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Wikipedia:コメント依頼/Yassie方式もしくは132人目方式の是非について/Ks aka 98氏のコメント 20070130

ks aka 98のコメント

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先にもろもろ。

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最初に、個人的な立ち位置を説明する必要があるのでしょうか。ぼくが考えるのは、優秀な執筆者を優遇することではなく、既に書かれた記事を削除することを避けること、記事を投稿する上での障壁があるならば、それを回避できるようにすること、です。その記事は、別に一人の優秀な執筆者によって書かれたものではなくてもよいのです。

それから、ぼくは、132人目方式を公式化し、周知しようとは、思っていません。禁止することよりも、基本的に現状のまま、「/old」など部分的に修正することのほうが有用ではないかと思っている、ということです。「全面禁止しないこと」がすなわち「公式化」ということならば、「公式化」かもしれませんが。いずれにしても、禁止するならば、その理由を示して欲しいと思っています。

誤解があるかもしれませんが、ぼくとしては132人目さんのmaris stellaさんへの批判は、妥当ではなく、maris stellaさんの対処は、自分の記事を守るためではなく、既に書かれた記事が失われることを避けるための努力であると思っていますし、それは批判されるべきことではないと思っています。maris stellaさんの加筆部分は、自ら再投稿すればそれで済むことであり、他の投稿者の投稿文を救出し、他の投稿者との関係や投稿記録との整合性を多少なりとも誠実に扱うための行動であった、と。この部分については、132人目の判断は一面的に過ぎたと思いますが、上で述べたようにmaris stellaさんが反論すれば、132人目さんにも伝わり、対立は解消されたと思いますよ。--Ks aka 98 2007年1月30日 (火) 14:12 (UTC)[返信]


さて、本題。

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以下、

  1. 禁止する理由
  2. 古い版が著作権侵害などで削除される場合
  3. 古い版を残すことと、著作権侵害の「疑い」などを理由に削除すること

の3点について書くことにします。禁止する理由が明らかになれば、禁止することにやぶさかではありません。2は、削除回避という観点では上書き方式では132人目方式のメリットを相殺することができないことを、改めて指摘し、ポインタを示します。3は、投稿者への配慮に関することです。結論めいたことは、あえて書かないでおくことにしましょう。それぞれの論点についてのご意見をお聞かせ下さい。koon1600 さんは、特に2番目を、210.250.111.253 さんは特に3番目を読んで頂ければ、それぞれのご意見へのお答えになると思います。--Ks aka 98 2007年1月30日 (火) 14:12 (UTC)[返信]

