Wikipedia:コメント依頼/Sethemhat
利用者Sethemhatの行った、独自研究の是否に関わる発言と、それに付随する問題に対してコメントを依頼します。--Sethemhat(会話) 2022年4月30日 (土) 14:34 (UTC)
経緯
[編集]2022年4月30日 (土) 9:59 (UTC)ごろにSockpuppetにより、Sethemhatの行為についてのコメント依頼が提起されました。
私はTwitter上にて、
これを公開してよいかわかりませんが、正直に申しますと、「独自研究の禁止」(WP:NOR)は、おそらく私と最も相容れないWikipediaの方針です。考え方はよく分かっているのですが、どうも性格上合わないところがあります... — Sethemhat
という発言を行いました。 これを、sockpuppetの荒らしは「独自研究の禁止という方針は私にとって相容れないので今後一切無視する」という明らかに誇大な解釈を行い、ネイさんによってブロックされ、ページも即時削除されました。しかしながら、上記の発言が行われたことおよび、書かれている内容を私が考えたことは事実です。
私は今、どこまで編集者の裁量による文章の(拡大)解釈が許されるかがわかりません。ここで、私の編集している古代エジプト分野は言うなれば医学系記事と同じように専門的で、検証に相当な知識が必要であることを理解しております。そこで、私がもし「一般的に不可な編集」を、エジプト記事改善の段階でたくさんの記事にしてしまった場合、もし不可であった場合にすさまじい修正が必要となり、コミュニティに大変なご迷惑をおかけするおそれがあります。現在の編集記事にも、そのようなものが混ざっているかもしれません。なので、「どこまで編集者の裁量による文章の解釈が許されるか」という問題について、コメントを頂きたいと思います。荒らしによってこのようなコメント依頼が提出されたので、私に独自研究の疑いをかけている方もおられるかもしれません。そのような問題に対しても疑いを解消する意味でもあります。なお 私の問題ですので、「利用者に対するコメント依頼」として扱いました。具体的には以下で詳説します。
過去に私に対する検証可能性・独自研究についての議論/指摘への参考リンク
[編集]- Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ツタンカーメン 20211211
- 利用者‐会話:Sethemhat#検証可能性について
- プロジェクト‐ノート:歴史#古代エジプト分野のスタンダードの構築について
独自研究?の内容
[編集]私がしようとしている独自研究にあたるかもしれない行動には、以下の通りがあります。
- 文章に注釈をつけること
- システマチックにエジプト語⇔翻字⇔ラテン文字転写 を行うこと
- このままだと文章が成立しない内容だと、Sethemhatが判断したものについて、解釈を行うこと
1.について、例えばいきなり「アンテフ2世は再びティニス地方を奪い、一気に同地方の北限まで侵攻し」とあった場合、読者はいったいアンテフ2世が誰なのかわからない場合があると思います。この際「アンテフ2世は第11王朝3代目のファラオで、~」という注釈を(Efnを用いて)挿入することをしたいと考えます。
2., 3.については、以下に文を挙げます。
On the base of a statue from the sanctuary of Heqaib on Elephantine, a Mentuhotep is referred to as "Father of the gods". This title probably refers to Mentuhotep's immediate successors, Intef I and Intef II who reigned as kings over Upper Egypt.
ここで、英語の"Father of the gods"(日本語: 神々の父)という称号の記述から、翻字表記"it-nTr"を逆生成し、注釈で補遺することや、"wTs-xa.w, s.Htp-nTr.w"という翻字からラテン文字表記"Wetjes khau sehotep netjeru"を生成すること(実際にはこれには出典はありますが、出典のない人物記事を翻訳する時を考えてください)。
3. は、上引用の第2文にある、"This title"の主語の所在を、「エジプトのファラオは神と呼ばれていた」という知識を用いて、「アンテフ1世とアンテフ2世だ」と特定するような、自身の知識により翻訳文をいじることなどを指します。
このようなことをするのは、読者にできるだけ多くの情報を知ってもらいたいからです。この内容が事実かどうかは、自分自身は各種文献より知った情報なのでほとんど疑いはないと考えておりますが、検証可能性の観点よりはそれは問題となりえるでしょう。この時、第1, 2例に関しては「何もしない」、第3例に関しては「疑いのある文章は翻訳しない」といった行動が可能かと思いますが、そこで生まれた記事とは、本当にわかりやすいものだといえるのでしょうか。その内容のギャップを埋めるためには、ある程度の編集者裁量での補遺が必要と思います。
