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Wikipedia:井戸端/subj/「うまく言えないけれど気に入らなければ多数決でブロック」というコンセンサスはWikipedia日本語版にあるのか?

「うまく言えないけれど気に入らなければ多数決でブロック」というコンセンサスはWikipedia日本語版にあるのか?

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そろそろ、この辺は、日本語版コミュニティに広く問う時期であろうと考えました。
Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/Clubpath 081207において、複数の利用者さんのおかげで有意義な議論が深まっていると個人的にうれしく思っておりますが、直近のコメントで、結構看過できないというか、もし本当にそうであるならば、日本語版コミュニティのありかたとしてかなりの問題なのではないか?と感じました。
そのコメントを拝読して重要な論点が改めて浮き彫りになったように感じましたので、なるだけ多くの方から率直な意見をお聞きしたいと思います。

Calveroさんのコメント全文引用の後、Clubpathの回答、そして考察

Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/Clubpath 081207#おへんじよりCalveroさんのコメント)
そもそも 利用者:FXST の投稿ブロック理由が曖昧であったことが問題の根本にあると私は考えます。彼がブロックされたのがなぜなのか、ブロックが支持されたのはなぜなのか、彼がコミュニティから排除されるべきであるとされたのはなぜなのか。利用者:FXST の投稿ブロック依頼で述べられた意見は、そのほとんどがおよそ直感的・感覚的なものであり、何らかの文書に依拠したものではありませんでした。しかし、私はそれらがすべて不適当なものであるとは思いませんし、共感するところも多いです。そういった個々人の感覚、この場合では主に不快感・違和感であると思われますが、それらがなぜ・どのようにして生じるのか、またそのような不快感・違和感を他者に誘起する人間はコミュニティから排除されるべきであるのはなぜなのか、もし明確に言語化することができれば、投稿ブロックの正当性をわかりやすく主張できると考えます。しかしながら、言語化能力の欠落、あるいは議論の拙さのみをもって、ある意見を不採用とするべきだという主張は適切でもないと思います。

依頼において、「FXST系である」というコメントの本質は、利用者:FXST との表面的な傾向の一致ではなく、議論やコメントの投稿の仕方における他者への不快感・違和感の与え方の同一性・類似性にあると私は考えます。投稿ブロックに賛成する側からすれば、「FXST系である」と評することは実際に投稿している人物が本当に利用者:FXST と同一であるかどうかとは実質的には無関係で、単に象徴的な意味しかないと考えます。つまり、本質的には、投稿ブロック中にソックパペットを使って投稿すること自体が真の問題ではなく、何らかの理由によって投稿を禁じられたにもかかわらず、その理由を解消しないことを、ブロックを逃れて投稿することによって宣言・体現すること、それを多くの利用者は不適切であると考えているということであると思います。それはブロック逃れでの投稿内容自体とは無関係で、そこから想像される、投稿者の意図から汲み取られるものでしょう。 --Calvero 2008年12月27日 (土) 21:59 (UTC)[返信]

(Clubpathの回答)

