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Wikipedia:コメント依頼/Opponent

もともとはノート:東京大学でしたが、ユーザーの行動についての議論になっていたため、このページに移動しました。コピー・アンド・ペーストではなく、移動を使用した理由は履歴保全のためです。無関係のコメントをしたMishikaさんには申し訳ありませんがご了承願います。Michey 11:39 2004年4月16日 (UTC)


政治のところの人名に政治家、評論のところの人名に評論家とつけても、意味がないと思うが。Mishika 02:52 2004年3月28日 (UTC)

たまたま記事を見たんですが、著名な出身者の序列を見て椅子からころげ落ちそうになるぐらい吃驚(びっくり)いたしました。ものすごいヒエラルキー構造ですね。東京大学に(こそ!)似つかわしい順序なのかもしれませんけれども、この順番をおつけになったのは 利用者:T. Nakamura さまの 13:36 2003年11月26日の版 からのようです。へ~~? あ~驚いた。
- Opponent 01:30 2004年4月16日 (UTC)


姦しいですね、全く。いつもあなた自身が中立性を無視した記事を書くくせに随分な言い草ではありませんか?で、それを指摘すると「勝手に直していただいて結構」と仰いますよね。じゃあ貴方もそれに準じればいいだけの話では?文句言う前に勝手に直す。それがここのルールなんでは?全くもって自己矛盾が多すぎますよ、貴方は。
苦言ついでに申し上げますが、どこかで「私は人と違う視点を持っている」と仰ってましたが、その考え方に囚われている時点ですでに「その他一般人」ではありませんか。良く人とは違う音楽や絵を好むから私はその他大勢とは違う、と薄っぺらい勘違いをされる方がおりますが、貴方が大好きな「上原ひろみ」も「人とは違うと勘違いしているその他大勢」が注目したおかげで売れたわけで。その辺、いっぺんゆっくり考えて見ては?
さて、話は変わりますが。ここに出入りしている人間の多くが、貴方との議論を避けている状況、何となく気がついてます?得るものが無いのですよ、貴方との議論は。無理やり人と違う行動をしても、根底は一般人なわけですから、上辺だけ気取った貴方からの意見はつまらないうえに疲れるだけの物なのです。それに貴方は絶対に引かない。それじゃあ子供の喧嘩ですよ。皆さん口にこそ出しませんが、そう思っている方は多いです。ソース出せ、と言われても面倒なので拒否しますけどね。
もし今の考え方を変えられないのであれば、悪いことは言いません。即刻wikipediaより出て行くべきです。中立的な記事を書けず、人の中立性には文句を言う。議論は不毛。人の意見を聞かない。おまけに勘違い。貴方のためを思うと、人との協調が図れず自分自身の中立性が保障できない以上、立ち去ったほうが良いと考えます。そうすれば、貴方も回りも嫌な思いをせずに済みますからね。一度熟考されてみては?
ここだと黙殺されるかも知れませんので、一応貴方のノートにもあげておきますね。

Opponent です。Tori さまへご回答いたします。

もしもその記述が完全に妥当な情報を含んでいるなら、それを活かすべく編集されるべきで、削除されるべきではありません』( 偏った意見を削除して良いか


何が何でも、情報は保存するよう努めて下さい。記事の一部でも除去するときは、以下の理由に該当するものにして下さい

  • 重複
  • 関係のない内容
  • patent nonsense
  • 著作権侵害

または、以下のようにしてください:

除去する代わりにできることには次のようなことがあります:

  • 内容を保ったまま、言い換える
  • 文章を記事内で移動、あるいは、他の記事(既存、新規を問わない)に移動する
  • あなたが大事だと考えていることについての記述を追加することで、記事のバランスをとる』(編集スタイルについて

以上の観点から考えると、一つ例を挙げますが、上原ひろみの記事で、 『何度も参加した常連だった』を『何度か参加した』に変更なさったわけですね。「何度か」という言葉は、ニュアンスとして「数回」に聞こえます。ところが、

