コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

Wikipedia‐ノート:削除依頼/笑っていいとも!関連

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

本文から転記されたコメント

[編集]
  • (コメント)論点がずれているように感じます。問題はWikipedia内においての話です。「ケースEにあたるか」「本当に百科事典的価値が少しもないのか」「他の記事を補足する役割がないのか」どうかの議論であって、他のサイトが同様の役割を果たしているかどうかは問題ではありません。Wikipediaだけが情報発信の場でない以上、それを言い出したらキリがありません。また前例に関しては同じ性質の番組のゲスト一覧でない以上(性質の違いに関してはすでに長々と述べております…)、取り上げるのは不毛だと思われます。このケースに関してはこのケース独自の議論が必要です。--トキ 2007年11月22日 (木) 01:57 (UTC)[返信]
  • データベースである=百科事典ではない、ということで「完全に異質」です。データに、文章による解説をして初めて百科辞典の記事となるわけで、何ら解説もせずにデータだけを羅列して、社会状況や人間関係を読者自身に把握させようとする方が、よほど乱暴だと言えます。「ギネスに登録されたこと」が、なぜ「ゲスト出演者を一人一人列挙すること」の理由付けになるのか、理解に苦しみます。--Dr.Jimmy 2007年11月22日 (木) 06:52 (UTC)[返信]
  • ですからWikipedeiaにおいて削除されるべきものは「単なる」データベースです。今回の一覧は既にある「いいとも」「テレフォン?」の2つのページを補足する意味があります。時代背景は読者の個人個人が別の読み方をするでしょう。「ギネスうんぬん」はいいともの生放送番組としての功績を示すために挙げたもので、ゲスト一覧の理由付けの核ではありません。長々と書いてしまった私も悪いのですが、話をずらさないようにしましょう。なされるべき議論は「ケースEに該当するか」どうかであり、つまりは「記事を補足する存在意義はないのか」「単なるデータベースでなく、時系列と前後の人間関係に意味のある年表的な資料としての読み解くことはできないのか」です。もちろん削除派は「できない」と言い、存続派は「できる」と言います。--トキ 2007年11月22日 (木) 08:33 (UTC)[返信]
  • ギネス云々はクロウさんへの回答でもあり、話をずらさないように、などといわれるのは心外。こうしてノートに移されると、更に話しの繋がりがわかりにくくなってしまう・・・--Dr.Jimmy 2007年11月22日 (木) 09:13 (UTC)[返信]
  • そうですか、失礼いたしました。ギネスは私が最初に言及したので、勘違いしてしまいました。どちらにしろギネス云々は議論の論点ではありませんね。--トキ 2007年11月22日 (木) 09:27 (UTC)[返信]
  • (コメント)「労作である」は別に存続理由としてはおりません。MKTさんの「焼き直しである」という誤解を招くような発言に対しての回答です。また「他にも削除するものがある」は、削除依頼者が押し出している「前例があるから」を削除理由にした場合には、それと同等の存続理由になり得ます。「前例」によって削除が決定されるのであれば、「現在存続しているページ」を基準にして存続を検討するということも大いにあり得ると思います。--トキ 2007年11月22日 (木) 06:26 (UTC)[返信]
  • きちんと審議され、参加者での合意と管理者の判断のお墨付を得た「前例」は、十分削除理由になるでしょうし、審議されていないページが存在しているというだけでは存続理由にはならないでしょう(今後、削除依頼が出されて削除される可能性もあるわけですし)。--Dr.Jimmy 2007年11月22日 (木) 06:52 (UTC)[返信]
  • (コメント)それは少し無責任な物言いに感じられます。可能性の話を言い出すと、「削除されない可能性」も考えられるわけですから、大量にあるそれらのページも同時に削除依頼に出されない以上は、今回のこの削除依頼は明らかに魔女狩りです。しかもそれらの一覧と比べても今回のページには百科事典的な存在意義が十分あると考える人が複数いるわけです。ページごとに固有の意義があるわけですから、他の一覧ページの存在が存続理由にならないとするのであれば、削除理由に関しても、十把一絡げに、1票の存続票もなかった「前例」と同じである、と括るのはやはり不自然です。削除の議論はその都度個別にされるべきです。前例は広義に利用できる明確な指針として文章化されているわけではないのですから、持ち出すべきではありません。ましてや「削除理由は前のと同じ」といったやや投げやりな態度など、言語道断なのではないでしょうか?--トキ 2007年11月22日 (木) 08:33 (UTC)[返信]
  • いや、ですから、審議がされたものについては「結果」が既にでている、審議のされていないものは、どちらの可能性もあるから、前例にはならない、と言っているのです。--Dr.Jimmy 2007年11月22日 (木) 09:13 (UTC)[返信]
  • ではなぜ「削除の復帰依頼」という機能がWikiには存在するのですか?削除決定が絶対ではないということでしょう。常に議論すべしというのがWikiの精神でしょう。そういった前例云々よりも、違う項目について過去の判例を適用すべきではないのではないか、それでは思考停止に近いのではないかと申し上げているわけです。そしてその違いについて議論しているわけです。これは違う項目の違う削除依頼についての議論です。違いますか?--トキ 2007年11月22日 (木) 09:27 (UTC)[返信]
  • 削除決定が絶対でないからこそ、こうして別件の依頼が出て、それについて削除議論をしているのでしょう。前例が理由で削除になる、ではなく、過去に削除になったケースと同じ理由で、このページも削除対象になるかを議論しているのです。ですから、「前例はこのケースには当てはまらない」とトキさんが主張されることは(同意はできませんが)理は通っていると思いますが、「現在存続しているページ」を基準にして存続を検討云々、という主張は理が通らないということをご説明しているだけです。--Dr.Jimmy 2007年11月22日 (木) 09:42 (UTC)[返信]
別に前例を出すのはおかしなことでないはず。今回の削除依頼理由はその前例と似ているのではないか?ということなので、おかしくはないよね。という話です。ただ、あなたの言う「アレがいいんだからコレもOKでしょ」は存続理由となりません。Wikipedia内には無数に記事が存在し、そのアレがたまたま誰の目にも見つからず存在し削除依頼にあがらなかっただけで、本来であれば削除妥当なものだとしたら・・・という話なわけです。--突撃ひとり(利用者/会話/履歴 2007年11月22日 (木) 10:03 (UTC)[返信]
  • ええ、似ているということに関しては分かりますが、私は前例を出すことによって思考停止状態になり議論が進まないことを懸念しているのです。削除依頼者の「前例に同じ」はあまりにも投げやりで、よく吟味した結果の依頼とは思えません。議論をしようとさえしていません。存続するページについて言及したのは、それらの「単なるデータベース的ページ」と比べて、項目として存続させる優位性があることを示すためです。その理由はさんざん述べています。--トキ 2007年11月22日 (木) 10:15 (UTC)[返信]
  • 懸念には及ばず、多数の方々が参加して議論は進んでいますよ。議論は削除依頼者だけが行うのではありません。依頼の仕方が投げやり、と言っても依頼に不備があるわけではありません。失礼な言い方かもしれませんが、自身に不利な根拠を封じ込めようとしているだけのようにすら見えます。それから、トキさんによる過去の執筆者への投票依頼には呆れてしまいます。--Dr.Jimmy 2007年11月22日 (木) 11:56 (UTC)[返信]
約半年間活動していない利用者や、既に投稿ブロックされている利用者にまで見境なくばら撒いていますね。存続させたいという熱意は分かりますが、あまり良い印象は受けません。--Tiun tiun 2007年11月22日 (木) 12:15 (UTC)[返信]
  • はあ?「時間があったら参加して下さい」ということが、悪いことなのですか?執筆者たち不在で削除を進められるのが嫌だっただけです。禁止されている行為でしたら謝ります。--トキ 2007年11月22日 (木) 12:42 (UTC)[返信]
  • あといちいち執筆者に関して約半年間活動していない利用者や、既に投稿ブロックされている利用者であるかどうかなど調べていません。人の投稿履歴を覗き見して弱味を握ろうとるするのは、それこそあまりにも良い印象を受けません。わたしが名うての「荒らし」とか「複数のユーザー名を使い分けているヤツ」であることを期待されての行動でしょうか?みなさんなかなかの論客と思って楽しく(熱く)議論していたのに、ここの削除議論と関係ない話を持ち出し始めている辺りがちょっと残念です。まあ厄介なヤツを吊るし上げるのが快感なのはわかります。あとDr.Jimmyさんが自分の反論コメントのみを解説の方に復帰させたのはやはりズルいですし、同じ土俵で議論していた相手として寂しいです。疲れたので私のここでの発言はこれで終わりにさせていただき、成り行きを見守らせていただきます。色々すみませんでした。--トキ 2007年11月22日 (木) 13:28 (UTC)[返信]
  • すみません。本当に最後です。Dr.Jimmyさんの「自身に不利な根拠を封じ込めようとしているだけのようにすら見えます」は、そう見えて当たり前です。何かについて反論するというのは常にそういう側面を含んでいるでしょう?議論とはそういうものです。それはお互い様じゃないでしょうか。「理にかなっている」と理解を示して下ったのに旗色を見て路線変更とはいかがなものでしょう。私たちはみんな鏡を見ながら議論しているようなものだということをお忘れなく。お互いの我を通そうとしている時点で似たり寄ったりなんです。--トキ 2007年11月22日 (木) 13:50 (UTC)[返信]
  • 楽しく熱く議論しようとする人がとる行動とは思えないのですけどね。それに、単なる参加の依頼ではなく「一方的な削除依頼」だの「存続の危機」だの「削除推進派」だの意図がみえみえなのですよ。厄介なヤツを数の力で何とかしようとしているのはどちらでしょう。散々バラ蒔いておいた後で、あとは成り行きを見守るなんてどれだけズルいのでしょう。あと私が復帰させたのは、クロウさんの意見の下になければ意味の無いものでした。また注意事項には「他人のコメントにコメントした物は削除することがあります」とあります。したがいまして、問題はないものと考えます。あと最後に。路線変更?どこが?よく読んでくださいな。--Dr.Jimmy 2007年11月22日 (木) 13:55 (UTC)[返信]

