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Wikipedia:井戸端/subj/人工言語の掲載基準

人工言語の掲載基準について

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現在、ノート:人工言語#人工言語掲載基準についてにおいて、人工言語の掲載基準を定めるべく議論を行っていますが、参加者が少ないので、ここで広く意見をお聞かせいただければと思います。掲載基準という最終的な論点の他に、いま特に問題となっているのは、以下の点です。(抜けがあれば書き足してください)

  • 知名度が低い、あるいは利用が限定されている、あるいはweb上でのみ発表されている言語についての記事を書くことは「独自の研究」に該当するか。私は、例えばある言語に公式サイトがあるなら、そのサイトはその言語に関して信頼できる情報源とみなせる、という根拠で、これに反対しています。一方、これを支持する前例として、グモソ語は、「独自の研究、悪戯」という理由で削除(Wikipedia:削除依頼/グモソ語20061228)されました。-- Lalx 2007年2月18日 (日) 01:58 (UTC)[返信]
あ、こっちでやることになったのかな。ノート:人工言語に書いたことのくりかえしになりますが、書き直します。
知名度の高低は関係ないでしょう。自然言語でも「未発見の言語」(話者自身にとっては未発見でもなんでもないのですが) や、話者数が非常に少ない言語はあります。
文法、語彙、正書法などが定まっている (たとえば公式サイトが存在する) という条件は、「言語のひとつである」として掲載するのに必要だとおもいますが、それだけでは、言語とは言えません。言語とされるもうひとつの条件として、
  • 継続的にある程度以上の規模で意志疎通に利用している(いた)コミュニティが存在する。
ということがなければならないでしょう。そうでなければその「言語」なるものは特定個人の頭の中だけに存在するものですので、「独自の研究」に等しいと思います。
逆に、以上のような条件を満たさないということ自体に立項の価値があるという場合はあるでしょう。つまり、「言語とみなせないという事実が特筆される」という場合です。ノシロ語は、コミュニティの不存在 (話者ゼロ人) が特筆される例でしょう。一方、アーヴ語のように、公刊されたフィクションの中では以上の条件をみたしている (文法、語彙等に加え、架空ではあるがコミュニティが「存在」する) ものは、現実世界では条件をみたさないとしても、「フィクションの中の言語」として掲載することができるでしょう。--Hatukanezumi 2007年2月18日 (日) 11:31 (UTC)[返信]
ノート:人工言語でも書きましたが、架空言語、実用目的の言語、研究目的の言語は分けて考えるべきだと考えます。そして研究目的の言語の扱いに関して齟齬が発生しているように思われます。例えばコンピュータ言語は人工言語であり「言語」として扱われますが、いわゆる「ソフトウェアの事情」が適応可能だと考えられます。研究目的の言語、つまり創作言語や個人言語などをどのように扱うか、というところで意見が分かれていると思われます。--グモソ語復帰依頼者 2007年2月18日 (日) 12:51 (UTC)[返信]
目的別に分ける理由がよくわかりません。「言語」としての掲載に足りるかどうかはなんらかの要件を満たすかどうかの問題で、それが創作であるか自然発生したものであるか、創作だとして創作者の意図はどうか、といったことは関係ないとおもうんですが。
  • プログラミング言語は、いまここで問題になっている「人工言語」ではないとおもいます。人間同士が意思疎通するための手段ではないですから。
  • 研究目的だけのために考案された言語であれば、「どのように研究対象になっているか」を記す限りにおいて、上に提案した「言語として掲載されるための規準」をみたさなくてもよいでしょう。
  • 繰り返しになりますが、「個人言語」(そういう用語があるのでしょうか) というのは、上の提案に従えば言語と呼ぶこと自体が形容矛盾ですので、言語としての扱い以外の面で特筆すべき点が必要でしょう。
