Wikipedia:井戸端/subj/コミュニティの合意を得ている状態とは?
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コミュニティの合意を得ている状態とは?
[編集]ウィキペディアにおいてコミュニティの合意を得ていると表現できる状態というのは、ノートでの話し合いが行われていなければならずノート議論で合意を得た場合のみ指すのでしょうか?つまり記事を編集者が編集するときにはその記事内容を見てるわけで特に冒頭導入部は当然目に入ってるわけですが、その記事の議論に関わる編集者達が皆、編集したときに冒頭導入部を変えずそのままの状態にしていたと、こういう状態の場合冒頭導入部はコミュニティの合意を得ている状態といえるのでしょうか?--Daunton(会話) 2016年5月25日 (水) 20:17 (UTC)
コメント一般化して単純にYES/NOを言えるような話ではありません。
- 反対意見が明確に示されている場合は「異論がある」といえますが、それがない場合に言えることは「異論がない」ことだけであって、「合意がある」(積極的な賛成がある)わけではありません。
- Wikipedia:合意形成に詳しく書かれていますが、「コミュニティに対して十分な告知が行われる場合のみ、沈黙を同意とみなすことができる」(WP:CONLIMITED)という考え方があります。「みなす」というのは、異なるものを同一として扱うということであり、「異論がない」状態は「合意がある」ではないけども、合意があったと仮定してコトをすすめて良い、というものです。
- Wikipedia:合意形成に詳しく書かれていますが、「編集作業の結果としての合意」(WP:EDITCONSENSUS)という考え方があります。Dauntonさんがおっしゃるのはこれが近いでしょう。議論の内容や行われ方にもよりますが、ふつうは、記事の内容で議論が行われていて、特にその議論で意見が分かれているような場合には、直接的に議論の対象になっていない部分についても変更や修正を行おうとするなら積極的な合意の確認をするべきです。それをやらずに修正をして、「誰もそこについては何も言わなかったんだから合意済み、いまさら文句言ってもダメだよ」みたいな態度は不誠実ですし、「腕ずくで解決しようとしない」(WP:SPEED)に抵触する可能性があります。
- 「ヘタにいじるとトラブルになりそうだから触らない」という判断で放置されているだけという場合もあるでしょうから、議論があるような場合には積極的・明示的な合意形成を行うのが望ましいです。
- Dauntonさんの履歴を拝見すると、要するにノート:から揚げでの事のようですね。冒頭文をめぐって意見の対立があるような場面で、一時的に編集が行われなかったからと言って「はいこれで合意、もういじっちゃダメだよ」みたいな態度は感心しません。議論が長大なので熟読はしていませが、ざっと眺めた印象としては少人数のあいだA説とB説で意見が真っ向から対立しているという感じでして、建設的な合意形成に向かっているという雰囲気ではないです。こういう場合には、「諸説ある」ということにして、A説とB説と節を分けて書くのがいいんですよ。「由来」とか「起源」なんてのはたいてい諸説あるものですから。「A説」節ではAの言い分を思いっきり書いて、「B説」節ではBの言い分を思いっきり書く。どっちがどうとかいう記述はできるだけ避ける。・・・と思ったら、既にそういう仲裁案が2月にKs aka 98さんから出されていて、それでもまだ揉めているんですね。--柒月例祭(会話) 2016年5月26日 (木) 03:04 (UTC)
- 合意形成というのは、どちらかが己の正しさを主張して押し通すことではなく、どうすれば両者がともに納得できるか、その妥協点を見出す作業なんですよ。--柒月例祭(会話) 2016年5月26日 (木) 03:18 (UTC)
- お返事ありがとうございます。この件についてはこれ!という明確な決まりがないようなのでここで質問してみたのですが、参考になりました。ノート:から揚げでのこともありますが、それよりウィキペディアでは一般的にどうなのだろう?と。
- ところでノート:から揚げの現在の議論は「2016年5月の編集保護」ですが、両論併記を拒否して片方の記述だけ書いて別の観点を記述させなかったり除去する編集者が納得するのはどうも難しそうです。まあ、できれば気軽にコメントしていってください。なんか誰も興味ないのか、2人で延々続いてる感じですし、(今流行りの)第三者の意見なく当事者間だけでウィキペディアから揚げ記事を決めるというのもなんですし意見は多いにこしたことはないですし。--Daunton(会話) 2016年6月3日 (金) 14:11 (UTC)