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Wikipedia:井戸端/subj/ローカル・ルール恐るべし

ローカル・ルール恐るべし

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ローカル・ルールでひどい目に遭いました。愚痴です。

12月からリゲルの議論を第三者としてサポートしています。議論は、リゲルが源氏星か平家星かというもので、新説の平家星説が新証言発見!源氏星説はうそっぱち!と勢いよく攻撃しています。議論自体は9月からで、Ks aka 98さんの仲裁も含め、5ヶ月以上続いています。

平家星の人は観点=検証可能性とか、あれこれ言います。正直何を言っているのか良く分からなくて、ウィキペディアのルールに適合しているなら、合意形成で仲良くやってもらうしかないと思いました。

しかし、いつまで経ってもウィキペディア的な記事にならない。平家星説が真実みたいな文案しか出てこないのです。そのたびに観点とか検証可能性とか説明されるので、訳が分からなくなってしまいました。

更に「素直な記述」と言ったローカル・ルールが取り決められ、それにも従わなくてはならないという話になっていきました。議論は平行線で、ずるずると2ヶ月が過ぎてしまいました。

最近ようやく気づいたのは、観点=検証可能性はウィキペディアとかけ離れた理論で、検証可能性の誤用・濫用だと言うことです。「素直な記述」も同じです。もっともらしい名前のついたローカル・ルールやローカル理論に惑わされて、ウィキペディアのルールをすっかり忘れてしまいました。

教訓:ローカル理論禁止。ウィキペディアのパブリックなルールで話をしましょう。相手が特殊概念を述べた場合、ウィキペディアのパブリックなルールに直して話させるようにしましょう。特殊概念の単語を使わせてはなりません。

教訓:紛らわしい概念に注意。内容を確認しましょう。それがウィキペディアのどのルールのどの部分の話なのか、理解できるまで聞きましょう。説明責任は相手に負わせましょう。

教訓:ローカル・ルール禁止。仲良くさせようと、ウィキペディアのルールに反したローカル・ルールの誘惑に駆られがちですが、それは止めましょう。「お互いに相手の書いた記事には触れないようにしましょう」などです。--長島左近 2010年2月11日 (木) 11:38 (UTC)--長島左近 2010年2月11日 (木) 11:47 (UTC)[返信]

