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Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避/過去ログ4

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Template:Aimai Topについて

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どこで質問すべきかわからないので、とりあえずここで。。。

Template:Aimai Topによると「記事が縦長でスクロールしないとTemplate:Aimaiが見えない場合に、その記事の最上部で使用して最下部のTemplate:Aimaiと併用するためのテンプレートです。」とのことですが、かなり曖昧な表現です。携帯電話(非フルブラウザ)でWikipediaの記事を閲覧してみると、スクロールしないとTemplate:Aimaiの文は見えません。たとえばごろつきのような短い記事であっても、スクロールしないと「このページは曖昧さ回避のためのページです」以下が見えませんでした。これは極端な例ですが、環境によって見え方も違うので、もう少し環境に依存しないルールに変える必要はないでしょうか。--ぽえこ 2008年3月23日 (日) 13:54 (UTC)

というより、ある程度以上の環境を想定した上での表現にしてはどうでしょうか。 800x600 ピクセルでの環境にてブラウザを最大表示サイズにしてサイドバーを表示していない状態 とか Wikipedia の本質上は非推奨な表現でしょうけどこうでもしないとあまりにも想定できる例外自体が多すぎます(更に想定できないような例外のことも考えると...ですし)。 --Mzm5zbC3 2008年3月23日 (日) 14:54 (UTC)

「美智子」と検索したら「日本の皇后」が括弧無し記事として必ずヒットするようにする改名提案につき

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括弧つき記事の問題にも絡んで参りますので、こちらでも問題提起させて頂きます。

Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/「美智子 (皇室)」の改名提案についてで議論中です。美智子 (皇室)美智子へ改名する事が提案されています。私個人としましては思い入れの無い領域です。正直申してリソースをそれほど費やしたくありません。ただ、私の感じている疑問点は以下の二点です。

  • 括弧無しの「美智子」で「皇后陛下」がヒットするのは、日本の皇室POVでは?
  • 括弧無しの美智子を曖昧さ回避の一覧として作成し直したら2回リバートされたので放置しますが、ファーストネームの一覧は海外の人名ではごくごく一般的なもので、かつ他言語版では当たり前。しかも他言語版で、ファーストネームを入力したら「その言語が最もよく話されている地域の王族」がヒットするという情況は有り得ません。これは完全に日本語ウィキペディアにおけるPOVに当たるのでは?

別に皇室への尊崇の念とかそういう個人的な考えを抜きにして、私の関心事はあくまでNPOVの基準です。第三者・識者の御判断を、特にこの問題に関しては上記ノートページで賜りたく存じます。--Kliment A.K. 2008年4月5日 (土) 08:08 (UTC)

これは、本ルール内にあります「名前の一部だけが項目名と共通しているだけの言葉は載せない」に主に関わる問題でもありますね。--Kliment A.K. 2008年4月5日 (土) 08:27 (UTC)

派生用法や同名のものを冒頭に列挙するのはやめにしませんか?

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記事の冒頭に派生用法や同名の事物をリストして元来の事物を「本項で詳述。」と書いて記事内容を始めること(山手線方式)はやめにしませんか?

山手線方式を廃止する代わりに以下の編集方針をとります:

  • ウィキペディアの記事として成立しうる場合
    • 記事の内容と関連のあるもの
      Template:Otherusesを使うだけでなく、本文中で言及することを推奨します。曖昧さ回避テンプレートはclass="noprint"が設定してあるため印刷されません。
    • 単なる同音異義語
      Template:Otherusesなどのテンプレートを使用します。
  • ウィキペディアの記事として成立できない場合
    • ウィクショナリーに掲載できるもの
      ウィクショナリーへ移します。英語版とフランス語版にあったTemplate:See Wiktionaryを日本語版に導入しましたのでご活用ください。
    • ウィクショナリーに掲載できないような固有名詞など
    専用のセクションを作成し、なぜそう呼ばれているのか由来を説明します(観音開きでの)。

もちろん早急に短い文を分離してサブスタブ記事を作ったり、曖昧さ回避ページを独断で作成したりといった強引な手段はとらずに漸進的に行っていきます。--203.184.103.175 2008年4月10日 (木) 07:28 (UTC)

なぜ山の手線方式を廃止する必要があるのか、という理由が示されなければ、議論のしようもないでしょう。早急な手段は取らないとおっしゃっていますが、基数における山手線方式を無理やり止めるために、底 (記数法)を立項するなど、言動が一致しておりません。山手線方式が採用されているのは、それなりの理由があるのでしょうから、一律に廃止しようとするのではなく、個々の記事のノートで議論するのが筋であると思います。--白駒 2008年4月10日 (木) 12:13 (UTC)
基数の件はそういう概念があって纏めることができるということだけのいい加減な知識で作成してしまい、お手を煩わせる事となり実に申し訳ありませんでした。
「個々の記事のノートで議論」するだけでは「記事の山手線方式化」または「山手線方式の記事の新規作成」を止めることはできません。なにしろ多数の利用者が活動するプロジェクトです。一人だけで各々のページで議論することには限界があります。これは利用者間でコミュニケーションをとり、漸次的に解消していこうという呼びかけであって、今ある全ての記事を即時に処理する訳ではありません。このページに廃止理由を書くと巨大になるため、私論をサブページ/山手線方式の引き起こす問題と廃止案にまとめました。これが今考えられる限りの山手線方式の問題点のその対処案です。--203.184.103.175 2008年4月10日 (木) 16:53 (UTC)
素晴らしい。私は以前から山手線方式を非常に醜いと思っていましたが、その理由がこれですべて説明されたような気がします。全面的に賛成の方向で。--cpro 2008年4月10日 (木) 17:14 (UTC)
ギリシャ正教会の例はどうなる事になるでしょうか?元の日本語が多義的な場合、山手線方式で特定の教会のPOVを避けていた面もあったのですが…。--Kliment A.K. 2008年4月10日 (木) 17:30 (UTC)
英語版を見るとen:Orthodox Church of Greeceの他にen:Greek Orthodox Churchという項目があるので、それに倣って記事を作成してはいかがでしょうか。こういう場合に他言語版は参考になります。記事名をどうするか等の議論も必要となるでしょう。しかし各々のケースの議論がここに集まるのも厄介になりそうなので、新たにプロジェクトを立ち上げて意見交換の場を設けるのが吉かもしれません。--203.184.103.175 2008年4月10日 (木) 18:12 (UTC)
多分ですね、en:Greek Orthodox Churchギリシャ正教に該当すると思います。しかしながら英語と日本語で術語が違う以上、全くのイコールは有り得ず…私の懸念は、ギリシャ正教会と同様に、NPOVを意識して作成された山手線方式の諸記事が深甚な影響を受けるのではないかという所にあります。…ただ、考えてみれば、もはや横ライン方式も使っていないギリシャ正教会は、最初に数字は列挙してはいるものの、山手線方式と言えるのかどうかすら怪しいとは思いますが…そう考えますと「何を以て山手線方式と看做すのか」という問題も、後々発生して来そうですね。--Kliment A.K. 2008年4月10日 (木) 18:32 (UTC)

ギリシャ正教会は、種類と方法節の 1 の「1ページに共存」に分類されるものであって、山手線方式とは別だと私は認識しました。次に一点報告します。基数に付きましては、ノート:基数での議論により、山手線方式は回避しました。サブページをまとめられた 203.184.103.175 さんには敬意を表し、先の非礼について謝罪します。しかし、基数でも何の犠牲も払わなかったわけではありませんし、まだまだ詰めるべき部分もありそうです。「廃止案」を根拠に山手線方式を強引に解消しようとする方もおられるようですので、「廃止案」についての十分なコンセンサスはまだ得られていないことを確認しておきます。個人的な意見としましては、「山手線方式には様々な問題があり、他の方式を採用できるならばそちらを優先するべき」といった内容を方針文書に盛り込み、抑制を促す程度でしたら賛成します。Template:Otheruses 関連で気になることがあるのですが、それにつきましては別に節を立てます。 --白駒 2008年4月30日 (水) 11:28 (UTC)

ここで私案として提案された/山手線方式の引き起こす問題と廃止案を根拠としているIPユーザーが散見されます。私案に過ぎず、拘束力の生じるものではないという記述を行います。また、この記述を行ったところ、OpenProxyからの荒らしが差し戻しを行いましたので、半保護を依頼しました。以上、ご報告まで。向日葵三十郎 2008年5月4日 (日) 13:45 (UTC)

>向日葵三十郎さん
そのサブページを私論カテゴリに置いて人々の目に付くところに置くべきかは決めかねておりました。とりあえずは感謝いたします。そのOpenProxyが狂信的に山手線方式を存続させたいだけの誰かの工作ではないことを願います。
>白駒さん
謝罪なんて大層なお言葉私には勿体無い。しかしとりあえずはギリシャ正教会のケースは急ぐべきものではないと考えます。
たとえ山手線方式を止めたとしてもサブページで挙げた問題の全てが解決する訳ではありませんから、この廃止政策と同時に曖昧さ回避ページの側でも「サブスタブの避難所化」「同音異義語辞書化」を回避するためのen:Wikipedia:Manual of Style (disambiguation pages)#Individual entriesに基づいた標準化が必要なのではと思います。現在の日本語版では曖昧さ回避のページに必要以上のリンクがある事を禁じていないために、曖昧さ回避ページが単なる記事の要約の集合でも問題がありませんが、記事本文と重複したりして非効率的です。これに従うと曖昧さ回避ページが曖昧さ回避以外の目的に使われる事を止めることができます。--203.184.103.175 2008年5月8日 (木) 17:09 (UTC)
僕も、山手線方式は止めるべきだと思います。印刷云々以前に、分かりにくいです。--オロチ丸 2008年5月9日 (金) 09:43 (UTC)

曖昧さ回避の括弧のあと、記事名がまだ続くとき。

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えっと、ちょっと質問というか疑問です。「ポケットモンスター (アニメ)」という記事がありますね。そして、子記事として、「アニメ版ポケットモンスターの登場人物」があります。また、「ジパング (かわぐちかいじ)」という記事の下には「ジパング (漫画) の登場人物一覧」があります。何を言いたいのかというと、「○○○ (△△△)□□□」((△△△)のあと空白なし)と、「○○○ (△△△) □□□」((△△△)のあと空白あり)の、どちらがいい(どちらに統一する)のか、ということです。

他にも、

空白なし
空白あり

…などがありますが、どちらが好ましいのでしょうか? みなさんのご意見をお願い致します。--柑橘類 2008年4月26日 (土) 11:58 (UTC)

どちらも望ましくないと思います。曖昧さ回避の括弧は、ファイル名の拡張子のような物で、最後に一つのみって使い方以外は認めるべきじゃ無いかと(OSによっては拡張子を多重に付けられるって突っ込みは無しで)。「○○ (△△)」は本来の日本語としては「△△の○○」と書くべきなのを、そう書くと正式名称が後になってしまうので、本来例外的な裏技で有ったはずの括弧付きが日本語版では多用されるようになったと見るべきかと。ですから

のどちらかに改名するべき記事でしょう。ポケットモンスターの登場人物に対する曖昧さ回避の括弧だと考えて前者の方が良さそうですが。それらでは検索の時に文字列の完全一致が成り立たずに子記事として問題だと言うなら、例外的な発想としては

という記事名でしょうか? LISPかよって突っ込みを入れたい感じにはなりますが……みっとし 2008年4月26日 (土) 19:47 (UTC)

拡張子アナロジーは不適切でしょう、それでは曖昧さ回避の必要性の有無とは独立に「記事名 (分野名) 」という意味になってしまいます。拡張子云々とは関係なく、曖昧さ回避の括弧は定義上末尾に単一です。記事名の中間に丸括弧が登場する場合に括弧の前後に空白を入れるべきかという記事名のスタイルの問題と、曖昧さ回避の問題とは別の問題です。ポケットモンスターに関しては、「ポケットモンスターの登場人物」で問題はないと思います。登場人物についても曖昧さ回避が必要なら、「ポケットモンスターの登場人物 (アニメ)」でしょう。子記事という観点からすれば「ポケットモンスター (アニメ)/登場人物」としてサブページのフリというのもアリかとは思います。--Jms 2008年4月26日 (土) 20:24 (UTC) 一部修正--Jms 2008年4月26日 (土) 21:46 (UTC)
ポケットモンスターの登場人物は既に存在します(原作となったゲームの登場人物一覧記事です)。またアニメ版の登場人物の個別記事は(アニメポケットモンスター)で曖昧さ回避されています。--AGURI 2008年4月26日 (土) 21:53 (UTC)

何か変ではありませんか? 例えば「○○○の登場人物」ならば「○○○」という作品の登場人物なのだから、「○○○ (△△△) の登場人物」だと思います。「○○○の登場人物 (△△△)」では、曖昧さ回避の括弧で修飾するモノが遠くて分かりにくいです。--柑橘類 2008年4月28日 (月) 09:54 (UTC)

変ではありません。実際に「○○○ (△△△の)」という形式の索引を採用している事典辞書類で「○○○ (△△△の) の×××」という見出しは存在しないでしょう。「○○○の××× (△△△の) 」が通例です。「曖昧さ回避の括弧で修飾するモノが遠くて分かりにくい」というのは誤解です。曖昧さ回避で修飾しているのは「○○○の×××」であって、「○○○」そのものではありません。--Jms 2008年4月28日 (月) 10:05 (UTC)