(1)利用者:FXST さんの投稿ブロック理由が曖昧で、何らかのWikipedia方針文書に依拠したものでなく、その賛同コメントのほとんどがおよそ直感的・感覚的である、
(2)その時点から現在に至るまで、それは明確に言語化することもできていない、投稿ブロックの正当性が説明されていない、
という事実認識2点において同意します。
さてその事実認識を共有した上で、「しかし、私はそれらがすべて不適当なものであるとは思いませんし、共感するところも多いです」「議論の拙さのみをもって、ある意見を不採用とするべきだという主張は適切でもないと思います。」というコメント部分については、ご自身よくわかっておられるでしょうが、Calveroさんの個人的な感想、主観、趣向、願望の域を出るものではなく、方針の後ろ盾、理念がないのは当然として、別になんらコンセンサスすら存在しているわけでもありまぜん。もちろん私はその個人的主張に賛同できません。理由は以下に示すとおり。
◆ 一応よくみかける濫用ぎみに使われている理由として「コミュニティを疲弊させる利用者」なるものがあります。「疲弊」なるものは完全に主観に依存しており、ある意味歯止めのないフリーハンドかつ何でもありのワイルドカードです。言語化できなくても、合意を図るための客観性を出さなくても、誰でもこれさえ言っておけば「それは俺の直感、感覚なので何が悪い?」となるので、この理由を延々無条件に認めることはまず不健全で危険です。なぜなら、感覚のみでブロック是非を判断してしまう一定の層の利用者の頭数さえそろえば、「Wikipedia合意スタイルの審議」は自動的に「多数決方式」に上書きされるのだから、しかも感覚のみで投票したほうが相対的に負担もなく優位にたつので、ある種の「Wikipedia日本語版=即席愚民政治」のようなものがここに実現されるでしょう。
これこそが、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは民主主義の実験ではありません
ウィキペディアは民主主義ではありません。合意は議論によって決まります。多数決で決まるわけではありません。ただし合意を得る助けとして投票を行う場合はあります。
と明示的に基本方針をもって牽制し、危惧されている状態であり、それはこのプロジェクトの基本理念によりけして容認できるものではありません。
実際「FXST系である」と個人の感覚の一致をもって認定することを明示的に許容し、その上で多数決がまかりとおるならば、もうなんでもありですね。ブロックの方針に書かれている厳密な運用への釘差し文書、該当理由の列挙とか、すべて意味を失う。なぜなら、「これはFXST系感覚」、「これはピース系感覚」、「これはほげほげ系感覚」と延々、感覚系荒らしを製造していけばいいのだから。非常に安易で危険な状態です。
最後に念のためにWikipedia:投稿ブロックの方針より引用
ウィキペディアはログインしていないユーザーであれ、ユーザー登録していないウィキペディアンであれ、誰でも自由に参加できるプロジェクトです。また、投稿・編集内容に関して問題があった場合は当事者およびその他の人を交えて話し合い、合意を形成することで問題解決をはかることが推奨されています。
<本方針の目的>
投稿ブロックはWikipediaのユーザーに制限を課す行為なので、その実施にあたっては慎重な対応が求められます。本方針は投稿ブロックを行うにあたっての方針や手続きについて明文化し、投稿ブロック実施の正当性と透明性を確保しようとするものです。

「気に入らなければ、うまく説明できなくてもよし、ほげほげ系荒らし認定もは感覚の一致でOK、多数決でブロック」というのは
「当事者およびその他の人を交えて話し合い、合意を形成することで問題解決をはかる」態度ですか?


「気に入らなければ、うまく説明できなくてもよし、ほげほげ系荒らし認定もは感覚の一致でOK、多数決でブロック」というのは、 以上のように、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは民主主義の実験ではありませんまたWikipedia:投稿ブロックの方針より方針違反である、という見解を提示させていただきましたが、広く率直なコメントを求めたいと思います。--Clubpath 2008年12月28日 (日) 06:02 (UTC)[返信]

