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Wikipedia:コメント依頼/Yassie方式もしくは132人目方式の是非について/移動荒らしの視点

移動荒らしの視点

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かなりに色々な説明や意見や状況分析が揃って来たので、Wikipedia:削除依頼/イーストロサンゼルス で記したわたしの見解をここに転記してみます。眠い氏が到達した解釈の位置、あるいは何が問題なのかの本質把握について、わたし自身は、上記の削除依頼において、すでに到達していたというか、よく分かっており、その見地から「削除票」を投じ、またコメントを書いているからです。上記削除依頼から転記します:

  • (削除)理由:「ケース C: ページ移動の障害になる場合」。現在リダイレクトとされているページは、確かに分量的にはサブスタブに近い内容で、Yassie 氏の作成された記事に較べれば見劣りがする。しかし、この投稿は悪戯でも荒らしでもない。他方、Yassie 氏が「132人目方式」とかいう意味不明なことを書いて何をしたかといえば「荒らし行為」である。一旦元に戻し、その後、Yassie 氏は自分の作成された記事をその上に編集で加えればよいことである。この作業の前提には、依頼記事の削除が必要であると思惟する。--Maris stella 2007年1月16日 (火) 13:48 (UTC)
  • (コメント)問題が何かが分かっておられないようなので、説明します。ログインユーザーなら、例えば、現在の「イーストロサンゼルス」の記事を、「132番目方式」とか書いて、「イーストロサンジェルス」の記事へと移動可能なのです。その後、開いた「イーストロサンゼルス」に内容的にもGFDL的にも問題ない記事を書き、移動した「イーストロサンジェルス」をリダイレクト化すると、どうなりますか? これを元に戻すには、やはり同じ手順が必要でしょう。この形の「移動荒らし」が出現した場合、どう対応を取るのかです。ウィキペディアは善意のボランティアの投稿で記事が成り立っており、寄与が大きい者は勝手なことが許され、寄与の小さな投稿は、消されて当然というような話ではないでしょう。--Maris stella 2007年1月16日 (火) 14:59 (UTC)

この二つの文章で、明確に「132人目方式」とかは「移動荒らし」であると言明しています。「著作権的な問題」「GFDLの問題」については、「問題なし」です。削除依頼者は、経験が未熟なのと、GFDL についても、このタイプの移動荒らしの問題についても、知識や経験や理解がないので、「何かおかしい」という感覚はあっても、具体的に「何が問題なのか」を明確に把握できないし、また把握できない以上、明瞭な言葉で表現できないので、「依頼理由」として不適切な理由、あるいは穴のある理由を書いてしまった、というか、そう書くしか仕方がないのです。Wikipedia:削除依頼/イーストロサンゼルス で「何が問題の本質・肝」なのかが一読して理解できるには、GFDL や著作権について、ウィキペディアでそれなりの議論や知識の蓄積を持ち、ある程度理解していないとなりません。またその上で、このパターンの「移動荒らし」について、真剣に何が問題なのか、ウィキペディアの諸原則に照らして、相当に深く考察していないと、すぐには分からないというのがあります。

上に転記したわたしの文章では、「著作権的に、またはGFDL的に問題があるので削除」とは一言も云っていません。それは、この方式の操作は、著作権的にも、GFDL的にも問題はないからです。しかし、だからと云って、「存続」というのはおかしいのです。例えば、実在しない事物や現象についての記事を造った場合、著作権的にも、GFDL上でも何の問題もありません(オリジナルな記事であれば)。しかし、それでもこのような記事は、「虚偽情報である」「独自の調査である」などの理由で削除相応になります。上のコメントでは、具体的に想定できる、「明らかな移動荒らし」について説明し、こういう移動荒らしが起こった場合、どうするのか、と問いを投げかけていますが、実は、「132人目方式またはYassie方式」というのが、まさにこのタイプの「移動荒らし」なのです。Wikipedia:荒らしに、そんなタイプの荒らしはないというなら、付け加えるべきでしょう。

