Wikipedia:コメント依頼/Yacco ishi
利用者:Yacco ishiさんの目黒幸子での行為について、コメントを依頼します。--Aimtkwz(会話) 2015年10月15日 (木) 00:26 (UTC)
これまでの経緯
[編集]2015年10月13日 (火) 14:54時点における版にて目黒幸子の死去に関する出典を追加して生年月日の横に死亡年月日を記載しました(差分)。その後、2015年10月13日 (火) 15:25時点における版で利用者:Yacco ishiさんによる編集が行われました(差分)。その際こちらが追加して出典をわざわざ取り消したうえで新たな出典を追加しています。新たな出典内容を確認したところ、こちらが追加した出典内容とほぼほぼ同じ内容であったことから「取り消す必要性があったのか」疑問に感じ利用者‐会話:Yacco ishiで質問しました。すると利用者:Yacco ishiさんは「略歴・人物項に、死因等の記載を追記するにあたり、出典明記をするために、没日時との重複を避けて、出典を消しました。」というのです。それならば、こちらが追加した出典でもいいはずでありわざわざ取り消したうえで新たな出典を追加する必要があるのでしょうか。何らかの新しい情報内容が追加されたのであれば文句は言いませんが、2つの出典内容はほぼほぼ同じ内容なのです。それなのにわざわざ取り消す必要があったのでしょうか。--Aimtkwz(会話) 2015年10月15日 (木) 00:26 (UTC)
Yacco ishiさんのコメント
[編集]まず、今回の編集について、私のノート上でAimtkwz様よりご質問を受けましたが、ご説明差し上げましたとおりです。私はWikipedia:編集方針に則り、記事の内容を良くするために編集させていただいたもので、Aimtkwz様の編集を否定する目的で行っておりません。
今回の編集には、ガイドラインに抵触するような行為や違反になるような行為は行っていないと思っておりますが、もしそうであれば、具体的にどの項目に抵触しているのかをご明記いただきたく、お願いします。
私もさまざまな編集に携わっておりますが、Wikipedia:編集方針では、「多様な参加姿勢が受け入れられます」との項目があります。私も、後で自分が編集した記事を見たときに、「どうしてこんな編集するのだろう?」と思うことはありますが、Wikipedia:礼儀を忘れない、Wikipedia:善意にとるという方針で、編集を受け入れて行動しているつもりです。--Yacco ishi(会話) 2015年10月15日 (木) 01:05 (UTC)
ガイドラインに抵触するような行為や違反になるような行為とは一言も言ってないはずですし思ってないですよ。繰り返しになりますが、2つの出典内容はほぼほぼ同じ内容だったからといって重複を理由にこちらが追加した出典をわざわざ取り消す必要があったのかということを聞いてるんです。--Aimtkwz(会話) 2015年10月15日 (木) 01:15 (UTC)
ガイドラインに抵触する行為でもないのでしたら、消しても消さなくてもどちらでもいいと思います。また、仮に編集過程で消されたとしても、それを問題だと指摘する根拠になるものはないかと考えます。あれば、その根拠を示してください。--Yacco ishi(会話) 2015年10月15日 (木) 08:30 (UTC)
消しても消さなくてもどちらでもいいと思います。って言うくらいなら消さないくてもいいんじゃないかなぁ~。たとえばこちらの出典内容より利用者:Yacco ishiさんの出典の方が情報量が多くて内容が充実で数段優れているなら、こちらも消されて納得いきますよ。でもそうじゃないでしょ。死因、死亡日、過去の経歴などほぼほぼ同じ内容なんですよ。消した理由を聞いてるんです。なぜ消す必要性があったのかです。重複なんて理由になりませんよ。出典はないよりあるに越したことはないんですから。下で自分の編集に執着してるとか言われてますが、そうじゃなくてほぼほぼ同じ内容であるなら別に消す必要はないんじゃないか、利用者:Yacco ishiさんは来歴・人物節だけを編集すればよかった訳でしょ。それを余計にこちらの出典を消したり脚注節を移動したりした理由を聞いてるんですよ。素朴な疑問に利用者:Yacco ishiさんは会話ページじゃ「重複を避けた」って言うだけだし、2つの出典がほぼほぼ同じ内容だからと言って一方を消す編集がWikipediaでは慣用的に許されているのかってことを他の人に聞いてるわけです。--Aimtkwz(会話) 2015年10月15日 (木) 23:53 (UTC)
