Wikipedia:井戸端/subj/あらすじを書くコスト・手順について
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あらすじを書くコスト・手順について
[編集]最初に、映画や小説などのあらすじを執筆をしている人たちに感謝と尊敬の気持ちを伝えたいと思います。
たまたま、映画『ニュースの天才』を見た後、日本語版のあらすじの間違いに気付きました。「社員」を「社長」に、「親戚」を「兄弟」に修正しました。本当は、「大手コンピューターメー カー」ジーク・マイクロニクス社を「ソフトウェア会社」か「IT企業」に直したいのですが、既に録画は消去してしまったので確認できずに、今に至っています。英語版は正しいように見えます。(だったら、翻訳すればいいのに。)
そこで、今回、お尋ねしたいのは、映画や小説のあらすじを書くのに、要した時間や実際の手順についてです。映画は2回以上見てあらすじを執筆しているのでしょうか?時間にすると、最低でも4時間以上かけて。
それとも、単一、または、複数の映画データベース・サイトのあらすじを、著作権侵害にならないように考慮しながら、執筆しているのでしょうか?映画データベース・サイトでは結末までは書かれていないのが普通ですから、途中からはゼロからの執筆になります。
いつかは、邦画の抜けているあらすじを執筆したいと考えていますが、それに要するコスト(時間や労力)を考えると、少し途方に暮れています。何かコストをかけない上手い方法はないのでしょうか?--ワーナー成増(会話) 2014年9月16日 (火) 22:27 (UTC)
- コメント まず、批評、解説などの参考文献を集めるのが、近道かと思います。重要な場面をおさえておけば、2回目からは部分の確認だけですみます。あらすじも、その重要な場面と、それの説明に必要な情報だけにすることで、簡潔なものにできます。 --Yhiroyuki(会話) 2014年9月17日 (水) 15:57 (UTC)
- コメント 私の場合は、基本的には作品そのものを見て自分の文章で書きます。データベースサイトなどを見ると、結局似たような文章にしてしまい、無意識にパクリをやらかす危険がありそうだと感じるので。一旦自分の記憶で書いたあとに公式サイトやデータベースなどを見て、人物名や設定の間違い、話の流れを確認して修正に利用します。上映中の映画ではだいたい1回見ただけで書きますので、そういう感じになりますが、ウェブの宣伝記事など複数のものをチェックして見直せば、そう外さないで済むと思います。個人ブログの感想文なども、見落とした部分のチェックという意味では使えます(決して頭から信じたり、文章を拝借したりしてはいけませんが)。テレビドラマの場合も同じようにしていますが、結局録画をもう1、2回くらいは見てしまいますね。--Garakmiu2(会話) 2014年9月17日 (水) 18:52 (UTC)
- コメント 私はあまりやったことがない上にマンガですが、読みながら執筆しています。はっきり申しますと映画なら文献を探すより見た方が早いです。映画なんて、所詮2時間程度じゃないですか(連ドラやマンガ・アニメですとぞっとしますが)。まあ見ながら書くと大抵の人は冗長になってしまうと思います。そこから、些末な部分を除去するかキャラ紹介に入れたり、うんぬんかんぬんする作業に入ります。できれば二次資料をまとめた方がそりゃァ良いのですが、ストーリーを頭から終わりまで網羅している二次資料が手に入るかどうかが問題ですし、またそれを手に入れたとしても(実は映画ならそう難しくは無い)それはまとまりすぎていて、それを参考に執筆すると「これって著作権的にまずくない?」と言うことになったりします。なお、適度なタイミングでrefで参照箇所情報を放り込むと、検証が行いやすくなります。DVDならxxx版n分頃、とかになりますし、漫画なら○巻○話、になるでしょう。大した手間ではないでしょうから、是非励行して頂きたいです。--Hman(会話) 2014年9月19日 (金) 02:29 (UTC)
- コメント 今ドラマ記事に初挑戦中ですが、あらすじをちゃんと書こうと思うとやっぱり何度か見ることになりますね。プロット (物語)を各話単位できっちり書くと見慣れていない人には冗長に見えるかも知れませんが、実はそれでもはしょりすぎだったりします。Garakmiu2さんと同様に個人サイトもチェック用には使えると考えますし、個人的にはYhiroyukiさんがあげられた批評・解説も同様の評価です(全体を見てから別目的で書いているため、あらすじについては的外れな事も多いので)。ということで、Hmanさんの言われるぞっとする作業をやっています。真面目に書こうとしたのが運の尽きって事で諦めました。--Open-box(会話) 2014年9月19日 (金) 04:24 (UTC)