(インデント戻します)競合したので、どうしようか迷いましたが上の発言でやはり記載します。一応私は存続票に投票しました。しかし、この場は決して魔女狩りではありません。(言葉のあやだとは思いますが、あまりに・・・です。)この議題のページが確かに多くの人の手が入り、各人の思いや苦労が入っているのは確かだと思います。またそれらは貴重であり、尊敬の念を持つ必要があります。しかし同様に、Dr.Jimmyさんなどもその上でWikipedia全体の向上を鑑み、その上で考え行動し、現在の審議を行っているのです。彼らも同じウィキペディアの編集者として仲間であっても、貴方を「快感でもって吊るす」敵では決してありません。その辺りを勘案していただければ幸いです。--背番号9 2007年11月22日 (木) 13:48 (UTC)[返信]

  • (コメント)ん?ここは「議論の場」ですよ(笑)。Wikiでも「削除に対する議論に参加し、削除の方針に該当するかどうか検討してください。」とアナウンスしてますが…私の勘違いでしょうか?--トキ 2007年11月22日 (木) 08:42 (UTC)[返信]
    • Wikipedia:削除依頼#注意事項をよくお読みください。投票の際は理由をできるだけ簡潔に述べることが望まれます。また削除依頼は方針に関して議論を行なう場ではありません。--218.142.163.11 2007年11月22日 (木) 09:18 (UTC)[返信]
      • (コメント)何人かの方が削除理由として挙げられており、それに対する反論も既にされておりますが、ここでもう一度言及させていただきます。WP:NOT#ウィキペディアは単なる知識ベースではありませんの「データーベースではありません」には、「統計資料や周辺の施設のみで構成される記事はウィキペディアには要りません」とあり、「ある項目にその統計・周辺の施設を書くことでその記事をより深いものに出来る、あるいは説明に不可欠であるのであればそれは歓迎されるでしょう」ともあります。本項目は、『笑っていいとも!』>『テレフォンショッキング』>『ゲスト一覧』という構成で理解すべき(各記事の量から一つにするのは不適切)であり、本一覧だけをもってデーターベースだから即削除とはなりません。論点は、「記事をより深いものに出来る」または「説明に不可欠である」かどうかです。後者でないことは確かですが、前者は現在、投票者によって意見が分かれています。--Rollin 2007年11月23日 (金) 01:35 (UTC)[返信]
  • (コメント)[1]の私の意見に追記。仮にAPPENDIXとしても、写真と同様、百科事典のそれとしての質は常に求められるべきと思います。そのため、質が低くても一覧はAPPENDIXでOK!という意見ではありませんので、あしからず。--背番号9 2007年11月23日 (金) 07:48 (UTC)[返信]

