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Wikipedia:井戸端/subj/ある人物が受賞した賞の前後年受賞者の記載の要否

前後年受賞者

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ある人物を調べていたらその方がある賞を受賞していたのですが、最後の方にその賞の前後年の受賞者も書いてありました。 また、実はこの調べた方は監督さんで、先代と後継の監督の名も書いてありました。 こういうものは必要無いと思うのですが、どうなんでしょうか? (知りたければその賞などを調べればよいのだから) この辺りの指針とかは有るのでしょうか? 一応、テレビ番組では前後番組については何度も話し合いがされてるようですが…--Cee 2008年10月4日 (土) 17:04 (UTC)[返信]

百科事典は必要最小限の情報のみを簡潔に記すというメディアではないため、どのページにも様々な角度からの多面的な情報が出てくることは確かです。このとき問題となってくるのは、どういう情報を、どのページに、どこまで精細に乗せるのか、この点に関して人により様々な考え方がある、という点かと思います。たとえば、各ページの情報量に対する好みの違い(大項目主義小項目主義)、検索やクリックの手間に対する考え方の違い(検索やクリックはめんどくさいと思う、別にめんどくさいとは思わない)、内容の深さに対する要求の違い(エッセンスだけが簡潔に書かれていればいい、いやディティールを詳しく書きこんでほしい)、関連する情報へのリンクをたくさん用意して欲しい、いやリンクが多いと行き先に迷うので数を絞って欲しい、歴史的側面、文化的側面、政治的経済的側面、それぞれについて、詳しい記述がほしい、いや別に要らない、他多数。人によってこうした様々な点に対する好みというのはやはり異なってくるでしょう。そういう様々な選好が在り、かつ全ての観点から見て理想的と言えるような記事が作れない、そういう中で、先代・後代という表記は、ある種の妥協的な情報提示法として機能してるのではないのかなと思います。--Was a bee 2008年10月5日 (日) 00:33 (UTC)[返信]
その賞の記事に受賞監督の一覧がある場合や、カテゴリに受賞監督の一覧がある場合、そこへのリンクがあればそれで良いのではないでしょうか。その監督を説明する上で前後の受賞者が必要な場合は別ですが、通常その監督と前後の監督は百科事典としての説明レベルではあまり関係ない事項(雑多な事項)になるのではないでしょうか。何の記事をさしているのか、どの分野をさしているのか分からないので(雑多な内容を羅列した記事は必要ないとの立場から)一般的な意見を述べさせいただきます。--Inoue-hiro 2008年10月5日 (日) 03:18 (UTC)[返信]
Was a bee さんの意見と似た部分がありますが、カテゴリやテンプレートも多い方がいいという意見と多すぎると見づらいといった理由などで少なくすべきといった意見と双方あります。Wikipedia:記事どうしをつなぐといった観点から考えた場合、賞の記事へ飛ぶためのリンクがあれば十分かもしれませんが、先代次代ないし、受賞者一覧テンプレートがあっても良いのではないかと思います。--Tiyoringo 2008年10月5日 (日) 10:47 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。具体的に言うと星野仙一さんの項目です。最後の方を見ていただければ、なに、これ?と思う方も多いのではと思います。これを見て、監督なら一部スポーツや映画・テレビなど限られるので、人、団体、作品など、かなり広い範囲になる賞をお題にして質問した次第です。--Cee 2008年10月5日 (日) 16:59 (UTC)[返信]

星野仙一さんの記事、拝見しました。この方は非常に有名であり、この記事の末尾でテンプレ表示されている以上の数多くの役職、講演、記録、受賞、の経験があるはずです。そういうなかで、ある程度何らかの選別が行われた上で、これら数点のテンプレが置かれているのだろうな、と思います。これらの情報は基本的にディープな野球ファンでなければ、どうでもいい類の情報でしょう。ですが逆にディープな野球ファンにとってみれば、それなりに意味ある情報とも言えるのだと思います。私はスポーツファンではありませんが、スポーツファンの間で背番号の変化や監督の交代などが結構重要なこととして語られているのは目にします。こうしたところから記事のあり方に対する選好の違いがでてくるのでしょう。とりあえずウィキペディアの記事は、そのほぼすべてが「各分野のディープなファン」というのが主要な執筆の担い手になっています。ですから、普通の人間から見たら大抵どのページも無駄に冗長です。こういう冗長性が不満なのなら、基本的に、表示にパターンを用意する、という方向を探るのが一番現実的ではないかな、と私は思います。というのも、情報を削ってくれ、というのをドンドンやってしまうと、おそらくウィキペディアは何一つ面白くなくなってしまうだろうからです。
とりあえずこの点について参考になるであろうサイトとして、Encyclopedia of Lifeがあります。これは小学生から分子生物学の研究者までが使えるような、全生物についての百科事典を目指して動いているプロジェクトです(注目は集めているものの中身は依然としてほとんど空っぽなのですが)。このサイトでは表示される情報のレベルを設定できるようになっており、大雑把に言って、子供、ふつうの大人、専門家、という三種類の読者が想定されてレベル分けされています(→設定ページ)。ちなみに、このサイトでは情報についても、その信頼性に応じた表示設定が出来るようになっています。完全に権威付けされた情報のみを表示する、という選択肢と、権威付けされてない情報でも表示させる(具体的にはウィキペディア英語版のこと)という選択肢、この二つの中からオプションを設定できます。以上、長くなってしまいましたが、何かのご参考になれば。--Was a bee 2008年10月5日 (日) 20:11 (UTC)[返信]