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Wikipedia:コメント依頼/Tossie

Tossieさん会話/履歴の行為についてコメントを依頼します。--氷鷺 2008年5月28日 (水) 16:36 (UTC)[返信]

経緯

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このコメント依頼は、Wikipedia:利用案内#「IRC(チャット)」のことででの Tossieさんの発言と、それ以前の行為についてコメントを依頼するものです。その「以前の行為」とは、以下のように、彼が今年に入ってから非常に多くの質問を(主にWikipedia:利用案内で)出しており、その多くが「調べれば/考えれば分かる」「訊く意図が理解できない」ようなものばかりであったことです。

本題となる「IRC(チャット)」のことでという質問が出されてから4時間後、私が彼の会話ページに注意を書き込みました。しかし、私の発言には不必要に攻撃的な文章が含まれていましたので、その一文を除去した上で、差分のリンクとともにお詫びを追記しました。これは、最近の彼の行動について良く思っていなかったために感情的になってしまったものですが、私の発言もまた、批判されても仕方ない不適切なものだったと反省しております。もしかしたら、最初に彼の元に届いた返答がこれであったことが、その後の彼の行動に悪い影響を与えていたのかもしれません。会話ページでの私の発言に対して、Tossieさんは何も答えてくださいませんでしたが、それは若干仕方のないことだと考えています。(cproさんの発言まで無視していたのはどうかと思い、その点については利用案内で指摘しましたが)


利用案内での会話についての説明に戻ります。利用案内ではMarine-Blueさんが質問の内容に答えた上で、最近のTossieさんの行為について注意しました。そしてその後 Tossieさんが反論し、彼の行為の正当性についての議論となり今に至ります。

まず最初の問題点である、多くの質問を上げていることについては、本人が『慣れない利用者の立場・感覚に置き換えて、こちらに質問を挙げたりもしてます[1]と、自分で分かるものをわざわざ質問しているような発言をしています。確かに、質問が多く出されれば彼の言うような「初心者が質問しやすい環境」づくりには効果があるでしょうが、はたして不必要に他人の手を煩わせるような行為が容認されるものでしょうか?

また、回答して頂いた方に対しても『感心しません』『書きぶりには注意してもらえれば[2]といった発言をしたり、調べることは(能力的に)できるはずだと指摘(指摘というよりは、もっと柔かく丁寧な言い方だったと思いますが)されると『私の個人的な見識や能力の評価などをお願いしたつもりはありませんし、噛み合ったコメントをいただきたいと思います。[3]と反論し、「自分に問題点があるかもしれない」などとは一切疑わないような姿勢がみられ、質問者としての、ウィキペディアで共同作業を行う人間としてのマナーを疑わざるを得ません。今日の発言[4]においては、さらに過激な文章で、自らの行為をまったく省みることなく Marine-Blueさんを攻撃しています。

以上の2点「不必要に多くの質問を出すことの是非」「利用案内における彼の対話姿勢」について、皆様のコメントをお願いいたします。なお、私としては Tossieさんに対し、今後は無駄な質問をやめ、自分で調べる/考えるようにして頂きたいと考えております。また、(私にも非はあるので)私に対する謝罪を求めるようなことはしませんが、Marine-Blueさんへは謝罪し、これまでの自分の行為にまったく問題点はなかったのか、考えて頂きたいと思います。--氷鷺 2008年5月28日 (水) 16:36 (UTC)[返信]