「気に入らなければ、うまく説明できなくてもよし、ほげほげ系荒らし認定もは感覚の一致でOK、多数決でブロック」というのは私の主張ではありませんし、それを文面のまま積極的に採用するべき姿勢と考えているわけでもないので、誤解なさらないようにお願いいたします。私は、内容として正しさを含んでいるにもかかわらず、単に個人的な感覚・感想に過ぎないなどとして棄却することは、合意形成を行ううえで適切であるとはいえない、と述べています。
また、「事実認識2点において同意」とのことですが、「利用者:FXSTの投稿ブロック理由が曖昧」「賛同コメントのほとんどがおよそ直感的・感覚的である」というのは私の誤認であったので、撤回します。申し訳ありません(「しかし、私はそれらがすべて不適当なものであるとは思いませんし、共感するところも多いです」も、前提がなくなるので撤回します)。Wikipedia:投稿ブロック依頼/FXSTWikipedia:投稿ブロック依頼/FXST(20061014)では、明確に根拠が述べられています。おそらくClubpathさんの理解は私の理解とは大きくかけ離れているであろうと思います。
「うまく言えないけれど気に入らなければ多数決でブロック」などというのはもちろん問題ですが、まずそのような行為が行われているという事実を摘示することから始めないと、単なる印象操作とみなされる可能性があると思います。
--Calvero 2008年12月28日 (日) 12:57 (UTC)[返信]
Calvero さんご自身のコメントの主旨から今回のような提議にいたったのですがそれを「印象操作」とされるのはどうもフェアではないと感じました。ではその主旨の誤解のないようにするために、もう一点確認させていただきたいが、「そういった個々人の感覚、この場合では主に不快感・違和感であると思われますが、それらがなぜ・どのようにして生じるのか、またそのような不快感・違和感を他者に誘起する人間はコミュニティから排除されるべきであるのはなぜなのか」このコメント部分は明らかにCalveroさんご自身がそのように考えている、と読み取れるのですが、それで間違いないですか?それともこれも「事実認識、前提条件が誤っていたので」撤回されるのでしょうか?--Clubpath 2008年12月28日 (日) 20:54 (UTC)[返信]
あと別途もう一グループ確認させていただきたいです。「議論やコメントの投稿の仕方における他者への不快感・違和感の与え方の同一性・類似性」「単に象徴的な意味しかない」「そこから想像される、投稿者の意図から汲み取られるもの」これについても明らかに感覚の一致という主題としてしか語られていないと読み取れるのですが、これはCalvero さんが是とする「問題ない」「積極的に支持する」お考えの表明とみなしてよいでしょうか?それともこれも撤回されるのでしょうか?
Wikipedia:投稿ブロック依頼/FXSTWikipedia:投稿ブロック依頼/FXST(20061014)では、明確に根拠が述べられています。とですが、そう判断したCalveroさんの根拠が提示されているとはいえません。当初の事実認識「利用者:FXST の投稿ブロック依頼で述べられた意見は、そのほとんどがおよそ直感的・感覚的なものであり、何らかの文書に依拠したものではありませんでした。」を誤認として撤回される以上、なぜそんなに見解が180度入れ替わるのか?ある程度「明確に根拠が述べられている」とするポインタの提示をお願いします。Wikipedia:投稿ブロック依頼/FXST(20061014)については、私も直感的感覚的なブロック理由しか認識できないし、Wikipedia:投稿ブロック依頼/FXST(20061014)はブロック逃れの批判がほぼすべてです。直感的・感覚的でないブロックの方針にそってFXST氏が排除されなければならなかった、のちにFXST系特有のブロック事由とされるもののコメントの差分を、2,3でよいので提示していただけませんか?多数決でなくそれに基づいてWikipedia合意形式によって正当にブロックとなったというポインタさえ示されておられません。--Clubpath 2008年12月28日 (日) 21:32 (UTC)[返信]
私の言いたいことは、Clubpathさんの言いたいこととはまったく別です。私のコメントを言質にとって、自分に有利な演説を行おうとするのは控えていただきたいものです。また、私なりに客観的に分析した事実を述べた箇所に関し、私の個人的な意見を求めることも不可解です。翻意を疑問に思われるのはもっともですが、私は過ちに気づいたらすぐに改善するよう努めているのです。ブロック事由については、ご親切にも下で Ks aka 98 さんが解説なさっておられますが(ありがとうございます)、それではご不満でしょうか。
あと、上記のご主張の対極として、口先さえうまければ、相手を論破することによって自分の主張を通すことができ、それをもって議論によって合意が得られたとすることに、何の問題もないと考えてよいものでしょうか。また、なぜ利用者:FXSTのような人が「嫌われる」のか、説明できますか。ブロックに賛成票を投じる人がみな愚かだ、ということですか。--Calvero 2009年1月18日 (日) 20:43 (UTC)[返信]
『なぜ利用者:FXSTのような人が「嫌われる」のか、説明できますか。ブロックに賛成票を投じる人がみな愚かだ、ということですか。』ということですが、ブロックの方針によれば、愚かだ、ということになるでしょう。その通りです。Wikipediaのブロックとは、好き嫌い、気に入る気に入らない、で処置されるものではなくて、記事を破壊行為から防御し、問題があれば対話で事前に解決すること、と規定されています。そもそもブロックの方針を熟読してその存在意義を理解してから発言されているのですか?--Clubpath 2009年1月19日 (月) 00:24 (UTC)[返信]

