Wikipedia:コメント依頼/Yoshinobuko
利用者:Yoshinobuko(会話 / 投稿記録 / 記録)さんについて、コメントを依頼します。Dwy(会話) 2016年3月6日 (日) 19:18 (UTC)
経緯
[編集]利用者:Yoshinobuko(会話 / 投稿記録 / 記録)さんは、2015年8月2日に稲作の編集を開始。その後、2015年8月23日からはノート:稲作での議論にも参加され、今日まで継続的に議論・編集を行っています。当初から他の編集者と論争になっていますが、どの編集者にも敵対的な態度を取り続けています。
問題と考える点
[編集]- 他の編集者に対して敵対的な態度を取り続け、協調する姿勢を見せない。「虚偽出典」や「どさくさに」のようなWP:CIVILやWP:AGFに反する表現を安易に多用する。
- 他の編集者の提案や問題提起は無視して、自分だけで編集を進めようとする。
- 他の編集者の説明に耳を傾けない。ノートや要約欄でそれなりにちゃんとと説明しているのに、「理由を述べてから削除してください」とか「どれにも答えていただいておりません」のように、何も説明がなかったかのように振る舞う。
- 挙げ句の果てに、「意味がありません」「理由にはなりませんね」と、ちゃんとした議論もせずに他人の意見を切って捨てる。
- 他の編集者の編集の一部に異議を唱えただけで、全部をまとめて差し戻してしまう。受け入れられる部分は受け入れるとか、他人の編集に改善を加えて受け入れられるものにするという姿勢がない。
- 他人には厳密な出典を要求するくせに、自分は出典を自由に解釈して出典にはない記述を記事に加えている。
私が感じている問題点がうまく伝えられているかどうか自信がありませんが、私としては、これまで対応してきたどの人よりも難しい人だと感じています。
被依頼者のコメント
[編集]Dwyさんは「他の編集者と敵対的な態度」と述べていますが、ここでいう「他の編集者」とは、例えばMorinohosomichiさんでしょうか?
- Morinohosomichiさんは、出典のある記述を消して、出典の無い記述を書き込むという迷惑な編集をしていました[1]。自分が独自研究を書きこんでいるにも関わらず「独自研究」呼ばわりし、さらに「嘘の引用です」とまで述べています。(ノート:稲作#稲作伝来ルートのYoshinobukoさんの編集について)
- ここで重要なのは、このMorinohosomichiさんが、出典のあるある記述を消して、出典の無い記述をしてまで「水稲は朝鮮半島を経由せず中国から直接伝来した」ということにしたがっている事です。このような編集を差し戻すのは当たり前の事です。
- ところが、このMorinohosomichiさんの編集を擁護するために顕れたのが青鬼よしさんです(ノート:稲作#稲作伝来ルートのYoshinobukoさんの編集について)。青鬼よしさんは、Morinohosomichiさんと同じ編集傾向を持つ人であり、以後、半年間に虚偽出典による独自研究編集と著作権侵害の疑いの濃い編集を繰り返しています。(ノート:稲作#大量に編集されている虚偽出典記述についてに簡単なまとめをしています)これについてはYapparinaさんや虹色の風さんが一部を検証し、確認してくれています[2]、[3]。追及した結果、一部は本人も認めています(ノート:稲作#「日本への伝来」節の編集について(2))。虚偽出典記述は削除するのは当たり前であろうと思います。
- また青鬼よしさんはコメント依頼をする際にメッセージを中立にしておらず、さらに適切な告知を怠っています。([4])(ノート:稲作#「日本への伝来」の構成につきましてでも指摘しています)虚偽出典が多いだけではなく、著作権に違反する恐れがある編集が多く、迷惑ですので止めていただきたい。
- この青鬼よしさんを擁護するために顕れたのがろっそ77さんという方です。ろっそ77さんは、ほとんど編集していない方で、現在まで6編集しかしていません。[5]。そういう点でも上記Morinohosomichiさんとよく似た捨てアカウントだと思われます。