インターナショナルジュニアオリジナルコンサート(発表会)

  • 1991年 第20回IJOC: 上原 ひろみ (うえはら ひろみ) 12才 浜松市立北部中学校1年[1]
  • 1992年 第21回IJOC: 上原 ひろみ (うえはら ひろみ) 13才 浜松市立北部中学校2年[2]
  • 1993年 第22回IJOC: 上原 ひろみ (うえはら ひろみ) 14才 浜松市立北部中学校3年[3]
  • 1994年 第23回IJOC: 上原 ひろみ (うえはら ひろみ) 15才 静岡県立浜松北高等学校1年[4]
  • 1995年 第24回IJOC: 上原 ひろみ (うえはら ひろみ) 16才 静岡県立浜松北高等学校2年[5]

ユニセフチャリティコンサート(いわばJOCの晴れの舞台)

  • 1993年 上原 ひろみ (うえはら ひろみ) 14才 浜松市立北部中学校3年[6](NHKホール)
  • 1994年 上原 ひろみ (うえはら ひろみ) 15才 静岡市立浜松北高等学校1年[7](NHKホール)
  • 1995年 上原 ひろみ (うえはら ひろみ) 16才 静岡市立浜松北高等学校2年[8](NHKホール)
  • 1996年 上原 ひろみ (うえはら ひろみ) JOC卒業生/静岡県立浜松北高等学校3年[9](Bunkamuraオーチャードホール)
  • 1998年 上原 ひろみ (うえはら ひろみ) JOC卒業生/法政大学法学部在学中[10](Bunkamuraオーチャードホール)

12歳でのオリジナル曲発表にはじまり、14歳からはNHKホールのような晴れの舞台にJOC在籍者・卒業生として毎年参加しています。1997年が抜けているのは、この年はミシシッピー州でのJOCで特別ゲストとして参加。12歳~19歳まで、一度も途切れることなく毎年ステージ演奏をこなしているわけです。これは、まさに常連というべきではないでしょうか。

「重複」でも「関係のない内容」、「patent nonsense」、「著作権侵害」のいずれにも該当しないのに、お調べなさることもなしに、内容を保つことなく、改変して言い換えてしまわれた。『文句言う前に勝手に直す』の内容がこれですから、呆れてしまいます。ほかにもいくらでも根拠を挙げられますが、煩瑣・多岐にわたりますので、ここでは一例にとどめます。

閑話休題。東大で「皇室~政治家~……~下々」という序列が当然視されているのならば、それはそれで構わないではありませんか。わたくしにはそれを覆すだけの根拠がありませんので、「このような序列が当たり前になっているんですか?」という問いかけをしたにすぎません。その後多くの方が編集なさっていて、誰も訂正なさらないので、何らかの根拠があるんだろうと推測するしかありません。したがって無根拠に訂正するわけにも参りません。ただひとこと申せば、東大出身のわたくしの知人は、このような序列のリストへの掲載に嫌悪を示されるだろうと容易に想像がつきます。

『苦言ついでに……』以下の文章は、要約文『どうなんだ?』を含め罵詈雑言にしか見えません。要は『出ていけ』という結論ですからね。また、『どこかで「私は人と違う視点を持っている」と仰ってましたが』はたぶん利用者‐会話:Opponent#赤鉛筆さまへの中の『それは翼賛体制、提灯持ち、お追従、予定調和、……、あるいはひとと同じことを考えるのが根っから嫌いだという意思の表明だとお考え下さい』以下を指していらっしゃると思います。これは明白な誤読でしょう。わたくしの意思ないし決意の表明として『ひとと異なる視点の提供を自らに課す』と述べています。文脈・文意を曲げた、しかもあやふやな引用は、おやめになった方がよろしいと、ここで申し上げておきます。
- Opponent 11:03 2004年4月16日 (UTC)

