Wikipedia:コメント依頼/J Stalin
利用者:J Stalin(会話 / 投稿記録 / 記録)さんの言動についてコメントをお願いします。--Pastern 2011年9月3日 (土) 17:16 (UTC)
依頼理由
[編集]削除依頼における言動
[編集]J Stalinさんは、Wikipedia:削除依頼/劇団アーノルドにおいて存続票を投じた[1]後、削除票に伴うコメントと管理者による経過説明を受けてのコメントに対し、コメントを行いました[2]。この際J Stalinさんは、「個人のブログレベルの情報源は記事対象とは無関係な信頼できる情報源による有意な第三者言及とはならない」というコメントに対し、「ブログだろうが何だろうが問題ではな(い)」とコメントしています。
同様にWikipedia:削除依頼/劇団福耳においてJ Stalinさんは存続票を投じた[3]上で、削除票に伴うコメントに対し、コメントや質問を行いました[4][5]。私にはJ Stalinさんの言動はWikipedia:削除依頼#注意事項(削除依頼は方針について議論する場ではありません。他の利用者のコメントに対するコメントは除去されることがあります。)に照らして適切とはいえないと考え、その旨コメントしました[6]が、J Stalinさんはそれに対してさらにを返してきました[7]。このコメントは長文の上、方針(Wikipedia:特筆性)の解釈に関する内容が含まれており、私はWikipedia:削除依頼#注意事項からノートページへ転記するのが適当と判断し転記を実行しました[8]が、J Stalinさんはこれを差し戻しました[9]。
そこで私はJ Stalinさんの会話ページにおいて、削除依頼の場におけるご自身の言動(選考の場において自らと異なる見解を示す利用者が現れた際にその都度反応する形でコメントや質問、自説の開陳などを行うこと)が、Wikipedia:削除依頼#注意事項に照らして問題を含んでいると感じないか、そして今後もこうした行動をとるつもりなのか、J Stalinさんにお伺いしました[10]が、J Stalinさんの回答は「『選考の場において自らと異なる見解を示す利用者が現れた際にその都度反応する形でコメントや質問、自説の開陳などを行う』ことは、私の行動にはあてはまらない」というものでした[11]。私はJ Stalinさんの言動の是非について基本的に一対一で話し合うつもりでしたが、事実認識がこのように根本的に食い違う以上、このままでは円滑に話し合いを続けるのは難しく、コメント依頼を出して他の利用者の意見を伺いつつ話し合いを進めるほうがいいだろうと判断しました。
会話ページにおける発言
[編集]また、上記削除依頼における言動について会話ページにおいてやりとりする中で、J Stalinさんは「善意にとっているから、あなたのことを犯罪者扱いせずに、このように対話しているのですよ。」[12]、「もしも私が悪意に取ったなら、あなたを犯罪者扱いしていたことでしょう。」[13]と発言されました。私はたとえ「もしも私が悪意に取ったなら」という断りをつけたところで、他の利用者を犯罪者呼ばわりすることはWikipedia:礼儀を忘れない、Wikipedia:個人攻撃はしないに反する暴言にあたると考え、謝罪と撤回を要求しました[14]が、J Stalinさんはこれを拒否されました[15]。こうした発言の是非についてもコメントをお願いいたします。
依頼者のコメント
[編集](被依頼者による2011年9月4日 (日) 01:36 (UTC) のコメントを受けて)
- 人を犯罪者呼ばわりした次はコメント依頼を糾弾会呼ばわりですか……どうも被依頼者はWikipedia:善意にとるの真逆を行かれているようですね。私は暴言についてきちんと誤りを認め撤回して頂きたいですし、他のユーザーの行動を悪意にとるのは辞めて頂きたいです。--Pastern 2011年9月4日 (日) 02:37 (UTC)
- 被依頼者が初心者であるということは考慮に入れる必要があるでしょうが、人を犯罪者呼ばわりすべきではないということはWikipediaに慣れているいない以前の、人間としての最低限の礼儀の問題です。しかもたとえそれが礼儀に反する行為だとしても受忍せよという主旨の主張は到底受け入れることができるものではありません。--Pastern 2011年9月4日 (日) 13:58 (UTC)
