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Wikipedia:井戸端/subj/他力本願という語の誤用

ウィキペディア上でのエチケットについて

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Wikipedia:井戸端の過去ログ/2006年10月/中旬#自動リンク張りツール?において「他力本願」という語が誤用されています。真宗門徒にとりまして、この誤用は到底許容できるものでありません。この語が発言の本旨をなしている訳でもありませんでしたので、消去させてもらいました。すると、他の方によって「宗教を持ち込むのは論外。」などと要約欄で(誤解に基づく)反論が行われ、誤用も元に戻されてしまいました。当方としては編集合戦にしたくはないので、差し戻しをするつもりはありません。しかし思うのです。「他力本願」を誤用するような方が百科事典の編纂に携わっているという事実にまず非常に落胆しました。「他力本願」とは真宗門徒にとって信仰の枢要をなす語です。その誤用は、真宗門徒を侮辱する意味合いすら持っています。ウィキペディアは様々な立場の人が協働している場ですから、どんな発言でも許されるという訳ではありません。今回は悪気がなかったということで許して差し上げますが、協働の場でのエチケットとして、このような誤用には細心の注意を払って頂きたいと思います。どうぞ宜しくお願いいたします。--shimoxx 2006年10月14日 (土) 11:18 (UTC)[返信]

誤用と決めたのはどのような権威・権限を持つ方ですか。それは全ての世界人類に何か法的拘束力のある決定・決議でしょうか。Tarikihongwanという音を持つ言葉が真宗門徒の専有物だとでもおっしゃるのでしょうか。今回問題となった方の書き込みは丸括弧の中に「他力本願」を書いたものですが、もしこれが「(まさに浄土真宗でいうところの他力本願^^;)」などのように直接真宗と結びつけて揶揄するような状態であったのなら、Shimoxx氏の編集には反対しません。むしろ賛成します。しかし、真宗と直接結びつけずに書いてあるのに、「真宗の用語を誤用してケシカラン」などとなぜ判断できるのでしょうか。正確性が厳に要求される記事本文ではないのですよ。井戸端での自由な個人の意見陳述なのですよ。どうしても見過ごせないなら、その後に「誤用はおやめください」などのコメントを付記すればよいでしょう。無断で消去するなどもってのほかではありませんか。しかも当方の判断を誤認呼ばわり。つくづく失礼な御仁です。当方は利用者ページに記載のとおり織田信長を尊敬してますが、実家はお西さん、亡父の葬儀では長男として喪主を務めました。ぼーんぶーとひーじりー、ですよ。なにも真宗を目の敵にしているとかではないのです。現代の様々な世俗のことも考慮すべき、そして世界に開かれた百科事典で、なぜ特定の宗教団体の(それも法的根拠があるわけでもない)見解に盲従しなければならないのですか、ということを言いたいのです。歴史的に見れば誤用であった時期もあったでしょうが、いまやもう慣用句になってしまった、そう考えることをなぜ「間違いだ」などと非難できるのですか。言葉が悪いのを承知で申し上げますが、あなたは何様ですか。--無言雀師 2006年10月14日 (土) 11:33 (UTC)[返信]