コメント
[編集]依頼者Aimtkwzさんの加筆、および被依頼者Yacco_ishiさんの編集を見較べてみました。…正直に言って、依頼者さんが何を不満に思っているのか理解できません。
- 被依頼者の編集による方がすっきりしていて、当該記事の体裁としては明らかに改善しています。
- 出典の情報源の信頼性・内容の精度とも、ほぼ同等に見受けられます。
- 依頼者さんがわざわざ強調してる「もとの出典をわざわざ取り消して」という表現にも賛同しかねます。ほぼ同等の出典であれば先に出したもの優先、なんてきまりはどこにもありません。「被依頼者が独自に探索して得た情報源をそのまま使った。既掲載のURLとは異なっているが他の情報源と内容は同等だったので、敢えて元のURLに変更する必要は感じなかった」といえばその通りだと思いますし、じっさい私もローカルで編集したものをアップするのだったらそうします。
総じて、依頼者さんが「自分の編集」に執着しすぎなんじゃないかなあ、と思います。Wikipediaにおいて優先されるべきは個々の記事の改善(内容でも体裁でも)であって、携わった編集者個々人の書いたモノや想いではないのです。--Cossy~jawiki(会話) 2015年10月15日 (木) 13:15 (UTC)
- コメント 私には被依頼者が出典を除去した事については理解できません。WP:PRESERVEでは、「十分な説明をしないまま、価値のある記述を除去してはいけません。」とあります。ご存知かと思いますがウィキペディアではあらゆる観点から出典の価値が上部に位置します。見やすさよりも記述よりもです。この点については三大方針でご確認ください(WP:V、WP:NPOV、WP:NOR)。特にWikipedia:中立的な観点を保証する場合は出典は幾つあっても良いと思います。リンク切れの可能性もあります。人物の死去という事実に関する出典を10以上つけるのは確かに多すぎて可読性にまで影響を及ぼしそうですが、2つ程度ならば何ら問題無いはずですし、無説明に出典を差し替えるのは礼儀を忘れていると思われても仕方がありません。また、産経ニュースからデイリースポーツに差し替えというのも理にかないません。一般論としてスポーツ新聞の様なタブロイド紙よりも新聞社が発行したものの方がWikipedia:信頼できる情報源に該当します。私はここはYacco ishiさんが除去したリンクを復帰させる事でこの議論を速やかに収束させる事を提案します。あとAimtkwzさんにも一言申し上げておきますと、「わざわざ」という形容詞と太字は相手方を挑発する様な表現ですので言葉選びに注意して頂きたいと思います。--Whitesell(会話) 2015年10月15日 (木) 14:42 (UTC)
- 被依頼者の行為を善意にとって、というか「自分だったらこういう操作をしただろうな」と考えた手順は以下の通りです。
- 編集対象となる記事(ここでは目黒氏)のソースをローカルファイル(手元のパソコン)に保存する。
- ローカル環境で編集。この過程で死亡記述となる出典を探索し、記述の追加に反映。
- Web上に公開されてるWikipediaの当該記事を編集。ローカル環境からの貼り付けを基本に、既存の記述については記載位置の変更も。実作業としては「既存記述の除去」&「ローカル記述の別位置への貼り付け」か。
- このように整理してみると、被依頼者は「公開されてるWikipediaの当該記事編集」の段階でちょっと不注意だった…除去した記述と貼り付けた記述とのURLを見較べてもよかったんじゃないか…と整理した今では思いますが、依頼者に「わざわざ除去」と繰り返しなじられるほどの瑕疵があったとも思えません。依頼者さんは被依頼者の行動を「善意にもとれません」と言ってますが、ソッチの方が狭量と考えます。依頼者さんの「自分の編集がないがしろにされた」という感情は、Wikipediaにとっては不必要に思い入れが強すぎです。--Cossy~jawiki(会話) 2015年10月16日 (金) 12:32 (UTC)
- 被依頼者の行為を善意にとって、というか「自分だったらこういう操作をしただろうな」と考えた手順は以下の通りです。
