Wikipedia:井戸端/subj/中立的な観点は、恣意的に操作できるものなのでしょうか?
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中立的な観点は、恣意的に操作できるものなのでしょうか?
[編集]世界基督教統一神霊協会、いわゆる「統一教会」のページがひどい状態だったので、宗教事典を典拠に加筆・修正を行いました。すると、一部が告発本を基にした内容に戻されてしまい、そのうえで、告発本が出典になっている記述が多いなら、批判的な状態が中立的だといわれました。出版された文献さえあれば、それがどんな本であっても中立的な観点を恣意的に操作することができ、より高次な文献があっても低次の文献による文章は残さなければならないのでしょうか?私が理解していた中立的な観点のルールとは著しく違った見解だったので、ほかの方のご意見をお聞かせいただければと思います。--やまさきなつこ(会話) 2016年1月7日 (木) 10:23 (UTC)
- コメント ウィキペディアにおける中立的な観点は、Wikipedia:中立的な観点に説明されています。宗教事典や論文など信頼性の高いものを使うことは好ましいことですが、それらから「だけ」で書かれたものが中立的ということではなく、当事者の意見や告発も、適切に帰属化させ、事実ではなく意見や主張を紹介するような形で、記事の記述に含ませていくことが「中立的」です。もちろん、信頼性が高いもののほうが記述の中心になるでしょう。
- 「不適当な文献は用いるべきではなく、それを根拠にした記載はないほうがまし」という時に、その「不適当さ」の程度問題はありますが、ウィキペディアはそれとは異なる編集方針を持ちます。Wikipedia:検証可能性#通常は信頼できないとされる情報源であっても、Wikipedia:中立的な観点#偏った記述は帰属化・明確化するという形で記述を残す余地はあります。
- 「告発本」というのも、実は一面的なラベリングで、元信者のような当事者であったり、ジャーナリストであったりが書いたものであったりするわけです。社会問題に対して、事実の把握をする上で、研究者らの著作が、そうした当事者やジャーナリストと比べて、常に優れているというわけでもないでしょう。現場に近いのは当事者であり、近づこうとするのはジャーナリストという立場です(学術的な参与観察もあるでしょうけれど)。また、研究者のほうが調査や公表に際して求められる厳密さが高い分、書けない、と言う形で抑圧される事実と言うものもあります。
- ですから、多くの信者を獲得しているということや、有名人の信者がいるということ、幸福になったという証言などがあるというようなことも書かれるかもしれないけれど、それは宗教団体自体からの情報発信であることが分かるようにして書かれる、同じように、様々な批判も帰属を明らかにして書かれる。包括的なところは、学術的な研究があるなら、それを用いることになるでしょう。
- 批判が多ければ批判の分量は増えるでしょう。そこで批判を削りすぎるのは、擁護的な記述になりかねません。ただし、単に出典がいいからとか、事件や訴訟や騒動といったものを併記していけばいいというものではない。「競合する様々な観点を、その主題についての専門家や関係者の勢力に合わせて提示すべき」と、Wikipedia:中立的な観点#釣り合いのとれた重みづけには書かれています。--Ks aka 98(会話) 2016年1月7日 (木) 12:59 (UTC)
- コメントありがとうございます。「ないほうがまし」といったのは、一方の意見を普遍的意見のように装うなら、誤解を防ぐためにないほうがまだいいという意味です。言葉足らずですみません。私として、発言者がわかるようにすればよりよいと思い、告発本(この呼び方も適当ではないですが、暫定的にこう呼びます)「○○は~と述べている。」という形に直したのですが、そういった修正も受け入れてもらえませんでした。過剰に扇情的・批判的に描くことで、むしろ現状や問題点が把握しにくくなってしまっているというのが私の認識です。ジャーナリズムを排除したいのではなく、学術研究も生かすべきであり、ジャーナリズムについても、その立場は明確にすべきで、普遍的見解のように書くべきではないと思います。また活動や問題などと異なり、教義については、ジャーナリストの見解を普遍化するのは危険で、宗教学者の論をまず重んじるべきだと思います。また、批判の出典をたくさんつければ批判寄りでよいというのは、中立などないのも同じですので、この点は本当に理解できません。反対されている方は、自分はカルトから記事を守っていると考えているようなので、記事の改善が非常に困難な状況です。私のことを統一教会の回し者だと思っているようで、議論が成り立ちません。(ですので、ノートページに一言ご意見をいただければ幸いです・・・)私も業者や信奉者による過度な宣伝行為や礼賛行為を他の記事で直してきましたが、アンチカルトもある意味同じくらい問題があると感じています。--やまさきなつこ(会話) 2016年1月7日 (木) 13:26 (UTC)