- マンガでしたらまだしも、連ドラ/アニメなどは地獄でしょうね。11回で終わったとしてもそれの25分なり45分掛けですか・・・。ちなみに私は、二次資料だけ見てあらすじを書くのも乱暴なのではないかと思っています。一次資料が手に入らない、入りにくい、もしくは執筆者個人の環境では手に入りにくい場合はやむを得ないですが、普通にDVDレンタルなりネカフェなりで参照できるものでしたら、両方参照しながら、と言うのが一応、理想的な執筆手法だと思います。Open-box氏のご指摘通り、二次資料はあらすじの執筆とは別目的の資料となりますので、それに100%依存して書いてしまうと頓珍漢なものに仕上がってしまう可能性が・・・。フィクション作品のあらすじのみのお話ではなく、例えばある資料をもとに執筆した箇所があれば、その資料で参考資料として挙げている資料にも、一応目は通しておくのが、理想であると考えて居ます。今は忙しいなら例え後日ででも、ですね(つまり検証可能とするだけではなく、執筆者自身も投稿前に可能な限り検証をするのです)。とは言え我々が余暇にjawpに使える時間は有限です。予算だってそうです。ですから以上はあくまで変態による理想論です。--Hman(会話) 2014年9月19日 (金) 04:43 (UTC)
- コメント 今ドラマ記事に初挑戦中ですが、あらすじをちゃんと書こうと思うとやっぱり何度か見ることになりますね。プロット (物語)を各話単位できっちり書くと見慣れていない人には冗長に見えるかも知れませんが、実はそれでもはしょりすぎだったりします。Garakmiu2さんと同様に個人サイトもチェック用には使えると考えますし、個人的にはYhiroyukiさんがあげられた批評・解説も同様の評価です(全体を見てから別目的で書いているため、あらすじについては的外れな事も多いので)。ということで、Hmanさんの言われるぞっとする作業をやっています。真面目に書こうとしたのが運の尽きって事で諦めました。--Open-box(会話) 2014年9月19日 (金) 04:24 (UTC)
- マンガや小説のようなテキストベースの作品と、映画やアニメのような映像作品とでは、事情が異なると思うのですが、いかがでしょうか。小説は完全にテキストですし、マンガはセリフがテキストになっていますので、あらすじを書くのは容易でしょう。しかし、映画やアニメの場合、その作品を見ただけでは固有名詞等の文字表記は皆目わからないと思います。「基本的には作品そのものを見て自分の文章で書きます」と言っている方もいますが、見ただけでいったいどうやってあらすじを書いているのでしょうか? 登場人物の名前の表記くらいならエンドロール見ればわかるかもしれませんが、それ以外の映画内の固有名詞や単語の表記なんてパンフレットやら2次資料がないと事実上無理だと思うのですが。耳でセリフを聞いただけで、正確な日本語表記ができるとは到底思えませんし。テレビ放映時に「字幕放送」で日本語表記が確認できる場合もありますが、テレビ局で独自に字幕をつけている場合は担当が耳でセリフ聞いて字幕化しているため、実際とは異なる表記になる場合もあります(最近の著名な例では『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の「フィールド反射膜」が『金曜ロードSHOW!』側の字幕で「インドハシャマス」と表記された、など)。テレビ局の字幕担当者ですら間違うのに、一般人が耳で聞いただけで正確な日本語表記ができるとは思えないんですが。--126.197.127.83 2014年9月23日 (火) 14:26 (UTC)
- もちろん、公式サイトやパンフレット、データベースサイトなど二次資料もサイドに置いて参考にしつつ書いてますよ?それから、 映像作品を見てあらすじを書くときに描写されるのは、テキストつまり台詞だけでなくて、映像の中のキャラクターのふるまいとかカメラワークなどの読み取りも含めた「話の流れ」です。たとえば映画など、極端な話「男」と「女」が都会の街角で出会い、その後オープンカーに乗り荒野を走りぬけてゆく…という映像があったとして、「男」「女」の名前は作中で呼ばれず、街の名前もオープンカーの車種も分からない、それどころかここまでの場面に一切の台詞がない、という作品もありえますが、これであらすじが書けないということはありません。「都会の夜の街を歩いていた男は、街角で女と出会う。場面は変わり、男は女をオープンカーに乗せて荒野を走る」と書けばいいのです。「男」の名がジャック、「女」の名がエミリー、都会の街角がニューヨーク、オープンカーの車種がロードスターだと二次資料に書いてあれば、あとからそれを出典に付けて補足するわけです。例に挙げられたエヴァのテレビ放送については、特殊な間違いだとは思いますが、字幕を付けてる側だって人間なので間違いは犯すでしょうし、それが間違いであれば二次資料を確認した人が補足していけばいいわけで、Wikipediaのシステムはそれがやりやすい仕組みだと思うんですよね。耳で台詞を聞きとることについては、あらすじは会話文を一字一句間違えずに写さないといけないわけではない(というかそれは著作権侵害のおそれがあるのでやってはいけない)ので、おおまかな流れをポイントを外さずに読み取れるリテラシーがあればいいのではないでしょうか。同じく、映像で出てきた人物の名前などを覚えておけるかどうかについては、同様に個々人の記憶力がものを言う、ということになるでしょうが、Wikipedia:検証可能性が満たされていれば問題はないと思います。--Garakmiu2(会話) 2014年9月23日 (火) 16:14 (UTC)