コメント依頼提出者のコメント
[編集]現在の編集状況
[編集]私が書いた記事ファラオには、一部独自研究ととられる補遺の仕方があるかもしれません。例えば、 「その後古代エジプト文明を通じて、セト名を用いた王は一人もいないことより、王権の変化を目指す試みは失敗したようである。」という文章に、「セト名を用いた王はいないが、セトを守護神にしたり、セトを名前の要素に用いた王家は存在する。例えば、第20王朝にはセティと言う名の王が2名存在し、第21王朝の始祖はセトナクト(セト神は力強い)である」と出典付きで補遺したり、「ウェヘム・メスウト」という称号に、各種の書籍を参考にした知識より「翻字:wHm-mswt, 直訳:repeating births(誕生の更新)+[出典]」としたりなどです。 これが問題となれば、改善はしたいと思っておりますが、ここで残る「読者のためになるであろう行動」が許容されないルールが、私を「性格上合わない」と言わしめていることです。うまく書けなかったかもしれません。ご容赦ください。--Sethemhat(会話) 2022年4月30日 (土) 14:34 (UTC)
- 昔、ラテン文字転写で"imn-m-HAt, itj tA.wy"という名称のみやこがありました。これを、エジプト学者で、複数書籍も出されている松本氏は「イティ・タアウィ」とカタカナ転写されていますが、私はこれが誤っているため、こう書きたくないと(かなり強く)思っています。なぜならば、元々はitj(i)(イチ, イチィ)で、「掴む(v.)」という意味ですが、もしイティ(ity)にしてしまったら、これは別の「支配者(n.)」という単語を表してしまうからです。松本氏はこの文字列を「アメンエムハト、二国の所有者」と訳しているので、itjをityと誤解しているとも推測はできますが、定かではありません。この単語itj、別名「ガーディナー記号V15」がitjの音を持つことは、別途記号表にて確認済みですし、中エジプト語文法の書籍付録の辞書にも、ityが支配者でitj(i)が取る(と書かれている)という別々の意味を持つことも確認済みです。
- 現在はイチ・タウィという"まだましな"名称で記事名が登録されているため、まだよいのですが、これがすでに適当に決められていた場合、改名提案を経ないといけなく、有効出典なしで最悪変えられないかもしれません(tawyはタアウィとするのがよいと思うので、イチ・タアウィへの変更を検討しています)。
- 日本のエジプト学会がカタカナ表記を統一していないので、このような場合がまだまだたくさんあります(松本氏はよく王名の訳も間違えるため、当該書籍の日本語訳を私は失礼ながら信用しておらず、外国語文献を使用しています)。その私が「誤っているだろう」と考えられる名称を、検証可能性の面からみて使用することを余儀なくされることは、かなりストレスになってしまいます。妥協案として、カタカナ転写なしで日本語本文中に"itj tawy"と書くという代案があり、私はこれで妥協してもよいと思いますが、これでもよいのでしょうか?--Sethemhat(会話) 2022年5月1日 (日) 00:54 (UTC)
皆様のコメントに対しての返信
[編集]再度、皆様 コメントいただきましてありがとうございます。皆様のコメントに共通することとして、「基本的に、注釈があれば記述は認められる。ない場合は不可」であることを再認識いたしました。また、大変遅くなりまして申し訳ございません。返信を行いましたので良ければご確認ください。
返信 (User:ネイさん宛)
- 再翻訳でミスが発生したケースがあるのですね。エジプト語でも同様のことが言えそうなので、日本語→エジプト語の再翻訳は控えるようにしておきます。
- 例文はそのままの文章を上げており、言いたかったのはIntef IとIntef IIの父がMontuhotepであることを、称号として用いられている"Father of the gods"に関する知識を用いて特定することがよいことであるかどうかということでした。
- 言語別の転写法ですが、一応作成はしましたが非常に微妙です。というのも、それこそ学者により異なるからで、下で柒月例祭さんが仰っているように自分で何か作るのは「私の仕事ではなく」、あまり好ましいことではなかったように思います。
返信 (User:みっちさん宛)
- 「wpは一種の鏡」「この世の実態はむしろカオス」という考え方は大変参考になりました。前者は全くその通りで私も慎重にならざるを得ないと思いますが、後者はやはり統一したいという気持ちが早まってしまいます。そこをどう折り合いをつけるかについて私の今後の課題であると認識しております。翻訳をした場合はノートに記事名が仮の名称であることを付記するようにしたいと思います。
返信 (User:柒月例祭さん宛)
- 私は、調べもののとっかかりどころか、これである程度完結してくれることを目的に記事を書いています。普通の人は専門書へはなかなか赴かないでしょうから(記事自体が長すぎて、そもそもみなまで読まないという突っ込みはなしでお願いします)。
