Wikipedia:コメント依頼/Licsak
利用者:Licsak(会話 / 投稿記録 / 記録)さんのコメント依頼を提出します。
経緯
[編集]被依頼者は「トランスジェンダリズム」の記事とそのノート、またその記事の削除依頼や対話において方針の無理解に基づく編集姿勢や言動が見られるためそれぞれ示します。
まず、「トランスジェンダリズム」の記事において、被依頼者はノートページで合意形成をせずに出典のついた記述を取り除く行為をしました[1]。その後のノートページでの対話において、被依頼者は「中立性を損なう記述は、除去されて当然です」[2]、「ウィキペディアの基本原則のたる五本の柱を御存知ない? そしてWikipedia:中立的な観点すら読んでいないでウィキペディアを編集?? 冗談もほどほどにしてくださいよ」[3]などと述べられて記述を取り除いた理由を示されましたが、私は「Wikipedia:中立的な観点/FAQ」の「中立性の欠如は削除の口実になるか」の節を示し、被依頼者の方針理解は中立的な観点の方針に関するありがちな誤解であることを示して[4]、該当記述を復活させました。このWikipediaの方針に沿った編集をもって、出典のついた記述の取り除き行為は終わるかと思ったのですが、被依頼者はその後の編集で要約欄に「さすがに冒頭文は直させてください! 」などと言い、ノートページでの合意形成を一切せずに導入部の出典のある記述を取り除かれ、おそらく自身にとって都合のいい定義文を新たに導入するといった編集を強行されました[5]。
こうした出典のある記述を合意形成せずに取り除く被依頼者の行為は、上記に示した通りWikipediaの方針である中立的な観点の「中立性の欠如は削除の口実になるか」に明確に反しており、また、WikipediaのガイドラインであるWikipedia:合意形成にも明白に反しております。
次に「トランスジェンダリズム」の記事の削除依頼において、被依頼者は「最後にウィキメディア財団の『ユニバーサルな行動規範』にはジェンダーをもとにした(ジェンダーに限りません)侮辱的行為を容認しない姿勢を示していますので、トランス排斥運動家によるとみられる、こうしたトランス排斥運動に与する記事は、その存在を許されないはずです」[6]などと述べユニバーサル行動規範を持ち出して記事の削除を主張されています。しかし、被依頼者自身がユニバーサル行動規範に関して削除依頼のページで「なお、現在、ユニバーサル行動規範に則り、利用規約の改定が行われようとしております」[7]、記事のノートページで「そしてウィキメディア財団は先日、ユニバーサル行動規範を可決し利用規約の改定が行われようとしています」[8]などと述べており、それがあくまで改定が行われる予定のものであって、まだ日本語版Wikipediaに完全に導入されていない規範であることを被依頼者自身が説明しています。
当然ですが削除依頼においては、削除依頼された記事が削除の方針でどのケース(A~G,Z)に当てはまるかを示していく場所であって、被依頼者自身がまだ改定されていないと説明するユニバーサル行動規範に削除対象の記事が当てはまるかどうかを議論する場所ではありません。その点について私は記事の削除依頼のページで被依頼者に対して「ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありませんし(WP:NOT#ESSAY)、ウィキペディアは演説台、広告宣伝の手段ではありません(WP:NOTOPINION)。この削除依頼のページでは対象の記事が削除の方針のどのケースに当てはまるのか、当てはまらないのかを示す場所です。ユニバーサル行動規範云々や当事者云々に基づいた削除をしたいのであれば、削除の方針のノートページの方でそれを提案して合意を得て新たなケースを方針に記してから主張してください」[9]と指摘しましたが、被依頼者はその後も「すでにウィキメディア財団はユニバーサル行動規範(UCoC)を承認し、すでに有効な状態となっています」[10]、「2021年12月8日にウィキメディア財団が可決承認した人権に関する方針に従い、私はUCoC違反すなわち、『いかなる形式であれ、犯罪的事例や例外的事例を拡大解釈し、その責任を属性に当てはめる言説行為はすべて差別です。』だとして削除票を投じております」[11]などと主張して、削除依頼の場で場違いな発言を繰り返し展開されています。
被依頼者によるこうした行為は削除の方針を理解せずWP:NOT#ESSAY等に抵触するだけではなく、本来は削除の方針のノートページで行われるべき議論を特定の記事の削除依頼のページで展開されて議論を混乱させている点、そして指摘がされても改善されない点から一種の荒らしのような行動に片足を突っ込んでしまっているのではないかと危惧しています。
