コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

Wikipedia‐ノート:善意にとる/過去ログ1

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

これは、この版の和訳です。--一般人 2006年5月22日 (月) 01:15 (UTC)

公式な方針?

[編集]

採択せずに方針というのは問題あるんじゃなかったですか。johncapistrano 2006年5月12日 (金) 00:46 (UTC)

{{draft}}に置き換えたほうが良いのでは?というより、いつの版からかという指定すらありませんね。
NewComerさん、基本方針の英語版からの導入ありがとうございます。持ってきていただくのはありがたいのですが、できれば経過が分かるように、Wikipedia:独自の調査同様、
「英文を版指定の上で転記→日英対訳提示→日本語のみにする→推敲」
という形でお願いしたかったと思います。これはいつの版の翻訳ですか?--miya 2006年5月12日 (金) 02:01 (UTC)

やっぱり、そうですか。日本語版ポリシーの作成手順及びその採択手順についての記述を探して見たのですが、発見できませんでした。ポインタ(URLs)をご教示頂きますれば助かります。翻訳問題に抵触するのでは?と若干不安もあったのですが。翻訳開始時点の版は、これです。現時点では、この版です。ポリシーの場合は、翻訳ルールは、適用されないんですか(翻訳とは別扱いになるのでしょうか)?--一般人 2006年5月12日 (金) 07:26 (UTC) 追記:ただ、この記述「ノートが存在しないか、ほとんど議論されていない場合には、慣習に基づくものか他国語版の文書を訳したものです。」が、私に翻訳を開始させました。--一般人 2006年5月12日 (金) 08:36 (UTC)

翻訳ルールも要約欄に版を明示するように求めています(Wikipedia:翻訳FAQ#ウィキペディア間での翻訳
ポリシーの作成・採択手順は明文化されていないかもしれませんが、Wikipedia:基本方針とガイドライン#方針を決める方法には「公式な方針はウィキペディア本体で同意を得なければなりません。」とあります。翻訳した文書を「採択」するかどうか、日本語版での同意を得ないまま「公式な方針」と書くのは乱暴です。早急すぎると思います。(訂正2006年5月16日 (火) 01:29 (UTC))
方針やガイドラインは、日本語版のウィキペディアンに{{draft}}を示し、採択するか同意を求め、合意が得られるか、少なくとも一定期間反対や訂正がないか待ってから「公式な方針」「ガイドライン」とすべきでしょう。というわけで、{{draft}}に貼り替えました。井戸端で告知して、意見を募りましょう。--miya 2006年5月13日 (土) 23:32 (UTC)
「乱暴です」とはかなり意味の強いお言葉で少し心を痛めてしまいました。なので、ここに説明を追加しておきます:英語版に合わせただけです。他意はありません。--一般人 2006年5月14日 (日) 08:20 (UTC)
ごめんなさい。言葉が過ぎました。--miya 2006年5月16日 (火) 01:29 (UTC)

この訳者の場合

[編集]

確かに、英語版は、複数の注意深い編集者や注意深くない編集者、はたまた、英語を母国語としない編集者も加わっての編集になっていますので、文調が突然変化したり、人称が合致していなかったり、と翻訳上の問題がありますね。私の場合は、意味不明な場合には、可能ならば、その履歴を見て編集者を特定しその編集者へ直接問い合わせることにしています。もしくは、可能な場合には、自分で英文の方を編集します。日本語ウィキペディアと云えども、日本人だけが参加しているとは限りません由、英語版も日本語版も同じ意味とその雰囲気が伝わる様にと、個人的には、心掛けています。--一般人 2006年5月12日 (金) 09:35 (UTC)

方針かガイドラインか

[編集]

これは「公式な方針」より「ガイドライン」とすべき種類のものではないでしょうか? 英語版でも2006年5月5日まではガイドラインでした。これを方針に格上げされたのは、NewComer(一般人)さんですよね? 英語版ではどのように議論して格上げを決定されたのでしょうか?

