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Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/Fotosintesi

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Co.kyotoさんのコメントについて

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co.kyotoさんは、私にネガティブな印象を持たれているから、その例をあげたのでしょうが(誤解なら失礼)、当時、私が保護に反対した気持ちは今も変わりません(幸いそのときの「編集合戦」の当事者は私ではありませんでしたが)。管理者は履歴だけ追って、保護をかけたのでしょうが、実際の編集はそれほど大したものではありませんでした。 保護依頼を出したco.kyotoさんが、仲介の努力を一切せずにいきなり保護依頼に出したことを質問すると、自分は内容をしらないから仲介はできないとお答えになりました。内容がわからないのになぜ保護依頼が出せたのか疑問です。当時も書きましたが、管理者がブロックと保護を濫用して恐怖政治をしき、参加者も強権による治安を望み、すすんで密告を行い、プロジェクトの運営方針について合理的な議論をきらって常に「それは規則で決まっている」を振りかざして思考停止してしまうようになれば、もはやブラックユーモアの世界です。オープコンテクストの精神を掲げるwikipediaで記事の保護をかけてしまうことは、民主主義国家で戒厳令を敷くような最悪の事態であり、極力避ける努力をするべきだと私は思います。対立は真剣な議論にはつきものです。それなのに保護依頼をした人間が、わたしは通りすがりの喧嘩を通報しただけであとはしらねえ、というお答えはあまりにも無責任だとわたしは思いました。--fotosintesi 2007年2月20日 (火) 15:03 (UTC)多分名前欠けの部分を補填--co.kyoto 2007年2月20日 (火) 19:49 (UTC)[返信]

まあ、ネガティブな印象を持っていることは否定できないでしょう。あの例(あの例以外にfotosintesi氏と接点はないですが)を挙げたのも多分にその印象が強かったことと、ノート:みのもんた#保護に対する抗議を見て「まだやっとんのか」感があったから挙げたわけです。しかしまあ、ネガティブな感情を持ってはいても、ブロック賛成票投じるだけの根拠は見出せなかったし、あの状態で賛成投げれば私怨以外の何物でもないので、コメントのみとしました。補足として、まだ積極的に反対をするだけの材料もありません。そういった、姿勢を見せずにコメントのみ投げっぱなしという態度自体が無責任ではないのかといった向きもあろうかとは思いますが。
ブロック依頼のノートの趣旨からは外れますが少し。fotosintesi氏の仰ることはわからんでもないです。「管理者の意識」とか「方針を金科玉条とした思考停止」とか、そのケはあるとは思いますし、個人的には保護解除ももう少し緩めになされていいのではないかと思っていたりもします。しかし、現実問題として、そういうメタ議論は保護の方針のノートなり井戸端なり、しかるべき場所でやって初めて有効に議論が始まります。記事本体に編集合戦が起こって保護されているところで、編集合戦の原因となった問題を解決するのではなく、メタな議論をぶち上げるから問題視されるんじゃないんですか、というのが偽らざる感想です。
もうひとつ、本当に真剣な議論をしているのなら、保護がかかろうがいずれ合意がなされて保護解除という流れになるでしょう。どうもfotosintesi氏の視点のうち不思議で仕方ないのは、ノートまで保護された場合なら戒厳令に例えるのも理解できなくはないですが、現実には、議論の場所がり、議論から保護解除への道筋も示されているわけです。また、まともな議論をやっているところであれば(頭を冷やさせるための3RRブロックはあるにせよ)、議論の片側一派をブロックして議論を終結させる、なんてこともないでしょう(私が知らないだけでそういう現場が多く見られるのであれば、ポインタ示していただければありがたいです)。
ノートで有効に議論が紛糾する分には、いくら紛糾しようが記事本体に保護はかからないですが、それを記事本体に編集合戦を起こすから保護されるわけです。「内容がわからないのになぜ保護依頼が出せたのか」という疑問に対する答えもまさにこれで、「内容の深いところまで知らなくとも、記事本体を編集合戦で燃やしている、という程度の認識はできるからだ<*1>」という返答になります。(どうして編集合戦が起こっていたら保護しなければならないのか、まで説明の必要がありますか? 求められればしますので、会話ページにお越しください)
また、本当に真剣な議論で対立しているのであれば、記事本体が保護されようが議論は続けられるでしょうし、議論に決着がつけば保護は解除されるでしょう。要するに「記事本体は編集合戦が起こったため保護されましたが、議論を続けてください。議論に決着がつけば保護は解除されます」としか言いようがないです。
確かに、保護がかかった時点で議論の場から離れてしまう人が多いという事実はあり、保護がかかると議論そのものが停止することもままあり、保護のまま放置されている記事は散見されます。しかし、それを理由に保護しない、というようなメタな姿勢で問題が解決するとも思えませんし(9割方、編集合戦が延々続くだけと思われる)、方針をメタ読みして対処するような管理者は間違った方向の対処をしてしまう可能性も多分にあるので、よほど人間力がある人以外には勘弁願いたいとも思います。
--co.kyoto 2007年2月20日 (火) 19:49 (UTC)[返信]
<*1>ですから、まったく知らない・理解できない・完全に自分の知識の範囲外、などの分野・議論の記事だったらそもそも保護依頼しません。それが編集合戦なのか認識できない、保護する必要性がある問題なのか判断できないからです。--co.kyoto 2007年2月20日 (火) 20:06 (UTC)[返信]
<< 現実問題として、そういうメタ議論は保護の方針のノートなり井戸端なり、しかるべき場所でやって初めて有効に議論が始まります >>