コンプライアンスが企業論理に負けてる昨今では厳しい誘惑かもしれませんねぇ。非常にいい意見だと思います。私も最近「ノート:ヲシテ」においてイジめられているのでスカっとしました。ありがとうございます。なかなか上位ルールを適用するのは難しいです。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月11日 (木) 16:39 (UTC)[返信]
そのページの問題は見ていないので何とも言えませんが、ローカルルールとは通常、ウィキペディアの方針やガイドラインをその記事向けにわかりやすくなおしたものなのです。プロジェクト文書などは、そういったものの一種で同じような分野に適用できる参考になるガイドラインを設定しようということです。特定の記事のみ問題があるときに、方針の理解の個人差を埋める手段でもあります。
もし、それらがウィキペディアの方針に反するルールならば、守らなくていいと私は考えます。相手方と編集合戦となる可能性があるのならばコメント依頼等で、妥当性がないことを確認すればよいと思います。もしそうしても解決しない場合は、もしかしたらあなた以外はローカルルールは方針と合致している妥当なものだと考えているかもしれません。--春日椿 2010年2月11日 (木) 17:01 (UTC)[返信]
コメント 春日椿さんのおっしゃるとおり、「わかりやすくなおしたもの」であることが重要ですね。ローカル・ルールを作る際は、社会常識や美辞麗句、切羽詰まった事情に惑わされず、公式ルールのどの部分に準拠しているのか、前例や教訓による慣習的な物は公式ルールに反しないのか、しっかり確認することが必要です。他の記事や事例に適用して、おかしな事にならないかテストするのも良いと思います。今回はそれでローカル・ルール(というか口約束のレベルなのですが)が変であることに気づきました。また疑問に思ったときは、ローカル・ルールからパブリックなルール(の具体的な説明箇所)に戻せる事が必要だなと思いました。--長島左近 2010年2月12日 (金) 04:41 (UTC)[返信]
質問 - 手短に。長島左近さんは「教訓:ローカル・ルール禁止」と一緒くたに仰っていますが、も禁止すべきとのお考えでしょうか(当件のものとは性質が異なる、記事の肥大化や速報的書込み防止のための掲載基準や、方針を用いた紛争防止・方針強調の為の合意などのローカルルールについてはどう思いますか)。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年2月11日 (木) 17:41 (UTC)[返信]
コメントローカルルールは一律禁止とか話が飛びすぎ。上位の方針と合致しないローカルルールがあるのであればそれは守らなくて良いですが(可能な限り、○○のルールはWikipediaの方針△△と合致しないので守りませんとでも宣言しておくと良い。)、Wikipediaの方針を補足する目的でローカルルール(Wikipediaの方針に具体的な例は書けないし、また書くべきではない。)を設定するのは悪いことではないでしょう。最近、自分の都合だけでルールを捻じ曲げようとするやつがいっぱいいるので辟易してるのが正直なところ。(合意形成は「1人でも反対するやつがいたら成立しない」とか…。こんなのただの「ごね得」じゃん。)--Goki 2010年2月12日 (金) 01:36 (UTC)[返信]
コメント ButuCC+Mtpさん、Gokiさん、こんにちは。うーん、ローカル・ルール賛成派の逆鱗に触れてしまったようですね。禁止は語弊があるとしたら、ローカル・ルールは慎重に。不要なルールは作らない。代替手段がないか考える。疑いの目を持つというのはどうでしょうか?下手な取り決めをしてしまうと私のように、ローカル・ルールをお題目として繰り返し唱えられて、洗脳されてしまいますよと言うことが言いたいのです。恐るべしなのです。--長島左近 2010年2月12日 (金) 04:49 (UTC)[返信]
コメント 今回の事態はレトリックの上手いルール違反者に、ローカル理論やローカル・ルールをまんまと作られて、引っかけられたという事です。教訓を共有できれば良いなーと思います。--長島左近 2010年2月12日 (金) 04:58 (UTC)[返信]
作成に慎重であるべきと言うのはその通りだと思います。私が例示したローカルルールは基本的に上位(?)にあたるWikipediaの方針に準拠したものですし、春日椿さんやGokiさんも仰っていますが、ローカルルールの本来の役割は『その記事特有の問題を噛み砕いて説明・規制するために「方針からしてこうですよ」と方針の適用を分かりやすくする(補助する)』ものだと思います。なので、例えばそのローカルルールが“方針A”に反しているorしているかもしれないならば、そのようなローカルルールが運用されるべきではないし、その“方針A”を拠所にローカルルール改正を求めるのは妥当というか当然の行為です。それ以前に春日椿さんが仰るように「あなた以外はローカルルールは方針と合致している妥当なものだと考えている」場合、まずは方針内容についてその方と合意形成した方が早いかもしれません(その場合は会話ページの方が妥当なのか。議論の為の議論になって気が遠くなりますが)。
話は若干逸れますがGokiさんが仰った「合意形成は「1人でも反対するやつがいたら成立しない」」という意見の対処は難しいですね(多分WP:DEMOCRACYとかを掲げてくるんだろなぁ)。自分はその場合、これでもない限り反対する一人と合意に向けてひたすら議論するしか思いつかないのですが、大抵は平行線だったりします。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年2月12日 (金) 05:14 (UTC)時系列順に移動。編集競合したのか?--ButuCC+Mtp 2010年2月12日 (金) 05:16 (UTC)[返信]
コメント 「あなた以外はローカルルールは方針と合致している妥当なものだと考えている」場合ですが、ローカル用語を使わずにパブリックな用語で話してみるのが重要だと思います。「観点=検証可能性」とか「素直な記述」のようなレトリックの上手いローカル用語を使っていると、洗脳が解けません。--長島左近 2010年2月12日 (金) 06:03 (UTC)[返信]