禁止の理由は何か

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  • まず、132人目方式を禁止するに相当な理由を書いてください。
    • 経緯から考えるならば、利用者‐会話:YassieでNikeさんから「履歴の小細工」「履歴を混乱させる怖れがある」と指摘があり、掃除屋ケンちゃんさんによる Wikipedia:削除依頼/イーストロサンゼルス提出の理由を見ると、「初稿より、利用者:Yassieによる不明瞭な履歴改竄(不当に、移動以前の投稿者の編集履歴を隠蔽する、ネグレクトさせるための移動)と思われる行為。」とあります。履歴については、問題がないと結論が出ました。「不当」についてはこれ以上言及が無く、「隠蔽する、ネグレクトさせる」という意図がどの程度あったかはわかりませんが、古い版については、「/old」などとすることで対処できるのではないかと提案しています。以上の理由で132人目方式を問題視するコメント依頼や削除依頼が出されたからといって、132人目方式を禁止する理由にはなりません。
    • maris stella さんは、削除依頼の場で「荒らし行為」と書いていらっしゃいますが、Wikipedia:荒らしには、該当する事由は見あたりませんから、これは自明ではないようです。
  • 前提1,2については、132人目方式は、重複記事を作るのではなく、同一内容に対する異なる文書を作る、です。重複記事を作らないために、132人目方式は一方をリダイレクトにしているわけです。重複記事をつくること。 :新しい記事を書く前に検索してみてください。そのことに関する記事が既に存在しているかもしれません。もちろん、その記事に書き加えてもよいのです! というのは、記事を作ることを禁じているだけで、複数の文書が同一項目対して存在することを否定しているわけではありません。「Wikipedia:記事の分割と統合#記事の統合」を見ると、「同一の概念や事物に関して、別名で記事が作られた場合」には、「2つの記事が全く同じ情報しか含んでいない場合→統合するまでもありません。一方をリダイレクトにして下さい。」とあります。これは、ウィキペディア内に同一項目に関する複数の文書が存在することを許容している例です。また、この「統合」は、履歴の統合ではないことには留意する必要があると思います。「「Wikipedia:記事の分割と統合#履歴の統合」「履歴統合をする必要のない場合」が存在していることも、指摘しておきましょう。もちろん、これらの例から、意図的に複数の文書を作ることを許容していると受け取ることはできませんが、同時に、明示的に「意図的に複数の文書を作ること」を禁止している文書もありませんから(補足2,3は、それぞれhow-toと初心者の方向けです。補足4の「敬意」については後で検討しましょう)、複数の文書が存在することが直ちに禁止されるべきものではないということは、言えると思います。意図的に複数の文書を作ることの是非を、われわれは考えようとしているのだと思います。
    • 移動合戦やリダイレクト化合戦の可能性はあるでしょう。しかし、無制限に行いうるものではなく、また、上書き方式でもリバート合戦となる可能性があります。これまでの例では、めだって問題となるケースはないように思います。「エバンスビル」は、そういう気配がありますが、これはそもそも曖昧さ回避であり、132人目方式が適当ではないと思いますし、表記の問題も絡んでいます。--Ks aka 98 2007年1月30日 (火) 14:12 (UTC)[返信]
      • 確認させていただきたいのですが。同一内容に対する異なる文書を作るというのが重複記事を作るに当たらないならば、ks aka 98氏の考える重複記事とは一体何なのでしょうか?--眠い 2007年1月30日 (火) 14:48 (UTC)[返信]
「イースト・ロサンゼルス」と「イーストロサンゼルス」が、どちらもリダイレクトではなく、記事として存在していること、です。--Ks aka 98 2007年1月30日 (火) 15:57 (UTC)[返信]
132人目方式で片方をリダイレクトにする前には重複記事になっていますね。つまり、132人目方式使用者は重複記事を作成することを認識して実行しているということになります。この点についてはどうお考えでしょうか?--眠い 2007年1月30日 (火) 16:18 (UTC)[返信]
すぐに解消されるなら、重複する記事があっても問題は生じない、と考えます。先に移動して赤リンクへリダイレクトするのなら重複は回避できるからいい(できるのかどうかわかりませんが)、というものでもないでしょう。--Ks aka 98 2007年1月30日 (火) 16:27 (UTC)[返信]
Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないことの「重複記事をつくること」の項には、恒常的な重複でなければ一時的に重複をさせても構わない、という但し書きはありません。そのような但し書きがない以上、一時的だろうと恒常的だろうと重複記事を作成することは「やってはいけないこと」なのではありませんか?
また、削除するわけではない、元の記事は残してある、というのが132人目方式での主張です。それが建前でないならば、リダイレクトにしたところで重複していることには変わりないのではないですか?--眠い 2007年1月30日 (火) 16:46 (UTC)[返信]
(インデント戻します)「やってはいけない」は、同じ内容の記事が二つ恒常的に存在してたら困るからやってはいけないっつー意味以上でも以下でもないと思いますよ。「記事に貼られたテンプレートを相談なしにはがそうとすること。」というのもありますが、間違って貼られたりいたづらで貼られたりしたテンプレートをはがすことは「やってはいけない」とは思いませんし、これらを除外するという但し書きもありません。ノートに残ってる意見では「過失」を集めたということですから、それに従うなら、意図的に何らかの目的がある場合まで厳密に禁止すると考えるべきではないでしょう。
リダイレクトの履歴に文章が存在することは、Wikipedia:記事の分割と統合#記事の統合に従った作業を行っても生じることですから、このような形での重複が禁止されているとは考えづらいです。元の記事が残してあるというのは、たとえば、もし元の記述を参照するのであれば、新しい記述のある項目の履歴から移動記録を経由してリダイレクトの履歴へ行き、古い版を見ることができるということです。--Ks aka 98 2007年1月30日 (火) 18:19 (UTC)[返信]
「重複記事を作ること(はやってはいけない)」という項目が表現しているのは、既に記事が存在する際に新たな記事(重複記事)を作ることの禁止とそれを避けるためにすべき努力であり、それ以上でもそれ以下でもありません。文面には「一時的に重複記事になることは許容する」という表現はありません。「文書に穴があり、当該表現が抜け落ちている」という仮説を主張するなら、その根拠を提示すべきです。なお、WP:MCFの「記事に貼られたテンプレートを相談なしにはがそうとすること」の項目に穴があるということをもって、「重複記事をつくること」にも穴があると主張されていますが、これはあくまで穴がある可能性を示唆するだけです。その穴が「一時的に重複記事になることは許容する」という表現であったという根拠にはなっていません。その表現こそが抜け落ちていた、という根拠の提示をお願いします。一時的重複許容仮説が132人目方式のために創案されたアドホックな仮説でないのなら、132人目方式関連項目以外にもその仮説が生かされた/生かされるはずだったケースがたくさんあり、根拠には事欠かないはずです。
ここまで述べておいてなんですが、「重複記事をつくること」の項目への穴の存在説自体への反論も述べておきます。「記事に貼られたテンプレート~」の項目に穴があるというのは仰るとおりだと思います。しかし、その項目は2006年12月3日のノートでの提案に基づき2007年1月17日に追加されたものです。ごく最近のものであり、追加者以降に編集が入っていません。このようなまだほとんど編集の手が入っていない項目に穴があるのは当然でしょう(初稿で完璧な記述をできなかった追加者を批判されるのでしょうか?)。一方、「重複記事をつくること」は初版から存在し多くの目に晒されてきた項目です。前者のような「若い」項目に穴があることをもって、「古い」項目に穴があるはずだと主張するのには飛躍がありませんか?
最後に、132人目方式禁止派と認識されるのも不本意なので私の立場を改めて述べておきます。まず132人目方式が生成するのは重複記事だということを認めて、やってはいけないことであるということを確認する。その上で、グレーのケースでの132人目方式のメリットを重視して完全禁止にはせず、どのように運用すべきかを詰めていけばいいと考えています。--眠い 2007年1月30日 (火) 23:12 (UTC)[返信]
私も眠いさんの言うとおり、運用の方法次第だと思います。もし、際限なく利用者が使い始めたら従来の単なる編集合戦に比べ、余分な記事が一つ増えてしまうことになるので削除作業の負荷が大きくなるでしょう。誰だって自分の前の投稿者の不備に巻き込まれて大量の投稿が削除されるのなんて嫌ですから。多少表現だけ書き換えて「念のためやっとくか」的な利用者が増えるのだけは避ける方法を詰めとく必要があると思います。だけど、本依頼で例示されてるような「誰が見ても納得」なパターンではメリットがある。一種の劇薬みたいな処方ですね。--Redpepper 2007年1月31日 (水) 00:54 (UTC)[返信]