その点において私は意見が違います。そのようなところに定期的に訪れている人はwikipedia利用者のなかの少数派でしょう。それをいいことに少数派の人たちの思惑や合意でwikipediaのプロジェクトが好きなように運営されていく姿は本来の精神から遠いものだと思います。一般ユーザーは管理者のボランティア精神に敬意を表しつつ、万能感の暴走を常に監視する必要があります。具体的な問題の対処にメタ議論を持ち込まなければ近視眼的な議論しかできません。逆に具体例のないところで議論しても抽象論に終わります。共同体は一つ一つの小さな問題の解決から多心円的に洗練されていくのです。co.kyoto さんのよな人までが、wikipediaを中央集権的にイメージされているのは意外です。しかも私のような一般ユーザーにとって重要なのは安らかな気持ちで知識の交換会ができることです。本来ノートの議論なんてしなくて済めばそれにこしたことはないのです。もちろんそのトピックについての一定の見識を持った人とのアカデミックな議論ならむしろ歓迎なのですが、料理をただ食いしたあげく、味付けにけちをつけ、料理人にいちいち個人レッスンをもとめるようなお客さんか殿様気取りの人たちに時間を奪われ、挙げ句の果てに広場まで封鎖されてしまうのでたまりません。co.kyoto さんの論理にそくすと、まるでノートが主で本文がおまけのようです。しかしほとんどのユーザーはノートになど興味はないのです。そしてノートに参加しているからといって、別に他のユーザーより偉いわけでもありません。あくまでもメインは本文です(当たり前の同義語反復ですが)。戒厳令下でも内輪のひそひそ話はできるのです。しかし、外出禁止ではwikipediaではありません。そのへんの意見が合わなければ、保護が先か、仲介が先かという議論もしても不毛でしょう。私は中途半端な介入をするなら放置してほしいとおもいます(もちろん無政府主義を唱えているのではありません)。そのうちもっとこじれて誰から見ても保護やブロックをしなければ収拾のつかない状況になるか、もしかした、奇跡的に合意が形成されるか、飽きて人が去っていって問題が自然解決するかもしれまえん。そうした可能性は試されるべきであるし、wikipediaのあちこちにローカルルールができるのもまたおもしろいじゃないですか。わたしはかつてヨーロッパの共同体の成立についてフィールドワークをしたことがあるので、なおさらそう思います。--fotosintesi 2007年2月20日 (火) 21:27 (UTC)[返信]

