Wikipedia:井戸端/subj/ウィキペディアにFurther readingは必要か
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ウィキペディアにFurther readingは必要か
[編集]はじめまして。おなか吹田市と申します。私はウィキペディアの記事の下の方に設けられる「参考文献」のリストは「編集者が編集に当たって参照した文献」であり、本文や脚注で引用(言及)された文献の詳細情報のリストだと理解しております。また、こうしたリストが必要なのは、WP:Pの観点からもごく当たり前であると理解しております。 しかし一方で、記事の下の方に「さらに詳しく知るための発展的資料」だとか「推奨文献」といった節がある記事を見かけることがありますが、私はそういったリストはウィキペディアには不適切だと思います。というのも、(1)そのような資料があるのであれば、その資料を出典として記事を充実すべきであって読者に丸投げすべきでないし、(2)ウィキペディアの編集者は(建前上は)匿名の素人であるはずなので、読者に向かって漠然と勉強方法を紹介するのはウィキペディアの趣旨に反していると思うのです。 そういった考えから、私は<「読者のための文献案内」の類の節>や<明らかに本文や脚注で参照された形跡のない文献の羅列>を見かけたらコメントアウトしたりTemplate:参照方法を貼ったりするようにしているのですが、中には「Further readingはウィキペディアに必要」と考えて私の編集を取り消される方がいらっしゃいます。ウィキペディアに<Further readingの紹介>は必要なのでしょうか?--おなか吹田市(会話) 2016年6月3日 (金) 06:22 (UTC)
- 百科事典として然るべき質と量の記述を収めてなお外部に推奨すべき文献がある、という状況はあり得ると思います。例えば en:Biology で紹介されている Molecular Biology of the Cell など。(2)も、「ある信頼できる情報源が Further reading として紹介している文献」は却下できないでしょう。
- 一方、日本語版で見かける Further reading の多くは精選されておらず、パワースポットのように宣伝紛いの節もあります。過去には Further reading スパムもありました。従って自分はどちらかと言えば除去を支持しますが、絶対ではありません。- NEON(会話) 2016年6月3日 (金) 07:51 (UTC)
- 事典として、知識を獲得するための窓口としては、あったほうがよいものだと思います。ウィキペディアの仕組みとして、その提供が困難なので、どうするか、という問題でしょう。主題の性質により、あるいは記事の完成度や分野の執筆者の集まり具合により、除去が適当な場合もあるとは思いますが、それは暫定的なものであって、最終的には提供することを目指すことをあきらめない。1)について、記事に用いる資料は、必ずしもその項目についてさらに詳しく知るための資料とは限りません。重要だが高価だったり、閲覧できる場所が限られているものもあります。参照していなくとも、その分野における教科書的なものを挙げるようなことは、読者にとって有益です。2)多少なりともその分野に親しみがあれば、詳しく知るための代表的な資料群についての知識は持つことになります。その項目や分野についての執筆者があまりいないことも多く、意図的に偏りを持たせることもできてしまうという懸念もありますが、誰でも合理的に判断できるものもありますし、それらが代表的な文献であることについての情報源を示すことができることもあります。示されているものが詳しく知るために有用かどうかを個々の執筆者が判断する、知識が無いなら形式的に判断しない、プロジェクトなどで分野ごとの指針を作る、といった方向で進めるしかないと思います。--Ks aka 98(会話) 2016年6月3日 (金) 08:13 (UTC)
