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Wikipedia‐ノート:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130618

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--ikedat76会話) 2013年6月22日 (土) 13:32 (UTC)--ikedat76会話) 2013年6月22日 (土) 13:32 (UTC)上の部分にあった発言等は不適切なだけでなく、議論の収拾をつかなくする、というご指摘をいただきましたので、ご指摘を受け入れて取り下げとし、コメントアウトします。大変失礼しました。--ikedat76会話2013年6月22日 (土) 14:13 (UTC)[返信]

大和屋敷さんは以前の削除依頼で理由を述べてらっしゃいましたので、そこから転記しました。--Haifun999会話2013年6月22日 (土) 13:43 (UTC)[返信]
存続票としては無効になっているが、存続寄りの意見を書いており、なおかつ意見を撤回していない方々の意見は掲載しなくてもいいのですか?存続票としては無効でも、存続寄りの意見を撤回せず、続けて議論に参加している方もいらっしゃいますし。--Kiruria281会話2013年6月22日 (土) 13:44 (UTC)[返信]

削除票入れた側の人間ですけど、削除票入れた側の人間についても同様の表が必要なのではないでしょうか(仮に削除票入れた人間に問題がなかったとしても)?賛成票入れた人間だけをやり玉に挙げるのはアンフェア、中立的でないと思われます。--あな34(須魔寺横行)会話2013年6月22日 (土) 13:48 (UTC)[返信]

それをするとものすごく長くなりますので、賛成・反対でサブページを掘った方がいいかもしれませんね^^; レスも付くんですから、節分けで対応できる限度を超えている気が。--Hman会話2013年6月22日 (土) 13:54 (UTC)[返信]
単に削除側の1人が存続側全員に対して意見を求める、という構図ならこのまとめのみもアリかもしれませんが、少しそれとは性質が異なる印象を持ちますので、存続側のみ記載するのはアンフェアでしょう。ですが、確かに削除側と存続側がいっしょくたに同じ場所で議論をするとごちゃごちゃになって意味不明になってしまいますので、サブページ分けが必要でしょう。--Kiruria281会話2013年6月22日 (土) 14:11 (UTC)[返信]

削除依頼の本論から外れているかもしれないコメントを転記

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私、Rienziによるコメントのうち、削除依頼の本論から外れているかもしれないコメント(及び、他の利用者の方に対する、一部の長文コメント)をノートへ移動させていただきます。--Rienzi会話2013年6月24日 (月) 01:37 (UTC)[返信]

基本的に、コメントした日時の古いものから順に、上から下へ並べています。--Rienzi会話2013年6月24日 (月) 01:54 (UTC)[返信]

  • 返信 (大和屋敷さん宛) 特筆性についての文書が「日本語版では草案であるが英語版を含め他言語版では既に発行済みであるからといって、日本語版の草案を無視する理由にはなりません。ここはウィキペディア日本版ではありませんが、ウィキペディア日本語版です。全く日本語化されていない方針文書やガイドラインならば多少考慮の余地はあるかもしれませんが、既に日本語化されている文書が存在するのに「日本語版では未発効」という理由で他言語版を引き合いに出すのは誠実な態度とは言えません。「ここでは『信頼できる複数の第三者による情報源からの十分な情報』があれば起筆してよい、と記述してあります。ウィキペディアに採録して良いのです」との仰せですが、どこに「起筆してよい」などと書かれているのでしょうか。具体的な場所をお示しください。Wikipedia:特筆性には「後述の#一般的な特筆性のガイドラインを満たしているか、各分野での特筆性の基準を満たすならば、記事主題は十分に特筆性があると推定されます」(太字表記はRienziによる)とありますが、どこにも「起筆して良い」とは書かれておりません。「『我々ウィキペディア編集者にとって特筆性があるかどうか』などという感覚的で【どこの誰とも知れない集団の意向・多数意見】など、掲載基準の観点にはなりえない」との仰せですが、どういうことでしょうか。「Wikipedia:特筆性を引き合いに出して「特筆性があるか否か」ということを論ずることに意味はない」あるいは「Wikipedia:信頼できる情報源を満たしているのだから特筆性について云々すべきではない。議論の余地はない」とでもおっしゃるおつもりでしょうか。各々の利用者は「ウィキペディア編集者にとって特筆性があるかどうか」ではなく「ウィキペディアにとって特筆性があるかどうか」ということを(各種文書との照合を含めつつ)考えてコメントしているものと思われますが、いかがでしょうか?申し訳ありませんが、大和屋敷さんのコメントは、既に投じられた「削除票」の中身を真剣にお読みになった結果とは思えません。「信頼できる複数の第三者による情報源からの十分な情報があれば起筆して良い」ということであれば、この世のありとあらゆる事件について項目を立てることが可能ということになってしまいますが、例えば通り魔事件に限ってみても、Haifun999さんが例示しておられる過去の事例(例えばWikipedia:削除依頼/東京地下鉄東陽町駅前通り魔事件など)を見る限り、ウィキペディア日本語版は「信頼できる複数の第三者による情報源からの十分な情報があれば起筆して良い」という場所ではないようですが、どうなのでしょうか。また、大和屋敷さんの理屈に従えば、「ウィキペディアの編集者は「特筆性」について判断すべきではない」ということになってしまうように思われます。それでは、杓子定規にWikipedia:特筆性を表面的に当てはめる以外に、「ケースE(に該当する懸念のある)」案件についてコメントをすることは出来ない、ということになってしまうと思いますが、それはWikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんに抵触すると思います。「本件の【社会的特筆性】はすでに信頼できる複数の報道機関が証明してくれています。我々Wikipedianはその事実を淡々と確認すれば良いだけのことです」との仰せですが、複数の報道機関が複数回報道した、というだけでウィキペディアに記事を単独立項することの正当性が保証される、というお考えなのでしょうか。もう少し具体的な説明をいただければと思います。長文失礼いたしました。--Rienzi会話2013年6月20日 (木) 02:32 (UTC) 一部修正。--Rienzi会話[返信]