まだウィキペディアに関わって数ヶ月ですが、方針系文章の整備は中央集権型<*2>であろうと感じています。ポータル・ウィキプロジェクトレベルでは色々なローカル合意が成立しているのは知っており、いくつかスタイル的なものはガイドラインにフィードバックされたものもあります。しかしながら、記事レベルでのローカル合意が方針やガイドラインにフィードバックされた例は寡聞にして知りません。理念的なところでなく、現実問題として、それができる可能性は稀でしょう(原因はいろいろ思いつきますが、ここでは触れないことにします)。しかし、いくつかの具体例を基に、井戸端で提案され、全体の方針にフィードバックさせた例は知っています。Wikipedia:井戸端/著作権侵害の恐れがある記事に対する対処についてです。これも一部管理者の反発がありましたが、最終的には提案の本題が成立しました。こういう認識を前提として、「しかるべき場所でやって初めて有効な議論が始まる」という発言をしています。結局経験則ではないか、と仰られればその通りなのですが。
もうひとつ、本文はおまけではありません。しかし、議論するところでもありません。本文上で議論状態になってしまったとき(≒編集合戦)に、議論するならノートでやれ、という話です。
--co.kyoto 2007年2月21日 (水) 01:27 (UTC)[返信]
<*2>中央集権と書きましたが、別に特別な権力を持っているとかそういうことではありません。一極集中でやっているという意味、fotosintesi氏の発言を受けての便宜上の呼称、分散系との対比として、です。最初から集中系と書けばよかったのか。--co.kyoto 2007年2月21日 (水) 01:49 (UTC)[返信]

前半部分に説得力のある再反論をするには少し長い文章と例証が必要なので、今は許してください。

<< もうひとつ、本文はおまけではありません。しかし、議論するところでもありません。本文上で議論状態になってしまったとき(≒編集合戦)に、議論するならノートでやれ、という話です。 >>

初めて意見の一致が見られたようです。実際わたしも、いきなり本文で無茶なことをする人がいるとリバートをかけるときのコメントに「大幅な編集方針の変更はノートで議論を経てから」と付け加えることにしています。しかし、警告も介入もなくいきなり本文に保護をかけてしまったら本末転倒だと思います。本文がオープンであるところが、wikipediaのアーキテクチュアの神髄な訳ですから。だから「戒厳令」というたとえを使ったのです。コメント欄が解放されているwebページはいくらでもあります。--fotosintesi 2007年2月21日 (水) 22:16 (UTC)[返信]

記事の大幅削除などをおこなわれた場合など、保護はその無茶な編集を行った人の目的達成となってしまいます。--fotosintesi 2007年2月21日 (水) 22:32 (UTC)[返信]
後段については、Wikipedia‐ノート:保護の方針#保護を行う場合、必要に応じてrevertするべきではないでしょうかあたりが参考になるのではないかと思います。
上の節以外にも、保護方針のノートでいくつか問題提起はされていますが、あれでは方針に影響を与えることはできないだろうなあというのが正直な感想です(議論と提案の”筋が悪い”という感じ)。時間と余裕があれば取り組んでみたいところではあるのですが…。
--co.kyoto 2007年2月22日 (木) 01:35 (UTC)[返信]
これは典型例であるわけですが…。--fotosintesi 2007年2月22日 (木) 11:34 (UTC)[返信]
上でポインタ示したところで Tanuki_Z 氏が仰っていることの繰り返しになってしまうのですが、結局、その例にしても、記述削除を是とするか非とするかでノートで議論になっているわけで、それを管理者の判断で「是」「非」と決めて特定の版で保護することは最も避けられるべきでしょう。管理者にはそこまでの権限はありませんし、また、同じところのTanuki_Z 氏の発言から引用しますが、「編集合戦が生じる可能性があるあらゆる記事についてその一々の編集の正確性や妥当性が確認できるような知識が前提として求められてはいません。そもそもそんな人間は存在しないでしょう」というのが私も同感でして、管理者の判断が正しいとは限らないわけです。fotosintesi氏はその辺管理者に求めすぎではないかなと感じます。そういう意味では、「保護するぐらいなら放っておいて欲しい」という意見もわからないではないのですが、それはあくまでfotosintesi氏の意見に過ぎず、管理者は「編集合戦+保護の方針→保護」というルールに沿って動くでしょうし、動かざるを得ないでしょう(議論が堂々巡りしている気が…)。あと、やっぱり、保護されたことについて、その記事の場で保護についてのメタ議論を繰り出すのは、対応として”筋が悪い”と思います(これも上で言った繰り返しか)。良いことか悪いことは知りませんが、現実として、今のウィキペディア日本語版でそういう方向に進めると、大体話がこじれるというのが実際だと思いますよ。--co.kyoto 2007年2月22日 (木) 12:50 (UTC)[返信]
ご指摘のカ所は読んでおります。しかしなぜ、日本の管理者いきなりレッドカードばかり使うのでしょう?そのままゲーム進行できるイエローカードのテンプレートも色々ありますよね。それから、メタ議論に終始しているわけではなく、同時進行で内容の議論も続けているわけです。私はまだ異端児なのかもしれませんが、管理者の措置に異論があれば、いつでも一般ユーザーが反論するという空気はむしろあった方がいいと思いますがいかがですか?ヨーロッパに長く住んでいた身としては「道ばたでお上にたてつくのはいかん」的な風土にはどうも違和感を覚えます。--fotosintesi 2007年2月22日 (木) 14:02 (UTC)[返信]