「やってはいけない」は、考慮すべきだし目を通しておく必要はありますが、初版の表現に従えば、「石板に彫りこまれるような規則は、ウィキペディアが中立の視点で書かれた百科事典であること以外に、多くはありません。以下に書くことは、ただ皆さんの役に立つ提案をするつもり書きます」というようなもの、です。恒常的に重複する項目が存在すると、読者が混乱しますから、これは「やってはいけないこと」なのは明らかで、明記する必要があるでしょう。短い期間であっても、重複した状態は、基本的には避けるべき行為ではありますが、それを必要とする特別の事情があるなら、その事情と、その短い期間の読者の混乱と、その他のデメリットを勘案すればいいのではないかと思います。132人目方式を禁止する唯一の根拠を、この文書に求めるのは適切ではないように思います。1分程度でも重複する記事が存在することが、ウィキペディアにとって致命的であるならば、多少のメリットがあるとしても132人目方式は禁止(赤リンクのリダイレクト先行という抜け道が使えるかどうかはさておき)、加えて、どこか別の所できっちりと重複を禁止する方針を作るべきでしょう。

重複記事だから、ではなく、132人目方式の現在の運用として、古い版の存在が見えづらく、投稿者への配慮に欠けること、Redpepper さんが指摘する際限なく用いられるようになることが引き起こす削除作業の負荷などへの懸念、koon1600さんが指摘する移動荒らしの可能性などから、132人目方式を全面的に認め、公式化し、周知することは、適当ではないと考えています。運用の方法を考えないといけないという点では、ぼくは眠いさんやRedpepperさんと同じ考えを持っていると思いますし、そのためにはメリットとデメリットを挙げ、検証するという作業をしなければいけないという点でも同じ立場にあると思うのです。

