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Wikipedia:コメント依頼/2019jul07

利用者:2019jul07会話 / 投稿記録 / 記録さんについて、コミュニティを疲弊させている利用者かどうかについてコメント依頼を提出します。--210.254.80.114 2022年9月15日 (木) 01:55 (UTC)[返信]

依頼の経緯

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依頼対象者によるWikipedia‐ノート:検証可能性Wikipedia‐ノート:独自研究は載せないにおける議論姿勢について、他者から都合が悪い指摘を受けると無視し、自身が進めたい合意の観点にのみ意見を求める姿勢があります。いつまでも納得しない旨を複数の他者から指摘されても納得せずに、自身にとって都合が悪くなった一方的に議論を終了宣言し対話には応じていません。

自身の議論姿勢を顧みることなく方針改定の提案に至る姿勢を繰り返しているため、本依頼を提出してコミュニティの皆様の審議を依頼します。よろしくお願いします。--210.254.80.114 2022年9月15日 (木) 01:55 (UTC)[返信]

依頼者のコメント

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方針ガイドラインのノートを眺めていて成り行きを見守っていました。方針ガイドラインの審議の場において一方的な姿勢で何かが決定されてはコミュニティに混乱を及ぼします。依頼対象者の編集姿勢は同様の行為を繰り返しているように見受けられるためにコミュニティに諮ってご判断を仰ぎたく思います。--210.254.80.114 2022年9月15日 (木) 01:55 (UTC)[返信]

  • コメント 中間まとめについて2019jul07さんから「検証可能性に限る話だ(要旨)」とご指摘をいただいた部分についてご説明申し上げます。依頼の審議開始から論点は検証可能性に限定しない2019jul07さんの編集姿勢についてでした。「不毛かつ無益な議論に拘泥し徒に拡散させてしまう(どろりあんさん)」や「フォーラム・ショッピングに当たる(メリースさん)」のご指摘も踏まえて、この問題は主語をどの方針ガイドラインに置き換えても通用する2019jul07さんの議論姿勢であるとまとめさせていただきました。「ウィキペディアの精神に最も合致する解釈は今の解釈・他の解釈や他の方針で解決が図れる限りは控える(でない限りは控えない)」とおっしゃっているように受け取りましたし、今後もコミュニティを混乱させるのだろうと非常に残念な印象を受けました。--210.254.80.114 2022年9月29日 (木) 03:39 (UTC)[返信]

依頼対象者のコメント

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この度皆さんにご迷惑をおかけしたことについて謝罪します。申し訳ありませんでした。

私は受けた指摘に対して同意しない場合は、指摘を受ける前か後にそれに相対する理由を説明することで、意見の違いの範疇であることを示していると考えていました。皆さんの反応を受けて、それは間違いであり改めるべきであることに同意します。

1つの考えのみを主張し続けない旨も了解しました。これまでは論点は少ない方が分かりやすいと思って議題を絞ってきました。そのため、議題を変えずに解決を図るために普遍的な結論を求めたり、それでも議題を見直すべきと考えたときには議論場所を変えたり議論を取り下げたりしました。

Wikipedia:検証可能性については、私の解釈は結果的に字面通りと言えるものになっていますがこれを避けようとしても、ウィキペディアの精神に最も合致する解釈は今の解釈だと考えます。よって、これを今後一切主張しないということは困難です。しかし、その主張をし続けるのは前段落の通り不適切なので、他の解釈や他の方針で解決が図れる限りは控えます。

最後に、事実関係について。このコメントで言った「意見募集を始めた理由の全てはこのコメントにあり、」は、「このコメントだけを見て意見募集を思い立ち、」という意味です。説明不足によりご心配をお掛けして申し訳ありませんでした。--2019jul07会話2022年9月20日 (火) 14:59 (UTC)[返信]

#依頼対象者の返答(要旨)」について。20日 (火) 14:59のコメントの4段落目の内容は「Wikipedia:検証可能性について」のみ述べたものであり、その指定を省く改変はしないでください。これはWP:TPNOに基づきます。--2019jul07会話2022年9月26日 (月) 08:17 (UTC)[返信]