- 「帰結として分野内で不統一になるなら、それはしかたないです」;うーん、やはりどうも理解はし難いですね。私は直して回ってしまいます。
- 一般人のためにあえて専門的でない名称、言い方を用いて「あげる」こと自体は私はやぶさかではありません。しかし、それを積極的にすることはしません。この前査読していただいたファラオにも書きましたが、エジプト史では言うほど「ファラオ」という名称は使われず、むしろ「王」=Kingを用います。これが一般の、「エジプトと言えばファラオ」という認識と乖離している一つの例でしょう。また、一般的にツタンカーメンとして知られる王は翻字に基づくとトゥトアンクアメンです。しかし、前者があまりにも有名なため、私は前者を受け入れています。なお、この名称は専門家も用いているため、私はより正確な後者に変えるつもりはありません。しかし、専門家もあまり用いていないが普及した名称がもしあるとすれば、それは明確にダメでしょう、と思っています。
- 基本的に「最も正確で、正しい」ものを記事名にすべきと思います。例えば、一般的にラムセスとされる王はより正確にはラメセスですが、実はそれすらも正しくなく"私は"ラーメセスウが最も正確だと"思っています"。これは、翻字ra-ms=swで、ラメセスとすれば語末のswのwが無視されているためです。しかし、これを専門家が指摘していないなら、私が言うことはよくないのではないかと最近皆様のコメントを頂いた結果考え始めました。やはり、(WP:NORの観点からは当たり前ですが)こういう自己の考察は別のところに書くべきだと思いました。
- 「無声音をカタカナで正確に表すなんてどだいムリ」その通りです。しかし、せめて統一を...は他でも揺れが存在する以上、あまり現実的ではないのでしょうかね(リンカーン、リンカン など)。
- 私は専門家ではないですが、ある程度はわかっているつもりではいます。ご指摘のように、それを「標準の学説」を見分けるために用いようと思います。
- 「妥協」については下の方に書いています。
返信 (Ogiyoshiさん宛)
- まず、私がJawpに来ている理由は、既存のjawpの正しいか間違っているかわからない内容よりも、私によるより正確な情報を皆さんに伝えたいからです。個人Wikiでしても結局信頼性のために出典は絶対付けますし、私の考察が区別されて付加される程度です。また、人々に見られない可能性もありますし、それなら私の考察部分を別の場所で発表するほうがよいと考えました。この点で、私が現在Jawpを去ることは考えておりません。「もう少し粘る」は、自分を抑えるという意味で使ったと思います。これは前出のように私の考えを外部に放出することで収めようと考えています。
- スタンダード、すなわち基準というものは先駆者が作っていったものを後発が模倣することによって知らず知らずのうちに構築されていくものです。その先発が私であり、後発の方が私の方法を模倣したとすれば私がスタンダードを提案してそのように施行するのと何ら変わらないと考えたのです。実際には、スタンダードの内容はよろしくないものでありすでに取り下げましたが、この点で傲慢であると批判されるのはあまりいただけません。
- また、取り上げられている「jawpのルールを軽視する傾向がある」「独善的な傾向が見て取れる」というこの見解は全く正しいと言えます。私の基本的な考え方はWP:ルールすべてを無視しなさい のように、目的への障害をすべてなぎ倒していく方法です。
(どこで切ればいいかわかりません)Ogiyoshiさんの「諦めきれてないのかな」という推察は正しく、私は今でも「統一されている状態」が正であり不統一な状態は不正であると考えています。
- 例え大ごとになりそうな発言でも、私が言いたいと思えば言いますし、言いたくないと思えば言いません。この考えは"命取り"になろうが通します。この(頑固な)性格を直すつもりは(今のところは)ありません。
雑で申し訳ありません。返信と正直な思考開示を行いました。これを受けてのコメントは要求しません。私の考えが少しでも伝われば幸いです。--Sethemhat(会話) 2022年6月25日 (土) 14:22 (UTC)
皆様のコメント
[編集]- コメント 1に関しては、注釈の内容が出典付きであれば、独自研究にあたらないと思います。2は明清交替で「中国語圏の人名の英語訳から中国語に再翻訳した結果、誤訳が生じた」ことがあり、できれば避けたほうがよさそうです。3は原文にThis title probably refers to [...] Intef I and Intef IIとあるので、どういじったのかがわかりませんでした。「専門家による誤った表記」は、他の情報源での表記を採用するか、原文表記を採用するのが安全です。日本語情報源が少ない分野では、Wikipedia:外来語表記法(のサブページ)で言語別の転写法を定める手もあります。--ネイ(会話) 2022年5月1日 (日) 03:41 (UTC)
- 注釈を付けること自体は問題ありません。むしろ望ましいことです。
