Wikipedia:井戸端/subj/一つの大見出しに一つのReflistを設置する方式を解禁してはどうか
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一つの大見出しに一つのReflistを設置する方式を解禁してはどうか
[編集]現在の日本語版をはじめとする私がよく閲覧する多数の言語版においては、記事内の脚注リスト(Reflist)は、記事の末尾に「== 脚注 ==」で一括して表示する、という形が取られています。しかしながら、(話者の大多数の居住国である)日本の政治家の記事(安倍晋三、蓮舫など)や、一部の知名度の高いアスリートの記事(クリスティアーノ・ロナウド)など、一つの記事の中で多数の脚注が使用されている記事においては、Reflist欄が200も300もの出典で埋まってしまっており、非常に閲覧が困難な状態となってしまっています。こうした一部のしっかりした質の記事に関しては、一つの大見出し(== ==で括った見出し)ごとに一つの脚注を設置する事で、ある程度見やすくなったりする、といった事はないでしょうか。--Miraburu(会話 / 投稿記録) 2022年8月13日 (土) 05:32 (UTC)
- コメント おっしゃることはわかりますが、好みの問題ではないでしょうか。たとえば一般文献では、注釈(注記と出典情報を含む)の掲載位置はさまざまで、同ページ内の上下(頭注・脚注)だったり、章毎の末尾だったり、巻末に一括だったり、いろいろです。Wikipediaでは「巻末に一括」方式を採用しているわけですが、マウスオーバーすると「脚注ツールチップ」を表示するという方法で、巻末を見ずともその場で確認できる、というのを実現しています。
- ご提案が採用されると、たしかにちょっとばかり便利に感じるという効果はあるかもしれませが、反面、しなくてもいい(生産的でない)編集合戦や論争が増える、という予感がします。1つの情報源を複数の章で横断的に使う場合にどうするんだ、とかね。
- ちょっとしたボリュームの書籍であれば、出典情報(注釈)が数百あるなんてのは珍しくありませんし。(全体的な傾向として見れば、Wikipediaの記事のほうが紙の文献に比べて出典が少なすぎる)--柒月例祭(会話) 2022年8月13日 (土) 06:04 (UTC)
- Cロナウドの記事などの場合には、情報源にニュースサイト的なものを使いすぎている、というのがそもそもの原因(欠点)とも言えます。もっと俯瞰的な情報源(『Cロナウドの生涯』みたいな)を使用するのが百科事典的には「正道」ですが、実情としてはNOTNEWSやNOTFANSITE等の観点で問題があるかもしれないような記述が多すぎる、というところでしょう。--柒月例祭(会話) 2022年8月13日 (土) 06:08 (UTC)
- 脚注スクロール廃止のときにも思いましたが、「非常に閲覧が困難」とおっしゃる方は、どういう読み方をしているのか疑問に思います。もし、どの記事もすべての記述が出典で裏付けられていて、出典の使い方も適切、という状況があたりまえなら、単に調べものをするだけの読者が記事本文を読みながら出典を確認することはないと思います。そうなっていないのなら、記事を書く人が出典を適切に使うようにするのが先でしょう。出典の示し方を変えることではないと思います。--西村崇(会話) 2022年8月20日 (土) 23:34 (UTC)
- 単に調べ物をする「だけ」の読者さんだけではなく、出典を確認しながらさらなる調査の足掛かりを得ようとする、といったタイプの読者さんもいらっしゃると思いますし、そうした方は本文を読みながら出典を確認していくといった読み方をされると思います。「記事を書く人が出典を適切に使うようにするのが先」というのは、少しご意図が読み取れませんでした。--Miraburu(会話 / 投稿記録) 2022年8月21日 (日) 17:41 (UTC)