というわけで、132人目方式のメリットを上書き方式では代替できないことの確認をWikipedia:コメント依頼/Yassie方式もしくは132人目方式の是非について#まきこまれ削除回避で、「グレー」、あるいは、古い版に何か問題があると認識しているという制限の加え方が古い版の投稿者への配慮などの点で、好ましくないのではないかという観点をWikipedia:コメント依頼/Yassie方式もしくは132人目方式の是非について#分離の理由と執筆者への配慮に示しています。前者は、今でも問題となる可能性があって、ぼくの認識に穴があると指摘して欲しいくらいだったりします。デメリットについては、最初にあれこれ示して検討しているのですが、132人目方式を禁止したり制限したりすれば回避できるわけでもない部分もあったりとか、難しい部分もあって、丁寧に話を進めないとなあ、と思っています。--Ks aka 98 2007年1月31日 (水) 14:44 (UTC)[返信]

所用で議論の場を離れていてしまって申し訳ありませんでした。まず、重複記事という点に何故こだわるかを説明しておきます。それは、重複であるかどうかがこの議論における要所だからです。ここを落とせば132人目方式は有無を言わせず陥落します。また、そもそも禁止であるならメリット・デメリットを論じることは無意味です。これがメリット・デメリットの議論に先行して重複の議論をしている理由です。(Ks aka 98氏は「重複ではない/一時的重複は許される」という立場のようなのでメリット・デメリットの議論にこそ価値を見出しうるでしょうから、議論を並行させるのを止めはしませんが。)私は、まず重複かどうかをはっきりさせた上で、もし重複ならばグレーのケースの議論として、重複でないのなら白のケースも含めた議論として、メリット・デメリットを論じるつもりです。重複かどうかによってそれらの議論の前提が大きく異なるため(禁止行為であるがいかにお目こぼしをしていくか or 問題はないが乱用を避けるためにいかに手綱を締めるか)、どちらか定まるまでは議論に加わるのは早計だと私は考えています。
次に、「重複すると混乱するからダメというだけ、だから一時的重複なら問題ない」という解釈は、Ks aka 98氏が思うほど「明らか」ではないですよ。現に私はその解釈に至る道筋を全く追うことができません。私なら、「経済性」と「キリがないから」と解釈しますね。リソースの点で無駄になること、記事名前空間にも限りがあること。そして、そのような我侭を許容し始めたらキリがなく、そのうえトラブルの種になること。それゆえ、一時的・永続的・リダイレクトの下へ隠蔽を問わず重複記事を立てること自体が禁止である、と。あまり感情論に基づく根拠を持ち出したくはないですが、ご自身の解釈以外に妥当な解釈がありえないと考えられているようなので対立仮説を提示しておきました。議論の始めの段階で感情論を持ち出してその優劣を論じても仕方ないので、私の解釈へのコメントは不要です。あくまで、対立仮説が存在しKs aka 98氏の仮説は「明らか」で済ますことのできるものではない、ということを理解していただくためのものです。ちなみに、私の仮説は現状の記述と齟齬がなく、一方あなたの仮説は現状の記述に含まれていないものを主張しています。そのため、私はその追加の根拠を訊ねているわけです。
というわけで、Ks aka 98氏の仮説を支持するガイドライン・方針が見つかるまでは、ここでは現存の文書の記述に基づき議論してください。もし件のガイドライン文書自体に誤り・不足があると考えるならそれは別に手を回してください。その結果、「重複記事をつくること」の項目に「一時的重複に関しては禁じない」と例外を付け加えるのもいいでしょう。しかしながら、熟慮した上で行動してください。まず、前述の通り「明らか」というのはあなたの主観です。次に、あなたが「明らか」という主観でしかその存在をディフェンスできないなら、その例外は本質的に必要なものなのでしょうか?そして、その例外は132人目方式以外のどこで生かす道があるのでしょうか?(他の記事が存在することを知りながらリダイレクトにせず放置するという輩が存在するかどうか?)私には、132人目方式を救うためだけに付け加えられたアドホックな例外にしか見えず、他の活用方法が見えません。
結論を言うと、Ks aka 98氏の2007年1月31日(水)14:44(UTC)のコメントは反論になっていないというのが私の見解です。なお、特に急を要する議論ではないので、急いでコメントをしようとせずともいいのではないかと思いますよ。--眠い 2007年2月5日 (月) 16:00 (UTC)[返信]
遅くなりすぎました。アドホックな仮説というのが、何か特に意味があるのかと思い、ポパーの概説書でも読もうと思ってるうちに忙しくなってしまいました。すみません。で、特別な意味もなさそうなので、やや繰り返しとなりますが、申しあげます。
「やってはいけない」は、考慮すべきガイドラインに出てきます。ガイドラインは、考慮して、従う必要はないと判断したならば、必ず守らなければいけないものではないです。なので、ここで考慮しています。…確認し直したら、「やってはいけない」は、ガイドラインでも方針でもないみたいです。もちろん、ほとんどの場合、「やってはいけない」にあることは、やってはいけないことです。しかし、「やってはいけない」は、その文書を根拠に、何かを禁止しているものではない、ということは、言えると思いますが、いかがでしょうか。--Ks aka 98 2007年3月22日 (木) 19:00 (UTC)[返信]