一覧を百科事典的な記事として成立させる方法

[編集]
  • 最初に疑義を発したものとして一言。テレフォンショッキングのゲスト一覧を質の高い『百科事典的な記事』として成立するためにはどのような方法が考えられるのでしょうか? 百科事典として成立するような特筆事項はもう殆ど本体で網羅しているようにも見受けられますが、これらの記事をゲスト一覧に転記することが果たして可能なのでしょうか。水曜どうでしょうの企画のように、投稿者による有意な特筆事項が追記できるならともかく、年300回・20年以上も続く長寿番組ではそれがどこまでできるのか疑問です。『サタデー・ナイト・ライブ』のような放送内容を要約する記述方式を採ったとしても、一年300回近い放送内容を記憶するだけでも大変な労力になるのではないでしょうか。『ザ・デイリー・ショー』のゲスト一覧も見ましたが、2度目の削除依頼の後も十分な追記ができているとは言えない状態だと思います。仮に「付録として残す」としても、「百科事典的な事項」が追記できないのであれば、それは「単なる名簿」と見なされても致し方ないのではないでしょうか。ちなみに、今回の削除依頼提出については当方に一片の悪意がないことを付け加えさせていただきます(これについては突撃ひとり氏のご指摘の通りです)。--昇竜出っ歯 2007年11月23日 (金) 16:22 (UTC)[返信]
  • 私も全く特定の誰かや立場に肩入れするわけではないのですが、一つの提案として申し上げてみます。この一覧をさらに発展させるには、次のような方法もあるのではないでしょうか。テレフォンショッキングというのは、友だちを紹介していくという設定で続いているのですが、本当の交友関係もあるでしょうが、新作のテレビや映画の共演者どうしで紹介するなど、宣伝的なケースがよく見られます。その他にも、いろいろなつながりがあります。そこで、次のゲストをどういうつながりで紹介したのを書いておく。すると、この時期にはこういう映画や番組、演劇、コンサートなどがあったという文化史的側面の資料にもなるのではないでしょうか。また、本当の交友関係ならどういうつながりなのか。同じプロダクションなのか、同郷、同級生なのか、先輩後輩の間柄なのか。紹介するときに、たいがい一言はコメントがあるので、そういうことを書いておくようにしたら、深みが出るんじゃないでしょうか。ただし、昇竜出っ歯さんのおっしゃるように、労力は大変なのものになりますし、過去の放送分に関してどこまで追記できるかというと、かなり厳しいでしょう。私自身も、この番組を毎日欠かさずどころか、最近はほとんど見ておりませんし、残念ながら協力はできない状況です(だからこそ、逆にそういう資料が整備されれば、何かのおりに参照するには大変に役立つと思うのですが)。どなたかが、このようなことをしていただけるなら、非常に有意義なものになると思うのですが、いかがでしょうか。--Rollin 2007年11月24日 (土) 02:11 (UTC)[返信]
    • 私が見たのが、余りにもな発言が繰り返している、そんなとき、だったので取りあえずそいつを止めたかっただけで、ココに参加しましたが、段々と建設的な議論に発展していて、よかったなぁと思っております。WP:DELのケースEとWP:NOTの関係の議論等は、曖昧な箇所も多く結構堂々巡りで不毛かなぁとも思っていましたが、百科事典としてどういった記事の発展を考えるべきかという視点に移行しているようで、今後の参考になると思います。ただ、現在の私には今後の方策もなく、このページへの情熱も特に無いので、これ以上議論に加わるつもりはありません。しかし、誰かRollinさんが上で言う提案に名乗りをあげたとき、それでこのページの発展の可能性が発生するわけですから、昇竜出っ歯さんも削除依頼を取り下げてもいいのでは無いですか?(っと勝手な意見ですが。)追記ですが、余りにもな発言の繰り返しのときの言葉で、昇竜出っ歯さんや他の削除側の方々の行動の正当性や名誉が傷ついたわけではないのは、ほとんどの方が承知していると思います。むしろこのような提案をした事、ウィキペディア向上に尽力している事に、私は大きな敬意を持っています。--背番号9 2007年11月24日 (土) 11:38 (UTC)[返信]
  • 実際に番組を見てその内容を書く、という行為は独自の研究に抵触します。Rollin氏が提案する方法で記事を充実させるには、ゲスト間の繋がりやコメントを記した、番組自体ではない資料が必要です。そのような資料があって記事を充実させるのならば歓迎しますが、「番組を見た人」とか「覚えてる人」に協力を要請するような事を考えてるのであれば再考願いたいです。- NEON 2007年11月24日 (土) 15:00 (UTC)[返信]
  • どうして番組からの引用が「独自」にあたるのでしょうか?プロダクションや競演番組(映画含む)の裏取りは必要だとは思いますが、それはどんなケースでも言えることですし、放送内容自体はVTR等(幸い「いいとも」には「増刊号」もありますし)での検証が十分に可能です。--クロウ 2007年11月24日 (土) 15:15 (UTC)[返信]
情報の伝達を目的としないテレビ番組を見て、その内容を Wikipedia に書き込む事は、少なくとも以下の3点の問題があります。
この場でこれらに対する議論を展開する事は構いませんが、「削除側の方々」への説得には結びつかないと思います。- NEON 2007年11月24日 (土) 16:09 (UTC)[返信]
  • NEONさんの示されたリンク先を読みましたが、テレビが一次資料でないとは断定されておらず、それに基づく編集が独自研究にあたるという合意もまだ得られていないと理解しました(条件により問題があることはわかりました)。また、私の提案の場合、記述するのはどういうつながりかということですから、全く知られていない個人的交友関係は別にして、同じ映画などに出演したとか、同郷・同窓生・同じプロダクションなどの場合は、他の信頼できる情報源で検証可能であり、問題は生じないと思いました。--Rollin 2007年11月25日 (日) 02:37 (UTC)[返信]
    • 他の情報源で人間関係を補填する事は、「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」にあたるでしょう。個々の情報が検証可能でも、それを執筆者が特定の意図を持って合成する事は禁止されています。- NEON 2007年11月25日 (日) 12:23 (UTC)[返信]
      • さすがにNEON さんのその指摘には首を傾げざるをえません。仮に上記の解釈が正しいとすれば、TV放送に関する著名人のプロフィール、ならびに交友関係の大半は記述そのものが不可能になってしまいます。それに「意図」を勝手に汲み取ったり「推進」と決めつけること自体、どこか別の意図を感じてしまいます。--クロウ 2007年11月25日 (日) 16:26 (UTC)[返信]

一次資料が見つかりました

[編集]

(コメント)情報源に関しての議論は興味深いものではありますが、いささか横道にそれてしまう結果になり申し訳ありませんでした。さて、テレフォンショッキングに関し、正真正銘の一次資料が見つかりましたので、ご報告いたします。

この本はフジテレビ編サンケイ出版刊ですから、番組公式の書籍であり、信頼できる情報源に当たることは疑いないと思われます。内容ですが、このようにテレフォンショッキングにおけるゲストのつながりと、当日の会話が掲載されているのがわかります。これを出典とすれば、NEONさんご指摘の問題点は解消されることになりますね。全て絶版になってはおりますが、オンライン書店で古書の購入は可能であり、図書館に置かれている所もあるかもしれません。ただ、残念ながら放送初期のものしかないらしいのが欠点ではありますが、これにより一部にせよ名前を並べただけの一覧から発展させる可能性がでてきたことは、存続するに足る十分な理由ができたということに他ならないのではないでしょうか。--Rollin 2007年11月26日 (月) 04:23 (UTC)[返信]