- はい、おっしゃる通りです。特にクレジットの無い人名などは、是非二次資料が必要な場合もありますね。ですが二次資料だけではあらすじがわからない場合も非常に多い。ですから、時間や予算が許す限り、適切に組み合わせて、ベストなものを書く。これが結論になると思います。こういった基本姿勢は、もちろん、媒体は問いません。私は映画のあらすじは書いた事はありませんが、恐らく完全なプロットを書いてから、そしてそれを再度一次資料・二次資料でチェックしてから、要約にかかるでしょう。また個人的なことなのですが、私は記事の書き方を少なくとも二通り持っています。完成形が容易に想像できる場合には、本を積みながらガリガリ書きます。ファイルはxxxx.txt一つだけです。ところがそうではない場合、つまり非常にややこしいことになったり、資料の入手時期がバラけそうになりそうな場合には、xxxxMemo.txtを作り、それを参照しながら、最終的にxxxx.txtを仕上げ、上梓します。メモをテキストではなくDBで行っている方もいらっしゃるでしょう。「効率的な書き方とは」と言う意味では、色々なパターンがあるんでしょうね。予算と時間に余裕があれば「ノーパソと予備バッテリ持って図書館籠城」は割と最強です。が、アニメマンガ映画ドラマなどには、余程メジャーでない限り、使いづらいですね。--Hman(会話) 2014年9月23日 (火) 16:21 (UTC)
- たまたまですが、私としては珍しく、そして久し振りですが、山田亮と言う記事で、1時間の動画を出典に加筆を行いました(全体的な品質はまだまだです。まだまだ文献はあるでしょうから、完成度は2割3割ですので、そこはツッコまないでください・・・新喜劇は関連文献を地道に集めてローカルで地道に充実させている所です)。えー・・・「時間の明記は非常に大変」でありかつ「1時間以上のもので時間の明記無しにしてしまうと検証が困難にも程がありヘタをすると不可能とも言われかねない」、と思いました^^;。生産性と冗長性を考えますと、このペースで「何分頃」が出てくる感じの使い方であれば、Template:Cite videoは使いたくないですね・・・。数が1/5くらいであれば、互換性の問題もあり、前向きに検討しますけど。--Hman(会話) 2014年9月23日 (火) 19:57 (UTC)
- うーん、あの字幕担当者は特別でしょう…。フィールド反射膜を聞き間違えた人は誰一人として居なかったと思いますよ。すぐに話題になりましたし。まぁ、確かに、聞き取りづらい固有名詞はあります。しかしそれは大抵「無理してその固有名詞を使わない」か「何度か聞きに(あるいは画面上に探しに)映画館に通う」かすれば解決します。そもそも「何回見ても表記がわからない固有名詞」なんてものは「そもそも理解不要な、雰囲気作りの小道具」に過ぎないんです。そこに躓く必要はそもそもないんです。モブキャラの設定上だけの名前なんてあらすじには要らないようにね。もちろん、映画のパンフレットなんかは参考にはしますが、割といい加減な内容ですからあまり頼りにはなりません。登場人物の名前すら間違っていたり。--氷鷺(会話) 2014年9月23日 (火) 16:28 (UTC)
- 126.197.127.83です。僕の例示したのがインドハシャマスだったせいで「聞き取りづらい」固有名詞のみを問題にしていると思われてしまったのであればひじょうに申し訳ないんですけど、僕の言いたいのは「聞き取りづらい」固有名詞だけを問題視した意見というわけではなく、聞き取りづらかろうが聞き取りやすかろうが基本的に作品内の固有名詞の日本語表記など耳で聞いただけではわからないのではないかということです。「「何回見ても表記がわからない固有名詞」なんてものは「そもそも理解不要な、雰囲気作りの小道具」に過ぎないんです。そこに躓く必要はそもそもない」ってほんとうにそう割り切ってしまっていいんでしょうか……? 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を例に出してしまったので、それで話を続けますが、作品内では主人公が人造兵器と思しき機体に乗り込んで、敵と戦います。これは明らかに本筋にかかわる部分ですので、あらすじに書かざるを得ない情報だと思います。さて主人公が乗り込む機体の日本語表記は、どれがふさわしいでしょうか。
- (1) エバンゲリオン
- (2) エヴァンゲリオン
- (3) エヴァンゲリヲン
- (4) ヱヴァンゲリオン
- (5) ヱヴァンゲリヲン