- 依頼者のDwyさんは このろっそ77さんの主張 [6]を引き継いで突然参加して来た人です。それまで「稲作」の編集にまったく参加していないにも関わらず最初のコメントがこれです⇒[7] 。まるでこれまでの議論に加わっていたようなコメントであり、コメントの質も主張もMorinohosomichiさんやろっそ77さんとよく似ており、時には代弁しており[8]、ソクパペの疑いもある案件だと思われます。その主張はほぼ全体が青鬼よしさんの意見の擁護であり[9]、「水稲は朝鮮半島を経由して伝来した」という意見を削除するかまたは過小に評価したがっている。
- Dwyさんは、要約欄に「POV除去」と言いながら、15行に渉って消しています[10]。(ノート:稲作#単に節の「構成」を変えるだけではなく、小節の「記述内容」を変えている現在の編集について)「POV除去」「重複する情報」の内容を聞いてもまったく説明していただけません。(ノート:稲作#「水田稲作の開始」の位置にまとめた際の内容の削除について)。
以上が経過であり、虚偽出典による独自研究記述や内容の無差別除去をするのではなく、質問については相応な解答を示していただきたいと思います(Wikipedia:投稿ブロックの方針#内容の無差別な除去)。POVでバランスをとるなら、全削除ではなく別の出典から加筆補完すべきです。
- 自分の意見を反映させるための虚偽出典記述や無条件な除去に対しては、編集が対立するのもやむを得ないものと思われます。青鬼よしさんは、私を「よしのぶ」と呼び捨てにしていますが([11]、ノート:稲作#趙法鐘ྂ『古代韓日関係の成立 -弥生文化の主体研究についての検討』)、私の方はそのような行為を行っておりません。青鬼よしさんには、つねに礼儀を忘れないで欲しいと思います。--よしのぶ(会話) 2016年3月7日 (月) 07:19 (UTC)
その他利用者からのコメント
[編集]双方の主張内容の可否を判断する以前の話として、日本語を追いかけることさえ困難を感じます。引用が過度であり、さらにインデントの付け方がいい加減すぎます。結果、どこからどこまでが一つの発言で、それがどの発言への返答なのかを見極めるのさえ極めて面倒です。
記事ノートはみんなで記事の在り方を議論する場です。二人か三人だけで密室にこもっているのではなく、大勢が同席する会議室に居るつもりで発言して欲しい。つまり、相手をやり込めるためにではなく、第三者が読んで無理なく理解でき共感できるようなコメントを投稿して欲しいのです。これはよしのぶさんと青鬼よしさんの双方にお願いしたいことです。このままではご両人とも手を引いてくださいとお願いせざるを得ないと思います。--Kojidoi(会話) 2016年3月19日 (土) 03:25 (UTC)
- コメントありがとうございました。Kojidoiさんのおっしゃることも第三者の観点で見た場合、最もだと思います。
稲作の記事に関してはKojidoiさんたちが主体で再編していただければと強く願っています。稲作の件については、長々と会話が続いていますが、要は『日本への稲作伝来は朝鮮半島経由である』というよしのぶさんに対して『稲作の伝来ルートは民俗学・育種学・考古学などの見解から諸説があり、現在のところ、確定はされていません』と反論している内容です。色々と解決の方法は試みたのですが、Dwyさんが書かれたような理由により、結果として残念なことが続く結果となっております。私としても消耗しておりますので、よしのぶさんとの対話を引き継いでいただければ幸いです。--青鬼よし(会話) 2016年3月19日 (土) 04:31 (UTC)
人身売買の記事をめぐる会話内容
[編集]よしのぶさんから指名がありましたので、説明させていただきます。なお、私は対話を呼びかける際は「さん」付けの口語体、第三者に説明をするときは敬称を略して断定体で使い分けているだけなのですが、よしのぶさんの意向に沿って、ここでは口体調で説明をさせていただきます。
よしのぶさんと会話したのは、稲作と人身売買の記事になりますが、会話をして得た感想はよしのぶさんに対する感想はDwyさんと同じになります。以下に記載した人身売買についての会話はDwyさんの指摘を補完する内容になるかと思いますので、ご参照ください。
2015年9月19日 よしのぶさんは以下の記載を追記しました。