ごめんごめん。あんまりにもどーでもいい返事だったんですっかりこっちを忘れてた(笑)ついでにコメント返しておきますよ。

  • 『何度も参加した常連だった』を『何度か参加した』に変更なさったわけですね~『文句言う前に勝手に直す』の内容がこれですから、呆れてしまいます、に対して。揚げ足取るなんていうガキ臭い事やってないで、文句言わずにそれらしく修正すれば良いのでは?上原ひろみの実績云々以前に、ものの言い方が主観的だから書き換えただけだし。常連なのは何も上原ひろみだけではないでしょうに。
  • 東大の序列云々に対して。言い方の問題でしょう。T.nakamuraさんの編集で、たまたまそうなっただけかも知れないし、とりあえず、の順列かも知れないのに「へー」だの「吃驚」だのあからさまに「どうしたんだろう?」と注目されるようなものの言い方ではありませんか?普通の人の斜め上を飛んでらっしゃる貴方(笑)と違い、普通の人なら「文句あるならはっきり言って欲しいんだけど」という状況を自ら作り出しておきながら「それはそれで構わないのでは」といけしゃあしゃあと返信してくるその態度に呆れるやら脱力するやら。だったらはじめからそのような事を書かなければいいでしょう。我慢できずに脊髄反射で反応しちゃったんですかね?また、「何らかの根拠があるんだろうと推測するしかありません」とまた私的解釈を持出してますが、これに対しては空いた口がふさがりませんね。私的解釈を堂々と述べられるなんて羨ましい。へー、吃驚。おどろいた(笑)まぁ私は東大のような利口バ○が集う場所には全く関連の無い小市民なので、根本的にこの話題には然程興味はないのですが。
  • 「苦言ついでに~」に対して。すいません、貴方の文章があまりにも分かりにくいものだったので取り違えました(笑)これについては誤っておきますよ。ハハ。

それと。ルールを盾にした正論の暴力は非常に見苦しく、あなた自身の幅を狭めるだけですよ。Tori 07:03 2004年5月22日 (UTC)


Opponent氏よ、「上原ひろみ」で書いた「演奏時の表情は歓喜に満ちたこぼれんばかりの笑顔を見せて聴衆を魅了する」というめっちゃくっちゃ主観的な記述についての弁明はないのか? 

Opponent からのおこたえ(No.2)
固定ハンドルかつ管理人でもいらっしゃる 0null0 さまにご介入いただいたこともあり、例外的にお応えいたします(もう一つ理由がありますが、それについては後述)。

例外的、といいますのもIP利用者もしくは一時的に名乗って使い捨てにするハンドル(「捨てハン」、参照: 「ハンドルネーム」)らしき方からの発言には、原則的にお応えしないことにしておりますので。

それにしても趣味・嗜好領域の、それもたかだかジャズピアニスト(中村紘子さんによるとピアニストは蛮族だそうです: ISBN 4163460802, ISBN 4167568012)の描写にこんなにも熱り立たれるとは……。0null0 さまのご介入がなければ、もうしばらく静観(高みの見物を)して、どんな展開になっていくのかを見守り、楽しもうと思っていたところでした。

ところで、[[Wikipedia:ガイドブック]]の 誰でも編集できて問題はないの?の記述、「デタラメな記事を書き込んでいく人がいたとしても、それ以外にも参加者はたくさんいて、すぐに目について訂正されるか消されるかしてしまうという仕組み」や、Wikipedia:ページの編集は大胆にの『「どうしてこのページやあのページは文章が推敲されていないんだ?」などと憤慨したり、心配したりすることはありません。驚くべきことに、問題はやがて解消されていくのです』という記述を信頼できない方が、意外に多いんですね。たとえ仮にわたくしの記事に問題があろうと、多くの方が批判的に検証し、改善・改悪を繰り返すことによって少しずつ記事を完成に近づけていけるという理念はどこに行ってしまったのでしょう。多少過剰とも思えるリンクをつけたのは事実ですが、これはあとで加筆修正される方への検証作業の手間を少しでも減らす目的でつけました。リンクの手掛かりによって、いくぶん参照先を探す手間は省けるでしょうから、不要になったときに削除すればいいでしょうに。