返信 (TempuraDONさん宛) Wikipedia:特筆性#特筆性は客観的な証明を必要とするWP:NOTNEWSPAPERWP:NOTCRYSTALなどに照らして、既出の報道ソースが「速報報道」の域を出ておらず、犯人の責任能力も疑問視されており現在捜査中、という段階では、ウィキペディアの方針やガイドライン、提案中の文書に照らして考えると、「事件記事」として単独立項するのは難しい、という主旨の意見もあるわけです。「削除票を投じている人は『道端で面識のない人間に対して、日本人であるか否かを尋ねて襲うか襲わないか決める』『弁護人の選定にあたっては『日本人(の弁護人)は嫌だ』と主張している』という通り魔事件は日本で『特筆性がないほど、他の事件についてもありふれており珍しくない』と思っているのでしょうか?」との仰せですが、そのようなコメントは「削除票を投じた人たちを馬鹿にしている」と受け取られるリスクもありますので、慎重にお願いしたいと思います。--Rienzi会話2013年6月23日 (日) 13:07 (UTC) 一点補足しておきますと、「道端で面識のない人間に対して日本人かどうか尋ねて襲った」事件としては私のこのコメントで紹介させていただいた「中国における日本人狩り」の例があります。ただまぁ、これは「日本国内の事件でなく、通り魔事件でもない」ものですので、こういうこともあった、という一つの参考にしかなり得ないとは思いますが・・・。--Rienzi会話[返信]

  • 返信 (Wikipefreemanさん宛) すいません・・・上で私があのようにコメントしたのは、そのようなコメントを書いていただきたかったからではないのです。「生野コリアンタウンの歴史が古く日本人と在日コリアンが平和に過ごしてきた背景がある」ということを「特筆性1」として挙げておられますが、それは、Wikipedia:信頼できる情報源において、本事件との因果関係が明らかにされているようなものではないため、「生野区連続通り魔事件」の特筆性を担保するものではありません。「確認しなければ犯人にも日本人と在日コリアンの区別がつかなかった」ということは、Wkipefreemanさんの個人的推測にすぎません。特筆性2は、ちょっと内容が錯綜していてよくわかりませんが、「生野コリアンタウンでは外見上区別がつかないくらい日本人との同化が進んでいる。そのような環境下で日本人かどうか確かめて犯行に及んだことは異常である」ということでしょうか?報道内容に記載されているのは「日本人か」と犯人が犯行前に言っていた、ということであって、「外見上区別がつかないほど同化が進んだ」とか「帰化が進まないであろうと予測される在日問題」というのは、報道内容には一切記載がありませんので、特筆性の保証にはなりません。特筆性3の「他のコリアンタウンで同様の事件が起きる可能性を示している。報道内容から以上のことが読み取れる」というのは、明白にWikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは未来を予測する場ではありませんに抵触しています。Kiruria281さんもご指摘の通り、特筆性1、2、3がそれぞれWikipefreemanさんの個人的見解であればそれは独自研究であり、そのような理由付けで特筆性を保証することは不可能です。もしも、特筆性1、2、3が有識者が新聞のインタビューで言っている、新聞の社説で話題に上っていた、全国ニュースで有識者が詳しく述べたような事柄ならば、その情報源を提示していただければ結構です。「削除するということは『日本人と韓国人が平和に暮らしていた』という事実をも否定する行為である」との仰せですが、そもそも、この事件には「日本人と韓国人が平和に暮らしていた」という主旨の記述など存在しません。ですから、この記事が削除されてもされなくても、「日本人と韓国人が平和に暮らしていた」という事実はウィキペディア上では否定も肯定もされません--Rienzi会話) 2013年6月22日 (土) 13:44 (UTC) 一部修正。--Rienzi会話2013年6月24日 (月) 01:48 (UTC)[返信]