秀吉が天正18年8月の宇都宮国綱に送った掟条では百姓を土地に縛りつけると同時に人身売買の一切を禁じている。しかし文禄・慶長の役にでかけた兵たちは、耳や鼻を削いで持ちかえる残虐行為とともに人間狩りをし、朝鮮の老人、女、子供を拉致し奴隷化した。朝鮮半島に従軍した僧慶念は『朝鮮日々記』という日記を残しており、「男女・老若買い取りて、縄にて首をくくり集め、先へ追い立て、歩み候わねば後より杖にて追い立て、打ち走らかす有様は、さながら阿坊羅刹の罪人を責めけるもかくやと思いはべる」「かくの如くに買い集め、例えば猿をくくりて歩くごとくに、牛馬をひかせて荷物持たせなどして、責める躰は、見る目いたわしくてありつる事なり」と書いている。渡邊大門によれば「乱取りは多くの大名が黙認し、幅広く行われた」のであり、『多聞院日記』は、彼らが奈良に運ばれた事を書き、『本山豊前守安政父子戦功覚書』は船で生け捕った男女を名古屋城に送ったという。やがて最初、乱取りを禁止していた秀吉も方向転換し、捉えた朝鮮人を進上するように命令を発している。
この記載に対して、青鬼よしは以下の指摘を行いました。
- 「耳や鼻を削いで持ちかえる残虐行為」とありますが、戦功を証明するために首を持って移動するのが非効率であったため、耳や鼻を削いで代用としたのであり、日本人が朝鮮人に残虐行為を行うために耳や鼻を削いだわけではありません。また、剃り落とした鼻や耳は軍美行によって検分された後、日本に送られて供養されました。朝鮮人の耳や鼻を兵士が個人的に持ち帰ったという事例は聞いたことがありませんし、鼻や耳の肉は腐敗してしまうため、持ち帰る意味もありません。
- 「人間狩りをし、朝鮮の老人、女、子供を拉致し奴隷化した。」は人身売買ではなく、戦国時代に行われていた乱妨取りの説明にあたります。この行為は文禄・慶長の役で限定的に行われた行為ではなく、特筆に値することではありません。
- 「男女・老若買い取りて、縄にて首をくくり集め、先へ追い立て…」ですが、主語である「日本よりもよろずの商人も来たりしたなかに人商いせる者来たり、奥陣より(日本軍の)後につき歩き、男女・老若買い取りて」が抜けております。火事場泥棒的に奴隷商人が捕虜を買い集めていたという内容が、文禄・慶長の役にでかけた兵たちが「縄にて首をくくり集め、先へ追い立て、歩み候わねば後より杖にて追い立て、打ち走らかす有様は、さながら阿坊羅刹の罪人を責めけるもかくやと思いはべる」「かくの如くに買い集め、例えば猿をくくりて歩くごとくに、牛馬をひかせて荷物持たせなどして、責める躰は、見る目いたわしくてありつる事なり」という行為を行っていたいう内容になってしまいます。そもそも、人身売買の説明に、このような冗長な説明は必要でしょうか。
- 「乱取りは多くの大名が黙認し、幅広く行われた」も乱妨取りの説明であって、人身売買の説明ではありません。
- 「『多聞院日記』は、彼らが奈良に運ばれた事を書き、」については、本州の内陸部の奈良まで、どのように奴隷を輸送したのでしょうか。そもども、需要があったのでしょうか。
- 「『本山豊前守安政父子戦功覚書』は船で生け捕った男女を名古屋城に送ったという。」ですが、名古屋城の築城は1608年ですし、本山安政は九州肥後の大名である加藤清正の配下の武将です。
- 一般的に、奴隷売買のルートは名護屋 → 琉球 → 江南ですから、名古屋は名護屋の書き間違いですよね?
- 「やがて最初、乱取りを禁止していた秀吉も方向転換し、捉えた朝鮮人を進上するように命令を発している。」も人身売買と関係ない記載です。
これに対して、よしのぶさんの回答は以下の内容でした。
- 全て出典を読めば解決する話ですので、出典を確認してください。青鬼よしさんは、「稲作」でもそうでしたが、全て出典を自ら確認してから、消すなり書きなおすなりするようにしてください。「戦国時代に奈良から名古屋にかけて人身売買が行われていたというのは聞いたことがありません」という事だそうですが、青鬼よしさんに知識が無いから消すというのは問題ある行動です。また「ウィキペディアの狙いは論争を記述することであり、論争に加わることではありません」(WP:YESPOV)がどういう意味か?理解すべきです。--よしのぶ(会話) 2015年10月30日 (金) 00:53 (UTC)
- すでに述べましたが、全て検証可能性を満たしており、青鬼よしさんに疑問があるなら、自分で出典を読んで、間違った記述が有れば指摘し、書き変えればよいものと思われます。「聞いたことがありません」というのは、検証可能性を満たした記事の無造作な削除をしてよい理由にはなりません。--よしのぶ(会話) 2015年11月25日 (水) 06:32 (UTC)
