Wikipedia:コメント依頼/港町奉行
利用者:港町奉行(会話 / 投稿記録 / 記録)さんは10年以上活動されているユーザーですが、基本方針を理解されているかについてコメントをお願いします。
今回私との論争に関係しているのは主に上の記事(と主な編集)になりますが、港町奉行さんは出典には存在しない内容や一次資料にたよった編集、たとえばこの編集やこの編集やこの編集やこの編集(古いものはまだしも、最後のですら出典となっている文献を読んでも「一気に焼売の知名度を広げた」という記述は存在しません)といったものがたびたび見られます。
経緯
[編集]発端は私が各記事で出典に存在しない独自研究等が見られることから修正をおこなったことによるものですが[14][15](後に加筆)、一部の編集に関して「難癖」であると要約欄でコメントされました(のちに撤回)。
その後は焼売の編集や利用者‐会話:港町奉行#崎陽軒の編集についての議論にあるとおりですが、気になるのが『出典はあるもののナンセンスな記事に換えるというのは、わたしの考えでは読者の軽視でしかありません。(中略)事実ではないことを綴られるなら、わたしは貴兄を批判せざるを得ないのです。』と、いかに横浜名物として焼売が広まったか理由(この場合、崎陽軒の売り子・小説・映画による効果について多数の文献が言及)よりも、いちメーカーの製造過程による努力に重きをおくべきであり、文献にあるような主だった普及理由を事実でないと主張されました。そこで私がWikipediaは「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」が重視されると返信いたしました。その後、一部二次資料を除去し「焼売は横浜名物としての地位を確立した」という文章を「彼女ら同様(崎陽軒の)シウマイは全国に名を轟かせた 」という文章に書き換えた焼売記事の編集がおこなわれました。そこで私は会話ページで再度コメントし、焼売が横浜名物となった理由経緯は必要であっても、崎陽軒の努力アピールをことさら主張するのは適切かどうか疑問があり、焼売が横浜名物であるという第三者的な言及資料を排除すべきではないことをを説明しました。
しかし被依頼者は再度同じ内容の投稿をおこない、要約欄では私の編集を逆に「料理に縁のない企業の宣伝行為」とおかしな認定をし、また会話ページでは『改良してその後の製品に影響を与えた事実は無視してはいけないはずです。「冷めてもおいしい」焼売を評価する感想は世に溢れていますし、崎陽軒のアピール以後、原材料として貝柱をもちいるレシピは企業から家庭まで多くの追随者を生んでいます。』と主張され、くわえて崎陽軒はすでにその影響力は大きなものであり、Wikipediaの記事にことさら崎陽軒やその企業努力についての記述を盛り込む行為にたいし指摘をしたところで、それは今更で広告効果はないのでむなしいだけとコメントされています。さらには日清製粉の各地のご当地料理を取り上げた出典は焼売が横浜名物であることへの言及ではなく、内実崎陽軒のみを対象としたものなので不要であるとし、大船に住んでいたとのご自分の経験談などのを根拠とし、とある企業の失敗について、『(崎陽軒の)貝柱を使うテクニックを盗んでおらず、「シウマイ」に比して冷めたときに味が落ちる、というのが不人気の一端ではあったと思います。』とまで主張されています。
論点
[編集]ここまでくるとコミュニティのみなさまがたにはご理解いただけるかと思いますが、被依頼者は崎陽軒にたいする思い入れが非常につよく、その製造方法等には小説や映画のヒットにも匹敵するすさまじい効果があり、模倣がたくさん登場し、真似なかった商品は姿を消した、と主張するにいたっています。それを思うのは個々の自由ですが、それを編集に反映させるのは適切でないことはあきらかでしょう。会話ページでも指摘しましたが、ベテランユーザーとしてこれまで具体的な問題指摘をあまりされてこなかったゆえの長年の「これくらいでいいんだ」という推量で動かれていた、そういった誤解の面がおおきいかと思われますが、今後はWikipedia:検証可能性、Wikipedia:独自研究は載せない、Wikipedia:中立的な観点といった3大方針やWP:NOTについてご理解いただけないことには、WP:OWNとまではいわないものの、ご自身の価値観とは違う場面に遭遇した際には、同じことを繰り返すのではないかと危惧しています。えてして食品にかんする記事は、出典が極めて不足していたり中立性にかける内容が盛り込まれることが多い土壌といえますが、だからといってそれが許容されていい理由にはならないでしょう。--Aiwokusai(会話) 2018年9月1日 (土) 10:44 (UTC)
依頼者コメント