また、削除依頼のページとトランスジェンダリズムの記事のノートページで被依頼者は私のことを名指しで「今までGulchelmaさんが本文で、冷床系さんがノート、削除審議でやってきたことはすべて、犯罪的事例や例外的事例を拡大解釈しその責をトランス女性全員に負わせる企てであり、れっきとした差別です」[12][13]と仰られているのですが、私自身「男性器をつけたまま女子更衣室や女子トイレを利用する事例はトランス女性全員が責任を取らなければならない」などと主張したことは一切ありません。やっていないことで私のことを「れっきとした差別です」などと主張されることについて、被依頼者は「Wikipedia:個人攻撃はしない」という方針に完全に反しています。このことについて被依頼者の会話ページで私は同様の主張を行い、その点を訂正して頂くようにお願いしました[14]が、被依頼者は「トランスジェンダリズムの記事はLTA:GREAの疑いのあるアカウントユーザーによって作成・増強されたもの(アカウント凍結済み)であります。そしてあなたはそれに加筆しています」、「それよりもあなたが別の削除審議に加わっているユーザーに対して執拗に食い下がる姿勢は、私は個人攻撃かつトランス女性差別だと思ったまでです」などと応答され[15]、私のことを「れっきとした差別です」とした部分の訂正はありませんでした。これに対して、私は「トランスジェンダリズム」の記事について私が行ったのは加筆ではなく、出典をより信頼できる情報源の出典に置き換えたこと、そして被依頼者がノートページの合意形成をせずに出典のある記述を取り除いた編集内容を差し戻したことだけであることを伝えて、「そしてあなたはそれに加筆しています」の事実誤認を指摘しました[16]。加えて、被依頼者が私のことを「執拗に食い下がる姿勢」と述べたこと点について、私は「削除依頼では私の存続票や私宛の発言に対してWikipediaの方針に沿った内容で返信をしているにすぎません」と伝えて、そして私の返信には「侮蔑表現や差別用語などが入っていない」ため「個人攻撃かつトランス女性差別」ではないことも伝えました[17]。また同時に、私のことを「れっきとした差別です」とした部分を訂正するように再びお願いしました。しかし、被依頼者は「あなたこそ句読点の意味を酌んで、ちゃんと読んでいただきたい!」[18]と述べて私が誤読をした主張をされ、記事本文ではなくノートと削除審議の行為にすり替えられました。このことについては、被依頼者が述べた「そしてあなたはそれに加筆しています」[19]の「それ」という指示代名詞が指している内容は、被依頼者の直前の一文である「トランスジェンダリズムの記事はLTA:GREAの疑いのあるアカウントユーザーによって作成・増強されたもの(アカウント凍結済み)であります」[20]の「トランスジェンダリズムの記事」であることは明白で、被依頼者が自身の文章を誤読しております。そして、この返信では被依頼者自身がまだ改定されていないと説明するユニバーサル行動規範を「そして最後に財団が可決承認したユニバーサル行動規範は、可決したその時点で有効ですし、今まであえて言わなかったことを明文化しただけに過ぎません」と述べて再び持ち出し、加えて滝本太郎弁護士と松浦大悟氏の名前を出して「LGBTの擁護者だとはトランスジェンダー当事者は全く看做しておらず、むしろトランスヘイターだという認識だとお伝えしておきましょう」と特に出典もなく実在の人物を差別主義者認定する被依頼者独自の主張を展開されました[21]。なお、再三にわたってお願いをした、私のことを「れっきとした差別です」とした部分の訂正は未だ行われていません。
以上のことをまとめていきます。被依頼者は中立的な観点の方針について理解が欠けており、そのことについて指摘しても強行的に編集を行いガイドラインの合意形成を蔑ろにしておられます。また、削除依頼の場で被依頼者自身がまだ改定されていないと説明する規範を持ち出して削除を繰り返し主張していることから削除の方針の理解の欠如が見られます。加えて、削除依頼の場で持論やエッセイを展開なさるためWP:NOT#ESSAYに抵触し、議論の場を混乱させています。そして事実誤認と私宛の返信にマメに返信する私の行動を理由に、私を名指しで「れっきとした差別です」と削除依頼のページと記事のノートページで主張される有様は「個人攻撃はしない」という方針に反しています。このことについては被依頼者の会話ページで事実誤認等を指摘しても、私を名指しした「れっきとした差別です」という文章を訂正されることはなく、改善はありませんでした。
