ、と同義)っていう。こうなっちゃうと、こじれちゃってどーにもならない感じになるんだよね、と(Huskysさんが実感してることまんまですよね)。もちろんHuskysさんが(ルールに照らして)正しいんだけども、むこうも悪くしようとしてそういうことを書いてる訳じゃなくって、むしろ良くしようとして書いてるもんで、反発を生んでから「ルールだから従おうよ」って言ってもあまり効果がないんですよね。これが多分根本でもあるし、茶務さんやMr.辛口さんがおっしゃりたいことなんじゃないかと(ものすごく乱暴な意訳ですけど)理解しました。
- じゃあそういう記述を改善していく(削除だけとは限りませんが)にゃどうすればいいよ?っていう話になったときに、Mr.辛口さんは「なるべく削除の理由を示す(ルールを書くんじゃなくって、その記事に即した削除理由を自分の言葉で書く)」と言うことをおっしゃってますし、俺は「WP:NOTじゃなくて、検証可能性あたりから説得してみるのはどうか、という提案をしたわけですね。まぁ、そもそもそれ以前のレベルの記事やユーザもいますけど。それは都度地道に啓蒙していくしかないのでしょう。--ish-ka -s.i.b!- 2007年6月18日 (月) 07:41 (UTC)
(インテンドを戻します)思い浮かんだので「学校の花壇」に例えて今回の流れを追ってみた(判り難かったらすいません)。
- 学校(ウィキペディア)から振り分けられているクラス用(例:鉄道関係、芸能人、アナウンサー、アニメ等、今回の場合「宮崎アナ」)の花壇(記事)がある。
- 「ルールもしっかり把握している、その記事の項目に精通している、客観的な判断が出来る人」そういう担任、もしくはそういう生徒が集まっていれば、周りから見ても綺麗で整備されているのがよくわかる花壇になる(例として「鉄道」関係など)。
- しかし、上のケースからいくつか抜けている場合(担任不在、いても放置・放任主義、生徒もルール曖昧・主観的な判断 等)「あの種蒔こう」「この球根植えよう」「この苗植えよう」「この雑草の花、綺麗だから残そう」「この雑草も貴重だから残す」と自己満足のみで一応整備はされてるものの周りから見えれば単に草ぼうぼうに見える花壇(※2007年6月14日 (木) 03:19 の版)。
- それを我慢出来なくなった教頭先生(ルール重視でその記事に知識・興味の無い削除的な環境改善派、Huskys氏やfromm氏)が雑草取りと称して除草剤をぶっ掛ける(※2007年6月15日 (金) 13:33 の版~)。
- 一通りは綺麗、というかスカスカ(ルールには沿っているが知識・興味が無いのが原因か)雑草の取れ具合が雑、「何でこのペンペン草は残して、こっちの(地域によっては)貴重な白いタンポポは取っ払ったの?」と生徒から見れば雑で意味不明で納得がいかない不満が募る状態(※~2007年6月17日 (日) 12:34 の版)。
- そのクラスの生徒は陰で文句を言ったり実際教頭本人に文句を言ったりする(Huskys氏が2chや氏のノートに文句を書かれた状態)。
- それに我慢の限界が来た教頭が職員会議にこの議案を出した(今の井戸端の状態)。
- ある意味お約束の生徒批判。それを見ていた生徒のひとりが乱入(今の自分)。
- 学年主任(Mr. 辛口氏)が花壇を見たところ「この状態はお互いの為にもいかん」という事で自ら『削除に際しては、なるべく相手が納得できる理由を挙げて、地道に理解を得ていくしかない』という指針を示し、実際に行動を起こし宮崎アナのノートで論議を行う(※現在も継続中。でも理由付けが出来ないのか面倒なのか参加者が少ない…)。
- 「まだ沢山ある今現在、草ぼうぼうに見える状態の花壇の対処法」→
- 『ルールが曖昧に解釈され自己満足的内容で書かれている記事の改善方法@出来るだけトラブル回避するVer.』
- (ish-ka -s.i.b!氏が終盤にまとめた文章や、その他今回出てきた事を参考に自分なりに要点抽出)
- という提案(手段)が一例として出てきた。某外交でもさかんに言われてた『対話と圧力』みたいなものですかね。こんな感じで現在まで続く。--茶務 2007年6月20日 (水) 12:31 (UTC)