もう一つ、皆さんが見落としている点、恐らく、Yassie氏も、132人目氏も、おのれの驕りの為、見えなくなっている視点があります。それは、Yassie氏の記事なら、多くの人が「優れた記事」と評価するのであり、当のYassie氏も、これを自明事実として、「自分は優秀な記事作成者であり、スタブの稚拙な記事を投稿する屑連中とは全然違う高みにいる」というような傲慢・慢心の心はないかということです。実は、Yassie氏が造った記事にしても、たかだか英語版での翻訳プラス自分の知識の追加でしかない訳で、もっと知識・学識を有し、経験も持ち、筆力もあり、精力もある人が出現して、Yassie氏の記事とは別に、独自に記事を執筆し、分量的にも内容的にも、Yassie氏の記事を凌駕するものを作成した場合、どうなるかです。分量的にも二倍、あるいは三倍以上あり、内容は遙かに豊かで、分かりやすくかつ格調高い文章で、比較すると、Yassie氏の記事が、それなりによくできているが、とても、この「新記事」とは較べようもないというような記事が書かれた場合です。この執筆者が、Yassieという夜郎自大な慢心した人間を嫌悪し、こういう人間の記事は不要であり屑であるので、「132人目方式またはYassie方式」を使って、移動した上、リダイレクトにしたとき、Yassie氏は、「納得しました」と言えるかどうかです。これを「仮定」の話として斥けるのはおかしいので、何故なら、都市の記事などは、詳細に、内容豊かに書こうとすれば、その知識や筆力や力量ある人には、実際に可能なことだからです。これは「132人目」氏自身にも当てはまり、そういう操作がなされ、自分の書いた記事が、「132人目方式」によって、移動され、無化されることは、記事の充実と云う点で、実に喜ばしいことであるという心境になるでしょうか?

ウィキペディアは「誰でも編集できる」というのが根本の原則で、実はこの原則を維持し続けていると、ウィキペディアの記事は、ほぼすべて「でたらめ記事」になるという非常に蓋然性の高い予測があるのですが、「誰でも編集できる」という原則を公然と否定すれば、現在のウィキペディアでは、そういう人はいかに良い記事を書く人でも、ブロック対象です。そして、「132人目方式」とは、「誰でも編集できる」という原則を、端的に否定している操作なのです。--Maris stella 2007年1月21日 (日) 01:22 (UTC)[返信]

132人目方式がGFDLに何ら反しないのは明白なので、そんな議論はもはや誰もしていません。問題は全面改稿した場合に前の版の著作権者の表示を残すことが、著作権法上問題が生じるのではないかということなのです。長々と書いているわりには、この問題は意図的に避けているようですね。--Sugarcoat 2007年1月21日 (日) 01:50 (UTC)[返信]
それはこのコメント依頼で初めて指摘された論点ですし、分離して論ずる方が適切かと思います。もしその論点によって「132人目方式」が正当であると認められた場合、全ての記事について全面改稿時は履歴を分離する必要が生じます。そして、その手続きを改めて決めなければならないでしょう。リダイレクトの下にこっそり埋めるのではなしに。 -- NiKe 2007年1月21日 (日) 01:58 (UTC)[返信]
その論点は、今回のコメント依頼の前に、既にWikipedia:削除依頼/イーストロサンゼルスで論じられています。よく読んでいただきたい。--Sugarcoat 2007年1月21日 (日) 02:01 (UTC)[返信]
これは失礼しました。Salt Greensさんの指摘ですね。これまでYassieさんや132人目さんから、これらを理由として説明されたことが無かったので、突然持ち出されたように感じてしまったようです。しかしいずれにせよ、ある程度は分離して論ずべきことであると思います。現実には履歴継承が無い場合、履歴を分離しなければならない、ということになれば『「132人目方式」を認めるか否か』というだけでは済まない問題になりますので。 -- NiKe 2007年1月21日 (日) 02:20 (UTC)[返信]