- 映画のタイトルは「ヱヴァンゲリヲン」表記だから(5)が正解と思いきや、正解は(2)なんですが、こんなもの耳で聞いただけでわかるわけないでしょう? 登場人物が略称として「エバー」と言ってるように聞こえるくらいですし、(1)だと思ってた人もいるでしょうし…。 日常世界を舞台としていないSF作品なんかは特にそうだと思いますが、耳で聞いただけで日本語表記が分かる固有名詞など存在しないと思うのですが。「あらすじは会話文を一字一句間違えずに写さないといけないわけではない」ってそれはそのとおりなんですが、僕の言いたいのはそういうことではなく。映像作品の場合、あらすじを書くときに避けて通れないような重要な固有名詞もあるでしょうが、その場合、耳で聞いただけではどのように日本語表記するかなんて絶対わかりっこないのですから、パンフレットやら2次資料がないと事実上無理ではないかということです。日本語の場合、かたかな、ひらがな、ローマ字、漢字、同音異字、「ヴァ」と「バ」、発音しない文字(なかぐろ、とか)、など、いろんな表記にかんする要素があるわけで、耳で聞いただけで日本語としての正確な表記を書ける人など存在するはずがないと思うのです。(これはヱヴァではありませんしあらすじに必要不可欠ともいいがたく映像作品でもないですが)同音異字の例としていいますと、たとえば「tokyo」という地名を音を聞いたとしても、それを文字で日本語表記する場合に一般的な「東京」でよいのか、「トーキョー」(=『ドラえもん』など。ドラえもん世界中の22世紀では「トーキョーシティー」表記)なのか、あるいは「凍狂」(うすた京介作品など)なのかは、耳だけで判断つかないでしょう。--126.249.119.76 2014年9月23日 (火) 21:41 (UTC)
- 126.197.127.83です。僕の例示したのがインドハシャマスだったせいで「聞き取りづらい」固有名詞のみを問題にしていると思われてしまったのであればひじょうに申し訳ないんですけど、僕の言いたいのは「聞き取りづらい」固有名詞だけを問題視した意見というわけではなく、聞き取りづらかろうが聞き取りやすかろうが基本的に作品内の固有名詞の日本語表記など耳で聞いただけではわからないのではないかということです。「「何回見ても表記がわからない固有名詞」なんてものは「そもそも理解不要な、雰囲気作りの小道具」に過ぎないんです。そこに躓く必要はそもそもない」ってほんとうにそう割り切ってしまっていいんでしょうか……? 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を例に出してしまったので、それで話を続けますが、作品内では主人公が人造兵器と思しき機体に乗り込んで、敵と戦います。これは明らかに本筋にかかわる部分ですので、あらすじに書かざるを得ない情報だと思います。さて主人公が乗り込む機体の日本語表記は、どれがふさわしいでしょうか。
- すみません、上で挙げた例が分かりにくいかもしれないので追記しますが、たとえば映画『メン・イン・ブラック』では、主人公がある架空の組織に所属します。これはあらすじ上避けて通れない部分だと思います。彼が所属する組織は耳では「エムアイビー」と聞こえますが、これを日本語表記する場合、「MIB」なのか「mib」なのか「MiB」なのか「M.I.B.」なのか「m.i.b.」なのかは、(字幕版の映画を見ない限りは)パンフレットや二次資料を見ないと絶対わからないと思うんですよ。音を聞いただけで大文字か小文字かまでわかるわけがありませんし、架空の固有名詞である以上はどんな表記でもありえるわけですから。--126.249.119.76 2014年9月23日 (火) 21:50 (UTC)
- コメント 誰も「映像作品のみを視て粗筋を書け」と言っている方はいません。誰も言っていないことに長々と反論する必要はありませんよ。--123.220.9.32 2014年9月23日 (火) 23:24 (UTC)
- 「映像作品のみを視て粗筋を書け」と言っている人はいませんが、「基本的には作品そのものを見て自分の文章で書きます」「上映中の映画ではだいたい1回見ただけで書きます」と言っている人はいます。上映中であろうが上映中でなかろうが、映像作品をただ見ただけでは固有名詞の文字表記法などわからないから、あらすじ書くことなどできないだろう、と思ったからです。ただ、そのあとGarakmiu2さんとHmanさんからは、具体的なやり方の一例を出していただけたので、なるほどそれならわかります、と思った次第です。--126.155.47.133 2014年9月27日 (土) 20:57 (UTC)
- コメント そうですね、誰も「見た(聞いた)だけ」であらすじを書くなんて一度も言っていませんが、なんでそんな話になっているのでしょうか。--氷鷺(会話) 2014年9月24日 (水) 16:24 (UTC)
- 「「見た(聞いた)だけ」であらすじを書く」と言っている人はいませんが、あらすじ内の表記について「「無理してその固有名詞を使わない」か「何度か聞きに(あるいは画面上に探しに)映画館に通う」かすれば解決します」と豪語している人はいます。映画館に通いつめ、耳で何度聞いたところで、日本語での文字の表記法が分かるとは思えませんので、つい長々と意見を書かせていただきました。「あらすじ」でどのように固有名詞を表記したらよいのか、という問題が、「何度か聞きに」「映画館に通」えば「解決します」とおっしゃるっているのですから、もしかすると何らかのノウハウ等があるのかもしれませんね。もしよろしければ参考にしたいと思い、ついつい長話になってしまいました。すみません。--126.155.47.133 2014年9月27日 (土) 20:47 (UTC)