Otheruses の文面

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Otheruses を用いて曖昧さ回避をしているが、別記事がまだ立っていないために、赤リンクを「御覧下さい」というおかしな表示になっている記事が散見されます。例えばコイントスこの版です。このような場合、別にテンプレートを作成するなどして「hogehoge について記事を作成して下さる方を募集しています」といった表現になるようにしてはいかがでしょうか。ただし、先の例のコイントスでは、読者が競争馬と混同するおそれはありませんので、別記事が作成されてから曖昧さ回避をすれば十分だと考えます。対して、例えば正規数の場合は、計算機における用法 (en:Normal number (computing)) についても記事を立てる価値が十分にあり、しかも現状では読者が混乱するおそれもありますので、このようなテンプレートを貼ることは有用だと思われます。--白駒 2008年4月30日 (水) 11:28 (UTC)

テンプレートを分けなくともifexist文をテンプレートへ埋め込めばメンテナンス要らずですが、サーバーに余計な負担がかかるかも知れません。ただしOtherusesはその構造上「御覧下さい」を避けられないので別のアプローチが必要になります。新しいテンプレートを導入するにしてもそれを取り替える手間が問題ですね。少なくとも確認できる限りの他言語版ではその様な試みが行われた前例を見ることができませんでした。--203.184.103.175 2008年5月8日 (木) 17:59 (UTC)
コメントありがとうございます。提案しておいて何ですが、新しいテンプレートを導入すると、赤リンクへ誘導する免罪符になってしまうかも、という懸念はありますね。これとかはちょっと…。赤リンクに誘導する Otheruses は一律禁止というルールでよいのではないか、との考えに傾いています。--白駒 2008年5月9日 (金) 13:21 (UTC) 適切な状態になったので打ち消し。--白駒 2008年5月26日 (月) 16:43 (UTC)
Wikipedia:赤リンクなので気にするべきではないかと。赤リンクの許容はペディアのみでなくwiki全体での傾向として避けられませんから。しかし自分の立項できる範囲の無理のない速度で置換を進めていきましょう。--203.184.103.175 2008年5月19日 (月) 15:18 (UTC)
Wikipedia:赤リンクはまだ草案の段階ですので、それを根拠にされても困惑しますが、私個人の折り合いとしましては、本文中の赤リンクと同様の扱いにしようと考えています。すなわち、記事を立てる価値があると思われるものはそのまま、そうでないものは除去、ということです。--白駒 2008年5月26日 (月) 16:43 (UTC)

「山手線方式」と「1ページに共存」の具体的廃止案

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Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避/改定案20080623Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避の種類と方法の草案を作りました。改善すべき点があるかどうか話し合いましょう。この案では以下の方針をとっています。

  1. 「山手線方式」の廃止
  2. 「1ページに共存」の定義を変更した上で廃止
  3. 「セクションを別けて言及する方法」の追加
  4. 代表的でないトピックを中心とする曖昧さ回避(Template:See Wiktionaryの使用)の追加

また、Wikipedia:ウィキプロジェクト 曖昧さ回避を作成しました。カルメン・カレー問題や不要なカッコ付き記事、標準化の推進のための意見交換にお使いください。--203.184.103.175 2008年6月23日 (月) 09:35 (UTC)

議論が長らく止まっているようですが、改定案に特に問題は無いと思いますし、Template:See Wiktionaryも利用することで山手線方式はほぼ解消可能ですので、このまま改定案を正式導入してもよいのではないでしょうか?--Web comic 2008年8月12日 (火) 14:26 (UTC)
Wikipedia‐ノート:進行中の荒らし行為/長期/毛が生えた程度#私家版ガイドラインに関連してで新たな問題点が指摘されているようですし、山手線方式を正式に解消となると、無用な軋轢が起きる可能性は依然として否定できませんので、廃案にせよとまではいいませんが、正式化はしばらく様子を見るべきだと思います。--倫敦橋 (Londonbashi) 2008年8月15日 (金) 15:03 (UTC)
  • 一部で毛生え系との関連を疑われた提案者の203.184.103.175さん(現利用者:István会話 / 投稿記録 / 記録さん)はその後も特に問題行動は起こしておらず、毛生え系とは別人である可能性が高い、現状山手線形式と曖昧さ回避ページでの編集軋轢は特に発生していない、この提案の中身そのものへの有意な反対意見が存在しないということを踏まえ改めて改定案の正式導入を提案いたします。提案の中身への問題点の指摘が無いようでしたら1週間を目処に改定を実行したいと考えています。--Web comic 2008年9月30日 (火) 19:59 (UTC)
提案から一週間以上経ちましたが有意な反論が無かったために、改定を実行させました。--Web comic 2008年10月8日 (水) 23:24 (UTC)
ひとつも賛同が無いのですが、それで合意が出来たとおっしゃる? -- NiKe 2008年10月10日 (金) 00:19 (UTC)
NiKe様は全くご存知ではないかも知れませんがWikipediaには消極的合意形成というものがございます。Wikipedia:合意形成には
合理的な期間〔通常は168時間程度(約7日間)が妥当でしょう〕内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります。
とあり、異論が無いまま一週間を超えると提案が決定事項となります。本提案においては6月23日から数えれば3ヶ月半以上経過してます。Web comic様は提案通過の確認のためにさらに一週間をみたのですから十分すぎる期間をとっているといえるでしょう。これを返すためには新たな提案によって山手線方式の有用性を説き、他の人々を納得させて合意にこぎつけることが求められます。
かつてNiKe様は管理者をされておりましたが、あまりにも方針を理解しておらず文書群を全く読んでいないような場面が多々あったことが原因で管理者をクビになりましたよね?利用者‐会話:NiKe#NiKe様の管理者解任にあたりにも一部をお書きましたが、管理者をクビになったからといって文書群を読まないまま無理解のまま活動していいわけではありません。一般利用者として活動を再開されたのであれば、文書群を今一度読み直し理解した上で活動されることをお勧めします。それができないのであればNiKe様は再び不要と判定されかねません。NiKe様の活動は再び歓迎されない状況になるかもしれません。今一度文書群を読み直し、良きウィキメディアライフをお過ごしください。--Bloodradio 2008年10月11日 (土) 01:44 (UTC)
まだ草案ですが、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないという方針もありますね。Web comic様が「有意な反対意見無し」としてクローズした後であるにも関わらず、そこにケチをつけて、いつまでもいつまでもいつまでもいつまでもぐだぐだぐだぐだと引き伸ばそうと試みるのであれば、それは同方針のいつまでも「納得」しないに該当する、合意形成の方針を悪用した妨害行為でしかない、と言えますね。
もっとも、このNiKeという利用者が妨害行為を行うのは今に始まった話ではなく、もはや日常茶飯事であると言っても過言ではないのかもしれません。何しろ、あまりにも方針を理解しておらず文書群を全く読んでいないような場面が多々あっただけでなく、Mikihisa掃除屋ケンちゃんLemon pie)といった長期荒らしユーザによる荒らし行為に荷担したり、自らも始祖鳥カードゲームなど、複数の記事やそのノートページを荒らしたりしてきたような人ですからね。
そういうわけで、他の人ならばともかく、このNiKeという利用者には、もはや何を言っても無駄であると認識しています。コミュニティの合意によって管理者権限を剥奪されて、一般利用者として活動を再開しても、相変わらずロクに記事も書かず、議論の場における行動・言動も、10/10/2008 0:19 (UTC) の発言を見ても明らかなように、何も改善されていないのですから。せいぜい、管理者権限を剥奪されたがために、かつてのように自分の意に沿わない、自分の気に入らない一般ユーザをやっつけたいがために、ブロック権限をちらつかせて脅しをかけたり、高山気候という記事に対して行ったような恣意的な削除をしたりということができなくなった程度のことで、根にある問題は何も変わっていないのですからね。
以上、このNiKeという利用者を既に不要と判定し、その活動再開を全く歓迎していない人間からの意見でした。これ以上こんな人に関わる時間があるなら、私としてもワシントンD.C.秀逸な記事に送り込むためのフォローに勤しんだり、アトランタのリライトを書き上げたりするほうにその時間を費やしたほうがはるかに有意義だと思いますので、これにて失礼します。それに、このNiKeという利用者に三たび会話ページを荒らされるようなことがあってはたまりませんし。Web comic様も、Bloodradio様も、私と同じ目に遭わないよう、十分お気をつけくださいね。では。Yassie 2008年10月11日 (土) 06:19 (UTC)
BloodradioさんとYassieさんへ。この場で管理者解任を持ち出したり、過去の行為をことさらに取り上げて個人を糾弾するのはおやめください。議論の正常化を妨げます。--cpro 2008年10月13日 (月) 05:55 (UTC)
(遅ればせながら疑問と完全な廃止には反対)上の本題とは余り関係の無い所定利用者への反発はともかくとして、「何が何でも廃止」には賛成しかねます。記事の性質を汲んで、同音異義語はその各々が等価であることにもちなんで山手線方式ではない曖昧回避化の導入には吝かではありませんが、原義とその派生概念および語としての発展用法に関しては、まず原義ありきという観点から、その原義より直接他の派生概念に案内できる様式として利用されている山手線方式(派生概念への案内文を含む)を移動することは、検索ワードからは利用者の意向がWikipediaサーバーには判断できないし、また原義からその各々に順を追って案内することは、百科事典として読者に体系だった知識を提供する上で有意義な様式だと判じます。--夜飛/ 2008年10月12日 (日) 02:29 (UTC)
現状では新規記事について「山手線方式」を採用する必要はないのでしょうが、同一ページに複数の内容を並存させることは十分あり得ると思います。まあ一番心配なのは、現在「山手線」方式で書かれている記事を機械的かつ拙速に書き換える人が現れるんじゃないか、ということです。そういった影響を考えますと、これで「合意がとれました」と言われると大変不安を感じますね。あと、個人攻撃は無視します。全く相変わらずですね。 -- NiKe 2008年10月13日 (月) 05:10 (UTC)

提案

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私は今回の改訂には全面的に賛成の立場なのですが、改訂に至るまでの手続きに問題がなかったかというと、影響範囲の大きさの割には、「1週間で改訂を実行」と宣言した時点でWikipedia:お知らせへの告知がなく、充分な周知がされていたかどうかにはやや疑問符が付くと思います。現に、改訂が実行されてから反対意見がこうしていくつか出ているわけです。

その辺踏まえていくつか提案。

  1. とりあえず手続き上改訂されてしまったのは仕方ないので、当面この方針で行く。
  2. 今からでもいいので、改訂したことをWikipedia:お知らせで広く告知する。
  3. 山手線方式の扱いについては議論を継続する。告知にも議論を継続していることを付記する。

こんなところでいかがでしょうか。--cpro 2008年10月13日 (月) 05:55 (UTC)

告知がなかったのは確かに問題かもしれませんが十分な時間をかけて議論し反論期間も十分に設けられていた以上、あれこれ文句を言うのは卑怯と言わざるを得ません。Wikipedia:お知らせで告知した上でこの方針を続けることでよろしいのではないでしょうか。なお私も山手線方式の廃止には賛成の立場です。――Ronton 2008年10月13日 (月) 07:11 (UTC)
提案から長らく有意な反対意見がなかったことから改定に踏み切りましたが、Wikipedia:お知らせで広く告知することなく一週間で合意形成として改定したことはやや拙速だったかもしれませんでした。Wikipedia:お知らせでの改定告知に賛成いたします。--Web comic 2008年10月13日 (月) 07:24 (UTC)
継続するのではなくいったんCloseとし、新たに再改定の議論をOpenしていただいたほうがよいのかもしれません。あるいは「こういう場合は例外と思うんだけどー」といった意見が出てくれば、個別に議論でもいいと思います。--ぽえこ 2008年10月13日 (月) 07:35 (UTC)
原則は「山手線解消」とし[[Wikipedia:お知らせ」に告知すればよいこととし、個別の項目については、異議が出るケースに関しては、ごり押しで解消しないで個別に議論をすればよいのではありませんか。--miya 2008年10月13日 (月) 08:07 (UTC)
(再改定Opne賛成)毛系が「決まったこと」として便乗荒らしに乗り出していることもあり、また既存記事の中にも一律の処理では記事本体に影響する例もあり(小生の知る限りではスパムなど)、再改定の議論開始に賛成します。まあ毛がトラブルを起こして「曖昧回避化するにせよしないにせよ全体に悪影響を及ぼしている」のは今に始まったことではない(今回の「廃止」では、結果的に彼の分別ない行動が「無理やり切り離すこと」の問題点を顕著化させたのかもしれないが)ので「ただの荒らし案件」として別件扱いで切り離し捨て置いて、新規記事では「山手線方式は(可能な限り?)使わないこと」とした上で、現行記事で山手線方式に基づいて構成されている(しかもその山手線方式部分が記事本体の内容に連携している)場合の扱い、および微妙なケースでの作業の流れは定型化(例えば「曖昧回避化提案→意見を待つ→慎重論や反対など否定的な意見が付いたら既存記事を再構成して山手線方式から別方式に改めるか特例として現状維持するかを議論」とか)していくほうがいいかも。確かに各々の記事ノートでその都度議論しても良いのですが、ガイドラインである以上は作業に無用な混乱を招かないためにも幾らかは「考え方」をまとめておいたほうがいいと思います。--夜飛/ 2008年10月13日 (月) 13:52 (UTC)