- この一ヶ月程度の間に3つもアナ記事に関する不満(アナウンサー記事の粗製濫造、女子アナウンサー記事の惨状、女子アナウンサー記事編集者の惨状)が出ているということはそれだけ深刻な状態といえます。しかし環境改善派の人が頑張って正攻法(ルールを前面に出した正しい けど、ある意味力でねじ伏せる押し付け対策)でやろうとしても単に疲れるだけで大した進展が無いし、必要以上の反感買うから、今後悪影響が出る可能性もある。逆に今後も正攻法による展開には限界があってこの傾向は続き、環境改善に失敗する可能性が高い とも言えます。ただ今回攻略のヒントとして、違うアプローチ(その一例として『ルールが曖昧に解釈され自己満足的内容で書かれている記事の改善方法@出来るだけトラブル回避するVer.』)で環境改善する方法が見えてきましたよね。あと「興味が無い」というのも単に相手をムカつかせて手を焼く要因になるので、優位に進めたいのであればハッキリ言わないほうが得策かと。逆に興味を持ってある程度勉強し、そこで得た知識を相手の行動分析の材料にすれば対策にも生かせるし。「急がば回れ」ですかね(微妙に違うか)。自分もルールに関しては曖昧な部分あるのでもっと熟読しないといけない部分があるし、それを生かした編集をしていかないといけないと改めて感じました(反省)←特に芸能人やアナ関係記事等。--茶務 2007年6月20日 (水) 12:36 (UTC)
- 茶務さん、思いついたからといって、そんな「学校の花壇」なんかになぞらえて、呑気に「実況」することないですよ(苦笑)。いたずらここの分量が膨らむだけで、悪いですが、おちょくり半分にも受け取られかねないし、本題に関しての議論でもなく何ら進展のない内容ですし。揶揄半分なのか、私やFrommさんが教頭先生ってのも意味が分かりませんしね。
- やはり、茶務さん自身の認識を改めた方が良いと思うのは、上の方でも、ファンサイト的記述(根拠未検証・憶測・主観・噂の域を出ない物・単なるファンの自己満足的ネタなど)を「宝の山」と言ったり、
- >こっちの(地域によっては)貴重な白いタンポポは取っ払ったの?」と生徒から見れば雑で意味不明で納得がいかない不満が募る状態
- などというのも、あくまで、ウィキペディアを公共の「事典」だと認識できていない、何を書いても良いと思っている人たちの感覚、ということで言っているのでしょうが、茶務さん自身がそうした認識なのかなと疑念を抱いてもしまいますので、その辺はきっちり認識したことを同時に記すべきかと思います。前にも言いましたが、確かにアナウンサーやタレント記事などで、「ファンサイト的記述」の線引きが微妙な部分もありますよね。それらはノートで議論すべきでしょう。ですので、その辺のニュアンスを言いたいのだということは伝わっています。しかし、だからといって、ウィキペディアを根本的に「何でも書ける」と思い込んでなだれ込んでいるユーザーの発想が正当化されるわけではないですよね?上の書き方だと、さも理不尽な不満というニュアンスを含んでいる気がしますが、微妙な部分はありながらも、やはり多くの部分で、根本的な方針を理解せず、「何でも書ける、でも消されたからムカつく」という回路に依るものが多いのも確かでしょう。それに、妙に肩を持ち媚びるのは違うということです。あなたが言う「環境改善派」とかいうユーザーも、何も特別なことをしたり言ったりしている訳ではないんですから。総じて、ウィキペディアとは事典であって、好きな対象の記事に好き勝手書き連ねるものではない、ということを分かっていないユーザーにおもねるような物言いは、若干誤解を招くかと。駄目なものは駄目だし、きちんと認識してもらう必要のある所はそう言わないと。その上で、なかなか物分かりしようとせず、ファンサイトとしか思っていない相手を、うまいやり方で啓蒙していく必要がある、というのなら分かりますが。
- あと、
- >#一通りは綺麗、というかスカスカ(ルールには沿っているが知識・興味が無いのが原因か)