どうも自分で何を言っているのかよく分かっておられないようですね。それは、このコメント依頼の主題ではありません。そういう例は無数にあるので、例えば、タイプミスの訂正を一字だけ行った人も履歴に残ります。「移動」は記事の本文内容に何も手を加えませんが、移動した人の名が履歴に残ります。荒らしをリヴァートした人は、何も記事の文章に寄与していません。しかし履歴に残ります。更にリヴァートされた荒らし編集も、「消されます」が、この名も履歴に残ります。インターリンクを貼る行為が何か記事の作成に貢献しているのか、していないと思います。これもしかし履歴に残ります。大体、編集の多くは、単純なものが多いので、「マイナー編集」によって造られた記事は、果たして二次的著作物かという疑問もあります。どこまで詳しい編集をすると、「著作者」の資格ができるのか、GFDL に云う「 document 」とは何のことか、ウィキペディアに含まれる記事全体を指すという解釈もかつてありました。わたしの解釈は、ある記事名の下で、仮に200版があるとすると、丁度、1版を1ページとして、200ページある本のようなものを考え、これ全体が一つの document という考えです。あなたは、「最新版」を document だと考えているので、話が合わないと云うか、おかしなことになります。いずれにしても、以上述べたように、非常に広い範囲に関係するので、このコメント依頼では、その話は扱わないのです。ここでは、「132人目方式の是非」が論じられているので、あなたの主張している問題は、また別のページか、別のコメント依頼でも立てて、そこで問題を提起して戴ければよいのです。--Maris stella 2007年1月21日 (日) 02:15 (UTC)[返信]

要するに、Wikipedia:削除依頼/イーストロサンゼルスで全面改稿時に前の履歴を残すことにも疑問がある旨提示されているにも係らず、ここのコメント依頼ではそのような論点は無視すべきということですか。議論妨害も甚だしいし、GFDLのdocumentに関する独自解釈も甚だしい。要するに自分に不利な議論は許さないとそう捉えていいですか? 問題となる論点を意図的に外すような不誠実な人にこれ以上付き合うつもりはないので。--Sugarcoat 2007年1月21日 (日) 02:22 (UTC)[返信]
「議論妨害」しているのは当のあなたでしょう。「コメント依頼」というのは、何かについてのコメント依頼である訳で、このコメント依頼は、冒頭に、その目的を次のように述べています:
  • Yassie方式もしくは132人目方式(記事名の移動とリダイレクトを繰り返すことによって、履歴を操作する手法)について、その是非に関するコメントを求めます。
「132人目方式について、その是非に関するコメント」の依頼とはっきり書いているのではありませんか。途中で、関係のない話を持ち出したのはあなたです(関係がまったくないとは言えないが、少なくとも、このコメント依頼の主題とは明確に異なるでしょう)。--Maris stella 2007年1月21日 (日) 02:39 (UTC)[返信]

追記)問題は、「132人目方式」という言葉で、どういう意味や概念や操作を念頭しているか、ここでの議論では、議論参加者は、「132人目方式」について何と云っているか、また過去、この方式の目的は何か、メリットは何か、どういうことが語られていたかということでしょう。確かに、Wikipedia:削除依頼/イーストロサンゼルスにおいて、Salt Greens 氏が、「132人目方式」というより、あの削除依頼において依頼者が問題とした操作が、関係のない履歴や人物の名を除外する効果があるので有効だというコメントを述べている。

