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Wikipedia:井戸端/subj/「ウィキペディアへの自己言及」に反する表現

「ウィキペディアへの自己言及」に反する表現

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記事のページで、

というような{{notice}}テンプレートを用いた表現を見かけることがあります。(上の例は日本のパンク・ロックで用いられているものです。)

これはある編集者の個人的な意見乃至要望をテンプレートの形で他の編集者に向けて書いているものであり、閲覧者に向けてのものではなく、 Wikipedia:ウィキペディアへの自己言及によくない例として挙げられている「このページを編集する際には……」 という文章と同じ種類の表現であり、ノートページに移動するべきものだと思います。 以上の私の意見の是非について皆さんのご意見をお聞きしたいと思います。よろしくお願いします。デイナイスホテル東京会話2013年10月15日 (火) 16:39 (UTC)[返信]

それが記事の本文中であればなるほど仰るとおり、やむを得ない場合を除いて自己言及は避けるべきですが、それは注意喚起や編集者への告知用、ウチワ向けテンプレートです。本文とメンテナンス用テンプレートはある程度分けて考えるべきであると思いますが、如何ですか。何せWPは大抵いつでも書きかけなんですよ。まあ確かにそれも少ない方がいいのですが、記事が未完成の内は仕方ない、それが実情です。もしそれが禁止なら「現在ノートで○○についての議論があります」「現在保護依頼中です」などのテンプレートも置けなくなるではないですか!どうしても気になるなら(ポータビリティを気にするなら。ウィキペディアの外にそのまま持っていっても通用する様にするなら)、「Wikipediaは宣伝を」ではなく「このページは宣伝を」にすれば問題は解決します。・・・ただし、そのページそのページについて、各種テンプレートの設置が妥当かどうかについては随時話し合いが持たれるべきでしょう。
しかしまあ・・・「Wikipediaは宣伝をする場所ではありません」なんてことはいの一番に解りきっていることですので、余程特殊な事情が無い限り、わざわざ警告する必要はないでしょう。多分、このページには不要です。露骨なかたちで無名のアーチストがリストに加えられたり、また客観的な出典を伴わずに美辞麗句が並べられた際には、WPの事を解っている人がWPの記事として適切なかたちに修正すれば済む話で、事前の断りなどは不要でしょう。今この瞬間直ちにそのAmboxを除去しても、特に問題は無いと思います。--Hman会話2013年10月15日 (火) 17:20 (UTC)[返信]
コメント その辺は常識的に考えてください。その疑問に対する答えはいくつか考えられますが、簡単なものを挙げるなら、「テンプレートの注意書きは記事本文ではない」ので「ウィキペディアへの言及を避ける」を機械的に適用して排除すべきではない、というものです。記事の本文ではないので「ウィキペディアへの言及を避ける」必要はありません。そもそも、記事をつくる上で問題が生じるのであれば――たとえば宣伝行為などのような不適切な編集が繰り返されたりするような場合は、それに対する改善・対策こそが優先されるべきであって、「ウィキペディアへの言及を避ける」は決して最優先事項にはなり得ません。--氷鷺会話2013年10月15日 (火) 17:25 (UTC)[返信]
コメント 先ず、「自己言及か否か」と「閲覧者向けか編集者向けか」は別の話です。それを押さえた上でですが、この例は確かに自己言及と見ることもできるかもしれませんが、本文中ではなくテンプレートを使用した閲覧者または編集者向けのメッセージ(警告・要請等)は他言語版も含めて多用されており、コミュニティで許容されているものと考えられます。視覚的にも内容的にも記事本文とは明確に区別できる(またミラーサイトでも比較的に容易にフィルタリングできる)ためだと思います。ただ編集者向けのメッセージを記事上で常に表示すべきではないという意見は時折話題にのぼり、編集画面に表示する方法(editintro)が検討される場合もあります。本件もeditintroが適しているケースかもしれませんし、テンプレートで十分という意見もあるかもしれません。掲載期間にもよると思います。いずれにせよ閲覧者や編集者に対する警告や要請が目的なら、ノートに記載しても殆ど効果はないと思われます。
個人的には、警告・要請等のテンプレートよりも、ウィキプロジェクトやポータルへと誘導するナビゲーション系テンプレートの方が(より閲覧者を混乱させる可能性があるという意味で)WP:ASR的に望ましくないと思っていますが、本件とはまた別の話題ですね。--Penn Station (talk) 2013年10月15日 (火) 18:07 (UTC)[返信]
コメント 私は自己言及の最も本質的な問題は「印刷した際に無意味になる記述」と考えるのが簡単だと思いますので、記事本文のリソースで編集上の注意を書くことは抵触はすると思います。今回の場合はテンプレート内に記述しているので記事本文とは隔てられている分だけマシなケースですが、自己言及であることにも違いありません(そもそもWikipedia:ウィキペディアへの自己言及では自己言及の許されるテンプレートとして{{WikipediaPage}}くらいしか示されていません)。だた、あくまで問題編集が続いているときの一時的な処置としてはこの手の自己言及テンプレート類も認められているようですので、将来的にはタイミングを見て(コミュニティの合意を取り付けて)除去されることになるはずです。そのタイミングだと思えば、ノートで除去の提案をされればよいと思います。
まあ個人的にはソート可能な作表にて「どの見出しで並べなおせばどういう意味がある」とか、「開閉可能なタグの説明(開を押すと表示される)」などのギミックに関する記述なんかが、よっぽど印刷版には無意味な記述であり自己言及の面で問題になっていると考えます。ギミックの説明を表示するのに丁度いいHELP的なテンプレートも見当たらないようですし・・・これも本題とは別問題ですが。--Gwano会話2013年10月15日 (火) 23:34 (UTC)[返信]
ええと印刷物の件は簡単な例として挙げられているのだと思いますが、Wikipedia:ウィキペディアへの自己言及(WP:ASR)の「本質」はあくまでも「主題からの脱線を招かないようにする」と「(Wikipedia)プロジェクトの文脈を離れても有用であるようにする」だと思います。後者は印刷物に限らず、フォークサイトやミラーサイトを含む二次利用、派生物が想定されています。
そしてこれは補足情報ですが、サイドバーにリンクがある「印刷用バージョン」で表示すれば、大方のテンプレートを表示せず印刷できます。例えば日本のパンク・ロックの場合は[1]となり、ここで指摘されている{{Notice}}は表示されません。スタブテンプレートは印刷用バージョンでも表示されていますが、「この項目を加筆・訂正…」の部分は非表示すべきかもしれません。WP:ASRや印刷用バージョンのことを考慮していないテンプレートは結構ありそうなので、問題があるものは修正していきたいと思っています。--Penn Station (talk) 2013年10月16日 (水) 08:52 (UTC)[返信]