さて、わたくしは、 「誰でも編集でき」て「自由に利用できる」百科事典という理念を十二分に活かすには、「思い入れを熱く語る」ファンの層が厚くても、ちっともかまわないと思っています。むしろ熱心なファンの方々が多数お見えになって、それぞれの分野を充実させていくという方法だってあるはずです(ジャズの分野の充実度がいかに低いか、この「上原ひろみ」の記事を書いていて痛感しました)。固定ハンドルユーザは、目に見えて増加していますから、そういった「思い入れを熱く語る」ファンの機嫌を損じない形で、スマートに長いスパンで改良、加筆、修正していくことは、十分可能だと思っています。ノートの冒頭に書かれた「ここは、思い入れを熱く語る場所ではありません」は比較的紳士的な書き込みでした。一理あると思い、静観モードに入ることにしたわけです。ご説に異論はありましたけれど、とりあえず静観しよう、と。ちなみにもっとスマートな対応をなさったのは Suisui さまの、「[[上原ひろみ]]に==ブレイク==なんて項目がある。百科事典?」(3月26日)と「[[上原ひろみ]] - 極端なPOV、日本語」(3月29日)でした。

以下、全面展開をする余裕はありませんのでいくつか気付いた点をいくつか。

Suisui さま同様、『ブレイク使いすぎ』というご意見がありました。多少減らされましたが、それでも、利用者:Opponent/ブレイク一覧などというメモを作ったせいか、いまだに見出しとして残っています。いずれどなたかが改良なさるでしょう。もともとは英語のブレイクスルーから来ている言葉ですが、どちらかといえば「ブレイクする」という表現が人口に膾炙している(AERA などの週刊誌に使われている)ので、とりあえずこちらを採用。別にこの表現がいい、などとは思っていません。的確な短い表現が見つからなかったので、とりあえず使っただけです。

削除されてしまった記述『ナチュラル・ハイに近い状態』ですが、インタープレイの最中、上原ひろみさんが共演者のインプロヴィゼーションから強烈な刺激を受けて脳内にβエンドルフィンの放出が起こり、それが多幸感(『ニヤニヤしちゃう』)につながっているというのは、大脳生理学上の常識ですね。「ナチュラル・ハイだ」とは断定せず、『近い状態』とトーン・ダウンさせましたが。「あれは演技だ」とお思いになるならともかく、この描写で、現在の彼女の演奏時の状況あるいは個性を説明しよう考えました。削除するのではなく (1)「内容を保ったまま、言い換える」、(2)「あなたが大事だと考えていることについての記述を追加することで、記事のバランスをとる」とするのが適切だと思います。申すまでもなくこの記述は「重複」、「関係のない内容」、「patent nonsense」、「著作権侵害」のいずれにも該当しません。

その笑顔についての『めっちゃくっちゃ主観的な記述』についてですが、これはたとえばオンライン上に散見される描写、たとえば――、
  • 「演奏中、ずっと笑顔ですね」「上原:もう、楽しいですよ。ステージでミラクルが起きているんです」
  • 爆発した髪の毛といい、完全にあちらの世界の顔の表情
  • 自分の世界に入り込んだ時など笑顔をしばしば見せながらの演奏
  • ピアニスト上原ひろみさんの笑顔はまわりの人をハッピーな気持ちにさせてくれる
  • (『情熱大陸』の)上原ひろみさんの話。すごかった~。そのテクニックだけじゃなく、その笑顔が!
等々といった感想(日記、BBSが多いのでソースは省略)を、中立的な観点からどのように取り込むのか、という編集技術上の問題に過ぎないと思います。実際にそういった文章が存在するわけですから、その事実について記事に取り組むならどうすべきか、という問題でしょう。こんなもの不要だというご意見もあるでしょう。ないならないで一向に構いませんけれども。