前段、イエローカードにあたるものは、3RRの短期ブロックぐらいしか思いつかないのですが、他になにかありますでしょうか。後段、議論は同時進行~ですが、まず、同時進行で行っている議論は、記事内容の議論と、メタ議論です。で、メタ議論を持ち出すのがお勧めできない理由のひとつは、メタな議論の方の結果で保護解除されても、結局のところ、記事内容の議論の決着がつかないことには、記事の方針が定まらないので、あまり意味がないのがあります。また、メタな方の議論=保護についての是非であり、記事内容の方とは全く切り分けて議論する必要がありますが、大体の場合編集合戦になっているような場だと、記事の議論のほうで「敵」「味方」みたいな状況に陥ってしまっています。で、その敵味方問題がメタの議論まで飛び火して、ぐだぐだになる可能性が非常に高いです。また、こちらでは記事の議論をしているのにも関わらず、別なところでは議論を無視して保護解除しようとしている、的な反発もあるのではないでしょうか。いやまあ、想像に過ぎないわけですが、あながち外れでもないかなと思います。管理者の措置に一般ユーザが反論してもよいだろう、というのには同意できるのですが、多分その管理者の会話ページで異議を申し立てるなり、井戸端とかで問題提起するなりしたほうがいらぬ波風立たなくていいんじゃないかな、というのが私の考えです。日和見的ですけれども。--co.kyoto 2007年2月22日 (木) 14:29 (UTC)[返信]

短期ブロックはレッドカードでしょ(笑)。今でもいくつか「今度やったらブロックよ!」とか「今度もめたら保護よ!」てきな警告メッセージを管理者権限で当事者やノートに書き込むことは可能でしょうし、アーキテクチュアとしてはノートおよびその他の項目への書き込みは自由だが、問題の起きている記事へのそのユーザーの書き込みを3日間制限するとかは考え得るのではないでしょうか。それから、「保護されっぱなし」を防ぐため、鍵開けは基本的に鍵締めをおこなった管理者が責任をもつというルールもあっていいかもしれません。また前述のログにもありましたが、保護期間をあらかじめ決めておくこと、それも3日とか1週間とかなるべく短い期間にすることによって、wikipediaのオープン性を維持する(それが命なのですから)。

同時多発的井戸端会議という形態は日本ではまだまだ珍しいのでしょうが、ヨーロッパではわりとスタンダードな意志決定スタイルです。問題にぶつかるたびに当事者が立ち話をし、その脇でメタなことも語られ、混じったり離れたりしながらなんとなく物事が経験則的に決まっていくヘリテージ方式の意志決定スタイルもあるということはご記憶下さい。 --fotosintesi 2007年2月23日 (金) 10:42 (UTC)[返信]