- 出典元に実例のないシステマチックな転写はやめるべきでしょう。
- 出典元の文章に不備があると考えられる場合の補遺については、それが利用者個人の判断に基づくことを注釈として明記すべきです。
- 以下、少し長くなりますが、関連する議論からいくつか大きく2点、問題意識を述べます。まず検証可能性の件ですが、私の考えは Sethemhat さんに比較的近いところにあると思いながら拝見しました。出典を示せといわれて示せるなら、その文章はつまり検証可能なのであって、脚注で出典を明示していないという形式的な問題があるだけです。脚注は、それが正しく出典を示しており、妥当な利用方法であることが「検証」されて初めて意味があります。例えば「東京は日本の首都である。」でも「邪馬台国は九州にあった。」でも、文章そのものの検証は可能であり、信頼性が脚注の有無や数で変わるわけではありません。ところが、脚注の数と文章の信頼性を単純に結びつけて、脚注が多いほど信頼性が高く優れているという人がいて、過剰に脚注を付けたり、秀逸選考でさえ分量と脚注が多いというだけの理由で賛成が入る状況も見られます。これはおかしい。そこで私はどうしているかというと、このような形式的で記事の内容に資さない議論をしないですむよう、基本的に一文ごとに脚注を付けています。一種の迎合ですが、私にとって「問題はそこじゃない」からです。
- 記事名や日本語表記のスタンダード構築については、懐疑的です。かつてギリシア神話の表記法では私も統一化に賛成しましたが、それでも、統一はあくまでも同分野内に限り、他の分野で言及される場合は対象外という条件付きでした。これはこの分野で記事を書くならだれもが参考にするであろう専門家による汎用的かつ明確な転写法が存在していて、例外の心配をする必要がほとんどなかったためです。古代エジプトについてはまったく不案内ですが、そのような状況ではなさそうです。また、表記の統一というのは整然とした景色が魅力的ですが、この世の中の実態は表記に限らずむしろカオスであり、不統一あるいは雑多が本質的にも感じます。ウィキペディアはある種の「鏡」ですから、そうした中で権威や専門性の不明な利用者が統一を掲げ、「スタンダード」を決めていいのかというと、懐疑的にならざるを得ません。というわけで私は以前にもある利用者に対し、「とりあえず統一」という姿勢に疑問を呈したことがあります。私は記事においても、一例を挙げればノート:エレウシスの秘儀の初版メモのように、正しさや理想よりも利便性を重んじる立場から実際によく使われている表記を折衷的に採用しています。ただし、カタカナ語化の使用例がない場合や、現実の使用例がわずかかつ明らかに誤りだと考えられる場合は、正しいと思われる表記を暫定的に採用することまでは禁じられないと考えます。あくまで仮であれば独自研究とまではいわれないでしょう。--みっち(会話) 2022年5月1日 (日) 13:27 (UTC)
- コメント (私なりに短く。)Wikipediaは百科事典です。論文や専門書ではない。詳しく知らないイッパンジンが、調べ物の取っ掛かりとして利用するという想定です。なので根本原則として記事名は、詳しくないイッパンジンが一番最初に検索しそうな語にする、というルールになっています(WP:NOTTEXTBOOK「記事名には専門用語ではなく一般的な用語を使用するべきです。」・WP:CRITERIA「認知度が高い」)。帰結として分野内で不統一になるなら、それはしかたないです。
- 記事名をそうしておいたうえで、記事の中で、様々な異表記、原語表記、ラテン文字表記、英語表記、カタカナ表記について詳述するのはよいでしょう。読者の助けになります。(ただし出典ありきです。)外国固有名詞のカタカナ化については、ときどき様々な分野で話題になりますが、無声音をカタカナで正確に表すなんてどだいムリなんですよ。「p」と「プ(pu)」は違うでしょう。
- Sethemhatさんは専門知識があるのでしょう。ですが、Wikipediaは研究や啓蒙の場所ではないです。表記ゆれのような学術界でも不統一なものを、Wikipedia内で「正しい」ものに統一するというのは、Wikipediaの役割ではないです。それは学会でやるなり、個人のHPを立ち上げてやるなり、よそでやるほかないのです。あなたが専門的な知識を有しているならば「ここまでは学会では誰もが認める共通認識」「ここからは学会でも意見が分かれる事柄」の線引ができるでしょう。それをきちんと区別して丁寧に書くのがWikipedianの役割です。
- ある種の処世術的なことを言いますが、根本的なところでWikipediaは共同作業の場です。「これが正しい」と信じることがあっても、他の編集者の賛同が得られないならあきらめる・妥協する、というのは必要ですよ。それができない方は得てして、他者やコミュニティと対立を深めて、いずれ強制的に追い出されてしまいます。中には自分の正しさを譲歩できずに去る方もいます。それも一つの道でしょう。Wikipediaではなく個人サイトで立派な発表をなさる方も大勢います。矛盾があるようですが、記事を書くにはそれなりの専門知識(専門書を読んで参照できる)が必要ですが、反面、専門知識が有りすぎると「どこらへんまでの記述に留めておくか」の引き際みたいのが決断しにくくなる、的な面もあると思います。たとえば、あなたが「この学者は専門家だ」と認める方が、市販の百科事典の記事ではどのぐらい「抑制的に」書いているか、が参考になるはずです。--柒月例祭(会話) 2022年5月1日 (日) 15:56 (UTC)