一方、オンライン上に散見される『早弾き』という「評価」を記事中には、意図的に取り込みませんでした。何故か――、この「評価」は、とくにモルトスカッシュの感想によく出てくるのですが、あれは『早弾き』でもなんでもなくて、モルトスカッシュの缶を持つまで左手はベースラインを弾いているだけ、飲んだあと右手で演奏するのは単なるスケール(音階)にすぎない。スケールはピアノ演奏技術上基本中の基本ですから、片手で弾けて当然のものです。そんなわけで『片方の手でピアノを弾いてみせる離れ業』という記述が現在の版の年譜に残っているのは奇異な感じ。これ、オンライン上のソースは讀賣とサンケイスポーツなんですが、投稿の際、ソースを明記してカギ括弧の中に入れてしまうかどうか、少し悩みました。そういった頓珍漢な勘違いをどう処理して記事にどう取り込むかを考えながらあの時点で、とりあえず残したままポストしたわけです。リストの超絶技巧練習曲ならともかく、あの程度のものが『早弾き』とか『離れ業』などというのは笑止千万、と判断したんですが、ここはとりあえず「イキ」にしました。

まだまだご指摘はあったと思いますが、今日のところはこのへんで。それより、もっと重大だと思っていることを一つ。それは、わたくしに対するいろいろなご意見は、あってもいいと思っていますが、その書き込みが日本版ウィキペディアの重大な障害になりはしまいか、という点です。番組出演やコマーシャルで上原ひろみさんに興味を持った方が、たまたま記事を読みに来られて、ついでにそのノートをお読みになったら、どういう印象を受けることになるのか、どういう影響を及ぼすのか、という点です。ノートを読まれた方が、思わず退いてしまうのは確実ですね。わたくしが常習的に主観的記事を書くらしい、ということが明記されているのが救いですが、こういった記事がいけないとするなら、どういう記事にすればいいのか具体的説明抜きで書かれていらっしゃいますから、初心者に対して大きな壁をつくっているも同然です。「ファンは書くな」、「ファンの主観的記述がダメ」と言っているのと同じです。ウィキペディアにとって、これは大きな損失ではありませんか? ちなみにわたくしは上原ひろみさんのファンではありません、またジャズは好きですがジャズファンでもありません。「文化現象としての上原ひろみ」という点に着目して書いただけです。これも削除されてしまいましたが、日本人はブルーノートのような、あるいはノラ・ジョーンズのような古くて伝統的ジャズが好きなんだと思う、と上原ひろみさんがインタビュー[11]で答えています。上原はそういいながらも、インタビューの中で即座に、「わたしもノラ・ジョーンズは好きです。とってもキレイな音楽」、と抜け目なく自己フォローしています。このインタビューを援用して、とりあえず「微温的」と表現した部分が削除されてしまいました(別に気にしていません。だってファンではないし、とりあえずポストしたは残っているわけですから極論を申し上げれば==概要==の九行以外を全部削除なさっても構わないと思っています)。古くて伝統的(保守的)なものを好む風土の日本に異物として登場した上原ひろみさんの音楽は、いったいどのように日本の土壌に受け容れられていくのだろう、という興味が中心でした。実際、セッション505(NHKの番組)を聴いていると、十年前からひとつも変わらぬ金太郎飴Jazzばかり。

これに近い現象が、実は日本でもありました。石川さゆりの『天城越え』
(アーカイヴで申し訳ない)がそれ。『カラオケ・ブームで、素人がこなしやすい歌が出回り過ぎている。石川さゆりしか歌えない歌があってもいいじゃないか』と思い、微温的な音楽を抜け出し、プロフェッショナルとしての意地を見せたわけです。