いずれも、掲載するのならば「(言語学の対象になる)言語とはみなせない」という記載が必要になると考えます。--Hatukanezumi 2007年2月18日 (日) 13:08 (UTC) 追記--Hatukanezumi 2007年2月18日 (日) 13:25 (UTC)[返信]
おおむね同意です。ノート:人工言語で「同列に扱うべきでは無い」と書いたのは、そういう意図です。目的別に分けた理由は、プログラミング言語とその他の人工言語を分ける程度の理由です。国際補助語以外の人工言語の扱いに齟齬が発生している、と言いたいだけですから。つまり言語扱いするに不十分な「言語のようなもの」の扱いをどうするのか、という点で意見が分かれていると考えています。--グモソ語復帰依頼者 2007年2月18日 (日) 14:18 (UTC)[返信]
国際補助語となることを目的としたもの以外の人工言語は全て言語あつかいするのに不十分とお考えでしょうか。私はそうは思いません。ロジバンは研究目的の言語ですし(ただし、いくつかある二次的な目的の中に「国際補助語になる」というのもあるようですが)、トキポナは「哲学的言語」とか「個人言語」と分類される言語ですが、どちらにも少なくとも数十人の話者が存在し、特筆すべき言語だと思います。(ロジバンには言語コードも振られています)。一方、もちろん、国際補助語となることを目的とした言語にも、「言語あつかいするのに不十分」なものは多くあります。国際補助語指向の言語も、研究目的の言語も、個人言語も、全て同じ基準で判断されるべきだと思います。そして、私は(ノート:人工言語にも書いたとおり)その基準として、「実績ある言語研究団体から言語として認められている」というのは厳しすぎると考えています。-- Lalx 2007年2月19日 (月) 14:37 (UTC)[返信]
「目的」という表現は不適切でした。実用と研究の境界は、言語扱いするに充分かどうか、としたほうが良かったです。「言語」として扱うには、意志疎通に利用できるという要件を満たし得るか、ということについて信頼できる情報源が必要だ、というのが私の考えです。より緩い基準があれば良いのですが、難しいですね。そして、その上で「言語のようなもの」の扱いをどうするのか、ということです。--グモソ語復帰依頼者 2007年2月19日 (月) 16:06 (UTC)[返信]
意見の相違は、むしろ、どこまでを「言語」として扱うか、というところにあると思います。また、基準については、客観的(検証可能)であって、厳しさが適正なら、なんでも良いと思います。つまり、「意思疎通に利用できることについての信頼できる情報源」のようなものは必要ないと考えています。基準というのは結局恣意的なもので、良質な基準を作ろうとするよりも適正な厳しさの基準を作る方が重要だと思います。「ある言語が条件Xを満たせば、たぶんその言語は意思疎通に利用できるだろう」と言えるような、検証しやすいXを見つければ十分ではないでしょうか。具体的には、Hatukanezumiさんの案のとおり使用実績を基準にするのが良いと思っています。-- Lalx 2007年2月22日 (木) 11:58 (UTC)[返信]
使用実績を条件にするのは良い案だと思います。その他、全体的にご提案に賛成します。しかし、「ある程度以上の規模」というのはどの程度を想定なさっているのでしょうか。作成者一人にしか使えない言語もあれば、何十万人とか何百万人とかの使用者のいる言語(エスペラント)もあり、五桁六桁の幅があるので、大まかにでも数値を定めないと基準として用をなさないと思います。-- Lalx 2007年2月19日 (月) 14:05 (UTC)[返信]
「ある程度以上の規模」は言葉を濁した表現だと自分でもおもいます。ただ、1人や2人ではだめなのはたしかです。コミュニケーションですから第n者 (n >= 3) が必要です。
自然言語を見ると、マオリ語を母語とする人 (単に話者というだけではなく) は、1人(のち0人)になったことがあります。しかし、コミュニティが存在していたという実績はあります。「継続的に…いる(いた)」というのはそのことを言っています。ですから規模は、あえて数字を言うなら、話者が3人以上であった時代があれば、問題ではないでしょう。アイヌ語も、母語としているひとはもはや生存していないかもしれませんが、同様のことが言えるとおもいます。