ぷにをさんの26日 (月) 09:37のコメント 20日 (火) 14:59のコメントの「意見の違いの範疇」「1つの考えのみを主張」というのは議論の論点や場所についての意見・主張も含みます。つまり、今後は議論の論点・場所についても他の方の意見を採り入れるということです。これらを伝えられていないことも重ねてお詫び申し上げます。本件で言えば「Wikipedia‐ノート:検証可能性#編集者がウェブページとそのウェブアーカイブを比較した結果は、読者に検証可能か?」での皆さんの意見・主張に合わせて、論点はWikipedia:独自研究は載せない、場所はノート:交響曲第1番_(佐村河内守)としていれば議論の着地点・打ち切りの問題を避けることが出来ました。--2019jul07会話2022年9月26日 (月) 11:17 (UTC)[返信]

 追記 まとめが行われた後になって恐縮ですが、自分では言ったつもりで皆さんには伝わっていなかったことを追記します。それは、私の各ノートでの振る舞いは不誠実であったと考えるということです。私の認識では「関心がない」ことを表明することはそれまでの自らの主張の誤りとその主張をした際の言動の非を認めて他の方の指摘に従うことを意味するものです。皆さんにはそうは受け取られていませんので改めて、Wikipedia‐ノート:独自研究は載せないでの議論を続けないのは有用な結論が見込めない独善的な議論であるという旨の指摘に同意するからであること、各ノートで異論に対して発展的・建設的な話をせず表面的なやり取りを繰り返したりやり取り自体をしないうえで自説の主張に終始したことは不適切であり今後は行わないこと、を表明します。--2019jul07会話2022年9月29日 (木) 11:01 (UTC)[返信]

第三者のコメント

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情報 被依頼者との議論に参加していた当事者の一人です。先を越されてしまいましたが、こちらでもコメント依頼を用意していたので、下書きを流用する形で私からも経緯から説明させていただきたく思います。長くなってしまいますが、ご容赦頂ければ幸いです。

今回そもそもの発端となったのは、ノート:交響曲第1番_(佐村河内守)での議論において、ウェブページとウェブアーカイブを比較した結果を出典として用いた記述に対し、「検証可能性を満たさないため除去すべきである」旨を被依頼者が主張されたことからでした。これに対して「検証可能性は満たされている」と主張するGruppettoさんと対立する形となり、お互い一歩も引かず水掛け論に突入します。そこで被依頼者はコメント依頼を提出し、その結果紅い目の女の子さんより「検証可能性の観点から問題にすべきではない」「それよりも独自研究の観点から議論すべき」という趣旨のコメントが行われました。しかし被依頼者はあくまで検証可能性の観点から議論を続けることに拘り、一応は独自研究の観点からも問題があるとしつつも、当初よりの主張を固持し続けました。結果として、Gruppettoさんとの議論は再び水掛け論に発展してしまいます。

その後、被依頼者はWikipedia‐ノート:検証可能性#編集者がウェブページとそのウェブアーカイブを比較した結果は、読者に検証可能か?に議論を移行させ、個別の議論ではなく方針の運用によって普遍的な結論を得る方向に舵を切りました。またこれに伴い、「ウェブページとそのウェブアーカイブを比較してはならない」旨を方針上で明文化することを提案されました。ここで複数の利用者からコメントが寄せられますが、こちらでも概ね「情報の合成に該当する」「検証可能性のみの観点で議論することではない」という意見が中心となり、改訂の提案についても同じ形で反対寄りのコメントが集まることとなりました。

最終的に被依頼者は上記提案を取り下げられましたが、今度はWikipedia‐ノート:独自研究は載せない#編集者がウェブページとそのウェブアーカイブを比較したとき、その結果は独自研究か?に議論を移行させます。見ての通り、検証可能性という言葉がほぼそのまま独自研究に摩り替っているだけであり、先の議論で寄せられたコメントは事実上無視される形で、あくまで普遍的な結論を出すことに拘り続けました。

