Wikipedia‐ノート:良質な記事/良質な記事の選考/淡路国道マツ並木 20140211
長くなりますけど。
ロリさんからWikipedia:独立記事作成の目安(俗に言う「特筆性」)に合致するのか、という疑問が寄せられています。いくつかの理由から「ある」と考えてよいのではないでしょうか。ひとつは(「かつて存在した」であるとはいえ)天然記念物を主題としていること。もちろん「xxは天然記念物だった、以上」で終わるくらいの乏しい情報量しかないであれば、確かに単独で記事かするのではなく、何かの一覧(適切なものがあるかどうかは?ですが)にまとめた方がいいだろうとは思います。しかし、この並木の場合、並木成立の経緯であるとか、地元の人々とのかかわり、並木が失われるまでの過程など相当な情報量とその裏付けとなる有意な第3者言及があり(かつ・明示されており)、むしろ何かの一覧入りさせる方が適切ではないでしょう。
その他、「元の松並木2000本というのが事実で尚且つ全国的に凄い数で美しい」のかどうかは分かりませんが、天然記念物に指定された経緯を見る限り、際立った何かをもった並木であったことは、率直に言ってちょっと丁寧に読めば分かるのでは。その他、写真なんかは賛成のコメントに書いたとおり、あるかも知れないが見つけるのは難しい。地元の人々にとっては当たり前の風景だったものだから、かえってことさら写真の被写体にしなかった可能性もあるだろうし。
で、ぱたごんさん。「この推薦が自薦ではなく他薦」であってもなくても、選考の場で考えることは変わりません。選考するのはどこまでいっても記事で、記事以外にありません。記事が選考を通じて評価を得たことが、執筆に携わった利用者にとって励みになるということはあるでしょうし、執筆に携わった利用者の寄与は正当に評価されるべきだけれど、それは記事の選考の目的ではない。それに記事は誰か特定の利用者のものではないし、知らないところで推薦された云々についてもWikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/筑波山神社 20140211でMobnobokaさんの指摘にあるとおり、執筆した誰かの心情ではなく「良質な記事の選考は(略)記事の質の向上のためにやる」。
もちろん、度を越した失礼なやり取りで誰かが気分を害して「もうウィキペディアなんてやめたっ!」となって良いわけはないし、その誰かがいわゆる「書ける人」だったらなおさら。でもそれは、Wikipedia:礼儀を忘れないとか、そのあたりで担保されることであって、選考対照の記事に批判や疑問を口にしないことによってではない。(もちろんそういう意味では、利用者:ロリさんも語調をもっと選ぶべきだった。顔見知りの間でフランクに話すなら、あれでもいいだろうけれど、見ず知らずの相手にするにはどうだろうか。率直さと無礼さは違うし、ひとによってはイラっとくるかも知れない。正直、私も一瞬「ムッ」とくるものがあった)。
選考をやれば、他人による評価の場に持ち出すのだから、批判や疑問が出てきてもおかしくない。なにか疑問とか批判の意見があって、それが正しくないというのであれば、執筆者はある程度は説明できるだろうし(「しなくてはならない」ということではない)、賛同する人がちゃんと説明してもいいし、そうするのが選考というもの。ミスタイプするほどヒステリックに切り返したって、選考に人が寄りづらくなり、よい記事が見出されるチャンスが減るだけでいいことはない。適切な説明がなされても、なおも無理筋な事を言い続けても、良質な記事は反対があっても選考は通過させられるし、秀逸な記事であれば究極は票の排除ができる。
ちゃんと記事を書いて、本来あるべき参加の仕方をしている人が大事にされない日本語版のあり方に怒りがあるのかもしれないけれど、書き手のご意向これ大事っていうのは方向性として正しいのか。Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/筑波山神社 20140211とか、この記事とか、八百屋お七関係とか。記事の評価を属人的な(手短に言えば書いた人への)評価と間違えているようにしか見えないけれど、いいかげんベテランの域にある利用者の理解度と発言ではない。ちょっと発言する前に考えましょうよ。--ikedat76(会話) 2014年2月15日 (土) 19:12 (UTC)
ロリさんから
[編集]便宜上、節分け。--ikedat76(会話) 2014年2月16日 (日) 14:22 (UTC)
- 長文のご意見ありがとうございます。私は普段から感じたことを率直に言う方なので、不快な思いをされた方にはお詫び申し上げます。今後気をつけたいと思います。疑問を投げかけたまでですので、良質な記事賛成多数であれば特に反対はございません。--ロリ(会話) 2014年2月16日 (日) 09:55 (UTC)