  • 公式な方針
    英語版では2006年5月7日 (日) 08:57以降、「policy」とされています。
  • ガイドライン
    英語版では2006年5月7日 (日) 08:57まで、「guideline」とされていました。

Wikipedia:善意にとるを方針とするかガイドラインとするか、ご意見をお願いします。--miya 2006年5月13日 (土) 23:32 (UTC)

  • 英語版では、特に議論はしていません。{{policy}}にふさわしくないと思う人が現れたなら、その人は{{guideline}}に戻すのでないでしょうか。私個人としては、戻されたなら戻されたで構わないと思っています。「まだ、総意が得られていなかったのだな」という理解をするだけですから。日本語ウィキペディアについても同じ認識でこの翻訳を行いました。仮に、本稿が削除判定となったとしても、それがここの総意ということであれば、残念ではありますが、それ以上の感情を抱くつもりもありません。よしなにお取り計らい下さい。--一般人 2006年5月14日 (日) 08:04 (UTC)

Jimbo Wales氏のこの質問に対する返事を紹介しておきます。

Outside of some very broad basics, no. In general, local projects are free to set the policies they need, depending on local culture, local experience, etc. Some of the very broadest principles are of course applicable everywhere: NPOV, free licensing, kindness to others, etc. But the details can and should vary everywhere.--Jimbo Wales 02:46, 15 May 2006 (UTC)
幾つかの非常に広い基本を除いては、違います。一般的には、そこの文化、そこの経験、その他に応じて、ローカル・プロジェクトが必要なポリシーを設定するのは自由です。(次の)幾つかの最も広い原理は、勿論、あらゆる場所で適用できます;NPOV、フリー・ライセンス、他人への親切、など。しかし、その詳細はあらゆる場所で様々であってもよろしかるべきです。--Jimbo Wales 02:46, 15 May 2006 (UTC)

一般人 2006年5月15日 (月) 07:46 (UTC)

誰もいずれ方針とすることには反対していないと思います。方針として採択されるべきであっても日本語化や方針化の手続きは適切に行うべきでしょう。johncapistrano 2006年5月15日 (月) 08:36 (UTC)
その明文化が強く望まれます。Who knows what is not written here in Wikipedia?. The only way is to make a mistake. Don't repeat the same mistake again!! This is also for Japanese Wikipedians tomorrow.--一般人 2006年5月15日 (月) 10:37 (UTC)

原理?原則?

[編集]

Principle は原理の訳で良いのではないでしょうか?ウィキペディアの基本原理はそれが原理であるが故に、文化を越えて、言語を問わず適用できる、という意味での原理です。--一般人 2006年5月20日 (土) 05:07 (UTC)

一般論としては、原理のほうがたいていはいい訳ですね。"In principium, erat Verbum" という句の響きがこの語にはあるとおもってます。ウィキペディアがウィキペディアたりえるのは、これこれの principle があるからだ、という感じで、適応できるできないというのとちょっと違うように思います。その解釈なら原則とやってもいいように思うのですね。ただ日本語とするとき原理では生硬に過ぎる場合もあって、私はそういうときは「基本原則」というふうに逃げることもあります。--Aphaia 2006年7月1日 (土) 07:03 (UTC)

Your profile on eml

[編集]

Hi, I'm the check user admin of the eml wikipedia. I saw you registered and saw your page. While technically OK, I suggest you set up a simpler, english oriented page, then set up a link to your profile. I'm sure almost nobody can understand japanese in eml (we have about 100 users), whereas your contribution in english will be certainly of more impact.

Bye! Piffy, 2006年12月24日 (日) 09:00 (UTC)

「well-meaning」「good faith」の訳語について

[編集]

文中「世話好きな人」は「well-meaning people」の訳語のようですが、「善意の人々」などのほうが適切だと思います(ニュアンス的には、「悪気のない人でも(過ちを犯す)」くらいでしょうか)。
関連して考えたのですが、表題についても「善意にとる」は「Assume as good faith」の正確な訳ではないですね。正確に訳すと、「よい信頼を前提とする」くらいですかね。これで正しいとしても、改名提案すべきかどうかはちょっと考えるところではありますが。j8takagi 2007年4月14日 (土) 09:24 (UTC)