- (追記)専門知識がないので個別具体的なことには踏み込みにくいのですが、「itj tawy」の件については、「カタカナ転写なしで日本語本文中に"itj tawy"と書く」といのは可だと私は思います。そのうえで、注釈を利用して、「学者の誰それは『イティ・タアウィ』と表記している」的なことを捕捉しておくとよいでしょう。ただし、別の方が異議を申し立てて学者の表記を採用し、ラテン語表記を注釈送りにする(つまり逆にする)ということを主張した場合には、合意形成が必要になるでしょう。「専門家である学者」の「間違い」を我々WikipedianがWikipedia上で指摘する、というのはむずかしい・悩ましいところです。あとはもう論文でも書くなり、学者の間違いを指摘する本を出版するしかないでしょう。あなたが本当に「正しい」のであれば、学会からも認められるはずです。--柒月例祭(会話) 2022年5月1日 (日) 16:09 (UTC)
- (コメント)節の名前が「被依頼者」になってますが、これってご自身で出した依頼ですよね?であれば混乱と勘違い防止のために「提出者」に書き換えるべきかと思いますね…。--153.136.95.201 2022年5月3日 (火) 23:50 (UTC)
- 返信 確かに仰る通りでしたので、修正しておきました。ありがとうございます。--Sethemhat(会話) 2022年5月5日 (木) 14:29 (UTC)
- (コメント)Wikipediaの三大方針である「中立的な観点」、「検証可能性」および「独自研究は載せない」は相互補完的かつ一体として解釈されるべきものです。そして、その一つである「中立的な観点」についてWikipediaの創設者は「絶対的で交渉の余地のないもの」と明言しています。したがって、「絶対的で交渉の余地のないもの」をその一部に含み、それらが一体として解釈される三大方針に関しては、同様に絶対的で交渉の余地はなく、わかりやすさのために(検証可能性を犠牲にして)補遺するとか、ストレスを回避するための妥協案を(検証可能性を犠牲にして)実施する、というのはすべきではない、と思われます。そのようなご相談をコメント依頼ですることについても、何らの解決にもなり得ないものと考えます。要するに、三大方針はコミュニティの上位に位置しますから、コミュニティに諮ることが有益だとは思えない、ということです。--Wikimedians of Japan(会話) 2022年5月21日 (土) 13:12 (UTC)
- 近日中にさらなる疑問点の提示またはまとめに入らせていただきますが、まとめまではコメントは大歓迎です。皆様コメント誠にありがとうございます。--Sethemhat(会話) 2022年6月3日 (金) 13:31 (UTC)
- 独自研究?の内容については、すでに利用者:ネイ(会話 / 投稿記録)、利用者:みっち(会話 / 投稿記録)、利用者:㭍月例祭(会話 / 投稿記録)三氏の見解で概ね合っていると思います。三氏のうち誰の見解が最もいいかということはなく、ハイブリッド的な対応で済むかと。
- 一方、Twitter上で「正直に申しますと、「独自研究の禁止」(WP:NOR)は、おそらく私と最も相容れないWikipediaの方針です。考え方はよく分かっているのですが、どうも性格上合わないところがあります...」と公言したことについては、率直に言って「まずい」です。「じゃあ、なんでウィキペディアにわざわざ来ているのか?」的に詰め寄られたら、どう反論するつもりなのでしょうか。依頼者はまた、「(前半略)自分Wikiを作ってルールに縛られず好きにやったほうがいいのでしょうか? いいえ、もう少し粘ります。」というツイートも行っているようですが、「いいえ、もう少し粘ります。」というのはどういう意味なんでしょうか。依頼者はプロジェクト‐ノート:歴史#古代エジプト分野のスタンダードの構築についてにおいて「もし、私が2004年のウィキペディア設立当初より、すべてのファラオ記事を作っていればこのような面倒なことにはならなかったでしょう。」ともおっしゃってますが、これも人によっては大言壮語としか受け止められかねず、実際利用者:TEN(会話 / 投稿記録)氏がこの発言に対して懸念を示されているほか、利用者:あずきごはん(会話 / 投稿記録)氏にも「jawpのルールを軽視する傾向があると認識しています。」「独善的な傾向が見て取れると感じています。」と指摘されており、私ですらも大いに善意にとって「Twitterのプロフィールで「専門家ではなく、ただのアマチュア・古代エジプトファン」と言っている割には、結構な自信を持つ方だな」という印象が強いです。そもそもこの節を作ったのが依頼者で、本気で「自分で古代エジプト分野のスタンダードを作るんだ」ということを考えているのなら、私でなくてもこのコメント節でコメントをよせている他のユーザーでなくても、将来的に別のユーザーによって「「独自研究の禁止」が性格上合わないのなら、ウィキペディアからはお引き取りください」と言われかねない事態になる可能性はゼロではないと思います。それこそ、「自分Wikiを作ってルールに縛られず好きにやったほうがいい」と思います。