ええと、「普段から感じたことを率直に言う」のを非難するつもりは無いです。素朴な疑問みたいなものって、記事を書いた人には(自分がよく知っているだけに)盲点になりがちなので、指摘してもらえると記事の改善に役立つことがあるから、言ってもらえるのはありがたいことなので、これからも指摘はしてほしい。でも、語調だけ、それだけちょっとだけ気をつけてくださいというお願いです。たぶん、分かっていただけていると思うけれど、念のため。
あと、ちゃんとした説明が出てこないのであれば、ちゃんと説明してと言う権利は選考の場で発言した人にはある。意見をいえない雰囲気の選考で、賛成多数だから通過なんてのはむしろ記事に対して失礼じゃないかな。ところで、私なりに説明はしてみたけれど、やっぱり「?」ですか?--ikedat76(会話) 2014年2月16日 (日) 10:02 (UTC)
- wikipediaにはいろんな記事があるので、記事としてはよく調べられているし、あっていいと思います。ただ、「良質な記事の目安」には合致しているようですけど、個人的には記事の情報量や年表的な書き方など良質な記事に取り上げるには今一歩な内容ではないのではと感じました。当時の古い写真や絵図でもあるといいのですが、現地に近い人なら入手の可能性もあるし、今の1本もない沿線の写真があってもよいと思うので、それまで待つのもいいかと思います。幹回り5.67メートルなんて巨大な松なら痕跡くらい残ってそうですし。天然記念物になってたくらいですから、残されていてもおかしくないですし。日本の他の有名な松並木の幾つかとの比較して如何に素晴らしいかを記載することもできます。これなら写真が撮れますし推測することもできます。また、天然記念物の一つとして、天然記念物#過去に指定されていた事例にリンクされているといいですね。由来が充実してますが自然環境破壊もテーマになりそうなので、同様の事例の節があってもいいと思う。いろいろ書きましたがごちゃごちゃ言うんだったら自分でやれって言われそうですが。。こんな記事になればいいな~というただの個人的希望です。・・・また失礼な書き方でしたかね?賛成の方からすると失礼極まりないかもしれませんが、どこまでが失礼か自分ではよく分かりませんので、失礼だったらお許しください。--ロリ(会話) 2014年2月16日 (日) 11:41 (UTC)
- 選考には基準が必要で、良質な記事なら「良質な記事の目安」です。それに合致しているのであれば、良質な記事。選考なんてそれ以上でもそれ以下でもないですよ。情報量はかならずしも記事の質の評価として当てにはならない(サブカル記事で「余談」と「~と思われる」で水ぶくれしている記事を見てみればいい)。
- 本来書かれるべきことがもっとあるのに全然足りていない、というのが具体的に指摘できるなら指摘してもいいし、自分で加筆してもいい。こういう地域史がテーマだと意外に情報量がないから、この程度だとしても不思議ではないと思いますよ。
- あと、写真の話は、百聞は一見に如かずではあるけれど表で書いたとおり、結構難しいことだと思う。「~目安」とも関わるけれど、あれば完璧かもしれないけれど良質な記事は(それどころか秀逸な記事でさえも)完璧であることは求められていません。
- 「日本の他の有名な松並木の幾つかとの比較して如何に素晴らしいか」っていうのも、表であの通りあしらわれたから引っ込めづらいかもしれないけれど、Wikipedia:独立記事作成の目安を落ち着いてもう一回目を通してみてください。有意な第3者言及があるかないか、それ以上ではない。第3者言及が生まれた要員として「~素晴らしいか」というのはありうるかも知れないけれど、そこを云々するのはウィキペディアンに委ねられていないのではないかな。
- 天然記念物#過去に指定されていた事例にリンクするのは自分でやってもいいですよね。記事は誰かのものではないから、執筆に大きな貢献をした人が手を入れてもいいし、それ以外の人が手を入れてもいい。もちろん、どんな手の入れ方でも言い訳ではないけれど。リンクを貼るくらいなら、簡単にできる。--ikedat76(会話) 2014年2月16日 (日) 12:27 (UTC)
- 独立した記事に関しては疑問を投げかけただけで、そういうことでしたらあっていいと思います。「日本の他の有名な松並木の幾つかとの比較して如何に素晴らしいか」っていうのは、ほんとにそういう内容があればいいと思うからそう書いただけで、引っ込めづらいとかそういったものではありません。私の話はもとより選考基準(目安)への疑問のようですので、場違いなことを書きました。大変失礼致しました。--ロリ(会話) 2014年2月16日 (日) 13:33 (UTC)
もう納得したからいいよ、なのかも知れないけれど一言だけ。どこに疑問を感じているのか分からないけれど、選考は記事の題材を選んでいるわけじゃないです。いろいろ書いてあるけれど、記事の品質を担保する手続きにのっとって書かれていること、つまるところそれに尽きるでしょう。--ikedat76(会話) 2014年2月16日 (日) 14:22 (UTC)