"well-meaning people" は「善意ある人々」「善意の人々」という意味でしょうね。
>善意の人々が間違いを犯したら、そのときは正してあげるべきです。
ぐらいでどうでしょう。改名については、もっとぴったりの訳が見つかったら、改めて提案することとして、それまでの宿題としてはどうかと思います。--miya 2007年4月18日 (水) 06:46 (UTC)

「善良な人々は間違いを犯しますし、そうしたときには正すべきです。」としました。「善良」にしたのは、「善意」が「good faith」の訳語になっているので区別したかったからです。

ちなみに、「good faith」については、「誠実」という訳語を当てるときもあるようです。もっとも、検索エンジンで見つけたブログを読むと、日米の文化の違いという問題もあるな、という気がしてきます。j8takagi 2007年4月22日 (日) 09:46 (UTC)

上記の該当箇所は文脈を考え「善良な人々間違いを犯しますし、間違いは正すべきです。」としました。--背番号9 2007年12月4日 (火) 06:47 (UTC)
今現在の文面「善良な人々でも間違いを犯しますし、間違いは正すべきです。」というのは、さすがにまずいのではないでしょうか。利用者の基準が「善良じゃない人」に受取れます。--Global H 2008年6月21日 (土) 02:39 (UTC)
よい表現に直していただければ幸いです。--背番号9 2008年6月21日 (土) 23:09 (UTC)

◆いいえ、直しません。理由は私の常識的な認識と、数人の利用者達との間で著しく異なっているからです。背番号9さんがご存知の通り、その部分をコメント頂いている最中ですよね。上記は私の視点からお伺いしていますので、それに対する返答は無いでしょうか(勿論、それが違っていても構いません)。誤解して頂きたくないのですが、もし、私の受取り方通りのことを表現されているのなら、直す必要はないと思います。--Global H 2008年6月22日 (日) 13:09 (UTC)

Global Hさんが仰られるような意図は持っていません。私は、単により自然だと私が思える日本語に変えただけです。それよりもいい案があり、もってウィキペディアが成長されるように改善されるのなら、どなたの手によってでも、どんな案であっても構いません。--背番号9 2008年6月22日 (日) 13:19 (UTC)

私の意図は「善良な人々でも」とは「標準が善良じゃない人に受取れるけど、いいの?」ということです。しかし、善良じゃない人に示すべき文章でもありましょうから、観点を変えれば正しいですよね。しつこいのも何ですし、背番号9さんが自然だと思えるご意見を尊重しまして、「善良な人々でも」とした事に合意致します。私の意見にご回答を頂きまして有難うございます。変な意図はないのですが、何か編集にいちゃもんつけたような形になって大変失礼致しました。--Global H 2008年6月23日 (月) 10:53 (UTC)

申し訳ないですが、Global Hさんが仰りたい「標準が善良じゃない人に受取れる」ことが、何となくしか伝わってこず、直そうにも何をどうしたらいいのかよく分かりませんでした。「より良くして下さい」という一般論しか言えません。いちゃもんとは思っていません。--背番号9 2008年6月23日 (月) 11:42 (UTC)

そもそもこの記事って

[編集]

方針に含めるべきなんでしょうか?「なるべく善意にとるようにしましょう」っていうエチケットの問題なんでは?(仮に公式化されたら善意にとらないと方針違反で除去って事になるのか?)--紅美鈴 2008年4月3日 (木) 07:32 (UTC)