ぽえこさん・夜飛さんのご意見を踏まえ、継続ではなく再改定議論開始、ということで告知に盛り込みたいと思います。で、念のため確認なのですが、1の「当面この方針で行く」という部分については問題ないでしょうか。ここに認識の違いがあると大変なので。朝まで待って問題がないようであれば告知を実行します。場合が場合なのでスピーディーに。--cpro 2008年10月13日 (月) 15:41 (UTC)

とりあえず朝令暮改的な余計な混乱を避ける意味で既成事実として現行改定はそのままとした上で、いちおう「山手線方式は廃止となりました」の部分にTemplate:告知を設置({{告知|議論|告知期間の設置と再改定の検討|Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避|解消実施に際して}}とか)したほうが親切かも。現行の本ガイドラインをたてに毛系がモサモサしても、一連の議論が存在していることを文中に示しておけば、他の利用者が無駄毛処理に踏み切る判断がしやすそうだし、また毛が暴れるほどに議論に誘導される利用者が増えそうだし(漏電気味)。--夜飛/ 2008年10月13日 (月) 16:10 (UTC)
完了 - 先程Wikipedia:お知らせ告知しました。また、夜飛さんのご提案に従い方針本文にも告知タグを貼りノートへ誘導しました。この節はクローズということで、引き続き再改定に向けての議論をお願いいたします。--cpro 2008年10月14日 (火) 01:32 (UTC)

解消実施に際して

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山手線解消には(基本的には)賛成なのですが、たとえ告知を十分して再議論し決定したとしても、「決まったから問答無用で変更」というのではなく、それぞれの項目できちんと改名提案し1週間以上様子を見た上で変更するのがよいと思います。反対が出たら、無理をすることはないのです。法的な問題があるわけではないのですから、反対が出れば急いで解消することはありません。ごり押しで解消しても記事の成長にプラスにはなりません。--miya 2008年10月13日 (月) 08:07 (UTC)

これに関しては改定後の方針文書には
>ただし必要に応じて対話を交えつつ慎重に作業を行ってください。
とあるので、方針を周知させることによってごり押しによる山手線方式解消問題は解決できるのではないかと考えております。--Web comic 2008年10月13日 (月) 08:21 (UTC)
確かに、「必要に応じて対話を交えつつ慎重に作業を行ってください」という文言を含めることで、真っ当な利用者であれば作業に際して慎重さを発揮して対話を経ることで無駄なトラブルは抱え込まないでいいのかもしれないのですが、無駄なトラブルを起こす傾向がある利用者の常として「方針文章に『廃止』とあるんだから何が何でも取っ払わなければならず、それに反対している利用者は方針を無視しているんだからその意向は無視したってかまわないが対話しろってんだからとにかく論破して作業に早く取り掛かろう」とやらかす…とか(良くない方向で漏電中)。その意味では、廃止された(既存記事に遡って修正されるべきだ)ということではなく、新規記事では使わない方向で構成するように努力する、既存記事ではその各々と記事主体との関係度合いを見て関連性が高いなら無理に作業せず説明を損なわない方向を模索するなど、毛系がそもそも迷惑だとみなされた最大の要因である記事の一貫性を損なうような行為は他のガイドライン(ごり押ししないとかルールを悪用しないとか、あるいはWikipediaは百科事典であるルールの条文を尊重するのではなくその精神を尊重するとか)を理由に、既存記事の性質を鑑みない機械的な作業は問題視するくらいのくだりがあってもいいように思います。--夜飛/ 2008年10月13日 (月) 14:16 (UTC)

廃止された方式の節のところを、

2008年いっぱいまでの経過措置として、以下の方法を発見した場合、機械的に変更するのではなく、ノートで提案の上、合意を得て上記の方式への切替え作業を行ってください。問題点の整理を踏まえて、なお以下の方式のほうが適切であると思われる項目や、合意がなかなか得られない状態になった場合は、この方針のノートで再度検討することとします。

などとしてみるのはいかがでしょう。期間は、思いつきでキリがよさそうなものを選んだだけですので、1ヶ月とか3ヶ月とかでもいいです。例外的に、あるいは類型的に山手線方式が最適である、というような事例が出てきた場合には、再検討するということで。

集まっている意見の多くは手続き論的なものですが、夜飛さんの10月12日 (日) 02:29 (UTC) の意見は、一考を要するように思いました。同一分野などで共通して述べるべき事柄があるような場合で、「代表的なトピック」であることについての理由が起源/派生という関係ではなく、「平等な曖昧さ回避」にするには知名度の差が大きいが、「Otheruseslist」とすると誘導する上での説明が不足しそうなもの、の場合は、山手線方式が便利な場面がありそうですが、このような場合は、文中で記述して誘導することもできるんじゃないかなあ、とも思います。--Ks aka 98 2008年10月14日 (火) 07:55 (UTC)

Ks aka 98さんの文案から「2008年いっぱいまでの経過措置として、」を削れば申し分ないと思います。その項目の編集者たちの意向を無視してまで一律のスタイルを押し付けるべきではないでしょう。Wikipediaは何年も続く息の長いプロジェクトです。編集者たちが代替わりし、項目本文の内容が変化すれば、山手線方式よりほかの方法の方がよくなって摩擦なく切り替えられる日がそのうち来るでしょう。それが3か月後か3年後か、今この場で勝手に決めることはできないはず。また来なければ来ないで問題ないのです。--miya 2008年10月14日 (火) 10:10 (UTC)
毛系も何年も続く息の長い荒らしなので、経過措置は無用な混乱を先送りするだけになるかもしれません(著しく漏電中)。毛系はとりあえず「所詮は毛」(「荒らし利用者に過ぎない」と変換してください)なので本案件から切り離すとして、小生もKs aka 98さん案にmiyaさんの意見を加えたもの(期限は特に定めない)に賛成します(まあこんなことを4いつまでも8ぐだと続けていても、記事の内容は一向によくなりません」とおっしゃる方もいるようではありますけど)。ただWikipedia‐ノート:曖昧さ回避/山手線方式の引き起こす問題と廃止案IP:200.21.232.130会話 / 投稿記録(しかもプロクシIP:203.184.103.175会話 / 投稿記録/利用者:István会話 / 投稿記録さんという単一のユーザーが私論に利する形で作成した感もあり、その内容や視点が未整理で「ボクが思う山手線方式が拙い理由」の羅列(WP:TRIVIA的?)に陥っている気がしますし、其処に誘導するのはどうかと思います。理由の提示は別に設けたほうがいいかもしれません。--夜飛/ 2008年10月14日 (火) 11:35 (UTC)
件の私論については、挙げられたそれぞれの点が根拠を持って山手線方式のまずい理由を述べており、私は一定の説得力を感じます。「ボクが思う山手線方式が拙い理由」というほど幼稚なものとは思えません。これを足がかりにするのはそう悪いことでもないと思うんですが、お話にならないとお考えなのはなぜでしょうか。特定のユーザ、それも毛生え系と疑われたこともあるような方が作られたものですから、警戒されるのも無理はないですが、この際属人的な考えは捨て、内容の検討をしてみませんか。--cpro 2008年10月14日 (火) 16:09 (UTC)
属人的な部分を抜きにして考えてみたのですが、件の文章は「山手線方式には赫々云々の欠陥がある、故に廃止されなければならない」という視点にあると考えます。で、その赫々云々の中には、直接山手線方式とは関係なかったり山手線方式以外(言ってしまえば関連項目であっても)にも見られる欠点というか、同種トラブルはみられるわけで、件の私論が拙いのは「まず『廃止すべきだ』としたうえでその理屈を異なる水準の『問題を起こしたケース』複数から見出している」で、その過程で「山手線方式が方法論の上で何故発生し利用されてきたか」という観点もなくただ否定しており、「問題がある」と「廃止されなければならない」の間には論理の飛躍(それは往々にして詭弁となる)が感じられます。
一方、属人的な考えを更に追求すると、方法論であるからには幾つかあるものの内から最も適切なものを選択すれば良いのですが、毛系がトラブルを起こす最大の理由として「各々のケースに関わり無く一律にコトをしでかす」があり、例えば曖昧回避化なら本文の説明に絡んでいようが無かろうが別ページに移動、あるいはテンプレート置換なら設置される「本項」と「別項」の説明が長かろうと短かろうと無理やり突っ込んだり、テンプレート内の別項の説明を派手に削って意味が通じにくくなったして、しかもその調子で短時間のうちに幾つもの記事に手を出し一律に同じ対応をする…という部分があるかと。で、件の私案にリンクしているページを調べると毛系が方々にはっつけてこれを論拠にした挙句に山手線方式否定に基づく機械的作業強行というお決まりのパターン化している部分があり、これは山手線方式を廃止するにせよ(条件付で?)存続するにせよ、無理矢理分割することで発生した弊害が全部件の私論の欠陥として積み上げられるため芳しくないと考えられ、そこは毛が利するような部分は予め「そーいう遣り口は良くない」と示しておくほうがいいのかも…とか思います。--夜飛/ 2008年10月14日 (火) 23:34 (UTC)

個人的な事情を申し上げれば、ほとんど議論の余地のなさそうなケースについては問答無用で山手線方式解消をやってきました(最近だとトリスタンエンジェルス等)が、それによって問題が起きたことはありません。過去山手線方式をめぐって編集合戦になった項目ではそれぞれ議論を提起してから実施しましたが、この際も有意な反対意見が出たことはありませんでしたし、そもそも意見が付くこともまれでした。ですので、いちいち形式だけの(になるであろう)議論を通さないと、となると行動が制限されてかなり面倒ではあります。ただまあ、どういうケースが議論の余地なく山手線方式を解消できるか、というのを文書で定めるのも困難ですし、一律で「議論を通せ」とするのが一番確実であろう事も理解できます。この辺の形式と実務のバランスが取れた案があれば諸手で賛成したいのですが、私にはまだ思い付きません。代替案が出なければ最終的には「議論を通せ」に賛成しますが、できることならウィキの長所である「速さ」を殺さない形で何とかしたいです。--cpro 2008年10月14日 (火) 16:09 (UTC)

「速さを」には同意します。ではこの頃の煩雑な改名手続きではなく「ノートで山手線解消予告をし、1週間異議が出ないことを確認してから」あたりはどうですか?--miya 2008年10月14日 (火) 18:17 (UTC)
本題とは関係ない同音異義語ないし同姓同名の固有名詞や著作物などの「作品名」の類のような「問題を起こさないと考えられるケース」を例示してもいいかも。あるケースがOKだったのだからすべてのケースで問題ないとは出来ないのですから、問題がおきにくい分野に限定する条件付与は必要かと。--夜飛/ 2008年10月14日 (火) 23:34 (UTC)
基本的には解消に賛成している方や多くの場合で解消に賛成される方が多いように思います。山手線方式にしておくべきものは少数と思われます。これらについては説明可能な意義が存在していると思われますので、ノートに山手線方式にしておくことの意義を書いておくというのはいかがですか?意義が書かれていないものについては解消していくことができます。山手線方式でないものについても意義を書き、議論により意義を認めてもらうことで山手線方式にすることができます。「議論を通す」というのは解消する側ばかりに求められるものではないように思います。山手線方式にしておきたい理由を持つ人が議論によって結果を得て押さえておくというのが最も確実な方法と思います。--Drinkabout 2008年10月19日 (日) 10:24 (UTC)

再確認

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今さらですが、「山手線」方式を廃止する理由ってなんだったんでしょうか。改定案では「多くの問題を抱えており、既に英語版では廃止されています」とありますが、(恐らく)1人が独りよがりな編集を強行したこと以外にどんな問題があったのか、思い当たりません。また、そもそも英語版には存在しない方式だったはずですが。 -- NiKe 2008年10月14日 (火) 03:04 (UTC)

既に上で/山手線方式の引き起こす問題と廃止案が提示されていますので、これをお読みください。英語版にもかつて存在し、方針として廃止されていることが分かります。正直、この程度の前提を共有できてない方が議論に参加されるのはご遠慮いただきたい。これまでの議論に立脚してなお山手線方式のメリットを述べるならともかく、こんなことを今更蒸し返されても議論が先に進まないです。Yassieさんならずとも罵倒したくなりますよ。--cpro 2008年10月14日 (火) 03:31 (UTC)
過去にあった井戸端での議論「Wikipedia:井戸端/subj/山手線方式への差し戻しの是非」なんかでは山手線方式否定側の方が「見辛いから」的な意見を述べられていたような…まあ見辛いか見易いかは主観的認識論(クオリア?)にも差し掛かってくるので、決定打にゃならなそうですが。しばしば山手線方式の置換テンプレートとしてTemplate:Otheruseslistなんかが「山手線方式は廃すべき」論側が利用推進に熱心なのですが、個人的にはこれも適不適があると考えています…所定様式以外で利用すると途端に体裁がえらいことになっちゃうとか(漏電中)。いずれにしてもそれら性質を踏まえたうえで記事形態に沿った作業をしないことには、単に廃止だからと機械的作業に邁進するような輩と同種の問題に突入しそうです。件の私論については、ガイドラインの精神ではなく条文を盾に取った論理展開のようにも見えるために「吹いた」とまで表現したのですが、なんか廃止を主張する側に「ビミョーな方」がまぎれてる雰囲気…(漏電中@風邪引きました)--夜飛/ 2008年10月14日 (火) 03:47 (UTC)

