Wikipedia‐ノート:削除依頼/笑わぬ二十日鼠
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2007-09-21 11:36:17 (UTC)版より、審議に関係のないコメントをノートページに移動しました。--ikedat76 2007年9月21日 (金) 14:54 (UTC)
- (コメント)間久部緑郎氏はこの作品を全く聴いておらず、単なる私怨で依頼をしたと思われる。聴いていればこんな依頼は出さないはずである。また、勝手に野田判定をしているようなので、ほんとうにそうかどうかCU係にIPホストの提示をすればよいと思われる。が、もしもOCNプロバではなかった場合、彼は(短期)投稿ブロックの対象になるはず。--Trittico 2007年9月20日 (木) 18:43 (UTC)
- (コメント)また議論の攪乱を狙った多重アカウントですね。お得意の脅迫には屈しません。また、記事を削除するかどうかの議論と、記事が関連する作品の価値判定については別であり、しかも記事の内容についての評価と、執筆者に対する個人的感情もまた別であるということが、Trittico氏にどうして分からないのか不思議でなりません。ということは、Trittico氏が私怨で動く人間だから、他人もそうだと決め付けているといったところなのではないでしょうか。--間久部緑郎 2007年9月20日 (木) 18:55 (UTC)
- (コメント)聴きもしないのに良くそんなことが言えますね。--UME s 2007年9月20日 (木) 19:21 (UTC)
- (コメント)そういう郁さんは、この曲を聴いたの?聴いてないよね。聴いてない人が「独自研究」云々を取りざたするのは滑稽ですね。キジアーナのアカデミーではあなたのコメントこそ「独自研究」と判定されるでしょうね。--Norton crit 2007年9月21日 (金) 02:47 (UTC)
- (コメント)[1]存在するなら、という挑発的発言に疑問がある。--Norton crit 2007年9月21日 (金) 06:47 (UTC)
- (コメント)参考文献が提示されており、出典明記については問題がない。これ以上の文献を探すことは可能。Clarin氏は「楽曲を一切聴かずに、記事が執筆できる」可能性を示唆したことになるが、これではウィキペディアの信用を下げることになる(英語版では音声ファイルへの直リンク可)。ドナトーニの作曲技法について触れられる数列の話は執筆者の独自研究ではなく、直弟子のゴルリ、マニャネンシ、サロネン、モリーニ、ロミテッリによる証言であるため問題はない。ただし、ドナトーニの作曲技法について執筆者が考案した用語で全文が執筆されているのなら話は別。--Norton crit 2007年9月21日 (金) 08:44 (UTC)
- (コメント)独自の研究の割には、参考文献が多く見つかっていることと矛盾する。靴下人形であるかどうかは素早くCUすれば良いことなのに、それが行われる見込みが今のところない。邦題が定着していないのなら、原題に戻せばよいと思うが、当のNumber氏が語学力不足で「戻せない」。出典がおざなりと言う割には、IRCAM所蔵の博論はかなり込み入ったことにまで指摘がある。JMLのサンドロ・ゴルリのレクチャーまで否定するNumber氏は「ドナトーニについて全く知識がない」。また間久部緑郎はIRCAM所蔵の作曲者自身のプログラムノートが「語学力不足で読めていない」ために、原題が童話からのものであることを知らなかった。以上、度重なる個人攻撃が間久部緑郎氏とNumber氏からのものに集中しており、両氏のCUも検討されるべきであるが、それについてはここでやる話題ではない。恐らくは複数プロバ使用で乗り切っているのだと思われるのだが。--Norton crit 2007年9月21日 (金) 09:31 (UTC)
- (コメント)一方でこの記事の初版投稿者がご自分ではないようなふりをしておきながら、一方で「度重なる個人攻撃」だと主張なさるのはおよそ不可解です。Noda系としてリストアップされた一連の捨てアカウントを操っているのが「個人」であると自白したに等しい発言ですね。--Number 2007年9月21日 (金) 11:14 (UTC)
- (こめんと)上記のコメントは根拠不明。人をむやみに叩かないこと。--M universal 2007年9月21日 (金) 11:36 (UTC)