書籍に記載された分については絶版であっても図書館での閲覧は可能なわけですから検証可能性を満たすとしていいでしょう。それでも初期のものしかないとすれば過去の情報については大部分が記載できないことになります。現在以降のものは番組を見た人が記載するというのは(検証可能性について議論の余地はありますがそれはひとまず措くとして)一応可能ですが、その場合この項目は2ちゃんねるの実況板に限りなく近いものになりませんか?(というかそもそも見た人がゲストの名前を書き加えるという現状がすでにそうだと思います) たとえ前後のゲスト同士の関係について情報が記載されたとしても、百科事典的でない項目であることは免れないと思います。--sergei semenovich 2007年11月26日 (月) 09:28 (UTC)[返信]
(コメント)取り急ぎSergei semenovichさんのご懸念についてお答えします。現在フジテレビの公式サイトから(無許可のリンクは禁止されているので張りませんが)、笑っていいとも ‐ フジテレビ>先週のテレフォンショッキング で、前週のゲストについては参照が可能となっています。つまり、番組を見ていない人が名前を加えたり、記載された情報が正しいかどうかを検証することが可能となっています。Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源:公式サイトから見ても、この情報源の使用は問題ありません。また、このサイトは(当然ながら)転載・引用を禁じていますが、テレフォンショッキングに関してはゲスト名が順番に載せられているだけですから、それ自体には著作製はないと判断できると思います。難点は、一週間ごとに更新されてしまうということですが、それは新聞のテレビ欄やテレビ雑誌なども含め、他の情報源で再確認可能と思います。ですが念のため、一まとめになった情報源がないかどうか、引き続き当たってみます。--Rollin 2007年11月27日 (火) 01:01 (UTC)[返信]
(コメント)また横道にそれてしまい申し訳ありませんが、一言。本一覧を許してしまうと番組のゲスト一覧の濫造を招くので削除という趣旨のご意見が複数見られますが、それは少し適切でないような気がします。現在、一覧については草案Wikipedia:一覧系記事の作成ガイドラインしかない状態ですが、一覧自体の作成が禁じられているわけではもちろんなく、それが(利用する人にとって)役に立つかどうかが判断基準となっています。本一覧は、あくまで本一覧が『笑っていいとも!』や『テレフォンショッキング』などについて調べる人にとって役に立つかどうかで判断すべきものだと思います。また、存続の意見の方でも、ゲスト一覧の濫造に反対されている人は複数いらっしゃいます(私も濫造には反対です)。ゲスト一覧に関しても、今までに明確なコンセンサスが得られているわけではなく、こうした削除依頼での前例が参考になっていくであろうことはわかりますが、本来はWikipedia‐ノート:一覧系記事の作成ガイドラインWikipedia:ウィキプロジェクト 放送番組などで議論されるべきものではないのでしょうか。コンセンサスが得られるまでは、あくまでも個々の事例ごとに判断するしかないと思うのですが。--Rollin 2007年11月27日 (火) 02:35 (UTC)[返信]
私もまさにその主旨で削除がふさわしいと考えています。ただ私はTV番組自体に記述の必要性を感じていないので、判断が厳しくなっているのかも、という気もします。かといって好きな方が好きなだけ書いてよいものか、というとまた違うと思いますので、その記載不記載の境界をどう決めるか、というのは十分議論していただきたいな、と思います。疑問点をふたつ挙げておきたいと思います。
まず、ゲスト一覧が、データベース以外のなにものかになり得るのか、ということです。一週間に5人、というペースで登場する人物一覧に、「『笑っていいとも』に出演した」ということのほかに、なんらかの一貫性がありえるのか、という疑問があります。私には無いように思われます。仮にある時代の芸能史としてこの一覧に意味を与えようとすると、すなわち出演者においてはすべてのテレビ出演の記述を許可することになるように思います。1年間に250人、という人数は、巨大すぎてかえって意味を失っているように思いますので、つまり記載する意味もないのではないかと考えています。
もうひとつは、ウィキペディアにIMDBの内容を含むことは可能か、ウィキペディアのIMDB化は是か、ということです。仮にゲスト出演者の一覧を許すとすれば、TVドラマなどのゲスト出演者の記載も是ということになるように思います。映画、TVなどの出演者の一覧が可能であるならば、これはウィキペディアがIMDBの範疇を超えて、あらゆるテレビ番組のデータベースとなることを許容することになるように思います。--Pica 2007年11月27日 (火) 11:32 (UTC)[返信]

現時点では単独の記事にはなっていないものの、メントレG#過去のゲストGoro's Bar#放送内容・ゲストのような単独の記事になってもおかしくないほどの分量のあるゲスト出演者の一覧表がある番組の記事がいくつかあるのですが、どうなんでしょう。こういうのもまずいんでしょうか。--61.192.109.134 2007年11月27日 (火) 20:25 (UTC)[返信]


存続票を投じている方でも、現在の状況では問題があり、改善する必要があると考えている方もいるようです。また、削除票を投じた方も、削除理由が解消されれば取り上げるという方もいるでしょう。それでは、現状ではただのゲスト名の羅列に過ぎない本項目が百科事典の記事として改善される可能性は現実にあるのでしょうか。Rollinさんが一次資料を挙げてくれましたが、それに従って一回一回のゲストのつながりや会話の内容を記述することが、果たして必要でしょうか。私にはとてもそうとは考えられません。親記事のテレフォンショッキングに記述されている主だったエピソードですら「雑多な内容の羅列」との指摘を受けています。現実的に考えて、これだけのデータの羅列を、一般記事に加筆することは不可能であると考えます。また、データの羅列に一覧としての価値を見出せるか、という点に関しては、広い意味での芸能人は大抵出演しているわけで、Picaさんの言われるように一貫性がなく意味を成さないと考えます。--Dr.Jimmy 2007年11月30日 (金) 10:03 (UTC)[返信]

まず現状がゲスト名の羅列だけではなく、出演日・曜日が併記されている事を指摘しておきます。(名前の羅列だけならカテゴリーを使えば十分です。)「何年何月何日何曜日のいいとものゲストって誰だっけ?」と思う人は「何年のノーベル賞の受賞者ってだれだっけ」ぐらいいいると言うと言い過ぎかもしれませんが、同様の需要があるんじゃないかと個人的には思います。つまり、現状でも十分役に立つ一覧であるという意見です。--Kwansai 2007年12月8日 (土) 09:20 (UTC)[返信]