例えば、Wikipedia:説明責任が果たせないなど、会話等の流れをひっくり返すのに善意にとるは用いられています。詭弁系の類を用いる人とか、自分に欠けている人(善意がない人が善意という言葉を使う)が好み、悪用される可能性は高いでしょう。--Global H 2008年6月21日 (土) 02:50 (UTC)
Wikipedia:安易に荒らしと呼ばないあたりが関連性があるところでしょうか。--Tiyoringo 2008年6月21日 (土) 02:55 (UTC)
順番にすると、三大方針よりもっと前の常識的な問題(エチケット等)ですよね。あまり言いたくは無いですけど、個人攻撃ではないという屁理屈(詭弁の類)では用いられていませんか。体験で言えば「ウソをつくなという本人ウソをつく」事件がありましたが、心得者の使い方と不心得者の使い方の違いを考えれば容易に判別できますよね? 言い方を変えれば、社会的責任がある人なのか、無い人なのかという問題ですから、正しい適用事例を掲載したら有意義だと思いますよ。私自身は生産者系なのですが、残念ながら好ましくない事例しか知りません。勿論、誰かに示したこともありません。仮に、過去ログ等から、個人攻撃に用いたり、コミュニティを盾に誘導や先導的に用いている事例があれば正してあげるべきですよね(ブレーキとして)。また、そういった「善意にとる」方針を盾に正義を振りかざす事例が際立つようなら、百科事典であるウィキペディアの存在そのものが問われる深刻な問題ではありませんか?--Global H 2008年6月21日 (土) 14:16 (UTC)
(この草案に関する私見)この草案は、Wikipedia:説明責任と同じように、あまり相手に向かってとやかく言う種類のルールだとは私は思っていません。私自身は、自戒として読むことを主体にこの草案を利用しています。
それでもこのルール精神の「相手をあまり悪く見ないで、前向きに考えようね」という意図を伝えるために、他者に数回この草案を提示したことはあります。ただしこの草案を提示する際は、自分が当事者のときではなく、第三者視点のときに限り、また提示相手も議論などで熱くなっている利用者や、おかしいぞと思う利用者に限ってです。この草案を理由に、ブロックしろだとか、善意がないからお前はダメだと非難するような使い方はしません。
(上記コメントに対して)Global Hさんのご意見は、概ね間違っていないかと思います。できればGlobal Hさんが言う正しい適用事例を幾つか(1つでも構いません)挙げていただければ、参考になると思います。
(この草案の位置づけに関して)また、この草案の位置づけを、一つ下げてWikipedia:ウィキ愛と同じように「私論」にするのもひとつ手かもしれません。しかし私論では軽視されすぎる可能性の方が大きいかと思います。逆に、これを一つ上げて「考慮すべきガイドライン」等にすると、紅美鈴さんやGlobal Hさんがご心配されているような、ルールの悪用が頻発する可能性もあるかと。今の草案ぐらいにとどめておくのが、バランスが取れているかと思います。
--背番号9 2008年6月22日 (日) 02:19 (UTC)--訂正を加える--背番号9 2008年6月22日 (日) 03:11 (UTC)

◆私の意見が背番号9さんとの間でほぼ一致しているとの事で安心しました。

しかし、本当に言いにくい事なのですが、前述で「残念ながら好ましくない事例しか知りません」と述べております。従って、正しい適用事例は知りませんので、列挙することは不可能なのです。ご参考までに、事実を知らないと言う者に証明させるのは妥当ではないと考えています(参考記事:悪魔の証明)。この辺りが私と数人との間において合意形成に関する認識に著しい差異がありますので、現在コメントを頂いている最中でございます。

意見として、合意形成には説明責任は重要だと考えております。また、「草案を理由に、ブロックしろだとか、善意がないからお前はダメだと非難するような使い方はしません。」とは、そういった案件があると認知されておりますね。すると、この草案は重要度は高いということですから、その枠組みをご教授願いたいです。

疑問点を整理しますと、

  1. Wikipedia:善意にとるの利用事例を教えてください。
  2. 善意がないからお前はダメだと非難する方は多いのでしょうか。また、非難する方は、偽りのない善意ですよね。
  3. Wikipedia:説明責任Wikipedia:善意にとるは何が同じなのか、あるいは何が違うのか。
  4. ルールの悪用とはどういったものでしょうか。

以上、枠組み整理のためにも一つ一つ確認したいと思います。宜しくお願い致します。--Global H 2008年6月22日 (日) 13:09 (UTC)