- どちらかといえば、私が『大抵「無理してその固有名詞を使わない」か「何度か聞きに(あるいは画面上に探しに)映画館に通う」かすれば解決します』と言ったその前者がメインです。はっきりしないものを無理して使う(使えるように考える)よりは使わないほうが簡単で適切です。二次資料にも表記がないなら、そもそもそんなものをあらすじの中で(名前を)出す必要があるのか考え、疑うことです。たいていは、本当にあらすじ上で必要なほどのことなら、どこかにその正しい(適切な)表記があるでしょう。字幕版とか二次資料とか原作とか(もちろん原作通りでない可能性もありますが、その判断はつくはずです)。そしてあなたは気づかなかったみたいですが私は『何度か聞きに(あるいは画面上に探しに)映画館に通う』と書いています。音ではなくてもどこかに文字で書かれていたりする場合だってあるのですよ。小道具として文字が多用されている作品についてはとても有用な方法です。--氷鷺(会話) 2014年9月28日 (日) 09:36 (UTC)
- 「「見た(聞いた)だけ」であらすじを書く」と言っている人はいませんが、あらすじ内の表記について「「無理してその固有名詞を使わない」か「何度か聞きに(あるいは画面上に探しに)映画館に通う」かすれば解決します」と豪語している人はいます。映画館に通いつめ、耳で何度聞いたところで、日本語での文字の表記法が分かるとは思えませんので、つい長々と意見を書かせていただきました。「あらすじ」でどのように固有名詞を表記したらよいのか、という問題が、「何度か聞きに」「映画館に通」えば「解決します」とおっしゃるっているのですから、もしかすると何らかのノウハウ等があるのかもしれませんね。もしよろしければ参考にしたいと思い、ついつい長話になってしまいました。すみません。--126.155.47.133 2014年9月27日 (土) 20:47 (UTC)
- コメント ウィキペディアでの特筆性は、原則的には2次資料の存在によって保障されます。さらに、作品についての解説を書くならば2次資料の出典は必須です。当然この節でも、2次資料の存在と活用は自明の上で話されています(実際に質問者・回答者もその旨は述べているはずです)。貴方の回答(音声を文字に起こす時の注意事項)は、サブカル系によくいる、「1次資料(作品そのもの)を元に登場人物や登場アイテムのプロフィールをダラダラと書き連ねるしか芸の無いオタク執筆者」には参考になるかもしれませんが、この節では、そのような事を取り上げているのではないのですよ。--123.220.9.32 2014年9月28日 (日) 02:40 (UTC)
- 「解説を書くならば2次資料の出典は必須です。当然この節でも、2次資料の存在と活用は自明の上で話されています」というご意見に安心いたしました。つまり、あらすじを書く際には、当然のことながら「2次資料の出典は必須」ということなのですよね。安心しました。僕が「見ただけでいったいどうやってあらすじを書いているのでしょうか?(中略)パンフレットやら2次資料がないと事実上無理だと思う」とコメントしたところ、「大抵「無理してその固有名詞を使わない」か「何度か聞きに(あるいは画面上に探しに)映画館に通う」かすれば解決します」と言い出した人がいて、ひじょうにびっくりしたからです。「そのとおりです。2次資料がなければ書けませんよね」という返答がくるのだろうなぁと予想していたら、まさかの「「何度か聞きに(あるいは画面上に探しに)映画館に通う」かすれば解決します」という想像しなかった回答に、少しほうけてしまったようです。まさか2次資料を使わない解決法を提示されるとは思わなかったので。さて、123.220.9.32さんのコメントのとおりだとすると、あらすじの執筆には「2次資料の出典は必須」であり、氷鷺さんも含めこの節でコメントしている人は「2次資料の存在と活用は自明」という立場ということでよいのですよね。それならば僕には全く異論ありません。--126.248.2.196 2014年9月28日 (日) 05:05 (UTC)
- 情報 横から失礼します。あらすじの執筆に2次資料の出典が必要がどうかは、ウィキペディアンの中でも意見が分かれていると思います。たとえば、氷鷺氏のように、あらすじの執筆には2次資料は必要ないと主張する人もいます。映画のあらすじを執筆することについて、かつて氷鷺氏は「映画作品そのものが出典であり、決して『執筆に当たって書籍、雑誌、新聞など何らかの媒体を出典として記述』のような真似はしておりません。そもそもそんな手法は事実上不可能でしょうし、『個人的に理解した内容、あるいは個人的なレビューや個人的な感想みたいなもの』は排除してありますから問題ない」とコメントしています。そのうえで氷鷺氏は「単純に二次資料至上主義のような主張をされる方もたまに見られますが、当然あるべき注意のもとでは一次資料もまた出典たりえる」と主張したうえで「法令や規格などについての記事では、その解釈や評価といった発展的な解説について主に二次資料に頼るのが当然ですが、原文や原典である記述については原文(一次資料)が出典になりえます。フィクションについてもそれと同じことだと考えてください」との持論を展開しています。