つい脱線してしまいましたが、とりあえず、重要だとわたくしが思う点を繰り返しておきます。ウィキペディアンは「思い入れを熱く語る」ファンの書き込みを拒絶するのか、それとも何らかの形で受け容れるべく参加を促すのか。前向きに後者を選択するならば、どのような体制を構築してそういった記事を受け容れ、中立的な記事に書き換えていくのか、そういうことが問われていると思います。これは「ウィキペディアにおけるエチケット(ウィキペチケット)の原則」の『不満を表明するのと同じ数だけ、ポジティブなコメントをするように努力してみて下さい』の実践によって成立することだと思います。わたくしは鉄道記事がいくらあったっていいと思うし、そんじょそこらの Jazz サイトを凌駕する Jazz 記事があったって全然かまわないと思っています。

また、オーラなる意味不明のご意見(初出はたぶん、「賞味期限切れ」)に対しては「Wikipedia:省略部分を明らかにせよ」の『記事を書く時にはいつも完璧を目指してください』に基づいて編集した、とお答えしておきましょう。なにも「記事を独り占めしたい」などとは毛頭考えておりませんし、仮にそのように意図しても、執筆した記事が増えていくにつれ、事実上そんなことは不可能になってしまうでしょう。そう思いませんか? モグラ叩きを思い浮かべて下さい、モグラ叩きの穴が増えれば増えるほど、全部叩くことは不可能になりますね。

そして何よりも不思議なのは、ご不満を表明するヒマがあれば、どうしてその時間を執筆・編集にお使いにならないのか、あるいは具体的な改良・改善提案ではなく、不満表明だけになってしまうのか、という点です。以上、0null0 さまと Michey.M さまへのお礼を兼ねて、とりあえず。
- Opponent 09:27 2004年4月18日 (UTC)
- Opponent 10:27 2004年4月18日 (UTC): さま(敬称)を付加
「ファンの主観的記述がダメ」というのは、ウィキペディアでは守られるべき約束だと思います。そんなことも弁えずにこれまで編集作業をしていたのですか。たとえ記述する対象の「ファン」であっても、客観的な記述が要求されるのではないのですか。Opponentさん、この「上原ひろみ」に限らず、あなたは記述する対象の発言をすべて発言者の側に立って肯定してしまい、批判的な独立した視点で検証する作業を一切おこなっていません。たとえば、「上原ひろみ」で問題になっている「ナチュラル・ハイ」云々といったことに関して、客観的な記述をしようとするのであれば、「あれは演技だ」といった視点を一方で持つ必要があるのではないでしょうか。あなたが「上原ひろみ」のページに書いた文章は(すでにかなりの部分が削除されていますが)、上原の広報担当者の文章以外のなにものでもありません。222.150.234.244 01:06 2004年5月5日 (UTC)

Opponentさんは、論旨を200字以内でまとめる努力をした方がいいのでは?思考の垂れ流しそのままで何千字もお返事いただいても、言いたいことがわからなくて、みんなは困ると思います。

「多少過剰とも思えるリンクをつけたのは事実ですが、これはあとで加筆修正される方への検証作業の手間を少しでも減らす目的でつけました。リンクの手掛かりによって、いくぶん参照先を探す手間は省けるでしょうから、不要になったときに削除すればいいでしょうに」というOpponentさんの発言は、他の参加者を小馬鹿にしている。おまえなにさまのつもり? って言いたい。これに限らずほかの場面でも、自分は一段も二段も高いレベルにいて、ほかのやつらの便宜も考えてやっているんだ、ほかのやつらとは違うんだぜ、って高姿勢が不愉快だ。上で「姦しいですね」って言っているひとの意見には全面的には共鳴しないが、きっとOpponentさんのこの姿勢にむかついているんだろうと推測する。そのむかつきは共有したい。220.108.132.106 08:36 2004年5月6日 (UTC)