コメント「編集者たちの考えの混じらない、出典の著者の主張が曲げられない形のすなおな記述」を最初に発言した本人です。 これは、「今後あなたはどのような編集をするつもりですか?」 の質問に答えたものであって、ローカルルールを作りましょうという相手側の提案もなく、こんな曖昧なものがローカルルール扱いになっていたとは最近まで気づきもしませんでした。 これによって、出典に使われてる単語以外を使ったら独自研究とみなすという解釈や図まで使って説明している著者の主張が記述できないという解釈を産んだとすれば、不健全でおかしな話です。 それに加えて長期化の主原因は、忙しいを理由とした、7日目くらいにドバーと大量に来る、大半的外れor以前説明した事の蒸し返しの内容の、牛歩戦術みたいな参加姿勢にあると考えます。--Gyulfox 2010年2月12日 (金) 23:49 (UTC)[返信]

コメント Gyulfoxさんに、見つかってしまいましたか。リゲルの記事の話はリゲルでしましょう。--長島左近 2010年2月13日 (土) 05:54 (UTC)[返信]

コメントローカルルール全否定者以外はすべて「賛成派」ですか。議論する気にもならんわ。打ち切りましょ。--Goki 2010年2月13日 (土) 00:08 (UTC)[返信]

コメント ローカルルール全否定者とは私ですか?ひどいです(泣)。レトリックに引っかかって、苦労した。泣かされた。みなさんにはそういう経験はありませんか?どうしたら引っかからずに、見破れるでしょう?という経験談や議論方法を話し合いたかったのに・・・ローカルルールという題名がいけなかったのでしょうか。落ち込みました。--長島左近 2010年2月13日 (土) 05:54 (UTC)[返信]
コメントあります。うまい手だなぁ、と思いました。事実と事実認識と現実は別概念なのでしょうから、自分の真実を書けばいいんじゃないですか? それが第三者でも検証可能である、という科学的思想が推奨されているように思われます。悪意に感じるモノは悪意です。でもそこには悪意を孕む個人的な問題が生じている現実が自らに認識されなければなりません。例えば僕は擬古猫というハンドルネームあやしいわーるどIIに投稿した事実があるのですが、これを第三者が検証するとなるとデジタルデータ改竄可能の絶対的法則から100年後に検証可能性を満たすことが難しいです。多分。その意味も踏まえて、当時流行しかけていたネットキャラクターの真実を固定するためにマグカップという物証を作り、頒布という形で証拠を分散させました。ちゃんと保存しておけば1000年くらいの耐久性を保障する物証かと思われます。死後になんでも鑑定団という番組(かあるいは類似するテレビプログラム)が続いていれば、これに出ることが出来るぜ! という謎の野望もありますが、さておき。この流れでどういう風に世論が変化していくのか、という事実問題を現在検証中ですが、同胞の発明を良しとしない独特の風習[1]が日本民族にはあるみたいだなぁ、という現実が確認できます。良く判りませんが、負けを認めてより『記事の発展とクオリティ上昇を促す』協調姿勢が必要かと、私は思いました。まー、大変だろうけどがんばって下さい。Wikipediaの記述法に関する解釈を巡ってはまだ現在『定説』というか『常識』が定まっていない過渡期の状態であり、これが解消される可能性は今後3年はありえないと思われます。また、定説を作らないことこそが編集の自由度を確保する上で重要な命題であり、相互間で解決すべき問題であると私は考えます。参加することが楽しくなくなったら気分転換に別の事やりましょう。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月13日 (土) 07:46 (UTC)[返信]
  1. ^ 相田洋『電子立国 日本の自叙伝(中)』日本放送出版協会