つまり、氷鷺氏は、映画を観たうえで、その作品そのものを1次資料としてあらすじを執筆するのは問題ないと主張したうえで、ご自分があらすじを執筆する際には書籍、雑誌、新聞などの2次資料を出典としては使わない、としています。氷鷺氏は、解説を執筆する際の2次資料の使用まで排除しているわけではありませんが、あらすじの執筆であれば2次資料なしでも可であるとしています。123.220.9.32さんは「解説を書くならば2次資料の出典は必須です。当然この節でも、2次資料の存在と活用は自明の上で話されています(実際に質問者・回答者もその旨は述べている」と言っていますが、より正確に言えば、氷鷺氏の場合は「解説を書くならば2次資料の出典は必要だが、あらすじを書くならば2次資料の出典は不要」と考えているというのが正しいでしょう。--111.188.58.170 2014年9月28日 (日) 06:31 (UTC)
- コメント あなたは話の内容を理解できていないようですね。それでは誤解か捏造です。あらすじという文章を構成するのに二次資料は不要ですが、人名などの固有名詞(やその表記)、複雑な世界背景や設定などの確認には二次資料が有用です。あらすじそのものについて、それが作品そのものを出典としている場合(そしてそのバリエーションの差異についても問題がないか、明白であれば)出典は不要ですが、たとえば作中では明らかにされていない名前(フルネーム)とか、表記ゆれなどの問題があるものについては(字幕版だったり二次資料の)出典をつける必要があるでしょう。--氷鷺(会話) 2014年9月28日 (日) 09:02 (UTC)
- 情報 横から失礼します。あらすじの執筆に2次資料の出典が必要がどうかは、ウィキペディアンの中でも意見が分かれていると思います。たとえば、氷鷺氏のように、あらすじの執筆には2次資料は必要ないと主張する人もいます。映画のあらすじを執筆することについて、かつて氷鷺氏は「映画作品そのものが出典であり、決して『執筆に当たって書籍、雑誌、新聞など何らかの媒体を出典として記述』のような真似はしておりません。そもそもそんな手法は事実上不可能でしょうし、『個人的に理解した内容、あるいは個人的なレビューや個人的な感想みたいなもの』は排除してありますから問題ない」とコメントしています。そのうえで氷鷺氏は「単純に二次資料至上主義のような主張をされる方もたまに見られますが、当然あるべき注意のもとでは一次資料もまた出典たりえる」と主張したうえで「法令や規格などについての記事では、その解釈や評価といった発展的な解説について主に二次資料に頼るのが当然ですが、原文や原典である記述については原文(一次資料)が出典になりえます。フィクションについてもそれと同じことだと考えてください」との持論を展開しています。つまり、氷鷺氏は、映画を観たうえで、その作品そのものを1次資料としてあらすじを執筆するのは問題ないと主張したうえで、ご自分があらすじを執筆する際には書籍、雑誌、新聞などの2次資料を出典としては使わない、としています。氷鷺氏は、解説を執筆する際の2次資料の使用まで排除しているわけではありませんが、あらすじの執筆であれば2次資料なしでも可であるとしています。123.220.9.32さんは「解説を書くならば2次資料の出典は必須です。当然この節でも、2次資料の存在と活用は自明の上で話されています(実際に質問者・回答者もその旨は述べている」と言っていますが、より正確に言えば、氷鷺氏の場合は「解説を書くならば2次資料の出典は必要だが、あらすじを書くならば2次資料の出典は不要」と考えているというのが正しいでしょう。--111.188.58.170 2014年9月28日 (日) 06:31 (UTC)
- 氷鷺さんから「表記ゆれなどの問題があるものについては(字幕版だったり二次資料の)出典をつける必要がある」というコメントがありましたので、ひじょうに安心しました。作品そのものを出典した場合に生じる問題の一例として、僕が「耳で聞いただけで表記できないような固有名詞はどうするのか」という問題を提起したら 、氷鷺さんは当初「「何度か聞きに」「映画館に通」えば「解決します」などと言い出すものですから驚きましたよ。(「耳で聞いてもわからない単語は書けないよ?」→「何度も聞けば解決する!」ってそんな精神論で回答されても。島本和彦作品じゃないんですから)。つまり、氷鷺さんのおっしゃりたいことは 要は
- ①あらすじを書く際には出典が必要
- ②作品そのものを出典とするだけではなにがしかの問題がある場合は、二次資料の出典も必要
- ということでいいですよね? ただ、僕は再三「パンフレットやら2次資料がないと事実上無理ではないか」と申し上げていますとおり、②については「作品そのものを出典とするだけではなにがしかの問題がある場合は、作品そのもの以外の一次資料や、二次資料の出典も必要」というのがより妥当なのかなと思っています。パンフレットは2次資料には含まれないでしょうが、「作中では明らかにされていない名前(フルネーム)とか、表記ゆれなどの問題」を解決する役には立つと思います。氷鷺さんは「映画のパンフレットなんかは参考にはしますが、割といい加減な内容ですからあまり頼りにはなりません。登場人物の名前すら間違っていたり」など、パンフレットを出典とすることには否定的なようですが、パンフレットの信頼性は個々の作品ごとケースバイケースでしょうから、それを言っても始まらないと思います。--126.155.48.59 2014年9月28日 (日) 20:46 (UTC)