被依頼者のコメント
[編集]お知らせ
[編集]私は、これを書いている現在、Pasternさんの会話ページに連夜お邪魔して、Pasternさんとの本音トークを試みております。その冒頭で、私からPasternさんにお約束したこととして、このコメント依頼において、私が意図的にPasternさんを「へんなやつ」呼ばわりした文言については、お詫びして撤回することといたしました。そうです、皆様よくご存知の通り、Pasternさんは「へんなやつ」などではなく、口やかましいけれども実に「いいやつ」だったのです。Pasternさん!ごめんなさい。--J Stalin 2011年10月14日 (金) 03:05 (UTC)
この「お知らせ」を書き込んだところ、Pasternさんから、下の削除部分で私J StalinがPasternさんだけでなくぱたごんさんも併せて誹謗しているので、謝るなら「同様にぱたごんさんにも謝るのが筋というものではないでしょうか」とのご指摘がありました。読み返してみるに、このご指摘はもっともなことだと思いました。ぱたごんさん、改めてお詫び申し上げます。また、Pasternさんが「いいやつ」なんだと改めて感じたことを、告白しておきます。--J Stalin 2011年10月15日 (土) 10:57 (UTC)
まず最初に、この奇怪なページは、本来作成されるべきものではなかったと申し上げておきましょう。Pastern氏が夜中に私の会話ページにメッセージを送ってきた時、不自然に詰問調であったりイエスかノーで返答しろと迫ったり、用件が済んだはずの後にも延々と挑発的なレスを付けたりする行動様式から、何か意図があることは感じていました。Pastern氏が対話や相互理解を求めていたのではなく、こうした糾弾会(?)を催すための材料を求めていたことは、今やはっきりしてしまいました。ネットで久々に遭遇した、困った方々の一種だと思いました。また、他の方のコメント依頼ページを「見学」に行ったところ、「ユーザのコメント依頼はブロックの前段としてよく利用される」云々と書いている方があり、こちらには「ぱたごん」氏なる人物が早速「理解する気なしとして方針無理解者として退場願わなければならない」と意気揚々と書き込んでおられ、まさに「語るに落ちた」と思いました。このページが、意に沿わぬユーザを追放するための装置として仕組まれたことは今や明白であり、このようなことをするタイプの人々とはネット・リアルを問わず関わりあいになりたくもないのですが、放置してめでたくブロックされるのも不便なので、以下に抗弁の陳述をしておきます。
- Pastern氏の「罪状書」は、私の意見や行動の要約の体をなしていませんので、もし意見を述べられる方は、これではなく、削除依頼や私の会話ページにおける原文に基づいてご意見を賜りますよう。
- 私が非難されていると思われる事項のうち、本質的に重要と思えるのは、削除依頼に関する考え方です。wikipediaに関する原則のうち、記事に要求される検証可能性は、最も基本的なもので、私も最初にwikipediaにやってきた時、最初に頭に入ったものです。これは、記事に対して、そして記事を作成するものに対して求められる原則と理解しています。さて、それはそれとして、wikipediaの特筆性に関するガイドラインには、特筆性や検証性に問題のある記事を見つけた時に、ユーザに求められる行動様式が述べられています。「ぱたごん」氏はなぜか無視していますが、そこでは、共に記事充実の方向を追及する努力と、十分な調査、そしてその最後の手段としての削除依頼が求められています。一見異なるベクトルを持ったように見える両原則があるのはなぜか、答えはさほど難解ではないと思います。記事の作成にも、問題の解決(削除依頼も含)にも、高いレベルでの対応が望まれているのです。一つの原則を主張すれば、他は無視してしき放題してよいということではないわけです。私は、削除依頼のいろいろな場面で、こうした観点での意見を述べることがしばしばあります。しかし、それは、ある種の人々のお気に召さないようです。