依頼者の過剰反応。というか、「こちらの意見」を見る限り、コメント依頼の趣旨が解っていないんじゃないでしょうか。ここは第三者の意見を募るためにあるのであって、依頼者が不満をぶちまける場所ではありません。被依頼者の編集内容は百点満点とは言えないかもしれない(私だったら産経の方の出典を活かして<ref name="○○" />で処理するでしょう)が、少なくともいちいちコメント依頼で問題にするような人は普通は居ないという程度には「許容されている」。むしろ意に沿わない編集やコメントを許容できないでいる依頼者のほうが大きな問題を抱えていると言えます。--Kojidoi(会話) 2015年10月17日 (土) 03:21 (UTC)
コメント 正直どっちでもいいです。ほぼ同等の記事内容ですので、差し替えてもいいし、差し替えなくてもいい。もちろん差し替えた場合、先の編集者と若干の軋轢が生じる可能性はありますが、そういうことはここでは日常茶飯事、いちいち気にしていたらストレスがたまってしょうがないでしょう。それよりも、それこそ、「わざわざ」こんなコメント依頼を立ててご自身の過剰反応ぶりを衆目の下にさらけ出してまでコミュニティの手を煩わせる依頼者の方に問題があると思います。--Xx kyousuke xx(会話) 2015年10月20日 (火) 00:36 (UTC)
- コメント
- ウィキペディアでは、「本音による理由説明」は、それほど重要ではありません。ウィキペディアでは、「そのような行為」に、当事者がいちいち腹を立てるのではなく、善意に基づき、相手の編集の理由を自ら考えることで、衝突を避けることがもとめられています。「略歴・人物項に、死因等の記載を追記するにあたり、出典明記をするために、没日時との重複を避けて、出典を消しました。」という説明が既にあって、これを善意にとれば、略歴・人物項に、死因等の記載を追記するにあたり、既に知っている情報源を用いて追記しようとし、没日時のところで既に存在する出典があったが、それぞれの情報源から得られる情報としては重複するため、既にあるほうを消した、てことでしょう。そのような編集がなされることは、じゅうぶんありえることです。30分ほどの時間差ですから、Aimtkwzさんが編集する前の版を見て、情報源を探したり、文章を考えたりしていたということも考えられます。
- 記事をよりよくするための議論であれば、歓迎されます。このような場合に、重複させるか、一方を除去するか、除去するならどちらをどういう観点で選ぶか。ですから、出典の復帰を求めているのであれば、おそらくそれを支持するコメントが集まると思われます。それ以前に、単に自分で復帰させてもよいと思います。除去するのと、併記するのとどちらがよかったかと問われれば、併記するほうがいいという意見が多いと思います。
- それとは別に、第三者として、そこは重複しても出典を残したほうがよい、というような助言はあるでしょうし、信頼性やアクセシビリティの点で明らかによりよいと思えるような場合は別として、繰り返し先行して示されている情報源を除去して付け替えるような編集者には、忠告がなされるでしょう。--Ks aka 98(会話) 2015年10月20日 (火) 05:10 (UTC)
コメント 依頼直後に見た際には「気持ちは判るけど、ちょっと過敏に反応されているな」程度の感想でしたが、その際には無かった「こちらの意見」が増えていたので拝見し、ようやく依頼者の意図が見えた気がしました。「本音による理由説明」「消した理由を言ってくださいと言っている」からは、「被依頼者が何らかの悪意で出典を差し替えた」の答えありきで、謝罪を求めているとしか感じ取れませんでした。被依頼者の編集については先述されているXx kyousuke xxさんの意見に同意です。--61.86.155.190 2015年10月20日 (火) 05:25 (UTC)
まとめ
[編集]こちらの意見
[編集]- 利用者‐会話:Yacco ishiに書いたように消された出典の復帰を求めているわけではない。
- 重複だの、記事の内容を良くするためにだのといった表面的な理由説明ではなく、利用者:Yacco ishiさんの本音による理由説明(「消しても消さなくてもどちらでもいい」も本音のひとつかと)をお願いしている。
- 「消しても消さなくてもどちらでもいい」ものをあえて消したことをわざわざと言ったまでです。
- あえて消すからには理由があるからでしょう。その消した理由を言ってくださいと言っているだけのことです。
- そしてそのような行為はWikipediaでは慣用的に許されているのかということを聞いているんです。
- 「自分の編集がないがしろにされた」、「繰り返しなじられる」、「ソッチの方が狭量」そう思われたならそれで結構です。10人いれば10通りの受け取り方がありますから。--Aimtkwz(会話) 2015年10月16日 (金) 22:24 (UTC)