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Wikipedia‐ノート:削除依頼/藤川優里

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週刊文春のグラビアについて[編集]

これは読者モデルと大差のない事ではないかと思います。例えば町おこしのキャラクターとして積極的に宣伝活動に立ち回るといったことがあったら状況は変化しますが、選挙のことを考えれば市長などと違い市議会議員の1人がそうした活動をするのは難しいものと思います。--Tiyoringo 2008年3月1日 (土) 10:42 (UTC)[返信]

週刊文春といえば日本最大の週刊誌で発行部数はおよそ80万部です。読者の一部がウィキペディアで「藤川優里」を調べるのは間違いないでしょう。不祥事以外でこのような全国紙に取り上げられる市会議員はほとんどいませんし、大半の国会議員もそうです。これで著名性がないというのなら、一体誰に著名性が認められるのでしょうか。--Consequence 2008年3月1日 (土) 13:23 (UTC)[返信]
週間文春を購入して確認しました。巻頭から5ページフルカラー。おしゃれな服を着て、一見モデルさんのグラビア撮影のようです。とても公務とは思えません。文章は最後のページに600字ほど。著作権にふれない程度に要約すると、
  • 「美人過ぎる」とネットで話題になった
  • 史上最年少最多得票で当選した
  • 美人と言われるのは気が引けるが自治体議員が注目されるきっかけになればよい
  • 今は市政に全力投球
  • 将来の夢は議員秘書になることとと、結婚
議員としての抱負や政策についての記述は、ほぼ皆無。これで「市議会議員」としての著名性を論ずるのはどうかと思います。本文でも書きましたが、改めて言います。「藤川優里は日本のタレント」という定義なら存続でもかまいませんが、議員としてなら削除です。--Sillago 2008年3月1日 (土) 14:04 (UTC)[返信]

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表ページで議論をしててもしょーがないんで。--Nekosuki600 2008年3月3日 (月) 19:58 (UTC)[返信]