コメント依頼ということなので。ここまでの議論が記事東京大学および上原ひろみとどう関係するのかどなたか200字以内で教えてください。なにが争点なのか不明なので、コメントのしようがありません。KIZU 08:44 2004年5月6日 (UTC)


非常に無駄に長い言い訳があるので、まとめましょうか。

  • 「リンクの手掛かりによって、いくぶん参照先を探す手間は省けるでしょうから、不要になったときに削除すればいいでしょうに」ですが、人によって何を参照するかは違います。自分勝手な価値観の押し付けは止めましょう。
  • 「、改善・改悪を繰り返すことによって少しずつ記事を完成に近づけていけるという理念はどこに行ってしまったのでしょう」そのままそっくりお返しします。例えるならば、東京大学について文句があるなら改善でも改悪でも好きなようにすればよろしいわけで。
  • さて、わたくしは、 「誰でも編集でき」て「自由に利用できる」百科事典という理念~「ここは、思い入れを熱く語る場所ではありません」は比較的紳士的な書き込みでした。一理あると思い、までですが、何を自己矛盾を語っているのでしょう?貴方はどっちを向いてるのですか?(笑)だいたいファンしか訪れないのであれば、偏った記事になる可能性が強いでしょうに。個人個人が気をつけて執筆するべきでしょう。ここはファンサイトでは無いのです。
  • 「ブレイクする」という表現が人口に膾炙している(AERA などの週刊誌に使われている)、ですがマスゴミが使ってるから使う、というのが貴方の基準なのですか?益々もってwikipediaにとって危険ですね。言い訳がましい言い方は男らしくないですよ。
  • 『ナチュラル・ハイに近い状態』ですが~個性を説明しよう考えました、ですが大脳生理学上で常識であれば、その旨分かるように説明すべきだったのでは?脈絡も無く「ナチュラルハイ」だのと書くと、面倒なことにこの様にノートで説明をしなければなりませんよね。貴方や大脳生理学を学ぶ人にとって常識かもしれませんが、それを知っている人は貴方が思っている以上に少ないのです。さらにその後すぐにルールの持出しをするのは後が無いからですか?(笑)
  • その笑顔についての『めっちゃくっちゃ主観的な記述』~ですが、オンライン上のファンサイトで賛成多数であれば貴方も迎合するのですね。やってることは貴方の嫌う提灯持ちと同じ事と存じますが如何か?ファンの賛美が事実とは…あきれ返るしかありませんね。
  • 「ないならないで一向に構いませんけれども。」とお思いであれば、そもそも書かなければ良いし、言い訳をする必要もありません。素直に「申し訳ない」で済むことではありませんか。
  • わたくしに対するいろいろなご意見は、あってもいいと思っていますがその書き込みが日本版ウィキペディアの重大な障害になりはしまいか、という点です、ですが、貴方が殆ど他人の意見に耳を貸さないのが私は真の障害だと思っております。今まで見てきて貴方は著作権は平気で無視するわ、それを注意した他人に噛み付くわ、自分の意見を無理やり押し通すわ、とwikipediaにとって非常に望ましからざる人物と思われます。ノートを見て引くきっかけになるのは、ネット上にありふれた罵詈雑言より貴方の的を射ない長文でしょう。この長文に付き合うのは誰もが相当に苦慮します。
  • 「ファンの主観的記述がダメ」と言っているのと同じです、ですがその通りでしょう。wikipediaはファンの熱い思い入れを語る場ではありません。いや、ファンであっても主観的記述でなければ文句はないのです。もう少し詳しく読んだらどうですか?
  • つい脱線してしまいましたが~そういうことが問われていると思います、ですが、この様な事はここに書かず、井戸端BBSなりで明確なガイドラインでも作ったらどうですか?ここで愚痴っているだけでは好転しませんよね?「ご不満を表明するヒマがあれば、どうしてその時間を執筆・編集にお使いにならないのか、あるいは具体的な改良・改善提案ではなく、不満表明だけになってしまうのか」をそのままご自分で踏襲なさるとは。ひょっとしてギャグですかコレ?(笑)
  • 『記事を書く時にはいつも完璧を目指してください』との引用ですが、貴方の考える完璧と、他多数が考える完璧には黄河の川幅よりも広い隔たりがあるように感じます。ここで言う完璧とは主観的なものではないのです。
  • 「記事を独り占めしたい」などとは毛頭考えておりませんし~って、チェ・ゲバラのノートにあんなことを書き込んだ人の台詞とは思えませんね。あれは明らかに独り占めしていると錯覚せざるを得ない謝辞でした。
  • 「モグラ叩きを思い浮かべて下さい、モグラ叩きの穴が増えれば増えるほど、全部叩くことは不可能になりますね」…ハンマーで叩くことしか考えないからそのような狭い考えにとらわれるのですね。全部叩くことは不可能ではありませんよ。ルールしか考えないのは己の狭さを回りに示している好例といわざるを得ません。