- 書き方のマナーについては、その都度注意していただければ有難いのであって、糾弾会の材料には適切ではないと思います。なお、Pastern氏が書かれている「差し戻し」については、身に覚えがないので、なんとも言いようがありません。
会話ページの発言云々については、なおさら奇怪なことと思います。私は、深夜執拗に居座り「自分の意見に従わないと人を集めるぞ」的な態度を示すPastern氏に脅迫的な要素を感じましたし、そのように申し上げました。そこから揚げ足取りを二度ほど続けてPastern氏が獲得した「戦果」がこれ。百歩譲ってそれがPastern氏に対する無礼だったとしても、それは個人的にプンスカすればよいのであって、コミュニティを巻き込んで騒ぐことかと思います。
- 私はPastern氏に申し上げましたが、こんなことをする暇があるなら、良い記事を書くことにお時間をお使い下さい。そして何よりも、削除理由を提携文のコピペで済ますのはやめて、削除依頼に至る経緯や理由をきちんと記述することにも、時間をお使いいただきたい。ここの議論に参加される方がもしおられるなら、その皆さんにも同じことをお願いしたいと思います。--J Stalin 2011年9月4日 (日) 01:36 (UTC)
追記:GDSTCB氏のコメント、後半2センテンスが意味不明です(論争のレトリックや皮肉として「意味不明」と言っているのではなく、素で意味がわかりません)。本人あるいは第三者でも結構ですが、これの意味が理解できる方は、解説をして下さい。--J Stalin 2011年9月4日 (日) 08:02 (UTC)
- 追記2:重陽さんよりアドバイスを賜りました。ありがとうございます。省みるに、自分が加筆者の立場に回った状態で、特筆性のハードルを下げるような方向の主張を強くすると、必要以上の軋轢を生ずるということはあるのでしょう。そのような局面では自重と抑制をしたいと思います。他方、削除を提案したり決定したりする側の姿勢として、特筆性を理由とした削除依頼に至るまでには、それ相応の協調的な努力と十分な調査が求められる、ということにつきましては、Wikipedia:特筆性に明確に述べられていると思います。私の独自意見の主張ではありませんし、特殊な解釈を施して改変しているつもりもありません。それについては、wikipediaのコミュニティとしては合意済の原則だと思っております。しかし、Pasternさんもむしろこちらに強く反応されているようですし、ぱたごんさんに至っては、そんなことはwikipediaのどこにも書いてないので嫌なら出て行けと仰る始末です。「初心者」としては、なぜそのような反応が返ってくるのか不可解です。どなたかのご教示をお願いいたします。--J Stalin 2011年9月4日 (日) 13:32 (UTC)
- 追記3:昨夜以降多くの皆様より御意見を頂戴しました。いずれの方々も懇切丁寧に問題点の指摘、ご指導、アドバイス等をしていただき、誠にありがとうございます。頂戴した個々のコメントについてのお返事は、多岐に発散しそうですので遠慮いたしますが、検証可能性と特筆性の関係や、発言が議論参加者に与える影響など、いろいろな意味で大変勉強になります。今後は、他人様の言動に意見することよりも、検証可能な事実を収集することに集中したいと思います。ここまでコメントを下さった皆様には、重ねてお礼申上げます。--J Stalin 2011年9月5日 (月) 03:46 (UTC)
コメント
[編集]J Stalin氏のこれを始めに氏の発言をみるとwikipedia:検証可能性をまったく理解されていないようです。氏は記事を削除したいなら削除したい側が出典を探す努力をするべきだなどと方針と真逆の思想(ウィキペヂアのどこにも無い方針)を持っているようです。氏の方針はwikipedia以外の氏を受け入れてくれるサイトで受け入れてもらいましょう。今のままではwikipediaからは方針無理解。理解する気なしとして方針無理解者として退場願わなければならないと思います。wikipedia:検証可能性をお読みください、出典がない記事はそもそも存在してはならないものです--ぱたごん 2011年9月3日 (土) 17:44 (UTC)