/山手線方式の引き起こす問題と廃止案を再読しましたが(のみこみが悪くて申し訳ないのだけど)なぜTemplate:Otheruseslistはよくて山手線はいけないのか、依然として理解できないのです。見た目はあまり変わらなくて、しかも自由度や編集しやすさは山手線方式の方が高いでしょう? 「印刷時に表示されない機能」は<div class="dablink noprint">を入れれば済むことではないですか。Otheruseslistより山手線の方がふさわしい記事もあると思うのです。そのことはTemplate:Otheruseslistにも「特に項目名や解説文が長くなる場合には、山手線方式の方が推奨される場合があります。状況に応じて読者の方々が見やすい方法を採用されるよう、ご検討ください。」と明記されています。--miya 2008年10月14日 (火) 18:17 (UTC)

冒頭誘導方式について既に出ていることと重なる部分もありますが、私の経験を元に山手線方式の嫌な所を述べます。 その前に、冒頭誘導方式は知識を提供するものではないことを確認しときます。その項目の派生語等で結びついていたりして、その結びつきの説明が有用なものについては派生とか関連項目といった節を設けて思う存分説明してもらった方がいいでしょう。 問題の根元は山手線方式に限った話ではないので、現在の山手線を例に取ります。この記事はオープニングの長いゲームと同じ欠点を持っています。この車両の節まで読み次に続きを読もうとするとまた「山手線」の呼称の意味という節が邪魔をします。何のためにランダムアクセス可能な目次があるのでしょうか?この記事を開いた人は毎回「山手線」の呼称の意味を通らないといけないのです。これはどういう嫌がらせ?初回に読みに来たときも目次は記事を見渡すことができる最も簡易な説明です。誰かの検索の利便のために冒頭誘導を長くすることは、記事を読みに来た人のランダムアクセスを妨害をします。検索にワンクッションをおくのが面倒だということで曖昧さ回避にしないということは、その記事の本来の読者の手間を増やしてしまうのです。一部の人用の検索性を上げる代わりに、他の読者の利便性を大変低下させているのです。できれば目次に速く到達できるよう冒頭は余計な事で場所をとらないことが必要と思います。Template:Otheruseslistは編集しにくいという事が上げられていますが、逆に山手線方式よりも長くなりにくいという事だと思いますので、それは効用の一つであると思います。項目や説明が長くなる場合には山手線方式ではなく派生などの節を切り、思う存分説明していただいた方が知識を与えるという点で優れています。項目が多いのなら曖昧さ回避ページへの分割がいいと思います。 私は記事の閲覧者の全てを考えたときに山手線方式の利点は一つもないのではないかと思います。--Drinkabout 2008年10月16日 (木) 01:36 (UTC)

(>Drinkaboutさん2008年10月16日分へ)誰に対して何を言っているのか判じ難いのですが…派生用語の存在する記事のうち、その派生用語のほうが知名度(社会全般における利用度の高さ)が挙がっているケースでは、どちらを記事名称として優先すべきかで辞書の観点から言えば原義優先(言葉の説明に配慮する)、事典の観点から言えば派生概念により多くのウェイトが与えられる(語の示す事物の説明を重要視する)訳で、こと読者が記事に到達するには記事タイトルから検索するしかない点で、百科事典でありながら辞書的な記事名称の重要視が成され(故に重要ではない記事は括弧書きの記事名称が割り振られる)、また同時に読者が求めるであろう記事があるならそこに速やかに誘導する必要があるわけです。しかし読者が何を求めて検索するかは判らないし、まして読者はどんな記事名称でWikipediaに求める記事が存在しているかは知る由も無いため、読者が記事と初エンカウント(ヲイ)した際に、最大効率をもって情報提供することが記事を作る側の使命(笑)といえましょう。で、そこは「初見こそが勝負どころ」なのでゲームのオープニングみたいな「ゲームをロードするたびに何度も×8繰り返し×16見させられ、しまいにゃ飽きてくる」ようなことへの配慮は意味が無く、逆に「パッケージを開いてゲームソフトをゲーム機にロードさせたらオープニング画面どころかタイトルメニューもなくいきなり本編アクションシーンがスタート」とか、もしくは「ディスク7枚組みで一枚目をロードしたらタイトルが出たので『オープニングから始める』を選んだらディスク2を入れるように要求されオープニングが終わったらディスク3を入れるように要求されステージ1が終わったらディスク6を入れるように表示され中間デモが挿入され…」なんてったらもうそれこそ…(だいぶ漏電中)。まあゲーム云々はさておいても「お気に入りの記事を何度も何度も何度も何度も(中略)開いて見る」ようなのはもはや百科事典の扱いではなく、それこそ読み物や物語でもなければ配慮する必要のない視点かと思います。また「検索にワンクッションをおくのが面倒」は書く側の利便性ではなく検索して開く側の利便性ですのでお間違えのないよう。Template:Otheruseslistに関しては、説明の長短のみならず等価の情報を列挙するのには向くとも、入れ子構造など関係性が複雑化していることには向かないと申し上げております。またTemplate:Dablinkもあるのですが、これを使うのはもはや「印刷されない」という機能を付け足すのみで山手線方式とその構造に変わることが無く、逆にその部分を含めて印刷したいと考える利用者には嫌がらせ(爆言)にしかならないんじゃないかと…(っていうか「どう使うか」の説明の無いテンプレートなんか使いようが無い気がする)--夜飛/ 2008年10月19日 (日) 07:51 (UTC)

夜飛さんに置かれましては、カッコを用いてところどころ自分で突っ込んでいたり意味不明な表現を用いたりオタク臭いとでも申しますか、読んでいて気持ち悪いと思うところがありますのでそういった表現は差し控えていただければと思います。オタクしかいない場所であればいいかも知れませんが、場所というものがございます。

本題に入ります。Wikipediaに限ったことではありませんが記事名称だけで検索が行われるわけではありません。私が読み始めた頃はWikipediaの貧弱な検索機能は閉ざされていました。最初に開いたページが目的のものでなければならないという使命はなく、到達したページでその主題がしっかり説明されていることが第一の目的です。冒頭誘導方式は誘導方式の一つでしかなく、誘導以上のものではなくそれ自体は知識を与えるものではありません。「検索にワンクッションをおくのが面倒」はあくまで検索する人という一部の利便性でしかないことは述べたと思いますが、これは曖昧さ回避ページというものが既に多く存在していることから、手間を訴えるには論拠に乏しいと言わざるを得ません。曖昧さ回避ページに飛ばされることが手間で何ページも開かなければならないほど大きな手間であるというのなら、作られている曖昧さ回避ページは全て悪い方式として閉ざされないといけないでしょう。検索の利便性としては何ページも開く必要のあるものがあるとしたら、せいぜい2ページくらいで到達できるように、曖昧さ回避ページを整備すればいいことで山手線方式を残す意味は私には分かりません。入れ子構造など関係性が複雑化しているときはその構造自体が長いわけですから、曖昧さ回避ページの作成に向いているといえます。Template:Otheruseslistにこだわる必要もありません。--Drinkabout 2008年10月19日 (日) 08:55 (UTC)

記事を読む時間についてはWikipedia:秀逸な記事でも参照されれば分かるとおり、内容が濃ければ濃いほどまとまった時間でもなければ何度も開かなければなりません。読み物や物語でなくとも読み応えのある秀逸な記事をじっくり読むためにはそれなりの時間が必要になります。これらが秀逸とされている以上は多くの記事がここを目指します。検索という場所を知るためだけの行為は一度あれば十分ですが、同じ記事を開くという行為は繰り返されます。検索して辿り着くという表面的な行為は百科事典の使命でも第一でもなく、しっかり主題が書かれた知識を提供する記事とそれを読む読者が百科事典の第一とするところでしょう。検索という表面的な行為はそれを助ける補助的行為でしかなく中心に据えるものではありません。--Drinkabout 2008年10月19日 (日) 09:48 (UTC)

検索性においてWikipediaが重視されるのではなくその記事の内容にこそ主体性があり、それを充実させることこそが「良い記事」の条件という視点には全く持って同感です。まあ、その意味では冒頭に何がくっついていようと読者にとっては全く関係が無く、その意味では曖昧回避ページへのリンクすらも邪魔でしょう。しかし現実としては「その記事を開いた後」のみを主体として記事冒頭を語ることは意味を成しません。冒頭は記事主体物である説明の見出しであり、同音異義語および派生概念としての同じ語を冠する別の事物との差異を説明し、もしこれを開いた読者が記事主体物ではなく同音異義語および派生概念としての同じ語を冠した事物の説明を求めているなら、そちらに誘導されなければなりません。なお派生概念と同音異義語は等価ではなく、派生概念がまず原義に拠ってその名を冠しているため原義である記事主体物との関係について説明を要しますが、同音異義語は記事主体物とは無関係にその名を冠していますので、記事主体物の説明には絡みません。また曖昧回避は等価の情報を列挙して案内する性質のため同音異義語の扱いには向きますが、その実として記事主体物の説明に強く関係する派生概念を別曖昧回避ページとしたところで、読者はその相互参照を要求されひどく見通しの悪いものにしかなりません。ある意味で百科事典では「知識のつまみ食い」的な愉しみもあり、同じ記事を何度も開いてその都度違う所を参照する場合もあるでしょう。しかし同じ記事を何度も開いて何度も通読するようなことは(読み物ないし物語がそうであるように)あまり考慮する必要が無いように思うのですが。そのような場合において「つまみ食いをする箇所」以外は読者にとって重要ではなく、その視点のみを持って山手線方式のみを否定することは、理由があって結論を導出するという形態ではなく、結論として持って来たい事柄があるから特定事例よりある一つの可能性を膨らまして主張しているように見受けられます…まあ、そういう論理展開は詭弁といいますけどね。ところでこの議論は上に続く「再確認」案件とは絡まず「僕が山手線方式を否定する理屈」になっているため節分けしておきます。
…ところで、記事冒頭で「オタク臭い」という一文をもってきた理由ってなんですかね?まず冒頭で強く相手に印象付けたい事柄を書いてみたってことでしょ?そのことだけをもってして、冒頭に記事主体物と派生観念を並べ、その広がりに言及することは記事主体物の説明に利する(その派生観念が記事主体物を原義とすることを読者に強く印象付ける)ことを自ら体感し感覚として知っているいるからこそ、そういう手法に拠ったんじゃないかと。まあ、相手の発言の主体ではなく括弧書きなんて元より記述者が重視していないから端書でしか書いてない事柄に真っ先に文句を言う辺りが、論者としてお廉い印象を受けますがね(毒)。--夜飛/ 2008年10月19日 (日) 10:36 (UTC)

不快である上にオタク臭い人の用いる特異な表現について自分はよく分からないので、その内容について正確に受け取っていないかもしれませんよということを述べる必要性を重視して最初に書きました。論者であるかどうか高い安いは自分にとってどうでもいいことです。どこの馬の骨かも分からない方に安い論者だと言われたところで何の意味も感じません。そういった表現はある程度以上の評価をされている方が使ってこそ意味のあるものでしょう。はっきり言えば夜飛さんに高く評価されても安く評価されても残念ながら何の意味も無いのです。

本題に入ります。読む対象が確定した読者と確定していない検索者は別に扱っていますので、言葉を分けた方がいいかもしれません。記事主体物の説明に強く関係する派生概念を扱っているものがあるとすれば別の記事です。それ自体は曖昧さ回避ではございません。各誘導方式の担当するものは個々の記事への誘導だけです。曖昧さ回避は知識を提供しません。記事主体物の説明に強く関係する派生概念については既に述べたとおり、記事内で派生概念などの節を設け記事主体物の影響の一つとして説明すればいいでしょう。軽く述べて詳しくは~へといった誘導のある記事もありますよね。山手線方式だからといって記事同士の相互参照を避けられるわけではありません。曖昧さ回避は記事ではないので知識を得ようとすれば、相互参照の相手は記事です。「知識のつまみ食い」的な愉しみにおいても、ランダムアクセスを容易にする目次は有用と思います。歴史だけ読みたいとしても山手線方式はそれを全力で妨害します。山手線方式のみを否定しているわけではありません。しかし山手線方式が使われる場面があるとしたら短所しかないように思うということを述べています。それらも既に書きました。節分けに関しては戻します。夜飛さんの独断でしかなく夜飛さんにそういった判断をする権利は無いと思うためです。何様のつもりかわかりませんが。--Drinkabout 2008年10月19日 (日) 11:41 (UTC)