  • しかし、このコメント依頼においては、著作権的な問題、GFDLの問題を解決するための目的で、132人目方式が実行された、というような認識は誰も共有していないように見える。春野秋葉氏のサブページが参考ページとしてあげられているが、そこには、Salt Greens 氏が述べたような「意図・目的」で行われる「132人目方式」の説明は載っていない。また、このコメント依頼でも、Monaneko 氏ともう一人、一回しか投稿履歴のない、可変IPユーザーが著作権問題についてコメントしているが、それは、「132人目方式」から出てくる副次的効果であって、この効果を目的とした「132人目方式」の実行というのは、少なくとも例証としてあげられていない。132人目氏自身のコメントでも、そういう視点は含まれてない。
  • 従って、「132人目方式」という言葉で、何を念頭しているかというと、そのまま続けて投稿すると、将来、一緒に削除されるような危険性のある初版投稿等を除外する方法、あるいは気にいらないサブスタブ的投稿を除外する方法としての「132人目方式の是非」であって、Monaneko 氏ともう一人可変IPと考えられる人が挙げた論点、Salt Greens氏が述べていた論点は、わたし一人が無視しているのではなく、その他の人も話題として挙げていないことである。
  • また、わたしの認識はすでに述べたように、Salt Greens 氏の述べたような問題は、「132人目方式」に固有の問題ではなく、もし問題として取り上げるなら極めて広い範囲の大きな問題であるということである。誰かが悪戯や荒らし編集を行い、そのリヴァートを行うと、荒らしや悪戯やリヴァートを行った者の名も、消さねばならないということになって来る。これに対し、そういう問題は、無意味な提起だとか、問題自体存在しないとか、そういうことは述べていないはずである。それは広範囲な問題を含むので、別のコメント依頼等で提起するものだ、と述べているので、少なくとも、問題の広がりがどこまであるか、例を述べて、このような広い問題は、このコメント依頼での主題ではない、と述べるのは何も議論妨害ではないと考える。
  • むしろ、気にいらない記事を移動によって隠して、自分の新規投稿を行うというような行為は、許容されるのかどうか、優れた記事を造り、いい加減な投稿を排斥するのに有効な方法だという意見と、記事内の編集の争いとして記事内に収めるべきだという意見が対立してるのであり、そこに、「眠い」氏の発言を受けてわたしの見解を記したので、その内容はすでに述べられているとかは、わたしが述べたのなら、同じわたしが同じような意見を、今度は長く論じる(「削除依頼審議」では、長く意見を述べることは否定されている)のは別に問題ではなく、他の人が述べているというなら、それを改めてわたしが述べるのに何か問題があるのかということである。

「議論妨害してそれほど楽しいですか」とか要約欄に書かれているが、このページでだけ発言している、誰かのソックパペットの言葉は暴言の一種とも言えるでしょう。とまれ、明白なことは、Salt Greens 氏の主張が、もし妥当なら、「132人目方針」どころの話ではないのであり、別に議論の枠を設定して論じないとならない大きな問題になる。また、もし妥当でないなら、ここの議論でそれを入れるのは意味がないことになる。何にしても、本当に問題なら、別のコメント依頼や、著作権のノートなどで提起して論じねばならない問題であるというのは議論妨害ではなく、当然のことである。このコメント依頼で論じようということこそ、議論妨害になるはずです。--Maris stella 2007年1月21日 (日) 04:07 (UTC)[返信]

  • 他の編集者の履歴を消去するために行うものであるとするならば、Wikipedia:基本方針とガイドライン#基本的な方針「他の参加者に敬意を払う」に直に違反しており、Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案#破壊行為に相当以外の何者でもない。全面的な改訂に通じる場合であっても、以前の履歴を抹消するのは認められない。そもそもWikipedia:記事の所有権において、「ウィキペディアの項目に所有者はいません。これらは全人類の共有財産であるのです。GFDLを採用することによってこのことは保証されているのです。項目に所有者がいるという考えはよくある間違いの一つです。」という一文があり、例えある利用者Aによる不十分な記事を利用者Bが充実した記事に全文書き直したとしても、著作権がBには存在しないわけであるから、AとB共同執筆者として扱われるのはルール上甘受すべき性質のものではないのか?--水野白楓 2007年1月21日 (日) 05:17 (UTC)[返信]
    • あなたの発言以前のコメントを全て読んではいかがですか?あなたが言っていることは全て、より詳細・適切に書かれていますので。--218.114.132.211 2007年1月21日 (日) 05:47 (UTC)[返信]
    • 議論に直接関係ない話だと思いますが、重大な誤解があると思われるので念のため。前文書き直しした記事の著作権は利用者B(だけ)にあります。GFDLは著作権を消滅させるものではありません。--全中裏 2007年1月21日 (日) 05:51 (UTC)[返信]