正しい適用事例に関しては、あれば下さいという程度で、無いなら無いで構いません。
あとこの草案の悪用は、あったような気はしますが、具体例はすぐには思いつきません。Global Hさんがこの草案の改善を、本気で行うつもりならお手伝いをしても構いません。
  1. Wikipedia:善意にとるの利用事例も同様です。私自身の利用方法しか知りません。
    Loniceraさん関係で使われたような気も漠然とありますが、それでもほとんどがWP:CIVILWP:ATTACKの方がよく使われるので、この草案まで持ち出していた例は意外と珍しいのかもしれません。案外私と同じで、「善意に取ろうね」という意図を伝えるという利用例しかないかもしれませんよ。繰り返しますが、Global Hさんが本気であれば、リンク元を精査して改善のお手伝いをしても構いません。
  2. WP:CIVILWP:ATTACKの方が利用例が多いと思うので、そちらを拝見するとよろしいかと。
    それもLoniceraさん周辺で利用されていた以外は、意外と知らないです。また、なかなか「悪用」とまでいえるどうしようもなくなったいい例は思いつかないです。だいたい他愛も無い意見は、信頼おける利用者が第三者として現れて、突っ込みいれて訂正してくれるので。
  3. 「説明責任」は説明する方が、「善意にとる」はそれを受けとる側が
    それぞれが、それぞれに心にもって置く状態がもっとも望ましいと私は思っています。どちらも相手に強要するような種類の物ではないと思っています。「説明責任」を悪用した例は知っていますが。
  4. ルールの悪用とは、ルール精神に準じないルールの訴求をする事をいいます。
    英語版には独立したガイドラインen:WP:GAMEがありますが、日本語版にもWP:POINTに含められた形で存在します。今のところWP:POINTには「制度の悪用」と書いてあります。(注:言葉の響きやWP:IGNORE#ルールの精神を尊重するの逆の使い方ですので、私は「ルールの悪用」という単語の方が適していると思い、この単語を利用しています。近いうちにノートで改名提案しようと思っています。)
よくもわるくも、この草案はまだ草案なので、ブロックにまで繋がるWP:CIVILの方がよく使われていると思います。--背番号9 2008年6月22日 (日) 14:11 (UTC)
個人的には、議論が相互の揚げ足取りとか単なる言い合いになりそうな場で使用する事が多いんですがどうでしょう(ノート:架空のものの一覧の一覧利用者‐会話:Chatama利用者‐会話:Terrestrial とか)。正しい適用事例という程の事かって気もするんですが。やっぱりこれは方針とかルール以前の問題ではないでしょうか。まあ、例え実際にそうであったとしても、議論の渦中にいる人が相手に向かって「善意にとれ」って言ってしまうとうまくいかなさそうですから第三者が仲裁に使うのが適当ではないでしょうか。 By 健ちゃん 2008年6月22日 (日) 14:41 (UTC)

◆お返事頂きありがとうございます。Loniceraさんは、お知らせで告知していた通りですし、前から加筆依頼で見かけていたので、なかなか特徴的な表現をされる方だなと存じています。WPの合意形成において、非常に重要なことなので、是非、説明責任を悪用した例を教えて頂きたいです。因みに、記事を改善するも何も、実例と比べると本来の利用目的がさっぱりわかりません。健ちゃんさんが来てくれた事を勘案(尊重)して向きを変えます。最近、違和感がやや薄れたのですが、会話で何故か投稿ブロックの言葉をよく見かけます。過去ログにも「善意にとる」が持ち出されている事例があるのですよ。「押し付ける善意」を遥かに超えた次元ですから、これは、辞める規制を設けた方が良いと思うのですが、いかがでしょうか?--Global H 2008年6月23日 (月) 10:53 (UTC)

