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Wikipedia:井戸端/subj/利用者への情報リテラシー注意喚起

利用者への情報リテラシー注意喚起

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つぎの理由で、ページ先頭への情報リテラシーの注意喚起をする記述の掲載を提案します。

 昨年出された、ピエール・アスリーヌ他『ウィキペディア革命-そこで何が起きているのか?』(岩波書店)には、ウィキペディアは、情報ソースの確認が歴史・科学・ジャーナリズムそしてあらゆる研究の基礎であるという視点を省いている。さらにそうして書かれた記事を学生達が無批判的に使っている、という批判があります。この認識は妥当なものだと思います。

 実際には、ウィキペディアは、ページによっては、詳細な注を付けて記述したり、資料の原文等といった情報ソースを引用してまとめており、その視点を保持しているものもあるわけですが、しかし、まだ徹底されていないと思います。情報ソースの引用をもとに記述するのは時間がかかるため、徹底は物理的に限界があるわけです(わたしもできてません)。

 しかし、上の批判は無視できないと思います。そこで、たとえば歴史関係ページなら、その先頭に、「歴史記述は、文字資料、伝世文物、考古遺物をその根本的根拠とするものであって、それらの引用・写真掲載等がありかつその解釈説明が客観的論理的である時にはじめて、実証的なものとなります。したがって、それらの引用・写真掲載等をもたない記述については、参考資料とはできても、それを根本的根拠として、別のことを論じることはできず、自身で確認作業をとる必要があります。」と記し、利用者への注意喚起をすることで、批判にあるような問題をとりあえず解決できると思います。--Mydher 2009年5月1日 (金) 07:16 (UTC)  [返信]

その機能はWikipedia:免責事項が果たしていると思います。まあ、どんなに注意してもその警告を読まずに、記事の表っ面を読んで踊る人もいれば、どんなに丁寧に出典を明記してなお自分の価値観を絶対視して記事を否定する(結果的に破壊する)ことを目的化する人もいて、その読者のメディアリテラシーの無さや未熟さに関しては、Wikipediaやそこに記事を書いた側には責任がないことだと思います…中にはアンサイクロペディアの記事を本気に(?)して、企業ブログの記事を書いちゃう人とか、氷の角でタンコブ作る人もいるくらいですから。--夜飛/ 2009年5月1日 (金) 08:04 (UTC)[返信]
読者についてはおっしゃるとおりだと思います。ただWikipediaが読者の未熟さに対して積極的に教育する態度をもっととってもいいとかとおもいます。Wikipedia:免責事項のページへのリンクを各記事の冒頭につけてもいいかもしれません。--Mydher 2009年5月1日 (金) 13:11 (UTC)[返信]
「メディアリテラシーの無さを教育すること」は百科事典の仕事ではないと感じます。まあ、百歩譲って百科事典一般ではなくWikipediaの仕事の範疇に含めるか否かに関しては、読者の全てがメディアリテラシーの欠落した者ではないし、記事記述者の全てがメディアリテラシーを必要十分なほど持っている訳でもないため、余り積極的にその方面に対して「教育的になること」を推進しても、冗長なだけの気がします…多過ぎる情報は無意識にフィルタリングされるノイズになりかねず、その意味では付け足すことで「混乱を生むだけで得るところが少ない」な事態になりそうです。ただ、今これを書いていて思ったところとして、サブカルチャー分野やオカルト・サイ科学(類:似非科学)のような、実際的に理知的な裏付けによらない概念を説明する記事においては「この記事は○○的視点(○○には「サブカルチャー」や「疑似科学」など該当分野が入る)に立つ事物の説明をしています。Wikipediaは百科事典として対象事物の観念を説明するに留めます。妥当性の判断は読者各自でお願いします」的な{{医療}}{{性的}}みたいなお知らせテンプレートがあっても良いかも?な気もしますね。--夜飛/ 2009年5月1日 (金) 13:36 (UTC)[返信]

数学や物理などは、学校教育において、実験や証明という、結論が出されるまでの手順を教える一方、文系の科目の場合は、研究者が出した結論部分が、日本史教科書や、古文の活用形表、といったものにまとめられたのを勉強するのみで、どのようにしてそれらが導かれるのか、ということをあまり教えない傾向にあります。その結果、数学や物理等に関しては、実験や証明というものの存在が、一般に認識されているため、わざわざ注意喚起をする必要はないかもしれませんが、文系の分野については、記事が完成されていない限り、記事内容の適切性の判別方法を示すのは、少なくとも無駄ではないと思います。テンプレートを利用することにします。--Mydher 2009年5月2日 (土) 11:41 (UTC)[返信]

正確性が疑問なら{{正確性}}を使えばいいことだろ。情報リテラシーうんぬんの注意はWikipedia:免責事項で無保証を明記している以上、屋上にさらに屋根を追加するのと同じことだ。--Ginz 2009年5月2日 (土) 13:04 (UTC)[返信]
以下は話を進めたいと思って書くわけではありませんが、一応の説明で書かせてもらいます。現段階での{{正確性}}の記述では、個々の分野に関して、何が正確で何が不正確かが具体的にわからないため、正確性をまともに問題にするには、より具体的に書かれる必要があるということになるでしょう。上の書き込みは分野間の違いも考えて述べていることです。また、『ウィキペディア革命-そこで何が起きているのか?』にも言われていることですが、ウィキペディアの利用者はグーグルから直接個々のページを閲覧する場合が少なくなく、しかもWikipedia:免責事項は、トップページに行かないと目に触れられないという欠点があります。そういうウェブの構造上の問題があるといえます。--Mydher 2009年5月3日 (日) 09:59 (UTC)[返信]
「免責事項」へのリンクは各ページの下部にありますよ。インターネットのサイトの免責事項へのリンクは大体この位置にあることが多いと思うので、問題は無いと思うのですが。--Widehawk 2009年5月3日 (日) 13:03 (UTC)[返信]
元々述べようとしていたことは免責の問題ではなく、また、免責事項のページの関連でいえば、それ自体は一般論が書かれているものなので、それに応じた各分野の具体的な事柄の話に当たると思いますが、教えていただきありがとうございます。--Mydher 2009年5月5日 (火) 13:16 (UTC)[返信]
「裏付けを取る」というのはWikipediaに限らず「情報リテラシー利用のイロハ」だと考えますが。マスメディアをにぎわす事件でも裏をとらなかったばっかりに面目を失ったり、巨額の損害賠償や慰謝料を払う羽目になる話はよく聞く話だと考えます。「裏付けを取る」というのはWikipediaの中で治まる話ではないので免責事項以前の問題と考えます。(私の話も引用するならちゃんとウラを取ってくださいね)。--あら金 2009年5月1日 (金) 09:09 (UTC)[返信]
Wikipediaの中で治まる話かということを考える場合には、裏をとった記述をWikipediaの中で必ずしもし尽くせないため、記事を批判的に読む必要性は明示すべき、ということになると思います。その明示を各記事において行えば、責任はとったことになろうと思います。--Mydher 2009年5月1日 (金) 13:11 (UTC)[返信]
そんな文書を載せるくらいなら、出典の記述をもっと広めた方が健全だと思いますよ。英語版みたいに出典のない記述はリバートとか。--ゆきち 2009年5月1日 (金) 09:23 (UTC)[返信]
出典の記述が増やされるのが理想ですが、そういう記述がない状態で放置されているページが大量にあるので述べたことです。--Mydher 2009年5月1日 (金) 13:11 (UTC)[返信]