コメント 基 建吉(MOTOI Kenkichi)さん、ありがとうございます。本当に真意を他人に分かって貰うのは難しいですね。私は第三者として参加しているので「自分の真実を書けば」という訳にも行かないのです。当事者になってしまいますから。数ヶ月、執筆者の話を聞いて、だいぶ事情は分かってきましたので、そのあたりを当事者に説明して、ルールの理解を求めるというような事をしようかと思っています。しかし、レトリックの上手い頭の良い人を相手に、どうなることやら不安です。他人の記事で、ここまで頭を悩ませることになるとは思いませんでした。愚痴を済みません。--長島左近 2010年2月13日 (土) 08:30 (UTC)[返信]
コメントレトリックよりも現実を突きつけろと書いてます。わかりますかね? 実はWikipediaというサイトでは(憶測ですが)サーバー所在地の関係上、日本国憲法、民法よりも合衆国憲法が上位の法になります。これよりも更に上位の法としてはGNUフリードキュメントに書いてある文章の行間に書いてある記述ですので、まずは合衆国憲法への理解が必要です。えーと、善意に取るが重要です。ルール理解については、ルール無用という絶対かつ最上位の法があり、自分内での法解釈と他人の法解釈での齟齬がその紛争の多くの原因かと思われます。人間というボディはハードウェア的にはフルコンパチブルですが動作しているソフトウェアが異なるためバグがでやすいんで、デバッグがしんどいですね。仕様と言い換えてごまかしましょう。か、懲りずに記事を書いてくれとジミーが笑いながら見てるかと思われます。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月13日 (土) 08:47 (UTC)[返信]
コメント 基 建吉(MOTOI Kenkichi)さん、ありがとうございます。合衆国憲法ですか。うーん、ちょっと私の説明能力では相手方に理解してもらえそうもありません。勉強します。愚痴に付き合って頂いてありがとうございました。一応、これで終了にしたいと思います。泣かされたら、またよろしくお願いします。--長島左近 2010年2月13日 (土) 16:31 (UTC)[返信]
コメントえーと、ルール無用とはコンプライアンスがあるのでわざわざルールを立てなくても日本民族には不要である、という事です。官僚が骨抜き法案作成に躍起なるがごとく、法案ハックは市井の楽しみです。脱法行為は許しがたい犯罪ですのでなされぬよう。とまぁ、意味不明な事ばかり書いて申し訳ありませんでした。困ったときはいつでもどうぞ。私が対応しなくてもWikpedianがニヒルな回答を与えてくれる事でしょう。一人で頑張らなくても大丈夫かと愚考します。こちらこそ、丁寧な返答、感謝いたします。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月13日 (土) 23:30 (UTC)[返信]
コメント「ローカルルールは一律禁止」にしようと思った場合、ローカルルールが「普遍的に」Wikipediaの方針に合致しないことを証明する必要があります。個別のローカルルールでWikipediaの方針に合致しないものがあるだけならそこを叩いてローカルールを変えるなりつぶすなりすればよいわけですから。
個別のルールの話なら(私も納得がいっていないものがいくつかあるので)議論なら応じますけど、ろくすっぽ証明もしないまま「一律禁止」の結論を見出したりするユーザには聞く耳を持ちません。だから、「一律禁止」は話が飛びすぎだと書いているのです。
最近、俯瞰的に物事を見ないで全体の方針をいじくるユーザが一部いる(具体例を1つあげると「投票」の件ですが。)ので困ってます。--Goki 2010年2月15日 (月) 04:32 (UTC)[返信]
コメント Gokiさん、あまり虐めないで下さい。せっかく基 建吉(MOTOI Kenkichi)さんに、愚痴を聞いて貰って、幸せに成ったところなのですから。私の投稿は、たぶんGokiさんが考えていらっしゃるのとは全く違う内容だと思います。駄文ですから確認して頂かなくても結構ですが。タイトルで不快な思いをさせたなら、謝ります。--長島左近 2010年2月15日 (月) 13:07 (UTC)[返信]