3人以上とか言うと、「じゃあ家族内で使われていれば言語と認めるのか」とかいうことを言うひともいるかもしれません。しかし、「継続的に」というのは、言語が世代を越えて継承されるということも含んでいます。ある一世代の家族内で数年か数十年使われていれば独立の言語と認めるということではありません (ちなみに、「家族語」ないしは「家族内方言」というものを扱う研究分野はありますが、ここで議論していることとは関係ないでしょう)。
というような感じでどうでしょう。--Hatukanezumi 2007年2月19日 (月) 16:58 (UTC) --間違ってるかも。とりあえず取消し。あと若干訂正。[返信]
世代を越えて継承されていなければ言語とは認めない、と言うのは違和感を感じます。ある言語が家族内でしか使われていない場合、使用実績を客観的に示すのは困難でしょうから、結局「継続的に」の文言なしでも排除されると思います。一方、家族内の言語であっても、使用実績が示されている(例えばまとまった量の文章が公開されている)場合、立項に値するのではないでしょうか。-- Lalx 2007年2月22日 (木) 12:10 (UTC)[返信]
わたしが言ってるのは、「使用実績」というのとちょっとちがうんですよね。
使用実績というのが文章などの資料の分量ではかられるとすると、無文字言語がこぼれやすくなります。そういう言語は言語学者の記載によってのみ知られます (先に挙げた「家族語/家族内方言」というのは、そういうものです) から、使用実績を資料の分量ではかれません。情報源の信頼性ではかる (権威ある誰かが言っている、とか) という考えかたもあるかもしれませんが、恣意的になってもめそうな気もします。
そこで、「資料の分量や信頼性はともかく、なにか使用実績が示されればいい」としたうえで、「継続的」(世代を越える) という条件をなしにすると、自作の「言語」を持ち込むひとがいたときに言語あつかいしなければならなくなっちゃいそうです。
一方で、「継続的」なコミュニティを条件にすると、資料の分量や信頼性をあまり問題にすることなく、しかも言語学者が記載するような言語はまずこぼれないんじゃないかとおもいます。
もしかしたら変なこと言ってるかもしれないので、つっこみ歓迎。--Hatukanezumi 2007年2月22日 (木) 13:15 (UTC)[返信]
明白な事実でないことを記事に書くなら、結局「信頼性のある」情報源からの情報を載せることになるので、情報源の信頼性を基準の一部にすることはそれほど問題でないように思います。一方、その言語の資料が公開されているなら、その言語に実績があることは明白な事実であり、信頼性を議論する必要はない、という考えです。それから、細かいことですが、継続性を条件にして、しかも信頼性を重視しない場合、自作の言語を持ち込んで、実はこの言語は百年前からある、と主張されたときに、その言語を排除できないような気がします。-- Lalx 2007年2月24日 (土) 01:56 (UTC)[返信]
あ、やっぱり混乱した書きかただったな。そうではなくて、WP:Vは大前提ですから、ここで議論する必要はないだろう、ということです。また、「公認の機関による登録があるか」、「どのくらい著名か」、「話者の数」、「文章資料の多寡」とかいったふうに、信頼性をなんらかの線形な尺度にあてはめてはかることは、WP:Vの面から見てかならずしも適切でないとおもいます。
そこで、「言語学の分野では、なにをもって記載に足る言語とみなすだろうか」という点から考えてみたとき、文法なんかに加えて「継続」+「コミュニティ」という基準をみたすかどうかで「言語」と「非言語」を分ける、というのは理にかなっているだろう、という提案です。
ちなみに、Wikipedia日本語版の言語学的分野ではそういう線引きをする、ということです。他の分野やWikipedia外では、ほかの基準があるかもしれませんから、自分の「言語」を立項したいひとは、言語の分野でだめでも、ほかに受け入れてくれる場所をみつければよいとおもいます。--Hatukanezumi 2007年2月24日 (土) 03:32 (UTC)[返信]
言語学によれば「言語」の定義は未だに決着していないそうなので、私は「言語」の定義に踏み込むべきでないと考えます。「継続」+「コミュニティ」にするにしても、結局WP:Vのいう「出典」が必要になると考えます。それならば単純に「言語である」という「出典」を要求するほうが基準として適切と考えます。--グモソ語復帰依頼者 2007年2月24日 (土) 07:08 (UTC)[返信]