- こうした部分に、申し訳ないですが、茶務さんの「ズレ」が集約されている気もします。あの、前にも言っているんですが、いくら分量があっても、仮にそのほとんどが根拠未検証・憶測・主観・ファンサイト的ネタで占められているとすれば、それらはほとんど削除対象になるかもしれません。それを、「ルールにのっとると記事がスカスカになるし、それは知識や興味がないからそうなるのかな」という発想は、もうすでにそこがズレていると言わざるをえません。そもそも、記事は興味があるないで作るのではなくて、根拠のある、辞典として足る記述で構成されるべきものなので、それに相当する内容があれば、分量にしてもそれなりになるでしょう。分量先にありき、ではないのです。(例えば、Wikipedia:秀逸な記事などは、参考になる一例ですが)そこを履き違えてはいけません。
- その意味で、そうした輩をうまくたしなめて云々という真意で言っているんだとは思いますが、
- >#それに我慢の限界が来た教頭が職員会議にこの議案を出した(今の井戸端の状態)。
- それであれば、こういう、おちょくり半分の発言も控えた方が良いかと。我慢の限界というか、最低限「事典」だと認識しているユーザーなら、Wikipedia:井戸端なりWikipedia:コメント依頼なりWikipedia:ブロック依頼なりWikipedia:管理者伝言板なり、しかるべき対処が必要だから行なっているまで。最初に書いたように、茶務さんの、そのちょっとズレた感覚というか、自身がそもそもの本質をきちんと分かっているのかな、という部分が疑わしいと誤解されるような物言いは、若干些末な感もあるので、少し考えた方が良いかと思います。--Huskys 2007年6月20日 (水) 13:09 (UTC)
- 確かにいまだに突っ込まれるという事は本質がわかってない部分はあると思うのでさらなる勉強が必要かと思いますし、認めます。検証可能性を満たしていてその人を語るのに必要な「エピソード」記事の中にも、興味の無い人からみれば「ファンサイト的な記事」と「思って」削除しているケースもあることがある ということを伝えたかったのですが、自分の文章力の無さに伝わらなかったようですね(涙)。ズレた感覚を持つ人が数人程度であればその人を教育するなり排除すれば環境を保てますが、現状としてはズレた感覚持つ人が無数にいるから(芸能人、アナ、アニメ等)こういった環境になっている。実際に正攻法で環境を変えられるのであればそれが一番いいのだけど、それが無理そうだから一つの方策を示してみたわけです(今のところアナ記事での進展は宮崎アナ以外なさそうですが)。アナ記事にそんな投稿してないのに、ここまでやって正直必要以上にパワーを発散して疲れも倍増してる気がする…中途半端に慣れない事に手を出すのは考えものだな…何やってんだろ自分(反省)。。。--茶務 2007年6月20日 (水) 14:06 (UTC)
- うーむ。冗談交じりの例というのは俺は嫌いじゃないので、茶務さんが言わんとすることは分からなくはないですけどね。この手の記事の記述は玉石混合なんで、石をとりのぞかにゃならんのだけど、石に見えても実は宝石だったりすることもあるから、とりのぞく方も(門外漢であるという謙遜を持って)図鑑くらいは引いてから取り除こうぜ、ってことじゃないかと(宝石って言うのは客観的に、です。ファンにとって、ではありません。その石はもしかしたら磨くと光るダイヤの原石かもしれないのです!)。花壇の例でいえば、雑草に見えるけど、それをきちんと育てれば(加筆すれば)、大輪の華を咲かせるかもしれない。でも見た目雑草なもんで、がっしがっしと抜かれちゃう。それももったいないよね、っていう話じゃないんですかね。
- まあ、正直基本方針分かっている人が、その記事を書く執筆者のなかに一人でもいるなら(担任の先生がいるなら)、内容に関してはその人にお任せして(授業はやってもらって)、俺たちはサポートする役目を担うということも必要だと思いますよ(副担任みたいなもん)。--ish-ka -s.i.b!- 2007年6月20日 (水) 14:20 (UTC)