219.207.246.17さんから寄せられたご意見について。
「初版を見る限りは、1980年代のものは1から作ってあるため、どこからかコピーして貼り付けたように思えます」とありましたが、これは誤解を招く表現で、いわゆるコピペで作られたものではないと思われます。データーをどこかのサイトから丸写しにしたため著作権的に問題があるという意味であれば、Wikipedia:削除依頼/テレフォンショッキング・出演ゲスト一覧で問題なしと判断されています。「1990年代・2000年代のものは、それぞれ1980年代・1990年代から分割されているため、これも問題があるように思えます」については、1980年代のものが問題なければ、こちらも問題になりません。履歴継承も問題なく分割されています。
それに続いて述べられているのは、詰まるところ検証可能性の問題でしょう。私が提示した資料でカバーできるところと、この一覧ができて以降に加筆されたところとの間の部分は、記入もさることながら、第三者が検証するのが難しい。外部サイトは、信頼できるとは限りません。しかし、当時の新聞や雑誌などをあたるなどすれば、全く不可能ではないと思われますから、確認を取れたものは出典を追加していき、確認の取れないものは場合によっては一旦除去しておくという方法も考えられます。
ウィキペディアは単なる知識ベースではありませんの4にあたるか否か」については、新たなご提案をいただきました。私はすでに別のご提案をしておりますが、こちらも検討に値すべきご意見だと思いました。ただし、このテレフォンショッキング#ハプニングなどに書かれていることには、出典が明記されているものがなく、このままでは残念ながら検証可能性を満たしません。検証可能性を確保できたもののみを移す、もしくはリンクするしかないでしょう(元の記事もこの観点から整理が必要だと思わざるを得ません)。
しかし、今回のご提言も含め、いろいろな方法で本一覧をよりよいものにしていけるなら、それは素晴らしいことではないでしょうか。--Rollin 2007年12月7日 (金) 03:51 (UTC)[返信]

入りなおします。ご活躍著しい方々の良質の議論というのは、読んでいるだけで勉強になります。現在この問題をきっかけに、周辺のことにも興味をもち、調べだしています。本題ですが、私の印象では、どうもやはり「一覧=データベース=WP:NOT=ケースE=WP:DEL」という論法が現状強い印象を受けます。しかしWP:NOTの文頭にもあるような「百科事典としてのレベル」が保持されれば、一覧でもOKじゃないかなぁと思っています。Wikipedia:秀逸なリストという物が立ち上がろうともしています。また、草案段階ですがRollinさんが言うようにWikipedia:一覧系記事の作成ガイドラインというものがあり、一覧の存在=Wikipediaにとって寛容できないとは私は思えません。その上で、現状でも該当ページは(私の主観では)百科事典に載せる記事としてまぁまぁOKとみなしてもいいと判断して、票は残しています。さらに編集を加えてレベルアップするならそれに越したことはありませんが。
今回の審議は、このまま各位の判断に従うとしても、Picaさんなどが言うように、質の低い一覧系記事の濫立を本気で心配するのであれば、やはり今言ったガイドラインのノート等で議論して、早急に判断基準を明確にWikipedia全体に示すのが先で、それから各個判断を行うことがベストだと思います。でなければ、ある一覧はよくて、他はデータベースだから消すとか、価値があるからOKか、いやそれさえ無いか?とか、発展可能性がどうとか・・・基準にルール的安定性が無く、一々コミュニティの各位の主観で判断していくしかないですよね。--背番号9 2007年12月7日 (金) 09:50 (UTC)[返信]
私も労作とも思いますし、読んでいて面白いという方もいらっしゃると思います。また情報量自体が一定の質を保証もしているとも思いますが、上で述べたような不安がぬぐえません。もっと多くの方の意見が聞きたいところですね。--Pica 2007年12月7日 (金) 11:49 (UTC)[返信]
速報記述をご心配でしたら、該当記事または適切なプロジェクトで、ローカルルール(たとえば、新規追加は年単位(少なくとも月単位)で行う等)を定める事などを提案なさってはいかがでしょうか。何よりも、多くの場合、番組の「ゲストの一覧」なんかは、出典が問題になるような気がしますが、この記事はそれもクリアしてるようですし、削除する事はないかと。あと、確かに、現在の2000年代2007年12月が「???」などとかかれ、利用者の速報記述を誘うような形になっているのは問題であると思います。--Kwansai 2007年12月8日 (土) 09:20 (UTC)[返信]

上でPicaさん(11月27日付の方です)やDr.Jimmyさんが提起された論点に存続派の方たちがどんな回答をするのかと様子を見ていたのですがそれに対しては直接の反応がありませんね。そうしたことを怠っておいて新たに削除票を投じた人に対して難癖をつける理由を問い質すというのはいかがなものでしょうか?
私もデータベースとしてそれなりに有用であることは認めるに吝かではありませんし、こうしたものを作る情熱は称賛に値すると思います。しかしそれは外部サイトでやるべきことであって、Wikipediaが担うべき役割りではないはずです。
エピソードを記載すれば百科事典的な項目になるという説が出ていますけど、最近はほとんど見たことがないのでよくはわかりませんがテレフォンショッキングでの会話って大抵は他愛もないことに終始していますよね。「やあどうも〜。この間は焼肉食べにいっておいしかったね〜。また今度行こうね〜。じゃタモリさんに代わるね〜」みたいな。でそれを見た人が「芸能人Aと芸能人Bは一緒に焼肉を食べに行く仲である」とか記載するわけですよね。こういうエピソードが年に250件というペースで付け加えられていくような項目がはたして百科事典的といえるのでしょうか?
私はサブカルチャー的な項目の編集によく参加するのですが、こういう雑多なエピソードの寄せ集めみたいになっている項目が多いのには悩まされています。ましてこれほどの膨大な数のエピソードが記載された項目というのは目も当てられない状態になると思います。私にはWikipediaがそんな風にテレビ番組の実況中継のログ置場みたいな使われ方をするのは耐え難いです。--sergei semenovich 2007年12月7日 (金) 14:35 (UTC)穏当さを欠いた表現を訂正--sergei semenovich 2007年12月11日 (火) 08:36 (UTC)[返信]

横槍気味ではありますが気になったのでひとつ。sergei semenovichさんの「焼肉」の例は検証可能性が著しく低い(というか皆無)ので、そもそも意味をなしてないと思います。というか何故電話での会話部分を抽出して例示したのかも分かりません。項目にエピソードとして書くとすれば、紹介前にゲストが「映画でご一緒して仲良くなった○○さん」と言う部分と、ゲストのトークでの言及部分(さらには外部資料による補足)になると思われます。あと「雑多なエピソード」や「ログ置き場」というのは少々乱暴かと。--クロウ 2007年12月7日 (金) 14:47 (UTC)[返信]
では、私の提起した問題に対して回答し、どのように改善されるのか具体例を挙げていただければよいかと思います。--Dr.Jimmy 2007年12月7日 (金) 15:02 (UTC)[返信]

削除側の意見ですけれど、存続側の「テレフォンショッキングは特別な番組だから他のゲスト一覧とは違う」という意見がさっぱりわからないです。ギネスに載ったと言っても「笑っていいとも」が載ったのであって「テレフォンショッキング」が載ったのではないようですし(「テレホン」が載ったのだとしてもどうかと思いますが)
この一覧が許されるのであれば「徹子の部屋のゲスト一覧」や「HEYHEYHEYのゲスト一覧」が排除される理由はないと思うし、背番号9さんの言われるような「APPENDIX」としてならば、たとえば「メジャーリーグの月間MVP一覧」とか「大相撲の場所別番付一覧」なんかもその分野に興味のある人にとっては有用でしょう。「シェイクスピアのソネット一覧」とか「少年ジャンプの表紙作品一覧」とかなんでもよさそうです。どれもやろうと思えば多少の付加情報くらいつけらますけれど、どうなんでしょうか。Wikipedia:一覧系記事の作成ガイドラインにあるように、一覧記事の作成は(労力はいりますが)容易です。あれもこれもということになれば作成にも管理にも人的ソースが流れてしまいはしませんか。個人的な心情としては、議論中の記事を残す努力をするくらいなら箇条書きの羅列で作られている「テレホンショッキング」や「笑っていいとも!」の記事をもうちょっと事典的な体裁にする努力をすればいいのに、と思っています。--Metronome 2007年12月7日 (金) 16:18 (UTC)[返信]