(インデント戻します) 話が堂々巡りになりかけてるようです。

基準の提案に対しての反対は、いずれも「その基準ではある言語がすくい取れなくなる」という趣旨かとおもいますので、具体的な言語名 (自然、人工問わず。またWikipedia収載か否かを問わず) を挙げていただけないでしょうか。--Hatukanezumi 2007年2月24日 (土) 08:03 (UTC)[返信]

基準の提案

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Hatukanezumiの提案する基準
  • 文法、語彙、正書法などが定まっている (たとえば公式サイトが存在する)。
  • 継続的にある程度以上の規模で意志疎通に利用している(いた)コミュニティが存在する。--Hatukanezumi 2007年2月24日 (土) 08:03 (UTC)[返信]
この基準で落ちるものの例 (括弧内は満たさない条件):
  • 人工言語アルカ (継続的コミュニティ)
  • エプン語 (継続的コミュニティ) - ただし「研究目的」であり、研究目的の記述があるため救える。
  • 創作・架空言語のすべて - ただし「フィクションの中で」という条件の下では救える。
  • コンピュータ関係の人工言語のすべて (語彙意志疎通)
  • グモソ語[*] (文法語彙正書法 --- 以上独自研究、継続的コミュニティ?)
  • ソオト語 [*] (文法語彙正書法 --- 以上独自研究しかも未完成、継続的コミュニティ)
  • ノシロ語 (継続的コミュニティ)
  • ボアーボム (継続的コミュニティ)
人工言語にない自然言語はすべて落ちない。--Hatukanezumi 2007年2月24日 (土) 08:03 (UTC) ボアーボム追加。--Hatukanezumi 2007年2月25日 (日) 01:21 (UTC)[返信]
  • (支持)独自研究でしかなかったり、自立した言語と言えるほどの使用実績がなかったりするような、「言語未満」のものは落とせています (もちろん、言語ではなくても特筆される点があるものは立項されていいでしょう)。いっぽう、架空のものもふくめ、言語の体をなしているものは最大限「言語」としてすくい取れます。これはわたしの提案意図によく合っているので、問題ないと考えます。--Hatukanezumi 2007年2月25日 (日) 01:21 (UTC)[返信]
  • アルカは1991年から成立し、2001年に現在に連なる制アルカが成立。ゆえに継続性あり。コミュニティーも推定30人程度のアシェットとかいう団体が使用しているとのこと。グモソ語に関しては、文法はOVS型語順かつ前置修飾、前置詞使用の膠着語という規則が伝統的に定まっている。語彙は日本語・英語・2ちゃんねる語等をヴォラピュクのように甚だしく変形したものと、オリジナルと思われる由来不明の語彙をしている。正書法は、神聖文字Selahというハングルやパスパ文字に類似した結合音節文字を使用する。さらに言えば、音韻は基本ローマ字読みでCは「チャ」行と定まっているなど、アルベド語のような替字式暗号とは、明らかにことなり、それなりに整備された言語といえる。詳しくはHP参照[1]。コミュニティー媒体は2ちゃんねるのスレ「【グモソ語】人工言語を作ろう!3」、継続性は2004年1月からということでかれこれ三年続いている。また、人工言語の掲載にコミュニティーが必要ないということは、英語版ウィキペディアArtistic language#Personal languages(翻訳は芸術言語#個人言語)を見れば明らかである。ピングーの鳴き声であるピングー語やファービーのファービー語、チャップリンの独裁者に出てくる目茶苦茶な偽ドイツ語および偽イタリア語さえリストに名を連ねるというのに、2ちゃんねるで行われた、さらにスレッドで検証も可能な継続的文化活動を掲載できないと判断する理由が不明瞭である。エスペラント語版ではいまだに削除される気配はない。有名度がないという根拠は、日記用の個人言語が掲載可能という英語版での実態をかんがみれば根拠がない。--青鴉 2007年2月27日 (火) 11:10 (UTC)[返信]
    • ええと。ここは特定の「言語」の宣伝の場ではありませんので、その点よろしくお願いします。
      で、わたしが言っている「継続性」というのは「言語が世代を越えて継承される」という意味ですので、何年か前に作られたから継続しているという意味ではありません。また、ここは日本語版で、編集方針も英語版に右にならえではありません。それと、架空の言語については「架空の世界の中では」という前提のもとで条件をみたせば立項可能だろうということと、言語としての条件を満たさなくてもほかに特筆すべき点があれば立項できるだろう、ということも述べています。
      冷静かつ中立的な議論を望みます。--Hatukanezumi 2007年2月27日 (火) 11:37 (UTC)[返信]
    • 有名度がないのではなく、信頼できる情報源がないのではないかと考えます。掲載するにしても、「言語とは言えない」と明記すべきでしょう。--グモソ語復帰依頼者 2007年2月27日 (火) 13:57 (UTC)[返信]
グモソ語復帰依頼者の提案する基準
  • 「言語である」という信頼できる情報源が存在する。
  • コンピュータ言語はここでいう「言語」ではない。
  • 架空言語に関しては言語資料が存在し特筆すべき場合は項目化。
自然言語ならばほぼ大丈夫だろう。しかし基準を満たす人工言語は少ないと考えられる。言語コードが割り振られている人工言語ぐらいではないだろうか。私が問題としたいのはこの基準における「言語のようなもの」なので。--グモソ語復帰依頼者 2007年2月24日 (土) 10:19 (UTC)[返信]
基準を満たす言語の例:
  • エスペラント(言語コードeo)
  • イド語(言語コードio)
  • インターリング(言語コードie)
  • インターリングア(言語コードia)
  • ヴォラピュク(言語コードvo)
とりあえず言語コード(ISO 639)を情報源とした人工言語を挙げておきます。--グモソ語復帰依頼者 2007年2月25日 (日) 16:05 (UTC)[返信]
基準を満たさない言語の例:
  • グモソ語(言語コードなし) - 人工。
  • ケセン語(言語コードなし) - 自然。「研究目的」で救えるかもしれないが。
とりあえずISO 639WP:VWP:NORの基準とすると仮定しての追加です。--Hatukanezumi 2007年2月26日 (月) 09:46 (UTC)[返信]
言語コードが無いことは、信頼できる情報源が存在しない、基準を満たさない言語であるという根拠にはならないと考えます。--グモソ語復帰依頼者 2007年2月26日 (月) 14:22 (UTC)[返信]
  • 英語版list of Constructed Languageを見るとグーグル検索でグモソ語よりヒット数が少なく、書籍・話者もない代物もあり、結構甘い基準で良い気がする。あと、人工言語アルカの場合、ネット上で確認できる限り4人以上使用者がいて、作者曰く、30人程度使用者がいるらしい。グモソも体感的に4人以上は使用者がいたのではなかろうか。--青鴉 2007年2月24日 (土) 12:06 (UTC)[返信]
  • (コメント)これだと、人工言語の一部や架空言語のかなりのものが落ちてしまうんではないでしょうか。
    また、なぜ基準を検討しているかというと、これまでは「独自研究だから削除しろ」「いやこれは言語だ」とか、「言語の一覧に載せるな」「いやこれは言語だから」といったトラブルがしょっちゅうあって、そのたびに個別に、コメント依頼、削除依頼やブロック依頼を出して議論しなければならなかった、という事情があるとおもいます。そういったことを避けるための基準としては、すこし曖昧ではないかとおもいます。--Hatukanezumi 2007年2月25日 (日) 01:21 (UTC)[返信]
    • (コメント)かなりのものが落ちてしまうのは確かです。しかしこれは、「言語だと主張する側が言語であるという根拠となる信頼できる情報源を用意せよ、さもなくば掲載するに足らない」という単純な基準であって、落ちてしまうのも曖昧なのも承知の上です。繰り返しますが、私が問題としたいのはこの基準における「言語のようなもの」なのです。--グモソ語復帰依頼者 2007年2月25日 (日) 15:12 (UTC)[返信]
      • (コメント)とすると、具体的には何が「言語のようなもの」として落ちるのでしょうか。上の提案に付け加えていただけませんか。--Hatukanezumi 2007年2月25日 (日) 15:40 (UTC)[返信]
        • (コメント)むしろ「言語」としてみなせる人工言語には何があるか、のほうがこの基準では重要だと思ったので、基準を満たすものを例示しました。ちなみに私が「言語のようなもの」として念頭に置いているのはグモソ語ですね。--グモソ語復帰依頼者 2007年2月25日 (日) 16:05 (UTC)[返信]
  • (暫定不支持)ISO 639 への登録状況はWP:VWP:NORの基準として使えるとおもいます ([2]および[3]のような基準なら問題ないでしょう)。しかし、ノート:言語/過去ログ1#言語と方言でも論じられているように、なにを独立した言語と認めるかは多分に政治的、文化的な要因がからみますので、これだけを使って言語かそうでないかを判定するとWP:NPOVを満たさない場合が出てきそうです。上ではケセン語を挙げておきました。とりあえず不支持とします。--Hatukanezumi 2007年2月26日 (月) 09:46 (UTC)[返信]
    • (コメント)すぐ調べられる情報源のひとつとして言語コードを挙げただけであって、「言語コードが振られているものは言語である」というのは「言語コードが振られていないものは言語ではない」ことを意味するわけではありません。言語ではないという立証は悪魔の証明だと私は考えます。つまり言語だと主張する側が言語であると示すべき、というのが私の考えです。私は言語と方言の話にまで踏み込むつもりはないです。私が提示した基準は自然言語にも適応できますが、あくまでも「人工言語の掲載基準」について考えたいので。--グモソ語復帰依頼者 2007年2月26日 (月) 13:51 (UTC)[返信]
      • (コメント)いや(^^;)。別にグモソ語復帰依頼者さんに証明を求めているわけじゃないですよ。流行ってるなあ、悪魔の証明わたしは、自然言語も人工言語もなるべく共通の基準で考えたいと思ってるので自然言語の例を出したまでです。また、ある言語について「ほかの言語の方言でしかない」とか「言語でさえない」という主張と、「独立した言語である」という主張が対立することはよくありますし、自然言語でさえもそういう例にはこと欠かない、ということを示したかったんです。
        で、そろそろ議論も煮詰まってきたので、一度ノート:人工言語にもどってやるというのはどうでしょう。--Hatukanezumi 2007年2月26日 (月) 15:59 (UTC)[返信]
        • (コメント)こちらも「言語のようなもの」を確信を持って挙げることは難しい、と言いたかっただけですから。ひとまず、言語かの基準は先送りしましょう。私はWP:Vを厳格に適応すべき、と言ってるだけですし。両論併記しておきましょう。では基準の適用範囲について合意できれば基準成立ということで。とは言うもののあまり異論はないのですが。--グモソ語復帰依頼者 2007年2月27日 (火) 13:57 (UTC)[返信]