Wikipedia:削除依頼/劇団福耳については、依頼者コメントにほぼ全面的に賛同します。Wikipedia:削除依頼/劇団アーノルドにつきましては、この依頼を見て投票に行ったので、ここではコメントは割愛します。ただ、この両依頼への存続票にはある種の共通性を感じるアカウントが見られます。被依頼者コメントを見ると「○○会」がたくさんあるなと思います。「互助会」という主張を見た気もするし。--GDSTCB 2011年9月4日 (日) 03:09 (UTC)
J Stalin氏は自身が普段編集されている記事への依頼を除いた削除依頼への関与は今年の8月からで日が浅いですし、理解が及ばない点があるのは致し方ない部分でもあるのではないでしょうか。J Stalin氏におきましては、もう少し柔軟に他者の意見へ耳を傾けられてはと思います。他者から指摘を受けた際に自説を固持することで良い結果が得られることは非常に少ないのではないでしょうか。また、注意される方々におきましては、J Stalin氏は確かに編集歴は2009年からと長いですが削除依頼への参加歴だけを見れば始めて1カ月程度の初心者なのですから、Wikipedia:新規参加者を苛めないでくださいに照らし合わせて、もう少し親切に接していただければと思います。--重陽 2011年9月4日 (日) 12:33 (UTC)
- (追記)Pastern氏へ。犯罪者呼ばわりの発言に関しては、『たとえそれが礼儀に反する行為だとしても受忍せよ』とは思っておりませんし、謝罪すべきことであると思います。その点に関して、下記でJ Stalin氏に対してもコメントいたしましたので確認ください。
- J Stalin氏へ。「特筆性のハードルを下げるような方向の主張」を行うのあれば、それをすべき場は特筆性のノートであって個別の削除依頼の場ではありません。Pastern氏がJ Stalin氏に再三注意されているのは議論場所が違うという点のみであり、J Stalin氏の主張そのものに対しては何も意見を付けられていないように思います。この点、ご確認いただければと思います。J Stalin氏は『これは「方針を議論する」つもりではなく、既に広く合意されていると思われるガイドラインに基づいて、より良い議論を望むということに過ぎません。』(Wikipedia:削除依頼/劇団福耳より引用)と思われるのでしょうが、第三者の目には方針を議論しているように映っているという点も考慮していただければと思います。私も、これらの発言は個別の削除依頼においては場違いなように感じますし、これらの記事の個別の問題と言うよりは特筆性を理由とした削除依頼に対する投票傾向に関する疑義という削除依頼全体を通じた話題として井戸端や特筆性他関連した文書のノート等で議論されるべき話題のように思います。
- 削除依頼における『それ相応の協調的な努力と十分な調査』に関しては、私も削除依頼において特筆性を理由に提出された依頼に対して削除票を入れることもありますが、その際には可能な限りその記事を存続させようという立場に基いて出典調査を十分に行い、それでも存続に足るものが見つけられない場合にのみ削除票を入れるようにしています。私も調べに調べて加筆して存続票を入れた記事が削除されたこともありますし気持ちは分からなくもないですが、例え記事が削除されたとしても、後に特筆性を担保するに足る第三者による言及や検証可能性を十分に満たす出典が見つかったならばそれを元にした再立項は妨げられないのですから、その主題がwikipediaに記述されるべき特筆性を有しているという確信がおありであれば今現在wikipedia上に記事が存在するか否かにそこまでこだわる意味はないと思います。ただ、この特筆性の担保や検証可能性を満たす情報源に個人のブログ等は適していませんので、どのようなものが情報源として利用でき、どのようなものが適していないのかはwikipedia:検証可能性等を確認してしっかり把握していただきたいと思います。
- 会話ページの発言に関しては、対話の流れを見ましてもヒートアップしてしまったにせよ看過しえぬ発言であったように感じました。ご自身に個人攻撃であるという認識が無かろうと相手が不快に感じているのですから、それを真摯に受け止め謝罪されるべきであろうと思います。J Stalin氏にとっては個人攻撃ではないという感覚であっても、相手も同じように受け取るとは限りませんし、もう少し相手の立場に立って考えてみられてはと思います。