(ここにあったかなり論点がずれた話をWikipedia‐ノート:井戸端/subj/「うまく言えないけれど気に入らなければ多数決でブロック」というコンセンサスはWikipedia日本語版にあるのか?に移動しました。広く意見を伺いたいのですが、関係のない話をするのはご勘弁願いたいです。--Clubpath 2008年12月28日 (日) 20:13 (UTC)[返信]

重要な論点であるので、なお上記の回答をまつとともに、この疑義は維持します。--Clubpath 2009年1月5日 (月) 05:19 (UTC)[返信]

現状における曖昧なルールで、多数決でブロックをするのであれば、三分の二以上の賛同を得る…など条件面を厳しくすべきように思います。投稿ブロックというのは、「よほどの事」でないとすべきではありません。安易な乱用は、反発を招きます。--アイバー 2009年1月5日 (月) 20:43 (UTC)[返信]
現状、曖昧というか適当すぎて、条件面を厳しくすべきという方向性には賛同しますが、たとえ2/3でも、なんらブロックの方針の定める、破壊行為から防御するために編集行為を封じるという基本理念には基づいていない「感覚の一致」や「気に入らない」であるのならばそのような投票行為は無効とすべきであると思います。--Clubpath 2009年1月5日 (月) 21:18 (UTC)[返信]
そうですね。感情的な結論を避けるためにも、ブロック依頼をしたユーザーは依頼票を投じられない。編集合戦に直接的に関わったユーザー、過去にその被告ユーザーとトラブルのあったユーザーは、コメントは出来るが票を入れられない…くらいのほうが良いように思います。たとえば裁判で、訴えた人間や、過去にトラブルがあった人間が、裁く側になる…というのは、やはりシステム的な問題があります。
あと、本人の弁明も聞かずに、あっという間に長期ブロック…という事も少なくありません。慣れていないユーザーの場合には、ルールを読んでいる時間もないのでは? どんな場合でも、まずは短期ブロックで時間を与えて頭を冷やしてもらい、重大さの説明を行った上で、釈明・謝罪する権利を与えるべきだと思うのですが…。--アイバー 2009年1月12日 (月) 00:10 (UTC)[返信]

どうも。FXSTさんのブロックについて

ブロック理由は「(GFDL の非理解と不同意 @ Wikipedia‐ノート:ウィキペディアは何でないか) 」で、これに対応する話の流れはここから最下部までにあります。

ブロックを受けてのやりとりがここ、MLへの投稿はこれが最初で、以後については9月分についてはここから参照できます。2006年9月23日に解除依頼としてWikipedia:投稿ブロック依頼/FXSTが提出されています。ここでは、上記理由を超えてブロックのための理由を示す必要はなく、審議は解除に相当するかということが主題になります。依頼自体の不備が指摘される一方、当初のブロックの手続き自体を問題視する意見はありますが、ブロック解除を求める意見は依頼者の他になく、Anonymous000 2006年9月26日 (火) 12:02 (UTC)の書き込み以後、MLでの発言などがあり、解除を求める意思がないという判断がされているようです。[返信]

利用者:FXSTさんの投稿ブロック理由は、「GFDL の非理解と不同意」であり、本人の抗弁では、コミュニティは理解してもらえたと受け取るに至らず、また本人が解除を求める意思を持たないために(07年1月が最後の投稿でしょうか。期間が長いので、[1]で当時使われていた名前での検索しかしていませんが)、現在に至るまでブロックが継続している。感覚が入り込む余地は、ほとんどないと思います。「Wikipedia:投稿ブロック依頼/FXST」で何人かが指摘していますが、手続き上万全ではないと思いますし、最善ではなかったとは思いますけれど。--Ks aka 98 2009年1月12日 (月) 19:39 (UTC)[返信]

引き続きこの論点についての意見募集を維持します。--Clubpath 2009年1月22日 (木) 21:40 (UTC)[返信]