コメント Himetvさんによって「(本記事が対象としている事件についての報道状況は)Wikipedia:検証可能性はすでに満たされて」いるという指摘がなされております。現在の記事には、報道機関による出典がつけられており、形の上ではWikipedia:検証可能性は満たされているのかもしれませんが、現状では(現在の報道状況では)Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは新聞ではありませんWikipedia:特筆性#特筆性は客観的な証明を必要とするなどをを満たしていないものと思われます。形式上Wikipedia:検証可能性を満たしていることが、記事を即存続とすべき理由として妥当かどうかは、今後議論の待たれるところだとは思います。また、Himetvさんは「過去の本記事に関する削除案件及び現在の削除依頼自体が加筆を阻害する要因のひとつになっている」と指摘していらっしゃいますが、記事に対する加筆は引き続き行なわれています。実は私自身も、既に削除票を投じた立場ではありますが、記事の中立性を考える立場から、少し手を入れています。「加筆を阻害するから」という理由で「存続」とすべきではないでしょう。Himetvさんが「中立性」についておっしゃられているのは、J-castニュースによる「記事削除騒動の報道」のことを指していらっしゃるのだと思いますが、この件については現在当該記事のノートで議論中です。なお、今回のケースは、管理者の方のご判断の内容によっては、「事件記事を単独立項するにあたっての(慣例・過去の削除依頼での事例・現行の特筆性ガイドラインの解釈運用などに基づく)基準」を大きく引き下げる可能性があると思っております。極論を言えば、Wikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:検証可能性を形の上で満たしていれば(大手メディアによる、放送ではなく文字情報としての報道を出典とした場合は、よほどの飛ばし記事でない限り、この二点は簡単にクリアできます)あらゆる事件記事を単独で立項することが可能である、という示唆を執筆者に与える結果になるかもしれません。(少なくとも、現時点ではウィキペディアは「あらゆる事件記事」の立項を認めているわけではなさそうです)そのこと(基準引き下げ)が、ウィキペディアとして歓迎すべきことか否かについては、もしかすると別な場所で、ウィキペディア全体の話として、様々な立場から議論する必要があるのかもしれません。--Rienzi会話) 2013年6月23日 (日) 16:20 (UTC) 一部修正。--Rienzi会話2013年6月24日 (月) 01:48 (UTC)[返信]

今後に向けて

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処置者です。クローズに使った作文が、2013年6月25日 (火) 20:32 (UTC)のAkaniji氏のコメントより前のものでしたので、Akaniji氏のコメントに対して少し考えてみました。
できるだけ作成された記事は残したいのは私も同感で、「消すべきだ」という意見の無い「消すまでもない」記事をどんどん残すべきなのですが、ただあえて「消さなくてもいい記事」第1号に揉めてる本件を選ばなくてもよいとも思いました。
私は個人的には通り魔事件記事というのはけっこう読者需要があるのではないかと思ってるんですよ。なんとかして、コミュニティーを説得して需要を認めてもらい、記事の増産に入って、そうして、これまで執筆されなかったレベルの通り魔事件を大量作成したとします。通り魔事件に関する掲載のハードルを下げることができるわけですから、そこに本件を滑り込ませる方法なら生き残る可能性はあると思うのです。掲載基準さえ満たせば、(マイノリティ問題の扱いが難しいのはわかりますけど)文章を工夫して間違いの無いように書いてみましょうか? という話しになりませんかね?
問題は作成とメンテナンスの要員の確保なんですが、ちょうど、これまであまりアクティブでなかったけど本件をきっかけにしてお集まりいただいた方が数人いらっしゃいますので、その方々に呼びかけて「PJ不条理事件簿」みたいなものを編成するのもありかなと思います。アニ・漫・ゲームなどの趣味の集まりと違うので、編成したその状態を維持し続けることができるのかというところが不安なのですが、興味を持った人たちの力で、通り魔事件全体に目を向けてもらって充実を図るのが(ちょっとしたお祭りで終わらせない)ウィキペディアにとっての最終的な「得」だと思っています。実現は、存続を投じた方々のウィキペディアの成長に対しての努力とその熱意の持続次第かと・・・--Triglav会話2013年6月26日 (水) 15:53 (UTC)[返信]

  • コメント処置者様、お疲れ様です。削除についてはWikipedia:特筆性#特筆性のガイドラインを満たしていない記事に「特筆性を満たしているか不明確な記事においては、記事の削除は最終手段であるべきです。」と書いてあります。この文章の後には様々な手段が書いてあります。Wiki の方針は削除にとても慎重なのだと私は思いました。またWikiへ載せる記事に対してWikiのルールを適用するのならわかります。しかし削除や復帰を議論しているページでの意見にWikiのルールを適用させようとしたりするのはおかしいと思います。例えばある意見が、信頼できる情報源によって裏付けられているかと問われたり。自分が考えた自分の意見を自分の言葉で書くのに、です。なぜか権威ある方の言葉を持ち出さないと承知しなかったり。また、特筆性については「主題」にかかるのであり、「記事の内容」にかかるものではありません。Wikipedia:特筆性 の冒頭にはっきり書いてあります。なのに記事の内容に特筆性を求めたり。ノート:生野区連続通り魔事件#-生野区連続通り魔事件-臨時Wikipedia に私Wikipefreeman2013年6月29日 (土) 12:52がまとめてみたものがありますのでご意見いただければと思います。--Wikipefreeman会話2013年6月29日 (土) 13:39 (UTC)[返信]