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Wikipedia‐ノート:削除依頼/私は息子を兵士に育てなかった

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依頼者に対する 219.59.87.94さんからの質問へのお答え

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219.59.87.94さんからコメントの意図につきまして質問をいただきました (2023年5月10日 (水) 23:40 (UTC)) ので回答を試みます。

Q1.「著作権侵害になるのを個人的には認めたくない」のか?
A1. はい、個人的に認めたくありません。普通の人にはどん引きされそうですが「ベルヌ条約による戦時加算は人種差別的であり公正でない」等の個人的信条によります。

Q2. 版指定削除すればよいのではないか?
A2. はい、おそらくは。ところで、いまのコミュニティの合意、あるいは慣例と思われるものによれば、ハイパーリンクの欠落による履歴継承不備を重大なライセンス違反とみなしているようなのですが、一方で版特定削除の結果として過去版へのハイパーリンクが失われることをあえてよしとされている理由を見つけることができませんでした。よって、今少し版指定削除の方針に理解を深めるまで、これを支持する票を投じべきではないと考えました。

Q3. 削除依頼前の状態のまま存続することを「願って」いるのか?
A3. はい。[1] と関連しますが、どなたかが私の理由付けをあざやかに論破してくださるのを強く期待しています。

--枯葉会話2023年5月11日 (木) 09:42 (UTC)[返信]

別に論破はしませんが、CATALOGUE OF COPYRIGHT ENTRIES 1915 NEW SERIES, VOLUME 10 No.1 PART 3 MUSICAL COMPOSITIONSの、上に22ページ、下に386ページと書いてあるページにこの曲が載っています。これを見ながら考えれば、よい結果が出せるのではないでしょうか。
人種差別はともかく、約束事を守れば自由にできるとうたわれているはずの英語版ウィキペディアからの翻訳が、このような隠れた問題をかかえていることに抵抗を感じる方がいるのはわかります。ただWikipedia:翻訳のガイドラインは戦時加算も含めて注意していますし、他言語版の翻訳を投稿する人は把握していなければならないことだと思います。
この記事にはほかにも気になることがあります。たとえば英語版ではMark SteynがTimesに書いた記事の、左から2段目あたりからの引用が入っています。日本語版ではそれをそのまま訳してあるのですが、地の文にはSteynが書いたとも、Timesに書いたともあるわけではなく、いきなり「」に囲まれた語句が出てくるだけです。英語版にはよくあることですが、日本語版はこれで問題ないのでしょうか。こんな風にリスク満載で、翻訳元の書き手が使った参考文献を苦労して確認しなければならないのに、単なる翻訳なら機械翻訳で充分、という時代になって見向きもされないかもしれない、苦労ばかりで報われることがないのに、なぜ多言語版の翻訳に熱心な人がいるのか、私には理解できません。
そういう個人的信条もあって、私はあまり積極的に調査して議論に寄与するつもりはないのですが、テーマ自体には関心があります。「日米間著作権保護ニ関スル条約」の全文とか、キューピー事件関係とか、長々と時間をかけて調べてはみたいと思います。--西村崇会話2023年6月3日 (土) 02:08 (UTC)[返信]
いまのいままで気づいておりませんでした。せっかくいただいたコメントを無視した形になっていたこと、お詫びします。また、著作権の起点を示す資料のご提示もありがとうございます。なるほど、著作権の登録名義は Leo Feist (1869-1930) なんですね。んー、なるほど……なるほど。米法において著作権がどこまで譲渡できるかという論点から崩すことが可能であるのかもしれません。考えてみます。■人種差別云々は、まあ、聞き流していただいたほうが助かります。私はこのあたりの視点に初期のオープンソース活動家のラディカルさに強く影響を受けています。ウィキペディア内では抑えるように心がけていたのですが、今回の件は失敗でした。■もちろん著作権がらみの要点は翻訳者が気を付けなければならないところです。ただ、それはそれとしてこの件に慮外にも憤慨してしまったのは、この記事がメタにおいてm:Translation_of_the_week/2023_translationsにノミネートされていたためでした。ソースに「パブリックドメイン」云々と書いてあるのを見れば、他言語で問題を引き起こすのはわかりきっているでしょうに、という「お気持ち」ですね。西村崇さんがご指摘する引用の処理の不適切さも考えると、やはりもやもやするものを感じるところです。メタの事情もわかるんですが、コモンズの上位プロジェクトなんだからだれかチェックして止めてよ、という……。■ウィキペディアにおける翻訳について評論を加えるのは私には分不相応と思います。控えたいと思います。--枯葉会話2023年7月11日 (火) 10:38 (UTC)[返信]
これは実は「情報提供する」という体裁の個人メモですので、コメントいただけなくとも、何て失礼な奴だ、とは考えておりません。そこはお気になさらぬよう。また細かいことはあえて書かなかったのですが、私が示唆しようとしたことは伝わったようで、よかったです。
この件は、日本だけ存続するのは文化の発展に寄与しているのか?とよく例示される典型的パターンですので、削除と結論が出ていることに関して、異を唱えるつもりはあまりありません。普通にやるとこうなるだろうとは思います。
問題は、削除意志のない依頼だの、依頼者の意図は何なんだ、と妙な方向に話が進んでいることです。また登録されているかどうかが重要だった時代の米国著作権を論ずるのに、誰も登録内容を確認しないで話が進んでいることです。
ですから、もし結論をひっくり返せるようなら復帰依頼に出してみるといいと思います。そうでもしないと、何も変わらないでしょう。いずれにせよ、こんなところで続ける話ではありませんので、以上とします。--西村崇会話2023年7月15日 (土) 14:14 (UTC)[返信]