Wikipedia:井戸端/subj/「一過性の報道」の基準とは?
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「一過性の報道」の基準とは?
[編集]記事編集の際、出典に新聞などのニュースを用いることは少なくないと思いますが、よく「一過性の報道である」ことを理由に、記述が除去されるケースを目にすることがあります。
ただ、この「一過性の報道」は、基準が曖昧な感じもします。事件や事故、不祥事、著名人の発言などに関しては、多くが報道は一過性である気がしないでもないですしね。
記事の除去理由となるような「一過性の報道」の基準はどこにあるのか、御意見をお聞かせ頂ければ幸いです。 --平成の岩窟王(会話) 2012年12月16日 (日) 05:22 (UTC)
- おおよその場合、一過性であったかどうかであるかは、過ぎ去ってみないとわかりません。何ヶ月か報道が続くのか。半年後くらいにそれに言及した本が多数出版されるのか。事件や事故を踏まえて行政・立法が明らかなかたちで動き出したりするのか。よって、一過性の些末な報道を載せないと言う立場からすれば、早急な編集は慎み様子を見るよりありません。個人的にはこの辺りは十分に様子を見てから動くスタンスです。相応の確信と情報が得られるまでは、書かない。ただしあまり締め付けすぎると一般、この場合ライトな方やIPの方の編集者の意欲を削ぐと言う考え方もあるでしょうから、よほど些末なもの以外は現場の運用である程度猶予を設けるのも良いでしょう。もちろん、事件・自己であれば先の大震災の様に、誰がどうみても一過性の報道では終わり得ないと言う重大事件もあるにはありますし、著名人であれば例えば我が子を自らの手で殺めてしまったりとか言うレベルであれば、それに該当するでしょう。不祥事についてはちょっとおもいうかびません。企業でしたら、5年後も記憶されている、即ち特記に値する不祥事はそうそう無い、と言うのが私の印象です。--Hman(会話) 2012年12月16日 (日) 05:40 (UTC)
- これは過去に何度も話題に上がっていて、見解が分かれている問題かと思います。それで、単純な答えは、「一過性の報道の基準」などというものはない、ということかなと。定義は各人ばらばらにしかならないでしょう。Hmanさんが言うとおり、一過性であったかどうかはかなり時間が経ってみないと分かりませんけど、実際には報道された直後に除去されることが多いのでは。除去した人が報道は一過性になると思っているだけなので、あまり説得力はないでしょう。常に、執筆する時点での報道量に比例して記述をバランスさせればよいのでは。事件直後は報道がたくさんありますからそれを使えばいいし、1ヵ月後には続報などもあるでしょうから、それを取り入れた上で初期の報道を基にした記述とバランスをとればよいですし、1年経ってその時点でさらに文献調査してその時点の報道量に比例して記述をバランスさせればよいだけかと。数年経っても続報が全くなく、報道が本当に一過性で特筆性がないとなれば削除依頼に出せばよいだけですし。ウィキペディアは性質上、記事ははじめから完璧である必要はなく、記事の問題点は後からいつでも修正できますので、権利侵害など関わらない限り、そういうふうに先回りして加筆を規制する必要は全然ないと思います。--Bugandhoney(会話) 2012年12月17日 (月) 21:15 (UTC)