その他の境界例

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自然言語、人工言語や架空言語を問わず、思いついたら挙げていくことにします。

定義未満
マザング語 (典拠: 筒井康隆『関節話法』。種類: 架空)
形態論や語彙について断片的ながら叙述があり、母語話者以外でも体系的に習得できることから文法も確立していると思われる。母語話者同士の会話のシーンもあるのでコミュニティの存在も認められる。ただ、典拠がこの短篇ひとつだけで、著者もこの言語の詳細な記載をしていない (たぶんそこまで考えていない)。したがって、立項しようとしても定義未満になるため無理。--Hatukanezumi 2007年2月20日 (火) 03:55 (UTC)[返信]
言語ではない
UNL (典拠: ここ。種類: 人工)
文法は定義されており、語彙の整備もすすめられている。一時は国連公用語に加える案もあったようだが、現在では各公用語を中心とした言語間の翻訳を容易にする変換システムとしての位置付け。また、この「言語」そのものの話者 (話したり書いたりする人) は存在せず、EnConverter という一種の IME によって他の言語の入力を UNL に変換する方法がとられる。したがって言語ではない。なお、曖昧な表現が極めて困難なので、たとえ話者がいたとしても実生活での実用性は低いとおもわれる。--Hatukanezumi 2007年2月20日 (火) 03:55 (UTC)[返信]

基準の適用範囲

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基準の議論とは別に、その基準がどういったものに適用されるかも合意しておかなければいけないとおもいます。

いま議論している基準を満たす項目では、

  • 記事中で「言語である」と記述してよい。
  • 他の記事やカテゴリで、言語のひとつとして紹介、参照してよい。

適用範囲はこれでよいでしょうか。基準をみたさないものでも立項そのものはかまわないが、言語あつかいしない、ということです。

逆に、満たさない場合は次のようになると考えられます:

  • 記事中で「言語である」と記述することはできない。そのような記述は除去、訂正の対象となる。
    • または、記事中で「言語とは言えない」という意味の記述が必要。
  • 他の記事やカテゴリで、言語のひとつとして紹介、参照しない。そのような紹介、参照は除去、訂正の対象となる。
「言語のようなもの」を項目化する場合、「言語とは言えない」と明記すれば項目化しても良い、ということでしょうか。「言語のようなもの」の記事が作成された場合、削除せず修正する方針になると考えます。その場合、荒らしとの境界が難しいように思います。荒らしは削除されるべきです。明確な情報源は最低限必要、としておく必要があると考えます。つまり独自研究であってもそれが明記されていれば有用である可能性があるが、それでも検証可能性は最低限満たすべき、ということです。--グモソ語復帰依頼者 2007年2月27日 (火) 14:13 (UTC)[返信]
「言語とは言えない」と明記すれば項目化しても良い (もちろん3大原則を満たす限りでですが)、ということです。
ある編集行為が荒らしかどうかというのは、微妙な問題だとおもうんですよね。ですので、合意された基準がない現在は、(1)まず誰かが記述内容に疑問を呈し、(2)執筆者との議論を試み、(3)議論に応じなければ荒らしとみなす、という手順を踏むことになります。その間も、執筆者は記事を新規に立項したり、他のページの「言語の一覧」などという箇所に自分の「言語」を追加したり、というような行動を続けます。
いっぽう、基準が合意されていれば、執筆者が基準にもとづく記述除去や訂正を受け入れなかった時点で、荒らし (というか、合意を尊重しない編集行為) として対処が可能でしょう。その項目に関係する編集がされた他の項目でも、「基準に合わないから」という理由だけで差し戻せますから、結論がでるまでは「『言語のようなもの』かもしれない項目」を孤立化しておきやすくなるとおもいます。削除するか、言語と認めるか、言語と認めないが立項の価値ありと考えるかは、孤立化しておいてからゆっくり考えればいいでしょう。
もちろん、WP:Vは大前提です。--Hatukanezumi 2007年2月28日 (水) 11:28 (UTC)[返信]
ある「言語のようなもの」が実際に言語であるかどうかは、自明な問題ではない(例えば私は仕様さえあれば言語と言えると思っています。言語にも明確な定義はありません)し、ここで議論するべき問題でもないと思います。自明でない以上、「言語とは言えない」と明記するには、それを支持する信頼できる典拠が必要であり、それを欠けば独自の研究でしょう。今議論している基準は立項の可否を決めるものであり、言語であると記すか否かではないと思っています。-- Lalx 2007年2月28日 (水) 13:23 (UTC)[返信]
そうおもいます。単に、Wikipedia日本語版での立項の基準を話し合っているのだと認識しています。「言語には明確な定義はない」というのはそのとおりです。が、ここでは、Wikipedia日本語版での言語学的分野でなにを言語として記載するのかが問題になっているのだとおもいます。ですから、ここでしている議論は、言語の定義をするのが目的ではありませんが、基準をきめる議論である以上、なにをWikipedia日本語版では言語学的分野での言語とみなすのか明確にしなければ結論になりません。--Hatukanezumi 2007年2月28日 (水) 15:26 (UTC)[返信]
(シンプルに書き直し)ここで述べているのは記事の取扱い基準であって、言語の定義ではありません。「言語とは言えない」と記述する場合にも、「言語とは言えない」という典拠がとうぜん必要です。いっぽう除去は、とりあえず典拠不明であってもできますよね。
あと、基準そのものについては上の節で議論してください (すでに「両論併記」という案もでてはいますが、議論を続けるべきとおもうひとがいるのなら続けなければなりません)。--Hatukanezumi 2007年3月1日 (木) 04:47 (UTC)[返信]
了解しました。なお、基準そのものについては特に意見はありません。私の関心は「言語」が立項を許されるかどうかの基準にあり、その「言語」を言語扱いするかどうかには興味がないからです。-- Lalx 2007年3月2日 (金) 14:03 (UTC)[返信]
えと、現在、上で提案されている「基準」は、それぞれ、「『言語』が立項を許されるかどうかの基準」だとおもいますか。それとも「その『言語』を言語あつかいするかどうか」だとおもいますか。上にコメントしていただけないでしょうか。--Hatukanezumi 2007年3月4日 (日) 00:37 (UTC)[返信]
それはこの「基準の適用範囲」の節で論じられることであって、個々の基準についてコメントすることではないと思いますが、私は何か誤解していますか?私はHatukanezumiさんの2007年2月25日 (日) 00:45 (UTC)と2007年2月28日 (水) 11:28 (UTC)の発言を、「ある「言語」についての記事が、それが「言語である」と主張しなければ、ここで議論している基準には触れない。立項そのものの可否は個別に判断する」と解釈しました。この発言に対してはっきりした反論がないことから、提案されている基準は、どちらも「その『言語』を言語あつかいするかどうか」についてのものだと理解しています。-- Lalx 2007年3月4日 (日) 12:30 (UTC)[返信]