最後ですが、Opponentさんは「ipや捨てハンからの意見を受け付けない」と申されますが、これでは政治屋と同じではないですか?きちんとした出自の人間からしか意見を聞かない、という彼らと同列です。在野の者の方が正しい意見を言うことが多い、というのは歴史が証明してますのに。おっと、余計な例えでしたね。

そんなわけでまとめてみました。まとめになってないけど。あ、KIZUさん、200文字以内は無理でした。ここの持ち主があまりにも長い文章書くもんで(笑)Tori 15:37 2004年5月22日 (UTC)

Toriさんのまとめ、まったくその通り! よく言ってくれた! という内容です。同感です(ただ、「男らしくない」という部分が気になります。もしかすると、Opponentさんなるこの人物は女性ではないか、という気もしているのです)。ここ数日、この人物の編集作業を観察しましたが、やはりひどいものです。たとえば、「笹川良一」の記事で、「日本船舶振興会」を「日本財団(元・日本船舶振興会)」へ書き直す、と完璧に事実とは異なる誤った編集をおこない、その部分を訂正された編集内容の要約欄で「ろくに調べもしないで編集をしないように」と書かれると、その編集をおこなったIP利用者のページに「日本財団と日本船舶振興会との関係(日本財団サイトより)」と要約欄に記して、「日本財団の歩み」と題したネットで拾ったデータ、しかも訂正された箇所とはなんら関係のないデータを貼り付ける、といったわけのわからないことをしています。一言のコメントや反論もなくただデータだけを貼り付けたこの行為は、ストーカーまがいの気持ち悪い行為です(この「ストーカー」の記事こそ、Opponentさんがいつもの独り占め感覚で書いているページです)。もっとも、Opponentさんがストーカー体質であることは、自分のページの「注目」欄に「Toriという方」というリンクを設けていることを見れば、一目瞭然です。この「笹川良一」の一件で、財団法人について調べるには、まず最初に寄付行為を調べる、といった調査のイロハを知らないことが、露呈してしまいました。
自分の力で記事の対象を分析・検証することができず、提灯持ちの礼賛記事しか書けないOpponentさんの存在は、Toriさんが指摘するようにウィキペディアにとって危険なだけではなく、ウィキペディアの質を少しでも高めようと努力している参加者の努力を台無しにするものです。自分自身の専門分野を持ち、ウィキペディアに貢献できるはずの参加者たちは、Opponentさんの編集活動を見て、ここに定着せずに立ち去ってしまうのではないか、そういった危惧も持たざるを得ません。220.220.113.237 00:09 2004年5月28日 (UTC)

外部リンクは個人的にいつ切れるか分からないのでできるだけ入れないようにしてます。他の編集者の利便性が高まるかもしれない。その点配慮なされてると感じた。要約欄の内容はわたしには理解範囲内です。--Mmm25967 2007年3月27日 (火) 03:34 (UTC)[返信]