- 紙の事典ならば紙面の制約上書ききれない内容をFurther Readingとして読者に情報提供することは有益な判断であろう。しかしウィキペディアは紙の事典ではない。したがって理想を言えばFurther Readingとして挙げる必要がある程重要な文献があるのならそれらを出典として記事を充実するべきであろう。とはいえ執筆者も一度に記事を完成させられはしないから、将来参考文献にする予定の文献がFurther Readingとして扱われる可能性はある。このケースについては本来コメントアウトすべきかもしれない。一方、出典にする予定がないFurther Readingの場合はどうか。このケースについての私の見解はNEONさんの意見と同じく「その文献がFurther Readingに相応しい」ことを示す出典があるべきであろう。記事内で出典にすらされていない文献を執筆者が独自の判断でFurther Readingとして推薦するのであれば、それは執筆者の傲慢であり、「専門家気取り」であり、宣伝である、と言われても仕方なかろう。そもそも私には(a)記事において出典として扱っておらず、なおかつ、(b)信頼できる第三者によってFurther Readingに値すると公言されたことが検証不可能であるような文献が、「読者にとって有益」とは思えないのである。従って私はNEONさんと同じく客観的にその文献がFurther Readingに値する確証が示されていない限り除去を支持する。検証可能性から離れて個々の執筆者の判断に任されるようなことがあってはならない。しかしおなか吹田市さんのやり方に一つ問題があるとすれば、除去された文献が「出典の明記」がなされていなかっただけで実は引用されていた、という可能性を排除していることである。仮に出典であった文献を除去してしまったとしたら、残った記事の状態は剽窃状態であるから。したがって、Further Readingの除去には指示できるものの独断でそれを除去するという行為には指示できない、というのが私の意見である。--133.1.90.125 2016年6月3日 (金) 12:09 (UTC)
- 些細なことではありますが、本来「参考文献」や「出典」であるべき節が不慣れな翻訳から「進んだ文献」のような節になっている場合も自分の知る限りでは多いですね。出典とは別に推奨する文献として何が適当かは記事やその分野によるところが大きいと思いますが、一次資料など参考文献が参照してる資料や、注釈レベルの記述に対する参考文献については、項を分けて列挙してもよいと思います。--Glayhours(会話) 2016年6月3日 (金) 13:30 (UTC)
- 133.1.90.125さんがおっしゃるとおり、「その文献がFurther Readingに相応しい」というのは独自研究に陥りがちであり、ウィキペディアの原理主義的な視点に立てば、出典を要求されても文句はいえないのかもしれません。拙筆ですが四字熟語の「読書案内節」には出典を挙げています。ただ、Further Reading(関連文献/推奨文献/読書案内)を提示することは、調べ物をしている読者に対して非常に有意義であることは明らかです。一律除去というのはかなり乱暴な手段であり、場合によっては記事破壊と言っても過言ではないでしょう。現実的には、既存の項目のFurther Readingに偏りが生じていると気がついた人がノートで提案するなどしてケースバイケースで対応するほかないと考えます。--Damena(会話) 2016年6月3日 (金) 18:00 (UTC)
- 現状多数見られる出典無しで列挙しているだけのFurther Reading(関連文献・推奨文献)に対しては否定的立場です。Wikipedia:スタイルマニュアル (レイアウト)の過去の改訂議論で反対意見を述べたこともあります。そのときと同じことを書きますが、(1)ネットで関連しそうな書籍を検索して中身も吟味せずに関連文献に追加していくだけの編集が考えられる点、(2)外部リンクや関連項目と違ってクリックすればすぐに確認できるものでもないので適切かどうか確認する方は大変だという点、(3)中身も良く知っていて最適と判断した上で関連文献を追加するにしても、そうであればその文献を使って出典付けをするなり加筆するなりして「参考文献」として挙げて欲しいという(要は、文献を並べるよりも中身の向上に力を注いで欲しい)点、などが理由です。(1)のような編集に対してWikipedia:外部リンクの選び方のようなFurther Reading掲載目安を作ったとしても、(2)によってあまり機能しないと思います。結局のところ、それらの文献を関連文献・推奨文献として挙げるに値することを担保している出典と説明をつけ、Wikipediaコンテンツ基本原則(WP:V、WP:NOR、WP:NPOV)を満たすFurther Readingを作るしかないと思います。--Yapparina(会話) 2016年6月3日 (金) 23:20 (UTC)