Wikipedia:コメント依頼/kussy
私自身の行為が発端でノート:萌えを混乱に陥れました。基本は反対者である匿名IPに非があると考えておりますが、私自身も発端は見当違いな場所に編集を加えたことであり、先方を非難する前にそれなりの自己批判をしたいと考えております。--Kussy 2006年3月2日 (木) 09:32 (UTC)
見当違いの箇所に加えた編集
[編集]2006年2月12日(日)22:02の版で「萌え」の由来を「植物の萌芽」と記述しましたが、総括的事項の箇所に記述し、後段にある諸説の解説には目が至りませんでした。これについては全面的な私自身の非です。--Kussy 2006年3月2日 (木) 09:32 (UTC)
事実を提示できない一説を投稿する
[編集]正直いえば、あくまで私自身の「体験」であり、証明すべき「根拠」はありません。正確に言えば、無くなりました。自身の体験を元にした一説を展開するのは、誤りでしょうか?もっとも、後段の諸説の解説に目が至っていれば、その中にすり込ませ記述することは出来たと思います。--Kussy 2006年3月2日 (木) 09:32 (UTC)
反論に対し根拠を要求する
[編集]議論形成の上では、「説」を否定するのは「事実の提示」が必要であり、「説」では無いと考えています。自己の体験を否定されたことに対する反論として「事実の提示」を求めるのは、誤りでしょうか?--Kussy 2006年3月2日 (木) 09:32 (UTC)
- 「自己の体験」が事実として認定されるかどうかという段階が、論争の種になりやすいと思います。追試・再現可能な体験で、その再現方法が明確であれば大丈夫なんじゃないでしょうか。でなければ「体験」は「説」と同じレベルの市民権しか得られないこともあり得ると思います。結果的に「説」vs「説」の対立という構図ということもありえそうです。いずれにせよ、具体例を見てみないとなんとも言えないですが…。--S kitahashi(Plé)2006年3月5日 (日) 23:50 (UTC)
- どちらかというと前節的な内容のお返事になりますが、今回の件で「自己の体験」(具体的には草の根BBSでの会話)を根拠として証明するには、当時のログを提示すれば良いのですが、件のノートに書いたとおりログは消去されています(PC自体、4世代ほど変わっている)ので、提示できません。当時の参加者と連絡が取れれば良いのですが、時代も経ち音信不通になってしまっています。そういう意味では、「証拠が残っていない体験」と「説」が同レベルというのは致し方ないと当初より考えています(ただ、今回のIPが「説」としても否定しているのは論外と考えています)。なお当説では成立の過程として「燃える」の誤変換が端緒だったものの、当説の理由(萌芽)に依るところ(そういうつっこみが入った)で支持を受けて使われ始めたという体験が元になっています。今日の某掲示板のように暗語やからかいのような誤字の頻用と異なり当初より成語として使われたというのが興味深いと思っています。この程度では「説」を提示するにも甘いですか?--Kussy 2006年3月7日 (火) 03:56 (UTC)
- ああなるほど、そういうことですか。説明ありがとうございます。説としての市民権はあると思います。例のIP氏にとっては、ネット上で沸いている論争のノリでWikipediaにも書き込んだという印象を受けます。当該ノートページで仕切り直しを提案しましたので、改めてじっくりやれればと思います。また、それに伴い本文の該当箇所にも手を加えましたが、門外漢がPOVを除こうとしただけの編集です。不都合な点があれば、お手数をかけて恐縮ですが、おっしゃっていただけるか直接編集していただけますでしょうか。--S kitahashi(Plé)2006年3月7日 (火) 07:16 (UTC)
- どちらかというと前節的な内容のお返事になりますが、今回の件で「自己の体験」(具体的には草の根BBSでの会話)を根拠として証明するには、当時のログを提示すれば良いのですが、件のノートに書いたとおりログは消去されています(PC自体、4世代ほど変わっている)ので、提示できません。当時の参加者と連絡が取れれば良いのですが、時代も経ち音信不通になってしまっています。そういう意味では、「証拠が残っていない体験」と「説」が同レベルというのは致し方ないと当初より考えています(ただ、今回のIPが「説」としても否定しているのは論外と考えています)。なお当説では成立の過程として「燃える」の誤変換が端緒だったものの、当説の理由(萌芽)に依るところ(そういうつっこみが入った)で支持を受けて使われ始めたという体験が元になっています。今日の某掲示板のように暗語やからかいのような誤字の頻用と異なり当初より成語として使われたというのが興味深いと思っています。この程度では「説」を提示するにも甘いですか?--Kussy 2006年3月7日 (火) 03:56 (UTC)
- ご配慮ありがとうございます。ただ、当該ノートでの議論は既に崩壊しており、私が参加してももはや無駄かと思います。中立的な立場の方に参加いただきたいと思います(そのためにも後刻コメント依頼したいと考えています)。そういった次のステップに移るためにも、私自身の総括を済ませたいと思いますので、よろしくご批判お願いします。 --Kussy 2006年3月7日 (火) 23:56 (UTC)--誤字修正--Kussy 2006年3月8日 (水) 15:55 (UTC)
一方が継続を主張している論争を一方的に打ち切る
[編集]このノート上では、前項の対立で、全くかみ合わない状態になってしまいました。結論としては「結論に至らない」ことだと思います。また、私が一方の編集に対し意にそぐわない編集を行ったと、事実でないことを広言し侮辱されました。これで議論の信義則も失われたと判断し議論を打ち切った次第ですが、誤りでしょうか?--Kussy 2006年3月2日 (木) 09:32 (UTC)
議論を大幅に削除した
[編集]そもそも、この議論の発端は「語源の項の整理」であり、語源の追求そのものではありません、関係ない醜言で埋め尽くしても、本来の議論が進みません。その判断で元の版の所在を明らかにした上で大幅な削除を試みましたが、revertされてしまいました。結果として、同ノートでの議論が進まない状態が続いています。よかれとして行った編集(削除)ですが、誤りでしょうか?--Kussy 2006年3月2日 (木) 09:32 (UTC)
以上、よろしくご審議下さい。
トータルな意見として
[編集]くだんのIP氏の発言からみて、コミュニケーションの能力と意思については疑わざるをえないという印象はあります。その一方で、挑発に乗ってしまっているようにも見えます。あくまで印象ですけれど。議論のレベルが「何が正しいか」ではなく、中傷合戦になっているような。整理してみようと読んでみたのですが、論点がどこにあるのか見つけられませんでした。--S kitahashi(Plé)2006年3月6日 (月) 00:10 (UTC)
- 正直言って、議論の方法に至らない点があるのはご指摘の通りで、お恥ずかしい限りです。論点は一応当事者である私でも判らないんです。先方が何を問題にしているのかが。冒頭に書いたとおり当方の問題点を洗い出し総括した後、当該ノートへのコメント依頼を出そうと考えています。私自身が中傷されるのは構わないが、ノートを荒らしたまま野ざらしにするのは当事者として耐えられません。--Kussy 2006年3月7日 (火) 03:32 (UTC)
終了
[編集]ご審議ありがとうございました。最終コメントから2月経過しましたので、これにて了といたします。今後、私自身の行動に問題がありましたら御叱責・御鞭撻頂ければ幸いです。--Kussy 2006年5月13日 (土) 14:37 (UTC)