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Wikipedia:井戸端/subj/ウィキプロジェクト メディア問題

「Wikiプロジェクト メディア問題」が必要

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あちこちのメディア問題に関する記事で「大量にテンプレを貼る」「擁護者と非難するもので同じ討論が続く」「ネット情報とメディア情報の相違による批判合戦」が続いていると思います。

や、批判を受ける報道関係でよくもめていると思います。

そのため、プロジェクトを作って各記事をすっきりさせるべきだと思いますが、いかがでしょうか?

しかし、私はプロジェクトのシステムに詳しくなく、また報道については「視聴者・読者」のレベルに過ぎないので、もっと詳しい方に下駄を預けたいという気持ちではありますが・・・。決して無責任の意味ではありません。--たぬき 2007年6月30日 (土) 12:56 (UTC)[返信]

ちょうど昨日勉強をすっぽかしてテレビ離れを読んだところです。日本語がおかしい文章やどうも独自研究っぽいことろなど大幅な修正が必要だと思いました。手を出したら相当な時間がかかることでしょうが。
話を元に戻しまして、ウィキプロジェクトを作るということはおおざっぱに言うと、似た種類の記事についてのルールを整備するようなものだと思いますが、たぬきさんはプロジェクトにどのようなルールを作成してもらいたいと思いますか?具体的なことをもっとはっきりさせるといいと思いますよ。
とりあえずは直す所を個々の記事で話し合って決め、修正依頼整理依頼に出すとよいでしょう。どこを直すかよくわからなかったり意見の対立が激しかったら、先にコメント依頼で。
と思ったらテレビ離れはすでに依頼が出されてましたね。--辞典の虫 2007年7月1日 (日) 15:08 (UTC)[返信]
ウィキプロジェクトの結成は、その分野の記事をスッキリさせるのに効果があると思いますが、一定数のメンバーが集まらないと、機能不全になると思います。まず何人か有望なユーザーが見当たるか、考えの表明に対して反響があるかを探ってみてはいかがでしょう。--Mr. 辛口 2007年7月2日 (月) 13:39 (UTC)[返信]
プロジェクト作成依頼を出しました。
まず感情的な態度(擁護・アンチとも)を改める。出展の明記は当然だが、気に入らない内容でも存在は認める。
あくまで現実の問題であるため「キー局に対するバッシング」「wikipediaで世直しをしないで下さい」などの発言があったが、そのようなつもりを持って記述しているわけではない。
他にもメディア問題でもめているものについてはどこまで記述すべきかルールなどを決める。--たぬき 2007年7月3日 (火) 15:41 (UTC)[返信]

出る杭は打たれる?

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キー局で、他の人がノート欄に書き込んだり、意見を表明しないために、私だけに当たっているような感じを受けます。私だけがノート欄に書いているため、反対派の代表のように思われたようです。私としては、感情的になりたくないし、情報量の問題もあるため、いろいろな人に情報を持ち寄ってもらいたいことがあります。そのためにWikipedia:ウィキプロジェクトWikipedia:ウィキプロジェクト メディア問題を立ち上げてほしいと要望していますが、進展がないのがつらいです。コメント依頼でいくつかコメントも来ましたが、「何が何でも削除」的になっています。--たぬき 2007年7月6日 (金) 10:42 (UTC)[返信]

えーっと、本当は関わりになるのも避けたいと個人的に思ってはいたのですが、余りにも寂しそ(もとい)無視するのも道義に反する気がするので、虎の尾で縄跳びするくらいの気持ちでコメントします。
ウィキプロジェクト「メディア問題」への反応の薄さなんですが、これはWikipedia執筆者コミュニティに於ける「メディア関連の記述問題」に絡んで、誰もが幾度も苦湯を飲まされた…っていうか、ウンザリさせられたことが原因なんではないかと思います。
小生個人としては社会問題指向があったりはするのですが、テレビ離れないし活字離れ体罰管理教育、或いはサブカルチャー系統のおたく日本における性的描写を含むゲームの規制に関する議論、また喫煙などといった記事に於いて、マスメディア報道内容をソースとして全体のバランスや可読性を無視して本来百科事典として取り上げるべきかどうか悩ましい程の矮小なケースを速報的に挙げ、そこから自論へと展開するような記述者には、幾度と無くウンザリさせられたことがあります。
そういった者たちは、ヘタをすると記事の現状の方向性に対する不満もあってか、Wikipedia上の記事全体からその報道内容に相反する記述を削ったり、或いはケースの提示から逸脱して自論を長々と書いているという自覚に欠け、注意したり除去したりすると矢鱈熱心に自説を補強するための矮小なケースを羅列し始めたり…と、事物を説明する百科事典の記事の執筆という主題から逸脱することも、そう珍しいことでは無いと感じます。
そういったエキセントリック(もとい)独自の価値観で百科事典という枠に囚われない…以前に、Wikipediaが何であって、何でないかを全く顧みない人が入り込むと、記事は散々方向性を弄り回された挙句に冗長で散漫な内容となり、また記事保護され編集できない記事は増えるし、報告所に報告してくるのもウンザリなら、ノートページや会話ページに問題提起や何らかの対応の理由に関して幾ら説明しても、言を弄して自己弁護するし…で、またウンザリ。
斯様な理由で、メディア関連に関しては変に発言して言質を取られたり、或いはヒマなのか寂しいのかひたすら自論を振り回すだけで問題提起した側と対話を通して妥協点ないしより適切な解決策を探ろうという姿勢も無く、何かコメントすれば堂々巡りを繰り返すだけの議論に見せ掛けたコメントの応酬を避ける上で、関わりに成りたくも無い…という気持ちもあったり。
ああいや、これは小生の個人的な気持ちですけどね。あくまでも。
メディア問題とはいっても、結局はメディアから情報を受け取った個人の、個人的な思惑による記述に堕する危険性を含んで、強いていうならマスメディアの持つ速報性に連動して、速報的記述をダラダラと書き綴られるというのは、如何様に言っても(後世に残す意味を含む)百科事典として、情報ノイズにしかならないんじゃないかなあ…とか思う次第です。小生も大概、ダラ書き系なんで、あんまり人のことは言えないだけどさ--夜飛/ 2007年7月6日 (金) 13:11 (UTC)[返信]
メディア問題は、メディアの公共性から記事になるべきものと考えます。しかし、特定の主義主張にはまっていたり、感情的になったり、メディアが情報を一方的に流すことや市井の意見が尊重されないシステム。それが故に「バッシング」とか「世直しをしないで」とかの感情的な会話・・・。決してバッシングなどではなく、世直しをするつもりでもないのがなぜか気に触る人がいるようです。社会問題に関する記事は基本的にそういう部分が大きいのではないでしょうか。もちろん社会問題はおろそかに出来ないし、メディアも反省せねばならないことは確かです。しかし擁護側、そして記述側が非生産的なことの繰り返しであることに疲れています。まして、ノート欄で意見を出すのは私一人であるため、勝手にリーダーにさせられ、個人攻撃に化することも考えられます。全く夜飛さんのおっしゃるとおりですが、編集が進まないことは困ったことなのです。ましてや私一人に責任を押しつけるような発言も飛び出し、疲れました。--たぬき 2007年7月8日 (日) 13:56 (UTC)[返信]