- いや勝手に捏造するなと言っているでしょう。あなた大丈夫ですか? あらすじを書く際には基本的に出典は不要です。「必要に応じて使えばよい」のであって、「必要」ではない。この違いは分かりますか。個々の語句の表記確認など、普段文章を書く際に辞書を使うのと同様で、「あらすじの出典」ではありませんし、語句(表記)の出典も基本的には不要です(それこそ誤訳・誤字や表記揺れでもなければ)。そもそも私は「作品自体を見ても表記が分からない程度の“どうでもいい”固有名詞を無理して使うな」と言っています。いや仮に必要だとしても、表記が分からなければとりあえずカタカナで書いておけば問題ありませんし、常識的に考えれば済む話です。ついでにもう一つ言うと、私は『何度か聞きに(あるいは画面上に探しに)映画館に通う』と言っています。人名は少なくともスタッフロールで解決します。スタッフロールに名前が出ない程度の登場人物は、あらすじに名前を出す必要はありません(「男」「通行人」「村人」「何者か」などで十分)。そして作中でも(あらすじで必要な程度の情報は)明確に、あるいは小道具としてどこかに表示されていることは珍しくありませんから、2回、3回、4回と見れば発見できる可能性が高いです。くりかえしますが「あらすじを書く際には出典が必要」とは言っていませんので、捏造しないように。--氷鷺(会話) 2014年9月29日 (月) 13:32 (UTC)
- すみません「作品そのもの」も、出典に含まれるのではないのですか? もちろん作品そのものを出典とする場合、わざわざそれを脚注に「明記する」必要まではないと思いますが……。氷鷺さんは「あらすじを書く際には基本的に出典は不要」とおっしゃっていますが、それは「作品そのものを一切観ることなく、パンフレットなど他の一次資料を目にすることもなく、さらには二次資料を参照することもなく、ただ単に憶測と想像のみであらすじを書いてもかまわない」とおっしゃっているのですか? 仮にパンフレットや二次資料を参考にしなくとも、最低限作品そのものくらいは典拠としているのではないのでしょうか。そのうえで、もしも作品そのものを典拠としただけではなにか問題があるような場合には、パンフレットや二次資料を参考にする、ということではないんですか。--126.251.95.150 2014年9月30日 (火) 14:15 (UTC)
- ふざけているのならその辺で止めてください。それで真面目にやっているつもりなら、ウィキペディアの活動をやめてください。--氷鷺(会話) 2014年9月30日 (火) 14:42 (UTC)
- すみません、ふざけているつもりなど毛頭ありませんし、そのように受け取られているのであれば失礼いたしました。しかし、氷鷺さんは「あらすじを書く際には基本的に出典は不要」とおっしゃいますので、作品そのものを出典にせず、パンフレットなど他の一次資料も出典にせず、二次資料も出典にせず、いったいどうやってあらすじを書けるというのか確認したく質問したのです。--126.196.93.51 2014年9月30日 (火) 15:38 (UTC)
- ふざけているのならその辺で止めてください。それで真面目にやっているつもりなら、ウィキペディアの活動をやめてください。--氷鷺(会話) 2014年9月30日 (火) 14:42 (UTC)
- 質問 横から失礼します。氷鷺さんは「勝手に捏造するなと言っているでしょう。あなた大丈夫ですか?」などと他者を激しい口調で批判なさっていますが、具体的にどの箇所が問題なのでしょうか。2014年9月28日 (日) 20:46のIPの方のご発言のうち、主要部分は「氷鷺さんのおっしゃりたいことは 要は①あらすじを書く際には出典が必要②作品そのものを出典とするだけではなにがしかの問題がある場合は、二次資料の出典も必要」かと思いますが、この部分でしょうか。しかし、氷鷺さんの2014年9月28日 (日) 09:02のご発言(及びここまでのご発言)をお読みする限り、おおむね妥当のように見受けられますがいかがでしょうか。たとえば、氷鷺さんの2014年9月28日 (日) 09:02のご発言では「あらすじそのものについて、それが作品そのものを出典としている場合」について述べており「たとえば作中では明らかにされていない名前(フルネーム)とか、表記ゆれなどの問題があるものについては(字幕版だったり二次資料の)出典をつける必要がある」と発言なさっていますよね。傍から見ていますと、IPの方の要約との間で趣旨の差異は特段見受けられないと思われますが、いかがでしょうか。--111.188.20.179 2014年9月30日 (火) 20:36 (UTC)
