Wikipedia:井戸端/subj/児童書の帯は信頼できる情報源とみなせるか
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児童書の帯は信頼できる情報源とみなせるか
[編集]議題は表題の通りなのですが、具体的には、アガサ・クリスティの代表作である『そして誰もいなくなった』に関して、早川書房から、近年、児童書版として出版された本の帯に「デスゲーム」と書かれていたことを根拠に、「デスゲームの先駆けでもある」と記述した者がおります(ちなみに出典には「先駆け」とまでは書いてないのですが)。これに関して、私は信頼できる情報源に該当しないと考えたため、差し戻したことがきっかけとなります。
著名な古典文学について、本の帯の宣伝文句、まして児童書向けのものは、常識的に考えてWikipedia:信頼できる情報源に該当するものとは言えないと思いますが、エルフさんという方が、こういう場合でも、一々ノートで合意を得てからでないと除去を認めないとおっしゃられています。どちらに転ぶにせよ、内容的には『そして誰もいなくなった』だけの話ではなく、他に同種の問題が発生するたびに一々合意のための議論を行って、車輪を再生産しないといけなくなってしまうため、今後のためにも、ラフコンセンサスを明確にしておきたいと考え、井戸端において、他の方の見解も伺いたいです。
なお、本の帯の話ではないですが、過去に児童書の信頼性について議論したものがあります。→Wikipedia:コメント依頼/児童向け漫画雑誌の記事の信頼性について。また、本の帯を根拠にするのではなく、本の帯そのものに言及する価値がある場合は、この限りではないと思います(例えば著名人が推薦したことなどを「帯において○○が推薦を乗せた」と書くなど)。--EULE(会話) 2023年4月16日 (日) 13:49 (UTC)
帯の画像を、出典とされている早川書房のサイトで確認しました。これ、いくら早川書房のサイトに掲載されたものだとはいっても帯は帯ですし、単なる宣伝文句なので、児童書であるかどうかは関係無しに出典としては使えないのではないでしょうか。「デスゲーム」という言い方も、購買層の年代にはそう書いておけば食指も動くだろうという程度の判断だと思われ、本作品の位置づけを定義したという程のことではないでしょう。エルフさんは「早川書房による言及だから」というところに出典としての有意性があるようなことを差し戻し時の要約欄でおっしゃっています。たしかに早川書房は東京創元社と並ぶミステリー出版社の二大大手であり、同社出版の評論本や「ミステリマガジン」での評論であれば出典となる可能性はあると思いますが、帯での宣伝文句(しかも著名人によるものでもない)ではどうしようもありません。余談ではありますが、古典ミステリーの児童書版というものについてコメントしますと、エラリー・クイーンの長編に「生者と死者と(別名「靴に棲む老婆」)」という作品があります。私はこれの児童書版(あかね書房刊)を小学生の時に読んで大変気に入り、何度も読み返したのですが、長じてから創元推理文庫版を読んで、ヒロインの性格が全然違うのにビックリした記憶があります。児童書版の存在意義を貶める意図は全くありませんが、「児童向け」とするにあたって記述の簡略化だけではなくそういった変更も行われていたりするので、児童書版を通常版と同じように出典として扱うのは危険だと考えます(今回の帯の件とは話がずれてしまってすみません)。--ホーリーブライト(会話) 2023年4月16日 (日) 16:05 (UTC) 追記と修正 --ホーリーブライト(会話) 2023年4月16日 (日) 20:03 (UTC)㭍月例祭さんのコメントを読んで、私のコメントはあまりにも幼稚でしたので取り消し--ホーリーブライト(会話) 2023年4月17日 (月) 09:41 (UTC)- コメント 基本則というよりは個別性の高い話のようですね。
- 手短に結論を急ぐと、概ねEULEさんのおっしゃるとおり、「古典的な有名作品」の「児童向け版」の「販促用の帯」の「煽り文句」みたいなものを「信頼できる情報源」として扱うのは無理筋です。
- 基本的な理屈を言うとしたら、「帯の謳い文句」は、もっぱらウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんの観点から、「わざわざ書くようなことではない些末なこと」として、除去でしょう。書くのが可能になるのは「児童向けの帯でこんなこと書いてました」という信頼できる第三者言及があった場合でしょうねえ。
- まあ、サクッと除去でいいと思いますね。