被依頼者については上記で示したように多々見られる各種方針の無理解もそうですが、Wikipedaの方針やガイドラインに反してでもご自身独自の思いや思想をWikipediaに反映したい言動が繰り返し見られます。こうしたことから被依頼者は目的外利用者に該当しても仕方のない領域に到達しているのではないかと考えます。コメントの方をよろしくお願いします。
なお、私自身Wikipediaの方針やガイドラインに関して完全に通暁しているわけではないので、勉強のため、もし被依頼者が目的外利用者にまるで該当しないようであれば、その点について方針やガイドラインを明確に示したコメントを頂きたいと思います。--冷床系(会話) 2023年4月6日 (木) 06:17 (UTC)
参考
依頼者のコメント
[編集]返信 (Siroi the darknessさん宛) 私の過去の編集が取り上げられておりますが、仮にそれらがSiroi the darknessさんの言う通りWP:BLPGOSSIP・WP:RS・WP:BLPGOSSIPに抵触していたとしても、私は差し戻しに対してさらに抵触した加筆の編集を強行しているわけではありませんし、自分の思想を削除依頼の場などで触れ回っているわけでありません。どっちもどっちのようにとらえるのは無理があると考えます。そして、投稿ブロックに関しては上記の経緯で示した通り、LicsakさんがWikipedaの方針やガイドラインから外れた意図で編集していると私は判断していますし、また、目的外利用以外にも繰り返される個人攻撃は投稿ブロックの対象ということを付言しておきます。経緯で示した通り私以外にも滝本太郎弁護士と松浦大悟氏に対する個人攻撃は見られますし、訂正はなされていないので(私はウィキペディアンや論争相手以外の人物に対する個人攻撃は「ウィキペディアンや論争相手以外である」という理由で管理者が許容するとは考えておりません)。なお、取り上げられた私の編集について、私はそれぞれWP:BLPGOSSIP・WP:RS・WP:BLPGOSSIPに該当しないと思いますが、被依頼者について議論するコメント依頼の趣旨とは関係ないのでここでは省き、時間のある時に各記事のノートページで触れたいと思います。--冷床系(会話) 2023年4月9日 (日) 00:25 (UTC)
返信 (LABEさん宛) 被依頼者が「さすがに冒頭文は直させてください! 」などと言い編集強行された編集は、出典のある記述を合意形成なしに取り除いた点から合意形成を蔑ろにした不適切なものであることは言うまでもないことです。そして、その編集内容については、『Cambridge Dictionary』の定義を導入部の記述の出典にしていますが、『Cambridge Dictionary』には「自分の性別が生まれた時の体と一致していないという事実。この言葉は、そのことを悪いことだと思っている人や、トランスジェンダーの人が自分の性別について間違っていると示唆したい人によく使われる」という定義と「この言葉は昔はもっと一般的で今でも一部のフォーマルな文章で使われているが、今では多くの人が不快に思う言葉である」というNoteしか記されておらず、被依頼者が導入部で記した「その生き方を是認した過去の用語」「もとはトランスジェンダーの権利擁護活動の一環として生まれた用語」「トランスジェンダーという用語を嫌ったりその過激な運動方針に賛同しない多数派に押され当事者たちによって使用されなくなった用語」「その後、主にトランスジェンダーを敵視する人達(トランスフォビア)により使用される用語となった」といった内容は『Cambridge Dictionary』には一切記されていません。「中立性を改善する方向の編集」が「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」によってなされるのは当然不適切ですが、「特定の観点を推進するような、発表済みの情報と被依頼者の頭の中にある思想の合成」によるものも当然不適切です。なお、被依頼者は導入部の出典にGLAADの記事を注釈としてつけていますが、この記事には「transgenderism」という単語は一切出てきていません。
記事内で中立的なバランスを追及するとしたら、「ネット右翼」や「パヨク」のように導入部は「トランスジェンダリズム(transgenderism)とは、トランスジェンダー(transgender)と接尾語のイズム(ism)が合わさった言葉である。日本語では性自認至上主義とも表記される」と形式的・外形的定義だけを記して、意味の節を新設し「ケンブリッジ・ディクショナリーでは~」「オックスフォード・ディクショナリーでは~」「トランスジェンダー活動家の米沢泉美による『トランスジェンダリズム宣言』では~」「ゲイで元参議院の松浦大悟によると~」のように帰属化させた意味内容を記していくことになるのだと思います。