よしのぶさんが提示した出典を、青鬼よしが確認した結果は、以下の通りでした。
- 『多聞院日記』- 「奈良に運ばれた」の記載なし。名護屋から壱岐、壱岐から対馬、対馬から高麗までは天気が良ければ2日ほどで、高麗の道具、女、子供が運ばれている 近代デジタルライブラリ 『多聞院日記 三十六』天正20年5月18日条[12]
- 『本山豊前守安政父子戦功覚書』-「船で生け捕る」の記載なし。「撫で斬りにした後、鼻を甕に着けて、京都に送った」の記載はあり。近代デジタルライブラリ 『本山豊前守安政父子戦功覚書』775ページ [13]
- 『人身売買・奴隷・拉致の日本史』柏書房 (2014/03) 渡邊大門 - 該当の著作物を入手できないため、未確認。
上記の結果に出展の追記を行ったうえで、青鬼よしは以下の内容に更新をしました。
文禄・慶長の役では、秀吉は朝鮮の民衆を慰撫するため、乱取りなどの拉致行為を禁じる朱印状を発布したが、朝鮮半島に従軍した僧慶念が『朝鮮日々記』に「日本よりもよろずの商人も来たりしたなかに人商いせる者来たり、奥陣より(日本軍の)後につき歩き、男女・老若買い取りて」と記したように、人身売買を目的とした商人が渡航していた。これらの奴隷商人は下級の兵士と通じて朝鮮人を調達していたため、加藤清正などは「乱暴狼籍に身分の低い者をこき使う者があったならば、その主人の責任として成敗を加える。」と禁令を発している。(ただし、清正は朝鮮人を人身売買ではなく鏖殺の対象としていた。たとえば、清正配下の本山安政による『本山豊前守安政父子戦功覚書』には「働男女、生子迄も不残撫切に致し、鼻をそぎ。其日々に塩に致し」と記されているが、人身売買については全く記載がない)。多聞院日記によれば、朝鮮人の女性・子供は略奪品と一緒に、対馬、壱岐を経て、名護屋に送られた。人身売買は長崎などで行われ、イタリアの商人カルレッティは、朝鮮人は1人あたり銀24匁(米1斗=銀1匁)ほどで売られていたと記録している。
- 追記した出典
- 「島津史料集」 北川鐵三 人物往来社 152ページ "禁制高麗国(藉)一、軍勢甲乙人等濫妨狼藉事、一、放火事、付人取事"
- 「物語東洋史: 朝鮮」 橋本増吉 雄山閣 266ページ
- 「別府大学史学研究会」「「南蛮」から「紅毛」へ」中村 質 28ページ
- 藤木久志「雑兵(ぞうひょう)たちの戦場: 中世の傭兵と奴隷狩り」59ページ
この記載について、よしのぶさんは以下の抗議をされています。
- 橋本増吉と北川鐵三の著作を出典とする部分は「意見を事実として記さない」(WP:POV)に抵触しています。「文禄・慶長の役では、秀吉は朝鮮の民衆を慰撫するため、乱取りなどの拉致行為を禁じる朱印状を発布した」の出典になっている橋本増吉は、1880年生まれで、大正・昭和初期の東洋史学者であり、「橋本増吉は・・・と述べている」の書き方に書き変えるべきです。出典。北川鐵三の著作も同様です。
よしのぶさんからの抗議について、青鬼よしが困っているのが以下の内容です。
- 「島津史料集」は島津家の史料を北川鐵三が編纂した叢書であり、"禁制高麗国(藉)一、軍勢甲乙人等濫妨狼藉事、一、放火事、付人取事"は北川鐵三による記載ではなく、豊臣秀吉の朱印状であることを理解していただけない。
- よしのぶさんが出典として提示された『本山豊前守安政父子戦功覚書』も叢書(史籍集覧)ですが、よしのぶさんは「(編纂者の)桑原弥左衛門は・・・と述べている」の書き方にしていません。他人には厳密な出典を要求するくせに、自分は出典を自由に解釈して出典にはない記述を記事に加えているのは問題ではないでしょうか。
人身売買の記事を通してのよしのぶさんの問題点は、私からは以上です。稲作の記事でも、よしのぶさんは同様の問題を起こしておりますが、長くなるため、いったんは割愛させていただきます。--青鬼よし(会話) 2016年3月13日 (日) 08:19 (UTC)
よしのぶさんの記述には、全て内容を確認できるようにリンク[14]がつけられていましたので辿ってみました。おおまかには記述通りでした。
しかしDwyさんの上記のコメント依頼の文章や青鬼よしさんの以下のコメント[15]は、まったくリンクされていませんので確認ができません。具体的に確認できるようにリンクをつけてください。--桜咲千秋(会話) 2016年4月12日 (火) 06:26 (UTC)