  •  (コメント)今週発売の週刊文春の巻頭カラーグラビアに数ページに渡って掲載されてます。毎週芸能人が登場している中で事件も起こしていない地方議員が掲載というのは特筆にあたいするのでは無いでしょうか?但し、業績と言えるかどうかは微妙なのでコメントで--スフィンクス 2008年3月1日 (土) 04:36 (UTC)[返信]
    • (コメント)文春の記事を見ていないので断言できませんが、「原色美女図鑑 噂の美人八戸市議」として掲載されているようですね。これは「議員」というより「タレント」扱いじゃないですか。「藤川優里は日本のタレント」という定義なら、存続でもかまいません。--Sillago 2008年3月1日 (土) 04:45 (UTC)[返信]
  • (コメント)ほかの今まで削除された地方議員と比較して、政治家としての知名度が特筆すべきとは考えられない。マスコミの露出で存続が決定されるとしたら、今までのケースに対して不誠実でしょう。 --ねこぱんだ 2008年3月3日 (月) 02:36 (UTC)[返信]
    • これまでの地方議員項目の削除依頼について、その全てを読み議論に参加してきたわけではないということは、確認的に表明しておきます。しかしそれはとにかくとしてだ。「今までのケースの判断が間違っていた」のだとして、「それとの比較で、これまで削除されちゃった項目に対して不公平だから」という理由で、今回も削除するのだとしたら、それは「これまでが間違っていた」のなら、「今回も間違うことによって、同様の結論を出し、公平を期すべき」ということになるわけで、それはいくらなんでもおかしくありませんか。間違っていたのなら、これまで削除されちゃった項目にごめんなさいと言い(できれば復帰依頼などをしてフォローすることにして)、今回からは「削除しない」ことにして、間違いを正すべきなのです。というか、その不公平感覚は違うのじゃないかと思うので、強く異論を述べておきます。--Nekosuki600 2008年3月3日 (月) 17:49 (UTC)[返信]
  • (コメント)存続票のかたがたの意見はそれとして納得はできますが、そういう議論を、もっと前の地方議員の削除依頼のときにしてほしかったと思います。本業以外で有名になれば、『著名性』が満たせるというのも、釈然としませんし、この議員さんレベルの政治活動で削除された方もたくさんいらっしゃいます。私は最初は存続票をそういう場合にも投じていましたが、全体の流れは削除の方向でした。いまさら、方針変更というのは、いままで削除された方に対して申し訳ないような気がします。 --ねこぱんだ 2008年3月3日 (月) 16:19 (UTC)[返信]
    • 「著名性」という指標ですが、それって「なんらかの属性に基づいて決められるもの」なんでしょうか。「政治家としての著名性」「バラエティタレントとしての著名性」「評論家としての著名性」「弁護士としての著名性」「アナウンサーとしての著名性」など、属性はいろいろ考え得るものですが、著名性というのはそういう属性を超越して「実のところ、そいつが著名なのかどうか」ということのみが指標になるものなんじゃないでしょうか。丸山は政治家として著名なのか、橋下は政治家として著名なのか、いずれも現時点では否定するしかないと思いますが(「当選した」ということ以外に政治家としてなんかの実績があるとは思えない)、しかし著名であれば書いておく価値があるでしょう。本業だろうが本業以外だろうが、著名になりゃ著名性は満たすんですよ。別に反論しようとは思わないが、「本業=偉い・本業以外=偉くない・本業以外で著名=無視すべき」みたいな顕在化していない脳内基準(という言い方が悪ければ個人的な基準)があってそれをもとに論じておられるような気がする。そこらへんをまずはちゃんと言語化していただく必要があるんじゃないかと愚考する次第です。というか、言語化してくれっていうリクエストってゆーか。--Nekosuki600 2008年3月3日 (月) 17:44 (UTC)[返信]
  • (コメント)「地方議員=削除?」に関してコメント。現在日本の市町村は約1800存在し、その議員は現職だけで数万人規模。元職も含めれば軽く数十万人規模になります。Wikipediaとして全員に著名性を認めて単独記事の設立を認めるというのは、(少なくとも現時点では)少々無理があり、そこに「政治家として著名な活動実績がある人のみ」という線引きは、あってしかるべきだと考えます。で、それを前提にして、あとは、まず線引きの問題として、どの程度の著名性があればOKなのか?という議論と、さらに今回の藤川氏に関してその線引きを満たしているか?という議論があり、これに関しては(私個人としては満たしていないと判断しましたが・・・)、意見としては他の考え方もあってしかるべきしょうし、そこはWikipediaコミュニティーとして客観的に議論をして結論を出すべき話と考えます。。ただ(一部の)存続を主張する方々の意見の中にある「脳内ルール」「合意をでっちあげる」「削除主義」「削除に血眼をあげる」などの感情的な非難表現は、(少なくとも本議論においては)相手の神経を逆撫でするだけのレッテル貼りでしかないような気がしすし、却って(元々中立の意見でこの議論を読んでいる人には)マイナスな印象しか与えない気がします。冷静な議論を求めます。--どんどん 2008年3月3日 (月) 16:35 (UTC)[返信]
    • おれは「地方議員だから無条件に削除しろ」とも「地方議員であれば項目を置いておく充分条件になる」とも主張してません。そういう基準を持ち込むなと言っているのだ。逆説的な言い方をさせてもらうなら、元職を含む全地方議員の項目が立項されるならそれはそれでとても便利な資料になるだろうとすら思っているしやれるもんならぜひ作って欲しいと思っていたりもするなあ(ただ、全地方議員の項目を作るほど根性がある編集者はいないだろうから、そういう資料性は求めない)。現実的解法として、「ある程度の著名性があるのならば、わざわざ削除する必要はないだろう」と思っていて、それを隠そうとは思っていないというあたりか。ただし、だ。「わかりやすい基準を求める」「わかりやすい基準を機械的に適用しようとする」という、ものすごく迷惑なベクトルはこの削除依頼に限らず横行していて、「地方議員項目は削除」といった脳内基準を持っているひと・ありもしない合意があったように主張するひと(というか、たぶんご本人はそう信じているのだろうが)・自分が必要としない項目をひたすら削除しようとするひと、ってのは珍しくもなくて、この削除依頼もその流れに乗ったものだろうと、おれは考えています。神経の逆撫でとかなんとかいう以前に、「その情報を削除することでどういうメリットがあるのかを考えているとは思えない削除依頼」はやめてほしいと思っているし、メリットがない削除依頼をするひとの神経を逆撫ですることになろうとも異論を述べることを躊躇したくはないですねえ。でだ。「この項目を削除するとWikipediaにとってどういう良いことがあるのか」について、これまで削除票を投じた方々から一切の説明がないのだということを、改めて指摘させていただきたい。メリットがあるというのなら、そのメリットとやらをきっちり説明するのが先だろうが。その説明をちゃんとせずに、「対立陣営側が感情的なのだ」といった印象操作をやっても、得るものはないと思うんですわ。--Nekosuki600 2008年3月3日 (月) 17:44 (UTC)[返信]
      • Nekosuki600さんのご意見はわかりますので、これから地道に復帰依頼を出すようにしましょう。Wikipedia:削除依頼/伊藤悠 (政治家)のときの議論は、存続1(私です)削除3くらいの程度で削除が決まってしまったので、その方向でしばらく票を投じていましたから。 --ねこぱんだ 2008年3月4日 (火) 13:53 (UTC)[返信]
        • おれはねこぱんださんについて何も知らない。思考のベクトルもWikipediaにおける実績もその評価も、全く知らない。だからなんともいわくいいようがないんだけどさ。「過去の投票結果」にひきずられて、それに従ったかたちで投票するくらいならば、投票なんかしないでいてくれた方がありがたいと思いました。最初の「存続票投票」はとにかくとして、その後の「削除票投票」はやらない方がいいようなものだったんじゃないかと思うし、今回のケースをきっかけにまた「存続票投票」をするようならばそれも歓迎できない。しばらく、少なくとも数年程度はいろいろと考えて自分の立ち位置を決めるくらいの時間が必要なんじゃないのかねえ、とか思ったということをはっきりと伝えておきます。数年くらいはいろいろと考えて立ち位置を決めて、それから復帰依頼をだすかどうかを決めるべきだとも思います。個別具体的なことで考えが根底から揺らぐレベルで管理的判断に口出しをしてほしくはないわけだねえ(たぶん次はもっと辛辣な言い方になるだろう。これでも限界までオブラートに包んだ)。--Nekosuki600 2008年3月4日 (火) 15:32 (UTC)[返信]
  • (コメント) Wikipedia:削除依頼/加藤あい (京都市会議員)の先例によると、削除対象になるのでは。あの方も「美人議員」として有名でしたから。この方だけ削除されないというのはいささか不公平という物でしょう。あの方も報道されていましたよ。こういった価値観に基づいて削除して良いものか。--東海林 俊夫 2008年3月5日 (水) 08:10 (UTC)[返信]
    • どう説明すればいいのかがよくわかんないんですが、えーとなんだ、Wikipediaって各自が必要だと思う項目を書いていくものなわけですから、「○○がないのに△△があるのはおかしい」みたいなことは言ってもしょうがありません。削除審議なども、必ずしも統一された基準で行われているわけではありません。公平とか不公平とかいう概念を持ち込んでもしょうがないと思うんですよね。とりあえずその「不公平感情」みたいなものを一回忘れて下さい。--Nekosuki600 2008年3月5日 (水) 13:28 (UTC)[返信]