電話での会話に限らずその前後のタモリとのやりとりを含めてもテレフォンショッキングでの会話で有意義な情報が披瀝されるケースというのは少ないと思います。実際にテレホンショッキングの項目にはしばらく前まで「猿の真似」だの「九官鳥の真似」だのといったエピソードが記載されていました(すでに今は削除されていますが)。ゲスト一覧にエピソードが記載されるとすればこの種の話題で埋めつくされることになるものと思われます。私としても「議論中の記事を残す努力をするくらいなら箇条書きの羅列で作られている「テレホンショッキング」や「笑っていいとも!」の記事をもうちょっと事典的な体裁にする努力をす」ることを強く推奨致します。--sergei semenovich 2007年12月8日 (土) 08:36 (UTC)[返信]
「箇条書きの羅列で作られている「テレホンショッキング」や「笑っていいとも」の記事をもうちょっと事典的な体裁にする努力をする」ことについては、私も全く同意いたします。これらの記事には、そのままでは検証可能性を満たさない部分が多く含まれてもいますので。しかし、「議論中の記事を残す努力をするくらいなら」というご意見には賛同できません。議論中ということは削除されると決まったわけではないのに、なぜ努力をしてはいけないのでしょうか。削除依頼が出され、加筆修正されて存続された例はいくらでもあるのです。
今回の削除依頼の理由は、ケースEということで、「一覧を百科事典的な記事として成立させる方法」はあるのかという疑問も提示され、こういうのはどうかという提案が出ると、独自研究に当たるのではないかという意見が出、資料が探され提示されると、改善される可能性は現実にあるのかという意見が出る。また、一覧にエピソードを付け加えること自体に否定的な意見まで出ましたが、これでは振り出しに戻ってしまいます。削除意見の方は、結局いかなる改善案も認められないということなのでしょうか。
もちろん、初めから本一覧の必要性そのものがないというご意見があることは承知しています。ですが、必要性の有無は人それぞれで、「TV番組自体に記述の必要性を感じていない」とおっしゃる方(言うまでもなく、TV番組自体の記述はウィキペディアで認められているものです)などには無論不要でしょうが、そうでない人もいるわけで、圧倒的少数意見ならしかたないでしょうけれども、現状ではそこまでは言い切れないのではないでしょうか。また、データベースという意見についても、繰り返しになりますが、「笑っていいとも!」、「テレフォンショッキング」と一体のものとして見るべきものと思います。
それから、いまだに他のテレビ番組でのゲスト一覧作成を心配されている方が見受けられますが、本番組や本コーナーの特異性(これについても、当然見解は別れるでしょうが)が前提になっているのであって、他のゲスト一覧濫造抑止のためをもって判断するのは、やはり適切とはいえないと思います。そうしたことは、すでに意見が出ているように、ガイドラインのノート等で議論していくべきことでしょう。私は、本一覧に限らず、一覧系記事全体がよりいいものになっていくことを、願ってやみません。--Rollin 2007年12月8日 (土) 16:13 (UTC)[返信]
「削除意見の方は、結局いかなる改善案も認められない」・・・逆でしょう。いろいろと改善できる方法が無いかと検討した結果、Wikipediaの方針をクリアし、百科事典の記事として改善できる案が無い、という結論に至ったから、削除票を投じるより他にないのです。--Dr.Jimmy 2007年12月10日 (月) 09:11 (UTC)[返信]

論点を整理

[編集]

議論がだいぶ錯綜してきたのでここで一度論点を整理しておきたいと思います。これまで爼上にのせられてきたのは大体次のような論点だと思います。

  1. 現状でのこれらの項目について
    1. そもそもこれらの項目は有用(もしくは必要)なのか?
    2. WP:NOTにあるWikipediaでは歓迎されないデータベースなのか?
    3. 親記事のAppendixとして存在することが許容されるのか?
    4. テレフォンショッキングというコーナーの特殊性はこれらの項目の存続を認める理由となるのか?
  2. エピソードを書き加えることによって項目を発展させようという提案について
    1. 現実的にそれは可能なのか?
    2. それで百科事典的な項目になるのか?
    3. 検証可能性を満たすのか?
    4. その場合これらの項目はInternet Movie Databaseに近い性質のもの、もしくはその範疇を超えたものになるが、Wikipediaをそのような形で利用するのは許されることなのか?

見落としている重要な論点や、発言者の意図を曲解している点などありましたらご指摘下さい。--sergei semenovich 2007年12月10日 (月) 07:33 (UTC)Kwansaiさんのご指摘により修正。--sergei semenovich 2007年12月10日 (月) 09:14 (UTC)[返信]

論点整理ありがとうございます。これが削除依頼であるということを念頭において1点だけ書き換えて頂きたいのですが、論点1-2「単なるデーターベース」は「WP:NOTにある、Wikipediaでは歓迎されないデーターベース」としたほうが、より論点として適当ではないかと思います。--Kwansai 2007年12月10日 (月) 08:11 (UTC)[返信]
論点としてはこれで整理されていると思いますが、意見としてはおおよそ以下のようになっているのではないでしょうか。
      1. このままでも有用(不要とは言い切れない)なので存続可能
      2. このままでは百科事典的でないので、手を加えれば存続可能となり得る場合もある(または、手を加えた方が望ましい)。
      3. 元々有用でないのだから、いかに手を加えようと存続はあり得ない。
ということになっていると思いますが、いかがでしょう。また、何度も申し上げているように、この一覧は『笑っていいとも!』や『テレフォンショッキング』と一体なものとして見るべきもので、単独で存在するデータベースではありません。--Rollin 2007年12月10日 (月) 08:27 (UTC)[返信]

Kwansaiさんのご指摘はごもっともですので修正致しました。
1-1については一応論点を漏らさず書くために記載したのですが、これに関しては「必要とはいえないまでも有用ではある」という意見でほぼ一致しているのではないかと思います。見解が分かれているのは「百科事典的な項目なのか(あるいはそうなり得るのか)」という点なのではないでしょうか。そこでRollinさんの観点からの意見の分類としては以下の方が適切ではないかと思います。