まきこまれ削除回避

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  • ここまで、132人目方式を禁止しないことに、少なくとも一つのメリットがあるということは、確認されたとしてよいでしょうか。すなわち、先行する版が削除される場合、まきこまれ削除を回避できる。「著作権侵害のおそれがある」というのが132人目方式の優位性の根拠ではなく、古い版に著作権侵害のおそれが生じ、削除された時に、削除されずに記事が残すことができる、というのが根拠です。上書き方式では、要約欄に「全面改訂」と書くだけでは、全面改訂の次の版以降を救うのが困難であると指摘しました([1]「その余の点について」以下。わかりにくければ解説を加えます)。では、どのようにするかを教えてください。--Ks aka 98 2007年1月30日 (火) 14:12 (UTC)[返信]
    ちょっと疑問に思うことがあります。全面改訂と書いただけではその版以降を救うのが困難であるというのは「引継ぎ」のあたりの話でしょうかね?これについては、「全面改訂で引き継いでいない」となっていても、後に引き継いでいるであろうという記述があった場合、GFDL違反になって新初版から削除される隠れ著作権違反ならぬ隠れGFDL違反が起きる可能性があることは留意しなければなりません(この場合、著作権の疑いで132人目方式を使った場合、改定後にはGFDL違反疑い+著作権違反疑いの二重疑惑がかかることになります)。私は、性善説は完全に信じていませんから(性悪説も半分程度しか信じていませんが)、「引き継いでいる」といっても実際に見比べるまでは信じてはいけないと考えています。過去に「著作権違反ではない」と宣言している筆者の加筆が著作権に触れるとして削除された例は数あります。労力を考えると~となりますが、それはこの方式をとっても同様ではないでしょうか?結局、古い版で著作権侵害が起きた場合、改定までの有意な加筆は削除されることには代わりありませんし、たとえ履歴が離れていても、GFDL違反による引継ぎ違反が本当にないかを精査する必要があるのではないかと考え(履歴が分かれていることを考えると)削除依頼の範囲を変えるのとそれほど労力は変わらないのではないか?というのが私の考えです(まあ、私は管理者ではないですから、実際に労力がどの程度かかるのかは、残念ながら知りません)。
    また、もしこういったことを懸念する場合、132人目方式を使用するには「ノートでの提案」「132人目方式の使用合意」「全面改訂前に全面改訂の版を利用者サブページなどで製作、全面改訂であることを第3者の目も含めて確認」「記事が過去の記事を包括していることを確認」した上で「132人目方式を使用」というプロセスを踏まなければ、問題が発生するのではないかと思います(これは、前の筆者への心情配慮の面でも、いきなり方式を使用するのには問題があると考えているからです)。--koon1600 2007年1月30日 (火) 15:16 (UTC)[返信]
    • 132人目方式であれ、ほんとに引き継いでいないかどうかは、問題となりますが、これは同じ条件ですよね。で、疑おうと思えば確認するし、信じるならそれはそれ、ということで。
    • そうじゃなくて、白紙化の後に、古い版にあった記述を復活する場合、要約欄にはいつの版から復帰と書く義務はとりあえずない(と思ってるんだけど、違う?)。132人目方式なら、コピペ元を書かないといけない。書いていなければ、古い版と比較してGFDLvioを見つけることもできるでしょう。
    • では、古い版を削除しないといけなくなったとしましょう。古い版は特定版削除、です。白紙化でも132人目方式でも、古い版が復帰した版から先は、履歴不継承で削除ですよね(違う?)。132人目方式なら、要約欄で簡単にどこから先を削除しないといけないかは明らかです。要約欄に記載がなかった場合でも、復帰から古い版の削除までの検証期間がいちおう存在しますから、それに耐えた、ということも言えます。白紙化の場合、どこから先を削除しないといけないか、削除しないといけないのかどうかは、見てみないとわからない状態になります。GFDLvioを考えないといけないのは、古い版が削除依頼に出た時点から、ですから、急いで確認しないといけません。確認を怠ると、古い版が削除され、以後確認できない状態になってしまいますから、確認しないわけにはいかないように思います。この労力をどうするか、残しちゃうことにするのか、セーフティに倒して労力を惜しむなら白紙化版の前と後を全部特定版削除かなあ、というのが、特に削除が懸念される古い版のうえに、白紙化で新しく投稿すればいいじゃないかという意見に、同意できないところなのですが、いかがでしょう?--Ks aka 98 2007年1月30日 (火) 16:18 (UTC)[返信]