このように議論の着地点が見えない状況となっていることを鑑み、これまでの議論についてどのように理解されているのか、私の方から被依頼者に対してその認識を確認させていただきました。その結果、「明確な考えはない」という返答を頂き、また再度議論の場を移したことについて、ぷにをさんのコメント(の一部)を曲解し、それを根拠としていたことが明示されました。これを受けてぷにをさんより更なる追及のコメントが寄せられましたが、被依頼者は明確な返答をされないまま、ノート:交響曲第1番_(佐村河内守)で争点となっていた記述が除去されたこと、および「ウェブページとそのウェブアーカイブの内容を独自に比較した結果」は独自研究に当たるかどうか、に今は関心がないこと、以上二点を理由として一方的に議論を打ち切られました。

補足として、ノート:交響曲第1番_(佐村河内守)での論争について、被依頼者・Gruppettoさん両名の主張は現時点で平行線のままとなっていることを付記しておきます。

参考として、ノート:にじさんじ#チェ・アラ氏の扱いにおいても上記と同様の水掛け論に発展しかけたことがある、という事実にも触れておきます。

コメント 以下は私自身のコメントになります。

被依頼者と議論を交わす中で私個人が感じたのは、被依頼者の中では議論を行う前から既に結論が出ており、周りと意見を擦り合わせて調整することよりも、基本的に自分の考えを優先する姿勢が強い、ということでした。また、些か教条主義的で融通の利かない面があり、しばしば字面だけの解釈で議論をされているような印象を抱かされました。

とはいえ、多少結論が先行気味で頑迷な面はあれど、基本的なスタンスはWikipediaの方針と概ね合致していることもまた事実であり、それだけであれば問題のある利用者とまでは言えません(正直そのレベルの方はいくらでもいらっしゃいますし、私自身も該当しないとは言い切れません)。私としてもそこまで協調性に難のある方だという認識はなく、話が逸れそうな時に都度軌道修正すれば済む程度の問題だと捉えていました。事実として、今回の発端となった議論に対しても記述の除去ないし修正自体には賛同する声のほうが多く、ただ議論の進め方が拙いだけで、あくまで編集姿勢のみに限って言えば模範的な利用者であると評すべきでしょう。

しかし今回に限ってはそうした杓子定規な部分が悪い方向に作用したのか、不毛かつ無益な議論に拘泥し徒に拡散させてしまう、という形で問題が顕在化してしまい、これに伴って対話姿勢の問題も浮き彫りになった格好です。事ここに至って、私としても被依頼者への認識を改めざるを得なくなった、というのが正直な思いです。

ただ、発端となった議論において対立していたGruppettoさんにも些か問題発言が見受けられ、特に独自研究の観点からも問題はないという主張をされていたことを考慮しますと、結局議論が噛み合わなかった可能性はあり、その点はある程度斟酌すべきかもしれません。とはいえ、検証可能性について拘泥したがために独自研究の観点をなおざりにし、無益な水掛け論を再開してしまった点は、やはり被依頼者の振る舞いにその責を求めるべきだと考えます。

そして上記の点にも関連する被依頼者の最大の問題点(と私が考えている部分)が、「二つの版を比較すれば自明の差異」であっても「差異があるという言及がないから検証できない」という当初よりの主張です。確かに、検証可能性の字面のみを追っていけば、そうした解釈が成立する余地がないとは言えません。とはいえ、普通の感覚からすれば有体に言って言葉遊び・屁理屈の類です。また実際的な観点からも、独自研究と併せて運用することで無意味・無益な比較を排除することは可能である、ということを複数の利用者が異口同音に指摘してきました。にも拘わらず、被依頼者は前述した解釈を第一の論拠として用い続けました。率直に言って、話が拗れて当然としか思えません。こうした字面だけの解釈を論拠として用いる被依頼者の悪癖は、直近の議論においても強く表れています。