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  • (コメント)自分のしていることが、フェアかアンフェアか、高邁か卑俗か、寛容か狭量か、openかclosedか、sharedかexclusiveか、子供たちに見られても恥ずかしくないかうしろめたいか、それだけです。--fotosintesi 2007年2月19日 (月) 19:22 (UTC)[返信]
  • (コメント)すぐ上記のfotosintesi氏は被依頼者ですが、率直に言って弁明にもなっておらず意味が不明ではないでしょうか。元の流れからすべてにおいて言えることですが、当人の中でのみ通用する理屈(詭弁も含めて)をかざし、様々な箇所で問題となっているようでしたら、今後もその根本変えて頂かないと、同様のことを繰り返すと思いますが。長期か、無期限やむなしかと。--Huskys 2007年2月20日 (火) 03:11 (UTC)[返信]
  • (コメント)ノート:みのもんた#保護に対する抗議において、保護解除に向けた合意形成ではなく、単なる管理者への抗議と意見を記述。記述する場所も内容も、Wikipediaの方針から逸脱している。--kira727 2007年2月20日 (火) 05:50 (UTC)--(追加)若干会話してみたが、もう付き合いきれないので無期限。--kira727 2007年2月20日 (火) 06:43 (UTC)[返信]
  • (コメント)ノートでの議論を通して、私自身についてはfotosintesi氏に対しての悪印象は大分消えました。ただ、fotosintesi氏が関わった議論が混乱したり、議論相手から問題視される理由もなんとなくわかりました。また、ブロック依頼理由に挙げられた各行動を見回してみると、問題と感じられるものは多いのですが、相手側の対応にもいささか問題点があると感じられました。そういうわけで、やっぱり積極的な賛否は付けられません。あと、些事ですが「保護依頼テンプレ剥がし」は「保護テンプレを保護依頼に使う」こと自体が弱い慣習法ぐらいのものですので、脇を固める程度ならいいですがそれ自体を殊更に問題視することはできないかと思います。>Huskys氏--co.kyoto 2007年2月22日 (木) 13:18 (UTC)[返信]
    • どうでしょうか?いささか、心情的な同情的なものを持ち込んでいるきらいがあるように感じますが、如何でしょう。fotosintesi氏の、この場や各当該記事ノートでの理屈は、ウィキペディアのルールを結局、自己のしたい記述を合法だと言いたい「我田引水」的なものを感じます。当人は、kira27氏に対しても他所で「私怨でのこと」と断定していますが、当人の各所でしてきた経緯を見るに、先にそれありきで、私も含めて問題視しているのではないでしょうか?そうである限り、投稿ブロック依頼において、指摘と批判が多くなるのは、他の依頼を見ても明白かと思います。勿論、明らかに個人的感情のぶつけ合いは不毛ですが、依頼含め、それをいちいち感情的だと言っていては始まらない気もしますし、本質がずれてしまいます。あと、保護テンプレ剥がしは大きな問題ではないと仰りますが、間違いを除いて、即それ自体で荒らし行為=投稿ブロックの対象となりますよ。もっとも、別にそれだけを取り上げているのではなく、当人の一連の反復し、自分が他の人々に、何をいけないと言われているのは、あまり理解をしようとしない行為を見るに、おのずと副次的な問題になっていますが(苦笑)。--Huskys 2007年2月22日 (木) 13:35 (UTC)[返信]
      • (コメント)まあ、その辺も含めて、コメントに留めているとご理解ください。少なくとも、私は現段階では会話が成り立っていると感じていますので^^;。 相手側の対応~という発言の補足ですが、発端が相手側の問題だと思ったものもいくつかあるので、ああいう書き方になっています。また、下に追記したところを参照していただきたいのですが、「~重大な違反をしつこく繰り返すこと」には、「重大」とまで当てはまるかどうか私には判断しづらいです。「~従うことができないことを示すふるまい」にはやや当てはまっていると思いますが、現段階ではまだノートの議論に決着がついていないので、そうだ、と明言できないです。あと、保護テンプレ剥がしのことですが、ここを見てもらえるとわかるのですが、「保護依頼時に張ってよい」という明文規定自体がないので、原則論としては、それ単体で即荒らしブロックというのはいささか過剰反応ではないか、と思います。まあ、副次的な~には同意しますので、最初に書いたとおり些事なんですけれども。全くの蛇足ながら、コメントにコメント返すを繰り返すと際限が無いので、適当なところで打ち止めにして頂ければありがたく。コメント返し合戦になったらそれだけで依頼がぐだぐだになるのが傾向なので……。--co.kyoto 2007年2月22日 (木) 13:50 (UTC)[返信]
        • コメントにコメントを返して、ここが議論の場になるのは違うし、何より依頼が収拾付かなくなる、というのは、私も同感でした。呼びかけられた?気がしたので返してみましたが、私も、ここを見づらくする気はまったく本意ではないですので、この辺で。--Huskys 2007年2月22日 (木) 14:11 (UTC)[返信]
      • (コメント)事務的なところで確認。依頼者はWikipedia:投稿ブロックの方針を持ってきているのですが、現在動いているのが改定案なので、改定案#追放より、Wikipedia:追放の方針のうち「NPOVや検証可能性のような、ウィキペディアの内容の方針に対する重大な違反をしつこく繰り返すこと」「ウィキペディアの基本方針とガイドラインへ従う気がない、あるいは従うことができないことを示すふるまい」を適用するということでしょうか。--co.kyoto 2007年2月22日 (木) 13:50 (UTC)[返信]
        • (コメント)依頼提出時点では投稿ブロックの方針に相当していたと判断出来る状態であったと思います。依頼提出直後は被依頼者の行動に変化はないように思われますが、ここ一両日はとりあえず対話をするようになっています。これをもってWikipedia:追放の方針に移るとみなされるのであれば、co.kyotoさんの言われるとおりだと思います。ただ、投稿ブロック依頼が出るまで変化が見られなかったのは何故なのかという疑問は持っています。
  • (コメント)苦言です。被依頼者に対してブロックをかけるべきだという意見はかわりませんが、依頼者のkira727さんが冷静さを失いつつあるのが気になります。感情的なコメントをいちいちここへ持ってこない方が対処が早いと思うのですが。今のここを管理者が見てもただの喧嘩だと思って取り合わないでしょう。--しゃっふる。 2007年2月22日 (木) 03:38 (UTC)[返信]
  • (コメント)

