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Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/Anonanonanone

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回答

[編集]

Yapparina様に回答します。

性犯罪
最初はこれです。
(1)[……]しかしその一方で、一部に性犯罪を多数回繰り返す者が存在することも判明している。これらの者は、特に性犯罪を繰り返す傾向が強いものと認められる。[14]。
Anonanonanone氏は以下のように修正しました。
(2)[……]しかしその一方で、一部に性犯罪を多数回繰り返す者が存在することも判明している。これらの者は、特に性犯罪を繰り返す傾向が強いものと認められる[14]。
この編集では、「しかしその一方で、一部に性犯罪を多数回繰り返す者が存在することも判明している。」は無出典記述になります。修正するのであれば、
(3)[……]しかしその一方で、一部に性犯罪を多数回繰り返す者が存在することも判明している[14]。これらの者は、特に性犯罪を繰り返す傾向が強いものと認められる[14]。
(4)[……]しかしその一方で、一部に性犯罪を多数回繰り返す者が存在することも判明している。これらの者は、特に性犯罪を繰り返す傾向が強いものと認められる。[14]
とすべきです。他の編集も全て同じです。なお、私は「文1。文2。[出典]」とする事を推奨しているわけではありません(むしろあちこちでこの有害性について力説しています)。そして、利用者‐会話:Anonanonanoneにて軽く説明しています。それに対し「理解できない」と言ってくる人には更なる説明もしますが、何も言って来ず問題編集を繰り返す人には対応しようがありません。

--JapaneseA会話2018年12月29日 (土) 04:21 (UTC)[返信]

返答しやすいように例文に番号をふらせていただきました。ご了承ください。
まず、(2)に対して『この編集では、「しかしその一方で、一部に性犯罪を多数回繰り返す者が存在することも判明している。」は無出典記述になります』とおっしゃりますが、そのように見做されるかどうかは、ウィキペディア日本語版内部で限ってもコンセンサスがあるわけではないですよね。方針・ガイドライン上でも、(3)か(4)のように書かなければいけないなんて記述は存在していないですし、実態としての編集者間での慣習という面においても、そのようなコンセンサスはないはずです。(2)のような出典位置でも、後文句点前に置かれた出典が文脈的に続く前文の出典も兼ねていると見做すのは、世間一般の文章作法の一つのはずです。私自身も、(3)のように書くときもあるけど、(2)のようなスタイルで記事を書くときも多い。現在のメインページで掲載されている良質な記事の貨幣史という記事も(2)のスタイルで書かれているようです。
加えて、(1)の文章は、「……と認められる。[14]。」と句点が脚注前後に存在して明らかな誤記の状態です。これを(2)の状態へ素朴に誤記修正するのは、とても普通の感覚だと思うのですよ。また、元々の文が「……と認められる。[14]。」だったのだから、元々の文は、句点後に脚注を示して(4)のようにしたかったのか、それとも(2)のようにしたかったのか、意図は明白ではないです。(Help:脚注の脚注で書かれているように、きちんと(4)のように書かれていたとしてもそれだけでは明白に意図は伝わらないですけど、それは置いておきます)。(4)のようなスタイルで書かれていた文なのか、(2)のようなスタイルで書かれていた文なのか、なんとも言えない文を誤記訂正して(2)のスタイルにしただけと言えます。
まとめると、(3)と(4)のようにしなければならないと明記されたルール・コンセンサスの不在と、元の文が誤記を抱えていたことによるどういう思想で出典を示そうとしているのかの分かりにくさ、これらを鑑みれば「悪しき編集」といえるものではないですよね、というのが私から説明したいことです。--Yapparina会話2018年12月29日 (土) 20:55 (UTC)[返信]

コメント 悪しき編集です。本ケースでは、「しかしその一方で、一部に性犯罪を多数回繰り返す者が存在することも判明している」の文も出典の範囲でした。よって(2)のようにするのは誤りです。(1)の状態は、仰るように「明らかな誤記の状態」ですので、これを見た人が(3)や(4)の状態に修正できるチャンスがあります。(2)の状態にする事は、(3)や(4)の状態にするチャンスを奪います。「(3)と(4)のようにしなければならないと明記されたルール」は、Help:脚注より引用します。

  • 脚注は多くの場合、一つの文を説明対象にします。この場合は、句点(。)の後でなく前に脚注リンクを置きます」。
これは(3)の肯定です。
  • 段落全体など、比較的広い範囲の文章に対してひとつの脚注が対応することもあります。(中略)段落全体に対する脚注の注番号が、段落の最後(段落を構成する最後の文の句点の後)に置かれていることもあります
これは(4)のケースもあるという説明です。

これらより(2)は否定と考えるべきでしょう。貨幣史が良質な記事とされるのは、その点を誰も気づかなかったか、それ以外の部分が素晴らしかったのでしょう。いずれにせよ編集に異論が出ていて、その編集を続ける事は対話拒否です。--JapaneseA会話2018年12月30日 (日) 05:29 (UTC)[返信]

  • コメント 少なくとも性犯罪の件では『これらの者は、特に性犯罪を繰り返す傾向が強いものと認められる[14]。』となっていますが、「これらの者」は明らかに前文の「一部に性犯罪を多数回繰り返す者」を指しているため、この句点位置でも「一部に性犯罪を多数回繰り返す者が存在すること」に出典が付いている状態となり、すなわち前文の「しかしその一方で、一部に性犯罪を多数回繰り返す者が存在することも判明している」が無出典記述になるという指摘は誤りです。--新幹線会話2019年1月14日 (月) 16:37 (UTC)[返信]
私の指摘は「誤り」とは思いません。貴方と私の見解の相違でしょう。「これらの者」をそのように解釈してくれる人ばかりではありませんし、被依頼者がそのように考えて句点を移動したとは思えません。いずれにせよ、対話拒否状態です。--JapaneseA会話2019年1月14日 (月) 16:47 (UTC)[返信]