水野白楓氏と同じ考えであり、このあたりの認識が132人目方式を積極的に擁護する方々はどう考えているのか知りたいところです。こういうプロジェクトのもっとも拠り所となる原則論に照らして132人目方式というのはそれからはずれているのではないかというのは大事なところだと思います。これに関連して、 >問題は全面改稿した場合に前の版の著作権者の表示を残すことが、著作権法上問題が生じるのではないかということなのです。Sugarcoat というコメントがありましたが、こう主張する人がいるのも知っています。リバート、瑣末な編集さえログとして利用者名は連ねられるという詳細の反論がMaris stella氏によりありましたが(もうちょっと端的に可読性をあげてもらえるとありがたいと思います。)それ以前に、もともと同一事象を対象とする記事の同一性を奪って、根拠の正当化されていない操作で「全面改稿した前の版」と切り離す事自体が問題となっている。私にはむしろ、その操作を行う人の動機のひとつには、まず先に目的として、この著作者名簿を切り離すという事があって、その手段として132人目方式を使うひとも多くいるのではないかという疑惑もあります。--219.122.233.148 2007年1月21日 (日) 06:01 (UTC)[返信]

どこにコメントしたらいいのかちょっと分からないので、とりあえずここにコメントしておきます。まず、この方法の原形としては「白紙化→全面改稿した版を投稿する」という方法があるということを指摘しておきます。この方法は次の2つの理由から行なわれてきたものと推察します。
1.一応、このプロジェクトはWikipedia外部での、特に紙媒体などでの記事利用も前提としているということになっています。で、外部で利用する際の問題として紙面に限りがあるにも関わらず、長大な履歴が必要になる場合があるというのがあります。外部利用を前提として考えると履歴は短ければ短いほどいいのは間違いありません。そこで全面改稿した場合には「白紙化」をもって履歴の断絶を宣言し、それ以前の履歴は外部利用する際に無視してもよいという考え方のもとでこの方式が用いられるようになったと思われます。
2.また転載元が確認できないWikipedia:著作権侵害かもしれない記事については、Template:転載疑いというのが存在しますが、そのノートに挙げられている通りこれを除去することは永久に不可能です。GFDLの履歴保存の要件のため将来的にすべて削除されるリスクを背負ったまま加筆せざるを得ないことになり、誰も加筆も削除もしない凍結状態になってしまうという問題が生じました。そこで、1.と同じように全面改稿した場合には「白紙化」をもって履歴の断絶を宣言し著作権侵害があっても白紙化以降の部分は復帰できるという考え方のもとでこの方式が用いられるようになったと思われます。
しかしこの方式には問題点があり、まったくの部外者から見ると単なる白紙化荒らしに見えるということがあります。実際、利用者:132人目さんがはじめていわゆる「132人目方式」を用いる直前に、それによるリバート合戦が発生しています(定規とコンパスによる作図とそのノートを参照)。その後四次方程式ではじめて132人目方式が使用されていますからおそらくはこの「白紙化荒らし」に見えるというのを避けるためにこの方法を用いたものと推察されます。(ご本人がここに参加されているのでその意図の確認も可能かと思いますが。)
今回のコメント依頼は、この方式がGFDLの履歴保存の要件に反するのではないか、という削除依頼に端を発しているわけですが、実際には逆にそれ以外の方法が著作権法違反であるという意見が出る状態になり(それを補強するコメントを私が提示したわけですが)、現在のところこの論点ではこの132人目方式を否定する結論には到達しないであろうというのはほぼ合意できるかと思います。