コメント

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  • 被依頼者にまたいろいろ言われそうで怖いですが、恐らく被依頼者とのやりとりの経験が多いほうに入ると思いますのでコメントします。まず、質問量が多いこと自体は悪いとは言えないでしょう。ただ「慣れない利用者の立場」からの質問というのが、「答を知らない振りをしての質問」という意味であるならば、これについては不毛ですので、直接の改善もしくは改善提案という形にしていただきたいとは思います。
    私が主に問題だと思うのは、被依頼者の「アドバイス・忠告癖」ともいうべき上にたった物言い、またその一貫で出てくる相手への中傷ともとれる攻撃的な表現です。これに関してはWikipedia‐ノート:連絡先で最初に被依頼者を見かけたときからすでに見られる傾向です。その時には、初めての方ですし、丁寧に接すれば理解してもらえるかとも思ったのですが、Help‐ノート:ノートページでのやりとり、Wikipedia‐ノート:表記ガイドでのやりとりを経て、私自身に向けられたことばにも堪え難い不快感を覚えました。その後、うっかり被依頼者の発言にコメントしたこともありますが、その結果、再び堪え難く不快なことばを投げ掛けられ、被依頼者との関係は必要最小限とすることを決意しました。ここ1年ほど、微力ながらプロジェクト関連文書およびHelp名前空間の整備に時間を割いてきており、一利用者のためにこれを投げ置くのもいかがと思い整備は続けているため、どうしても被依頼者と接する場面もありますが、利用案内への質問はじめコメントをつける絶対的必要のない被依頼者の発言については、一切コメントをつけない所存です。--Aotake 2008年5月29日 (木) 10:03 (UTC)[返信]


  • (コメント)Wikipedia:利用案内のような、ウィキペディアに不慣れな方へのガイドとなるページについて、気づいた点を挙げていただけるのは貴重でもあり、改善に結びつく方向であれば歓迎したいところです。ただ、依頼で指摘された例を見ると、細々した質問が逐次的に出されており、もう少しまとめた形での改善提案にならないものだろうかとは思います。また、ウィキペディアは共同作業の場であり、利用者に「質問者」や「回答者」というような色分けがあるわけではありません。したがって、反応が意に添わないからといって、「そんなことは聞いていない」などと返したり、さらに質問を重ねたりするのはいささか礼を失した態度ではないかと思います。あまりこういうことが繰り返されると、これらは質問の形をとってはいるものの、ほとんどクレームあるいは嫌がらせではないかと受け取られる方が出てきても仕方がないのではないでしょうか。個別の例までは立ち入りませんが、被依頼者コメントからすると、相手を「無神経な編集をする高慢な人」だと考えたり、あるいは「堪え難い不快感」を受けた場合、「きつい書きぶり」をされるようです。しかし、自分が不快だから相手も不快にさせていいという考え方はいかがなものでしょうか。この依頼では、被依頼者の行為によって少なくとも複数の方が不快にさせられている事実があります。被依頼者は利用者ページに「普通の、健全な社会人」と表明されるほどの方ですので、いま一度ご自分の参加姿勢を省みていただければ幸いです。このままだと、被依頼者がせっかく有意義な「質問」をされても、だれも相手にしなくなってしまうかもしれません。なお、ウィキペディアにはWikipedia:ウィキケットWikipedia:礼儀を忘れないWikipedia:善意にとるといった方針やその草案がありますのでご参考まで。--みっち 2008年6月5日 (木) 10:40 (UTC)[返信]
    • ここにあった被依頼者のコメントは「被依頼者コメント」の節に移動しました。コメント依頼は、広く第三者の意見を求めるもので、被依頼者が出された意見ひとつひとつにコメントされると、錯綜・混乱しますのでご遠慮ください。ご質問に一応お答えしておきますが、被依頼者のコメントはすでにあったことの蒸し返しで、私が上で述べた意見を変更・修正する必要を感じませんでした。また今後、常にご質問にお答えするとは限らないことを前もってご了解ください。--みっち 2008年6月12日 (木) 09:55 (UTC)[返信]