まとめますと、本件における被依頼者の振る舞いには恣意的・独善的な姿勢が強く認められ、また方針の文面のみに囚われて実用上の観点が大きく欠落(あるいは極端に軽視)していることが見て取れます。こうした面がコミュニティの消耗を招く結果となったことに、最早疑いの余地はないでしょう。再びこのような事態を招かないためにも、被依頼者には以上の点をしっかりと認識し改善していただく必要があるものと思量いたします。--どろりあん会話2022年9月15日 (木) 03:59 (UTC)[返信]

コメント ノート:交響曲第1番_(佐村河内守)に関してだけ言えば、Gruppettoさんが方針を全く理解せずに独自研究の正当化に汲々としているため、被依頼者には同情すべき点もあります。ただ、その後のWikipedia名前空間でのなさりようは、議論の姿勢として問題があると考えます。具体的には既に指摘されているので述べませんが、普遍的な方針の議論と断っておきながら、ノート:交響曲第1番_(佐村河内守)でGruppettoさんが議論を放棄したらWikipedia名前空間での議論も打ち切るというのは筋が通りません(念のため申し添えますが、発端の議論で問題があるのはGruppettoさんであったと考えます)。ともかく、被依頼者はこれまでの行動を振り返り、改善の努力をするべきではないでしょうか。--240B:C010:483:AD0D:74D9:414:1546:5A9D 2022年9月15日 (木) 13:14 (UTC)[返信]

コメント 言いたいことは山ほどありますが問題点は既に指摘されているので簡単に。最近は特に私とのやり取りが多かったでしょうから、私に辟易したんでしょうか。ノート:にじさんじノート:ホロライブプロダクションWikipedia‐ノート:検証可能性Wikipedia‐ノート:独自研究は載せないで関わりましたね。私は理解いただけるようにいろいろ言葉を重ねたつもりですが、関心がなくなったからとの理由で正直がっかりしました。私の説明が下手な点もあったのかもしれません。しかし、今は徒労感でいっぱいです。--ぷにを会話2022年9月16日 (金) 07:35 (UTC)[返信]

コメント 被依頼者の発言のいつまでも納得しない傾向は今回が初めてという訳ではなさそうです。利用者:彼方陣の時代から16年間の活動期間がありながらも記事作成に長けている訳でもなく教条的な方針解釈を他人に厳しく適用し続けている様子で、反面今回のように自分に甘いのでないでしょうか。同様の利用者が以前もいましたが抜本的に改善を確約した後に編集内容を見直しが確認できない限り、同様の行為を繰り返すだろうと危惧する次第です。--2001:268:92C8:63B8:CDCA:E637:379A:2193 2022年9月16日 (金) 13:36 (UTC)[返信]

コメント 被依頼者の2回目のコメントがあったので追加でコメントしますが、私自身は被依頼者の解釈の違い自体はそこまで問題だと思っていません。個々人でいろいろな考え方があるからです。しかし、着地点の見えない議論や議論の一方的な打ち切りに関しては大きな問題だと思っています。これについて、2度目のコメントでも触れられていないのは問題だと思っていないからでしょうか?1度目のコメントで控えるとおっしゃった内容が守られたとしても被依頼者がコミュニティを消耗させる状況は改善したと言えないのではないかと考えます。--ぷにを会話2022年9月26日 (月) 09:37 (UTC)[返信]

私へのコメントがあったので追加でコメントします。これこれこうであれば『議論の着地点・打ち切りの問題を避けることが出来ました。』とお考えのようですが議論を始める前に「自身の考え(着地点)」は用意できるはずです。「議論相手が撤退しても」議論は続けることができるはずです。被依頼者のおっしゃり方だと別の問題では「議論の着地点・打ち切りの問題を避けられない」と考えます。--ぷにを会話2022年9月28日 (水) 01:38 (UTC)[返信]