分離の理由と執筆者への配慮

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  • 著作権侵害の疑いがグレーであることや「使ってはいけない版」であることを、132人目方式の条件とする案があります。既に指摘があるように、これらは、古い版の執筆者への敬意に欠けるかもしれませんが、上書き方式でも同様であるという指摘もあります。他方、これらの場合、よりよい新しい版の存在を前提として削除するという意見があります。いずれにしても、明らかに著作権侵害のおそれがあったり、「使ってはいけない版」であるならば、削除が相当であり、そうでない場合は、原則として削除されません。
    • 132人目方式を用いることで、削除対象とならない古い版を残すことができます。リダイレクトで隠さずにサブページとすれば、「隠れる」ことにはなりませんし、履歴も残りますから、執筆者の貢献は確認することが可能で、後々古い版の有効性が認められれば復活させたり、統合させたりもできるでしょう。同じ項目に二つの文書を存在させないということを理由に、削除対象とならない古い版を削除してしまうことは、執筆者の貢献を不可視のものとすることであり、あるいは著作権侵害や使ってはいけない版であったかのような印象を与えてしまいます。
    • 132人目方式を限定的に認めるという発想の場合、その限定を古い版に問題があるかないかというところで区別しようとすると、古い版の投稿者への配慮という点では問題を抱えてしまいます。そうではなく、単に古い版から独立した版を執筆した場合に、古い版を「/old」に別置する、ただし、新しい文書は古い版の内容をほぼ完全に内包すること、これはつまり、「記事の統合」での少しずつ異なる情報を見つけるために、複数の記事の重複する情報を何度も読まなくてはなりませんし、重複する部分が矛盾する危険性も出てきます。また、必要以上に細切れにされた記事が作られることもあります。この場合、読者は、多くのページを渡り歩かなければなくなります。別のページを表示させる度に多かれ少なかれ待たされます。表示されたと思ったら期待したような情報がなくて、がっかりということもよくありますといったことにならないような記述でなければならず、そのような記述をすることによって、「同一の概念や事物に関して、別名で記事が作られた場合」に「2つの記事が全く同じ情報しか含んでいない場合→統合するまでもありません。一方をリダイレクトにして下さい。」とある状況に相当しうるとみなすことができると考えます。そしてリダイレクト化によって文書が隠されたかのような位置に置かれることを、「/old」の導入によって回避する、と。この回避によって、古い版の投稿者は、新たな書き下ろし版が投稿されることで、文書が分離されたが、分離の理由は文書に問題があったからではなく、その投稿まで、閲覧者に情報を与えることでウィキペディアに貢献していたことが明らかになります。--Ks aka 98 2007年1月30日 (火) 14:12 (UTC)[返信]

仮のまとめ案

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眠いさんへの答えから間がないのが恐縮なのですが、ここまでの話で合意できると思われる範囲で、ごく簡単な解説を利用者:Ks aka 98/砂場に書いてみました。もちろん加筆・修正も必要ですが、特に問題がなければ、Wikipedia文書とせず、「利用者:Ks aka 98/新規書き下ろしによる改訂版の投稿(私案)」に置くことを想定しています。間違いなどがあったらご指摘下さい。--Ks aka 98 2007年3月23日 (金) 02:34 (UTC)[返信]