[編集]- 崎陽軒とは別の、食べ物に関する最近の編集についても少し見てみましたが、いくつかの記事では要出典タグを付与されていますが[16][17]、かと思えば、出典を明記している編集も存在するものの、無出典の加筆・無出典の記述に出典を明記するわけでなく単なる内容の書き換えによる独自研究・「昭和初期」など出典に存在しない内容の加筆・除去に対抗して無出典記述部分まで差し戻すなどの編集がみられ[18][19][20][21][22][23][24][25][26][27][28]、基準がバラバラの感じがします。細かいようですがこれらは元が出典の不足している食べ物の記事であるから目立たないだけであって、慣例的になっているからといってじゃあそれでいいやとはならないでしょう。そういう事が常態化していくと、方針にそって出典明記を是とする利用者との間でいずれ諍いがおこることになると思われます。--Aiwokusai(会話) 2018年9月1日 (土) 12:15 (UTC)
- 被依頼者から議論からの離脱の旨があり、またこういった公然化、第三者のご意見を募るオープンな形での議論は望まないとのコメントがありました。『気分的に今更つるし上げのような場に引っ張られてももはや語ることもありません。(中略)こんな場で語りたいなどとは思われません。発言は拒否しますのでどうにでも批判なさってください。』とのことですが、反論があれば書けばきちんと書いてくださればよいのであって、こういった形で議論が長引くもしくはご自身が当事者・渦中の人物となることを極端に忌諱されているというか、これまで経験なされていないがゆえのものかもしれませんが極端な反応をみせられています。辟易しているとのことですが、話し合いによる解決が簡単に終わらないと嫌気がさし、これくらいで溝をうめるための議論をとたんに放棄されるとは思わず、正直おどろいています。
- コメント依頼で被依頼者がコメントする義務はありませんが、Wikipedia:善意にとる、Wikipedia:合意形成などのガイドラインに照らし合わせれば、こういった議論になった場合うまくいかないときは第三者のコメントを募るのはひとつの手段であって、それを『もう少し礼儀をわきまえた方かと思い込んでおりました』と、なにか問題があった場合にこういった場を設けるのはただの吊るし上げで非礼であるかのごとく主張されるのは、むしろ不誠実な対応であり、ガイドラインへの理解が不足しているように思われます。私が上げた諸問題がご自身でも方針に照らし合わせると問題があったが故にああいった反応をされたのか、それともただ議論にたいして不慣れなだけなのかは正直釈然としないものがありますが。港町奉行さんが依頼における指摘をうけて今後どのような形で活動されるのかはわかりませんが、それが方針に沿ったものであることを願います。ご本人はどのように思っていらっしゃるかはわかりませんが、被依頼者がコメントされないので問題が解決したわけでなことだけは確かですのでそこはご理解していただくようお願いします。--Aiwokusai(会話) 2018年9月1日 (土) 14:43 (UTC)
- 少しだけコメントいたしますが。Yatobiさんのコメントが、「被依頼者は私に対して反論をおこなうな」といった性質をもつ内容を予防線のごとく張られ封じようとされている点や、5年前の改変前の方針を持ち出される意図が掴めませんし、あまりに一方的な内容であることをもうしあげておきます。また、「依頼者の行動から察するに」「きな臭さを帯びてくる」「食って掛かった(爆言)」といった物言いは、まだ個人攻撃とまではいかないまでもどうかと思いますし、会話ページを見れば特定企業について固執されているのは私でなく被依頼者のほうであるともうしあげておきますし、あくまで第三者の意見として参考にはさせていただきますがYatobiさんのご意見にはその点はまったく考慮されておりません。被依頼者におかしなところは全く見られないというのであれば、それはYatobiさんも方針改変前のそういったあやふやなWP:ORに結びつく風潮を是とするお考えが存在するということなのでしょうか。またYatobiさんが日常でもそういった編集をおこなわれているのだとしたら[29][30][31][32][33]、正直それは適切とはいえませんし独自研究を書き連ねることには同意しかねますし説得力はうまれないと思われます。古参利用者の方々は、といってもあくまでその中の一部なのでしょうが、もういい加減出典を伴わない加筆修正は方針に照らし合わせるとアウトであることを自覚されるべきです。自分はわかっているんだ、では駄目なのですよ。--Aiwokusai(会話) 2018年9月2日 (日) 04:21 (UTC)
- 未クローズだったのでずいぶんと空いてしまいましたが、情報の合成を指摘された編集を「悪戯」として差し戻す、「著しく公平さを欠いている」と言いながら近年支持者の多い仮説となっている。と個人意見を挿入する、全く理由が不明なコメントアウト(議論提起もなし)、その記事では一次資料のURLが間違っているのに意地でも直さず差し戻しを繰り返すなど、被依頼者の検証可能性の方針にたいする理解はどうなっているのでしょうか。これ以上不適切な編集が継続する場合はあらたにコメント依頼か投稿ブロック依頼の提出も検討します。--Aiwokusai(会話) 2019年8月6日 (火) 13:19 (UTC)