節分けは、他の議論に絡んでいないから分けたんですがね…場所を弁えない発言ほど議論主題から見て邪魔なものはありませんから。ま、小生の判断をDrinkaboutさんは尊重する意思は無いようですし、現状このやり取りでは小生とDrinkaboutさん以外の論者がいないので、小生としては対話相手であるDrinkaboutさんの「節分けは必要ない」という意思を尊重してこのまま行きますけどね。
さて本題に移しますが…うーん、どうもDrinkaboutさんの述べられている理由には、「故に山手線方式を(全て?)否定する」との間に埋めようの無い隔たりがあるように思います。また、Drinkaboutさんの発言で例示された「ある読者がとるであろう行動の可能性」において、それを理由に山手線方式を否定する理屈を見出しているようですが、小生としてはその「行動の可能性」から「山手線方式を否定する理由」が導出される過程に、論理の飛躍を感じます。
まず曖昧回避は知識を提供するもの(記事)ではないということは、曖昧回避ページの存在理由からして明白です。曖昧回避ページは所定ページへリンクし読者に「自分の求める情報はどの記事にあるか」を判断させる情報を提供するものであり、ここに仔細な知識を与える記事を書くことは適切ではありません。一方、山手線方式は記述形態の一つ(箇条書きの発展形)であり、そこには知識を提供するかリンク先ページを選ぶ判断基準のための情報提供とするかの規定はなく、適切な記事に案内するための記述形態です。小生が述べうるところとしては、その関係性の理解には一定の知識を必要とするため、山手線方式で判断材料と知識を平行して提供している「山手線方式を解消すべきとは考えられない特殊なケース」を述べているのであって、山手線方式全てを無条件で存続させるべきだとはしていない点に注意してください。これは記事内部に持っていってしまえば、そこまで読み解くまで読者は「所定キーワードで検索したときに何故この記事が開いたのか」や「自身が得たいと考えている内容の記事の位置づけは何処にあるのか」、更に根源的には「自分の得たい記事はどれなのか」といった理解を得られないことにしかならず、これは角を矯めて牛を殺すことにも繋がりかねません。してWikipediaは事物を説明する百科事典だという観点から見れば、その主題である利便性が損なわれている状態だといえましょう。
次に山手線方式だからといって記事の仔細を理解する過程において相互参照は避け得ないでしょう。これは各々の記事が別々に存在しているためですが、だからといって一つの記事に派生概念の説明を仔細に重複して載せることは、事物を項目だって説明する観点に無いため百科事典的ではありません。と同時に、全く対照記事の説明も無く「○○については××参照」としたところで、読者はその記事を何故見なければいけないかや、またそのリンク先記事の何処を見れば求める情報があるかを理解できないでしょう。ようは「事物を説明する」という観点において、どの程度の情報があったほうが読者の利便性に利するかを記述者自身が想定して書くほか無く、そこで無理に曖昧回避や冒頭Otheruseslistなどに置き換えることで記事説明を損なうよりは、選択肢の一つとして山手線方式の利用される余地があると考える次第です。
まあ、山手線方式は基本的なマークアップで箇条書き形式に出来るため、単に一連の文章でだらっと説明するよりは見やすいし、また使い方の不明瞭なテンプレート(視覚的にも直感的ではない)使用よりハードルが低く、新規利用者にも使いやすい方法であるとも思うんですけどね。そこを「禁止された方法だから使うな」とか無条件に説明文を(ともすれば記述者が説明したいと考えていた内容を削られた上で)テンプレートに差し替えられたり説明を削られた上で曖昧回避ページに移動されたら、新規利用者としてもイヤーな気分に襲われることでしょうて。まあそういった「無理に山手線方式解消を推進する」ことに絡むトラブルは毛系が散々やらかした事例のうちに幾らでも見出すことが出来、その意味で「何が何でも禁止」と主張することはナンセンスだと思うんですけどね。
ところでさー、なんか「オタク臭い」と小生を批判することがなんだか気に入っちゃったみたいだけど、それ…マヂで議論に絡まんでしょうが。そんなの冒頭で主張する時点で、なーんかアレよ、アレ(漏電中)。--夜飛/ 2008年10月19日 (日) 12:53 (UTC)

冒頭に何を書きどういう順序で述べるかは各人のスタイルでしか無く、夜飛さんが判断することではありませんので自分の思う順番で書きます。気持ち悪い表現を控えていただければ幸いです。最後のところでさー以下も滑り気のある感じで気持ち悪い文章だなと思いますが、見なかったことにします。気持ち悪いと思われようとして書いているのかも知れませんけどね。そうでないなら自覚した方がいいと思いますよ。

本題に入ります。冒頭誘導方式全てにおいてそれは誘導が目的であって知識を与えるためのものではございません。山手線方式も含めて全てです。判断のための最低限の知識を長々と書きたいのであれば曖昧さ回避でもいいでしょう。関連性が強いのなら同じページ内の節でもいいでしょう。しかしそれは冒頭でなければならない理由はありません。初心者が箇条書き大好きだからといってそちらの方向に歪められるべきではないでしょう。

基本的に山手線方式に利点は見出せないということは述べています。いろんな利用者を考えた場合、検索者や新規利用者に限ったローカルな長所はあるかもしれませんが、読者にとっての欠点がある限りトータルには利点が無いようにしか思えないということを述べています。--Drinkabout 2008年10月19日 (日) 13:22 (UTC)

あーはいはい、何を書くか・どういう順序で書くかは、書いている時点で他者が判じることではありませんね。その結果がどういうものになるかは別の話として(もっともそれを見た側がどう思うかは見る側による訳で、相手に何かを伝えたければ、それを先読みしながら書く必要があるわけですけどね)。と、それはさて置き曖昧回避ページに説明を書き綴るのはどうかと思いますけどね。曖昧回避ページは複数の記事へのリンクを列挙して、その各々に案内させる性質の「案内」であり、その曖昧回避ページにリンクされている記事は積極的に各々の個別記事にリンクしなおすことが曖昧回避テンプレートでも薦められている手前、そこに説明文を書くことは、いずれ適正なリンクに差し替えられるであろう他記事文中リンクから開いた場合に、それらの説明が対照記事から欠如する結果にもなりかねませんので。
「初心者は箇条書きが大好き」なんていうのも、何処をどう間違ったらそう読み取れるのか苦慮するところですが、実際問題として箇条書きマークアップは実に直感的であり、Wikipediaに参加し記事執筆に親しんでいく過程で、どのような方式が説明に馴染むのかを選択する経験が詰まれるのであって、それを「禁止ったら禁止」とかいう理由で記事の性質も鑑みずに修正して回る行為の何処に妥当性があるのか非常に疑問視しています。こと毛系に至っては、記事の性質お構いなしでしたからねえ…(故に荒らし)
複数ある方法論(方式と呼び変えてもいい)が並列して利用されている状況は、すなわちいずれの方法にも一長一短があることに過ぎません。--夜飛/ 2008年10月19日 (日) 14:03 (UTC)

曖昧さ回避ページも水先案内としての最低限の説明は書かれています。記事名だけで区別できないのなら最低限の事を書かなければならないのはどんな誘導方式でも同じ事です。こちらの言う説明とは最低限のものしか指していません。山手線方式にしても誘導として求められるのは最低限の説明で、それ以上の説明を書きたいなら別の場所でどうぞということを述べています。冒頭を占拠してまで、その記事の主題とは異なることを長々と書く意味はありません。誘導先の記事の内容が変わればそこへ誘導するリンクの説明が影響を受けるというのは誘導方式に寄りません。

基本的には編集者より読者で読者のために編集が行われるわけですから、新規の編集者のためのハードルを下げようなんてのは考慮すべき点ではありませんね。新規利用者が簡単に行える編集は沢山あります。やりやすい所から手をつけていっていただければいいので山手線方式の存在理由にはなりません。直感的な箇条書きマークアップに触れたいだけなら本文中に散見される箇条書きでも編集すればいいでしょう。一長一短といっても読者・検索者・編集者それぞれの一長の重みは異なりますので山手線方式に利点無しと言いました。私は読者に重きを置いているわけです。

記事の性質から山手線が読者の欠点を超えるほどの必要性があると思われるものがあれば、上に書いた通りその必要性をノートで議論し、他人を納得させれば済むことでしょう。--Drinkabout 2008年10月19日 (日) 14:45 (UTC)

「山手線方式」の是非はともかくとして、山手線の記事の現状は酷いなあ、と私も思います。一般的なXGAの解像度で見てさえスクロールしないと目次にたどり着けない状態をわざわざ作っているのは異常とすら思えます。“「山手線」の呼称の意味”節が目次の前に無ければならない理由が私には思いつきませんでした。「オープニングの長いゲーム」というDrinkaboutさんの比喩はなるほどと思いましたよ。
そして、冒頭部が長くなりやすいことが「山手線方式」の欠点であるというDrinkaboutさんの主張にも一理あると思います。確かに山手線方式で冒頭部が一画面以内に収まるように書くことは出来るでしょう。でもそうやって簡潔化していけば、結局は{{Otheruseslist}}と大して変わらない形に行き着くでしょう。--踏蹟 2008年10月19日 (日) 15:31 (UTC)
山手線の記事なんですが、山手線#「山手線」の呼称の意味にある箇条書き…これってネイティブな山手線方式ではなく、節に入れられた__TOC__(→Help:セクション#目次(TOC))の影響なんじゃないですかね(個人的には山手線に限らず鉄道関係は詳しくないので、件の部分も記事本体に連動する他に分割すべきではない興味深い情報だと思いますけど)。まあそれを外すと更にえらいことになるようですが。
それはさておき、何を持って曖昧回避ページでの「必要最低限の説明」とするかも気になるところ。曖昧回避ページではその多くでリンク先の記事の要約というか扱われている事物の区分のみが簡素に示されている訳で、そこには主従というか主体や原義に基づいてその下部概念がその主体や原義とどういう関係にあるかはほとんど説明されませんし、またそういった説明を書くことは曖昧回避における箇条書きの体裁を崩すだけかと存じます。記述者の利便性は一つの例でありますが、実際にマークアップの理解は全くだが、記事としては良質な文章を書く新規利用者というのもあるだけに、そういった利用者の意向を無視するのは得策とは思えませんがね(→Wikipedia:新規参加者を苛めないでください・まあ中にゃマークアップも書く記事も酷いのもいるが)。ところでDrinkaboutさんの言われている「上に書いた通りその必要性をノートで議論し、他人を納得させれば済むことでしょう」こそが、そもそも小生がご意見申し上げている肝なのですが。これを幾ら説明しても「禁止ったら禁止」を振り回す利用者がいるからトラブルになるのであって、説明を受け記述の妥当性を意見交換によって検証するくらいの理解力があったら誰も苦労はしません。その意味で「全面廃止」には疑問の余地があると常々申し上げております。--夜飛/ 2008年10月19日 (日) 16:18 (UTC)

Wikipedia:新規参加者を苛めないでくださいはあまり新規参加者らしい誤りをしても責めないようにという文章であり、新規利用者の意向にそって体裁を変更していこうという趣旨でもなければ、夜飛さんの様に新規参加者の意向を個人的に予想して自分が新規参加者の意向を代表しているかのように自分の盾として新規利用者を利用するための文章ではないと思います。マークアップは本文でも扱われています。練習をしたければWikipedia:サンドボックスもあります。記事として良質な文章を書く新規利用者であれば、単なる誘導についての形式は理解していただけることと思います。記事本体では無い、小さなことなので。

曖昧さ回避ページであっても区分だけで分かりにくければ水先案内の役割を果たせないために、補足として簡潔な要約が付与されています。水先案内に不要だと思われればスマートに切り取られていきます。その水先案内のための説明量はいかなる誘導方式でも同じです。誘導方式は誘導のためにあります。誘導と無関係なことをだらだら書く場所ではないのです。

自分からみるとWikipedia:新規参加者を苛めないでくださいのように無関係な文書の内容を捻じ曲げて持ち出してまで持論を押し通そうとする夜飛さん自身「禁止ったら禁止」の方と違いは無いと思います。「疑問の余地がある」では他人は納得しません。疑問の余地があることを説明するには記事を並べてそれらの記事が山手線方式でなければならない理由を語れば十分でしょう。もちろんそれによって必要ないという結論になり、それらの記事の山手線方式が解除される可能性も少なくはありませんから、自信を持ってこれこそ山手線方式の真骨頂だといえるものを並べられてはどうですか。--Drinkabout 2008年10月19日 (日) 23:01 (UTC)

初心者編集者が山手線方式を(直感的に)扱い易いことは、一つのケースだと申しているのですが。で、Wikipedia:新規参加者を苛めないでくださいを引用したことに関しても「そういう扱いやすい方式を否定する過程で新規利用者への否定的対応が懸念される(まあ実際に毛系がそれに近しいことは散々やってくれている訳だけど)」という観点が成立するという一つの例示なんですけどね。いずれにしても山手線方式には、他の代行手段として示されているものには無い利点が依然存在するということを、そのそれぞれの利点を例示して述べているのであり、Drinkaboutさんのように突き詰めれば「何度も同じ記事を見直す利用者には見辛い」ことだけを論拠として全面否定することは、結局のところとして発言者自身の認識能力や主観的価値観に基づく一方的な理由付けに過ぎず、ならば初見でその記事を見た者からすれば、そこに書かれた情報が無益だとはいえないことだけをとってみても否定可能な視点に過ぎないといえましょう。山手線方式の真骨頂は、案内と説明を記事冒頭で読者に記事本題に入る前の前提として同時に提供することに尽きると思いますよ。ま、具体的な記事を羅列しても、山手線方式をただ否定したいだけの利用者が記事を損なう方向で弄り回す(記事主体性を損なうという意味では「荒らす」と表現してもいい)のに利するだけだと思うんですけどね。またそのいずれの記事においても「何故山手線方式が向くか」の理由はそれぞれあるし、その理由もまちまちなものを列挙しても、記事主体を無視して「山手線方式をただ否定したいだけ」の視点からすれば何の説明にもなりますまい。理解は理解しようとするから可能なのであり、端からそれを理解しようという姿勢が無ければ説明も意味を成さないのですから。--夜飛/ 2008年10月20日 (月) 10:40 (UTC)