- 三大方針をハイレベルに厳格に守って行動しているユーザーがいるかどうかは過分にして知りませんが、ひとたびウィキペディアに参加した以上は、「「独自研究の禁止」は私と最も相容れない方針」「性格上合わない」なんてことは、公言してほしくはなかったなとは思います。要は、「言葉尻を捕らえられて大ごとになるようなことは、可能な限り避けるべき」ということです。--Ogiyoshisan(会話) 2022年6月4日 (土) 11:14 (UTC)
- 追記ですが、その後他のコメント等々拝見するに「スタンダードの構築」なるものに関してはとりあえずひっこめた模様ですが、それでも「同じものは表記が揺れては絶対にならないのであり本当は統一したいのです。」などとおっしゃっており、正直「諦めきれてないのかな」という感があります。件の発言は5月のことなので、1か月ほどたって心境の変化等々があったかもしれないので槍玉にあげるのは控えるべきでしょうけど。6月4日のコメントでも言ったように、「言葉尻を捕らえられて大ごとになるようなことは、可能な限り避けるべき」ということは必ず頭に入れてウィキペディアンとしての活動をなさるべきでしょう。そして、やはりどうしても「独自研究の禁止」が肌に合わないのでしたら、去られるのがいいかと思います。--Ogiyoshisan(会話) 2022年6月17日 (金) 09:39 (UTC)
- 私の最終コメントより約3週間がたちました。他の方の追加コメントがなければ、そろそろまとめに入りたいと存じます。--Sethemhat(会話) 2022年7月14日 (木) 08:05 (UTC)
- コメント 利用者名変更しましたので利用者名が変わっていますが、上でコメントした者です。ツイッターを拝見しましたが、依頼提出者さんのご多忙故まとめに着手できていないのではとお察しします。まとめをしていただくのはもちろん構いませんが、特に利用者の行為に関するコメント依頼は、議論をまとめて結論を出すことが目的ではなくあくまでもコメントをもらうことが目的ですから、無理してまとめを行う必要はないのではないかと思います。依頼提出者がまとめを行わなければならない、というルールもありません。時間をかけて議論をまとめるというよりはむしろ、上で色々とSethemhatさんに耳の痛いコメントも出されているのですから、それを踏まえて今後の行動を改める、と表明することでいいのではないでしょうか。「「正しい」ものに統一するというのは、Wikipediaの役割ではない」・「「独自研究の禁止」が肌に合わないのでしたら、去られるのがいい」という具体的なアドバイスも出ています。『頂いたコメントを尊重して、今後は独自研究禁止等のウィキペディアの基本的方針を遵守し、(独善的・ルール軽視といった)過去に指摘されているような問題を起こさないようにします。』でコメント依頼の結論としては十分ではないでしょうか。
- 皆さんからのコメントに対して反論を行い、なにか結論を出そうとされているのなら、それは「利用者の行為に対するコメント依頼」の役割ではないように思います。
- コメント依頼提出者のコメント節でも皆様のコメントにいちいち反論し、一部の指摘に対しては「直すつもりはない」などとおっしゃっているようですが、せっかく依頼に応じてくださったコメントを素直に受け入れない、コメントで指摘されても直さないと表明する、「注釈があれば可、なければ不可」といった極端な一般化をするなど自分の都合のいいように結論を導こうとしているのであれば、コメント依頼の目的外利用であると思います。--革命的共産趣味全ウィキ全共闘(会話) 2022年7月15日 (金) 04:04 (UTC)
- コメント 依頼者コメントに「「基本的に、注釈があれば記述は認められる。ない場合は不可」であることを再認識いたしました。」とありますが、他の皆様のコメントを見てもそのような理解はできないと思います。「記事名や日本語表記のスタンダード構築については、懐疑的」、「表記ゆれのような学術界でも不統一なものを、Wikipedia内で「正しい」ものに統一するというのは、Wikipediaの役割ではないです。」とも指摘されています。注釈さえ入れれば出典文献にない独自研究による補遺が認められる、という理解は本コメント依頼の結論としては誤りであろうと思料するものです。--革命的共産趣味全ウィキ全共闘(会話) 2022年7月15日 (金) 03:59 (UTC)
終了提案
[編集]以下の理由から、本コメント依頼の終了を提案します。
- 議論開始から約3ヶ月経過し、依頼提出者および私以外の最終コメントがされてから1月以上が経過していること。