コメント 被依頼者の方針解釈はやはり自分に甘く、他者に教条的で厳しく適用する傾向を繰り返している様子を追加コメントで再確認しました。被依頼者コメントには改める姿勢がありませんでした。コメント依頼が提出されて全般的な方針解釈が問題視されている現状を理解していない様子も確認しました。どの利用者も被依頼者の追加コメント後に評価を変える様子がありませんので議論は煮詰まりました。次の段階へ進めましょう。--2001:268:92C4:F191:1045:83BC:C404:730B 2022年9月27日 (火) 14:43 (UTC)[返信]

コメント 一点だけ、先のコメントを補足させていただきます。私の認識において、Wikipedia‐ノート:独自研究は載せない#編集者がウェブページとそのウェブアーカイブを比較したとき、その結果は独自研究か?におけるやり取りは単なる意見対立の範疇を明らかに逸脱しており、それは被依頼者の言葉尻を論うような不誠実な言動に起因するものでした。先のコメントで述べた字面の解釈云々はそうした部分への指摘も含んでいたのですが、今振り返ってみると単に方針の解釈のみに関する問題と読解されても無理のない書き方になってしまっていたので、この場で改めて指摘させていただきます。とはいえ、そのくらいは自発的に省みられてほしかったというのが正直な思いであり(既に他の方から同趣旨の指摘はありましたし)、よって「次の段階に進めるべき」という意見にも大きな異を唱えるものでありません。--どろりあん会話2022年9月28日 (水) 03:45 (UTC)[返信]

  • コメント 上でも述べましたが、議論が打ち切られた理由は「相手方が議論に疲れたから」です。そうでなければ「関心がなくなったから」です。被依頼者のおっしゃるように論点と議論場所を定めても、無意味です。このことを理解されない限り、私は問題再発の懸念を拭えません。--メリース会話2022年9月28日 (水) 08:32 (UTC)[返信]

中間まとめ

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多くのコメントをいただきありがとうございました。依頼から1週間が過ぎて2019jul07さんからのコメントもございましたのでここまでの議論についてまとめたく思います。議論の経緯を踏まえてご判断を仰ぎたく思います。その結果を踏まえて最終的なまとめを提出したく思います。--210.254.80.114 2022年9月22日 (木) 02:38 (UTC)[返信]

依頼対象者に対するコメント(要旨)

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  • 普通の感覚からすれば有体に言って言葉遊び・屁理屈の類。振る舞いには恣意的・独善的な姿勢が強く認められ、方針の文面のみに囚われて実用上の観点が大きく欠落(あるいは極端に軽視)している。
  • 普遍的な方針の議論と断っておきながら(相手が議論を放棄したら)Wikipedia名前空間での議論も打ち切る。
  • 関心がなくなったからとの理由で(議論を一方的に打ち切る)。
  • フォーラム・ショッピングに当たる。
  • いつまでも納得しない傾向は今回が初めてという訳ではなさそう、教条的な方針解釈を他人に厳しく適用し続けて自分に甘い。
  • コミュニティの消耗を招く結果に疑いの余地はない。
  • 徒労感でいっぱい。
  • 抜本的に改善を確約した後に編集内容を見直しが確認できない限り、同様の行為を繰り返すだろうと危惧する。

依頼対象者の返答(要旨)

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  • 私の解釈は結果的に字面通りと言えるものになっていますがこれを避けようとしても、ウィキペディアの精神に最も合致する解釈は今の解釈だと考えます。よって、これを今後一切主張しないということは困難です。しかし、その主張をし続けるのは前段落の通り不適切なので、他の解釈や他の方針で解決が図れる限りは控えます。

まとめ

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2週間にわたって審議をいただきありがとうございました。中間まとめ以降も依頼対象者2019jul07さんの姿勢に対して厳しい意見が継続し、コミュニティを疲弊させている利用者であるとコンセンサスが成立しているものとしてまとめとさせていただきます。依頼者は参加資格がなく申し訳ありませんが、投稿ブロック依頼提出の要件は満たされていますので審議を進めていただきますようにお願いします。--210.254.80.114 2022年9月29日 (木) 03:39 (UTC)[返信]