新規利用者への否定的対応についてはまた別の問題ですので、問題のすり替えでしかないと思います。私は全面否定はしていません。主題の解説とその読者を第一に置くという立場から、その利点が最優先されるということを述べています。検索者ではなく読者が相手であれば冒頭である必要はないはずです。記事本題に入る前の前提というだけであればコンテクストを決める冒頭より後の早い段階での節でも十分なはずです。それをわざわざ冒頭を占領して行うということが真骨頂だというのであれば、山手線方式にはあまり存在価値はないのではと思います。具体的な記事が一つも出てこないということであれば、そのよさは否定的な人たちに伝わることはないでしょう。その状態で全面否定が嫌だと言うのは難しいと思います。それはもう夜飛さんの説明能力が抜きん出ていない以上、山手線の有用性はこのようなところでどれだけ書いても伝わらないし、ここで一定の結論を得るのは難しいと思います。はっきりいえば夜飛さんの能力では例示無しに山手線の魅力を他の方に伝える事は無理だと思いますし、それを自覚できていないことが問題を長引かせる一因になっているのではないかと思います。--Drinkabout 2008年10月20日 (月) 11:34 (UTC)--2008年10月20日 (月) 11:51 (UTC)


山手線方式を廃止すべきとする観点においては、それ(新規利用者への否定的対応)もまた、一つの問題を生む側面だといっているんですがね。それを「すりかえ」と解釈するのは勝手ですが、その否定を持って何もDrinkaboutさんの持論に利するところはないし、もはや「否定することが目的化している」ようにしか見えません。そのような論理展開を殊更続けるという意味では、果たしてDrinkaboutさんのいう理由は理由であったのか、それともそう主張することで否定することに論拠を与えようとしようとしていたのかすら判りません。まあ小生としては「現状一定の条件下でうまく機能している方法論の一つを無条件で否定する」ことを問題視する上で、幾つかの可能性と過去に発生した問題事例などを元に視点を特定事象に限定させない形で述べましたが(まあ問題発生事例が余りに方々で発生し、同時に小生が関わった記事も数多あるため、一々どの記事がどうだったかなんで覚えちゃいないってのもありますが)。この問題は、その方式がとられた記事自体に依存する部分があり、他方「山手線方式を否定する」という観点は、山手線方式という様式に合致する全ての記事に影響を与えるという性質があり、その意味で「その様式を否定することは混乱を招きこそすれ益が無い」とも考えております。まあ、山手線方式が適正ではない場合にはこれを他の様式に置き換えることも吝かではありませんが、その「他の方式に置き換えることが可能な記事」が存在することをもって「全ての山手線方式は否定されるべきだ」などという論点は成立し得ないというのがそもそもの視点なのですが。これはもう「嫌だ」とか「魅力」(?)なんとかいう嗜好の問題ではないのですが…いやはや、その他者の論点部分を敢えて矮小化してまでして持論を、それも「見難いかどうか」という「ある特定の記事閲覧方法をとった場合に当人の性質によっても見方が変わる」ような視点に基づく持論を弁護する必要が百科事典としてのWikipedia上にあるのか、悩ましいところです。
なお冒頭で示すべき前提は記事の上のほうに分離したとして、果たして相互に説明しあっている内容の一貫性が保てますかね?小生としては一貫性を求める記述は一連の文章という形態で示すべきだと思いますがね。して平衡して複数観念を書く場合には箇条書きが向きます。これが結果的に山手線方式とみなされる形態であったとしても、山手線方式だからという理由でこれを機械的に曖昧回避ページとか説明部分だけ移動してテンプレートとに分離させる必要性も、情報を一連の形に整理するという観点において見出せません。
とはいえ「私は全面否定はしていません。」とのことなので、Drinkaboutさんもまた、利点がある山手線方式を廃止することには反対だという立場なのだと解しておきます。--夜飛/ 2008年10月20日 (月) 12:14 (UTC)

私は山手線の魅力を説明できる人がいるのなら廃止に賛成しないというだけですよ。山手線方式の必要性を説ける人がこのノートにおいては皆無です。あるものの必要性の説明は、聴衆の意地悪な質問を想定して行うものです。聞き手が好意的に見てくれないから自分の説明が通らないというような甘えた人では必要性というものを説明はできません。職場に炊飯器が必要だと主張したいとき、反論をあらかじめ想定した上での必要性を説くのです。理解しようとする姿勢をとらない相手のせいだと言ってるような方には、必要性の説明というものは到底無理なのです。現状、山手線方式がうまく機能している場所が本当にあるのかどうかも不明です。多くは単に惰性で来ているだけのものと思います。そのために少しずつCproさんのような方が解消されているものと思います。残念ながら夜飛さんではどれだけ言葉を連ねても無理です。--Drinkabout 2008年10月20日 (月) 12:34 (UTC)

申し訳ありませんが、小生としても「魅力」を語るつもりはありません。というか、なんか文学的な表現を期待されている?
小生としては、単に事物の説明において有効性の認められる一つの方法論だと述べているのであり、それを解せないのか解さないのかは知りませんが、Drinkaboutさんがどう解釈するか(または解釈しないか)は小生のあずかり知らぬところであり、そのDrinkaboutさんの態度や価値観を根底から覆すような(まあ洗脳でもすりゃどうだかは知らんが)「山手線方式が絶対的に優れている理由」なんぞ示しようも無いでしょう…「一長一短のある方法論の一つ」なのですから、山手線方式全般に限定して話を進める限りにおいて。またDrinkaboutさんの述べられるところの「魅力」などというものは元より議論の外かと存じます。
なお小生としては演説している気もありませんので、「聴衆の意地悪い質問」とやらを想定する理由も義理もございませんし、まして否定のための否定を重ねる論者に対して、その論者の論理の虚を突き論理を破綻させ、その主張が前提レベルで意味を成していないことを論ったりすることも、この場では意味を成さない行為でしょう。まあ、そもそもこの対話自体がこの節主体(そもそも廃止すべきだという理由が不明瞭だということに関する質問)にはそぐわない「僕が山手線方式を否定する理由」にしかなっておらず、小生の発言にしてもDrinkaboutさんへの応対に過ぎないのですから。山手線方式がうまく機能している箇所?いやはや、既に方々で例示しているんですけどね。まあ現状ネイティブ山手線方式ではないとはいえ、山手線の記事も初見において有益な情報を(目次に先立ち)冒頭箇条書きで示しているという点において、うまく機能している例だといえましょう…まあ「何度も同じ記事を見る」という状況においては(その長過ぎる感もある目次同様に?)「目障りに映る」のかもしれませんがね。その視点のみを持って、全ての山手線方式を否定することには(初見の立場では確かに有用な情報がまとめられているため)無理があると考えます。多くは惰性で付与されている項目であろうというのも、それ以外が存在するということであり、それ(Drinkaboutさんの発言)をもってしても、山手線方式を廃止する必要性は感じられませんよ。--夜飛/ 2008年10月20日 (月) 13:01 (UTC)

繰り返しますが私は山手線方式を全廃しろとは言っていません。その点については夜飛さんが勝手にハッスルしてるだけではないでしょうか。利点を語り他人を説き伏せることができる人がいるのなら残せばよろしいと述べています。欠点は既に述べている通りで賛同もいただいております。利点と欠点を比べ欠点の方が大きければ廃止ということになるだけですね。しかし山手線方式の利点は述べられていません。述べたい人がいればどうぞ述べてることによって存続してくださいというだけのことです。夜飛さんとwp:kehaeについて自分は大差のない同根の人と考えています。

山手線方式については現時点ではこのページからも消え、曖昧さ回避やotherusesが基本です。山手線方式は現状で例外的な形式です。例外である以上はそこに例外的形式を取ることの理由が存在するわけでそこに理由を明記するように上で述べています。それだけですよ。--Drinkabout 2008年10月20日 (月) 13:28 (UTC)

山手線の記事において言えば、初見において情報を目次に先立って押し付ける必要もありません。特定の情報の押し売りですよね。どのような情報を有益とするかは読者次第です。強引な押し売りとしてはうまく機能しているかもしれません。私の示したことが「僕が山手線方式を否定する理由」であるならば、夜飛さんの書いていることは「僕が山手線方式を存続したい理由」でしかありません。論者という言葉を持ち出すようなレベルではないですね。--Drinkabout 2008年10月20日 (月) 13:38 (UTC)

何とも解しがたい視点ですね。いや、そもそもその視点ならなんで上(2008年10月16日 (木) 01:36 (UTC)のもの)の発言が出たのか不可解ですらあり。結局は私見を書き綴って議論を混乱させようとしているようにしか見えません…そのような「記事冒頭が長くなる」(故に記事中途のみを参照する場合に障害たりえる)という視点は既に小生が上で示した井戸端での議論「Wikipedia:井戸端/subj/山手線方式への差し戻しの是非」に見出せるところであり、それを殊更ゲームなどという百科事典の記事とはそもそも全く性質が異なるような比喩を用いて書き綴るところが。押し付けかどうかはDrinkaboutさんの判ずるところでもありませんね。それは記事を見た読者の各々が抱くことですから、理解に際して有効な情報を提供されて押し付けだと感じる人はいないでしょう…記事を見た側の事物に対する理解はその閲覧者個人によって決まることであるし、不要だと思ったら飛ばして読めばいいだけの話ですので、記事執筆者としては有用だと考えられる情報を、最善の手法を持って提供することを考え選択するのみです。してその状況下において、選択肢の一つとして山手線方式にもその性質においては有効性が見出せるケースもあるということだけですので。ともあれ、そういうこと(全廃は支持しない・有用なら特例可)でしたら、「そういうご意見カウント1」ということで結論といたしましょう。本題に関係ない小生の在り様に対する一連の発言は抜きにして。お疲れ様。--夜飛/ 2008年10月20日 (月) 13:56 (UTC)

一方的に誤解してハッスルされていた点については夜飛さん自身の問題でしかありません。2008年10月16日 (木) 01:36 (UTC)の発言については直上で飲み込めないという発言があったからですよね。夜飛さんの発言に返したわけではありませんし、その時点では漏電中がどうたらとか書いている人はあまり関わりたくない趣味の人としてそのときはスルーしています。ゲームがどうのというのは比喩でしかありません。夜飛さんに他人の用いる比喩の使用の制限をする権利はありません。押し付けかどうかというのは読者の各々が抱くところですが、私はそういう個人的な感想に無関係に一律に押し付けていることを疑問視しているわけで、各々が抱くから個人的に判じてはならないという話になりません。悪質な押し売りは控えてくださいと述べています。「理解に際して有効な情報を提供されて押し付けだと感じる人はいないでしょう…」というのも「僕が勝手に予想してます」という内容ですよね。夜飛さんの問題の一つは各々の自由になるところならないところの区別がついていないところですね。「不要だと思ったら飛ばして読めばいい」んですよ。飛ばしやすいようになるだけ目次を上にしてくださいといっただけですね。--Drinkabout 2008年10月20日 (月) 14:23 (UTC)

あー、もはや節主体というか「山手線方式が(云々)」とは全く絡んでないのでスルーします。あしからずご了承ください。--夜飛/ 2008年10月20日 (月) 14:42 (UTC)

「曖昧さ回避すべきもの」の解釈

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Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避すべきものの解釈について、御意見をお聞かせ下さい。具体例がある方がわかりやすいと思うので、具体例を挙げます。日本には円山駅という鉄道駅がかつて存在し、台湾には圓山駅という鉄道駅が存在します。これらの駅の記事名について、それぞれ「円山駅」と「圓山駅」として曖昧さ回避を導入しないという立場と、「円山駅 (日本)」と「円山駅 (台湾)」などとしてWikipedia:ウィキプロジェクト 台湾の求める常用漢字原則を尊重する、という立場の二通りがあり得ます。問題点を単純にするために、どちらの立場をとってもメリット・デメリットの上では大差ない状況だとします (例としてあげた場合にも大差がある/ない、という意味ではなく、話を単純にするための仮定です)。ここで、Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避すべきものにある「別の項目名がより適切ならば、そちらを使うべきです」という文をどう解釈するかというのが効いてきますが、それはWikipedia:曖昧さ回避曖昧さ回避の導入について抑制的であると考えるか、抑制的ではないと考えるかで違ってくると思います。曖昧さ回避の導入に抑制的であると考えるなら、「円山駅」と「圓山駅」という書き分けをとるべきでしょうし、抑制的ではないと考えるなら、「円山駅 (日本)」と「円山駅 (台湾)」という組合せを排除する理由はなくなるでしょう。結局は「総合的に判断してください」なのできれいに切り分けられないというのは十分理解していますが、Wikipedia:曖昧さ回避の方向性としては、曖昧さ回避の導入に抑制的、つまり、必要不可欠な場合にだけ曖昧さ回避を用いるという想定なのでしょうか、それともそうではないのでしょうか。--Jms 2008年12月6日 (土) 04:36 (UTC)

事実認識に誤りがあります。常用漢字は「記事名の付け方」で推奨されており、PJ台湾はその内容及び、それ以外の台湾の項目が全て常用漢字に置換されている現実を反映させたものであり、PJ台湾によって常用漢字を決定したものではありません。Jms氏は「圓山駅」のみに焦点を当てていますが、もし旧字体を採用した場合、「台北駅」は「臺北駅」、「平渓駅」は「平溪駅」、「万華駅」は「萬華駅」、「新豊駅」は「新豐駅」…と現在成立している他駅名表記についての整合性を崩壊させる可能性を指摘したにも関わらず現在に至るまで有効な回答を示しておりません。また漢字の有する字体の差についても「検討を要する」とつまりは分からないと表明したまま放置状態となっております。
Jms氏におかれてはノート:円山駅 (台北市)での議論を一方的にこちらに移す行為は対話拒否にもなりかねますので、せめてコメント依頼あたりで議論を誘導するような穏便な言動をお願いします。--Yonoemon 2008年12月6日 (土) 06:47 (UTC)
個別駅名についてはノート:円山駅 (台北市)でお答えしました。このノートへの誘導はノート:円山駅 (台北市)にもあり、十分だと判断しました。ここでのわたくしの意図は、一般論として、Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避すべきものをどう解釈するか意見を求めることであり、具体例は別のものでも構いませんし、個別内容についての議論を意図してもおりません。なお、あまり意見がでないようであればその段階でコメント依頼も考慮するかもしれません。--Jms 2008年12月6日 (土) 07:41 (UTC)