- コメント対象者でもある提出者は本コメント依頼の「まとめ」を行われるご意向のようだが、近日中にまとめを行うと最初に宣言されてから1月半以上が経過していること。
- 寄せられたコメントに対し、コメント依頼提出者のコメントにおいて「直すつもりはない」などと公言されるなど、集まったコメントを尊重する姿勢に欠けており、本コメント依頼がその本来の目的が失われていると考えていること。
- 本コメント依頼が他の利用者からコメントを集めるのではなく、依頼提出者自身の考えを開示したり、どこまで独自研究が許されるのか、といったような基準を決めるための場所となってしまっていること。独自研究の禁止はWikipediaの三大方針の一つであり、利用者の合意によって覆されるものでもなく「どこまで独自研究が許されるか」という議論はそもそも前提から不適切です。本コメント依頼が今後の依頼提出者の独自研究を正当化するための裏付けとして用いられることを危惧します。
- 事実、依頼提出者は『「基本的に、注釈があれば記述は認められる。ない場合は不可」であることを再認識いたしました。』と述べるなど、コメントした皆さんのコメントの趣旨を恣意的に解釈し、本コメント依頼において「注釈すれば独自研究は認められる」といったルールを定立しようとされていること。
- これらの依頼提出者の振る舞いに対して、皆さんのコメントを尊重し、改めるべきところを改めるよう私から忠告しましたが、(他の記事や議論には精力的に参加されている一方で)これに対する返答がなく、その意志がないと思われること。
- 依頼提出者はTwitterにおいて近く年単位のウィキブレイクに入る予定であることを表明されており、少なくともコメント依頼をこれ以上続ける意義が失われていること。
本コメント依頼の結論としては、上でも述べたように「コメントで指摘された点を尊重して、今後は独自研究禁止等のウィキペディアの基本的方針を遵守し、(独善的・ルール軽視といった)過去に指摘されているような問題を起こさないようにしていただきたい。」という点に尽きると思います。過去にも指摘されている独善的・ルール軽視と言った点が本コメント依頼でも指摘されれており、自らが専門分野のスタンダードをウィキペディアにおいて作ろうとする姿勢は、「「正しい」ものに統一するというのは、Wikipediaの役割ではない」・「「独自研究の禁止」が肌に合わないのでしたら、去られるのがいい」という強い言葉で他の利用者からも苦言を呈されています。
以上を本コメント依頼の結論とし、本コメント依頼を終了することを提案します。合意形成の一般的な例に則り、1週間反対意見がなければ終了が合意されたものとして終了作業を行いたいと思います。--革命的共産趣味全ウィキ全共闘(会話) 2022年7月21日 (木) 10:44 (UTC)
- 終了には異論ありませんが、結論の内容に一部異議があります。私は、残念ながらすべての革命的共産趣味全ウィキ全共闘さんの発言が善意から来たものだとは思えません。
- まず、私が「注釈」と言ったのが悪かったかもしれませんが、言いたかったのは「出典付き」です。無出典での補遺は今後Wikipediaでは致しません。
- 可処分時間の使い方の決定権は言うまでもなく私に属します。「(他の記事や議論には精力的に参加されている一方で)これに対する返答がなく」とありますが、私が自分のコメント依頼よりも他の案件が重要だと思ったからそちらに時間を割いたまでで、自分のコメント依頼なのですから責任もって対処を行います。
- 「集まったコメントを尊重する姿勢に欠けており」;そのようなことはありません。そもそも、意見が頂きたいと思ったからコメントの依頼を行ったのであり、「耳の痛い意見」を聞きたくないのであれば最初から提起しません。自らの行動を客観視できる限界にあるからコメントをいただくのですから、頂いたご意見を参考にしないことがあるでしょうか。その上で不承知なことは不承知であると正直に申し上げているだけで、むしろ口では「承知」と返事をして実際の行動が「不承知」である方が問題だと私は思います。
- 「「どこまで独自研究が許されるか」という議論はそもそも前提から不適切です」;これは的を射た発言に見えますが、私はそのような話はしていません。私がしているのは「独自研究が可能か不可能かのライン(瀬戸際)」です。上でも書いたようにプロジェクト:歴史 の段階から私は無出典記述は当然不可であるとの認識を持っています。ならば有出典記述はどうなのかという話をしているのです。
- 革命的共産趣味全ウィキ全共闘さんによる最後の段落のまとめには異論はありませんが、前段階には上記の通り了承できない点があります。もしかすれば第三者の仲裁が必要かもしれません。--Sethemhat(会話) 2022年7月22日 (金) 13:45 (UTC)
- 返信 「最後の段落のまとめには異論はありませんが」ということですが、後段落の内容、すなわちまとめ内容及び議論を終了させること自体については異論はない、ということでよろしいでしょうか。前段落の内容は、私が終了提案を出そうと思った理由でしかなく、議論のまとめや合意内容ではありませんから、認識相違が発生しているのがその点のみであれば、その認識相違をすり合わせる必要がないと思った次第です。--革命的共産趣味全ウィキ全共闘(会話) 2022年7月22日 (金) 23:08 (UTC)