「無期刑ににおいて、独自研究及び中立的観点に立脚しない投稿を繰り返している」「対話を拒否(無視)して2度の編集を行っている」「ノート:勝谷誠彦#中立的な観点での議論進行中の記事リバート」「ノート:筑紫哲也 NEWS23#編集方針、山本モナ、拉致報道、その他における記事とは無関係な記述及び論評の記述をする理由を記述せず」「ノート:勝谷誠彦#TV番組内発言の引用、再現についてにおける合意を得ない記事復旧(履歴)」「 嫌韓における、ノートでの削除理由提示に対する無視(履歴)。要約欄で異論を求めておいて回答せず」「ノート:死刑執行での議論進行中、対話もせずに記事を編集」「同氏の会話ページにおいても対話拒否もしくは無視の傾向が見られる。 」「各記事におけるテンプレートの扱いについても自己中心的な行動が見られ」「編集の傾向として、各記事のノートでの議論を経ない・過去の議論や経緯を踏まえない点が多く見られ(例:ノート:みのもんた)、記事内容を追加することと削除することが『編集』という意味で同等であるということへの理解が不足している。」「過去にも編集合戦、暴言でブロックを受けており、Wikipediaの方針に反する行動に改善が見られない」


など、たくさん例を挙げていただいたのですが、いったい誰が、その論評の妥当性や中立的を検証できますか?すべてのリンクをたどって、本文とノートと履歴の時間をつきあわせて調査しますか。もちろん私にはその労力を費やす時間も体力もありません。しかし、私は主張します「それらはフェアな要約ではない。かなり偏っている」と。ただ、第三者の方がもっとも最小の時間でおおまかなアウトラインをつかむには、無期刑の本文記事とノート:無期刑をごらんになって下さい。私は無期刑を初稿から起こしましたが、今回の経過はだいたいそこに縮図のように集約されているのではないでしょうか。それでもわたしが、wikipediaの方針にそぐわないユーザーだということなら投稿ブロックも甘んじて受け、二度と日本語版のwikipediaプロジェクトに参加することもないでしょう。私の『態度』を問題にされる方がいらっしゃいますが、wikipediaプロジェクトが国際的なプロジェクトである以上、わたしの議論の仕方も国際スタンダードで行ってきたつもりです。完全な日本社会での特殊なコミュニケーション方法も処世術として知らないわけではありませんが、ここでそれが優先されるとは思いませんでした。ずいぶん私は自己主張が強く持論を曲げない頑固な人間に映っているようなのですが、海外でそのような評価を受けたことがありません。というか、この程度の主張をしなければ、個が埋没してしまうのです。日本の一部ではいまだにディベートによる問題解決の手法が個人攻撃と混同されますが、まさかそれがwikipediaのスタンダードになるとは思えません。しかし、もしこの「多数決」が