被依頼者のコメント
[編集]コメント
[編集]- コメント - 依頼者被依頼者双方の編集が量的に多いのでざっと目を通した印象のみ。少なくとも崎陽軒の編集でおかしなところは全く見られません。またWP:NORで紛糾しているようですがWP:PSTSの2013年10月まであった([34]参照)の「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説」の考え方に基づけば容易に判断が付く程度でしか書き込まれておらず、まあ二次資料的な出典があればそれに越したことはないとはいえ、強硬に編集合戦に持ち込む依頼者の姿勢に違和感を感じるところでもあります。まあ「分別のある大人」云々は先に述べた通り過去に英語版からの翻訳移入で撤回された(Wikipedia‐ノート:独自研究は載せない/過去ログ9#WP:PSTS参照)ところでもあり、その辺りは古くからの参加者にとってはWP:PSTSの変更など気が回らない部分もあるでしょうから、そのあたりなんでしょうねボタンの掛け違い的な応酬に発展した原因は。逆に利用者‐会話:港町奉行#崎陽軒の編集についてでは依頼者さんが「シウマイ娘」関連のご自身の記述に固執するあまり被依頼者に食って掛かった(爆言)ようにも見受けられ、その応酬の延長もあってコメント依頼に提出されたとしたら、本依頼は「自分に都合の悪い情報を伏せて相手を糾弾する」ようなきな臭さを帯びてくる感もあり、その辺りは利用者‐会話:港町奉行#コメント依頼提出のおしらせにある被依頼者側の「一方的に過ぎませんか。」という件に共感を覚えるところでもあります。なおこのように書くと依頼者の行動から察するに反論が書き込まれることが予想されますが、「コメント依頼は依頼者被依頼者双方のありように等しくコメントが寄せられる性質のものであるためご自身にとって愉快ではないコメントが寄せられたからといって反発するような態度は慎んでください」と予め申し上げることで返事に代えさせていただきたく存じます、あしからず。--夜飛(話/歴) 2018年9月2日 (日) 03:44 (UTC)
- コメント 五年も経って気が回らないなら一体何年待てば良いのかという気がしますが、、出典を明記しない物は消されても仕方が無い、それはWP:BURDENにはっきり書かれている事であって例外はありません。一次資料に関してはWP:PSTSにある通りです。二次資料的な出典があればそれに越したことはない、ではなく二次資料の明記が求められます。実際、別のウィキペディア編集者が編集除去などを使って意義申し立てした時点で、これが専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説だと言い張るのは難しいのですから。他者から異論が出た時点で仮に改変前の方針を強引に持ち込んで来たとしてもそれは成立しません。食品メーカーに関しては、メーカーの努力それも何故か工場の物を推し量るべきとの港町奉行様の主張には同意出来ません。何故著名になった・特筆性が生まれたか因果関係に関しては二次資料にあるがまま明記すれば良いのであって、出典にあるからといって我々はこんな努力をしたんですよとばかりに何を載せて良い訳ではない事は明白です。その点、小説や映画は別にこの飲食店がプロデュースした物ではなく、文筆家・出版社や映画会社の目に止まった故の物でしょうし記載に値します。崎陽軒のシュウマイは多くの追随者を生んでいる、他の老舗が姿を消したのは貝柱を使うテクニックを盗んでいないから、このような"経験則に基づく主張"は管理者の解任の一因となったノート:カードゲームでの「肌で知っている」発言にある意味で通じる物と言えます。これを言い張る側もそれを見て問題なしとする・またシンパシーを感じる利用者もWikipedia日本語版の方針を蔑ろにしていると言う他ありませんし、活発に参加しているなら渦中の人となるのは時間の問題という事では。--Bbcs(会話) 2018年9月9日 (日) 19:56 (UTC)
- コメント 肌感覚がみんな同じであるならば何のconflictも起きないわけなんですが、実際はそうじゃ無いんですよね。みんな住む場所や世代が違ったりしますから。そういう時にどうやって解決しようかという流れから、二次資料に典拠した記述をという流れで現在に至っています。肌感覚を持つ人の現実や事実を記載されているところではなく、肌感覚を持たない人が情報を得るにあたり、ある程度信頼できる誰かが公的にそう書いているというものの寄せ集めとして記事をと考えて貰うしかないのでは?あるいは典拠となる資料基準を満たした出版物を自分で作るしか無いよね。--110.132.255.176 2018年9月11日 (火) 17:31 (UTC)