  • コメント)ええと、まずは、Tossieさんのご投稿を、利用者に対するコメント依頼での慣習に従ったリスト構造に修正させていただきました。可読性向上のための措置ですので、ご了承いただけましたら幸いです。
    さて、「不必要に多くの質問を出すことの是非」については、いちおう許容範囲だと感じています。
    ただ、「利用案内における彼の対話姿勢」については問題ありだと思います。このコメント依頼で出てきたTossieさんのご発言を引用しますが、個別の利用者について「”教えてやっているんだ" という意識が勝っているような印象の方もいらっしゃる」と考え、「そういう場合でも、私は普通に遠慮なく意見をお伝えしたりする」のであれば、Wikipedia:利用案内のようなページのコメントの中ではなく、その利用者のノートページでご意見をお伝えするようにしていただきたいと思います。
    そういうTossieさんのご意見をWikipedia:利用案内の中で伝えようとされてしまうと、Wikipedia:利用案内の本来の利用目的からはずれ、質問→回答という流れを破壊してしまいますから、第三者からみて不便になってしまいます。
    そして、もしその利用者のノートページでやり取りしても埒があきそうきないということであれば、今度はその利用者に対するコメント依頼などを利用していただければ良いのではないかと思います(なお、反対の意見の方もいらっしゃると思いますが、私は利用者へのコメント依頼はもう少しカジュアルに、「こじれてしまったから」ではなく、「こじれるかもしれないので」くらいの段階で利用して良いのではないかと思っています)。--Mizusumashi 2008年6月12日 (木) 05:23 (UTC)[返信]
  • (コメント)被依頼者へ…自分で答えが分かっている事に関してはWikipedia:FAQの適切なサブディレクトリにご自身が問いも答えも書けば良いだけのことです。そこなら「自分の答え」と異なる事を言われたりしたときに文句を付ける必要もありません。他人に聞いてしまった場合「期待した答え」が来るわけはないのですから……。「質問の主旨がうまく伝わらなかったのかもしれませんが、とにかくありがとうございました。」くらい書けないのであれば、そして伝わらなかったのが原因か探ることなく一人でイライラするのであれば、今後「他人任せの回答しか期待できない」利用案内への記載はおやめになった方がいいと思います。--Springtide 2008年6月27日 (金) 16:16 (UTC)[返信]