- 私は第三者のコメントとして「Wikipedia:新規参加者を苛めないでくださいに照らし合わせて、もう少し親切に接していただければと思います。」とは申しましたが、ご自身で『「初心者」としては』などと言われるようではまた話が違ってきます。--重陽 2011年9月4日 (日) 18:54 (UTC)
- 今更申し上げることでもないかもしれませんが、削除依頼の場では削除の基準そのものの運用・見直しを論じる場ではありません。より適切な場所がございますので、どうしても必要でしたらそちらでお話してください。
- 他者の意見についていちいち苦情を挟むことはお勧めしません。毎回の様に全員がこんなことをやりはじめたどうなるでしょう。審議が全く進みません。これは審議妨害と言われても仕方がございません故、ご自重ください。あなたに考えがある様に、他の方にも考えがあります。ただしこのような経過報告[16]などは有益でしょう。
- 初心者をいじめないでくださいを盾にしないでください。
- 会話ページの場については、コメント依頼と言うものを誤って解釈し、Pasternさんが不適切な行為を取ると決めつけた点は非常に問題です。道義上ここは頭を下げておくべきですし、また話し合いをまとめたいのであれば、誤った部分については謝罪し、しかしそうでない部分は押す、と言うのも必要なことなのでは。
- 特筆性は現在はガイドラインの草案であり、「目安」です。より重要な「方針」として定義されている「検証可能性」が優先されています。
- 以上についてお考え直し頂ければ、トラブルもそう起こらないのではないでしょうか。私からのコメントは以上です。--Hman 2011年9月4日 (日) 16:00 (UTC)
Wikipedia:特筆性はまだ草案であって、正式なガイドラインではないですから、これをもってすでに合意済みの事項として扱うのは無理があるでしょう。それはともかく、J Stalin さんのいう「困った人」とは J Stalin さん自身のことであるというのが妥当でしょう。Wikipedia:新規参加者を苛めないでください に即してみても、この場合、単なる初心者として扱うのは適当でないと感じます。「こんなことをする暇があるなら記事を書け」「早く寝なさい」など、J Stalin さん自身の行いを棚に上げて他者を攻撃・挑発していること。また言葉遊びや揚げ足取りのような議論姿勢。これらは他者からの注意や指摘では変わることのない、J Stalin さん自身の性格に根ざすものであると考えます。すでにブロック済みの利用者との類似性が見られるということであれば、チェックユーザーを検討してもよいでしょう。ノートにその利用者を挙げてみてください。もしブロック逃れであれば、こうした議論は、まったく時間と労力の無駄です。--Calvero 2011年9月4日 (日) 16:30 (UTC)
- まず、感情的にならなければ簡単に解決するはずの点に関してコメントします。被依頼者の会話ページにて、依頼者がコメント依頼の提出を予告したことに対して[17]、被依頼者は「ここに不特定多数のユーザを集めることは、目的外利用になりますね」「悪意に解釈すれば、通知メール多発も含めたイヤガラセ行為をするぞという脅迫とも取れます」[18]と返答なさっています。この発言は、「コメント依頼=会話ページへの意見募集」という誤解に基づいていると考えなければ理解できません。すでにご理解なさっていることと思いますが、利用者に対するコメント依頼では、会話ページではなく、専用のサブページを利用します(ここがまさにそれです)。この点に関して、J Stalinさんが誤解に基づき、Pasternさんの行動を強く非難する発言をされたことは紛れもない事実です。感情的にならず、適切な対応をいただけることを期待します。「個人的にプンスカすればよい」とおっしゃっていますが、ウィキペディアの会話ページは、百科事典作成に必要な対話のためにあるもので、個人的なページではありません。そこで利用者同士の適切な協力関係に悪影響を及ぼすやりとりがあれば、充分にコメント依頼での論題とする意味があります。