- 質問 また、 2014年9月23日 (火) 16:28 (UTC)のご発言について釈明しておられますが、ではなぜ「『何度か聞きに(あるいは画面上に探しに)映画館に通う』かすれば解決します」などと回答したのでしょうか。画面上に探す例しか挙げられないようですが、なら最初から「画面上に探しに映画館に通う」と回答すればいいだけであって、わざわざ「何度か聞きに(あるいは画面上に探しに)映画館に通う」などと回答する必要性が見いだせないと思いますがいかがでしょうか。まして、今回は、耳で聞いただけでは識別不可な単語表記はどうするのかという趣旨の問いなのです。前提として「聞いてもわからない」単語について質問されているのに、「何度か聞きに」「映画館に通」えば「解決します」などと返答するのは、人によってはふざけていると取られかねない回答姿勢だと思います。IPの方はあまり問題視されていないようですが、2014年9月23日 (火) 16:28 (UTC)のご発言が適切さを欠いていることは明らかでしょう。もし仮に「画面上に探しに映画館に通う」ではなく、あえてわざわざ「何度か聞きに(あるいは画面上に探しに)映画館に通う」と回答する方が適切だとおっしゃるのであれば、具体的な根拠をお示しいただければと思います。--111.188.20.179 2014年9月30日 (火) 20:36 (UTC)
- 最早質問者氏の疑問は解決し、かつ周囲のコンセンサスもおおよそのところで得られているものと見なせます。言葉尻を捉えて云々ネタはこういった公の場で行うではありません。せめてノートまたは会話ページ、もしくはメールでの個人的なやりとりへの移行を強くお勧め致します(ただし、第三者である管理者より付きまといまたは嫌がらせと判断される可能性もあります)。なお、wikipediaには(途轍もなく重要な事でない限り)全レスの義務などはありませんので、氷鷺氏は不要と思えばいつでもレスをスルーすることができます。誰もそれを咎めません。皆さん、時間は有限です。是非とも有意義に使いましょう。--Hman(会話) 2014年9月30日 (火) 22:26 (UTC)
- すみません「作品そのもの」も、出典に含まれるのではないのですか? もちろん作品そのものを出典とする場合、わざわざそれを脚注に「明記する」必要まではないと思いますが……。氷鷺さんは「あらすじを書く際には基本的に出典は不要」とおっしゃっていますが、それは「作品そのものを一切観ることなく、パンフレットなど他の一次資料を目にすることもなく、さらには二次資料を参照することもなく、ただ単に憶測と想像のみであらすじを書いてもかまわない」とおっしゃっているのですか? 仮にパンフレットや二次資料を参考にしなくとも、最低限作品そのものくらいは典拠としているのではないのでしょうか。そのうえで、もしも作品そのものを典拠としただけではなにか問題があるような場合には、パンフレットや二次資料を参考にする、ということではないんですか。--126.251.95.150 2014年9月30日 (火) 14:15 (UTC)
- いや勝手に捏造するなと言っているでしょう。あなた大丈夫ですか? あらすじを書く際には基本的に出典は不要です。「必要に応じて使えばよい」のであって、「必要」ではない。この違いは分かりますか。個々の語句の表記確認など、普段文章を書く際に辞書を使うのと同様で、「あらすじの出典」ではありませんし、語句(表記)の出典も基本的には不要です(それこそ誤訳・誤字や表記揺れでもなければ)。そもそも私は「作品自体を見ても表記が分からない程度の“どうでもいい”固有名詞を無理して使うな」と言っています。いや仮に必要だとしても、表記が分からなければとりあえずカタカナで書いておけば問題ありませんし、常識的に考えれば済む話です。ついでにもう一つ言うと、私は『何度か聞きに(あるいは画面上に探しに)映画館に通う』と言っています。人名は少なくともスタッフロールで解決します。スタッフロールに名前が出ない程度の登場人物は、あらすじに名前を出す必要はありません(「男」「通行人」「村人」「何者か」などで十分)。そして作中でも(あらすじで必要な程度の情報は)明確に、あるいは小道具としてどこかに表示されていることは珍しくありませんから、2回、3回、4回と見れば発見できる可能性が高いです。くりかえしますが「あらすじを書く際には出典が必要」とは言っていませんので、捏造しないように。--氷鷺(会話) 2014年9月29日 (月) 13:32 (UTC)
- 氷鷺さんから「表記ゆれなどの問題があるものについては(字幕版だったり二次資料の)出典をつける必要がある」というコメントがありましたので、ひじょうに安心しました。作品そのものを出典した場合に生じる問題の一例として、僕が「耳で聞いただけで表記できないような固有名詞はどうするのか」という問題を提起したら 、氷鷺さんは当初「「何度か聞きに」「映画館に通」えば「解決します」などと言い出すものですから驚きましたよ。(「耳で聞いてもわからない単語は書けないよ?」→「何度も聞けば解決する!」ってそんな精神論で回答されても。島本和彦作品じゃないんですから)。つまり、氷鷺さんのおっしゃりたいことは 要は
コメントいただいた皆さん、ありがとうございます。特に、YhiroyukiさんとGarakmiu2さんの話は参考になりました。--ワーナー成増(会話) 2014年10月7日 (火) 10:19 (UTC)