例として問題があるかもしれないので、問いをより具体的にしつつ、架空の例をあげます。「曖昧さ回避を導入する前にWikipedia:記事名の付け方も参照してください。別の項目名がより適切ならば、そちらを使うべきです」の、特に「別の項目名がより適切ならば、そちらを使うべきです」という部分を、わたくしは次の様な意味で解釈しましたが、この解釈が妥当かどうか、御意見をおきかせ下さい。

  • 「Wikipedia:記事名の付け方」に従って正式名称を用いた記事名を採用すると「101系電車 (日本国有鉄道)」「101系電車 (西武鉄道)」となる様な場合に、「Wikipedia:記事名の付け方」を逸脱しない範囲で再検討して「日本国有鉄道101系電車」「西武鉄道101系電車」などとできるならば、後者の記事名を用いるべき

Wikipedia:記事名の付け方/鉄道に従えば最初から後者の記事名になりますが、あくまで例ですので、その点については「Wikipedia:記事名の付け方」の正式名称を用いることで前者の記事名が選ばれた、とお考え下さい。--Jms 2008年12月6日 (土) 14:58 (UTC)

コメント依頼から来ました。『「円山駅」と「圓山駅」として曖昧さ回避(ページ?)を導入しない』場合でも検索需要としての台湾「円山駅」の「圓山駅」への誘導は必要ですので日本「円山駅」の冒頭にOtherusesを置くことになります。これも立派な(代表的なトピックを中心とする)曖昧さ回避です。
したがって「曖昧さ回避すべきもの」に記載されている「別の項目名がより適切ならば、そちらを使うべきです。」は「記事名決定」についてのことであって「曖昧さ回避すべきもの」の説明になっていないと感じます。より適切な項目名が記事名となっても依然として「適切でない同名の項目名に対する検索需要」が存在するために結局「曖昧さ回避すべきもの」に含まれることになるからです。
「記事名決定(記事名の付け方)」と「曖昧さ回避取込(曖昧さ回避すべきもの)」と「曖昧さ回避手法(曖昧さ回避の種類と方法)」は作業的に完全に切り分けられると私は考えます。電車の記事名がどのようなものになろうとも「101系電車」での検索需要があれば「101系電車」に対して、いずれかの曖昧さ回避手段を用意する必要性が出てきます。
余談ですが現在「円山駅」の曖昧さ回避上にない「円山公園駅の略称」が一番需要があるかもしれません。少なくとも盛り込む必要はありそうです。--Triglav 2008年12月20日 (土) 13:32 (UTC)
もうひとつ余談。「101系電車」について関連する記事が101101系101系電車とありますが、このうち「101系電車」を「101系」に統合して「101系電車」を削除するかリダイレクトを置くことでうまく誘導出来そうな気がします。--Triglav 2008年12月20日 (土) 13:51 (UTC)

曖昧さ回避の括弧内にコンテクストを使っても良いケースについて

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Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避後の項目名では、曖昧さ回避の括弧内にコンテクストはなるべく使わないようにした方が良いという解釈はできると思います。

で、Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽 (PJ:MUSIC) によるガイドラインですが、現時点では「コンテクストを使うことは非推奨」ということも踏まえてこんな感じになっています。

  1. 項目名が競合する場合は「(バンド)」、「(アルバム)」、「(曲)」を付ける。
  2. さらに曲/シングル名、アルバム名が競合する場合は「(ミュージシャン名の曲)」「(ミュージシャン名のアルバム)」を付ける。

これで、何が起こるかといえば、一旦「(アルバム)」だけで曖昧さ回避したものでも、さらに同名のものが他のアーティストからリリースされて項目が作られると、「(アルバム)」で曖昧さ回避していたものについても、移動とリンク修正が発生するというくだらないことが起こります。そこで、PJ:MUSIC側にはWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト_音楽#曖昧さ回避ルールの改善提案という提案を行っています。(現在存在する問題と提案の詳細はそちらをみてください。)

提案内容は、その瞬間には「(アルバム)」だけで曖昧さ回避できるものでも、「(アルバム)」ではなく「(アーティスト名のアルバム)」で曖昧さ回避しようというものです。現在、Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避後の項目名には《曖昧さ回避のための括弧内に「コンテクスト」(文章的記述)を使用するような特別な状況とは、架空の登場人物のように、その「コンテクスト」が創作物である場合です。》とあって、(ここで挙げているものがどういうものを想定しているのかが私にはよくわからなかったりしますが) PJ:MUSICが対象とする項目にて「(アーティスト名のアルバム)」で曖昧さ回避するのは、その特別な状況に該当させてもいいんじゃないか、と思っています。

実際に、Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避後の項目名にPJ:MUSICの事例を例示してもいいとは思っているんですが、何なら各ウィキプロジェクトなどでの合意が形成できれば曖昧さ回避括弧内にコンテクストを用いても良いという形にしてもいいんじゃないか、と思っています。

皆さんのご意見をお願いします。なお、PJ:MUSICへの提案自体に関わる内容は、こちらではなくそちらにコメントいただければ、と。--iwaim 2008年12月27日 (土) 21:33 (UTC)

Wikipedia:曖昧さ回避が通奏低音として括弧による曖昧さ回避の導入に対して抑制的なのかどうかというところで判断のわかれるところでしょう。「 (神話上の人物)」ではなく「 (神話)」を選べ、という現行Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避後の項目名は曖昧さ回避部分の過度の細分化を抑制していると思います。その意味で、「(アルバム)」だけで曖昧さ回避できるものについてまで「(アーティスト名のアルバム)」で曖昧さ回避、というのはやりすぎではないかと思います。移動とリンク修正が発生する、というのは、項目名を informative に保つためのコストであって、もしその手間があまりに煩瑣だというのなら、そもそもの項目の立てかたに問題があるのかもしれません。もちろん、曖昧さ回避の必要が実際にあって「(アーティスト名のアルバム)」とするのには何ら問題はないでしょう。--Jms 2008年12月27日 (土) 22:47 (UTC)
私としては、曖昧さ回避の括弧部分の中身なんて、それが何なのか区別つけば問題ないと思っています。《曖昧さ回避部分の過度の細分化を抑制していると思います》については「(神話)」ではなく「(神話上の人物)」になるってのが過度の細分化ということでしょうか? 仮にそうだとして、何故「(神話上の人物)」ではなく「(神話)」である必要があるのかってところが私には謎なんですよね。そもそもの話として。「(神話上の人物)」ではなく「(神話)」にすべき理由が理解できれば、《やりすぎではないかと思います》という意見に頷ける気はするんですけど。--iwaim 2008年12月27日 (土) 22:59 (UTC)
過度の細分化の端的な例として思い付くのは (自分がかかわったからですが)、たとえば、駅記事の曖昧さ回避で、所番地まで含めた曖昧さ回避とする様なものです。「(神話上の人物)」ではなく「(神話)」にすべき理由は、Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避後の項目名にある様に、「複雑な名前よりも単純な名前の方が望ましい」からでしょう。「曖昧さ回避の括弧部分の中身なんて、それが何なのか区別つけば問題ない」ならば、書籍でいえば ISBN に相当するコード番号 (複数版ある場合は初版のもの) なり、それがない時代にものについては初版の日付なりでも良いことになりますが、現実にはそうした曖昧さ回避は識別性は高いにしても読者にはわかりにくく、なるべく短くて、十分な曖昧さ回避ができるもの、というのが望ましい曖昧さ回避子なのではないでしょうか。--Jms 2008年12月28日 (日) 00:04 (UTC)
なるほど。《複雑な名前よりも単純な名前の方が望ましい》ってのは理解できます。しかし、四角四面に「曖昧さ回避括弧内の識別子 (以下「曖昧さ回避子」とします) は、その時点で (人間に理解できやすい範囲で) 極限まで短くしたものが望ましい」とまではしなくていいんじゃないかな、と思います。例えば、アルバムは将来に渡って名称が重複する可能性がそれなりにある分野です。それを「(アーティスト名のアルバム)」より「(アルバム)」の方が短くていいんだ、ということまではやらんでいいんじゃないか、と思います。将来に改名とリンク元修正という労力が発生する可能性を、「(アーティスト名のアルバム)」としておくだけで回避できる可能性が極めて高いのですから。これは「(アルバム)」よりも「(アーティスト名のアルバム)」の方が長いのは明白だとしても、「(アーティスト名のアルバム)」が長すぎるとは言えないことも考慮しています。
《複雑な名前よりも単純な名前の方が望ましい》ということを念頭に置いた上で、ウィキプロジェクトなどでのローカルルールでの決定が「短さ」よりも優先しても良いというあたりで良いと思いますが、それについてはどうでしょうか?
なお、2008年12月27日 (土) 22:47 (UTC) でのJmsさんの発言《そもそもの項目の立てかたに問題があるのかもしれません》については、頷ける点はあるんですが、別の話なのでここでは触れないということにさせてください。--iwaim 2008年12月28日 (日) 06:29 (UTC)
四角四面に極限まで短くする必要があるとは思いませんが、短くすることの副次的効果として、「○○ (アルバム)」なら○○というアルバム記事は一つしかなく、「○○ (誰某のアルバム)」なら○○というアルバム記事が複数あるとわかる、というのもあります。予見的な曖昧さ回避というのは確たる根拠なしにいくらでも主張できるので、すべき主張でないと思います。ローカルルールでそういうことを決めてよいか、という点については「総合的に判断して」そうすることに妥当性があるなら、とめようはないでしょう、「なんだかなー」な分野とみなされることはあるかもしれませんが…。「そもそもの項目の立てかたに問題」というのは、別の話なのですが、しかし曖昧さ回避のありかたも実は間接的な抑止力になっているのではないかと考えています。ですのでここで議論する必要はありませんが、一律「 (誰某のアルバム)」としはじめた時点で、まぁ、そういうことなのではないでしょうか。ごにょごにょ。--Jms 2008年12月28日 (日) 06:59 (UTC)
落としどころとしては「ウィキプロジェクトなどでのローカルルールに任せてしまっても良い範囲である。ただし、ちゃんと考えてローカルルールの制定をしてね」というあたりでしょうか。他の方の意見も聞きたいです。
《予見的な曖昧さ回避というのは確たる根拠なしにいくらでも主張できるので、すべき主張でないと思います》については、曖昧さ回避子を「(アーティスト名のアルバム)」することで別途他のアーティストのアルバムとも曖昧さ回避できるし、それを目的とはしているんですが、そもそもとしてはアルバム以外のものとの曖昧さ回避が主目的です。ただ、そのときに曖昧さ回避子をちょっと工夫すれば将来に渡って嬉しい可能性があるというだけです。副次的な効果については、「○○ (アーティスト名のアルバム)」としておけば、それが誰のアルバムであるのかが明白というのもあるので、どっちもどっちな気はします。
「なんだかなー」な分野とか抑止力とかについてはWikipedia:特筆性_(音楽)#アルバムをみていただいた上で……。まあ、そういうことです。--iwaim 2008年12月28日 (日) 07:36 (UTC)

「曖昧さ回避やリダイレクトにおけるJPOV」問題

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Wikipedia:井戸端/subj/曖昧さ回避やリダイレクトにおけるJPOVにおいて、「曖昧さ回避やリダイレクトにおけるJPOV」問題に対する意見を広く募っております。本方針またはガイドラインに関係することですので、関心のある方はぜひご意見をお聞かせください。よろしくお願いします。--Penn Station 2009年1月12日 (月) 08:15 (UTC)

曖昧さ回避で事物と人物の分野をどう扱うべきか?

