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Wikipedia‐ノート:削除依頼/江藤淳 20070601

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Frommさんのコメントに対するコメント

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  • (コメント)Wikipedia:削除の方針は存命であるか否かを問うていません。単に「著名人の記事内で、著名活動に多大な影響を与えたとは考えられない逮捕歴、裁判歴、個人的情報など」と削除の基準(方針)を示しているのであって、この基準に合致するか否かがここで考慮されるべきことと考えます。問題とされている版はこの削除基準に合致している以上、処置されてしかるべきなのではないでしょうか? --赤い飛行船 2007年8月10日 (金) 15:22 (UTC)[返信]
一言追記させていただきます。言葉の綾かとは思いますが、「Wikipedia:存命人物の伝記も生存中の人物だけ手厚く権利保護しましょうというものです」というのは違うと思いますよ。存命であろうが死亡していようがプライバシーを守るというのが基本方針です。その上で存命者についてはより一層注意すべきであるとして諸々の取り決めを示しているのが、「存命人物の伝記」です。決して「生存中の人物だけ手厚く権利保護しましょう」などと言っていないことを確認していただきたく思います。--赤い飛行船 2007年8月13日 (月) 14:17 (UTC)[返信]

Tiyoringoのコメントに対するコメント

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  • (コメント)ここで考慮すべきことはWikipedia:削除の方針に合致するか否かです。「削除の方針」は「著名人の記事内で、著名活動に多大な影響を与えたとは考えられない逮捕歴、裁判歴、個人的情報など(例:大学教授の記事で、車庫法違反で罰金の有罪判決を受けたという事実を記載する必要はありません。記載された場合削除の対象になります)。」としています。存命者と死者とで別個の基準を用いて良いなどとは一言も言っていません。長い試行錯誤と議論を経てまとめあげられてガイドラインとなっている「削除の方針」が設定している基準に合致している以上、削除するのが当然でありましょう。存命者と死者とで適用基準を変えるべきだというのであれば、Wikipedia‐ノート:削除の方針あたりで提起し、「削除方針」を変更してからの話です。さらに付け加えるならば、当該箇所は検証可能性の面でも問題があるように思います。確かに出典が明示されていますけれども、同業者の曖昧な証言(これを証言と言ってよいのか疑問は残るが)しかなく、さらに深く追求するにも手立てがあるとは思われません。そのような噂話の域を出ないものを『ウィキペディア』に記述する理由があるのでしょうか。私には妥当な理由があるのは思えないんですが・・・。--赤い飛行船 2007年8月13日 (月) 14:12 (UTC)[返信]

Kinoriさんのコメントについて

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既に特定版削除が決定した後ですが、ちょっと一言。「いい加減な三流雑誌の記事は、法律が要求する『真実と信じるに足る相当な理由』にはなりません。存続を推す人たちでさえ真実だと信じられないような出典なら絶望でしょう」とのことですが、Wikipedia:検証可能性の「『真実かどうか』ではなく『検証可能かどうか』」に照らし合わせるとこれは甚だ奇妙なコメントですね。曲りなりにも管理者の任に在る人物の発言であるなら尚更です。確かに『噂の眞相』は「信頼できる情報源」とは言えませんが、同誌2000年9月号に「一周忌の『偲ぶ会』の席でも囁かれた江藤淳“痴漢逮捕歴”の文学的背景」という記事が載ったこと自体は検証可能です。換言すれば、「存続を推す人たちがその記事の内容を真実と信じるかどうか」はこの場合そもそも論点にならないのです。Wikipedia:検証可能性に定めるように、「信頼性に乏しい情報源」に拠る記述は編集対応で除去されるべきものです。特定版削除という対処はこの種の事案に馴染まなかったものと小生は考えます。-- 2007年11月27日 (火) 11:40 (UTC)[返信]