- 深夜に複数回コメントがあったことを問題視されていますが、生活リズム、ウィキペディア参加に割く時間は個々の利用者ごとに違います。深夜にコメントしてはいけないのであれば、日中に多忙な利用者が議論に参加できなくなってしまいます。同様に、J Stalinさんにも当然ご自身の生活がおありになるはずですから、会話ページへのコメントにすぐに返答できなかったとしても、誰も責めることはありません。コメントの応酬で気分が落ち着かなくなった際には、少し時間をおくことをお勧めします。
- 削除依頼の場で方針の解釈等をめぐって議論になることは珍しくありませんし、多少であれば許容されているものと理解しています。しかし、Wikipedia:削除依頼/劇団福耳では些かやりすぎです。依頼ページでは、あくまでも削除の可否を論じるべきで、依頼提出者の態度は、他の適切な場所で議論すべきことです。J Stalinさんは、既存のガイドラインを紹介しただけとお考えでしょうけれども、ここでの他の方のコメントにあるように、その範囲を超えて、解釈・運用に踏み込んだ議論であると他の利用者に判断されたのです(私もこちらに同意します)。他者からそう判断されたという事実は事実として、受け止めていただきたいと思います。削除依頼は単純な多数決投票ではありませんから、自分と異なる意見の利用者をすべて論破しなくても、説得力のある意見を端的に説明し、それに他の利用者が納得すれば、意見を通すことはできます。
- 私とJ Stalinさんはしばしば削除依頼の場で議論が対立しているものの、J Stalinさんのご活動には一定の敬意を払っています。とくに、ケースE削除の提案された案件に対して、速やかに出典を追加される手際には感服しています。しかし、それと同時に、あまりに存続にこだわるあまり、少し無理がある主張をなされることもあると感じています。記事自体に対する主張であればよいのですが、しばしば依頼提出者への批判になるのはよろしくありませんし、記事存続のための方策として有効でもありません。ケースE依頼に存続票を投じる際に求められるのは、他の利用者に、「この主題なら、百科事典的な充実した記事になりそうだ」と思わせる材料を提供することです。それがすぐにできない場合には、資料が揃ってからWikipedia:復帰依頼を利用する手もあります。
- ケースE削除依頼提出前に、どの程度の確認を求めるのかに関しては、ここではなく(個別の削除依頼審議ページでもなく!)別の場所で議論すべきことでしょう。私が依頼を提出する際には、自分なりの基準で判断していますが、統一した基準を作ることは難しいと思います。ぱたごんさんのコメントにあるように、一般的には存続支持者に根拠提出が求められます(特筆性の欠如を証明するのは悪魔の証明なので)。--Trca 2011年9月4日 (日) 17:54 (UTC)
コメント 被依頼者の行動を依頼サブページと会話ページとに分けてコメントします。依頼サブページでの行動については、削除依頼は方針について議論する場ではありませんに反するものと思います。ご自分の考えは1回書けばよいし、自分と反対の意見が付く度毎に同趣旨の発言乃至補足・追加意見を繰り返し書き込むことは議論を停滞させる元です。この文章は方針でもガイドラインでもありませんが、被依頼者のように逐一反論していては削除依頼議論が進みませんので、被依頼者は自重して頂きますようお願いします。
次に会話ページでの発言、及び付随するここでの発言についてです。被依頼者がPasternさんが不適切な行為を取ると決めつけた上で反発する発言をした点は問題ですが、これはコメント依頼の手法を知らなかったためと受け取っておくべきでしょう。それがWikipedia:善意にとる態度です。それ以外についてはいずれも条件節を伴う用例であり、問題がないとは言い切れませんが、被依頼者の主観的にはお互い様とでもいった意識であったと思われます。被依頼者が、誤解に基づく発言であったことを謝罪するくらいは必要でしょうが、それ以上の対応は被依頼者の今後の行動を見た上での判断だと思います。