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現在、スポーツ選手の曖昧さ回避の括弧内の表記をどうすべきか、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト スポーツ人物伝#括弧内の表記の再議論にて行っています。具体的に、例えば野球選手の記事の場合、括弧内を「野球」とするか、「野球選手」(or「野球指導者」「野球審判員」)とするか、という点で意見が分かれています。議論の詳細については提示したリンク先を参照していただきたいのですが、この議論において、曖昧さ回避における分野の解釈の違いが、結論を出せない原因になっていると思います。そこで、Wikipedia全体の方針としては、人物と事物は必ずしも別の分野と考えて曖昧さ回避すべきか、分野の特性に応じて曖昧さ回避を使い分けるべきか、皆様の意見をお伺いしたいと思います。--チェンジオブベース 2009年3月20日 (金) 10:32 (UTC)

(補足)議論参照だけでは少し論点が掴みづらい部分もあるかと思いますので、主張の理由などをまとめさせていただきました。

括弧内は「_(競技名)」にすべき
  • 競技名のみでも分類、曖昧さ回避は可能。曖昧さ回避においては各記事の区別をつけるのが最も重要である
  • 選手・指導者のいずれも経験した人物は「競技名選手」で曖昧さ回避するのが不可能
括弧内は「_(競技名選手)」「_(競技名指導者)」などにすべき
  • 括弧内の表記もできる限り定義で定めたほうが混乱を招かないはず
  • 選手・指導者のいずれも経験した定義が複数になりうる人物も、各々の業績に照らし合わせて「競技名選手」「競技名指導者」等に使い分けて曖昧さ回避するのは可能

議論当事者によるまとめなので、偏った解釈等ありましたら遠慮なく訂正お願いします>議論参加者の皆様

特にそれぞれの主張の2点目の理由が対立してしまっており、このまま議論を続けても平行線をたどるものと思われます。現在の曖昧さ回避の方針と照らし合わせたとき、どちらの主張のほうがより方針に準じた形となるか、皆様のご意見をいただきたい次第です。この議論に関する質問などありました場合も、可能な範囲で答えさせていただきます。--チェンジオブベース 2009年3月24日 (火) 13:38 (UTC)

私は「_(競技名選手)」「_(競技名指導者)」のほうがいいと思います。競技名だけだと職業を表していないので。--ナカムーラ 2009年3月28日 (土) 11:10 (UTC)

曖昧さ回避だったページを再び曖昧さ回避へ戻すには

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はじめまして。私、主に生物関連の執筆を行っておりますMossと申します。以前に「イグアナ」という曖昧さ回避の項目を作成(元々イグアナ科広範について記述されていたのでイグアナ科に改名し、リダイレクトだった項目を複数の用途があると考え、曖昧さ回避にしました。)したのですが、久方ぶりに確認したところイグアナを定義が曖昧な項目にされていました。

  • 定義が曖昧である事。(定義文にも定義が曖昧であるという記述があり)
  • 参考文献があげられていない。
  • 項目内の名称が単に英語圏での通称をカナ表記したもので、記事執筆能力が疑われる。
  • 記事の大部分を画像が占める。

など特に独立した記事とする価値はないと感じましたので再び曖昧さ回避に戻したいのですがこういったケースの場合、どのように処理すればよろしいのでしょうか?議論をする場所が違うのかもしれないのですが、こちらをご覧の皆様の御意見をお伺いしたいと思います。--Moss 2009年3月21日 (土) 17:15 (UTC)--リンクを付加。--Dumpty-Humpty 2009年3月22日 (日) 02:40 (UTC)

(コメント)これは〔曖昧さ回避〕解除以降の編集に関することですから、議場はここでなくても良い(ノート:イグアナで良い)とは思いますが…。
原則として、情報源不明が理由であることを示せば、記述除去や編集差し戻しは独断でもOK←Wikipedia:検証可能性
ただ、ご要望どおり〔曖昧さ回避〕に戻すとなると大幅な改変ですから、理想論として、善意で編集に加わった他者が納得するような対処が望ましい。
現状の「イグアナ」に、推敲や情報源付加等により利用可能な部分がもしあるなら、この項目や他のイグアナ関連項目で生かす手もあるかと。荒らし、でたらめ、よほど低質な記述でない限り、排除するより生かすほうが後味が良いでしょう。
なお、記述を他の項目に複写する場合は、著作権関連の処理として、編集要約に「イグアナ(----年--月--日 --:-- (UTC)の版)から複写: 主要筆者は甲、乙、丙、 ...。」を記しておくことを推奨。--Dumpty-Humpty 2009年3月22日 (日) 02:40 (UTC)
ご返答ありがとうございました。改変にあたり参考にしたいと思います。--Moss 2009年3月30日 (月) 17:29 (UTC)

セクションを別けて言及する方法の内容追加

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A」と「A (アルバム)」「A (シングル)」「A (テレビ番組)」との曖昧さ回避は、現状ではA#商品名・作品名に他の記事が列挙される形で行われています。しかし、現状のWikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避ページを別に作らないもの(3)セクションを別けて言及する方法は、「独立したページを作れない場合」に適用されると書いてありますから、独立したページが作られているAの場合はこの方法は適用できないことになります。このためOtheruseslistを作る必要があることになります。

これでは合理的ではないので、Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避ページを別に作らないもの(3)セクションを別けて言及する方法を次のように改めます。

主要なトピックからの派生関係が明確で主要なトピックと関連がある内容で、参照される可能性に大きな差がある場合、もしくは、主要なトピックと関連がある内容で、独立した記事が作られる見込みがない場合は、主要なトピックの本文中に「関連項目」といった題名のセクションを作り、そこで言及してください。前者の例としてA#商品名・作品名、後者の例として観音開き#派生用法が挙げられます。

反対がなければ1週間後に変更します。--Cave cattum 2009年3月25日 (水) 05:57 (UTC)

主要なトピックからの派生関係が明確」というのは条件として限定がきつすぎると判断し、一部を改めました。--Cave cattum 2009年3月26日 (木) 05:46 (UTC)
Aを見てみたのですがこのケースの場合は名称が同じだけで関連性が強いとは思われないものが列挙されている為、A (曖昧さ回避)を作って誘導する形にした方がよいのではないでしょうか?現在のAは主要なトピックの説明と曖昧さ回避が混在して記事として見づらくなっているように感じられます。英語版のen:Aen:A (disambiguation)が参考になるかと思います。--Web comic 2009年3月26日 (木) 07:38 (UTC)
ご指摘の趣旨がわかりかねるのですが、次のどちらでしょうか。
  1. 単に記事「A」に固有の問題である
  2. 独立したページが作られている場合は「セクションを別けて言及する方法」は適用すべきではない
1であるなら上記の「前者の例としてA#商品名・作品名」のくだりを「前者の例として徳川家康#徳川家康が登場する作品」と改めます。
2であるならWikipedia:曖昧さ回避は変更する必要はありませんが、そうすると「徳川家康」には「セクションを別けて言及する方法」は適用できませんから、「徳川家康 (1965年の映画)」「徳川家康 (NHK大河ドラマ)」「徳川家康 (TBSドラマ)」「徳川家康 (山岡荘八)」との曖昧さ回避の必要上、徳川家康の冒頭部にOtheruseslistを作るなり、徳川家康 (曖昧さ回避)を作る必要があります。--Cave cattum 2009年3月26日 (木) 09:20 (UTC)
回答としては2.になります。徳川家康の場合、徳川家康#徳川家康が登場する作品に並べられているのは家康が主人公だけの作品だけではなく、またタイトルも「徳川家康」というもの以外のものが多数あるため、徳川家康 (曖昧さ回避)を使って「徳川家康」を冠にした記事への案内ページを作成すべきだと感じました。またA徳川家康も同名ページが多いため、Otheruseslistを使うよりは曖昧さ回避のページで誘導した方が利用者にとっては分かりやすいのではないでしょうか?結局のところWikipedia:曖昧さ回避は変更せず、今まで通り独立したページがある場合には対象のページ数に応じてOtheruses、Otheruseslistや曖昧さ回避ページで誘導していくのがベストだと思います。--Web comic 2009年3月26日 (木) 09:46 (UTC)
それでは、2の趣旨を明確にするためにWikipedia:曖昧さ回避に次のように記載することにします。
主要なトピックと関連があり(中略)例として挙げられます。独立したページが存在する場合はこの方法は適用しないでください。
このルールが適用されると、影響は「A」や「徳川家康」だけでなく、きわめて広範囲に及びますので、念のためWikipedia:お知らせに告知します。--Cave cattum 2009年3月26日 (木) 10:56 (UTC)
「関連項目」という節名は、関連する項目が記事として成立している場合に既に使われているので、「独立した記事が作られる見込みがない場合」に用いるのは混乱の元ではないでしょうか。むしろ、内容を端的に表す適当な節名をそれぞれの記事で用いる方が良いかと思います。--Jms 2009年3月28日 (土) 00:16 (UTC)
「関連項目」という節名は単なる例示ですので、何でも良いのですが、そんなに気になるのなら文面は次のようにしときましょうか。
主要なトピックと関連がある内容で、参照される可能性に大きな差がある場合、もしくは独立した記事が作られる見込みがない場合は、主要なトピックの本文中に「派生用法」といった題名のセクションを作り、そこで言及してください。前者の例として徳川家康#徳川家康が登場する作品、後者の例として観音開き#派生用法が挙げられます。
さて、ご発言の趣旨がわかりかねるのですが、ご意見は次のどちらでしょうか。
  1. Wikipedia:曖昧さ回避を改定して、独立したページが作られている場合も、「セクションを別けて言及する方法」を適用できるようにする。
  2. Wikipedia:曖昧さ回避は(文面をわかりやすくする等の微修正を除いて)改定しない。独立したページが作られている場合は「セクションを別けて言及する方法」は適用できないので、「A」や「徳川家康」は公式方針違反状態であるため、順次修正する。
Web comicさんは2と明言されました。私はどちらでも良いです。このまま1の方が現れなければ2で決まりとするしかないですね。--Cave cattum 2009年3月30日 (月) 06:16 (UTC)
念のために確認ですが、2の方法は、「A」の「A#商品名・作品名」や「徳川家康」の「徳川家康#徳川家康が登場する作品」などの節の現在の内容は残したままで、それとは別に曖昧さ回避を冒頭部または別ページに設けるという趣旨ですよね。そうならば、2に賛成します。読みようによっては、「A」の「A#商品名・作品名」の節のうちの「A (テレビ番組)」、「A (シングル)」、「A (アルバム)」や「徳川家康」の「徳川家康#徳川家康が登場する作品」の節のうちの「徳川家康 (1965年の映画)」、「徳川家康 (NHK大河ドラマ)」、「徳川家康 (TBSドラマ)」、「徳川家康 (山岡荘八)」のような記事名と同名の項目だけを削除して、その代わりに曖昧さ回避を冒頭部または別ページに設けるとも読めますが、もし、そうならば、独立したページがあるか否かという記載内容とは関係のない基準で、記事本文に記載するか曖昧さ回避に記載するの取り扱いが異なることになって、記事の内容がわかりにくく一貫性を欠くものになるのではないかと思います。--OiOiO 2009年3月31日 (火) 08:42 (UTC)
徳川家康 (曖昧さ回避)は「徳川家康」という記事名の記事を(内容とは関係なく)列挙するもの、徳川家康#徳川家康が登場する作品の節は「徳川家康が登場する作品」に該当するものを(記事名とは関係なく)列挙するもので、目的が違いますから、重複して掲載されていても問題はないでしょう。ご心配には及ばないかと。--Cave cattum 2009年4月1日 (水) 07:16 (UTC)
発言の趣旨は「関連項目」という節名を用いるのは不適切ではないか、ということです。で、二つのうちのどちらか、と問われれば、Wikipedia:曖昧さ回避を改訂して独立したページが作られている場合にも適用可能とする方です。「派生用法」といった題名の、という部分は、適当な題名の、でよいのではないかと思います、徳川家康#徳川家康が登場する作品観音開き#派生用法などと例示しているわけですから。--Jms 2009年4月1日 (水) 09:12 (UTC)
「派生用法」といった題名の、という部分は、Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避ページを別に作らないもの(3)セクションを別けて言及する方法に現在でも書いてあることなので、この部分をことさら問題視されるのは構いませんが、今回の議論とは直接関係はありません。ついでに直しておきましょうか。案1と案2を改めて整理すると次のようになります。
案1:Wikipedia:曖昧さ回避を改定して、独立したページが作られている場合も、「セクションを別けて言及する方法」を適用できるようにする。Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避ページを別に作らないもの(3)セクションを別けて言及する方法は次のように改定する。
主要なトピックと関連がある内容で、記事が参照される可能性に大きな差がある場合、もしくは独立した記事が作られる見込みがない場合は、主要なトピックの本文中に適切な題名のセクションを作り、そこで言及してください。前者の例として徳川家康#徳川家康が登場する作品、後者の例として観音開き#派生用法が挙げられます。
案2:Wikipedia:曖昧さ回避は(文面をわかりやすくする等の微修正を除いて)改定しない。独立したページが作られている場合は「セクションを別けて言及する方法」は適用できないので、「A」や「徳川家康」は公式方針違反状態であるため、順次修正する。Wikipedia:曖昧さ回避にはルール自体を変更しない範囲内での修正のみを行う。
主要なトピックと関連がある内容で、独立した記事が作られる見込みがない場合は、主要なトピックの本文中に適切な題名のセクションを作り、そこで言及してください。例として観音開き#派生用法シャクンタラー#シャクンタラーをテーマにした音楽作品が挙げられます。独立した記事が作られている場合はこの方法は適用しないでください。
案2にはこれまでWeb comicさん、OiOiOさんが賛成を表明されました。--Cave cattum 2009年4月2日 (木) 01:17 (UTC)

本文の方に上記の案2に基づいた編集を施しました。ルール自体は変更していない範囲内での編集です。「A」や「徳川家康」は元から公式方針違反状態だったわけですから修正に協力をお願いします。なお、今後の案1の方向でのルール改定を妨げるものではないので、必要であれば提案してください。--Cave cattum 2009年4月7日 (火) 06:29 (UTC)

カテゴリに関する曖昧さ回避について

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Wikipedia‐ノート:カテゴリの方針で提議をしましたが「曖昧さ回避の議論ではないか」と指摘する利用者が2名いたので、こちらでも提起します(ここで議論はしません)。要するにカテゴリの名称について曖昧さ回避を「括弧つきで」行う必要があるのかということです。私は「記事名が一致している」以外の利点は何一つなく、パイプの裏技も使えず、日本語として著しく不自然であることを看過するだけの利点はないと考えているので曖昧さ回避全体の基準を変える必要はないと考えています。--Goki 2009年4月9日 (木) 00:15 (UTC)

曖昧さ回避後の項目名について

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芸術作品に関して「項目名 (分野)」という記事名の付け方を回避する案をWikipedia‐ノート:記事名の付け方にて検討しています。Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 音楽での発案を受けてのものです。宜しければ議論にご参加ください。--ヘコー 2009年4月14日 (火) 00:52 (UTC)