終了 提案から相当の期間が経過しましたが、終了自体には反対意見がないため、終了させていただきます。なお、終了提案の際に私が述べた提案理由に対してコメントを頂いておりますので、お返事させていただきます。
- 無出典での補遺が認められないのは当然の事です。そして、出典が存在したとしても、出典に対して一編集者でしかないSethemhatさんが内容について正誤や不備を判断して、それに基づきSethemhatさんの専門知識や、ほかから引っ張ってきた別の文献をもとに補遺することは情報の合成であり、独自研究です。ウィキペディアでは査読制度を設けていない以上、Sethemhatさんが判断した「出典の不備」については誰も検証できず、検証可能性の観点からも問題があります。決して「エビデンスさえあれば出典文献の不備を記事上で正してよい」というわけではないことをご理解いただきたいです。
- どうしてもというなら、他の方から指摘されているとおり「論文でも書くなり、学者の間違いを指摘する本を出版するしかない」ということになりますし、そうする他ないでしょう。ウィキペディアはSethemhatさんの学術的正しさを発表する場所ではありません。
- Sethemhatさんの可処分時間の使い方の決定権は言うまでもなくSethemhatさんに属します。しかし、Sethemhatさんが可処分時間をどのように使用したかは、当然第三者からの評価として考慮されるということです。Sethemhatさんに限った話ではありませんが、他の方から指摘をされているのにそれには答えず、一方で自分の好む活動ばかりをウィキペディア上で行っている場合往々にして「対話拒否」と呼ばれます。可処分時間の使い方の決定権がSethemhatさんご自身に属しているからこそ、どのように可処分時間を使用したかはSethemhatさんに対する評価につながるものと考えます。Sethemhatさんの本コメント依頼での振る舞いに対して私がどのような評価を行うかの決定権は、それこそ私に属しています。Sethemhatさんの行動は自由ですが、その自由の結果として第三者から評価を受ける、それも含めての「自由」ではないでしょうか。それに対して自らの自由・自己決定権を振りかざすのは、なにか自由を履き違えておられないでしょうか。
- Sethemhatさんのコメントを拝見して、本コメント依頼がやはり目的外利用であるとの思いを強くいたしました。提出者兼コメント対象者であるご自身が積極的にコメントに反駁し、なにか議論をしたり結論を出そうとされているのは、趣旨を履き違えておられると思います。非常に残念です。
- 「独自研究が可能か不可能かのライン(瀬戸際)」という言葉の意味するところが必ずしも明らかではありませんが「独自研究が可能」な場合がウィキペディアにおいてただの一例でも存在するとは思えません。独自研究の排除はウィキペディアにおける最も基本的な根本原理の一つであり、これは単なる利用者の合意によって覆せるものではありません。独自研究が可能なライン(瀬戸際)を決めようとしている時点で、重大な方針無理解であると思いますし、コメント依頼の目的外利用であると言えます。専門的知識で正しさを判断するのはウィキペディアンの役割ではありません。もし、正しさを追求したいなら、それは他所でやっていただくべきかと思います。以下に創設者Jimmy (Jimbo) Walesの発言を引用させていただきます。ご参考にしてください。
基本的考え方は次の通りです。:「ある事柄が本当に正しいかどうかの有効な判断を下すのは、我々にはたいへん困難です。ある人が提唱する物理学の新しい理論が正当なものであるかどうかを我々が決めるのは適切ではありません—我々はそのような判断を下せるほどの専門知識は持ち合わせていません。しかし、我々はその理論が評判の良いジャーナルや評判の良い情報源を通して発表されているかどうかは、確認できます。ですから、適切な判断能力を備えた人々によって信用できると判断された物事に単に依拠することにより、ある物事が信用できるかどうかの判断を避けることは、本当に便利なのです。lists.wikimedia.orgへの Jimmy (Jimbo) Walesの投稿から翻訳
以上となります。議論に参加した皆さんお疲れ様でした。--革命的共産趣味全ウィキ全共闘(会話) 2022年8月1日 (月) 04:44 (UTC)
- 終了 Sethemhatがコメント依頼を目的外利用している、という結論をされるのは大変いただけません。「積極的にコメントに反駁」しているのではなく、私は「積極的に他者のコメントをまとめている」のです。このコメント依頼は終了で構いませんが、このコメント依頼そのものが無意味かのように後発の読者に受け取られかねないような、善意なき結論には遺憾の念を述べさせていただきます。--Sethemhat(会話) 2022年8月1日 (月) 05:52 (UTC)