なお、「トランスジェンダリズム」(transgenderism)の記事は「思想」や「主義」を表す接尾語のイズム(ism)がついていることからわかる通り、特定の思想の記事であり「存命人物の伝記」ではありませんし、その方針が適応される記事だとも考えられません。
そしてSiroi the darknessさんが指摘した在命人物の記事(原田謙介)のものですが、政治家等で不適切発言があれば、記事中の記述としては「Aについて不適切発言があったとして謝罪した」が適切で、「Aについて『○○』と発言し、本人は後に不適切な発言があったとして謝罪した」とその発言内容を記すのが不適切として、不適切な発言内容が排除されるのはちょっとよくわかりません。実際に大抵の政治家の記事の発言の節等では、不適切と指摘された発言内容が記されています。もし政治家記事のローカルルールなどで不適切な発言内容は取り除かなければならない合意がありましたら、お示しください。LABEさんが仰るような情報源の信頼性の観点からすると、週刊誌報道は在命人物の伝記記事から取り除かれる傾向があるんですが、Wikipedia:存命人物の伝記の信頼できる情報源の節では「存命人物の伝記において、もし間違っていたら中傷となりうる断定・決めつけは情報源の裏づけが必要です。信頼できる情報源のない伝記は、独自研究で検証不可能なため、名誉毀損につながりかねません。党派的ウェブサイトや読者の限られたあまり知られていない新聞にしかない情報は取り扱いに注意すべきであり、もし名誉毀損の恐れがあれば、そもそも用いるべきではありません」と書かれている通り、飛ばし記事による誤報や名誉毀損対策を目的としていることが分かります。ただ、原田謙介氏の記事では、原田謙介氏自身の公式ホームページでツイッター上での不適切発言を認めており、上記の目的を顧みると週刊誌報道の1点で排除するのは議論のある所だと思います。実際にWP:NOTRELIABLEには「もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それを件の情報源によるものと明示してください。例えば「イギリスの日刊タブロイド紙『サン』によれば…」としてください」としているので週刊誌の情報源もケースバイケースだと感じます。以上の原田謙介氏の記事内容やその先の議論は本来は記事のノートページで書く必要がありますが、「予断をもって見られる」以上は、私自身の立場を明確化するため、ここに記させてもらいました。ついでですが、私がWikipediaで編集をするときに存命人物に関するネガティブな記述を常時している利用者であれば、「このような背景のある利用者」 として「今回の議論における立場に関しても予断をもって見られるのは当然」というのはわかりますが、1度の編集を取りあげて「予断をもって見られる」というのはどうかと思います。--冷床系(会話) 2023年4月10日 (月) 00:05 (UTC)
被依頼者のコメント
[編集]第三者のコメント
[編集]・被依頼者のLicsak氏は自身の会話ページ(利用者‐会話:Licsak)にて、まずは第三者の評価を求めると表明しています。 --Kotokawa(会話) 2023年4月7日 (金) 11:02 (UTC)
・簡潔に述べますが、原田謙介の記事におけるWP:BLPGOSSIPに抵触した加筆やトーン・ポリシング、新聞記者 (映画)の記事におけるWP:RS・WP:BLPGOSSIPに抵触した加筆は、まさに冷床系氏が指摘した「Wikipediaの方針やガイドラインに反してでもご自身独自の思いや思想をWikipediaに反映したい言動」なのではないでしょうか。本筋の結論としては、Licsak氏は、目的外利用者とはいえません。Wikipedia:投稿ブロックの方針では目的外利用者についてこう書かれています。おそらく冷床系氏は「独自見解の披露」としてブロック依頼に移行させたいのでしょうが、投稿ブロック方針に書かれているとおり、Licsak氏が百科事典を作るという目的から外れた意図で編集しているようには見えませんでした。Licsak氏の編集履歴を見ている限りは、百科事典に外れているような編集は私からは見受けられなかったです。但し、Licsak氏も非がないという訳ではありません。トランス差別を許さないという気持ちは分かりますが、些か感情的になりすぎです。最後に、Licsak氏、冷床系氏の論争における議論姿勢を見てみると、「苦い論争」になっているのではないかと感じました。こちらは私論ですが、Wikipedia:議論が白熱しても冷静にをお読み頂ければと思います。--Siroi the darkness(会話) 2023年4月8日 (土) 14:20 (UTC)