  1. (仏語)阿弥陀の本願に頼って成仏すること。
  2. 他に頼って事をなすこと。
--昭和32年1月22日発行、小林国雄 編集・発行『標準国語辞典』十六版 より引用。
50年近く前の辞書でこれですから、もはや転用として定着したと見るべきでは。ほかに岩波国語辞典第四版、ATOK2005用明鏡国語辞典でも同様の記述でした。--cpro 2006年10月14日 (土) 11:35 (UTC)[返信]
作成中に他の方が書かれたため内容がかぶりますが、そのまま掲載します。
確かに誤用ですが、既に慣用的表現となっており、大辞林にも語意として掲載されています。他人の信仰の枢要をなすものを安易に揶揄、誤用したりするのはエチケットとして感心しませんが、それを尊重してもらえなかったと大声で人を非難するのもマナーとしてどうでしょうか。穏やかに「真宗門徒にとって侮辱する意味合いを持つため使うべきではない」と述べればすむ話です。 Zorac 2006年10月14日 (土) 11:52 (UTC)[返信]
Cproさま、Zoracさまとかぶりました。私も興味を持ったので調べてみたところ、他力本願が元来は仏教用語であることは間違いありません。「他人の力に頼る」という転用用法については、広辞苑大辞林その他の国語辞典では2番目に定義しています。現代国語辞典では、転用例の方を1番に定義しています。転用用法を「誤用」とするのは、調べた範囲では日本大百科事典瓜生津隆真氏執筆)だけでした。「誤用」という指摘が全くの誤りではないようですが、少なくとも一般的ないし中立的ではないでしょう。むしろ、この用語が仏教用語であることを知っている一般人の方が少ない気がします(少なくとも私は知りませんでしたので、よい勉強になりました)。率直に申し上げて、この用語を目にしたといって、無関係の一般人に対して「真宗門徒への侮辱」ととるのは、行き過ぎと私は思います。むしろ、Wikipedia:荒らし#荒らしの類型をお読みになられて、他者のコメント改ざんがいかに「ウィキペディアでのエチケット」に反するか、もう一度ご確認いただくことをおすすめします。(ところで、上記Cproさまの辞書からの引用はWikipedia:著作権上大丈夫なんでしょうか?未だにどこまでOKか私には分からなくて。。)--Anonymous000 2006年10月14日 (土) 11:54 (UTC)微修正--Anonymous000 2006年10月14日 (土) 12:14 (UTC)[返信]

追記します。「真宗門徒を侮辱する意味合いすら持っています。」・・・だとしても、他人の(記事本文ではない)意見開陳部分での引用を「無断消去」するなどという暴挙の論拠にはならないでしょう。その「侮辱された」という気持ちを異議としてコメント加筆すればよいのです。加筆なら当方は貴殿の行動を否定も止めもしません。当方は、なにか法的な根拠があるわけでもないのに「立腹即無断消去」という短絡的な行為に及んだことに異論を述べているのです。よほどマニアックな仏教用語ならまだしも、一般人の大半が(歴史的に見れば誤用とは言え)使用している言葉を、宗教界の専有物にして欲しくありません。それは庶民文化の否定であり、世俗的なものを「蒙昧なもの」として差別するようなものではありませんか。ここは真宗のサイトじゃなくて世界に開かれたネット百科事典なのです。--無言雀師 2006年10月14日 (土) 11:57 (UTC)[返信]

多くのご意見をいただきありがとうございます。最初に誤用部分を消した後、無言雀師さんが差し戻しされたのを見て、改めて自分と異なる意見の方もおられるということを再認識しました。ですので、消去することは適切な対処ではないということに思い至りました。今後、他力本願という誤用があったとしても消去はいたしません。ただ、他者への配慮と言いますか、エチケットとしてそうした誤用を控える心遣いがあっても良いだろうと考えましたので、上のように書いた次第です。例えば、「犯罪者のメッカ」ですとか「悪の三位一体」といった文言を書くことは自由ですし、誰も禁止することはできませんけれども、通常の感覚を持った人ならば、多くの人が集う場においてこれらの文言を使うことはないでしょう。そうした心遣いをここウィキペディアでも、できればお願いしたいなあ、というのが自分の主旨です。それ以外の意図はありません。もし誤解を生むような書き方をしていたのであればお詫びいたします。Zoracさんのご指摘は至極ごもっともと受け止めました。今後の戒めとしたいと思います。--shimoxx 2006年10月14日 (土) 11:59 (UTC)[返信]
早急なるご返答に敬意を表します。当方の発言にも行き過ぎた部分があると思いますが、何とぞ御容赦ください。世俗あり、宗旨あり、凡夫と聖、一味なり、です。--無言雀師 2006年10月14日 (土) 12:07 (UTC)[返信]
無言雀師さまと同感です。shimoxxさまのようにお感じになられる方もいらっしゃるということを、私も心にとめておこうと思います。--Anonymous000 2006年10月14日 (土) 12:14 (UTC)[返信]
wiktionary:ja:他力本願でも強化したらどうでしょうか?こっちは辞書なので百科事典で記述される仏教用語以外の他力本願もOKですし。たね 2006年10月14日 (土) 12:44 (UTC)[返信]