- 世界基督教統一神霊協会の編集履歴を確認しました。やまさきなつこさんは、Ks Aka 98さんの主張もご存じの上で、「○○は~と述べている。」という記述を用い、適切な記述をされていると思います。宗教関係の告発本(批判本)は、ほとんど、強烈な信条が含まれますので、Wikipedia:信頼できる情報源#反体制勢力、宗教集団、過激派のウェブサイトと同様に、慎重に扱うべきです。アンチカルト側も、その実態は、他教団の工作だったり、脱会にともない発生するカネ目的でやってる人とかもいますので、べつに、正義の味方でもなんでもありません。宗教関連の告発本の特徴としては、被害者と称する元信者が関与する裁判に有利に働くように、弁護士や自称被害者から情報や資金を提供されて、宣伝のために出版してるケースが多々あります。週刊誌にタレこんでも記事にしてくれないようなレベルでもそういうコネで出版されていたりします。でないと、普通は出版などできるわけありません。被害者といっても、教団に数年在籍しては被害者だと訴えて金をせしめて次の教団にいき、また次の教団でも数年在籍しては被害者だと訴えるとか、電車内でチカンされてないのにチカンされたと言い張って示談金をせしめる人とか、会社でも上司にセクハラされたととにかく訴えてお金をせしめる人がいるように、嘘つきでとにかく金をもらえればいいという人もいます。自称被害者の証言だけをもとに事実として記すのは危険です。また、マスコミ対策が得意な弁護士やその弁護士と結託してるジャーナリストが書いた本は、ろくに調べもせずに平気で嘘が書かれていたり、とにかく、裁判に有利になるような個人的な感情からくる思い込みを事実であるかのように記してあったりします。もし、訴えられても、結託してる弁護士が弁護人になってくれるので、お金ももらってますし名誉棄損な内容を含んだままでも出版してしまうのです。そういう事情もありますし、特定の告発本にしかかかれていない実名、事件、裁判などは、Wikipediaに記すべき内容ではありません。「ジャーナリストの見解を普遍化する」ことは、本当に危険です。やまさきなつこさんは、主に、教義について修正されていますが、教義については、宗教学者の記述をもとにし、一信者の見解などは正確性が疑わしいので、批判や賞賛のいずれも記す必要はないでしょう。やまさきなつこさんが、「○○は~と述べている。」というふうに修正された内容は妥当だと思います。一例をあげると、あとから、Prism11 VYB05736さんさんが記述した「>若いうちから混淫派という新興宗教の熱心な信者となり、その教義からアイデアを得て「救世主とのセックスによって肉体の原罪は清められる」という教義の核心部分を構成し」などは、単なる元信者の見解なのでもちろん記す必要はありません。それが「教義の核心部分を構成」しているという無名信者の思い込みまでを書いたら、いくらなんでも過剰に書きすぎです。重要な内容でしたら、宗教学者もそのように記述しているはずです。批判にしても、単なる元信者やジャーナリストの批判だけを過剰に記載する必要はありません。見たところ、Prism11 VYB05736さんは、独自の考えをWikipediaで発表するために、自身の考えに近い記述を告発本(批判本)から拾って記述しているように見えますね。たしかにひどいと思います。批判やあら探しを目的として、過剰に告発本(批判本)から拾ってしまうと、とくに宗教分野に関しては恣意的な内容になってしまう危険性はあります。やまさきなつこさんは、そのあたりのバランス感覚ももっておられると思いますので、これまでどおりの編集を継続されるべきでしょう。Prism11 VYB05736さんが今後も、告発本(批判本)に書いてあることを、事実であるかのように記す記述を継続された場合、目的外利用者として利用者のコメント依頼等を活用するなども検討すべきかもしれません。のちほど、ノートページにもうかがいます-ぽてから(会話) 2016年1月7日 (木) 14:56 (UTC)
- コメントありがとうございます。「ないほうがまし」といったのは、一方の意見を普遍的意見のように装うなら、誤解を防ぐためにないほうがまだいいという意味です。言葉足らずですみません。私として、発言者がわかるようにすればよりよいと思い、告発本(この呼び方も適当ではないですが、暫定的にこう呼びます)「○○は~と述べている。」という形に直したのですが、そういった修正も受け入れてもらえませんでした。過剰に扇情的・批判的に描くことで、むしろ現状や問題点が把握しにくくなってしまっているというのが私の認識です。ジャーナリズムを排除したいのではなく、学術研究も生かすべきであり、ジャーナリズムについても、その立場は明確にすべきで、普遍的見解のように書くべきではないと思います。また活動や問題などと異なり、教義については、ジャーナリストの見解を普遍化するのは危険で、宗教学者の論をまず重んじるべきだと思います。また、批判の出典をたくさんつければ批判寄りでよいというのは、中立などないのも同じですので、この点は本当に理解できません。反対されている方は、自分はカルトから記事を守っていると考えているようなので、記事の改善が非常に困難な状況です。私のことを統一教会の回し者だと思っているようで、議論が成り立ちません。(ですので、ノートページに一言ご意見をいただければ幸いです・・・)私も業者や信奉者による過度な宣伝行為や礼賛行為を他の記事で直してきましたが、アンチカルトもある意味同じくらい問題があると感じています。--やまさきなつこ(会話) 2016年1月7日 (木) 13:26 (UTC)
- 苦言ですが批判本について、資料一点一点について信頼性を検討するならともかく十把一絡げで論拠の無い非難を行うことは避けるべきです。--203.148.113.143 2016年1月8日 (金) 03:25 (UTC)