被依頼者コメント

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  • ネット上でのやり取りには、その手段が文字媒体のみということもあって、いろいろな行き違いや思い違いが伴いがちですし、それらに端を発する諍いもありがちです。いずれにしても、どちらかに一方的に非があってというのは稀なことだろうと思います。
    Aotake さんは、『私自身に向けられたことばにも堪え難い不快感』のように挙げてらっしゃいますが、一方のみの断片的なお話のように思いますので、全体的な状況を以下に触れておきたいと思います。
    私の方からしますと、『それに先立っての耐え難い侮辱、堪え難い不快感』を受けたという経緯があります。
    「Help:ノートページ」について、不慣れな方がスムーズに読み進められるようにと相当箇所を編集したところ、その直後に、それらのほとんどをことごとく元に戻すような編集が Aotake さんにより行われました。その際の編集理由については、「編集内容の要約:」での「修正」の一言でした。
    その時点では、『それにしても無神経な編集をする高慢な人だな』という印象を受けましたし、それに続く「Wikipedia‐ノート:表記ガイド#「たとえば」 or 「例えば」?」でのやりとりでは、以前の「表記ガイド」に関するやり取りのことも関連して、結構きつい書きぶりにもなっております。
    ところが、かなり後になって Aotake さんのお話で、『実は、私が作業をしている間にTossieさんが版を重ねられていて編集競合になったのを手で統合したのですが、その際に統合すべき点で見落とした点もありました。この点については私の怠慢ですのでおわびします。』ということが分かって、
    私の方でも、『それに気付かずにいてご迷惑をお掛けしたように思いますし、どうも申し訳ないことをしましたというのと、Aotake さんの方でも、それならそれでもっと先に伝えていただければ良かったのに』、『いずれにしても、編集競合というようなタイミングの綾によって行き違いが生じたケースのようですので、お互いに恨みっこなしで、ウイキペディア編集に当たっての一つの教訓にするということで、よろしくお願いしたいと思います。』のように、お詫びも含めてお伝えしております。( 詳細は、「Help‐ノート:ノートページ#ページの構成などについて」 )
    いずれにしても、私としては、何の経緯もなしにいきなりけんか腰の書き方をしたりなどは決してないつもりですし、その辺については、それぞれのやり取りについて具体的にご覧いただければと思います。なお、当該のやり取りに先立っての別件でのやり取りが背景になっている場合もありますので、何か疑問に思われるケースなどがありましたら、おたずねいただければ具体的にご説明しますので、よろしくお願いします。--Tossie 2008年5月29日 (木) 15:54 (UTC)[返信]
  • みっち さん、はじめまして。ご意見ありがとうございます。Real Life の方がなにかと繁忙につき、少し日が空いてしまいました。
    > 被依頼者の行為によって少なくとも複数の方が不快にさせられている事実があります。
    いわゆるベテランの利用者の中には、”教えてやっているんだ" という意識が勝っているような印象の方もいらっしゃるように思います。そういう場合でも、私は普通に遠慮なく意見をお伝えしたりする質ですが、そういう方は、なぜそのように言われるのかをそれなりに考えてみることもせずに、すぐ感情的に反発してしまうという、自己中心的な受け取りになることもありがちのように思います。お話の「複数の方」というのは、あるいはそういうケースに当たるのではとも思います。
    ですから、『個別の例までは立ち入りませんが、』のような表層的な捉え方に留まるのではなくて、個別のケースについて具体的に客観的に検証していただくのがよろしいのではと思います。
    > 自分が不快だから相手も不快にさせていいという考え方はいかがなものでしょうか。
    私は、そういう考え方をしているつもりは全くありません。
    実際には特に不快に思っているわけでもなくて、『こういうのはよろしくないのでは』のように感じたりして、それを意見としてお伝えしているだけのことです。たまたま相手が『堪え難い不快感』のような言い方をするので、『それを堪え難い不快感というのであれば、こちらにも少なくともそれと同等の耐え難い不快感があるということになりますよ。自分側の感情だけを言い立てるのは止しましょうね。』という対比の趣旨で言ってるに過ぎません。そもそもこの程度のことで、堪え難い不快感を感じたりして自分にストレスを掛けるような質でもありませんので。
    とりあえず、Aotake さんのケースについて、もう少し具体的に辿って見たいと思います。
    私はAotake さんに、『文章の表記について、人それぞれの流儀があるような事柄で、「Wikipedia:表記ガイド」などでも特に謳われていないようなことについては、手を入れたりしない方がいいと思います。どうしても表記を揃えたいというのでしたら、まずは「Wikipedia:表記ガイド」などにその関係を盛り込むなりした上で行うのがいいと思いますが。』という趣旨のお話をしていました。
    ところが、まさにそういう話をしている矢先に、Aotake さんは、私が「Help:ノートページ」で編集した『たとえば』や『良い意味で』の部分を、『例えば』、『よい意味で』のように手を入れたりされるわけです。「Wikipedia:表記ガイド」に挙がっているんだろうかと思って当たってみたんですが、そこには特に見当たりませんでした。
    要するに、相手の意見に耳を貸さずに、意見に全く反するような編集を当の相手の文章に対して行うという、並の神経では考えられないような行為をされるわけです。
    私はとりあえず「Wikipedia‐ノート:表記ガイド#「たとえば」 or 「例えば」?」、「Wikipedia‐ノート:表記ガイド#「良い意味で」or「よい意味で」?」のように質問を挙げてみたんですが、Aotake さんはそこに追いかけてきて、私に言わせれば脈絡のよくわからない説明をされたりしています。
    なお、この件については後で、「Help‐ノート:ノートページ#【編集理由】 「たとえば」、「良い意味で」の表記について」に理由を具体的に記し、元の私の表記への戻し編集を行っております。
    このような、"相手の意見に全く耳を貸さずに、それに全く反する編集を当の相手に対して行う" に加えて、上記のように、たまたま『編集競合になったのを手で統合したのですが、その際に統合すべき点で見落とした』という Aotake さんの後になって分かったミスが重なって、「Help‐ノート」で私が編集した多くの箇所のほとんどことごとくが「修正」の一言で元に戻されたという状況がありました。
    これらの行為について、私自身は「Wikipedia:善意にとる」なども知らないわけではありませんが、いくらなんでもという印象でしたので、『私の感覚からすると社会常識に外れるように思うのと、思い上がり、独善という印象にも繋がりかねませんから、お考えになった方が』という意見をお伝えしたわけです。
    まずはここまでの経緯について、みっち さんですとどのようにお捉えになるかをお聞かせいただければと思いますので、よろしくお願いします。--Tossie 2008年6月11日 (水) 06:18 (UTC)[返信]