Wikipedia‐ノート:良質な記事/良質な記事の選考/ケチャップは野菜 20230811
出典の示し方について
[編集]句読点ごとに出典が必要なのかどうかというご質問ですが、Wikipediaのガイドラインにはそのような方式が必須であるとは記載されておらず、不要であるという回答になります。Help:脚注#スタイルと用法では「本文と注釈の対応関係が読者や後の編集者にも平易に分かるよう、一文ごとに脚注リンクを挿入したり、本文や注釈文に注釈範囲を明示したりするなど配慮してください」とありますが、必ずそうしなければならないというルールはありません。
編集スタイルはユーザーによって個々に異なっており、一文ごとに明記する人もいれば、段落単位で明記する人もいれば、節単位で明記する人もいれば、記事ごとに明記する人もいるでしょう。これら個々人の編集スタイルはWikipedia:出典を明記するやWikipedia:スタイルマニュアルといったガイドラインから著しく逸脱しないのであれば、広く受け入れられ尊重されるべきものであると考えています。
では何故当方がそのような一文ごとに明記するスタイルを採っているかですが、これには大きくふたつの理由があります。自身の編集スタイルについて言語化したことがあまり無いため、うまくお伝えできるかわかりませんが、ご説明します。
ひとつめはHelp:脚注でも触れられており、過去に別の選考でも懸念点として触れたことがありますが、Wikipediaの記事が不特定多数の参加者によって編集され、育てられるという点に配慮したから、という理由です。段落単位などで出典を示していた場合、間に別のユーザーによって別の文章が挿入されると、出典を明示しなかった部分の検証が困難になるだろうと考え、基本的に文章単位で出典を明示するようにしています。例えば下記の場合、「AはBである。」という文章の出典が[1]なのか[2]なのかぱっと見わからなくなります。
- 段落単位の場合)「AはBである。BはCである[1]。」→「AはBである。AはCである[2]。BはCである[1]。」
- 文章単位の場合)「AはBである[1]。BはCである[1]。」→「AはBである[1]。AはCである[2]。BはCである[1]。」
ただし、「AまたはBである[1]。」としている文章に対して「AまたはBまたはCである[1]。」のような編集が入ったらどうするんだ、など課題もあると思っていますが、明確な解決策は持てずにいます。
ふたつめは執筆作業時の負荷軽減のため、という理由です。当方は特定分野の専門家でもなければ研究者でもない素人ですので、基本的に主題に対する知識が乏しい状態で執筆を始めます。当然勉強しながら記事を作るので全体の完成図を予想して始めている訳ではなく、推敲の過程で文章ごと別の節に移したり、記事の構成をまるっと変えたりということがよくあります。この時文章単位で出典を付けているとコピペするだけで済むため、出典を再度付けたり再調査する手間が省け、作業がかなり簡略化できます。一文ごとに明記するのはとても面倒ですが、自分にとっては後々の作業が楽になる方がメリットが大きいため、このスタイルを採用しています。--Gurenge(会話) 2023年8月16日 (水) 11:23 (UTC)
- なるほど。理解しました。--仙人です(会話) 2023年8月17日 (木) 01:29 (UTC)