- しかしまあ、いくらか「妥協」するとしたら、記事の中に「日本での販促」的な節を設けた上で、日本国内での宣伝販促史・評価の移り変わりみたいな内容を手堅い情報源をベースにまとめて、そのなかでちょっぴり触れる、ぐらいのことはあってもダメじゃないと思います。たとえば現状では、「ランキング」節のなかに「日本各誌の海外ミステリー・ベストテン」云々という記述があります(出典ないですけど)。そのあたりの文脈のなかで、もうちょっと情報源と記述をふくらませることは面白いと思います・・・おそらくそのためには、日本国内で過去に刊行された文庫を収集し、その後書き・解説ページを集積したり、『日本推理小説史』的な研究書を入手してみたり・・・というアプローチになるでしょう。そこらへんの話の中で、「販売促進活動」的なことも適切な情報源つきで説明できると面白いと思います。
- あるいは、その書評を寄せた人がそれ相応の「権威」みたいな人である場合に、たとえば「綾辻行人は『そして誰もいなくなった』を「デスゲームのはしり」と評した[適切な情報源]」みたいにするとか。ここはあくまで「それ相応の権威」という部分が肝心であって、たとえば主語が「プロ野球選手のAは」みたいな場合には、その人が推理小説の評価の分野での専門家でもなんでもないので、(野球選手の記事には書いてもいいですが)「そして誰もいなくなった」の記事に書くようなことではない。
- 「帯そのもの」はいわゆる一次情報なので取り扱い要注意であって、基本的に「こんな書物にこんな帯の宣伝文句が書かれていました、これについて解説すると云々」というような第三者言及がほしいです。その第三者言及がないならば、ふつーは除去です。本屋のPOPとか、アマゾンとかの誰かの投稿書評とか、そういうのと本質的な違いは無いという感じではないでしょうか。
- あとは、記事の相互性というか、(適切な情報源ありきですが)「デスゲーム」の記事側には「アガサ・クリスティの作品を先駆的作品と位置づける人もいる」的なことを書いたとしても、アガサ・クリスティの作品側には「デスゲームの先駆」と書く必要はない、的なこともいえるかと。(戦闘機のF-15の記事に、いちいち「漫画『ホニャララ』にF-15が登場する」と書かないのと同じ理屈。)
- 本当に書くべき重要な情報なのであれば、もっとマシな情報源にそれが載っているはずです。それが見当たらないなら、それは書くべきではないのです。--柒月例祭(会話) 2023年4月17日 (月) 07:46 (UTC)
- 霜月蒼『アガサ・クリスティー完全攻略』講談社、2014年。ISBN 978-4-06-218968-2。の『そして誰もいなくなった』を取り上げたページ(325ページ)に「当時だからミステリに分類されたのであって、2010年に出ていたらデスゲーム小説に分類されていたはずだ」という意味のことが書かれているので、これをベースに双方とも受け入れられる表現を考えればよかったのではないでしょうか。この本がハヤカワ文庫に入ったのが2018年で、ハヤカワ・ジュニア・ミステリに『そして誰もいなくなった』が入ったのは2020年ですから、単に前者を担当した人と後者の帯の惹句を考えた人が同じなのかもしれませんが…。なお私は『そして誰もいなくなった』を読んだことはなく、デスゲームとは何なのかもわからないので、わからないことをわからない言葉で説明されてもよくわからない、というのが正直な感想です。--西村崇(会話) 2023年4月19日 (水) 11:53 (UTC)
- 返信 情報ありがとうございます。今回の主題はあくまで児童書や本の帯であり、信頼できる情報源に基づいて、適切に記述すれば当然問題ないです。その上で、私も当該の書籍を確認したので、『そして誰もいなくなった』もデスゲームというジャンルも知っている者として余談ながらコメントしておくと、これをそのまま根拠に「『そして誰もいなくなった』はデスゲームである」と書くと不味いというのが率直なところです。当該のパラグラフの主旨は『そして誰もいなくなった』はミステリーというより長編恐怖小説だという部分にあって、さらに登場人物個々にスポットを当てるという描写が、著名なデスゲーム作品である高見広春の『バトル・ロワイアル』にも通じるところがあるから「2010年に出ていたらデスゲーム小説に分類されていた」と結んでいることを考慮しないと駄目ですね。これをそのまま受け取って単にデスゲーム扱いにしてしまうと「13日の金曜日」や「ディープ・ブルー」みたいなホラー作品も全部デスゲームみたいな話になってしまいますからね(これは、別に西村崇氏に反論しようとしているものではなく、氏のコメントを見て本文も確認せず、安易に加筆しようとする者が現れた場合を想定して述べてますのでご容赦ください)。--EULE(会話) 2023年4月30日 (日) 12:40 (UTC)
報告 ご意見ありがとうございました。まあ、常識に照らせば、児童書や本の帯は根拠にならないのは自明の理として結論付けたいと思います。なお、ホーリーブライト氏は取り消されてしまいましたが、氏の意見は十分、この議論の趣旨に適うものです(なんであれば、今からでも取り消しを解除してもらいたいくらいです)。今回はあくまでラフコンセンサス、大まかな合意を確認しておきたいものですから、全然問題ないですし、特に児童書向けには原作からの改変が入っている点は重要な部分だと思います。--EULE(会話) 2023年4月30日 (日) 12:40 (UTC)