132人目方式の賛否と全面改稿時の著作権法およびGFDLとの整合性の議論については切り離すことが提案されていますが、これについては一旦棚上げすることに同意します。仮に一旦132人目方式を禁止したとしても、その後に著作権法およびGFDLについて検討し他の方法が無いなら再度解禁するという手順で混乱はそれほど生じないと思われますので。
一方、何人かの方から「移動荒らし」に見える、Wikipediaの理念とそぐわないという指摘がでておりますので、この点について議論していく必要があると思います。132人目方式を存続させるとしたら、例えば移動荒らしに見えないようにするにはどうしたらいいか、そもそもWikipediaの理念は現在の版に貢献していないような貢献(?)を残すことを意図しているのか、といった議論が必要になるかと思います。
最後に、132人目方式を用いる動機はさまざまかもしれませんが、その目的は「履歴の断絶」をはかるということで一致していると思います。そして履歴の断絶をはかるという必要性自体は現在の基本方針を変更しない限り、転載疑い記事を改善する場合などに今後も存在し続けるであろうと思われます(履歴の断絶自体がWikipediaの理念に適合するのかという議論もあるとは思いますが)。それゆえすでに利用者:Monanekoさんが提案しているように履歴の断絶をはかる公式の方針さえ確定させれば、この132人目方式を禁止したとしても問題はなかろうとは思います(あくまで著作権法とGFDLとの整合性の部分は考慮しないで、ですが)。61.211.14.78 2007年1月21日 (日) 07:38 (UTC)(218.41.187.74)[返信]
転載疑い記事の編集ということは私も過去に公孫竜でやっていますし、それにはそれなりの合理性があると思います。しかしそれ以外に「132人目方式」を使わないといけない理由はあるのでしょうか?イースト・ロサンゼルスではその理由が見当たらないようですが。らりた 2007年1月21日 (日) 08:42 (UTC)[返信]
[1]の版をみると、どうもどこかの書籍から引っ張ってきた文としか思えないのですが。ただ、あくまで主観です。主観だけでは著作権侵害を理由に削除依頼に出すこともできません。しかし、万一本当に転載だとあとで発覚した場合初版から全削除となります。たとえ、どこかで全改訂したとしても、現在の制度では全て削除されます。それを回避するための一種の裏技だと思っています。裏技は使わないほうがいいとは思いますが、それには過去版と一切関係ない版まで削除されてしまうという問題を解決する対案が必要だと思います。それがWikipediaの限界だといってしまえば簡単ですが、それを言ってしまうと、いい記事を書いてくれる人たちが逃げてしまいます。--Monaneko 2007年1月21日 (日) 08:58 (UTC)[返信]
著作権侵害の怖れがあると先に分かっていれば、削除依頼に出して決着してから新規投稿すればいいでしょう。もし後で気付いたのなら、特定版削除の依頼を出せば済むことです。過去の削除議論を見ていただければ分かりますが、前の編集を受け継がない新規の文面であることを確認して特定版削除で対処した例はあります。 -- NiKe 2007年1月21日 (日) 09:13 (UTC)[返信]
虞だけでは、根拠に欠けており依頼を棄却されてしまいます。また、そのような特定版削除は明文化されていませんよね?現状、そのような前例の存在を知らない方だけで削除依頼の議論がされた場合間違いなく問題のある版以降削除になります。個人的には全改訂時は要約にその旨を書いた上で一旦白紙化し、すぐに再投稿するという方法がいいと思いますが、制度化されていない以上白紙荒らしと見なされて警告を受けたり、せっかく書いた記事が完全に関係ない過去の版の問題で削除されるリスクがあるので、危険な橋を渡るようなものでしょう。--Monaneko 2007年1月21日 (日) 09:39 (UTC)[返信]