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Wikipedia:井戸端/subj/人物の家族の氏名

著名ではない人物の家族の氏名はどの程度まで許されるか、許されないか

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皇太子妃雅子の父である小和田恆氏の記事内で著名ではない次女、三女やその配偶者の氏名が掲載されるので特定版削除を出しておりますが、例えば歴史上の人物、豊臣秀吉の父親や(母親は大政所として後に徳川家康の人質となる重要な役割があるので除外)、坂本竜馬の姉などは書く価値があると思えるが、両親に関してはそれほど重要性は感じない(といって削除する必要もあまり感じないが。)基準をどう考えたものか時々悩みます。小泉純一郎の父親は政治家なのでいいとして、祖父は果たしてどうだろうなど。存命中の人物の記事かどうかが大きな境目でしょうか。--Tiyoringo 2006年12月23日 (土) 13:38 (UTC)[返信]

小和田恆氏自身が個人名として著名人と言えるのかどうか。皇太子妃雅子の項目で 皇太子妃雅子の父として紹介すれば良いのであって、小和田恆の項目を全面削除すれば全部解決する話でしょう。--寂華 2006年12月23日 (土) 14:46 (UTC)[返信]

小和田恆国連大使や国際司法裁判所判事をつとめ、いくつかの論文を発表しているので著名人であるとすることができるでしょう。
著名ではない人物の家族の氏名は歴史上の人物にあたるか、生存中の人物でありプライバシー侵害に該当するかがポイントになると思います。--経済準学士 2006年12月23日 (土) 14:56 (UTC)[返信]
小和田恆氏が国連大使や国際司法裁判所判事をつとめいくつかの論文を発表していても、その程度の人は山ほどいてウィキペディアに載っていない人も多いです。やはり、彼は皇太子妃の父という意味での著名人であり、項目を立ててまでウィキペディアに載せるべきとは思いません。--寂華 2006年12月24日 (日) 03:35 (UTC)[返信]
いや、それは・・・。国際司法裁判事の項目がないのは、ない方が間違いというか手薄なだけであって、他がないからいらないと即断するのはちょっとどうかと・・・。「同レベルのほかのひとの記事があるかどうか」は、ことWikipediaじゃ判断の基準になり得ないと思いますよ。--Nekosuki600 2006年12月24日 (日) 14:24 (UTC)[返信]
同意。国連大使や国際司法裁判所判事は歴代を網羅して載せるくらいを目指したほうがいいんじゃないですかね。紙の百科事典がそういうところまでフォローしきれないのはたんに紙面の都合なんだし。だいたいまだ30万しか記事がないんだから、載るべきだけど載っていない人はたくさんいます。それこそ紙の百科事典で記事があるレベルの人でもです(コンサイス人名事典あたりまでいくとさらに漏れは多くなる)。総じて、いまある記事を基準に考えないほうがいいと思います。Aphaia 2006年12月24日 (日) 15:32 (UTC)[返信]
国連大使や国際司法裁判所判事の記事が要らないとするのはいくらなんでも無茶苦茶に思えるのですが? (その程度の人って、むしろ、このクラスの記事を全部削除したら人物記事は国家元首と首相級位しか作れなくなるのでは?)--水野白楓 2007年1月2日 (火) 13:55 (UTC)[返信]

独立した記事を立てるほどの著名性がない家族などの場合には、氏名を記載する必要性がそもそもないように思います。本人との関係で記載するに値する内容があった場合でも、氏名の記載を行わなければ記載の意味が大きく減殺されるようなケースでなければ、続柄(「次女」など)に基づいて記載すれば足りるように思います。関連する削除方針や、ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは演説場所ではありませんの中の「9.事実の暴露や報道を行う場ではありません」などのスタンスから見て、氏名を掲載する必要があることを積極的に説明できるケース以外はそもそも掲載しない、というのが妥当かと思います。存命中かどうかは一つの基準になると思いますが、必要性の観点からすると、亡くなった途端、基準が大きく変わる、というわけではないように思います。--磯多申紋 2006年12月23日 (土) 15:50 (UTC)[返信]

子息の結婚が閨閥に結びついていると考えられる場合は、子供と結婚相手の肩書きだけを書けばいいと思います。例として「長女は○○商事創業者の次男と結婚」とか。--経済準学士 2007年1月5日 (金) 09:09 (UTC)[返信]