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Wikipedia‐ノート:良質な記事/良質な記事の選考/徳富蘇峰 20200625

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      • 返信 たしかに「マッチング」というのは抽象的でしたね。
      • まず強調しておきたいのは、これは記事の主題によるということ。たとえば山や川とか、平安時代の装束とかについて書く場合にはあまり関係ないかもしれませんが、「戦前戦中の思想家」というテーマを取り扱おうとすれば、情報源の時代性や著者のバックボーン(つまり単純に年代の話でもない)について注意を払うべきで、場合によっては記事の中にそれを示しながら帰属化するのがいいかもしれません。年代的にビミョーな時期であり、完全に過去の事物としてモノみたいに扱うのか、現在・自己に連続している近現代の政治・社会・思想として向き合うのか、難しいテーマだと思います。すごく乱暴なこと言いますが、作者が左右どちらに与しているのかとか、ナントカ史観みたいなものを有しているのか、そこらへんを気にせざるを得ない時代。
      • いわゆる論文の場合には、「M氏はこう評した(1960)、これを受けてN氏はこう評した(1970)、O氏は○○主義の立場からこう評した(1980)、私はM氏の意見を支持し、ちょっと修正してこう考える」「史料AにはWとあり、史料BにはXとあり、史料CにはYとある。AとBを分析するとPであるから、CはQであると考えるのが妥当だろう」みたいに書いてあるものです。なので、文脈への置き方は割と自明です。市販の文献ではそのあたりの「評価史」は省かれていたり、「Qだ」としか書いていなかったりしがちです。なので、事実なのか評価なのか判然としなかったり、文脈の置き方はよく考える必要があります。文献や作者の時代性・背景も自力で考慮する必要があり、どこまで深く調べるのか(やりすぎると自力で一次資料に全部当たり、「明治のことを書くのに信長のことを調べる」羽目になるので、どこかで切り上げる決断も必要(笑))ってとこもあります。なので、これは単純に年代を示せばいいということではないです。文脈にどう置くかという話。そこを意識しないとおかしなパッチワークをしてしまう可能性もあります。淡々と事実を連ねるだけならいいのですが、「好評を得た」とか「批判された」みたいな話になってくると要注意。
      • たとえば「「変節」と政界入り」節の真ん中らへん。
        • (先にあまり重要なことではないことをいうと、前節の最終段落「一方では1889年…」は「変節」節に組み込むべき内容じゃないかなーと思います。)
        • 「反政府系の人士より、その「変節」を非難された」←これは同時代の批判。(「誰によって?」という面もある)
        • 田岡嶺雲・堺利彦による批判←これも同時代の批判
        • なお、蘇峰の政治的姿勢の変化については、……(中略)……肯定的な評価もある[29]
      • この29は2006年の文献を情報源としています。これは「当時肯定的な評価があった」のか、それとも2006年の人物が2006年の立場から評価しているのか。もし後者だとしたら、単純に並べるべきではないし、前者なら誰が評価しているのか明確にすべきと思います。
      • 記事の中ではまったく触れられていないのですが、「反政府系の人士から非難された」ならば、「親政府系の人士からは歓迎された」はずで、そこらへんのことも書かれるのがバランスというものだと思います。穿った見方をすると、情報源が「反政府系の人士から非難された」ことしか言及していないとすると、その情報源は偏向があるのかもしれません。
      • 「評価ある」という表現もビミョーで、全体の文脈として「同時代的には否定的見解が主流。2006年の今みれば肯定できるところもないわけじゃない」的に読めます。もうちょっと言葉を補うと「2006年の今見ても、2006年のほとんどの者は否定的評価だが、2006年の少数意見として肯定的評価がある」というニュアンスにみえます。
