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Wikipedia:井戸端/subj/個人ブログやTwitterを出典にした死去日の記載について

個人ブログやTwitterを出典にした死去日の記載について

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お世話になります。表題の件についてですが、この方が昨年亡くなったらしいですが、そのソースが個人ブログ(ピアニスト)となっていました。これではと思い検索したのですが、個人ブログやTwitterしか見つけられず(その中にはプロのミュージシャンの方のありましたが…)、Wikipedia:信頼できる情報源に基づいた出典を見つけることが出来ませんでした。また、訃報 2014年を見ると、Twitterを出典としたものが複数見つかりました。これらのうち修正できるものは行ったのですが、この方(出典は秘書?のTwitter)およびこの方(出典は写真家のTwitter)については信頼できる情報源に基づく出典を見つけることが出来ませんでした。人の生死に関わることですのでこのような場合は除去してもいいと思っているのですが…。皆様のお考えをお伺い致します。よろしくお願いします。--NOBU会話2014年6月27日 (金) 13:13 (UTC)[返信]

公式、公式サイトなどと紐付けられているものなどは信頼できる情報源として扱えばよいでしょう(WP:SELFSOURCE)。近しい立場にあると考えられるアカウントやブログなどであれば、記述の様子やそのソースとなりうるものの数なども考慮しつつ、たとえば仕事仲間であればその情報源となる人、ブログからの情報であることを本文中で示して書く、ということになるでしょう。バンドのギタリストが、そのバンドのドラマーが急逝したことをブログに書いているような場合は、「ギタリストの誰それのブログによれば、何年何月に死去したとされる」など。新聞などでも、そういう書き方がありますよ(まれに誤報もあるようですが)。--Ks aka 98会話2014年6月27日 (金) 13:43 (UTC)[返信]
公式のものであれば良いと思いますが、「より良い出典」があればそちらへと置き換えるべきだと考えます。あくまで、より良質な出典が確保できるまでの「暫定としてのもの」として扱うなら容認してもよいと、私は考えます。
是非とは少しずれますが、ネット上の情報源は「消えやすい」というデメリットがあると思います。リンク切れになっている出典をこれまでいくつも見てきました。Twitterもアカウントが削除されたり、鍵をかけられたり、凍結されたりして閲覧できなくなる可能性もあります。そうなると未検証も同然の状態になってしまいます。代替の出典を確保できるならした方が良いと思います。
これは個人的な見解ですが、代替の出典が見つからない場合、リンク切れになったらその記述ごと出典を除去しても良いのではないかと思います。Wikipedia:検証可能性を満たせなくなってしまったからというのが私の論拠です。そういう場合、将来的にはウィキペディアでは「没年不詳」ということになると思います。--ShellSquid/履歴 2014年6月28日 (土) 03:41 (UTC)[返信]
数日後とかに削除されたなら別ですけど、サービス停止などの理由でのリンク切れで、一定の読者があったと思われる情報源であれば、その情報を残すことは将来の調査のためにも有用です。アーカイビングを行うほうが好ましく、リンク切れの情報を除去することには同意しないかなあ。--Ks aka 98会話2014年6月28日 (土) 06:55 (UTC)[返信]
Ks aka 98様、ShellSquid様、ご意見ありがとうございました。亡くなったとされる方と深い関係にある方であるとはっきりしていればいいのですが、そうでない場合の扱いについてどうすればいいかと思っておりました。今後の参考にさせていただきます。--NOBU会話2014年6月29日 (日) 05:13 (UTC)[返信]