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Wikipedia:井戸端/subj/「別の○○かもしれないから載せない」は有効か?

「別の○○かも知れないから載せない」ってありですか?

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こんな例を考えてください。「○野○兵衛」という歴史上の人物の記事を編集していたとします。既にその人の死因について「肺炎で死んだ」旨が書かれていたとして、それに対して別の有力な出典を見つけて「一方、落馬して死んだともされる(出典…)」という記述を追記したとします。

ところがノートで誰かが「いや、そんなはずはない。そっちの見つけた出典は“同姓同名の別の○野○兵衛”についての記述という可能性もある。だから掲載はふさわしくない」と反論して来た場合、一体どうすればよいのでしょう。

相手の側が“同姓同名の別の○野○兵衛”が当時、本当にいたことを示すのが筋だと思うんですが…。--Yoh-yoh 2008年3月19日 (水) 13:00 (UTC)[返信]

その例に限っていえば、具体的な根拠なしに「間違ってる可能性があるから」というだけで除去するというのはおかしいですね。極端な話、世に出回っているあらゆる出版物はすべて間違っている可能性があるといえるのですから。
ですが一般的な話として、ノートページにおいて合理的な議論によって情報の取捨選択をするというのはまったく問題ありません。--Niboshi 2008年3月19日 (水) 15:28 (UTC)[返信]
合意に至れず折衷案を出すとすれば両方とも『出典XのAAA、BBBで生まれたとする○野○兵衛が当人とすれば、死因はNNNとされている』の形にしちゃうのも手かもしれません。 「情報の取捨選択」とは言っても、出典そのもの(しかも内容が重複していないもの)を疑うとなると慎重になるべきかもしれません。 例えば今までみた文献のいくつかは、いくつかの参考文献や意見を冒頭に簡潔にまとめ「本稿では、Aを基準として記す」といったものも見たことがあるのですが……中立的観点のあらゆる観点からの描写を平等に扱うに抵触しないか私はビクビクしそうです。 なんにしても「何の根拠もないor根拠が自身が持つ出展との相違」を理由とするのは、根拠が弱いでしょう。--秋月 智絵沙(Chiether) 2008年3月19日 (水) 16:51 (UTC)[返信]
信頼できる情報源の判定だけで宜しいのでは?--隠者 2008年3月19日 (水) 18:02 (UTC)[返信]
歴史に関するものでは複数の資料に異なる事が記されているなんて珍しい話でもない(織田信秀の生没年程度の事ですらバラバラ)ですし、出典が明らかならば「最終的には読む側に判断を任せる」しかないんじゃないかと思います。なお、複数のソースがある場合は両論併記が基本だとは思いますが、何処かに「柱」を据えないと中立的観点以前に「内容の整合性」の点で記述がグダグダになる可能性もあるかと。--KAMUI 2008年3月20日 (木) 00:35 (UTC)[返信]
だいたいの歴史等でそういったズレはでてきますね。第2次大戦や2,30年前ですらそうなのですから。あまりに異論が多くて記事がぐだぐだしそうでしたら、一番信用できそうな説を柱にして、残りは<ref></ref>で囲んで、まとめて<references />に並べてしまう、というのもありかなと。つまり「○○年の生まれ」としておいて横にrefをつけておいて、下のほうで「ただし○○では○○年としており、また別の資料では○○年としている」という具合に書いておく、と。ただ、この方法だと、信頼性のある文章がどれか、という問題がでてきますが・・・--koon1600 2008年3月20日 (木) 03:12 (UTC)[返信]
回答ありがとうございます。質問者の意図としては、解釈の相違そのものより「別の○○かも知れないから削除」などという論法の是非についてがメインのつもりでした。
具体的に問題になっているのはもう少し複雑で、こういうケースなのです。『日韓中の交流』という書籍の中で昔描かれた図のごく一部が紹介されており、著者は単に図中のその箇所を「鶏泥棒をしている」だと解釈しています。ところが読売新聞の記事において同じ図について所蔵していた大学教授が「子どもと遊んだり鳥を追っている」様子だと評していたのです(史実云々ではなく、図そのものの解釈が争点)。WP記事で既に前者の説は記述済みだったので、後者も追記したところ「いや、後者は図の他の部分について言っている可能性もあるから載せない」などと削除されてしまったのです(併記すら認めない)。それに対して「他の鶏が描かれているのか?」と聞いてみたところ「そちらが書いた記事である以上そちらが、他の鶏が描かれていないとする出典を示せ」と反論してきました。
しかしこの理屈が通るとなると、WPの全ての記事において「そちらの示した出典は同じ名前の別の○○の可能性がある。であれば掲載すべきでない。別の○○が存在しないとする出典を示せ。出来ないだろうから削除する」といった言い分が罷り通ってしまうのではないかと危惧するのです。やはり向こうが「他の○○があるかも知れない」という仮定に基づいて記述を削除しようとしているのですから、向こうがその根拠を示すべきなのではないかと。--Yoh-yoh 2008年3月20日 (木) 07:39 (UTC)[返信]