- コメント 利用者の行為に関することなので、削除依頼ページや記事のノートページではなくこちらに書かせていただきます。私は今回の論争に関し、依頼者・被依頼者の双方に一定の問題があると考えています。
- まず、当該記事の現状は中立性に問題があり、被依頼者は(記事の削除意見はともかく、当座の対応としては)中立性を改善する方向の編集を行っており、これに対する当該ノートページにおける依頼者による批判は、上でSiroi the darknessさんが指摘した点も併せて考慮すると不適切であると考えます。ある概念について、情報源の中でそれを批判する側による言及が大多数である場合でさえ、記事内でバランスを保つことは重要です。いわゆる旧統一教会の記事など、それが難しいのは事実ではありますが、理想としてはです。余談ですが上でSiroi the darknessさんが指摘した点に関して私見を述べれば、存命人物の記事においては他の記事よりもいっそう、中立性に注意して記述すべきところ、依頼者の「出典があるのだから書けるだけ書いてもよく、それによる記事主題や関連人物の印象への(悪)影響には無頓着」といった姿勢には賛同できません。存命人物に関するネガティブな記述に関しては一般の記述よりも、必要性や、情報源の信頼性に求められるハードルが高いことをご理解ください(参考:Wikipedia:存命人物の伝記。つまり、他で認められる記述であっても排除されることがあります。例えば週刊誌報道などです)。このような背景のある利用者ですから、今回の議論における立場に関しても予断をもって見られるのは当然でしょう。
- いっぽうで、被依頼者の議論姿勢にも問題があります。《今まで(中略)冷床系さんがノート、削除審議でやってきたことはすべて、犯罪的事例や例外的事例を拡大解釈しその責をトランス女性全員に負わせる企てであり、れっきとした差別です。[22](強調ママ)》というような告発はWikipedia外のしかるべき場(あるいは、せめて利用者の行為についてのコメント依頼)でやってください。また、《私がトランス女性である事実を差し引いても[23]》という独白も議論においては無用です。もしこの段落に「私がトランスフォビアである事実を差し引いても、」と前置きされていたら、私の意見は中立的ではないかもしれないと多くの人が考えるのではありませんか。というか、その直後で《当事者として、いたたまれない気持ちでいっぱいです。》と書いているのですから、この削除票には感情が影響している、あるいは感情に訴えて他者の意見を変えさせようとしているとみられても仕方ないでしょう。
- 結論としては、依頼者も被依頼者も、その他の議論参加者もみな、デリケートな記事主題であればこそ、感情に流されず冷静に議論すべきです。削除依頼ページにも書きましたが、まずは内容について、「記述すべき文章」に論点を集中して、議論すべきだと考えます。--LABE(会話) 2023年4月9日 (日) 16:29 (UTC)
- 返信 (冷床系さん(2023年4月10日00:05)宛) 詳しくご説明いただきましたが、要旨としては、おおむね想定内のご返答でした。余談に関しては、そういったネガティブな内容は必ずしも除去しなければならないとは私も考えておりませんので、個別事案に関しては別途議論していただくとして。あなたの編集履歴を見れば、《1度の編集を取りあげて「予断をもって見られる」というのはどうかと思います》と言われても、考え方の違いとしか言えません。とはいえ、特定の方面のみに詳しい利用者さんもいらっしゃいますから、きっとあなたもそういう方なのでしょう。私は正直なのですぐに指摘してしまいますが、他の皆さんには……お察しください、ということですね。とはいえ、依頼者のスタンスを改めてお示しいただけたことで、問題解決の一助となれば幸いです。
- ところで、記事の内容の話になるのでここでは手短にしますが、《トランスジェンダリズム(transgenderism)とは、(中略)日本語では性自認至上主義とも表記される》との文例ですが、その定義からして妥当性に疑問を呈されているのが今回の議論ではないでしょうか。この辺りに思いを馳せていただくことが合意形成の近道でしょう。--LABE(会話) 2023年4月10日 (月) 10:18 (UTC)