  1. 現状でも百科事典の項目としてぎりぎり許される範囲である。
  2. このままでは百科事典的でないので、手を加えれば存続可能となり得る場合もある(または、手を加えた方が望ましい)。
  3. 手を加えても百科事典的な項目に改善される可能性はない(または、理論的にはあり得ても現実的にはあり得ない)。

存続派の方も有用ではあっても百科事典的であるかどうかはかなり微妙だということで一致しているようですし、削除派の方も「元々有用ではない」とは考えていないと思います。--sergei semenovich 2007年12月10日 (月) 09:14 (UTC)[返信]

コメント

[編集]

整理して頂いた、論点に沿ってコメントしたいと思います。

  • 1-1についてですが、現時点の記事でも有用であると考えます。できるならば、テレフォンショッキングの概要について、コチラの記事でも冒頭で触れる方が百科事典の記事としてさらに良い物となるでしょう
  • 1-2についてですが、Rollinさんが削除議論で挙げられた、英語版での議論から、英語版ではテレビの出演者を時系列に並べたものがen:WP:NOT#INFOにあたらないという意見の方が多数であると思います。少なくとも、削除するためのコンセンサスの無い状態であると言えます。そのような状態で、元を同じくする日本語版のWP:NOTを適用した削除は無理かと思います。
  • 1-3については1-1と併せて考えるべきかとも思いますが、現時点でAppendixとしての有用性がありますが、テレフォンショッキングの概要が加筆されれば、一つの記事としても成り立つと考えます。
  • 1-4についてですがこの番組・コーナーの特殊性としては、現時点で検証可能性が満たされているという以外は無いと思います。
  • 2全般についてですが、NEONさんが指摘されているとおり、エピソードなどは検証可能性の問題から、加筆は難しいかと考えます。

以上--Kwansai 2007年12月10日 (月) 11:46 (UTC)訂正--Kwansai 2007年12月10日 (月) 13:36 (UTC)[返信]

英語版での議論には日本語版の利用者は参加していないですし、自分も含めてほとんどの利用者はこの番組を見たこともないでしょうから参考にはならないかと。そもそもこの案件は日本語版でテレビ番組のゲスト一覧は許されないという判断が示された前例を受けて提起されたのですが、存続派の方々が「前例とは関係なく純粋に本件が削除に値するかどうかだけを議論するべきだ」と強硬に主張されて、削除派も無駄に議論を紛糾させるだけなので「前例」については持ち出さないという方向で議論が進んでいたのですが。--sergei semenovich 2007年12月10日 (月) 13:24 (UTC)[返信]
これは、書き落としでした。「英語版でのコンセンサスが無い」ということです。これはWP:NOTの解釈問題ですので、議論の深くない前例のみで削除するわけにはいかないのではないかと。--Kwansai 2007年12月10日 (月) 13:36 (UTC)訂正--Kwansai 2007年12月10日 (月) 13:44 (UTC)[返信]
英語版の一つのケースでOKだったからこの件もOKとやってしまうとそれこそ「徹子の部屋のゲスト一覧」でも何でもありになってしまうし、日本語版で削除されたケースがあるから全てダメというのも見解が分かれているケースでは乱暴です。自分も削除票を投じた時には前例ができたから、と理由を述べたのですが、存続を支持する人も多いことを考慮してこのケースに即した議論をしているわけです。依頼者さんがここで改めてコメントされたのも同じ理由からと推察します。前例を盾に押し通す論法は不毛ですから、本件の事情に即して丁寧に議論を進めていく必要があると思います。--sergei semenovich 2007年12月10日 (月) 14:24 (UTC)[返信]
色々と言葉足らずで申し訳ありません。上で言いたかったのは、WP:NOTに当たるかどうかという論点で見た場合についてかきました。これまでのところ、この記事のままで当たらないという意見が弱く感じました。英語版の意見では、ゲストを時系列に並べた削除依頼当時のものでも便利な情報であるという意見が多く見られたので、そこを強調すべくまた、根拠とするために英語版をここで出しました。英語版の前例を押し立てて、こうだからこうすべきという事ではありませんが、私個人の意見としては、もっと考慮されるべきだと感じます。--Kwansai 2007年12月10日 (月) 15:34 (UTC)[返信]

(インデント戻す)日本語版が英語版の前例に拘束されるものでないことはもちろんなことですが、この件に限らずウィキペディアを編集するに際してWP:JPOVを考慮するのは当然のことでありましょう。そうでないと、他言語版にあるような記事が、日本語版では作れないという、おかしなことになってしまします。調べてみると、すでに挙げたものも含みますが、英語版には次のようなゲスト一覧が見つかりました。

ざっと調べた限りですので、まだ見落としもあると思います。また、上記は一覧が独立しているものだけで、元の記事にそれに類するものが存在するものは、もっとあります。一例を挙げるなら、en:The Ed Sullivan Show#Celebrity Guestsがそれです。さらに言えば、テレビドラマ(テレビシリーズ)やアニメに関しては、いわゆるエピソード一覧のとは別に、ゲスト一覧のあるものが多数あり、こちらは明らかに容認されています。以下に少しだけ例示します。

これらを見る限り、英語版ではKwansaiさんのおっしゃるよりもさらに広い意味で(つまり時系列に並べずアルファベット順に並べるなどであっても)、テレビ番組のゲスト一覧はen:WP:NOT#INFOにあたらない、少なくとも削除すべきというコンセンサスは得られていないというのが現状であると思います。もちろん、これをもって本件は即存続と申し上げているのではなく、WP:NOTの解釈上、参考にはなるだろうということです。--Rollin 2007年12月11日 (火) 06:52 (UTC)[返信]

