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Wikipedia:井戸端/subj/ブロック依頼を出されてからのウィキブレイク宣言

ブロック依頼を出されてからのウィキブレイク宣言

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某所でも白熱というか小競り合いというか戦争と言うか口論というか、ともかく盛り上がってるわけですが、自分の提出したブロック依頼においても似たような事があり、疑問に感じているわけです。何を疑問に感じてるのかっていうとですね、まぁ、見出しを見てくれればわかると思うんですが、「ブロック依頼を出されてからのウィキブレイク宣言が、ブロックするか否かの判断材料となっていること」です。いろんなブロック依頼を見てまわったりしてるわけですけど、たまーに、「本人が反省しウィキブレイク宣言していることから今回はブロックしません」的な結果がちらほらと。これはちょっとおかしくないですかね?って思うんですが、いかかでしょうか。--突撃ひとり(利用者/会話/履歴 2007年9月12日 (水) 07:49 (UTC)[返信]

自発的ブレイク宣言はブロック依頼の上では計算に入れる必要がないとおれも思うのですけれどもねえ。ブレイク宣言をやった上でなんとか「ブロックせず」の結論を得たらその数時間後に復活したやつとかもいたような記憶があるし。ブレイクするのは勝手だが、それとは無関係に淡々とブロック依頼を審議するということがなぜできんのだろうかと、おれも常々疑問に思っております。--Nekosuki600 2007年9月12日 (水) 08:21 (UTC)[返信]
反省していることを理由とした期間短縮やブロック取り下げは、状況にもよりますが、アリだと思います。ただしウィキブレイク宣言というものはあくまで宣言であって、宣言したまま投稿を続ける、すぐに宣言を取り下げて投稿を続けるなどの可能性は十分にあるわけですから、ウィキブレイク宣言のみをもってブロックの判断材料とすべきではないでしょう。--Swind 2007年9月12日 (水) 08:26 (UTC)[返信]
IPで失礼します。これなんか具体例じゃないでしょうか。Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/わたあめひみつの第二回ブロック依頼より。--124.99.50.245 2007年9月12日 (水) 09:49 (UTC)[返信]
結局はその相手の言動によってブロックすべきかどうかを決めているのですから、ウィキブレイク宣言が判断材料の1つになること自体は別におかしくないですね。勘定に入れるなという意見は被依頼者が既に信用ならぬ人物と見ているから出てくるものだと思います。その判断を共有していない・賛成しない人なら別の考えを持つでしょう。 -- NiKe 2007年9月12日 (水) 12:19 (UTC)[返信]
荒らしユーザーの自発的なウィキブレイクはまず「ブロック逃れ」と疑ってかかってしまいます。良識派然としているユーザーでさえ、無期限のウィキブレイク宣言から数日で活動を再開してしまうようなご時世ですし。従前の議論を一切無視して、被依頼者のウィキブレイク宣言のみを以て「ブロック見送り」と結論付けるのは、確かに危ういと云えるでしょう。--Dojo 2007年9月12日 (水) 15:04 (UTC)[返信]
ウィキブレイクだろうが投稿ブロックだろうが防衛手段であり、違いは『利用者ログにブロックが残るか否か』ぐらいだと思っています。だから本来であれば勘定に入れる必要は無いわけですが。 勘定に入れる方で考えれば『執行猶予として見る』とか、被依頼者視点で『コミュニティに反する意思の無い事を担保で買う』のもアリだと思いますが。ウィキブレイクが担保として適切かと言われると明らかに違うような気がします。--秋月 智絵沙(Chiether) 2007年9月13日 (木) 01:40 (UTC)[返信]

(インデント戻し)「ブロックは懲罰では無い」みたいなやつありませんでしたっけ?罰としてブロックするわけでないと言うのなら、「反省しているから許す」ってのは何かおかしいようなような。実際反省しているんであれば、素直にブロックを受け入れるべきだし、本当にウィキブレイクに入るんであればブロックされても問題はないわけで、逆に「本当は反省なんかしてねーよ!」みたいな奴がウィキブレイク宣言してブロックを免れたとしてまた荒らし行為をしたら問題がでてくるわけで、なんつーか、まぁ、「問題が起こりえるケース」を選択するよりも「問題が起こりえないケース」を選択すべきなんじゃないかなぁ、とか。--突撃ひとり(利用者/会話/履歴 2007年9月14日 (金) 02:43 (UTC)[返信]

ブロックは懲罰ではない、というのは、ブロックの方針かどっかに明記されていたことだと思います。必要ならば検索してみてください。
刑罰を旧派的応報刑思想で理解するひとにとっては、ブロックは当然に、懲罰なんだろうなあと重います。おれは新派的刑法思想にシンパシーを抱いていて、刑罰にはもともと懲罰性を求めてても意味がないという説に立っているので、そのあたりはどうでもいいんですけど。でも、「社会契約論に基づく社会防衛」という見地からの刑罰にも、懲罰性を見出すひとはいるんで、そのあたりは社会の平均値から判断する限り「実は厳密に峻別することはできない」のだろうと思っています。
有害ならば、その有害性を解決できる程度の期間、粛々とブロックしておけばいいんだと思うんです。反省していようがどうしようが、反省には時間がかかるんだし、反省するに足りるくらいの期間ブロックしとけばいい。反省なんて口先だけでもしているかのように言うことは容易にできるわけだしさ。
ある意味、懲罰性を気にするひとは、「粛々と有害性を判断してブロック期間を定めればいい」というところまで割り切れずに、自らの中のブロックにおける懲罰性にひきずられているということなんだろうと、おれは思ってます。「反省したんだから手加減してやれ」てのも、実は表裏の関係にあることで、同じなんだなあ。でも、このあたりのことを説明するのって、けっこうむずかしいんだよ。--Nekosuki600 2007年9月14日 (金) 16:23 (UTC)[返信]
「ウィキブレイクの宣言はブロックの有無及び期間には影響しない。ただし利用者ページその他における反省の表出についてはこれを考慮する」という形にすればよいかと考えます。で、反省した内容と違えた編集を行うようであれば「虚偽の反省の表出」ということで更にブロックすればよいかと。--Himetv 2007年9月14日 (金) 20:31 (UTC)[返信]
ブロック依頼とは関係ないところでも、「ウィキブレイク中」と称する利用者が編集している例をちょくちょく見かけるのは、当世の流行なのでしょうか。ご自分でいってることを守れない、とアピールしているのと同じなんじゃないかと思うのですが。もともとウィキブレイクは、ブレイクすることに意味があるので、「宣言」のみをもって評価することはできません。とくにこのごろの状況は、「宣言」が軽ーいものになっていると思います。
さて、ブロック依頼では、もっぱら依頼理由と被依頼者の過去の履歴からブロックすべきかどうかを判断するので、依頼後のウィキブレイクは、宣言のあるなしに関わらず、基本的には判断材料とはならないと考えます。ただし、その「宣言」が信用できるもので、依頼理由からしてその後の改善につながる蓋然性が高いと認められる場合は、ブロックの軽減や見送りになることもあってよいと思います。あと、これと少し関係があるように思うので書くのですが、ブロック依頼では被依頼者も一度は賛否を表明できるようにすべきです。そうすれば、機会としての公正さが保てますし、「ブロック逃れ」と疑われるような行為もある程度は減るのではないでしょうか。--みっち 2007年9月14日 (金) 23:23 (UTC)[返信]