      • ここは同時代の評価の多数派と少数派、2000年代の評価の多数派と少数派、をきちんとそれとわかるように分けて書くべきでしょう。最初に書いたように、イデオロギーとか歴史観が左右あるテーマなので、当時の事実の中にしれっと現代の評価を混ぜ込むようなことが起きがちだったりするので、要注意という感じです。つまり現代の文脈でも「批判する人=反政府系の思想の持ち主」という可能性も考える必要があるということです。(私はそーいうのに関心がないのでよくわかりませんが、民主主義(選挙と議会と政府)の在り方が今と当時では違うので、「反政府」や「政治的なマジョリティ/マイノリティ」の在り方も当時と今では違うのでしょう。なので、徳富蘇峰がどういう人たちからどのぐらい支持されたり批判されたりしたのか、そこらへんの描き方は難しいんじゃないかなーとか思います。今風にいうと、意識高い系の人々の大多数から熱烈に支持されたとしても、社会全体から見れば多くの人は関心を持ってない、みたいな。)
      • 前にも書いたように本記事の重要なかなりの部分は「松岡正剛の千夜千冊:徳富蘇峰『維新への胎動』」に依拠していて、それが検証不能になっているので、現状では手詰まり感はあります。想像になってしまいますが、たぶんそのサイトに書かれていたようなことは、きっと「『日本イデオロギーの森』第5巻。ISBN 978-4-7630-0651-6。」あたりに収録されているのでしょうから、いずれ出典が置き換えられるといいですね。その松岡正剛は「実業家、編集者、著述家」という肩書になっていて、そこは気になります。ふつーに考えると澤田次郎とか米原謙というような「歴史学者・政治学者」の出番になるべき。つまり歴史学者や政治学者の情報源がメインで、サブで実業家の情報源が使われている、みたいなバランス感が常道になるはず。(たぶんこれは松岡がネットでイージーに閲覧できたのでWikipediaの情報源にされやすかったってことなんだろうと思います)ここらへんも最初に書いた記事主題の難しさに由来しているのでしょう、つまり、歴史研究者以外の現代人も関心を持ったり物申したりする政治的テーマであるがゆえに、情報源の選択や重みづけは難しいということ。
      • 「変節」の事例でいろいろ指摘しましたが、この記事は編年体的な「経歴」の中に評価・分析も織り込まれている構成になっています。そこが難しい。評価は同時代の評価と、後世の評価があります。鎌倉時代の人物ならば同時代の評価と後世の評価は完全に分離できそうですが、徳富蘇峰の場合には同時代の評価といまの評価には連続面があり、なかなか分離も難しい。上に書いたように「H氏はGした[1]。その理由はDとされている[2]」みたいな書き方が一つの完成形かなとも思いますが、全部そうやったらちょっと鬱陶しい感じはありますよね。
        • 記事のまとめやすさでいうと、たぶん「経歴」という1節にするのではなくて、「==熊本時代==」「===事実===」「===当時の評価===」「===現代の評価===」、「==変節==」「===事実===」「===当時の評価===」「===現代の評価===」…みたいな節構成にしたほうが、書きやすいんじゃないかなーと思います。
      • 前に書かなかったまったく別のことをついでに書きます(今思いついた)。「『國民新聞』の創刊と平民主義」節の前半に、「その華麗な文体は多くの若者を魅了し、たいへん好評を博した」という部分があります。私は、その「華麗な文体」を実際に引用してみてほしいなとか、「好評」の具体例を示してほしいなと感じました。まあこれは情報源次第なので、情報源が「華麗だった、人気だった」としか書いてないならしょうがないんですけどね。(これも突っ込むと、「華麗」というのは情報源の作者自身の感想なのか、過去にそういう分析評価があり、それを作者が引用しているのかってとこですね。)
      • まあ突っ込んだ話になったので今回は突っ込んだことをダラダラ書きましたが、前にも書いたように、FAでなくGA選考でどこまでうるさいこというかってところもあります。何度も強調しますが中立性やバランス感をとるのが難しそうなテーマだなと思います。--柒月例祭会話2020年6月28日 (日) 05:07 (UTC)[返信]