それはいいすぎではないかと思います。wikiというシステムから、どんな物でも作れますし、気づかれなければそのままになっているので、「~がある」は容認されている証明にはならないと思います。"Saturday Night Live hosts and musical guests"にははっきりとした議論がありましたが、挙げられたページでも、そのページの"discussion"がまだ無いページも多く、それを容認するというようなコンセンサスはあるとは言い切れないと思います。あと、WP:JPOVWP:NPOVから派生するものですから「記事の中で物事の視点が、日本人から見た物に偏る事をさける」なので、削除するかどうかというこの場合とは関係ないと思います--Kwansai 2007年12月11日 (火) 07:39 (UTC)[返信]
失礼いたしました。では、容認されているという表現は取り消します。主題の選択について言語版によって違いが出るのはおかしいと思いますが、WP:JPOV にはそこまでは書いていないので、これも取り消させていただきます。--Rollin 2007年12月11日 (火) 10:42 (UTC)[返信]
と言っているうちに、あっさり削除されてしまいましたね。いろいろ議論はありましたが、結論が出た以上、これに従う他ありません。今後、日本語版においては、少なくとも名前と出演年月日を記しただけのゲスト一覧は認められないということになりましょう。仮に認められるものがあるとすれば、英語版の "Saturday Night Live hosts and musical guests" 以上にはした上でのケース・バイ・ケースということになるでしょうが、それこそ現実的にはかなり困難と思われ、このコーナー以上に、そのようなものを作るに値する番組やコーナーがあるかどうか、疑問と言わざるを得ますまい。よって、これをもって先例とし、しかるべき場所に書いておくのがいいと思います。--Rollin 2007年12月11日 (火) 13:11 (UTC)[返信]
一つの方法としては、復帰依頼に出すという手があります。削除されたからと言って、データとして無くなったわけではありませんから。削除以来以降、色々な論点が出て参りました。そのあたり、もう一度まとめ直せば、結果も変わるかもしれません。もちろん、変わらないかもしれませんが・・・--Kwansai 2007年12月11日 (火) 13:16 (UTC)[返信]
(追記)私は、そこまでの情熱が無く、これは無責任な提案になってしまうかもしれませんが、一意見として。今回の削除の懸念としてはPicaさまのおっしゃる、濫立のおそれがかなりの部分あったのではないかと思います。例えば、該当プロジェクトで何らかのルール策定後復帰依頼であれば、通りやすいのではないかと思います。--Kwansai 2007年12月11日 (火) 13:21 (UTC)[返信]
まあ、削除された以上、あわてることもないでしょう。プロジェクトで議論するというのは、途中で何度か提案したのですが、顧みていただけませんでした。私自身、濫立には賛成できないので、しっかりした作成基準のコンセンサスを得たいとは終始思っておりました。今回の議論も踏まえた上で、近いうちにプロジェクトで問題提起してみましょう。なお、Sergei semenovichさん、せっかく論点を整理していただいたのに、中途半端で終わってしまい申し訳ありませんでした。また機会ができましたら、ご意見いただければ幸いです。その他の方々も、大変お疲れ様でした。おかげさまで、大変有意義な議論になったと思います。--Rollin 2007年12月11日 (火) 13:44 (UTC)[返信]
議論の様子を見ているうちに削除されてしまったようですね。個人的には今後の話し合いを詰めていく段階での削除という印象があるので納得自体は出来ませんが…決定は決定です。ただ、皆さんがおっしゃっているようにプロジェクトの中で「一覧のありかた」を議論し、そのうえで復帰依頼にかけるというのは十二分にありだと私は思っています。百科事典的であるかの議論はひとまず置いておくとして、ただの羅列ではない有用な資料であったことは事実だと思います。今後も有意義な話し合いがもたれることを願ってやみません。--クロウ 2007年12月11日 (火) 14:14 (UTC)[返信]

(インデント戻します)削除されましたね。票も結構競っていたし、ノートでの議論も進行中だったので少々驚きました。ただ個人的にはすでに結論は出ていたんじゃないかと思っています。現状では百科事典的ではないのでどうすれば改善できるか、という方向で議論が進んでいたのですが、結局実際にエピソードを記載しようと名乗りを上げる利用者も出ませんでしたし、これらの項目が改善され得るという可能性はほとんどなかったと思います。
ここへ来てKwansaiさんが「テレビ番組のゲスト一覧もWP:NOTには当たらない」という見解を述べられて新たな展開となったのですが、そうなるとこれはここでの議論の範疇を超える問題になるわけで、Rollinさんの仰る通りどこか別の場所で議論をした方がよさそうです。その際は自分にも協力できることがあれば参加してみたいと思います。そこでの議論の行方次第では復帰依頼を提出してみるのもいいかも知れません(自分としては推奨しませんが)。
まあともかくひとまずはこれで打ち切りましょう。自分の発言を振り返ってみると結構きつい言い方になっているところが目立ちますがその点はどうぞお許し下さい。お相手をして下さったみなさまどうもありがとうございました。--sergei semenovich 2007年12月11日 (火) 14:45 (UTC)[返信]

(コメント)これは私見になってしまいますが、エピソード記載に名乗り手がいなかったのは「膨大な量のリストに手を加えることで主導者と認識されることを恐れた」ためではないかと考えています。実際にリストを改稿するとなると、それこと膨大な労力と時間を費やすのは明らかです。仕事として参加しているわけではないプロジェクトに忙殺されてしまうことは通常避けたいと思うのが自然ではないでしょうか。ともあれ、復帰依頼を行う場合には本腰を入れて取り掛かる覚悟が必要になるでしょうね。--クロウ 2007年12月11日 (火) 17:21 (UTC)[返信]

今後について

[編集]

念のため、赤井彗星さんに削除理由についてお伺いしたところ、このようなご回答をいただきました。私はゲスト一覧作成(または作成禁止)について統一基準があったほうがいいと思っていたのですが、赤井彗星さんのお考えは、個々の記事について秀逸なものにするために必要であれば適切な一覧を作るべきであるということのように思いました。そこで、本一覧についてさらに議論を続けるべきか、またはプロジェクトで統一基準策定について話し合うべきかを、もう一度お伺いしたいと思います。私としては、本一覧については多数の方々のご参加により一定の議論はつくされたと思うので、それのみの議論は不毛かなと考えます。また、統一基準を策定するより、記事ごとに考えるべきというのも一理ありますので、新たに出てきた視点はありましたが、今回のところは終了しようということであれば、そうしたいと思いますが、いかがでしょうか。--Rollin 2007年12月12日 (水) 05:38 (UTC)[返信]

新たな話題になりますので読み書きしやすくするため勝手ながら節分けしてインデントを消去させていただきました。ご了承下さい。
赤井彗星さんのご意見を拝見しましたが、懸念されているのは「はじめから本件を復帰させることを目的に新たな議論を始めるのは望ましくない。テレビ番組に関係した項目をより優れたものにしていくためにはどうしたらいいか、という観点から議論して欲しい」ということではないかと思います。Rollinさんのご提案は「ゲスト一覧の濫造を防ぐための議論をし、その中で認められるケースと許されないケースの線引きをどこに置くかを考えよう」という趣旨だと理解しております。ですから新たな議論を始めることに特に問題はないと思います。上でIP利用者さんが指摘されたような例もありますし、どこかでそういう議論を行っておくことは十分意義があるのではないでしょうか。
別の可能性としては親記事に修正依頼が出ていますのでその対応を協議し、その中で本件の一覧記事の位置付けについて改めて見直す、というのも一案だと思います。その方がより赤井彗星さんのご意見に沿う形になるでしょうか。ただそうしたテーマだと私の関心からはやや外れてしまうので自分としてはあまり積極的に参加することはないと思います(あまり安直に復帰依頼が提出される方向に向かった場合は歯止めをかけるかも知れませんが)。
本件についてここでこれ以上議論を続けるのはあまり建設的な方向に進むとは考えにくく、切り上げた方がいいと思います。--sergei semenovich 2007年12月12日 (水) 08:23 (UTC)[返信]
上記ご意見も踏まえまして、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 放送番組#放送番組のゲスト一覧についてに議論の場を設けさせていただきました。ご関心がおありの方は、そちらへご参加いただければ幸いです。--Rollin 2007年12月13日 (木) 12:42 (UTC)[返信]