<<投稿ブロック依頼は懲罰や個人攻撃・報復のための手段ではありません。[1] >>

という指針に反し、『私怨』を晴らし、『邪魔者』を排除するために行われるなら、問題視されるべきものでしょう。--fotosintesi 2007年2月22日 (木) 05:14 (UTC)[返信]
  • (コメント)忘れてました。そもそもこの「騒ぎ」の発端は、kira727投稿記録 )氏がノートでの議論を経ずにこれをおこなったっことに対して私がノートで抗議したことなんですけどね。なにか本末転倒になっているようで…。--fotosintesi 2007年2月22日 (木) 06:26 (UTC)[返信]
  • (コメント)やれやれ。Plisoner 氏は、かつて私の書いた厳罰化死刑執行の記事を2度までも白紙化して、よその項目へのリダイレクトテンプレートを貼っただけで「統合」と称し、さらに3RR逃れに今度は記事にリンクしていたすべてのインターリンクを改ざんするというとんでもなく手間のかかることをして、いまだにあちこちで私の執筆妨害をしており、kira727氏やchiyohime氏を凌ぐ私の大追っかけファンですが、こんどは、私とこれまでに意見の相違のあった可能性のあるすべてのユーザーにこちらへのお誘いのメッセージを送っています(投稿記録)。なんと涙ぐましい努力。嬉しい。ほとんどのユーザーはWIKIPEDIAの裏でこんな陰湿なことが行われてることは知らないでしょうね。もう少し取材して「nipponn WIKIPEDIA裏事情」って本でも出そうかな。外国の雑誌にも売れるかも…。そのときは取材お願いしますぅPlisonerさん。--fotosintesi 2007年2月22日 (木) 15:48 (UTC)[返信]
    • (コメント)co.kyoto様が上で「相手方の対応にもいささか問題点がある」とおっしゃていたので、その相手方の人達にも聞かねばならないと考えたまでですよ。取材の件は遠慮させてください。--Plisoner 2007年2月22日 (木) 17:18 (UTC)[返信]
  • (コメント)Plisonerさんにコメントを求められましたので、書かせていただきます。現状で「無期限ブロック」というのは重過ぎると思います。ちょっと熱くなりすぎていらっしゃるようなので、1ヶ月くらい、自主的なウィキブレイクをおすすめします。できればその間に、ご自分のブログかWEBサイトをお作りになって思う存分ご意見をお書きになり、ウィキペディアでは他のユーザーと合意の取れるような中立的で控えめな表現を心がけられるよう希望します。ただし、fotosintesiさんだけでなくほかの皆様もかなり熱くなっていらっしゃるようなので、それぞれクールダウンしていただければと思います。なお、私はどちらかというと、fotosintesiさんが上であげておられる無期刑のこの編集に関しては、Kira727さんの編集を是とするものです。--miya 2007年2月23日 (金) 01:48 (UTC)[返信]
    • なお、ウィキペディアにおけるノートは "discussion" のためのスペースであって "debate" のためのものではございません。念の為。--miya 2007年2月23日 (金) 02:01 (UTC)[返信]
  • (コメント)「ウィキペディアにおけるノートは "discussion" のためのスペースであって "debate" のためのものではございません。」というのは、どこからきた見解なのでしょう。また "discussion" と"debate" とは具体的にどう違うのでしょう?例示はどちらかの編集を支持するかということではなく、議論を経ずに一発でああいう削除がおこなれたということです。もし、内容に関するご批判をされるならば、現在進行形で議論の進んでいる最新版をごらんになってください。アドバイスありがとうございます。自首的?(自主的)ブレイクの件検討します。--fotosintesi 2007年2月23日 (金) 02:57 (UTC)[返信]



本文より移動。--PeachLover ももがすき。 2007年2月23日 (金) 10:46 (UTC)[返信]