いずれ、方針でもガイドラインでもないWikipedia:削除依頼#注意事項やWikipedia:特筆性に関して、それを守る守らないで争うのは不毛です。Wikipedia:新規参加者を苛めないでくださいは免罪符にはなりません。一方で確実に遵守すべきルールは、Wikipedia:検証可能性です。被依頼者はこのことをよく考えてみる必要はあると思います。--ろう(Law soma) D C 2011年9月5日 (月) 01:35 (UTC)
- J Stalinさんの再コメントを受けてもう一言。個人的にこの削除依頼はけしからん。よって図書館巡りをして検証可能な権威ある出典を悉く集め、これを救済してやる。その心意気、大変結構でございます。ウィキペディアは記事や記述を減らす方向でなく、増やす方向のプロジェクトなのですから。ですが、それには一定のお時間がかかるものでございます。劇団アーノルドなどにつきましても、これだけの期間、それもネット文献だけでここまで持ってこれたのであれば、数ヶ月間腰を据えてかかれば、グウの音も出ない記事に発展する可能性はあるのではないですか(資料の問題から関東在住でないと難しいかもしれませんが)?従いまして、現状では資料不足として一旦は削除に甘んじるが、数ヶ月後に完璧な形で再立項を行ない(客観的に見て有意な改善がなされていれば、削除された項目の再立項は禁止されていません)、月間新記事賞を狙ってみる、これも一興なのではないでしょうか。まあこの辺りは、ウィキペディアなどは趣味ですので、お身体や実生活に障らない程度で、適度にお楽しみ頂ければと思います(あまり人のことを言っていうる場合でもない気もしますが)。--Hman 2011年9月5日 (月) 04:00 (UTC)
コメント 議論の場で散々WP:Nというガイドライン(草案)を持ち出して語ったり、他人のコメントに乗る形で自分で自分のことを「初心者」と仰ったり(こういう風に免罪符として利用することがあるので、あまり簡単に方針無理解な方に対し初心者だと言ってほしくないのです)、2度同じ文章を投稿しているにも関わらず差し戻しについて身に覚えがないと仰ったりと、私もJ Stalin氏を初心者として扱うのは果たしてどうかと思いましたので、その上でコメントさせていただきます。氏の言動はまさしくWikipedia:善意にとるを真逆にいっており、被害者意識が強すぎるように見えました。削除依頼で過剰なコメントの応酬以外にも、ご自分が存続票を投じた案件や削除票に対し、『威嚇やイヤガラセ』、『「ググッた結果がつまらん」レベルのお手軽な調査』、『感情的あるいは私怨的な背景すらうかがわせるような「捨て台詞」』、『1回ググってみたけど結果がパッとしなかった』(本件ではgoogleの検索結果については触れられておらず、事実と異なります)といった風に、むやみにレッテルを貼ったり、到底必要とは思えないような攻撃的な物言いが目に付きます。なお、誤解があるようですが、コメント依頼はブロック依頼の前座などではありません(中にはそういう考えの人もいるかもしれませんが)。とあるユーザーの編集、対話姿勢等について第三者へ問うのが目的であり、そこで仮に被依頼者の言動がコミュニティから問題視されても、コメントで改善が見られたりすれば、必ずしもブロック依頼に行くわけではありません。ついでにいえば、被依頼者が積極的にコメントを発信する場でもありませんので、行動が問題視されているのに開き直ったり、ますます攻撃的になったり対話が困難であると判断されれば、余計にブロックが近づくだけです。むしろ最初からブロック相当であると思えば、ブロック依頼の前にコメント依頼を通す必要はありません。現状を見るに、もし今後もJ Stalin氏の根本的な姿勢が改まらないのであれば、ブロックにも反対はしませんが、もし改善が見られれば、この依頼を提出した意味はあったのではないかと思っています(未だにPastern氏に対する罵倒について、言及がないのはどうかと思いますが…)。ただ同時に、GDSTCB氏がソックパペットの可能性があるとされるアカウントの存在に言及されたことについて、かなり気になっているのですが、詳細についてご存知の方はいらっしゃられないのでしょうか?もしチェックユーザーが必要であるならば、検討すべきであると思いますが。--CHELSEA ROSE 2011年9月6日 (火) 02:04 (UTC)