お二人の話を踏まえて。別に冗談交じり?のたとえ話が悪いということではないんですが、茶務さんの上の物は、たとえたは良いんだけど、その後の本質はこうだ、踏まえることろはきっちり踏まえて、というような部分が弱かった気がしたもので・・・。別に、茶務さんの文章力がないなんてまったく思っていませんので、大丈夫です(笑)。確かに、不毛なことにエネルギーを費やしていると感じるのは自分も同じですよ。ただ、やはり、アナウンサーやタレント記事などに多い(アニメとかテレビ番組とか、他にも膨大にあると思いますが・・・)「何を書いても良い」ファンサイトなどの類と同じものと勘違いし、未検証・憶測・主観・評論・好き嫌いなど好き放題に書いて、それを削除したりノートで注意をしたりすると、「女子アナウンサー削除マニア」だの「詳しくないのに削除だけするな」だの「2ちゃんねるでも批判されているぞ」だのと、倒錯も甚だしい稚拙なユーザーは、やはり問題ですよ、ということ。何度も何度も、そうしたユーザーは理解できないようで繰り返し言いますが、私に限らず、何度も書いている、前述の即時削除基準にあたる事項を削除したり、そうした主観的・恣意的記述を咎め、ノートなりで注意、問題提起したりするのは、どのジャンルでもやりますし、特にアナウンサーやタレント記事などはひどい有様なんで、そこにかかわっているだけで、それを、自分たちがアナウンサーなりに興味があってウィキペディアのそうした記事になだれ込んでいるからといって、同じ基準で、「お前はアナウンサー記事削除マニアだ」とかのたまうのは、本当に倒錯しているということ。今回提起した、私のノートに上がりこんで倒錯垂れ流しのユーザーのような連中を野放しにしておくのは、はなはだ問題だという話です。--Huskys 2007年6月20日 (水) 14:59 (UTC)
一つ重要と思われることをいうと、学問関係の記事では、ある分野で系統立った勉強をしていて、ある程度幅広く記事の書けるスーパーマン的な人材が存在しうるが、タレントやアナウンサー(アニメも?)関係の記事では、知識レベルがその人の嗜好に影響を受けやすく(アナウンサーの知識レベルは住んでいる地域にも左右される)、幅広く記事の書ける人材が存在しにくい性質があるように思います。逆にいえば、少数の記事に限って強いユーザーが、横のつながりを持たずひしめきあっているのが現状です。しかも、それぞれの文章技量はまちまちです。全体の文章技量や意識を引き上げる効果的な方法が思いつかないことに、私は悩んでいます。--Mr. 辛口 2007年6月20日 (水) 15:25 (UTC)
- Mr.辛口さん、その辺に尽きるでしょうね。まさに、そこが、アナウンサーやタレント、テレビ番組やアニメ(他にも諸々)、記事対象に思い入れがある=噂の類だろうと真偽のわからないこと、自分の好みや一意見にすぎなくても、知っていることをとりあえず何でも書いておこう、みたいな流れに容易に向かうことは想像にた易いです。ましてやそれ以前に、「ウィキペディアとは何か、何でないか」などという部分を知らずに、じゃんじゃんIPなり意図を持って作った捨てハンなりで編集して、それに物言いがついたら、何も見ずとにかく個人攻撃、という、ある意味単純で、でも必然的な流れなのは分かっています。誰でも、いつでも編集できる今のウィキペディアのシステムである以上、結局は、ユーザーの良心や常識に頼るしかないわけで、この問題はすっきり解決する術はない気もします。でも、だからといって放置して好き勝手では、前にも書いたのですが、ウィキペディアは、少なくとも何かの資料にできる信憑性を持つ「事典」とはいえない、或いは事典になっている記事と、甚だ酷い有様の記事との格差も放置されたままになると思います。この辺がジレンマでしょうね・・・。--Huskys 2007年6月20日 (水) 15:37 (UTC)
全くの憶測ですが、この人が絡んでるような気がしてならないのですが・・・現在も多重アカウント・IPで旺盛に編集活動されてるようですし(Wikipedia:投稿ブロック依頼 2005年4月で挙げられた同一IPからの書き込みあり)、投稿傾向やノートでの発言も酷似してますよね。--Kkdf 2007年6月22日 (金) 11:57 (UTC)