    • (コメント)被依頼者の現在までのさまざまな場や、ここにしても、弁明を越えて「自己正当化の場」にしてしまっている姿勢を見るに、自主的なウィキブレイクなんて取ることを願うなど、率直に言って現実的なことでしょうか?やや、性善説に過ぎている気もしますが。--Huskys 2007年2月23日 (金) 10:42 (UTC)[返信]
  • (コメント) どうもキーワードは「持論に固執」や「態度」ということのなるようなのですが、ノートで持論を述べることはいけないことですか?それに対して持論を合理的に言葉で説明できない人たちが問答無用的な対応をしているというのが私の偽らざる感想です。本当に持論と持論とのぶつけ合いが行われて、私がそれでも「持論に固執」して周囲に「迷惑をかけた」例があれば教えてください。それから、(私怨や政治的理由やらで)ストーカーのように私を追い回して個人攻撃を続けるユーザーにはこれまでwikipediaは効果的な対応策を提示してきませんでした。これはされる側にしかなかなかわかりにくいものです。気にしすぎだ、疑心暗鬼になってるのだといわれて、最終的に大きな被害を受けた者が数知れないことは現実社会でのできごとでしたが、それがwikipediaでも起こっています。wikipediaが効果的な対応策を提示できない段階では自己防衛として、特別な対応もせざるを得ないし、それに対しては「察して」いただきたいと感じています。異物排除の法則はその社会を不寛容でどんどん窮屈なものとしていくことは歴史をみれば明らかです。私としてはwikipediaは完全記名式に移行した方がいいのではないかと個人的には思っています。また「演説」と非難されそうなのでこのへんで。--fotosintesi 2007年2月23日 (金) 10:17 (UTC)[返信]
  • 「本文にテレビ視聴報告や自分の感想のようなものを書くはおやめいただきたい」。書いてませんが。まさか削除部分の記述がすべて私の記述だと思っていないでしょうね?それから独断でこのページの記述を何度も選択的にノートに移動する編集「態度」は問題ないのでしょうか?--fotosintesi 2007年2月23日 (金) 11:04

(UTC)

    • 書いています。みのもんたが何をしゃべったなどと逐一報告したり、顔を見ない日はないなどとあなたの感想をかいています。また、審議は対話の場ではありませんから、ノートに移動するのは問題がありません。場をわきまえて下さい。--PeachLover ももがすき。 2007年2月23日 (金) 11:55 (UTC)[返信]
      • 書いていません。「顔を見ない日はない」など私の感想を書いていません。誤解しないで下さい。それにしてもご自分の意見は堂々とメインに残し私の反論はすべて削除し、時間をおいてノートに移動し、やってもいないことで誹謗ですか?困った人ですね。--fotosintesi 2007年2月23日 (金) 12:01 (UTC)[返信]

誤解はしていませんのでご心配なく。私の意見は、賛否を表明しているもの、及びその期間とタイミングについてのもので、しかもコメントへのコメントではありません。あなたの「反論の場ではありません」。反論はノートでして下さい。ノートに移設したのであって、削除はしておりません。wikipedia:投稿ブロック依頼/VON01をご覧下さい。状況が似ているような気がします。--PeachLover ももがすき。 2007年2月23日 (金) 12:21 (UTC)[返信]

  • (苦情)わたしが指摘するとまた応酬のように思われるのでどなたか心ある方が指摘してくださるのを待ちましたがちょっとこれはひどすきませんか?これこれこれこれ。日々こうした「編集方針」をとる方たちの脅威に晒される一般ユーザーの苦労をご理解下さい。--fotosintesi 2007年2月23日 (金) 12:22 (UTC)[返信]
審議の場で対話しないで下さい。苦情や警告というコメント方法はありません。何がひどいのでしょうか?可読性を確保しているだけです。あなただけが演説をして良い場ではありません。他のユーザーは言いたいことがあるかもしれませんが審議の場でそのような長舌を振るうことは控えています。あなた一人自由に発現する場ではありません。場をわきまえ他のユーザーと調和を取ることをを苦労と思うなら参加しなければ良いでしょう。--PeachLover ももがすき。 2007年2月23日 (金) 12:28 (UTC)[返信]
  • あなたが移動したのは私のコメントだけでははありません。あなたは私のすべてのコメントをノートに移動しました。またあなたは、別の方のすべてのコメントをノートに移動していません。それはなぜですか?--fotosintesi 2007年2月23日 (金) 12:39 (UTC)[返信]
  • (コメント)PeachLover氏の恣意的で選択的なコメントのノートへの移動。事実に基づかないコメントでの誹謗。投稿記録に見られる「気に入らないユーザーの追放」姿勢や、排他的削除行動、ノートで指摘されたリンク先を見てもわかるように投稿ブロックをリンチや追放の手段と考えている等、審議参加に不適当と思われます。--fotosintesi 2007年2月23日 (金) 15:52 (UTC)[返信]

ノートでやるべきものを移動しただけです。何ら不適切とは考えていません。これ以上別に言うこともありません。--PeachLover ももがすき。 2007年2月24日 (土) 09:47 (UTC)[返信]