大量の議論を吹っかけて「説明責任」を盾に議論を強要し、その上相手が大量の議論に返答しきれなかったり、疲弊して答えないと、説明責任を放棄したと非難し、自分の都合のいいように話を進行しようとする例があります。後で落ち着いてからGlobal Hさんのノートかメールで詳細をお伝えします。
「投稿ブロック」と「善意にとる」と「押し付ける善意」の関連性がちょいとよく分からないので、詳細お願いします。また、何を辞める規制なのか今一度ご説明お願いします。
あと、やはりなにか例がないと、漠然としすぎて問題の重要性が評価しづらいです。また草案と言えどもルールに大きく手を加える気でしたら、それなりに行為の正当性(=「なぜ、手を加える必要があるのか」)も立証しておかないと、各位の賛同は得られないかと存じます。賛同が得られなければ、せっかくこれから話を進めていっても、単なる思考実験や、机上の空論で終ってしまう可能性も高いかと存じます。--背番号9 2008年6月23日 (月) 11:18 (UTC)
(追記)もう一つ質問がありましたね、この草案の本来の利用目的に関して。この草案が、ただ存在するということが、すでに目的を果たしていると思います。各利用者がこの草案を読み、互いに相手を善意に考える一助になれば、それで十分かと思います。(納得いただけなさそうですが)--背番号9 2008年6月23日 (月) 11:53 (UTC)

ガイドライン化の提案

[編集]

本ルールをガイドラインに格上げすることを提案します。理由は、(1)実質ガイドラインのように使用されているので、名目と実質を一致させて初心者にとってもわかりやすくすること、(2)英語版でもガイドラインとなっている、ことによります。--Kurz 2009年6月27日 (土) 12:52 (UTC)

特に異論もなさそうなので、ガイドライン化します。--Kurz 2010年2月8日 (月) 10:44 (UTC)

英語版からの翻訳

[編集]

6年前に訳出されて以来、実質的にほぼ手が入れられてないので、最新版から翻訳してみました[1][2]WP:AOBFは元の文面の最後の一行、その気もない人を善意がないと責めることは、そのこと自体、自動的に、善意にとることに失敗しているということになってしまいますを拡張したものとなっています。これと対になってバランスをとっているのは、導入部の3段落目となります(元の文面の最後の二段落を拡張したもの)。ちなみに、意味が通りやすくなるよう、導入部は原文の文の順序を入れ替えています。--Bugandhoney会話2012年7月11日 (水) 22:58 (UTC)

現在の英語版を丸々持ってくるより、今の形が好ましいと思います。
ところで、一部直していらっしゃいます以下の語句について、訳出部分のみならず文章全体に反映してしまって良いでしょうか。
  • 「行動」→「行為」
  • 「失敗」→「間違い」
  • 「ふまじめ」→「悪意」など
特に「ふまじめ」は、違和感を禁じえないので。--LudwigSK会話/記録2012年7月12日 (木) 02:28 (UTC)
語句の統一はそれでいいと思います。私も「ふまじめ」は変な言葉だと思ってました。「今の形」というのは、2012年7月11日 (水) 22:46の版のことですか(要するに、これ以上訳す必要はない)?それとも、訳し直す前の2012年4月30日 (月) 10:36のことですか(要するに、用語だけ直せばよい)?--Bugandhoney会話2012年7月12日 (木) 13:24 (UTC)
「今の形」すなわち、今ある訳出後の形(2012年7月11日 (水) 22:46の版)です。判り難くて申し訳ない。--LudwigSK会話/記録2012年7月12日 (木) 13:43 (UTC)
コメント お待たせいたしました。ようやく時間もとれ、Bugandhoneyさんの新規翻訳部分を確認いたしました。概ね問題ないと思います。
ただ、一点だけ。「他人の悪意を責める前に」節の修正を提案いたします。
具体的には、「ウィキペディアには他人の行為を・・・(中略)、というようなルールはありません。ですから、」の一文を削除したいと思います。
確かに「善意に基づいて行動しなければならない」とのルール規定はありませんが、それはルールそのものの前提条件(不文律、慣習法、常識)として存在すると考えます。あるいはまた、自らが「善意にとる」という義務に対して、他者に求める当然の権利であると考えますが、いかがでしょうか。--Ashtray (talk) 2012年7月27日 (金) 10:46 (UTC)
コメントどうもです。LudwigSKさんとAshtrayさんの指摘を文書に組み込みました[3]。それ以外の推敲や要約もありますのでご確認ください。Ashtrayさんが指摘した部分は、訳していて私も引っかかったところでした。うまく訳せてなかっただけかもしれないですが。--Bugandhoney会話2012年7月27日 (金) 16:09 (UTC)