- ノートにお邪魔してわかったのですが、どうも、特定の意見を普遍化する記述に固執している利用者がいますね。おそらく、その利用者は、その特定の意見を事実だと思い込んでいるから、記すとしても帰属化した上で記述する必要性を認識できないのでしょう。修正には多大な労力が必要となりそうですね。その前に、その利用者が自分のお気に入りの記述に全部戻してしまうので、修正させてくれない可能性もありますが・・・。--ぽてから(会話) 2016年1月7日 (木) 17:23 (UTC)
- この件については、Prism11 VYB05736さん(プリズム11さん)の編集態度に大きな問題があるというだけだと思います。Prism11 VYB05736さん(プリズム11さん)はTemplate剥がしも平気でやりますし、とにかく、自分のお気に入りの記述に固執しています。出典もついてない「一般の教会」などと、プロテスタントかカトリックか正教会かも不明な、百科事典にふさわしくない独自研究を除去しても、必ずリバートされてしまいます。利用者のコメント依頼を活用するほうが適切かもしれません。--ぽてから(会話) 2016年1月7日 (木) 18:04 (UTC)
- どっちもどっちな部分もあるような。それを今からノートで述べます。--JapaneseA(会話) 2016年1月7日 (木) 18:18 (UTC)
- どっちもどっちな部分などありませんね。やまさきなつこさんの編集は、明らかに記事を改善しています。今手元に、その告発本がないですが、告発本に書いていないPrism11 VYB05736さん(プリズム11さん)の意見が、告発本に書いてあることを装われて書かれた虚偽出典である可能性が濃厚だという問題点も浮上してます。告発本を出典とした箇所に「元会員の証言によれば〜」と入れても差し戻し。やまさきなつこさんが、「○○は~と述べている。」というふうに修正された箇所も差し戻し。出典がない「カルト視されている」を除去しても差し戻し。リンク集のようになってる外部リンクを公式ウェブサイトのみにしても差し戻し。Template剥がしも平気でやる。結局、Prism11 VYB05736さん(プリズム11さん)は自分が書いた通りの記述に差し戻ししてるだけですよ。無出典の中傷表現が散見されますし、「○○は~と述べている。」という帰属化がなく、あたかも普遍的事実であるとして記された記述の固まりで、こんなにひどい記事は滅多にありません。やまさきなつこさんの方針理解と、Prism11 VYB05736さん(プリズム11さん)の方針理解には、雲泥の差がありますよ。--ぽてから(会話) 2016年1月8日 (金) 02:34 (UTC)
- どっちもどっちな部分もあるような。それを今からノートで述べます。--JapaneseA(会話) 2016年1月7日 (木) 18:18 (UTC)
- 記事とノートを斜め読みするに、いったん資料の分類(方向性)と精度(信頼性)を整理したのちに記事構造についても見直しをはかったほうが良いかもしれません。批判系の資料絡めて概略作られてるのも状態としては変なのですが、質が劣るからとバッサリ切り落とすのも中立的な観点の恣意的な操作にあたるのではないでしょうか。--203.148.113.143 2016年1月8日 (金) 03:25 (UTC)
- 報告 Wikipedia:コメント依頼/Prism11 VYB05736 20160108を提出しました。やまさきなつこさんの編集をしっかり確認したところ、質が劣っている箇所も極力、帰属化させることで残そうと努力されていました。元会員の証言集だけを出典としている箇所は、無名の元会員一人が体験談を語ってるだけなのかなど、精査が必要でしょう。現在、苦肉の策として、赤旗社会部の主張として記述されていますが、その帰属化も不正確です。現状では、元会員の証言集であることを隠蔽して、冒頭部で普遍的事実であるかのように記述されているなど、あまりにもひどすぎますので、冒頭部から外す、ひどすぎる箇所はコメントアウトするなどの対処は早急に行った上で精査したほうが良いかもしれませんね(その応急処置でさえ、Prism11 VYB05736さんに差し戻しされましたが)。Prism11 VYB05736さん(プリズム11さん)は、度重なるテンプレ剥がしや、やまさきなつこさんが帰属化された記述を除去して普遍的記述として記述することに固執するとか、出典のない抽象表現を除去しても出典があると虚偽を述べて出典をつけずに記述するなど、大きな問題が散見されましたので、それについては、コメント依頼を活用していただければと思います。--ぽてから(会話) 2016年1月8日 (金) 03:56 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。批判本や告発本に意味があるものがあることは、もちろん承知しています。宝島社の本などは、アカデミズムで切り込めないところに届いていることもありますし。ただ、唯一の出典として主張を普遍化することは厳しいです。ノート:世界基督教統一神霊協会で論点を整理しました。足りない部分をご指摘いただければ幸いです。よろしくお願いします。--やまさきなつこ(会話) 2016年1月8日 (金) 11:29 (UTC)